異常天才は実在するのか問題

コバヨシ批評をするのに、自身の「マンガ読み」キャリアなんてのはあまり意味はありません。

何故ならコバヨシの「ゴー宣」はマンガ表現としては評価されておらず、マンガ史の系譜で語る必要がないものとされているからです。

政治マンガや風刺マンガならば、マンガ史の流れのなかで批評されますが、いわゆる「絵解きマンガ」はそこに組み込まれません。

ゴー宣はある時期までは風刺マンガ及びエッセイマンガとしてマンガ史の中で語られてきましたが、歴史教科書運動以降は右派絵解きに堕したので、マンガ史の流れから外れました。

それは当然で、各種パンフレットなどの小冊子に載っている解説マンガは芸術性や物語性など求められておらず、いかに分かり易く絵解きするかにしか価値はありません。

戦争論以後のゴー宣はそのようなものになりました。

コバヨシはそれを否定するかもしれませんが、しかし作者の意思など関係はなく、実際にゴー宣は右派絵解きとして出版社は売り、客である読者も右派論壇の理屈を簡単に理解できるからという理由でゴー宣を読んでいたのであり、それは絵解きマンガ以上でも以下でもありません。


そんな絵解きマンガについて語る時、私自身のマンガ遍歴を語る必要などあるのかという疑問もあるにはありますが、コバヨシのゴー宣は絵解き以前と以後があり、またゴー宣の前にジャンプ作家、コロコロ作家というキャリアもあり、そこが話を厄介にしている部分でもありますので、まずは私個人のマンガ体験を語る必要もなくはないという感じを感じているので、そのあたりのことをちょっと語ってみようかなと思った次第でございます。


名もなき一般人に過ぎない私のマンガ体験などつらつら書き綴られたところで、「知らんがな」という思いしかないぜとのツッコミを入れられることは重々承知していますが、でもマンガ語りが好きなんで、そこは我慢出来ないんで、ちょっと自我を出すことをお許しください。


私が初めてマンガを読んだのはおそらく1980年代の初めの方で、藤子不二雄作品だったと思います。

物事がついた頃には古本屋でドラえもんとか100円ぐらい払って買っていたような記憶があります。

少年ジャンプに入ったのは同級生たちより遅めで、小3くらいで、キン肉マンから入ったんじゃないかな?

誕生日プレゼントにキン肉マンを1巻から9巻までまとめて買ってもらい、そこから少年ジャンプに毒されました。

80年代ジャンプマンガやコロコロを同級生と同じぐらいのテンションで触っていた程度でありましたが、私には5歳ほど年上の兄がおり、その兄の影響が色濃く、直撃世代ではないブラックエンジェルスを後追いで読んだり、車田作品も聖闘士星矢ではなく、リンかけや風魔の方を熟読し、車田正美の師匠筋である本宮マンガまで追うことになりました。

つい最近、なんかしたり顔したチンパンジーが偉そうに本宮の過去作について講釈をたれやがりましたが、正直なところ「誰にぬかしてやがんだ、エテ公!」と内心思ったことは内緒です。

顔を真っ赤にする凡庸モンキーの尻は青い - 脱イボナメクジ宣言


中学生や高校生の頃になると、ただ好きなマンガ家の過去作を追うだけでは満足出来なくなり、雑誌に載った作家インタビューや批評なども読むようになりました。

そこには明らかな盛った虚言などもあり、そこをいかに読み解くかという、いわゆるリテラシーを問われる問題もあり、ただ証言を馬鹿みたいに信じるのではなく、証拠集めをしてウソかマコトかを読み解く答え合わせを楽しむというサブカル遊戯に浸った時期も経験しました。


この経験がおそらく今に活かされているのではないかなと思っています。


《メガトンコイン氏の小林の希薄さについての所見を読み、小林が事あるごとに自分を「天才」「才能が圧倒的」と自称し、周囲の賛美を求める理由がまだ曖昧ながらも言語化できるような気がしました。

漫画が何よりも「楽して稼ぐ手段、名声のための道具」としていた以上、マンガ愛、クリエイターとしての努力は出来なかった。

多分、小林は「同時代の日本を舞台にした日常ギャグ」=「現実での振り切れた愚行」にしか面白さを感じない。

「成長と変化の物語」を信じてないし、想像してもワクワクしない。

キャラの成長を描けば日常も人間関係も変化させないといけない。》(ライジング購読者さん)

https://washiblogact3.seesaa.net/article/519613138.html


私は「東大一直線」直撃世代ではないので、東大に関しては評価のしようがありません。

ギャグマンガは水モノであり、正直な話として私は東大のギャグはまったく笑えませんが、それは世代ではないので仕方がないと思っています。

おそらく令和の中高生は「稲中」を読んでもその面白さを理解しないかもしれません。

ストーリーマンガとは違い、ギャグをメインにした作品はどうしても時代に縛られてしまうものなので、今現在の感覚で「東大の何がオモロイの?」などと野暮天なことを私は言うつもりはありません。

ただ、「おぼっちゃまくん」が連載開始した時は小学高学年であったのですから直撃世代であったと言って差し支えないと思います。


で、コロコロで「おぼっちゃまくん」が連載開始された頃、コバヨシについて果たして鳥山明や原哲夫や徳弘正也や桂正和や高橋よしひろや宮下あきらほどの尊敬を当時の子供たちは抱いていたのかというと、それは言わぬが花でしょう。


つかさ、小林は天才マンガ家を自称しています。

天才マンガ家といえば楳図かずおを私は頭に浮かぶのですが、小林は「漂流教室」や「わたしは慎吾」や「14歳」に匹敵する傑作をものにしているのでしょうか?

小林は下品なギャクマンガ家であることを得意げに語りますが、では下品でお馴染みの徳弘正也作品以上の傑作を発表していますか?

小林は自分を天才と称しますが、その天才という肩書きに見合う傑作があるのなら、その作品タイトルを一つぐらい言って欲しいものです。


まさか「東大快進撃」ですか?

もしくは「厳格」とか?

いや、それらは普通に読めはしますが、「天才の傑作」にカテゴライズするには弱くない?


シンパでも良いし、元読者でも良いので、小林の「天才的な傑作」はなんなのか、教えてくれないでしょうか。

マンガ読みとして冷静な批評をしたいので。


ちなみに、「異常天才図鑑」という短編集を読みましたが、マジクソつまんねぇと言わざるを得ないのが私の個人的感想なので、その短編集以外の作品を挙げていただけたらと思います。

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この記事へのコメント

大林わるのり
2026年02月20日 01:19
『おぼっちゃまくん』の純金のメダルが欲しい。
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/45428
>テレ朝の隅田プロデューサーと女性陣が打ち合わせに来てくれた。今年は『おぼっちゃまくん』40周年ということで、一年間、季節に合わせて、次から次に茶魔の関連グッズを出したいらしい。いろんな企業とタイアップして、驚くべきグッズを作る計画を話していた。かなりの茶魔マニア二人が、膨大なジャンルのグッズを思い付いていて、そんなの可能なんだろうか?というようなモノを提案する。中には、40周年だから40万円の純金の金メダルなんて言っていて、実現したら、凄い評判になるだろう。わししか購入者はいないかもしれんが。とにかくテレ朝の『おぼっちゃまくん』のプロモーションがどえらいことになりそうだ。

40周年を迎えた『おぼっちゃまくん』は、企業とタイアップをしながら次々と関連グッズを出すそうです。そしてこのブログ記事の内容からは、小林の承認欲求や金銭欲が読みとれてしまいます。

おそらく小林は本音ではこう思っているのでしょう。

「企業がタイアップしてくれるのは、『おぼっちゃまくん』が世間からヒット作と認められていることの証明なのだ」
「40周年を記念して茶魔が関連グッズになってくれたならば、わしは過去のヒット作に頼りながらまたひと稼ぎできる」

小林が茶魔の関連グッズが出ることに夢中になっているのは、『おぼっちゃまくん』という作品を愛しているからではありません。『おぼっちゃまくん』という作品で金儲けできるから、小林は茶魔のグッズ化を喜んでいるのです。

つまり、小林は『おぼっちゃまくん』のことを、金儲けのための道具と考えているというわけです。そうであるならば、小林が『おぼっちゃまくん』を平気でパチンコ化できたことも納得がいきます。

やはり小林はお金に対する愛は誰よりも強いものの、漫画に対する愛はろくに持ち合わせていない人間なのでしょう。

また、「40周年だから40万円の純金の金メダル」という俗っぽいアイデアに小林が飛びついているのは、浅ましいまでの自己顕示欲の表われに見えてしまいます。

まるで、全体主義国家の独裁者が自分の銅像を眺めて喜んでいる様子とそっくりです。つまり小林は、「『おぼっちゃまくん』のヒットはすごい」を「わしはすごい」に置き換えて満足しているのです。

ちなみに小林は、ケチでがめつい人間のくせに自分を金持ちアピールすることも忘れていません。何しろ小林は、「(40万円もする茶魔の純金メダルは)わししか購入者はいないかもしれんが」とわざわざ言っているのですからね。小林の虚勢ズムは相変わらずです。

小林の自己顕示欲の強さといえば、『おぼっちゃまくん』を哲学的に深い作品であるかのように強調していることもそうです。

テレ朝の『おぼっちゃまくん』40周年企画をプレゼンした女性スタッフたち。
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/45442
>「おぼっちゃまくん」はそもそも資本主義そのものを風刺していながら、否定してはいない。ただし、資本主義で守らなければならない価値は何かを追求している。ある意味、マルクス主義も、資本主義を補強する考え方として、有効に機能する。その辺を貧ぼっちゃまの振る舞いで示唆している。これほど深い哲学が内包された創造物もないだろう。

子供が好きなウンコチンチンネタに浪花節を加えただけの作品を、「これほど深い哲学が内包された創造物」とまで小林が力説しているのはどう見ても無理があります。要するに小林は、「こんなに哲学的な作品を生み出せるわしは、誰よりも賢くて偉い人間だ」と威張りたいだけです。

結局小林は、他の漫画家に対して「わしはこんなにすごいぞ」とマウントを取りたくてたまらないのでしょう。鳥山明の死を嘲笑できたことからも分かるように、小林にとって漫画家という職業は人前で威張ってマウントを取るための道具だったのでしょうね。

もちろん『おぼっちゃまくん』という作品も、小林にとっては「わしはこんなにすごいぞ」と威張ってマウントを取るための道具だったというわけです。

やはり小林は「ヒット漫画家になれたわし」という自己イメージを愛しているものの、『おぼっちゃまくん』という作品に対する愛はこれっぽっちも持っていない人間であるようです。

原作者が自分の作品に対する愛を持っていないことは、『おぼっちゃまくん』という漫画の最大の不幸であると言えるでしょう。
なお
2026年02月01日 17:50
ゲームの話ですが、他人の作ったシナリオ通りにやるのが我慢ならないって、それはゲームに限りませんよね。漫画や小説だって他人の書いたものですよ。
推理小説で「犯人はお前だ」っていうときに、「いやいや違うだろ、俺はこいつが犯人だと思う」って言ってもそう書かれてるんだからしかたないですよね。
そういうこというなら小林の漫画なんか1から10まで面白くないですよ。
要はゲームやってもうまくできなくて逆ギレしてるだけでしょ。
ライジング購読者:他人に厳しく自分に甘い代表のドラクエ論
2026年02月01日 06:00
ダン様が引用した代表たちのドラクエ批判について。

1990年代の家庭用ゲームと漫画・小説を比べれば、
消費者視点では作品数の点で、創作者視点では表現の範囲について、
確かに漫画・小説のジャンルに分があったと言えるでしょう。

RPGの場合、ビット数の制限がある中で矛盾なく話を作れば、
ストーリーの展開をある程度固定しなくてはならないので。

そうした勇者がレベル上げして魔王を倒す一本道という
JRPGのテンプレを批判するのはジャンルのマンネリ化を避けるためにも
重要であったでしょうが、かく言う代表はクリエイターとしての
作品において「同時代の日本を舞台にした異常天才の下品な日常ギャグ」
というテンプレを一生涯乗り越えられなかった。(ついでに最高傑作の
おぼっちゃまくんも児童向け作品なのにまともなエンドを描けなかった)


そういう意味で代表はクリエイターとして自分に甘かったのですが、
対するゲーム業界はどうか。1990年代初めのドラクエ時代と同様、
ドット絵で一本道で魔王を倒して終わりみたいなゲームばかりで
しょうか、

オープンワールドの代表格ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド他、サブクエストに満ちたペルソナシリーズの青春、そして今日のスクエニの代表的コンテンツとなったHD2D表現による8人の主人公の旅を描いたオクトパストラベラー等々……常にユーザーを楽しませようと研鑽し続けた日本のゲーム業界がどれだけ国内外のファンから愛される作品を生み出したかを見れば結果は自ずと明らかです。
ダン
2026年01月31日 13:52
ドラゴンクエストについて
上岡龍太郎も小林も「大魔王をやっつけた勇者が新しい魔王になるなどの自由度を!」(小林)「怪物と戦うのが面倒やから『にげる』選択をしたら『しかし、まわりこまれてしまった!』いやいや逃がしてくれや!」(上岡)と作者の作った脚本通りに動かされているだけだからつまらない旨の発言をしていましたね。ある年代の人達にとってドラクエは「不自由」に映ったようです。ただ、今思えば小林は鳥山明が関わっている事もあってドラクエ嫌いだったのかな?
ライジング購読者:時浦氏の久米宏断罪、あるいは死人に口なし道場リターンズ
2026年01月30日 04:16
本記事におけるウォッチャー・㍌コイン氏が引用した、
よしりん企画スタッフの時浦氏の久米宏論について。

西部邁の時と同じで、相手が反論できない状態になったところで
利用するという外道な思考は師だけでなく弟子にも受け継がれて
しまったんだな、と嘆かざるを得ません。

久米氏を断罪している時浦氏は自分のボスが
かつて久米氏の番組「ラジオなんですけど」に出演し、
安部自民党や保守派を批判していたのを忘れたのでしょうか?

https://www.nicovideo.jp/watch/sm32864476

そこまで久米氏によるワイドショーの政治ショー化が問題だ、
というなら彼の個人番組に加担したかつての代表も批判
しなくてはおかしいでしょう。

と、思ったところでそもそも何故キャスターの久米氏のみを批判し、
ニュースステーションのイデオロギーや編集に責任のあったテレビ朝日
を追求しないのかという疑問が浮かびました。

ゲームの『ライブアライブ』と同じで興味がなく軽蔑する文化でも、金になると見るや手のひらを返して参加していた代表とよしりん企画。『インドおぼっちゃまくん』関連でビジネスの利益になりそうなテレビ朝日は批判が躊躇われる……そうだ、ならもう反論できない久米氏個人を攻撃しよう……そんな姑息な発想があの文章を書かせた……というのは下衆の勘繰りでしょうか
なお
2026年01月29日 18:36
今日セブンイレブンで「包丁人味平」のコンビニコミックを見つけました。
「包丁人味平」といえば小林の「東大一直線」よりも前、ジャンプの草創期に載っていた漫画で、その後の料理漫画に多大な影響を与えた漫画です。
料理がエンターテインメントになると言う意味ではTVの「料理の鉄人」「おっちの料理ショー」などにも影響を与えたのではないかとすら思えます。

だからこそ、いまだにインパクトが残っていて、この令和にもコンビニコミックで復刻されるのです。
このようにその時代にインパクトを与えた漫画は時を経ても蘇ったりするのです。それを見た若い世代にもウケたりするのです。
小林はどうでしょう。
「東大」にしろ「おぼっちゃまくん」にしろ、復刻の声はどこからも上がりません。その世代の人だって「ああ、そんなのあったね」程度しか思っていません。
毎年、幾百、幾千という漫画が生まれる中で一度でも誰かの記憶に残るなら、それはそれでいいのかもしれません。
ただ、上には上がいるということ。
小林ていどで「ドラゴンボール」なんかにケチつけるのは、単なる嫉妬を通り越して、みっともないの一言です。
「包丁人味平」にすら敵わないのだから黙ってろよ。
元イボ読者
2026年01月28日 08:43
イボ先生ぴゃんのゲームに対するスタンスは、コロコロ出身ののむらしんぼ先生とは正反対ですね。

のむらしんぼ先生はイボ先生ぴゃんより3つ年上ですが、ゲームが大好きで、ファミコン発売当初は「ゲームセンターに行かなくても、家でゲームができる!」と大喜びし、すぐに買って夢中になってプレイしていたとか。

のむら先生は連載を何度か失敗し、大変な時期もあったようですが、『コロコロ創刊伝説』という作品を上梓し、評価を受けています。
生活に困窮しても、戦友たる他のコロコロ漫画家さんへのリスペクトを失わなかったからこそ、インスピレーションが降りてきたのでしょう。

そういえば、江川達也氏も「プロから見ると、ドラクエはつまらない。プロのクリエイターなら他人が作ったゲームをプレイするんじゃなく、自分で作りたくなるから』」と腐していたらしいですが、他の作家や作品に対するリスペクトがない作家って、言動や行動が似てくるんでしょうか。
XYZ
2026年01月27日 10:10
尊師の漫画で当たったのはおぼっちゃまくんのみ
彼は一発屋の漫画家でした
ライジング購読者:1990年代という壁
2026年01月26日 20:14
ウォッチャーメガトンコイン氏のツイートより

クリエイターとして最盛期の1990年代初めの小林氏の
TVゲーム論(ドラゴンクエスト4)
https://x.com/KDMCYcpefGyBUq7/status/2015392485229690925

>ゲームが全然出来ずドラクエを全否定、脳みそ退化したオッサンが新しいものを受け入れられなかっただけなのに。
そのRPGでキャラデザを頼まれたら、商売の為に信念もなくホイホイ引き受ける節操のなさは失笑モンです。

>イボりんがポテンシャルを見抜けなかったドラクエシリーズ、今年5月に40周年です

アラフォーで出会ったTVゲーム文化を全く受け付けなかった代表。
1991年発売のドラクエⅣを始め、90年代~2000年の青少年向けエンタメを
振り返ると……

漫画アニメ業界:ジャンプ系バトル漫画、セーラームーン(戦う魔法少女ものの元祖)、エヴァンゲリオン
ライトノベル業界:スレイヤーズ(今日も人気の異世界ファンタジーラノベの金字塔)
ゲーム業界:FCのドットからPS2のポリゴン・CGへ、ドラクエ天空シリーズ、FFシリーズを中心としたレジェンド時代

と、あらゆるジャンルで80年代以前と一線を画する革新・大衆化が起き、
今日のクールジャパンの基礎が築かれた時代であったのが判ります。

1953年生まれの代表はこれらの時代の流れについていけず、
かといって氷河期時代にアラフォー職歴漫画家のみでは
廃業・転職も無理という状態で新世代のクリエイティヴィティに
脅威を感じ、その裏返しで軽蔑していたんだろうなと。

💰㍋㌧コイン🌉@KDMCYcpefGyBUq7
2026年01月26日 06:28
※ヘドブロより)
>昨日、久米宏の訃報を聞いて、不意にこの歌を思い出しました。
>久米宏こそが、テレビのニュース番組を「ショウ・タイム」にした最大の人物だったからです。
>それから40年、ニュースの「ショウ・タイム」化は進む一方で、もうニュース番組とワイドショーの区別もつきません。そうして、ワイドショーのやり口でコロナ恐怖を煽った『羽鳥慎一モーニングショー』のために何が起きたかは、絶対に忘れることはできません。
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/44637

小林よしのりこそが、思想や哲学・言論を漫画的手法を使って安っぽいショウにした最大の戦犯でしょう。
「ワシは感性を武器に権威と戦う」と言ってもそれは人文系分野で何らかの専門性・一家言が無く、全く勉強して来なかったがゆえに正攻法で戦えなかっただけです。
いざ専門家とガチで専門領域でぶつかったら成すすべもなく論破されるだけでしたので、私としては「特定分野の専門家相手に勉強しないという搦め手は全く通用しないな」というのをまざまざと見せられて、少なくとも自分の領域だけは勉強しようと思ったのは反面教師として中々でした。
根底には「たかが漫画家なんだからこれくらい言っても許されるはずだ」という意識があり、発言に責任を取らない甘えきった逃げの姿勢があるのも三流の証左です。
一部の文化人らが「新しい思想表現だ」とおだてた為に勘違いしたウマ面の猿は高い木に登ってしまい、遂には降りられなくなってしまいました。能力の無い者には引くべきを示唆してあげないというのは何たる残酷でしょうか。

ゴーマニズムという、根拠なき言いっぱなし系イキリ放言がさも哲学であるかの様に振る舞い、目新しさで一過性に売れたものの、エッセイテイストの初期から思想や歴史に本格的に踏み込んでからは読者を騙しきれず色々な分野で薄っぺらさを露呈する事になり読者は減り続けました。
今の小林を見ていると売れたのはせいぜい00年代前半までで、後半から斜陽になっていった所からゴーマニズムは思想・哲学としては後世に残るものではなく明らかな失敗ですね。西部保守思想も後継者は佐伯啓思氏などであり、小林が保守思想家として世に認知される未来もありません。
小林に追随して、自分をキャラ化して思想表現をする様な漫画家が続かなかったのは幸いですが、科学的な裏打ちのないコロナ軽視とワクチン恐怖煽りという人が死ぬような医療デマで炎上狙いの商売をした事だけは絶対ぜったいゼ~~~ッタイに忘れることも許すこともできません。