小林よしのりと荒木飛呂彦の共通点
小林よしのり公認の「ゴー宣ファンサイト」で、とあるバトルマンガとゴー宣を同列にして語っているコメントがあったといいます。
https://aiko-sama.com/archives/66605
《推しの漫画家は、よしりん先生は当然として、ジョジョの奇妙な冒険の『荒木飛呂彦』先生です!
荒木先生とよしりん先生には共通点が多くて、読者として同じ時代に生きていることに感動&感謝です
荒木先生は美食家でファッションにも気を配り、社会悪を考え、時代の変遷をジョジョのテーマ:人間賛歌に落とし込み、約40年間連載しています。
背景などにはデジタル技術を取り入れているようですが、原画の存在感や、印刷で原画通りの発色が出なくても作画の達成感に価値を置くアナログ派です。
税金を払うことに誇りを持ち、漫画を描くことに集中するため節税には無関心。漫画界への恩返しとして、後世の漫画家のために、自身が培ってきたノウハウや理論を惜しみなく書籍で公開しています。
ユーモアもあり、若さの秘訣は?の問いに「毎朝、東京都の水道で顔を洗っています」と答えるのが可笑しいです。
歴史や自然科学への造詣も深く、全ては読者に読んで貰うためで、黄金長方形(黄金比)の回転はジョジョで学びました(^^♪
書店で周囲に陳列されている他の漫画より沈んでいるように見られたくないと、コミックスの表紙に力を入れていて、勝負の姿勢を忘れていません。
漫画に限らず映画・小説・絵画の名作を反芻し、新たな作品を発表するところに保守的な態度を感じます。
皇室関連では、2003年2月に発売されたジョジョ6部ストーンオーシャン15巻で『「愛子様」ってカワイイ。TVに出てくると、つい「カワイイ!」って叫んでしまう。』とコメントしています。
荒木先生は漫画家の本業から逸脱した発信はしませんが、ジョジョが継承の物語であり、前述6部は女性が主人公でその血統は双系で繋がっています。男尊女卑の感覚は皆無だと思います。
よしりん先生と荒木先生の対談があれば、漫画文化の宝になるのは間違いありません。》
荒木飛呂彦と小林よしのりのどこが共通点が多いのか?
小林と対談して荒木飛呂彦に何のメリットがあるのか? 損しかないじゃない。
など疑問点しか浮かばないコメントであり、鳥山明と同列に語られたことにブチ切れた時浦兼はこのコメントをスルーして良いのかという疑問もあります。
「ドラゴンボール」と「おぼっちゃまくん」|鷲ヲともhttps://note.com/saruking/n/n314e956208a2?sub_rt=share_b
なにしろ時浦兼はドラゴンボールとゴー宣が同じバトルマンガであると好意的に評価したファンに対して、「全然違います。ゴー宣のどこを読んでいるのでしょうか? しかしほっといたらこれでいいと思ってつけあがりますからねえ。これ、放置していいんですかね?」などと非難したのですから、JOJO荒木とコバヨシは共通点が多いという評価など受け入れがたい筈でしょう。
まさか、この件についてお咎めなしであるとしたら、「ゴー宣とDBは共通点が多い」と褒めたファンを吊し上げた意味は別にあったことになります。
そのファンを責め立てる理由を無理筋で作ったと見られても仕方がないでしょう。
しかし、純然たる愛読者に対して、"たかがアシスタント風情"が「ほっといたらこれでいいと思ってつけあがりますからねえ」などとぬかしやがるとか常識的に考えありえないでしょう。「つけあがってんのはテメェの方だよ、時浦。ナメクジのフンがナメた口叩いてんじゃねぇよ」と私がそのファンの立場なら言い放ったでしょうが、そのファンは人間としての尊厳がかけらもないイジケ虫なので、ひたすら土下座して回っていて、実に哀れなものでした。
そのファンはその件もあって結局は道場から追放され、今ではファンサイトの看板を下ろし、その同じ場所で遠回しに小林の主張への揶揄を続けています。
その揶揄の仕方というのが実に陰湿で、コバヨシの手口にそっくりなのが笑いを誘います。
言いたいことがあるのならばはっきり堂々と批判すれば良いものをコバヨシが支持を表明したものへの逆張りをして、そこへ向けて揶揄しているのです。
今で言えば、中道や野田に矛先を向けており、要するに指桑罵槐です。
指桑罵槐は本来の意味合いでならば兵法の一つとしてまったく問題はないのですが、本当の怒りの対象には向かわず、まったく別の人を非難しているように見せかけ、実際はそれにかこつけて遠回しに本当の怒りの対象を非難しているという実にセコくて、小心で、みっともない振る舞いでしかないやり口であり、それは小林がよくやっていることです。
ここ愚行録ではそのようなチンケな手段は用いずに、正々堂々とゴー宣道場と小林よしのりについてしっかりと批判していこうと改めて思いましたのですよ。まさに人のふり見てなんとやらであります。
この記事へのコメント
小林に対してモヤモヤした気持ちを感じているゴー宣ファンは、『戦争論3』の「日本国民はみんなサティアンの中」の内容を思い出してみる必要があります。この章では、アメリカの洗脳が解けていない日本の左右陣営が、麻原の洗脳が解けていない左右サティアンに例えられています。
しかし今の私は、作中で描かれた左右サティアンの住民の姿が、ゴー宣道場の門下生の姿となぜか重なって見えました。この物語に登場する左右サティアンと同じく、ゴー宣道場もカルト集団の特徴が当てはまっているからです。
例えば左のサティアンの住民は、現在の麻原が戦争を繰り返していることに対して心を痛めています。しかし左のサティアンの住民は、過去に麻原が自分たちを武力で制圧したことに対しては、肯定的な評価をしています。
麻原のおかげで自分たちは「煩悩からの自由を得た」と思い込み、麻原が作った平和教義を何も疑わずに信奉しているのが左のサティアンの住民の特徴です。
左のサティアンの住民は平和教義を真面目に信じ込んでいる影響で、麻原の暴走に対して違和感を覚えています。現在の麻原による武断主義は、過去に彼が作った平和教義の理想と明らかに反するものだからです。
暴走する麻原の危うさに気付いていても、麻原が作った教義を疑うことができない時点で、左のサティアンの人たちの思考には限界があります。
左のサティアンの話は、ゴー宣道場のケースに例えてみても通用します。小林の度重なる暴走に心を痛めているものの、『戦争論』などの過去のゴー宣に対する信仰心を捨て切れない門下生の姿がそうです。
「今の小林先生はおかしい。でも小林先生の『戦争論』のおかげで、私が自虐史観から解放されたことは感謝している」と思いながら道場に所属している門下生もおそらくいるでしょう。
だから門下生たちの中には、「今の小林先生が言っていることややっていることは、過去にゴー宣で訴えていたメッセージと矛盾しているではないか」という違和感を抱きながら運動を続けている人もおそらくいるでしょう。
しかし、小林思想から完全に自由になることができていない時点で、彼らの思考には限界があると言えます。
一方で右のサティアンの住民は、麻原が過去に自分たちを不当に武力制圧したことに気付いています。つまり、彼らは左のサティアンの住民と違って、麻原が作った教義は洗脳のための産物であると見抜けているわけです。
しかし、右のサティアンの住民は麻原への反抗心を失っているため、実際には教団の洗脳は完全に解けていない状態です。だから、右のサティアンの住民は麻原を憎もうとせず、左のサティアンを批判してガス抜きをしています。
それどころか右のサティアンの住民は、最強の存在となった麻原に追従していれば「いつかは普通の仏教徒になれる」と思い込んでいます。しかも彼らは、麻原が世界を平定したら、自分たちは親麻原として可愛がってもらえると思い込んでいる有様です。
右のサティアンの話も、ゴー宣道場のケースに例えてみても十分通用します。過去のゴー宣も含めた小林思想の誤りに内心では気付いているものの、道場に君臨している小林にひたすら追従している門下生の姿がまさにそうです。
もちろん師範たちも、運動団体で絶対的な強者となっている小林にいつも追従しています。強者に媚びる卑屈な生き方をやめられなかったせいで、彼らは小林への反抗心をすっかり失っています。
門下生たちの中には、「小林先生への批判ができないのならば、ゴー宣道場が決めた『敵』を叩いて憂さ晴らしをしよう」と思いながら運動をしている人もおそらくいるでしょう。
例えば映像作家のO氏は、「もしかして小林や道場に対して指桑罵槐しているのか」とも読めてしまうような内容のブログ記事をよく書いています。
また、小林の言説や振る舞いに対して違和感を覚えつつも、「先生の方針に従っていれば、愛子天皇実現という目標はいつか必ず達成できるはずだ」と根拠なく思い込んで、運動をやめられない人もおそらくいるでしょう。
当然ながら小林に追従している幹部たちの中には、「先生に媚びていれば、道場の中で地位が保証されて可愛がってもらえる」と思い込んでいる人間もおそらくいるでしょう。
もしもゴー宣道場の門下生が、自分の頭でものを考えることができる人であるならば、『戦争論3』の「日本国民はみんなサティアンの中」の登場人物の特徴について思い当たる節はあるはずです。
「日本国民はみんなサティアンの中」を読んで、「この登場人物は私の特徴によく似ている」と思うことができる人は、現在の小林ファンの中には果たして存在しているのでしょうか。
twitterのウォッチャー、ユーリー氏とメガトンコイン氏の対話
https://x.com/KDMCYcpefGyBUq7/status/2020222200100581725
若い頃はまだ腰も低かったのか同期の秋本治氏とは交流出来た。しかし次々と現れる自分より能力の高い漫画家たちの登場に徐々に自信をなくしていき、嫉妬して交流しなかったから、漫画家の友人がろくに居ないんだろうな。
https://x.com/iuriigeorgii/status/2020304543142355387
元々漫画愛が薄かったから、ヒットしたら早く現役を「上がり」たかったんでしょうね。バブル期にシンガポールに行ったのも単なる遊びでジョジョの荒木先生のアメリカ取材調査とは対極でした。
https://x.com/KDMCYcpefGyBUq7/status/2020311202367434973
アメリカ横断しちゃいましたか、第5部でもイタリアの取材してましたし作品にかける熱量がまるで違いますね。イボりんにこんなスケールの人間ドラマや成長譚なんて描けるわけもなく。
「荒木御大と共通点がある」とかレジェンドと比較したって無駄無駄
https://x.com/iuriigeorgii/status/2020315693707862283
代表は言論人時代にヨーロッパや台湾、沖縄などにも赴き、それはスペシャル本にいかされましたが、あくまで現地ルポという形でした
なお、最近さっぱり海外展開が聞かれなくなった代表のインドおぼっちゃまくんですが、インドではきちんとブームを巻き起こしているのでしょうか?
荒木先生がアメリカを現地取材して生み出したジョジョ7部「スティール・ボール・ラン」については、今度のアニメ化に際して米国含めた評価が21万再生の動画で宣伝されるなどしているのですが。
https://www.youtube.com/watch?v=2BDhTd809nA
・【海外の反応】ジョジョ第7部が海外の全漫画ランキングで2位 アメリカ人が大絶賛する理由とは
「しかし、ここまで露骨な「手のひらをクールクル♪」を毎日風景としてとして見せつけられては」
最近の元ファンサイト管理人の言説の特徴とは、「もしも小林よしのりが高市政権成立後も言説がブレなかったらこうなっていた」という内容として読めてしまいます。
例えば、例のカレが反中国・親台湾・山尾支持であるのは、かつての小林の言説をそのままコピーしている姿であると言えます。一方で、小林は反中国・親台湾のタカ派的な姿勢を弱めてしまった上に、山尾志桜里に対する支持さえもやめてしまいました。
ゴー宣の純粋なファンからすれば、「俺は先生の主張に共感していたのに、どうしてあなたは簡単に変節するんだ」という不満を小林に対して感じてしまう人もいるでしょう。
「違和感が、スルーできる範囲を超えている。目をつぶろうとしても、目に入って来る」
小林思想を真面目に信じていた純粋なファンが、今の小林に対して違和感を覚えてしまうのは無理もありません。実際に運動団体に参加して、小林に幻滅してしまった人も少なからずいるでしょう。
小林の言説が変節を繰り返していることや、女帝ちぇぶの専横がまかり通っていることや、イベントの劣化やカラオケ活動のごり押しが続いていることなどの数々の醜態を見せつけられたせいで、違和感を覚えている元ファンは少なからずいるでしょう。
運動団体に所属する門下生であっても、本心では「今の小林先生はおかしい」と感じているものの口に出せない人もいるはずです。
「わざわざ演説を聞きに来るのは、なんでもかんでも肯定するだけの”しつの悪い客”だからです」
ゴー宣道場に今も残っている小林シンパたちは、「なんでもかんでも肯定するだけの”しつの悪い客”」の特徴が見事に当てはまっています。「わざわざ演説を聞きに来るのは」の言葉は、いつもイベントに参加して小林の駄弁りを聞きたがっているシンパたちへの揶揄とも読めます。
「言い放し、やり放しで、責任を取ることも無く、反省することも一切しない人間とは違います。デタラメ言っても反省しない人間よりは、デタラメやって責任を取る野田佳彦の方がはるかにエライです」
言論人としてはたびたび出鱈目なことを言い続けた上に、運動家としてはこれでもかと暴走を繰り返してきたのが小林の歩みです。つまり小林は、「言い放し、やり放しで、責任を取ることも無く、反省することも一切しない」を地で行く人間なのです。
「世の中には「だまされる方が悪い」という意見もあります。しかし「だます方が悪いに決まっている」です」
おそらく元ファンサイト管理人は、「俺は小林よしのりに騙されていた。悔しい」という怒りの気持ちを感じているのかもしれません。例のカレは今ごろになって、自分がとんでもない人間を師匠にしていたことに気付いたようですね。
「人の善意や好意を踏みにじるような奴にこそ、天罰は下るべき!」
元ファンサイト管理人が小林のことを、「人の善意や好意を踏みにじるような奴」と軽蔑するようになったのは無理もありません。なぜなら小林は、運動団体のために誰よりも尽くしてきた例のカレを一方的に切り捨てた人間だからです。
元ファンサイト管理人は、師匠として熱烈に崇拝していた小林から精神的に決別することができたようです。しかし、例のカレがブログで主張している言説を見ると、小林思想の洗脳がまだ解けていないように見えてしまいます。
元ファンサイト管理人には、小林思想と完全に決別するためにやるべきことがあります。小林の言論活動の実態を詳しく検証し、小林思想を一から疑ってかかるという作業を例のカレはやるべきでしょう。
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/45220
>「男女平等って皆さん言いますけれどもね、結局、男が一番だって皆さん思ってますよね、男性陣の皆さん。私もその一人ですよ。
>しかし、女性の声で、女性のリーダーになりますと、女性がバシッと、『あんた何やってるの、しっかりしなさい』よく嫁さんや奥さんに私も言われておりますけれども」
>無意識にここまではっきり言ってのけるところが凄まじい。
>「結局、男が一番だ」という観念を当然の前提としながら、「嫁さんや奥さん」の尻に敷かれておくような気分で女性政治家を持ち上げてやろうという、男尊女卑!
自民党の島袋大・沖縄県議が「結局、男が一番だ」と発言したことを、泉美木蘭が厳しく批判しています。泉美が書いている文章を読んで私が気付いたのは、小林よしのりに対する批判としても読めてしまうということです。
ゴー宣や小林ブログを読んでいれば分かりますが、小林は「結局、男が一番だ」という観念を一貫して持ち続けている人間の典型です。しかも小林によるちぇぶへの称賛は、「「嫁さんや奥さん」の尻に敷かれておくような気分で」女の管理職を持ち上げてやろうという下心が根底にあります。
他にも泉美が書いた文章を読んで気になったことがあります。
>ところが、この男尊女卑発言を、同じ壇上で聞いている小野田紀美は、おどけた表情をしてみせながら、大きく口を開けて、笑って流している。
>まあ面白いご冗談、男の人も大変ねえ」というような、昔の感覚で受け入れているんだろう。
>これが、女の中に染みついた男尊女卑だ。
>小野田は、この場に同席した女性の政治家として、はっきり怒るべきだったのに、そうしない。
>だから男はこう考える。
>「高市早苗、小野田紀美なら、『結局、男が一番だ』という男の願望を今後も笑顔で支えてくれながら、俺たちに都合よく、働いてくれるだろう」
>それでいいのか??
この文章の中にある「小野田紀美」の名は「笹幸恵」か「泉美木蘭」に、「女性の政治家」という単語は「女性師範」に、「高市早苗」の名は「ちぇぶ」に置き換えてみるべきです。さらに、この文章の中にある「俺たち」の語は「わしら」に置き換えてみるべきです。
そうすると、ゴー宣道場が男尊女卑の体質であることを批判した文章として読めてしまいます。
小林の「ともだちんこ」を喜んで受け入れた笹幸恵や、小林に「イベントで和服を着ろ」と言われて命令を受け入れた泉美木蘭には、果たして島袋県議の「結局、男が一番だ」発言を批判する資格はあるのでしょうか。
泉美が自民党を批判するために書いたブログ記事は、小林一派の問題点を投影したような内容として読めてしまいます。彼女が小林に対して指桑罵槐をしているのかどうかは私には分かりません。