文化を育てる宗教団体なら良しとする

大林批評に小林一派は成す術もない様子。


《小林は創価学会のことを「平和勢力」と褒めたようです。

しかし、右派だったころの小林は、どちらかと言うと公明党や創価学会に対しては批判的であったはずです。そもそも右傾化して以降の小林は大東亜戦争肯定論や核武装論を主張し、「平和ボケは悪」という立場に立っていたはずです。「東京裁判史観や平和ボケは悪」と言っていた小林が今では「あの宗教は平和勢力だから善」と言い出す有様です。

公明党と創価学会は高市政権の対中外交に批判的だから平和勢力だ、と小林は言いたいのでしょうか。しかし今の小林が高市政権のタカ派的な姿勢を批判しているのは、かつての彼が言っていた反中国・親台湾・タカ派の言説とは明らかに矛盾しています。

変節を繰り返して自分が何を言いたいのかさえも分からなくなった小林にとっては、自分の主張と相手の主張の違いなど別にどうでもいいのでしょう。

小林が新党「中道改革連合」への支持を表明したのは、高市政権に対する逆張りのために利用したいからでしょう。或いは、小林は「ひょっとすると中道改革連合が総選挙で勝つかもしれない」と安易に考え、勝ち馬に乗ろうとしていたのかもしれません。

そして、中道改革連合の支持母体を「平和勢力」と評価した小林のことを、アシスタントの飯炊きが必死でフォローをしているようです。

小林(或いは時浦)は驚くべき発言をしてしまったようです。創価学会を評価したことに対する小林(或いは時浦)の言い訳は、「文化を育てる宗教団体なら良しとする。」だそうです。

活字版ゴー宣はいつもの通り時浦がゴーストを担当した可能性が高いのでしょう。とはいえ時浦がゴーストであっても、建前では筆者の名義は小林であるため、「時浦の意見=小林の意見」と見ていいでしょう。

しかし「文化を育てる宗教団体なら良しとする」という理屈は、小林一派の十八番である統一教会批判のためには役に立ちません。

なぜなら、この理屈を使ってしまうことは下手をすれば統一教会だけではなく他のあらゆるカルトさえも擁護できてしまうことにつながるからです。教団のイメージアップのために「文化の育成」を利用するというのはどの新興宗教にも当てはまっている特徴です。

例えば統一教会がかつてはサッカー国際大会「ピースカップ」を開催していたことがそうですし、同教団が設立したリトルエンジェルス芸術団が世界各国で公演活動をしていることもそうです。

小林(或いは時浦)のように「文化を育てる宗教団体なら良しとする」と言ってしまったら、「だったら、統一教会も建前は『文化を育てる宗教団体』だから良い宗教に当てはまってるだろ」という理屈が成り立ってしまいます。

小林は中道改革連合が原発再稼働や安保法制容認を主張していることもなぜか批判していません。

かつての小林が原発政策や安保法制を巡って安倍自民党を厳しく批判していたことは一体何だったのでしょうか。

小林は右派時代のころに自分が何を言ってどんなことをしてきたかを忘れたのでしょうか。高市早苗を好意的に評価していましたね。

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つくる会では勝共文化人と共闘し、『戦争論』では統一教会を相手に青春を返せ裁判を起こした元信者たちを批判していましたね。

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『沖縄論』では「世界日報」系知識人をブレーンとして頼り、後にその人をゴー宣道場の師範に起用していましたね。

今の小林による統一教会批判に対しては、「右派時代のあなたこそ統一教会に踊らされていたではないか」と言い返したくなります。

今の小林が高市首相の政治姿勢を批判するのは、彼が右派時代に主張していた言説や思想と矛盾しています。

「右派時代のころのわしは間違っていた」という謝罪さえできずに、高市首相への逆張りからかつての自分の言説と正反対のことを平気で言える小林は無責任な変節漢でしかありません。

右派時代のころの言論活動の不透明さを隠し、自分は一貫して統一教会を批判していたかのように演じているのが小林のやり方です。小林がやっていることは、どう見てもアリバイ工作でしかありません。》(大林わるのりさん)

https://washiblogact3.seesaa.net/article/516932318.html

https://washiblogact3.seesaa.net/article/519384958.html

https://washiblogact3.seesaa.net/article/491067606.html

https://washiblogact3.seesaa.net/article/516932318.html

https://washiblogact3.seesaa.net/article/518860083.html


小林が今回創価を評価したことは別に驚くべきことではなく、保守系論壇と懇意だった頃は「青春を返せ訴訟」を起こした統一教会の元信者を非難したり、幸福の科学の雑誌「リバティ」を真の保守の雑誌だと褒めたりしたのと同じことです。

要するに小林は自分の利得になる側につくカス野郎に過ぎないという結論!


「中道連合」に期待する - 脱イボナメクジ宣言


唐突に創価推しになる小林よしりん! - 脱イボナメクジ宣言


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この記事へのコメント

大林わるのり
2026年02月11日 19:57
辻元清美で野党の再編を目指せばいい。
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/45299

小林よしのりの言説は迷走しています。「中道改革連合による政権交代が実現する」という予測を外した小林は、今度は「辻元清美が、立憲民主党の代表になって、中道を吸収する」という変な構想を思いついたようです。

「高市早苗に勝つには、辻元清美が立憲民主党の代表になり、中道勢力を再結集すればいいのだ。つまり、立憲を残し、中道は消えてもいい」

小林が考えている構想は杜撰であり、どこをどう突っ込んでいいのかさえも分かりません。

例えば小林は「今の政界では個人の人気に威力がある」と言っていますが、辻元清美には当てはまっていない人物評です。そもそも辻元には国民的な人気やカリスマ性があるのかとか、立憲民主党での人望があるのかとか、そういったことさえも小林は想像ができていないようです。

また、小林の言説が意味不明なのは、立憲民主党による中道改革連合の吸収を提案していることもそうです。「中道は消えてもいい」と言っている小林に対しては、総選挙で中道を熱心に支持していたことは一体何だったのかと突っ込みたくなります。

仮に小林のプランを実現しようとしたところで、立憲民主党と中道改革連合・公明党の政策のすり合わせはどうするのかという問題が生まれてしまいます。そもそも中道改革連合が誕生した時でさえ、立憲民主党と公明党の政策のすり合わせをどうするのかという問題が生まれていました。

さらに小林の言説が粗雑なのは、「いっそ辻元清美が保守になる宣言をすればいいのだ」と言っていることもそうです。政治家や政党が自分の路線を「保守」と安易に称するのは、ありふれた路線で何のひねりもありません。

あの野田佳彦や斉藤鉄夫も自分の路線を「中道保守」「保守中道」と称していたではないか、と突っ込みたくなります。

野田元首相が描く「中道保守シフト」 自民離れの「保守」取り込みへ
https://www.asahi.com/articles/ASS944T0CS94UTFK01SM.html

保守中道でないと連立組めないと公明代表
https://news.yahoo.co.jp/articles/f93129c4c4a5ae42eaa156696bd2dc8f0442b144

自称保守の第二自民党が生まれたところで、果たして与党・自民党の対抗軸になるのでしょうか。保守的な考えを持つ有権者の支持を得られない上に、もともとの支持層だったリベラルな考えを持つ有権者に見限られる可能性も当然あり得ます。

小林による政治評論は基本的な認識が間違っている上に、言っていること自体が意味不明不明です。それにも関わらず、小林は自分のことを賢い人間だと思っているようです。何しろ小林は、辻元に対して「保守」とは何かを自分が教えてやると言っているのですからね。

「高市早苗は「伝統」とは何かも知らぬから、ネトウヨであって、保守ではない。リベラルは保守の対立概念ではない」

「辻元が護憲派のままでも、保守にはなれる。その真髄をわしが教えてやる」

一体、小林が「保守」「伝統」「リベラル」の何を理解しているというのでしょうか。今の小林が「正しい保守」「正しい伝統」の定義を述べたところで、「愛子天皇推進が正しい保守」「愛子天皇推進が正しい伝統」という結論になってしまうのは目に見えています。

もちろん小林が考えている「正しいリベラル」「正しいフェミニズム」の定義でさえも、「愛子天皇推進が正しいリベラル」「愛子天皇推進が正しいフェミニズム」という結論になってしまうでしょう。

「愛子天皇の実現は正しい」という万能の答えを得てしまったせいで、小林は深くものを考えることができなくなっています。そんな人間から「保守とは何か」「伝統とは何か」「リベラルとは何か」を教わったところで無意味です。

今の小林の言説がおかしいは、政治が分かっていないとか思想が分かっていないとかそれ以前の問題です。一般人の視点で今の小林の言説を評価するならば、「どういう発想をすればそんなおかしいことを思いつくんだ?」という突っ込みがふさわしいでしょう。

小林が言っていることから分かるのは、言論人としての劣化どころか、人間としての思考力の衰えが読みとれるということです。小林の支離滅裂な言説に対しては、「この人は大丈夫なのか?」という感想に尽きるでしょうね。