この国を守るのは皆さんです!
引き続き、大林批評をたっぷり紹介していきます。
小林シンパは目と耳を塞ぐ準備をして下さい。
《公論サポーターは、「この国を守るのは皆さんです!」と門下生たちに呼びかけています。
まるで、ゴー宣DOJOの参加者である自分自身もこの国を守る力があると言っているようにも読みとれます。
もしかすると本気で、「ゴー宣DOJOの参加者たちにはこの国を守る力がある」とでも思っているのかもしれません。
ならば公論サポーターは、ゴー宣DOJOがどんなことをすればこの国を守ることができると考えているのでしょうか。
何かしらのテーマで公論イベントを開催して、みんなで議論を行えばこの国を守ることができるのでしょうか。それとも、小林がジャイアンリサイタルを行ってシンパたちの前で歌声を披露すれば、この国を守ることができるのでしょうか。
あえて突っ込むならば、ゴー宣DOJOにも門下生たちにもこの国を守る力がないことは言うまでもありません。
イベントで関係者たちが自己満足のために雑談をしていたり、ボスの私的なカラオケ活動をごり押ししたところで、この国の世論に影響を与える力など発揮できません。
自分たちの組織の実力ややっていることを客観的に観察すれば、ゴー宣DOJOの限界というものに気付いてもおかしくないはずです。しかし運動のための運動に没頭して日常への復帰を忘れてしまうと、自分たちの組織を客観視することができなくなってしまうのでしょう。
「ゴー宣DOJOにはこの国を守る力がある」と門下生たちが本気で考えているのならば、とんでもない勘違いです。
特定のイデオロギーを狂信する集団の構成員が、「この国を守るのは皆さんです!」と仲間たちに呼びかけているわけです。
もしも世間の一般人がこれを見たならば、「言っていることややっていることがカルトそのものだ」と評価するのは目に見えているでしょう。
「この国を守るのは皆さんです!」の言葉が門下生から出てくるとは、ゴー宣DOJOの体質はもはやカルトそのものにしか見えません。》(大林わるのりさん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/517145814.html
新年早々から「この国を守るのは皆さんです!」という「エモい」フレーズを発信する小林シンパってマジで最高です。
いや、エモじゃなくてキモか。
「キモいフレーズを発信する小林シンパってマジでサイコです」の間違いでした。
お詫びして訂正致します。
この記事へのコメント
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/45884
>「悪」を大きく超える動きで対抗しよう!
「悪」の存在をやたらと強調している大隊長まーは、小林よしのりと井沢元彦の対談本『朝日新聞の正義』(小学館文庫)の内容を思い出してみるべきです。
『朝日新聞の正義』で小林と井沢は、朝日新聞の某記者が「我々には悪の存在を見抜く使命がある」と言っていることを批判していました。朝日の記者のこの発言は、あまりにも独善的で客観性が欠落しているからです。
つまり朝日の某記者は、社会において何が「悪」であるかを決める基準を持っているのは自分であると言っている上に、自分だけが「悪」の存在を見抜くための正義や道徳を持った人間であると宣言しているのです。
それにしても、小林シンパの大隊長まーが「動き始めた「悪」」だの、「「悪」を大きく超える動きで対抗しよう」だのと言っているのは本当に驚きました。
おそらくまーは、社会において何が「悪」であるかを決める基準を持っているのは自分であると思っており、自分だけが「悪」の存在を見抜くための正義や道徳を持った人間であると思っているのでしょう。
自分の決めつけで「悪」の存在を見抜いたがごとく宣伝している大隊長まーは、「我々には悪の存在を見抜く使命がある」と言っていた朝日の記者を笑えませんよ。
しかも、朝日の記者の独善性を批判していた小林よしのりが、あの大隊長まーの思想的な師匠であることも実に悪い冗談です。皮肉なことですが、小林の言説はまたしてもブーメラン化して返ってきたようですね。
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/45778
>天皇陛下は常に国民の安寧と世界の平和を祈り続けてこられた。その祈りは、政治や軍事の論理とは異なる次元で、日本という国の精神的な背骨を形づくっている。もし私たちが「天皇制を頂く国民」としての自覚を取り戻し、皇室の安定継承――すなわち愛子さまを未来の象徴としてお迎えする道を選ぶなら、日本の国家像は大きく変わる。分断ではなく統合へ、恐怖ではなく成熟へ。国の“芯”が定まることで、外交も安全保障も、より落ち着いた判断が可能になる。
>小林よしのり氏は、まさにこの「国家の芯」を問い続けてきた思想家だ。
スキーペンギン(スキペン)が書いているこの文章は、一般人の視点で読んだならば間違いなく違和感を覚えるでしょう。
何しろスキペンは天皇陛下や愛子さまを盲目的に個人崇拝するあまり、愛子天皇が誕生すれば「国の“芯”」が定まって「外交も安全保障も、より落ち着いた判断が可能になる」とまで言い切っているからです。
つまりスキペンは、愛子天皇誕生で「尊皇」というアイデンティティを日本国民が共有する効果によって、日本政府はしっかりした外交や安全保障ができるようになると言いたいのでしょう。
スキペンの主張は、外交や安全保障の現実を無視した戯言でしかありません。なぜならスキペンの意見は、「日本中の全ての人々が天皇を崇拝すれば、外交や安全保障は自動的に改善される」という内容として読めてしまうからです。
おそらくスキペンは、「日本は神の国で天皇は現人神なのだから、日本中の全ての人々が『尊皇』というアイデンティティを持てば、外交や安全保障は何もかも良くなる」とでも考えているのでしょう。
この発想が根拠のない精神論でしかないことは、昭和前期の日本が見事に証明してくれています。
そもそも昭和前期の日本は、今以上に「尊皇」というアイデンティティが日本中の人々に共有されていました。しかし、当時の大日本帝国は外交や安全保障で迷走を続けた揚句、敗戦によって滅亡へと追い込まれてしまいました。
天皇や愛子さまに対する盲目的な個人崇拝のせいで、スキペンは外交や安全保障を常識的な視点で考えることができなくなっているようです。やはりスキペンも師匠の小林と同じく、「愛子天皇が実現すればこの国は何もかも良くなる」という神がかりの妄想のせいで目が曇っているのでしょう。
>混迷の時代に必要なのは、恐怖に飲み込まれることではなく、“考える力”を取り戻すことだ。そのための場として、よしりんバンドLIVE『天皇が祈る沖縄~歌謡曲を通して日本を語る~』は、必ずや新しい視界を開くだろう。未来は、まだ書き換えられる。その一歩を、沖縄から。
スキペンの文章の特徴は、不安商法と選民意識がセットになっているということです。例えばスキペンは、現代は「混迷の時代」であると決めつけ、恐怖に飲み込まれずに「“考える力”を取り戻す」ことが必要であると訴えています。
とはいえ、スキペンが言っている「“考える力”を取り戻す」ための場とは、小林コンサートのことを指しているようです。何しろスキペンは沖縄LIVEのことを、「必ずや新しい視界を開くだろう」だの、「未来は、まだ書き換えられる。その一歩を、沖縄から」だのと大げさに宣伝しています。
内輪向けのごっこ遊びしかない小林のジャイアンリサイタルに、「“考える力”を取り戻す」効果や「新しい視界を開く」効果はどう見てもあり得ません。当然ながら小林のジャイアンリサイタルには、この国の未来を良い方向に書き換える効果など皆無に決まっています。
結局スキペンは、「私たちには“考える力”がある」「私たちには新しい視界を開く力がある」「私たちには未来を書き換える力がある」という選民意識に溺れて自分に酔っているだけです。
スキペンの文章を読めば分かりますが、不安商法と選民意識をセットにして運動のための運動を行うのはまさにカルト信者そのものです。
しかもスキペンは天皇や愛子さまを盲目的に個人崇拝するあまり、「愛子天皇が実現すれば、日本の外交や安全保障は自動的に改善される」という神がかり的な妄想を信じ込んでいます。
運動にのめり込んでカルト化しているスキペンのような人間が重宝されている時点で、ゴー宣道場の関係者の質は推して知るべしでしょう。
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/45715
>公論サポーターのスキーペンギンです。
>沖縄は、いまもなお「無関心の獄」に閉じ込められている。本土の人々が見ようとしない現実、語られぬ歴史、届かぬ祈り。しかし小林よしのりは、沖縄を“日本の中心”として見つめ続けてきた。むしろ、惰性と無関心に沈む本土こそが辺境なのだ。この視点の転換こそ、沖縄論が突きつけた日本人への挑戦状である。
>よしりんバンドが沖縄に乗り込み、祈りと覚悟を込めて歌い、語り、沖縄の魂に火を灯す。
>沖縄は、戦後の混迷、基地問題、本土との断絶感、そして天皇の祈りが最も濃く交差する場所だ。この地でこそ、日本人は「自分たちの国のかたち」を問い直せる。
(中略)
>沖縄LIVEは、単なる音楽イベントではない。日本の未来を切り開くための“国民的覚醒”の場である。歴史の痛みと向き合いながら、私たち自身の矜持を取り戻す時間だ。沖縄で祈るのだ。沖縄で歌うのだ。沖縄で楽しむのだ。そして――日本人としての新しい一歩を踏み出すのだ。これは、日本国民全体への新しい挑戦状である。あなたの参加が、日本の未来を変える力になる。
公論サポーターのスキーペンギン(スキペン)は、小林がやろうとしている沖縄LIVEがいかに重要なイベントであるかをこれでもかと力説しています。スキペンいわく沖縄LIVEは、「日本の未来を切り開くための“国民的覚醒”の場」となり、「日本国民全体への新しい挑戦状」となるそうです。
またスキペンは、沖縄LIVEへの参加は「日本人としての新しい一歩を踏み出す」ことにつながり、「日本の未来を変える力になる」とも言っています。何しろスキペンは、沖縄LIVEのことを「歴史の痛みと向き合いながら、私たち自身の矜持を取り戻す時間」とまで言っているようです。
どうやら大須賀やまいこと同じく、スキペンも大仰な言い回しを使いながら文章を書くことがお好きなようです。
「歴史の痛みと向き合いながら、私たち自身の矜持を取り戻す時間」だとか、「日本人としての新しい一歩を踏み出す」だといった仰々しい表現から分かるのは、筆者が選民意識とナルシシズムに溺れながら文章を書いているということです。
おそらくスキペンは、文章を書きながら自分自身に酔っているのでしょう。とはいえ、国語力を巧みに生かしながら、ここまで説得力がない文章を書けるとは実に大したものです。
そもそもよしりんバンドは小林の私的なカラオケ趣味のごり押しであり、内輪向けの自己満足のために開催しているごっこ遊びに過ぎません。
幼稚な小林コンサートには「日本の未来を変える力」などありませんし、「“国民的覚醒”の場」となったり「日本国民全体への新しい挑戦状」となることもあり得ません。
何よりもスキペンの論法が問題なのは、小林の『沖縄論』の役割とよしりんバンドのコンサートの役割を意図的に混同しているということです。
小林の『沖縄論』は駄本とはいえまだ言論としての体裁をとっていましたが、よしりんバンドのコンサートは言論の役割を全く果たしていない幼稚なごっこ遊びでしかありません。
スキペンが文中で大げさな言い回しをすればするほど、沖縄LIVEへの説得力が失われて奇妙な文章が出来上がるだけです。
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/45557
>沖縄LIVEの応募開始を告知したら、反響が予想以上だ。メーリスでは門下生の参加表明がすぐさまあって、勢いがすごい。やっぱり開催決定して良かった。
メーリスはコアな小林シンパしかいないため、イベントを応募すればどんな時でも「勢いがすごい」状態になるのは当然の話です。小林は「反響が予想以上」で「勢いがすごい」と関心をする前に、過去のゴー宣道場は今と比べてどうであったかを思い出してみるべきです。
今から3年前(2023年)のゴー宣道場は、イベントの応募者の100人突破はたった2日間で実現できていました。それどころか過去のゴー宣道場では、イベントの応募者が200人や300人を突破することも珍しくありませんでした。
しかし今のゴー宣道場は、イベントの応募者の100人突破は以前に比べると明らかに時間がかかっています。下手をすれば、最近のゴー宣道場による「応募者が100人突破しました」という宣言さえも、実際は大本営発表である可能性も当然あり得るでしょう。
現在のゴー宣道場がイベントの募集を開始したところで、反響や勢いは過去に比べると明らかに及ばなくなっています。しかし今の小林は現実を見ようとせず、狂信者やイエスマンの声を聞いて満足している有様です。
ゴー宣道場のボスとなった小林は、イエスマンたちによる賛美の声しか聞かない裸の王様となっています。とはいえ、コアなシンパたちによる賛美の声が小林を堕落させてしまったという現象は、『わしズム』の時代にも当てはまっていたと言えるでしょう。
そもそも『わしズム』は小林が編集長を務めている雑誌であるため、買ってくれる人の大半はコアな小林シンパたちばかりです。だから『わしズム』に届く読者のはがきは、小林を称賛するシンパたちの声ばかりになってしまうのは避けられません。
自分が何をやっても褒めてくれるシンパたちの声しか聞かなくなった小林は、自己満足で創作活動や言論活動を行うことに何もためらいを感じなくなってしまいました。2000年代の小林が自分の雑誌を作ってしまったことは、その後の彼の人生にとってはマイナスの効果を与えてしまったと言えます。
メーリスの反応を見て手ごたえを感じている今の小林は、『わしズム』の失敗から何も学ぶことができていなかったようですね。
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/45300
>「高市早苗の自民党が選挙で圧勝した」
>これってエモいですかね?
>自民党とサナ活民にとって刹那的にはそうなのかもしれませんが、自分には「自民党のトップが女性でっせ」というだけで、日本の今後を考えた時に、心を揺さぶるエモーショナルな事実は何も見つかりません。
>今後日本に起こり得る最もエモい事って、「愛子天皇」の誕生でしょう。
>その時エモさは、今のサナ活の比じゃないですよ。
公論サポーター・ともしらが書いている文章は、相変わらず知性が欠片ほども感じられません。
「「自民党のトップが女性でっせ」というだけで」という言い回しは、高市首相が女性であることを揶揄したような表現です。ともしらも師匠の小林と同じく、高市首相に対して意図的に属性差別をしているようです。
また、ともしらは「今後日本に起こり得る最もエモい事って、「愛子天皇」の誕生でしょう」とも言っています。ゴー宣道場とは関係がない一般人からすれば、ともしらが言っていることはどういう意味なのか理解できないでしょう。
愛子さまが天皇になることはなぜエモいのかの理由を、ともしらは具体的に説明して欲しいものです。ともしらは師匠の小林と同じく、「エモい」という若者言葉を思いつきで使っているだけなのでしょう。
ともしらは「その時エモさは、今のサナ活の比じゃない」と言っていますが、どうやら彼は、愛子さまが天皇になれば日本中で熱狂的なブームが起きるとでも思っているようです。
そもそも大多数の日本人は、小林一派のように愛子さまに対して狂信的な個人崇拝をしているわけではありません。愛子天皇の誕生に対して「エモい」という感想が思い浮かぶのは、どう見ても小林やシンパたちぐらいでしょう。
もちろん、愛子さまが天皇になることが「今後日本に起こり得る」という兆しは、今のところは見られません。「「愛子天皇」以上にエモいことなんて、ない」というともしらの願望は、夢のまた夢でしかありません。
ともしらを見ても分かりますが、今のゴー宣道場に門下生として残っている人たちの知的水準は残念なレベルとなっているようですね。
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/45340
>言論の力と、歌の力の本当の凄さを、まだまだあなたは知らない!ぜひとも体験しに来てください!来ればわかる!
時浦のこの発言には、私はただただ呆れるしかありません。
小林やゴー宣道場がどんなことをやったとしても、「言論の力」の凄さを社会に知らしめることはもはや不可能となっています。なぜなら現在の小林は評論家としての影響力が低下して久しいですし、もちろんゴー宣道場も世間の大多数の一般人からは相手にされないミニカルトと化しているからです。
また時浦が、小林やゴー宣道場には「歌の力」の凄さがあると言っているのも馬鹿馬鹿しい限りです。小林の私的なカラオケ趣味をごり押しして、内輪向けのジャイアンリサイタルを開催したところで、社会的な影響力は皆無に決まっています。
さらに時浦は、「ぜひとも体験しに来てください!来ればわかる!」とも言っています。まるでオウム真理教が、体験の重視を強調して修行の正当性を訴えていたこととそっくりです。
あのオウムが強調していた「体験」の正体とは、偏ったやり方の修行をして幻覚を見ることでした。オウムの事例からも分かるように、閉ざされた集団の中で、歪んだ教えを刷り込まれたまま「体験」を絶対化してしまうことは危険です。
自分が体験した出来事に充実感を覚えたとしても、その中身について客観的な知識から検証をして、現実とのすり合わせを行う作業はどうしても必要です。体験至上主義を宣伝しているゴー宣道場は、自分たちがカルト集団であることを証明しているも同然となっています。
>こんにちは、公論サポーター関西支部のマメシバ亭主です。選挙の結果を見て、これから日本はドーなる? なんて思っている皆さん!!ここには希望があります!!
マメシバ亭主が「ここには希望があります!!」と言っていることからは、カルト臭さを感じてしまいます。不安商法で騙されて思考停止に陥った人間が、カルト集団から偽りの「希望」を与えられて舞い上がっているように見えるからです。
運動団体のイベントに同調圧力で参加させられても、ボッタクリ商法で搾取をされても、「愛子天皇実現」という偽りの「希望」があれば幸せになれる小林シンパたちは実に哀れです。
立ち止まらない!次は大阪!3月8日公論イベントスペシャルin大阪参加者募集中!
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/45351
>私も会場で目撃して、これだけ真剣に考え、こんな現状でも決して絶望せず、明るく未来を目指そうとする場は、今の日本にはここしかないと確信しました!
時浦のこの発言からは、選民意識に満ちた驕りが読みとれてしまいます。おそらく時浦は、「我々(ゴー宣道場)だけが日本のことを真剣に考えている選ばれた集団だ」と言いたいのでしょう。
今のゴー宣道場の影響力や関係者たちがやっていることを知ってしまうと、時浦の発言は身の程知らずな勘違いでしかないことが分かります。歪んだイデオロギーを信奉して選民意識に凝り固まっているゴー宣道場は、言っていることもやっていることもカルト集団そのものと化しています。
「敬宮愛子内親王殿下の立太子を祈願奉る婦人会」
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/45365
>第二部はチェブラジLIVE
>テーマは「敬宮愛子内親王殿下の立太子を祈願奉る婦人会」
>チェブラジは女性がたくさん登壇しますよ!このテーマでどんな座談会がなされるのか、どうぞお楽しみに!
ちぇぶによるとゴー宣道場が計画している夏祭りでは、「敬宮愛子内親王殿下の立太子を祈願奉る婦人会」がテーマとなるそうです。
「婦人会」だとか「座談会」だとか、ちぇぶが使っている単語は新興宗教っぽくなっているようです。愛子さまを個人崇拝するための「婦人会」がイベントのテーマになってしまう時点で、ゴー宣道場は女系カルト集団と揶揄されても仕方がありません。
しかもその「婦人会」とやらは、どう見ても女帝ちぇぶが仕切ることになるのでしょう。自分が牛耳る「婦人会」をイベントのテーマにしたがっているとは、ちぇぶは権力欲を隠そうとしていないようですね。
どうやら今のゴー宣道場の関係者たちは、発想も言葉遣いもカルト臭くなっているようです。
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/45347
>現在の、覇権主義的な世界の空気は、トランプ、プーチン、習近平、そして高市早苗といった、色々な意味での「強いキャラ」のパーソナリティに立脚した部分がかなり大きい。一方で、例えば10年後には、これらの人物が表だった権力トップの座にいる可能性は限りなく低いでしょう。
>こうした「強キャラ」が去った後、属人性に依っていたものが崩れ、空気は変わって行くのでしょうか?
>それとも、往年の少年ジャンプ連載漫画のように(笑)「新たな強キャラ」が出てきて、その連鎖が「世界大戦」につながるか?
国際情勢について大須賀が解説している文章を読んでいて、私はあることが気になりました。まるで、ゴー宣道場の問題点を解説したような内容みたいだということです。
例えば、現在のゴー宣道場の体質は、小林よしのりという「「強いキャラ」のパーソナリティに立脚した部分がかなり大きい」ものとなっています。
とはいえ、10年後のゴー宣道場では小林が「表だった権力トップの座にいる可能性は限りなく低い」と言えます。なぜなら現在の小林は不治の病に苦しんでいて、余命を意識せざるを得ない身となっているからです。
「「強キャラ」が去った後、属人性に依っていたものが崩れ、空気は変わって行く」という可能性は、ゴー宣道場ではどうなるかについても考えておく必要があります。
よしりん企画でもゴー宣道場でも小林の後継者はいないも同然であるため、ボスのXデーによって一連の運動が終止符を迎えることは確実です。小林の死後のゴー宣道場では、「往年の少年ジャンプ連載漫画のように(笑)「新たな強キャラ」が出てきて」という可能性はどう見てもあり得ません。
現在のゴー宣道場で小林と並ぶ「強いキャラ」となっている人間とは、あえて言うならば女帝ちぇぶのことでしょう。
小林の死後に、女帝ちぇぶを後継者にして運動団体を存続させたところでうまくいくようには見えません。ゴー宣道場の組織内で、ちぇぶのことを門下生たちが本音ではどのように思っているかは察するに余りあります。
毛沢東の死後の江青や、スターリンの死後のベリヤがどうなったかについて、ちぇぶは知っておく必要があるでしょう。
また大須賀が書いた以下の文章も、私は気になってしまいました。今のゴー宣道場の体質を心配する内容として読めてしまったからです。
>一つ確実に言えるのは、現在の強キャラの多くが「残り時間が少ない」状態にあるという事は、「最後の花火」的に強引な状況展開を行う危険性も高まるという事。
病に苦しむ小林は「残り時間が少ない」に当てはまっている人間ですが、一方で彼は、漫画家や言論人として再ブレイクしたいという願望に今もすがりついています。
余命を自覚した小林が無茶なことを門下生たちにやらせる可能性があるという意味では、「「最後の花火」的に強引な状況展開を行う危険性も高まる」という文章は実に見事な言い回しです。
しかも、ゴー宣道場は逮捕者を出したことがある運動団体でもあるため、小林の命令を受けた門下生たちが暴走をして世間に迷惑をかける可能性もあり得ます。
ただし幸いなのは、小林もゴー宣道場も社会への影響力が著しく低下している上に、やることなすことが間が抜けた変質者集団として衰退しつつあるということです。
今の小林が「「最後の花火」的に強引な状況展開」をやったとしても、シンパたちに自分の本をまとめ買いさせてあちこちへ配るとか、バンド活動とジャイアンリサイタルに没頭するのが関の山となるだけでしょう。
それにしても私が不思議に思っているのは、大須賀が相手を批判するために文章で書いている内容は、なぜか自分たちの特徴を投影したものになることが多いということです。