マンガ愛なき丙午

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

と、型通りの挨拶をして、60年に一度の丙午、もしかしたら今年でこの愚行録も幕を閉じるかもしれませんので、真っ赤に燃える炎のような情熱を持って最後まで突き進みたいと思いますのでお付き合い願えたらと思います。

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さて、早速ですが、コバヨシの「マンガ愛」について、私の認識と非常に近いコメントが届きました。

職業選択の自由がある現代において、コバヨシは何故マンガ家の道を選んだのか、その理由について近いうちに私の推測を書こうと思っていたのですが、届いたコメントにはまさにそのことが書かれておりました。


《家族の反対を押し切って漫画家に成った小林よしのりにとって漫画家とはなんだろうと、大林さんのコメントを見て感じました。

というのも先日「わしズム」vol.1(2002年)を読み返した時に秋本治氏との対談があったんです。

そこで小林の「何が楽しいか?」という質問に、秋本氏は「週刊と月刊の同時連載の仕事は忙しいし苦しいが楽しい」

小林「わしは楽しいのか苦しいのか自分でもわからん」と漫画創作のやりがいの感じ方に差が出ています。

秋本「複数連載を持つのが夢だった。昔の漫画家たちは複数連載を持って一人前だった」

小林「昔はそうしないと食っていけなかったからで好きでやってたわけじゃないと思うけどなあ」

小林「夢とはいえそうまでして週刊連載を続けていく根気がすごい。完璧主義?」

秋本「自分の為に楽しんで描いているだけ」

小林「それが楽しいんだ。わしは飽きっぽくてダメだな」

「ブラックジャック創作秘話」で語られていますが、手塚治虫は常に挑戦的でどれだけ忙しくても更に連載を増やし、「自分が面白いと思う事は今すぐにやらなきゃいけない」と語っていました。

驚くべきことに小林よしのりは漫画家として忙しいながらも楽しみを見出すことは無く、先達の漫画家たちは金のために仕方なしにやって来たと思っていたようです。

私は現在では小林作品に辛辣な評価しかしてませんが、クリエイターとして創作活動にもう少し前向きだと思っていました。

これを読んだ時は少し驚きましたが、その後のライジングや動画チャンネルでのコンテンツを複数に分けての課金や、老人カラオケ大会での高額の料金、更新頻度や新作の少ない「漫画ブック」など、およそ漫画家としての矜持があるならやらない様な行動が多く、得心が行くことばかりです。

漫画の中でのキャラクター"小林よしりん"は楽しく漫画を描いているように振る舞いますが、リアルの"小林善範"はお金さえ稼げば漫画に拘る必要はないようです。

肉体労働するには貧弱、かといって難関大学に入れるほど勉強ができるわけでもない彼には漫画家くらいしか思いつくものがなく、極論すれば生計を立てる手段があればなんでも良かったのかも。

対談当時、秋本治50歳。小林は1歳年下。

同期だった二人、片やレジェンド漫画家となり、片や売れなくなりカルト教団の設立に逃げた漫画家。

両者の未来に決定的な差を生じたのは単に才能の問題だけではなく創作活動へのモチベーションの差であると見ました。

で、「茶滅の刃」ですか。鬼滅をろくに読むこともなく今更すぎるパロディにほとほと呆れましたね。

小林がクリエイターでありながら恐ろしく漫画やアニメを知らないのにはそもそもエンタメそのものへの興味が乏しいのでしょう。》

(💰㍋㌧コイン🌉(MMPNMPNK)さん)

https://washiblogact3.seesaa.net/article/519252702.html


「肉体労働するには貧弱、かといって難関大学に入れるほど勉強ができるわけでもない彼には漫画家くらいしか思いつくものがなく、極論すれば生計を立てる手段があればなんでも良かった」

まさに、これでしょう。

これは憶測や推測というよりもこれまでのコバヨシの言動などを分析すれば行き着く結論だと思います。

確かに虚弱児だった少年期の小林は手塚治虫や赤塚不二夫に憧れ、チラシの裏などにマンガもどきを描いていたのでしょう。

まだ娯楽の少ない昭和30年代〜昭和40年代のこと、自分が描いたマンガを妹や近所の子供たちが読んでくれたことに充実感を得たというのも事実でしょう。

小林の親世代は「マンガ家なんて賤業」ぐらいの意識であり、それを小林は充分察していたことでしょう。

しかし、㍋㌧さんが指摘するように、コバヨシは特にやりたいこともなければ、得意なこともない単なる馬ヅラの腰抜けであり、いざ就職しようにも怠惰な彼が勤まる仕事などありはしないのでした。

コバヨシが大学生当時はマンガを読んでいなかったことは彼自身が複数のインタビュー記事などで認めていますので、少年期はともかく大学生の頃の小林はマンガ家になりたいという夢など持っていませんでした。(マンガ家を目指していたのならば、1970年代初頭に流行していたマンガを熟読していなければおかしいが、コバにその形跡はない)

周囲が就職活動をするなか、コバヨシはやりたい事がなにもなく、どうやったら楽に稼げるかを考えたのでしょう。いかにも頭の悪いマヌケ野郎が考えそうなことです。

何一つとして技能を身につけてこなかった大学生コバは少年の頃にマンガもどきを描いて妹たちに褒められたことを思い出したのでしょう。

新人漫画賞に入選したら多額の賞金を貰えるというのも「楽して稼ぐ」ことを常に考えていたコバの琴線に触れたわけです。

当時の主流であるマガジンやサンデーで勝ち抜くのは難しいが、後発のジャンプならばもしかしたらいけるかもと考えたのかもしれません。

https://www.jajanken.net/years/1974

https://www.jajanken.net/years/1975

実際、ジャンプはマガジンやサンデーでは絶対に掲載されることがないようなヤバい新人を発掘しています。その中の一人がコバヨシでした。

親からしたら高い学費を払って大学まで進学させてやったのにどうして卑しいマンガ家なんぞになるのかと反対し、作家デビューしたあともマンガ家などという賤しい虚業から足を洗えと言い続けたわけです。

コバヨシが未だにマンガ家について「カタギじゃない」などとイキっているのは明らかに親の影響でしょう。

そんなわけで、コバヨシはまったく「マンガ愛」はなく、親の影響もあり、内心ではマンガを侮っており、しかし自分が「マンガ家」であり、それで飯を食っているということもあり、「マンガ家なんて幼稚でみっともない連中だ」と思いながら、「わしは一流の漫画家だ」という矛盾した葛藤が常にあり、それが彼を人間として歪ませた根本原因でもあるのです。(断言!)

このあたりのことは参考資料を提示しながら更に細かく丁寧に説明したいのですが、それは長くなるのでまた別の機会に書くことにしましょう。


さて、では今回も大林批評による小林マンガ考察をどうぞ。


《どうやら小林よしのりは、漫画家としても言論人としても致命的な欠点があるようです。

なぜなら小林(或いは時浦)は、漫画であっても物語に対する読解力が欠落していたり、或いはその作品を読んでもいないのに読んだかのように知ったかぶりをするという特徴があるからです。

私が気になったのは、手塚治虫『ブラック・ジャック』に対する小林の解釈です。

「さらにわしは大学生の頃、『ブラック・ジャック』を読み、そのキャラクターの設定に驚嘆した」

(小林よしのり『ゴーマニズム宣言SPECIAL コロナ論3』扶桑社、269ページ)

小林は、大学時代に『ブラック・ジャック』を読んだと公言しています。しかし、小林による『ブラック・ジャック』の解説は、本当に作品を読んだことがあるとは思えないめちゃくちゃな内容でした。

「そして、ブラック・ジャックと対立するドクター・キリコという安楽死専門の医者が登場する。生死ギリギリの患者を救おうとするブラック・ジャックに対して、安楽死させたほうが幸せな者もいると確信するキリコ。その時、ブラック・ジャックはキリコを完全に否定することができずに葛藤し、悩んでしまうのだ」

(小林よしのり『ゴーマニズム宣言SPECIAL コロナ論3』扶桑社、270ページ)

小林が紹介している「ブラック・ジャックはキリコを完全に否定することができずに葛藤し、悩んでしまう」というシーンは、私の記憶では原作には全くありません。私は少年時代のころに『ブラック・ジャック』を愛読していたので、小林による作品の理解は出鱈目であると断言できます。

もしも小林が大学時代に『ブラック・ジャック』を本当に読んだことがあって、そのような形で作品を理解をしたのならば、明らかに読解力に問題があると言わざるを得ません。

おそらく小林は実際は『ブラック・ジャック』の原作を全く読んでいないか、或いは大学時代に読んだとしても数十年経って内容を忘れてしまったかのいずれかでしょう。どちらにしろ言えるのは、小林は『ブラック・ジャック』の内容を知ったかぶりしているということです。

もしくは、小林名義の言論漫画である『コロナ論』シリーズのシナリオは、実際は時浦が書いた可能性もあるでしょう。しかし若いころの時浦は、手塚治虫の作品の熱烈なファンで愛読者でもあったはずです。

『コロナ論3』のシナリオを時浦が書いたとすれば、彼は手塚ファンのくせに『ブラック・ジャック』の内容さえも理解していなかったことになります。やはり、時浦のオタク知識は実際は怪しいのでしょうね。

或いは、師匠の小林が話している『ブラック・ジャック』の理解が間違っていることに気付いていたものの、時浦はイエスマンだから反論さえできずに言論漫画のシナリオにしてしまった可能性があります。仮にそうであるならば、時浦はブレーンとして小林の言説のチェック機能を果たしていなかったことになります。

『コロナ論3』のシナリオを書いたのが小林なのか時浦なのかはともかく、作中で描かれた『ブラック・ジャック』の内容の解説は明らかに出鱈目です。

小林(或いは時浦)は『ブラック・ジャック』に対する読解力が欠落しているか、もしくは読んでいるのに内容を忘れてしまったか、それとも作品を読んでいないのに読んだかのように知ったかぶりしているかのどれかに当てはまっているのでしょうね。

小林(或いは時浦)による『ブラック・ジャック』エアプは、漫画の神様・手塚治虫に対する冒涜と言っても過言ではありません。『ブラック・ジャック』エアプをして知識人を気取る小林(或いは時浦)は、原作者の手塚先生に対して謝った方がいいでしょう。》(大林わるのりさん)

https://washiblogact3.seesaa.net/article/519385073.html


この指摘はなかなか興味深いものがあります。

確かに小林の理解力はかなり疑わしいものがあり、黒澤明の「七人の侍」のラストシーンについてゴー宣で何度も正反対の解説をしていたことは以前に指摘しましたが、他にも、映画や漫画や音楽にテレビドラマ、果てはお笑い芸人のネタについてもトンチンカン過ぎることをゴー宣やメルマガ記事やブログ記事に書いていました。

鳥山明さんが亡くなった際には「バトルマンガ」についてまったく見当違いの批判をしていたのは記憶に新しいところです。


『ゴー宣』はバトル漫画か? 良き理解者の意見。 | ブログ | 小林よしのり全宇宙(漫画家小林よしのり公式サイト)


「『ゴー宣』はバトル漫画か否か?」を巡る意見について | ブログ | 小林よしのり全宇宙(漫画家小林よしのり公式サイト)


私は手塚直撃世代ではなく、小学生の頃はキン肉マンと藤子不二雄、高学年になると吉田聡とヤンマガで育った少年であり、高校生になってから「たくさんの漫画家から神と崇められている手塚治虫のマンガも一応読んでみるかな」ぐらいのテンションで後追いという形で読み始めたクチなので、手塚チルドレンではないですし、熱心なフォロワーでもないので、ドクターキリコについてはそのビジュアルと「やたら安楽死させたがる闇医者」ぐらいの認識しかないので、コバ記事を読んでも「ああそんな話だったかもな」ぐらいの感じでスルーしていたことでしょう。

なので、大林批評によるツッコミがなければ気付くことはありませんでした。

それにしても「漫画の神」の作品さえ自分の主張の為にねじ曲げてしまうとか、やはりコバヨシには「マンガ愛」など微塵もないことが分かります。

この記事へのコメント

ライジング購読者:おぼっちゃまくんと学級王ヤマザキのその後
2026年01月24日 08:08
本記事への一つ前の投稿コメントで、代表の漫画は異常天才たちの永遠に変わらない日常ギャグしか得意としていないのではないか、と仮説を立てました。

そこでふと思い出したのが、同じコロコロでポスト・おぼっちゃまくん=下品な子供の日常ギャグ漫画の位置を占めた樫本学ヴ氏の学級王ヤマザキです。

おぼっちゃまくんがストーリー的な区切りを迎えることなくコロコロで一部完となり、令和に年齢容姿設定変わらず(ただし周囲の環境だけは令和のそれ)という形で復活したのは記憶に新しいところですが、ヤマザキはどうだったか。

2001年にヤマザキは世界征服の旅に出るという形で学級王としての日常ストーリーを一度終わらせた(同級生たちとの別れも描いた)。2017年にコロコロアニキで復活した社会人編では、ヤマザキの性格とギャグテイストはそのままに、ダメな社会人となったこと、家族との別れを経験したことを含め、
ギャグテイストは残しつつキャラの「変化」はきちんと描けているんですよね。
https://corocoro-news.jp/manga/315298/

日常ギャグでも、きちんと変化を描ける作品とそうでない作品の面白さの差みたいなものが両作品のその後のクオリティを別ったような気がしてなりません
ライジング購読者:代表にとっての才能と努力
2026年01月24日 00:07
本ブログで引用されたメガトンコイン氏の代表における漫画愛の
希薄さについての所見を読み、代表が事あるごとに自分を
「天才」「才能が圧倒的」と自称し、周囲の賛美を求める
理由がまだ曖昧ながらも言語化できるような気がしました。

漫画が何よりも「楽して稼ぐ手段、名声のための道具」としていた以上、
マンガ愛、クリエイターとしての努力は出来なかった。
愛も努力もない以上、そこで自分が漫画家として優れていると主張するには、(現実には時代や周囲の人々の才能に恵まれた幸運を)「生まれつきの
才能」に帰する他なかった。
そこには90年代初めまでにギャグ漫画家としておぼっちゃまくん一発で築いた名声を90年代以後の「才能があり努力もする」クールジャパン創世世代に脅かされることへの苛立ちや既得権意識みたいなものもあったのかもしれません。
そうした、「才能」頼りで「努力や変化を嫌う」志向は漫画家としての作品内容・キャラ設定にも表れていたような気がしますね。

以下、ウォッチャーのメガトンコイン氏とユーリー氏の代表の作品論

https://x.com/fxpcek/status/2006339601032691921
ライジングでドラゴンボールや
車田漫画について書いた時もそうでしたが
尊師はジャンプ系バトル漫画をチェックする際
最初から見下しフィルターをかけた状態で
見てるんですよね
こりゃ茶滅の刃は原作トッキー
画チーフ広井&ポカQですな
宇都くんはイボ空間送り?

https://x.com/iuriigeorgii/status/2006435990416798198
多分代表は「同時代の日本を舞台にした異常天才の日常ギャグ」=現実での振り切れた愚行にしか面白さを感じない。「成長と変化の物語」を信じてないし、想像してもワクワクしないのかも。ダイ大にもるろ剣にもマキバオーにもヒロアカにも同じ感想をいだくでしょう。

https://x.com/KDMCYcpefGyBUq7/status/2006439327711326586
作者が本心では成長や変化を嫌い、楽しくも変わらない日々、維持や停滞といったものを望んでいるのでは。
サザエさんやまる子の様に成長しない終わりなき物語の方が合っているのかも。

https://x.com/iuriigeorgii/status/2006485647364944078
キャラの成長を描けば日常も人間関係も変化させないといけませんからね。90年代におぼっちゃまくんも、 一部完結という未完で終わったのも、どこで話を区切るか構想出来なかったからかもしれません。
大林わるのり
2026年01月17日 19:14
大学時代の小林よしのりが漫画家になることを決意した動機が、「就職して飯を食っていくため」「手っ取り早く金を稼ぐため」だったというのは大いにあり得る可能性でしょう。

そもそも大学生だったころの小林は、その時代に流行っていた漫画をあまり熱心に読んでいませんでした。ちなみに小林は、大学時代に手塚治虫『ブラック・ジャック』を読んだと公言していますが、読者だったくせになぜか作品に対する理解がめちゃくちゃです。

小林がゴー宣で描いていた「仕事熱心な漫画家で漫画を愛している人間」という「よしりん」のキャラクター像は、嘘で塗り固められたものと見ていいでしょう。

小林は昔から漫画を愛していない人間だったと見たならば、彼の少年時代のころの回想についてもそのまま鵜呑みにするわけにはいきません。小学校のころに漫画を描いて同級生たちに見せていたとか、中学校のころに級友と漫画の同人誌を作ったとかの過去話は本当かもしれません。

しかし、高校時代のころも小林が漫画家になる夢を一貫して持ち続けている人間のように描かれていたことは、果たしてどこまで本当の話だったのだろうかと疑わざるを得ません。

なぜなら、小林は大学時代のころは漫画をろくに読んでおらず、就職のためとか金のためという動機で漫画家になることを選んだ人間だからです。高校時代のころも小林が漫画少年であり続けていたならば、もちろん大学時代でも当時流行っていた漫画を熱心に読んでいなければおかしいでしょう。

小林が高校時代の自分を、「学校を卒業した後は、石ノ森章太郎のアシスタントを経て漫画家になりたいと考えていた」と自己紹介していたことは、もしかすると読者向けの嘘なのかもしれません。

おそらく小林は、次のようなことを言いたかったのでしょう。
「少年時代のわしは、帰ってから家で漫画を描く時間を作るために難易度の低い商業高校を選んだ。当時のわしは漫画になりたいという夢を持っていて、そのために努力を重ねていたんだ」

つまり小林は、自分が学力の低い高校に通っていたことを言い訳したかったのでしょう。だから小林はゴー宣で、高校時代のころも自分は漫画少年だったかのように過去を粉飾したのかもしれません。

自分が漫画を愛していない人間であるという事実や、学歴に対してコンプレックスを持っているという事実は、小林からすれば都合が悪いので隠したかったのでしょうね。福岡商業高校卒で福岡大学卒という学歴は、小林にとっては相当なコンプレックスとなっていたことが分かります。

「わしは中学のころはあまり勉強ができなかったから、難易度の低い商業高校に通わざるを得なかった。当然ながら学力的な問題のせいで、わしの最終学歴は福岡大学卒が限界だった」
という正直な告白さえも小林にはできませんでした。

漫画愛がない劣等感まみれの人間だった小林は、自分の過去話さえも粉飾して読者たちの前で虚勢を張っていたのでしょうね。驚きだよ。悲しいことだよ。
大林わるのり
2026年01月13日 23:20
ものすごい集中力、圧倒的なパワーを出さねばならない
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/44607
>今日はペン入れする。ゴー宣293章のペン入れに大集中してわしの分は今日一日で終わらせる。

>ものすごい集中力、圧倒的なパワーを出さねばならない。血圧が高くなっても仕方あるまい。妨害する者をなぎ倒しても、描き続けるしかない。

>漫画を描くとはそういうものだ。分かったか?はい!よし、えらいぞ!

小林よしのりは今日もブログで自分の仕事熱心さを強調しています。しかしもはや分かりきった話ですが、小林がこのブログに書いている内容は何から何まで嘘です。

そもも小林は、病に倒れる前から漫画の製作をスタッフに丸投げしている人間です。しかも現在の小林は血管性認知症の影響で、ペン入れさえもまともにできる状態ではなくなっています。

だから、「ゴー宣293章のペン入れに大集中」と小林が言っているのは、どう見ても全くの嘘です。小林は昔から虚勢を張る人間であるため、彼が自分を仕事熱心な漫画家として強調しているのは裏の意図があると見るべきです。

おそらく小林は、自分は普段からろくに仕事をしていないという事実や、或いは自分は病の影響でペン入れができなくなっているという事実を隠すのに必死となっているのでしょう。

「ものすごい集中力、圧倒的なパワー」だの、「妨害する者をなぎ倒しても、描き続ける」だのと強がりを言ったところで、普段からペンを握っていない小林がこれらの台詞を唱えても説得力は皆無です。

漫画家としての仕事をろくにしていない小林には、「漫画を描くとはそういうものだ」と偉そうに説教をする資格などありません。

ちなみに「血圧が高くなっても仕方あるまい」と小林が言っていることも、もちろん単なる強がりに過ぎません。小林が降圧剤の使用をやめたならば前のように高血圧となりますが、同時に脳出血がいつ再発してもおかしくない状態となることも確実です。

医療に頼ってまで生に執着している小林が、降圧剤の使用を今さらやめることはあり得ないでしょう。小林がホラ吹きで口先だけの人間なのは今日も相変わらずのようです。
2026年01月02日 20:46
正直大林さんの批評には興味ないです。
主の批評を見たいです。