茶滅の刃
鬼滅の刃が連載終了してから早5年7ヶ月経った今、小林よしのりのスタッフが鬼滅のパロディを描いたといいます。
そのタイトルを「茶滅の刃」という。
配信から数日経っていますが、トレンド検索してもまったく引っかかることがない惨状であります。
《どうやら新作『おぼっちゃまくん』は、『鬼滅の刃』をパロディにしたエピソードになるようです。
しかし、小林名義で発表された「茶滅の刃」の話の出来は全く期待できないでしょう。
言うまでもありませんが、今の小林はギャグの才能も話作りの才能も枯れてしまっているからです。
そもそも小林は昔から自己愛や名誉欲が誰よりも強いくせに、他の漫画家が描いた作品には興味がない人間です。このことは小林が鳥山明の死を嘲笑した事実からも明らかです。
おそらく小林は『鬼滅の刃』という作品に何も思い入れもないくせに、世間で流行っているから適当にパロディ化してやろうとでも考えたのでしょう。
それでもって小林はシナリオ代筆を担当している時浦に、「『鬼滅の刃』をパロディ化して茶魔の話を作ってくれ」と頼んだのかもしれません。
何しろ小林名義で発表されているゴー宣は、今ではシナリオが時浦代筆で、ペン入れがスタッフに丸投げされている状態ですからね。
「茶滅の刃」でも作画は手抜きに近い状態で描かれたようです。小林がスタッフに漫画の製作を丸投げし、スタッフたちも惰性で作品を描いている結果が今の惨状なのでしょう。
遊び呆けて仕事に不熱心な原作者の下で働いている時点で、スタッフもあまりやる気が出ないのは無理もありません。
私はこの「茶滅の刃」の絵に対しては、「どう見ても手抜きだ」という感想だけではなく、別の形でも違和感を覚えました。
「作中の登場人物は原作の絵とそっくりに描けているけど、原作者が醸し出している作家性はないな」
というのが絵柄に対する私の感想です。
「茶滅の刃」で描かれた茶魔語のシーンでさえ、別の人が旧作『おぼっちゃまくん』とそっくりな絵を描いて作風を真似しているだけのように私は感じました。例えるならば、山田康雄が演じたルパン三世を知っている人が、クリカンが演じるルパン三世に違和感を抱いてしまうようなものです。
そもそも小林がアシスタントに作画を丸投げしてしまった時点で、新作『おぼっちゃまくん』の絵柄が旧作そっくりだけど作家性がないパチモンにしかなれなかったのは当然なのかもしれません。
原作者がスタッフに話作りも作画も丸投げしてしまった新作『おぼっちゃまくん』は、漫画作品としての「魂」を失ってゾンビ化してしまった作品と言えるでしょう。
新作『おぼっちゃまくん』の最新エピソードで『鬼滅の刃』のパロディを行うことに対して、時浦は必死で言い訳をしているようです。
新作『おぼっちゃまくん』が第2話で映画『岸辺露伴は動かない 懺悔室』をパクったことからも分かるように、今の小林はオリジナルな物語を作る能力が完全に欠落しています。
漫画家としてストーリー漫画を生み出すためのアイデアが枯渇してしまった小林は、他人の作品の内容をパクらないと話を作ることさえもできなくなりました。
それどころか新作『おぼっちゃまくん』でさえも、話のアイデアは小林が思いつき、時浦がシナリオを執筆するという形になっている可能性があるでしょう。
『鬼滅の刃』がアニメ映画としてヒットしていることを知って、小林は作品のパロディ化を思いついたのでしょう。しかし、『鬼滅の刃』の原作漫画は数年前に連載を終了しているため、小林が今さら同作に便乗しようとするのは周回遅れと見られても仕方がありません。
商業誌でストーリー漫画家として勝負することを怠り続けた結果、小林は最新の漫画のトレンドを追いかける能力が欠落してしまいました。今の小林は、「いつでも最新の話題作を取り入れられる」「常にその時その時の話題に関心を持ち、その感性を取り入れている」とはどう見ても程遠い人間です。
オリジナルな話を作ることができず、世の中の動きを追いかける力さえも失った小林は、漫画家としてはもはや化石に等しい存在となってしまいました。
では、今の小林よしのりは原稿用紙にペン入れができる状態なのでしょうか。私はそうは思えません。
現在の小林マンガの絵柄を見ていると、小林はペン入れには全く関わっていない可能性が高いでしょう。小林は倒れる前からゴー宣のシナリオ執筆やペン入れをスタッフに丸投げしてきた、という疑惑はグレーどころか真っ黒だったと決めつけてもいいでしょう。下手をすると、今の小林は原稿用紙に下書きをできているのかどうかさえも私は疑ってしまいます。
しかし小林は、病の影響で自身の仕事に支障が出ていることを隠すために、ブログで「わしのペン入れ」「シナリオ・コンテに着手」と強調しています。
一体小林はいつまで嘘をつき続けるつもりなのでしょうか。小林がシナリオやペン入れをスタッフに丸投げし、自分名義で作品を発表して読者を騙しているのは良くありません。
小林が病の影響で漫画を描くことさえもできなくなったのならば、漫画家として引き際を考えることも検討するべきでしょう。
或いは小林が監修者に徹して、別の漫画家が『おぼっちゃまくん』のスピンオフを描かせるやり方を検討してもいいはずです。別の漫画家が手掛けたスピンオフであっても、うまくいけば『おぼっちゃまくん』というコンテンツを別の形で生かすことができるでしょう。》(大林わるのりさん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/519265175.html
https://washiblogact3.seesaa.net/article/519403976.html
https://washiblogact3.seesaa.net/article/519442984.html
大林批評にある通り、もはややり尽くされた感のある鬼滅パロディを今このタイミングでやるこっ恥ずかしさに真っ当なマンガ読みならば共感性羞恥を覚えることでしょう。
マンガ連載終了から5年経ち、大ヒットした劇場版無限列車編からも5年経った今この時、古くもないが最新でもないこのタイミングでのパロディ化は普通にキッツイでしょう。
しかも鬼滅パロディはあらゆる方面からコスられまくったネタであり、そのどれともカブらずにまったく新しいパロディを作るなんてかなりハードルが高く、プロの作家がおいそれと手を出せるものではありません。それをやる時点で小林はもはやプロのマンガ家とは言えません。
いや、実際に誰もやったことがないような鬼滅パロディを産み出したというのならば、話は別です。
しかし案の定、発表したマンガはアマチュアの2次創作を遥かに下回る、小学生のカベ新聞の4コママンガ以下の仕上がりです。ある意味で、誰もやったことのないものですが…
また、今回の作画について、「まるでクリカンルパンやんけ。私たち昭和50年男はCV:山田康雄じゃなきゃルパンと認めらんねーぜ」という大林批評については反論の余地もないでしょう。
おそらくは古参アシスタントである岡田氏(通称ポカQ)がてんとう虫コミックスをペンタブの横に置いて模写したのでしょう。
コマからコマの繋がりがまるでなく、地獄のようにつまらない一発ギャグを描いてクソすべるという救いようのないありさま。
とても作品とは呼べないようなコレをシンパはベタ褒めしているのですから、可哀想なのは小林よしのりその人です。
ただ、この茶滅とやらについて、パクリだと断じてしまう意見には私は与しません。
前のジョジョのやつについてパクってると指摘したのは、パロディの要件を満たしていなかったからです。
元ネタを分からないように、まるで自ら考えたアイディアのように描いていたから、「いや設定をジョジョから盗んでるじゃねぇかよ!」とツッコミを入れたわけであり、今回のは単に出来の悪いパロディです。
まあパロディと呼ぶのも烏滸がましく、ゆるく設定だけを模倣した借景マンガに過ぎないのですが、広義としてはパロディに属するものなので、パクリと批判するのは言い過ぎでしょう。
それにしても作画スタッフのやる気のなさがマジで酷すぎて引きます。
↑大富豪の食卓にはとても見えない雑な絵。
これにオッケーを出す小林よしのりの目は間違いなく節穴。
この記事へのコメント
次回の「おぼっちゃまくん」、面白いアイデアが出た
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/44819
>神功皇后論の反響が凄くて、感想がやたら面白い。トッキーは、感想をブログで紹介してくれ。
「愛子天皇への道」の掲示板で門下生たちが『神功皇后論』をべた褒めしている光景を見て、小林は喜んでいるようです。いつも承認欲求に苦しんでいる小林からすれば、シンパたちが自分を褒めてくれるのはさぞ気持ちがいいのでしょう。
しかしながら、小林がイエスマンたちの賛美の声しか聞かなくなったことは、漫画家や言論人としての成長が止まってしまうことにつながった一因でもありました。
シンパたちがいついかなる時であっても小林をチヤホヤしたしたことは、自分が応援する作家(漫画家・言論人)を甘やかして堕落させてしまう行為でもあったと言えます。
一方で、小林の姿勢にも問題がありました。ファンでありながらも自分を厳しく批判してくれた読者たちの声を、小林は全く聞こうとしなかったからです。シンパたちにチヤホヤされて浮かれている晩年の小林は、どう見ても裸の王様と化してしまった人間にしか見えません。
神功皇后の胆力に驚嘆!神功皇后論『羽白熊鷲・愛郷心と恋心』感想ご紹介!【ネタバレあり!】
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/44826
小林の意向を受けて、時浦がシンパたちによる『神功皇后論』の感想文を紹介しています。
ゴー宣DOJOの門下生たちは盲目的な小林狂信者であるため、漫画作品を客観的に評価できる一般人の視点は持っていません。シンパたちが小林の言論漫画やストーリー漫画を褒めているのは、「小林先生が描いた作品だから」という理由です。
狂信的な小林信仰に陥って思考停止してしまったシンパたちは、「小林先生が手掛けた作品ならば、どんなものであっても傑作に決まっている」という基準でしか作品を評価することができなくなっています。
しかも問題なのは、現在の小林は漫画家としての才能が枯れている上に、肝心の創作活動をスタッフ任せにしているということです。
今の小林は、スタッフに創作活動を丸投げしておいて、自分が原作者であるかのようにシンパたちを騙しています。小林がやっていることは、漫画家としてファンを欺く裏切り行為に他なりません。
それにしても創作をスタッフ任せにして自分が描いていない作品を褒められて、小林は何が嬉しいのでしょうか。「シンパたちが『小林よしのり』という名前を褒めている」という理由で小林が気持ち良くなっているならば、漫画家としては堕落の極みでしかありません。
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/44477
>今年最初の神功皇后論!『ゴーマニズム宣言 神功皇后論』掲載SPA!1月13日・20日合併号、本日発売!!今回は第290章(『神功皇后論』は第20回)『呪術決戦』
小林名義の絵解き漫画『神功皇后論』は、とあるエピソードのタイトルを「呪術決戦」と名付けたようです。この「呪術決戦」という題名は、芥見下々のバトル漫画『呪術廻戦』と名前がよく似ています。
「呪術決戦」が『呪術廻戦』とタイトル名が似ているのは、果たして偶然の一致なのでしょうか。それにしては、最近の小林漫画は他の作品からのパクリやパロディに頼る傾向が目立っているようです。
新作『おぼっちゃまくん』では、『岸辺露伴は動かない 懺悔室』をパクった話が描かれたり、『鬼滅の刃』をパロディ化した「茶滅の刃」が描かれたことがありました。
小林か或いはスタッフが、『呪術廻戦』を意識して「呪術決戦」というエピソード名にした可能性は当然あり得るでしょう。しかし小林やスタッフは、『呪術廻戦』に対する敬意を持っているようには見えません。
そもそも小林は歪んだ嫉妬心が動機となって、世間で売れているバトル漫画を一方的に見下している人間です。また、よしりん企画のスタッフたちは惰性で創作活動を続けている状態にすっかり慣れてしまっています。
おそらく小林スタッフの誰かが、「『呪術廻戦』は有名な作品だから、題名を真似してやろう」と安易に考えて「呪術決戦」のタイトル名を思いついたのでしょう。
今の小林は創作活動に関わっている状態ではないため、「呪術決戦」というエピソード名の名付け親が誰なのかは私には分かりません。仮に小林が「呪術決戦」の名付け親だったのならば、私は以下のような突っ込みをしたくなります。
「確か小林は、ジャンプのバトル漫画を見下していた人間のはずだ。それなのに小林は、ジャンプの看板作品だったバトル漫画からタイトルをもじって自作のエピソード名としてわざわざ使うのか。創作者として恥ずかしくないのか」
まあ、他の作品のタイトルをもじった物語を作ったとしても、その作品が面白いのならば別に問題はありません。もちろん有名な名作をパロディ化した物語であっても、その作品が面白ければ世間の人たちは評価してくれます。
例えば筒井康隆は、小林多喜二『蟹工船』をもじったタイトル名の小説『蟹甲癬』や、小松左京『日本沈没』をパロディ化した小説『日本以外全部沈没』を発表しています。
筒井の『蟹甲癬』や『日本以外全部沈没』はパロディとして読者たちから許されていますし、作品自体も小説としての面白さが感じられるものとなっています。
一方で今の小林は筒井康隆と違って、他の作品をパロディ化しても面白い物語を作ることができていません。他の作品に対する敬意を失い、惰性で創作活動をしているのが今の小林とスタッフたちの体たらくです。彼らの仕事の姿勢には、漫画に対する愛が微塵も感じられません。
でも、残念なのは「オレは興味ない、どうでもいい、誰でもいい」って言ってること 本音だとしてもわざわざ言う必要なくないですか?読む側は皇室について語るなら興味あるから語ってると思いますし、「どうでもいいんだけどさ」なんて態度で書かれたブログは読んでる人には不快ですよ 単に小林よしのりの悪口言うのが目的のように見えてしまう 言ってることが論理的でも正しいこと言ってても、「どうでもいいんだけどさ、興味ないけどさ、誰でもいいんだけどさ」なんて書いてあったら台無しですよ