反ちぇぶ蛆虫による指桑罵槐

小林よしのりから「蛆虫」「いじけ虫」と罵倒され、それを受け入れ、コバの尻舐めをしたゴミ虫君についての大林批評をどうぞ。


《元ファンサイト管理人のいくつかのブログ記事を読むと、今のカレがかつての師匠のことをどのように思っているかが読みとれてしまいます。

例のカレが反中国・親台湾・山尾支持であるのは、かつての小林の言説をそのままコピーしている姿であると言えます。

ゴー宣の純粋なファンからすれば、「俺は先生の主張に共感していたのに、どうしてあなたは簡単に変節するんだ」という不満を小林に対して感じてしまう人もいるでしょう。

小林思想を真面目に信じていた純粋なファンが、今の小林に対して違和感を覚えてしまうのは無理もありません。実際に運動団体に参加して、小林に幻滅してしまった人も少なからずいて当然です。

小林の言説が変節を繰り返していることや女帝ちぇぶの専横がまかり通っていることやイベントの劣化やカラオケ活動のごり押しが続いていることなどの数々の醜態を見せつけられたせいで違和感を覚えている元ファンの不満を例のカレが代弁してくれています。

ゴー宣道場に今も残っている小林シンパたちは、「なんでもかんでも肯定するだけの”しつの悪い客”」の特徴が見事に当てはまっています。

小林は言論人として出鱈目なことを言い続けた上に、運動家としてはこれでもかと暴走を繰り返してきました。

つまり小林は、「言い放し、やり放しで、責任を取ることも無く、反省することも一切しない」を地で行く人間なのです。

元ファンサイト管理人曰く、「世の中にはだまされる方が悪いという意見もあります。しかしだます方が悪いに決まっている」

要するに、元ファンサイト管理人は、「俺は小林よしのりに騙されていた。悔しい」という怒りの気持ちを感じているのでしょう。

例のカレは今ごろになって、自分がとんでもない人間を師匠にしていたことに気付いたようですね。

元ファンサイト管理人が小林のことを、「人の善意や好意を踏みにじるような奴」と軽蔑するようになったのは無理もありません。

なぜなら小林は、運動団体のために誰よりも尽くしてきた例のカレを一方的に切り捨てた人間だからです。元ファンサイト管理人は、師匠として熱烈に崇拝していた小林から精神的に決別することができたようです。

しかし、例のカレがブログで主張している言説を見ると、小林思想の洗脳がまだ解けていないように見えてしまいます。》(大林わるのりさん)

https://washiblogact3.seesaa.net/article/519923919.html

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引き続き、大林批評による元ファンサイト管理人についての分析を見てみましょう。


《元ファンサイト管理人のサイトには時事ネタを批評しているように装って、かつての自分の師匠である小林よしのりを揶揄しているような言葉が見つかっています。

例のカレは2025年紅白歌合戦を「アホな運動よりも、ちゃんみなの方が雄弁」と批評していました。また、「紅白歌合戦と素人動画との違い」という批評もあります。

更に、「素人演奏は直視できない」「気色の悪い空気感」「言い方悪いけど「老人ホーム」か!?」とまで書いています。

今思えば、例のカレが師匠のカラオケ活動を褒めていたのはお義理の言葉であって、本心ではなかった可能性があります。

運動団体に所属していたころの例のカレは師匠に対していろいろ違和感はあったものの信仰心や忠誠心の方を優先していたのでしょうね。

関東設営隊初代隊長だった和ナビィはちぇぶの台頭で非主流派となった今でもゴー宣DOJOとの関係が切れていないようです。

一方で、和ナビィは例のカレが運営するサイトにも書き込みをしているようです。

和ナビィは自分の頭でものを考える作業を放棄しており、現在でも小林信者をやめることができていません。

例のカレは運動団体を破門されたおかげで、かつての師匠に対して批判的な考えを持つことができました。

しかし、和ナビィは運動団体に今も所属しているため、師匠に対する信仰心や忠誠心を捨て切れていません。

ゴー宣DOJOで非主流派となった和ナビィは、金髪の女帝が失脚した後は自分が復権するという夢に今でもすがりついているのでしょうね。》(大林わるのりさん)

https://washiblogact3.seesaa.net/article/514815139.html

https://washiblogact3.seesaa.net/article/514815139.html


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この記事へのコメント

大林わるのり
2026年03月08日 18:25
やはり、大須賀は小林に対して指桑罵槐をしている可能性があるようです。

マウンティングって「猿の行動」だよ
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/11701
>一方で、自分より力を持つ者に対しても、立場の弱い者に対しても、虚勢をはってマウントをとろうとする輩は軽蔑される、つまり「なめられ」ます。

「虚勢をはってマウントをとろうとする輩は」とは、まさに小林の特徴に当てはまっています。さすが、大須賀はゴー宣道場で幹部をやっているだけあって、小林の特徴を誰よりもよく観察できているようですね。

小林の虚勢ズムはゴー宣の読者を騙すことは可能でしたが、実際に彼と接した人たちからはその薄っぺらさを見抜かれていました。結局、小林は外では相手から「なめられ」ていたのでしょう。

>交渉において「なめられる」のって、威圧されたり、言い負かされたりする事じゃないですよ。特に外交のように最高レベルの狡猾さが渦巻く世界では「このバカを利用してやれ」と思われ、様々な形で上手く利用されてしまうでしょう(中国に対しても、様々な行動の口実に使える、過去最大級に「便利」な首相になっています)。

ゴー宣の連載を始めてからの小林は、特定の運動に関わることがたびたびありました。しかも小林は簡単に運動にのめり込んでしまい、どの団体でもたちまち広告塔となってしまった人間です。

おそらく小林は、運動団体から「「このバカを利用してやれ」と思われ、様々な形で上手く利用されて」いたのでしょうね。しかも小林の場合は、右傾化して以降は宗教勢力と関わるようになったのですから救いようがありません。

>誰がそんな野蛮人と「対等に」交渉なんかしようと思いますか。

小林と一時的に仲良くなったとしても、やがて仲がこじれて決別することは目に見えています。しかもその後で、小林は一方的に決別した相手のことを言論漫画(やネット)で中傷をします。

他者と対等な関係を築く気がない小林に対しては、「「対等に」交渉なんかしようと」考えるのは無駄です。

>だいたい、優位性を誇示する意味での「マウンティング」って元は猿の行動であり、レベルの低いポジション獲得行動を揶揄する皮肉で人間に使われだした言葉ですよ?

おそらく大須賀は、小林に対して本音ではこう思っているのかもしれません。

「『マウンディング』とは元は猿の行動であるから、他人に対して『マウンティング』をしたがる小林よしのりはやっていることが猿とそっくりではないか」

大須賀ブログを読んでいると、「やはりこの人は小林に指桑罵槐をしている」という疑惑がますます濃厚になってしまいます。

とはいえ、大須賀による小林やゴー宣道場への指桑罵槐はどこなく陰湿さが読み取れてしまいます。

チェブリンへのおススメ
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/12718

大須賀はちぇぶに対して、(2026年1月のゴー宣道場のイベントでは)中森明菜が「DESIRE-情熱-」を歌っている時に使用していた衣装を着るようお勧めしています。

ちなみに、かつてのゴー宣道場ではちぇぶとファンサイト管理人が対立しており、当時の大須賀はファンサイト管理人派の人間でした。その事実を踏まえると、大須賀によるちぇぶへのおべっかからは陰湿な本音が読み取れてしまいます。

大嫌いな上司の女性に似合わないファッションをさせて、人前でさらしものにしてやりたいというのが大須賀の本音なのでしょうか。

そうであるならば、小林が作った「ネトウヨ音頭」をリリースしたいと大須賀が言っていることも、実は「このダサい作品をさらしものにしてやりたい」という陰湿な気持ちが本音なのかもしれません。

使い方は色々!「ウシハクよしりんバンドアクキー」先行発売中!
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/11765

大須賀はブログで、「ウシハクよしりんバンドアクキー」の宣伝を行っています。しかし、大須賀が「ウシハクよしりんバンドアクキー」を身につけている姿はなぜか妙なダサさを醸し出しています。

「ウシハクよしりんバンドアクキー」を使用した数々のファッションは、どれも残念な格好になってしまいます。いや、大須賀が小林やゴー宣道場に対してこっそり指桑罵槐しているという意味を踏まえると、彼の本音が見えてしまいます。

大須賀の本音は、おそらくこういうことかもしれません。

「見ろ、『ウシハクよしりんバンドアクキー』のデザインはこんなにダサいぞ。それは、試しにファッションショーをしてみた俺のこの残念な姿で証明済みだ。こんなにダサいグッズを作って、しかも高い値段で売るとは、ゴー宣道場は本当にどうかしているな」

結局、大須賀による小林やゴー宣道場への指桑罵槐の内容は嫌らしいほどに陰湿なのですよ。『20世紀少年』の演歌歌手・春波夫による指桑罵槐と比べると、大須賀がやっていることは根暗な嫌味になっているだけで実に残念だなぁと言わざるを得ません。
大林わるのり
2026年03月08日 00:29
大須賀は小林に対してすっかり幻滅してしまい、今ではブログでいつも指桑罵槐をするようになっています。しかし、大須賀は「愛子天皇の実現は絶対の正義だ」と固く信じ込んでいる時点で、まだ洗脳が完全には解けていません。

愛子さま、東北へ!(及び複雑な思い)
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/45708
>被災地を思い、訪れてくださるご一家に対し、本当に申し訳なく、恥ずかしい…。これを決議した議員たち、しらじらしく仰々しい言葉で「慶びの念」でもSNSに書き散らすんでしょうか?

>もし、訪問されたご一家を見て、心の中に疚しさのようなものをほんの少しでも感じたら、是非それとよく向き合ってほしい(まったく感じない者がいたら、そいつぁもう手遅れですな🙄)。

>春の訪れと共に、多くの国民の「愛子さまを皇太子に」という想いはますます膨らみ、同時にほとんど政治の世界だけが抱える膠着した精神性もいっそう顕わになりそうです。

ゴー宣道場は「膠着した精神性」に陥った団体となっている上に、運動自体が自己満足のためのものとなって全く成果を出せていません。

今の小林一派が愛子さまに対して崇敬の気持ちを表明したところで、(例えばまいこの文章のように)「しらじらしく仰々しい言葉で「慶びの念」でもSNSに書き散らす」ことになるだけです。

しかしながら、「愛子天皇実現」の大義を本気で信じている一方で、「でも小林先生やゴー宣道場がやっていることはおかしい」と違和感を覚えている門下生もひょっとするといるかもしれません。

例えば、迷走を繰り返す小林に対しては失望しているものの、(ゴー宣道場の支持母体となっている某宗教団体の教えの影響で)天皇や愛子さまを本気で個人崇拝している門下生がいたとしても不思議ではありません。

そういう門下生は、「小林先生やゴー宣道場が間違った運動をしたせいで、愛子天皇誕生の目標が実現できないでいる」と憤る一方で、「ご一家に対し、本当に申し訳なく、恥ずかしい…」とも本気で思っていそうです。

熱烈な尊皇主義者であるからこそ、今の小林に対して幻滅している門下生もおそらくいるでしょう。そういう人は、「訪問されたご一家を見て、心の中に疚しさのようなものをほんの少しでも感じたら、是非それとよく向き合ってほしい」と小林に対して本気で思っていそうです。

ゴー宣道場の内部では、次のようなことを思っている門下生もいるかもしれません。

「私は天皇陛下や愛子さまを心から崇敬しているし、皇室の存続のためには愛子天皇を実現させるべきだと思っている。だから、今の小林先生が尊皇の大義を利用してカラオケごっこをしていることは許せない。『愛子皇太子の誕生』という希望が潰されようとしているのは、運動の代表として迷走を繰り返した小林先生にも責任がある。小林先生は、愛子さまや皇室に対して申し訳ないと思わないのか」

(映像作家O氏のような)某門下生による上記の発想は、別の形で例えるならば以下のようになるでしょう。

「私は信者として名誉会長を心から尊敬している。もちろん、私は名誉会長の教えも信じている。しかし、教団の執行部や某政党が安保法制を支持したのは、名誉会長が説いていた『平和主義』の教えに背いている。執行部や某政党は、名誉会長に対して申し訳ないと思わないのか」

「私は党員としてマルクス主義を本気で信奉している。しかし、代々木本部の幹部たちが末端の党員たちから搾取をして贅沢な暮らしをしているのは、マルクスの教えに背いている。代々木本部の幹部たちは、マルクスに対して申し訳ないと思わないのか」

自分が関わる組織に対して違和感を持つことができた人物であっても、刷り込まれた教えそのものを疑うことは難しいのかもしれません。

やはり大須賀はまだ洗脳が完全には解けていないようですね。
大林わるのり
2026年03月07日 18:20
狂気のホワイトハウス戦意発揚動画
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/45906
>米国ホワイトハウスが公開している、戦意発揚目的(?)の動画が思いっきりトチ狂っています。
(中略)
>それにしても、ゲス大統領の政権下だと、ホワイトハウス公式でここまで悪趣味な動画を公開しちゃうんですね。

>トランプにおもねり、米空母ではしゃいでピョンピョン跳ねて、イランのみを避難する声明を出す高市首相。もし「どうだサナエ、この動画グレイトだろう?」と言われたら、どう反応するんだろう?

>むしろ趣味がピッタリ合って「すっごーい!エクセレント!」とピョンピョン跳ね回るんじゃないかな?

相変わらず大須賀は、ゴー宣道場や小林に対してこっそりと指桑罵槐をしているようです。

ゴー宣道場がこれまで公開した数々の動画は、内容の幼稚さやセンスの下品さが目につくものばかりです。例えば、小林がワクチン接種券を破り捨てて喜んでいる姿が映っている動画がそうです。

また、カラオケ趣味に入れ込んだ小林が、自らの残念な歌唱を堂々と公開している動画もそうです。漫画家として大成できなかった小林が、鳥山明の死をイエスマンと一緒に嘲笑している動画もそうです。

もしも、ごく普通の一般人たちがこれらの動画の内容を知ったならば、間違いなく違和感を覚えてドン引きするでしょう。おそらく世間の大多数の一般人の感覚で照らし合わせれば、ゴー宣道場の動画はこう思われても仕方がありません。

「それにしても、ゲス漫画家の運動団体だと、ゴー宣道場公式でここまで悪趣味な動画を公開しちゃうんですね」

しかも呆れたことに運動団体の幹部たちは、小林の暴走に何も異を唱えずにひたすら追従しています。例えば女性師範である泉美木蘭や笹幸恵は、独裁者・小林におもねる仕草をこれでもかと繰り返してきました。

最近でも、泉美や笹は小林親分の思想をコピーする形で三橋貴明と施光恒をブログで攻撃していました。泉美や笹がやっていることは、小林の意向をくみながら、ゴー宣道場が決めた「敵」をブログで批判して言論ごっこをしているだけです。

だから泉美や笹が、小林から「どうだ、わしの歌はグレイトだろう?」と言われたら、「すっごーい!エクセレント!」とヨイショするのは目に見えています。

とはいえゴー宣道場の幹部たちからしても、独裁者である小林に媚びて機嫌を取ろうとするのは内心では気苦労が多いでしょう。小林のカラオケ動画など、ゴー宣道場による幼稚な動画の作成に関わっている人も内心では不満を貯め込んでいそうです。

音響の仕事の技術や動画作成の技術を今のような形で使っていることに対して、大須賀は本音では違和感を覚えているのかもしれません。

大須賀が書いた今日のブログ記事からは、「俺は一体何をやっているんだろう?」「こんなことをやり続けていいんだろうか?」という悩みの声が聞こえてきそうです。
大林わるのり
2026年03月06日 18:13
「公」より「サナ活」
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/45753
>しかし、高市早苗の中における「サナ活ファン」のイメージは「私が来いへんかったら皆がっかりしてテンション下がるやんなあ。まあ、イランの方は金沢にぱぱーっと行って来てからようけ対応すればええやろ」という認識なのでしょう(関西弁の変な所は、他の地域出身の人が使う東北弁が変なのと相殺して許してね)。

大須賀のブログ記事の特徴とは、特定の相手への批判を装って小林に対して指桑罵槐をしているということです。だから、大須賀が高市批判を装って書いた文章の正体は、実は小林の心の中を想像したものとして書いた文章の可能性があります。

確かに小林ならば、「わしがイベントに来なかったら、門下生たちはがっかりしてテンション下がるだろうなあ」と思っていても不思議ではありません。また小林の場合は、「まあ、創作活動の方は、イベントが終わった後で仕事場にファックスで適当に指示しとけばいいだろ」とも思っていそうです。

ゴー宣道場の幹部である大須賀は、普段の小林が心の中でどのようなことを考えているかは手に取るように分かるのでしょう。

>「そんな忙しい中来てくれて、高市さんええ人やわー」みたいに思っていたら、それは高市の「良いカモ🦆」です。

>総選挙中の、NHKの党首討論をパスしながら応援演説には行った事もまったく同じ構造ですが、高市早苗にとっては「公」よりも「サナ活」(ここでは、推し活としてのサナ活の受け皿としての「サナエ活動」)なんです。

門下生たちはイベントに参加してくれた小林のことを、おそらく「そんな忙しい中来てくれて、小林先生はいい人だなー」と本気で思っていそうです。ゴー宣道場で運動のための運動に没頭しているシンパたちは、まさに「コバ活」をやっている状態であると言えます。

そして、イベントに参加してシンパたちからチヤホヤされることを欲するようになった小林は、「「公」よりも「コバ活」」の状態に陥っています。小林は昔から承認欲求モンスターであったため、信者たちからの「推し活」に依存する人間となってしまったことはある意味で必然の帰結でした。

その結果、現在の小林は創作活動や言論活動をスタッフに丸投げし、ジャイアンリサイタルでシンパたちから喝采されて満足する堕落した人間となっています。

>「存立危機事態発言」だって、米国の威光を大前提とした上でのイキリだったのに、向こうは「歴史に残る重大な行動」に出る時にも、高市の事なんかまったく蚊帳の外だったわけですね。属国のお山の大将、かくも哀れなり。

今の小林が夢中になっていることは、幼稚なカラオケ趣味と愛子さまへの推し活です。近年の小林による数々の詭弁や運動ごっこの根底には、愛子さまの権威を自分の利益のために悪用した「イキリ」の感情があります。

しかし小林やゴー宣道場が偏った言説を唱えて変な運動を繰り返したところで、世間を動かすほどの影響力は発揮できなくなっています。そもそも小林が熱烈に個人崇拝している愛子さまでさえ、彼のことは「まったく蚊帳の外」扱いなのでしょう。

迷走を続ける小林に対して私は、「お山の大将、かくも哀れなり」と言いたくなります。

>高市さん、トランプに「私に恥をかかせるな!」って言ってやりなよ。

ファンサイト管理人派だった過去がある大須賀は、ちぇぶの専横に対して本心ではどう感じているのでしょうか。自分をやりがい搾取している小林のことを、大須賀は果たしてどのように思っているのでしょうか。

よしりんバンドのメンバーとして、小林の残念な歌唱を直接聞かされていることを大須賀は本音ではどう思っているでしょうか。もしも門下生に辛うじて人としての常識が残っているならば、「ゴー宣道場=小林のカラオケサークル」という評価が世の中に広まることは恥ずかしく感じるはずです。

全体主義の組織の一員としてボスに逆らえないでいる大須賀には、小林に面と向かって「俺に恥をかかせるな!」と怒鳴りつけることはおそらく不可能でしょう。

小林の屁理屈に違和感を持っていても、組織内で全く批判が許されていない状態では大須賀もストレスが半端ないでしょう。結局、現在の大須賀は、憎い小林に対してはブログで指桑罵槐をすることで精いっぱいのようですね。
大林わるのり
2026年03月05日 14:47
国民と皇室に恥をかかせるな!
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/45734
>こんな打たれ弱く、議論に弱い人物が国政のトップである事が、実に恥ずかしい。

大須賀はやはり小林に対して指桑罵槐をしているのかもしれません。「こんな打たれ弱く、議論に弱い人物」とは、まるで小林の特徴を言い表わしているかのようです。

かつての小林は、テレビの討論番組ではいつもやられ役でした。昨年(2025年)秋のゴー宣道場のイベントでも、小林は山尾志桜里に対してまともに反論できていませんでした。それどころか昨年の小林は、古代史や天皇に関する議論でも安彦良和にひたすら相槌を打っていました。

もしかすると大須賀は、「論破王であるはずの小林先生が議論でいつも負けてばかりなのは、ゴー宣道場の人間として実に恥ずかしい」とでも思っているのでしょうか。

>その自己顕示欲と、脱法的な行いをする事への逡巡が無い人間が首相である事が恥ずかしい。

小林は女性ファンの葉月蓮さんに対してひどいことをしておきながら、自分のやったことをモテモテ自慢や性豪自慢に仕立て上げてエッセイ漫画にしていた人間です。

小林がやったことは、「その自己顕示欲と、脱法的な行いをする事への逡巡が無い」という特徴が当てはまっています。

>「プライド」は、自身の行動に対して抱くもの。そして、本当のプライドを内に秘めていると感じられる人物に対して「あの人に恥をかかせてはいけない!」と「他者が」思うものです。

>「私に恥をかかせるな」などと口走る者には、プライドも、自信も、そして逆境に立ち向かう気概も無いのでしょう。

>自身の中に、そうした感覚と、「恥」の土台になる美学が無い者ほど、他者を平気で踏みにじり、恥をかかせる行いをします。

小林は他の誰よりもプライドが高い人間です。しかし、小林はプライドの高さの割には自分の実力や実績が伴っていません。偽りのイメージで塗り固めた「理想の自分」を愛し、偽りの誇りを守ることに必死になっているのが小林の「傲慢」の実態です。

だから小林は表向きはプライドが高い人間でありながら、内心では「プライドも、自信も、そして逆境に立ち向かう気概も無い」臆病者な気持ちも持ち合わせています。虚勢を張ることで作り上げた偽の誇りにこだわる小林は、「本当のプライドを内に秘めている」とは程遠い人間と言えます。

もしかすると小林は、身内の人間に対してパワハラ的な意味で「わしに恥をかかせるな」と言っている可能性もあるでしょう。歴代秘書である末永や金森は、小林からそう言われていても不思議ではありません。末永の場合は接待事件のせいで、小林に叱られたことがありましたね。

時浦もまた、小林から「わしに恥をかかせるな」と叱られたことがあるのかもしれません。小林が言論漫画の連載をしている雑誌の編集部と揉めたり、ゴー宣道場のゲストに対してブログで嫌味を書いてしまったりと、時浦は何かと失言によるやらかしを繰り返していますからね。

>「恥をかかせるな」なんて言葉、自分は一生使いたくはありませんが、ここであえて使います。高市早苗、国民と皇室に恥をかかせるな!

小林に指桑罵槐をしている大須賀は、本音ではこう思っているのかもしれません。「小林よしのり、門下生とゴー宣道場に恥をかかせるな!」と。

間違ったことばかり言う上に、意見がコロコロ変わり、下手をすれば炎上ものの問題発言を繰り返しているのが小林の実態です。小林がどんなにめちゃくちゃなことを言っていたとしても、ブログに屁理屈を書いて必死で擁護しなければならない師範や幹部たちは気が楽ではないでしょう。

そんな小林は、言論人としては論争にろくに勝てない人間であるため、ブログに駄文を書いたりイベントで内輪向けの雑談をすることでしかうっぷんを晴らせなくなっています。

それどころか小林は、運動を利用して私的なカラオケ趣味をごり押しするというとんでもない愚行をやらかしてしまいした。しかも、小林はあれほど歌ウマ自慢をしていたのに、実際は一般人のレベルで見ても残念なほどの音痴です。

よしりんバンドにメンバーとして加わっている大須賀は、小林の歌唱力の残念さを嫌というほど思い知らされているでしょう。もしかすると大須賀は、小林が自らの音痴っぷりをあちこちに見せつけているのが嫌で仕方がないのかもしれません。

だから大須賀は、「小林の野郎が下手くそな歌を堂々と披露しているせいで、ゴー宣道場が恥をかいている」と本音で思っていても不思議ではありません。

ちなみに大須賀は、ゴー宣道場を破門される前のファンサイト管理人とはファン対談をするほど関係が良好でした。

小林よしのりに引導を渡せ! カレーせんべい VS 大須賀淳 令和5年新春ゴー宣ファン対談
https://www.worldofgosen.com/2023/01/01/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E3%82%88%E3%81%97%E3%81%AE%E3%82%8A%E3%81%AB%E5%BC%95%E5%B0%8E%E3%82%92%E6%B8%A1%E3%81%9B-%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%81%9B%E3%82%93%E3%81%B9%E3%81%84-vs-%E5%A4%A7%E9%A0%88%E8%B3%80%E6%B7%B3-%E4%BB%A4%E5%92%8C5%E5%B9%B4%E6%96%B0%E6%98%A5%E3%82%B4%E3%83%BC%E5%AE%A3%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E5%AF%BE%E8%AB%87/

かつてのゴー宣道場はちぇぶとファンサイト管理人が対立していましたが、大須賀はもともとはファンサイト管理人派でした。だから、大須賀は本音ではちぇぶのことがあまり好きではないのでしょうし、ちぇぶに左右される小林に対しては内心ではうんざりしているのかもしれません。

しかも、大須賀なしではイベントもよしりんバンドも成り立たないため、小林は大須賀を何かとやりがい搾取しています。そうであるならば、大須賀が小林に対してブログで指桑罵槐をするようになったのも無理もありません。大須賀はある意味で気の毒な人ですね。
大林わるのり
2026年03月04日 18:11
大須賀がブログでいつも書いている文章は、やはり小林に対する指桑罵槐を意味している可能性がありそうですね。

高市早苗、男を尊び女を卑しむ
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/45723
>高市早苗という人は、言葉の扱いがとにかく雑。
(中略)
>しかし、何せ「雑」なものだから、自分の発言によって、自身の中にある「本意」を露呈してしまうんです。
(中略)
>首相就任後の振る舞いだけをとっても、高市早苗という内的な「道徳観」が非常に希薄な人物である事がわかります(だから「教育勅語」や「国旗・国歌」という、〝カタチ〟ばかりをアクセサリーにして、その空虚を誤魔化そうとする)。

「言葉の扱いがとにかく雑」であり、「何せ「雑」なものだから、自分の発言によって、自身の中にある「本意」を露呈してしまう」とは、どう見ても小林の特徴に当てはまっています。

普段は尊皇家を演じている小林が、愛子さま推しの感情のせいで「秋篠宮殿下は帝王学はやっていない」「秋篠宮殿下は公の心を持っていない」と言っていることがまさしくそうです。

文字起こし 女性天皇“愛子さま”時代は訪れるのか?皇位継承の歴史と掟⋯そして日本の課題とは⋯【NoBorder NEWS #014】
https://aiko-sama.com/archives/64100

また、大須賀の文中にある「内的な「道徳観」が非常に希薄な人物である」という表現も、小林の特徴を見事に言い表わしています。小林は道徳観やパブリックマインドが皆無な人間であるため、公私混同を平気で繰り返してきました。

しかも小林は思想家を名乗っているくせに、実際には確固たる自分の哲学を持っていません。だから、小林は特定のイデオロギーにすぐに染まりやすい人間であり、自分の意見をコロコロ変えることを繰り返して今に至りました。

従って小林の場合は、「保守思想」や「愛子天皇推進」という、「〝カタチ〟ばかりをアクセサリーにして、その空虚を誤魔化そうとする」人物であると言えます。

男系固執は「国民が皇室をキライになる未来」につながる 三橋貴明&施光恒の男系固執対談への批判
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/45820
>でも、三橋貴明や施光恒にとって、皇位継承というテーマは「商材」でしか無いと私は感じていますので、そんな薄皮は一瞬で弾けとんでしまうのでしょう。

大須賀はこのブログでも、小林に対して指桑罵槐をしているようです。

小林は表向きは熱烈な尊皇家を演じているものの、本音では「皇位継承というテーマは「商材」でしか無い」と考えている人間なのでしょう。それは、小林が言っていることややっていることを見れば分かります。

例えば小林が、「愛子さましか勝たん!」をテーマにしてジャイアンリサイタルを開催したことがそうですし、『愛子天皇論3』をシンパたちにまとめ買いさせてあちこちへ配らせていたこともそうです。

それどころか最近の小林は、よりによって「天皇が祈る沖縄」をテーマにしてジャイアンリサイタルをやろうとしています。大須賀による三橋貴明や施光恒に対する批判の内容は、小林の欠点を投影したものとして読めてしまいます。
 
>この動画は、ラストで宣伝される三橋の著書(情報商材)のダイレクトマーケティング(「刺さる人」にだけ効率よくPRする)が目的でしょうから、内容がどれだけ破綻していても、実は当人たちには一向に構わないのだと思います。

大須賀はまたも見事な言い回しをしています。

「「刺さる人」にだけ効率よくPRする」とは、小林やシンパたちによる言論ごっこや運動ごっこの特徴に当てはまっています。「小林よしのり全宇宙」サイトで、連日のようにイベントの告知がよく行われていることは、「「刺さる人」にだけ効率よくPRする」という特徴の最たるものです。

また、「内容がどれだけ破綻していても、実は当人たちには一向に構わない」という表現は、小林一派が唱えてきたこれまでの言説の特徴を見事に言い表わしています。

例えば、小林一派が熱心に唱えていた女系天皇プロパガンダ、トンデモ・コロナ論、ジャニーズ擁護などがそうです。山尾志桜里を熱烈に応援して選挙運動にも協力していた小林シンパたちが、小林親分の意向によって一瞬で反山尾へと転向したこともそうです。

それにしても、大須賀はどのような気持ちでいつもブログを書いているのでしょうか。もしかすると大須賀は現在の小林に対して違和感を覚えているものの、ゴー宣道場で小林批判が全く許されていないせいで鬱屈した気持ちになっているのかもしれません。
大林わるのり
2026年03月03日 21:35
ご神体・サナエ
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/45802
>サナエ、「触れさせちゃイケナイ存在」になってるんだなー。
>それもそのはず。一度サナエに答弁させれば、内容がカラッポならまだ良い方で、与党内の各位においては「また厄介な事言いやがって…」と思う事必至の問題発言をもう何度も何度も繰り返していますものね。 
>だけど「初の女性首相」「何かやってくれそう」という幻想に基づく人気は、与党議員にとって「自分の立場を保証する土台」なので、本人を不可侵にした上で周囲が必死になって虚構を守ろうとする。

大須賀が高市首相を批判するために書いたブログ記事は、まるで小林よしのりの欠点を投影している内容として読めてしまいます。

小林があらゆる場面で、「「また厄介な事言いやがって…」と思う事必至の問題発言をもう何度も何度も繰り返して」いることは、ゴー宣道場の関係者たちでさえ薄々気付いているのでしょう。

だから小林に関しては、ちゃんみなやアイナ・ジ・エンドにハマっているとかのミーハーな発言は「内容がカラッポならまだ良い方」に当てはまっています。

全体主義の組織と化しているゴー宣道場では、トップである小林を批判することは許されていません。つまり運動団体の内部では、幹部や門下生たちにとって小林は「触れさせちゃイケナイ存在」となっているのです。

しかも、『戦争論』のベストセラー化など過去の栄光のおかげもあってか、小林は運動団体の内部では「「何かやってくれそう」という幻想に基づく人気」がまだ残っています。

偽りのカリスマである小林への個人崇拝は、ゴー宣道場の幹部たちにとっては「「自分の立場を保証する土台」」でありますし、「本人を不可侵にした上で周囲が必死になって虚構を守ろうとする」という構図にも当てはまっています。

>これは、祀られているご神体が本当は「ただの石ころ」だとわかっていても、(自分に利益をもたらす)「物語」を失墜させまいと右往左往する、低レベルな宗教的構図そのものです。

大須賀のこの文章は、小林とゴー宣道場の歪な関係を見事なまでに言い表わした名文です。「祀られているご神体が本当は「ただの石ころ」」という言葉は、小林が言論人や思想家として偽物であることを比喩した言い回しとして読めてしまいます。

>このイメージ画像で言えば、石ころを取り巻く「ご神体・サナエ」を取り巻くしめ縄や蝋燭が、伊佐議員のポストにある各大臣にあたるわけですな。

そこで私は、大須賀の文中にある「サナエ」を「小林よしのり」に言い換え、「各大臣」を「ゴー宣道場幹部たち」に言い換え、「伊佐議員のポストにある」という言葉を削ってみました。すると、次のような文章が出来上がりました。

「このイメージ画像で言えば、石ころを取り巻く「ご神体・小林よしのり」を取り巻くしめ縄や蝋燭が、ゴー宣道場幹部たちにあたるわけですな」

やはり「大須賀のブログ記事は小林よしのりへの指桑罵槐である」疑惑は、今回も相変わらずのようです。

小林の言説に違和感を覚えているものの全く批判が許されておらず、しかも運動のためにやりがい搾取までさせられているのが、現在の大須賀の立場なのかもしれません。そうであるならば、大須賀が小林に対して不服を抱いていたとしても不思議ではないでしょう。

小林が作った「ネトウヨ音頭」をリリースしたいと大須賀が言っていることも、本心では別の思惑があるのかもしれません。

「あのジジイ、まるで自己紹介みたいな歌を作っちゃってるよ。面白そうだから、あのクソジジイが無意識のうちに作った自虐ソングをさらしものにしてやろうぜ」

大須賀が本心で師匠に対してこう思っているかどうかは、私からすれば今のところは不明ですけどね。

しかしながら、大須賀が書いている文章を読んでいると、「やはりこの人はまだ洗脳が解けていないな」と思わざるを得ません。なぜなら大須賀は愛子さまのことを、「「本物」の輝きや物語を持った存在」として狂信的に個人崇拝をしているからです。

>虚ろなフィクションという水槽の中でしか生きられない者ほど、「本物」の輝きや物語を持った存在が死ぬほど怖いはず。エセ保守という水槽の中で息をしている者が、「本物」である愛子さまを排除しようとするわけだよ。

もしも大須賀ブログがボスに対する指桑罵槐であるのならば、文中にある「虚ろなフィクションという水槽の中でしか生きられない者」とか、「エセ保守という水槽の中で息をしている者」といった表現は、小林よしのりのことを指している可能性が高いでしょう。

もしかすると大須賀は、このようなことを思っているのかもしれません。

「小林よしのりは、ゴー宣道場では愛子天皇実現を目指す尊皇派を演じている。しかし、小林の思いつきと暴走でおかしな運動が繰り返されたせいで、愛子天皇実現の可能性は遠ざかってしまった。だから小林がやっていることは、「「本物」である愛子さまを排除しようとする」動きにしか見えない」

「つまり小林は邪な心を持った人間だから、愛子さまという「「本物」の輝きや物語を持った存在が死ぬほど怖い」のだろう」

どうやら大須賀は小林に対しては面従腹背しているものの、愛子さまへの盲目的な個人崇拝という強固な「洗脳」は未だに解けていないのかもしれません。とはいえ、これはあくまでも私の想像ですけどね。
大林わるのり
2026年02月25日 21:00
5/30 沖縄ライブから日本に熱風の渦を巻き起こす!
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/45537

大須賀は天皇陛下のお言葉を引用し、「陛下の想い・願いで暖まった空気を「風」へと躍動させて行く、それは、皇室との相思相愛における国民の役割だ!と思えてなりません」と言っています。

しかし大須賀が書いている文章は、どういうわけか意味不明な内容となってしまいました。なぜなら大須賀は、天皇陛下の想い・願いを「「風」へと躍動させて行く」ために沖縄LIVEの開催は必要だと言っているからです。

「既に躍動を始めている「うねり」が、最高潮に達した温度と反応して「ウシハク台風」へとトランスフォームし、そのつむじ風が今度は日本列島を北上して全国を席巻する。沖縄ライブは、まさにそんな現象の「発生地点」となるでしょう」

「「風」へと躍動させて行く」だの、「うねり」だの、「ウシハク台風」だのといった表現から分かるように、どうやら大須賀も「まいこ」と同じく文学チックな言葉づかいを用いることがお好きなようです。

しかし、大須賀が大仰な文章表現をしたところで、小林のジャイアンリサイタルに意義を見出すことはできません。内輪向けで自己満足をするためのイベントを開催したところで、尊皇のための世論の盛り上がりが生まれることはあり得ません。

そもそも小林が音痴な歌を歌ったところで、リン・ミンメイのように特殊な能力を発揮することは不可能です。もちろん尊皇や平和といったテーマでさえも、小林コンサートを正当化するために利用されているだけのアクセサリーに過ぎません。

大須賀がやっていることには問題があります。小林のジャイアンリサイタルを正当化するために、天皇陛下のお言葉や尊皇の大義を大須賀がわざわざ利用しているのは、どう見ても不敬な真似でしかありません。

もしも自らの尊皇の気持ちが本物であるならば、大須賀は自分のやっていることを恥じるべきでしょう。大須賀が2月24日のブログで沖縄LIVEを熱心に宣伝していたのは、尊皇の気持ちによるものではなく、ボスである小林に媚びるためです。

しかし、大須賀は表向きではボスに追従しているものの、本心では小林に対して違和感を覚えているのかもしれません。なぜなら、2月25日の大須賀ブログには不穏な文章が書かれているからです。

「欺瞞」が熨斗をつけて返って来る
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/45579
>本来「アップデート」の語が使われているソフトウェアの分野では、的外れな内容のアップデートによって価値が損なわれ、ユーザー離れを招いたものがいくつも存在します。

>そうした事態が起きる際は、カタログスペック的な機能の盛り込みや開発側の事情・こだわりに傾きすぎて、ソフトが実際に使われている現場の感覚やニーズに鈍感になっている場合が多い。これは、アップデートを装いながらその内実はエゴイズムだけを膨張させていた「欺瞞」の帰結です。

「的外れな内容のアップデートによって価値が損なわれ、ユーザー離れを招いたもの」だとか、「アップデートを装いながらその内実はエゴイズムだけを膨張させていた「欺瞞」の帰結」だといった指摘は、まるで小林の特徴を見事に喝破しているかのような内容です。

言論人としての小林は、変節に次ぐ変節を「アップデート」と称して居直り、「わしこそが正しい」というエゴイズムだけを膨張させて今に至りました。その結果、小林は右派と左派のいいとこどりをしたコウモリ派言論人と化してしまい、真面目に小林思想を信じていた純粋なファンたちの離反をもたらしてしまいました。

それにしても大須賀がブログに書いている文章というのは、なぜか小林に対して指桑罵槐した内容になることが多いようです。もしかすると大須賀は、小林に逆らえないせいで内心ではストレスを感じているのかもしれませんね。
大林わるのり
2026年02月19日 23:45
「高市コラム全消去」と「思想の連続性」
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/45447
>保守、リベラル、中道。どんなラベルを貼るにせよ、「思想」と呼べるものには、これまで、そしてこれからも含めた「連続性」が不可欠です。
(中略)
>過去と現在の主張の違いを問われた時、それが思想に基づく変遷の結果であれば、むしろ「良くぞ聞いてくれました!」というレベルの、現在の主張の正当性を裏打ちする上での最高の材料になるはずです。 

>それを、刹那の不都合感で消してしまうという行為は、連続性の破壊に他ならない。少なくとも、どんなニュアンスであろうと「保守」という自称には全くそぐわない態度です。

大須賀が書いた一連の文章は、小林が変節漢であることを批判した内容にも見えてしまいます。そもそも小林は言説の「連続性」が欠けているため、思想家として高く評価できる人間ではありません。

言論人としての小林は、受け狙いのために逆張り発言をしているだけであり、「過去と現在の主張の違い」に対する釈明が全くできていません。だから、小林の度重なる転向が「思想に基づく変遷の結果」ではないことは、多くの人たちから見破られています。

また小林は、自分の過去の発言を「なかったこと」にして取り繕うことを厭わない人間です。『戦争論2』で真珠湾攻撃について描いた部分を、後になってからこっそりと修正したことがそうです。

それどころか小林は、自分が言ったことや覚えたことを後になってから完全に忘却してしまう人間です。つまり小林は自分の過去の主張を、頭の中で「なかったこと」にしてしまえる人間なのです。

過去の自らの発言を綺麗に忘れることができる人間だからこそ、小林は「わしはブレない人間だ。昔から思想が一貫している」と本気で思い込めるのでしょう。

しかし小林が言いっぱなしのまま忘れてしまった発言でさえも、相手はこと細かく覚えているものです。自らの変節を論敵から具体的に追及されると、小林は「あれはアップデートだ」と言い訳することが関の山となっています。

思いつきで受け狙いの発言を繰り返し、しかも自分が言ったことを平気で忘れるのが小林の癖です。結局、小林は言論人の仕事には向いていない人間であり、思想家を名乗るには値しない人間であったということです。

>過去から未来への「歴史の縦軸」から遊離した人格は、その時々の刹那を漂い続ける「砂粒の個」に他なりません。

>そうした砂粒の個にとって、自身の不安を誤魔化すために最もお手軽なツールとなるのが、教条のパッケージ体である「イデオロギー」です。 

>イデオロギーには、不都合な存在を抹消しようとする負の性質が存在し、その矛先は他者だけでなく時に「過去の自分」にも向けられます。 

>やがて、そうした「仕草」に慣れすぎて中毒的になると、もはやイデオロギーとの整合性もどうでも良くなり、現在その瞬間だけの取り繕いのために行動するようになる。

大須賀が書いている他の文章でも、まるで小林を批判しているとしか思えない内容のものがあります。「教条のパッケージ体である「イデオロギー」」にすがりつく「砂粒の個」とは、まるで小林の特徴にそのまま当てはまっているかのようです。

右派時代の小林が熱心に唱えていた国家主義イデオロギーは、「自身の不安を誤魔化すために最もお手軽なツール」に当てはまっていました。コンプレックスに苦しむ脆い自我の持ち主であった小林は、「国家」という権威にすがりつくことで自分を強そうな人間として演じていたのでしょう。

「保守思想」「反米主義」「尊皇思想」というイデオロギーにすがりついた小林は、現在では「愛子天皇実現」という歪んだイデオロギーに必死ですがりついています。

「保守思想」のイデオローグと化した小林は、今では皮肉なことに、「わしこそが真の保守だ」と称しながら保守とは程遠い言説を平気で言える人間となってしまいました。

まさしく現在の小林は、「もはやイデオロギーとの整合性もどうでも良くなり、現在その瞬間だけの取り繕いのために行動するようになる」という特徴が当てはまっています。

今日の記事もそうですが大須賀ブログは、相手を批判するために書いた内容が、なぜか小林や自分たちの欠点を投影したものになってしまうという特徴があるようです。
大林わるのり
2026年02月18日 20:23
高市早苗、自らの言論を「抹消」!?
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/45415
>高市早苗、自らの言論を「抹消」したな!
(中略)
>自らのサイトの、自らの言論を慌てて隠す事の不道徳は、もう真面目に書くのもアホらしいので書きません。ただ一言、そんなんだったら政治家辞めりゃあいいのに!

>一方、私が一番恐ろしいと感じるのは、2000年8月から四半世紀以上も綴ってきた「自分の言葉」を、サクッと全部消してしまえるその感覚です。公に対する言論を行う者(政治家はその最たるもの)にとって、長年積み上げた自分の言葉が(例えばサーバの事故などでも)消えてしまうのって、言い表せないほどの苦痛なはずだもの。

>そんな感覚の人物は、皇室だって、国民だって、間違いなくサクッと切り捨てますよ。

大須賀による高市批判の内容は、まるで小林よしのりや時浦兼の特徴を言っているかのようです。

そういえば小林は『戦争論2』で真珠湾攻撃について陰謀史観を描いていましたが、後になってからこっそりと訂正をしていました。また時浦は、昨年(2025年)10月のイベントの後でゲストの中島岳志への嫌味をブログに書いていましたが、後になってからこれらの文章をこっそりと削除しています。

つまり小林や時浦こそが、「自らの言論を慌てて隠す事の不道徳」や「「自分の言葉」を、サクッと全部消してしまえるその感覚」を体現した人間であると言えます。

「そんな感覚の人物は、皇室だって、国民だって、間違いなくサクッと切り捨てますよ」という大須賀の言葉は、小林や時浦に対して向けるべきでしょう。

なぜなら小林や時浦は、誰よりもゴー宣道場のために尽力している熱心なシンパであろうと、用済みと判断すれば平気で切り捨てることができる薄情な人間だからです。

自らの過去の言論を平気で削除できる人間は、どんなものや人であっても用済みと見なせば容赦なく切り捨てることができる、というのは小林や時浦を見れば分かります。

大須賀は高市首相を批判する暇があるのならば、「小林よしのり、自らの言論を「抹消」したな!」「時浦兼、自らの言論を「抹消」したな!」と堂々とブログに書いて欲しいですね。

それにしても、大須賀はどのような気持ちでいつもブログを書いているのでしょうか。他人を批判するためにわざわざ自分たちの欠点を投影しているのか、それとも指桑罵槐という形で小林やゴー宣道場を批判しているのか、私には分かりません。
ごんべ
2026年02月17日 23:28
シンパに下手糞でゲバい女装をさせてまでも架空の悪役を仕立て上げるとかw
そのへんは無名の二流俳優or女優でもいいから演者雇えばいいのに
演者にやらせる事はどうせイボりんの三文芝居トークで
ボコボコにされる八百長役なんだから演技能力とか完全に二の次でしょ

そこら辺を渋るあたりイボりんってマジでケチでボンビーなんですね
愛子天皇論シリーズとか昨今の著作が鬼の様に売れてないから本当に財布が寒いんだろうな