君は奴隷商人痴皇を知っているか?
小林は「わしの民主主義は良い民主主義。わしの全体主義は良い全体主義」という考え方をする人であり、その考え方が根本にあるので、そもそもが議論が出来るわけもなく、話が通じるわけもありません。
そのことは以下の大林批評からも良く分かります。
《小林が「100%全体主義の国論なんて、日本ではあり得ない」と言っているのは、まさにその通りです。そうであるならば高市政権支持が多数派である世論を、小林が「全体主義」と呼んでいるのは何なのかということになります。
一方で、小林は女性天皇支持が世論の9割であることを強調し、多数決の正しさを主張しています。しかし小林が嫌っている高市政権が高支持率を保っていることもまた事実です。
小林のように多数決を認めてしまうと、高市政権支持が多数派だから、政権不支持の人たちが「無視されることはめでたいことである」と言う理屈になってしまします。多数派となった主張がとにかく正しいから、少数派の意見を無視しろという小林の姿勢こそが全体主義に当てはまっています。
そもそも小林は、「全体主義」と「民主主義」の単語を自分に都合よく解釈して言論活動をしてきた人間です。自分の意見に反対する人たちを「全体主義」「ファシズム」「スターリニズム」と決めつけて罵倒していたのが、ゴー宣で小林がよく使っていた手口でした。また、小林はゴー宣が読者たちから支持されていることを「民主主義」として正当化していました。
その一方で小林は保守主義者を気取り、民主主義に対して否定的な言説を唱えていたこともありました。民主主義に対しても、自分の都合で肯定と否定を使い分けていたのが小林の言論の手口でした。》(大林わるのりさん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/519084123.html
どうして、コバヨシはこのような卑劣な単純馬鹿になったのか、そのことを知るには過去の小林マンガについて考察することで見えてくると思います。
ということで、引き続き大林批評の小林マンガ考察です。
《少年時代のころの私は小林よしのりのことを誰よりも尊敬していましたし、彼がゴー宣で自分を弱者の味方で情の人であるかのように演じていたのを信じ切っていました。
特に高校時代に学校でいじめに遭っていたころの私は、小林のゴー宣が心の支えになっていました。弱者であった私は、「弱者のための絶対強者になりたい」という小林の言葉を信じてしまいました。
オウムに狙われたという武勇伝を小林が強調していたこともあり、ファン時代の私は彼のことをいつも巨悪と戦い続ける勇者であるかのように見なしてしまいました。
少年時代のころの私は、小林の言葉や生き方から勇気をもらっていたおかげで学校生活を送ることができていました。
喘息に苦しんでいた小林が両親から突き放されて育ったエピソードも、少年時代の私の琴線に触れるものでした。家族から虐待された過去がある私は、小林が虐待サバイバーであったことも彼に共感できた理由の一つでした。
ファン時代のころの私は小林のことを、喘息の過去や虐待の過去を克服し、漫画家になる夢を叶えて個の確立ができた逞しい人であるかのように見てしまいました。
大学に入って以降の私は、尊敬する小林が教えてくれた主張を補強するために勉強を重ねていきましたが、そうなると小林思想に違和感を感じてしまうのは不可避でした。しかし大学時代のころの私は、小林がゴー宣で唱えていた主張を完全に否定することはできていませんでした。
ゴー宣の熱心なファンだった私が、小林のゴー宣に漫画作品として「あれ?」と違和感を感じ始めたのは『平成攘夷論』に対してでした。当時の私は政治思想的には小林と近かったのですが、『平成攘夷論』で描かれた章が過去の作品の採録や切り貼りばかりであったことには違和感を覚えました。
『平成攘夷論』をきっかけに、私は小林のゴー宣に対して漫画作品としての面白さを感じなくなっていきました。私にとって小林のゴー宣は、他の学習漫画と同じような絵解き漫画にしか見えなくなったのです。しかし当時の私は小林のことを、漫画家としてよりも言論人として認めようとしていました。
2009年ごろの小林が『おぼっちゃまくん』をパチンコ化したという話に対しても、「あれ?」という違和感を覚えました。しかしそれでも私は、小林のことを信じようという気持ちを捨てることができませんでした。
小林が『WiLL』で本家ゴー宣を連載していた時も、所々で彼の主張に違和感を覚えていましたが、それでもファンをやめることはできませんでした。
ゴー宣ファンをやめ、これまで小林が言ってきた主張の真贋を一から確かめ直す作業は私にとっては苦痛でした。しかし、小林思想と決別をしたことは、私が自分の頭でものを考えることのきっかけになりました。》(大林わるのりさん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/519585372.html
上に紹介した自己言及型考察を読んでいて、幽☆遊☆白書の終盤に登場した軀(むくろ)というキャラクターのエピソードが頭に浮かんだのは私だけでしょうか。
コバヨシと痴皇があまりにフィット、完全一致してて笑ってしまいました。
冨樫義博「幽☆遊☆白書」はあまりに有名な作品なので、そのエピソードについての説明は省かせていただきますが、幽白未読の方は「幽白 むくろ 奴隷商人」で検索していただけたら、そのエピについての説明や解説や考察が山ほど出てくると思いますので、各々存分に調べてみてください。そうすることによって幽白という沼にハマってしまうことでしょう。
面白いマンガってそうして発見されては延々と読者を増やし続けるものなのかなと愚考したりしなかったり。
ともあれ、毒親に酷い虐待を受けて育った人がそれでも「どんな親でも親は親」という世間の風潮に苦しみ、また時折きまぐれに優しくされた記憶をよすがにしたり、一応は育ててくれたという事実があるのだから感謝すべきなのかと悩んだり、憎しみの感情を抱く自分は歪んだ人間であると思い込んで自己嫌悪に陥るという話と似ていて、何かを断ち切るというのはなかなかに難しいことなのだと改めて思わされました。
さて、大林批評による小林マンガ考察をもう一つ。
《そもそも小林の漫画が売れていないのは、彼自身の仕事のあり方に問題があったからです。
末永直海がよしりん企画を退職して以降の小林は、一時は右派論壇の寵児になることはできたものの、ストーリー漫画家としてはすっかり過去の人となってしまいました。
言論系の絵解き漫画の仕事が本業となり、商業誌でストーリー漫画を描くことを怠っていたせいで小林は漫画家としての能力が劣化してしまいました。
面白いストーリー漫画を描くために、技術を磨いたり他の物語から学ぶことをしなかった小林は、自己満足で作品を描く人間となりました。
ストーリー漫画家としての仕事をろくにしていない上に、たまに雑誌で連載する漫画が駄作だった人間を、果たして業界が相手にしてくれるのでしょうか。
小林が現在でも本当に漫画家として面白いものを描ける人間であるならば、例の漫画ブックに掲載した新作でさえ宣伝なしでも世間の話題になることができるはずです。
今の小林が、出版社や雑誌や編集者からどういう評判で見られているかは察するに余りあります。
小林が漫画家として出版社や編集者や同業者との広い人脈を作れなかったのは、彼自身に問題があったためと見られても仕方がありません。
例の漫画ブックが大コケしたことは、小林がストーリー漫画家として完全に終わったという事実を物語っています。》(大林わるのりさん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/518981893.html
上の批評についてはおおむね同意です。
ただちょっと気になるところがあり、「ストーリー漫画家としてはすっかり過去の人となってしまいました」というのと、「例の漫画ブックが大コケしたことは、小林がストーリー漫画家として完全に終わったという事実を物語っています」というくだりに、うんうんと頷きつつ、同時に「ううん?」と首を捻ってしまいました。
果たして、コバヨシは「ストーリー漫画家」として、過去の人になってしまったのか。また、noteの「漫画ブック」なるアカウントがさほど反響もなく、まったく売れる気配も見せないのは、「ストーリー漫画家」として完全に終わったからなのか。
そもそも論として、コバは過去にストーリー漫画家として評価されたことがあるのか問題とストーリー漫画家として始まったことがあるのか問題があるような気がしないでもないです。
ゴー宣の中で小林は自分はヒット作を生み出す作家として描いていましたので、読者はなんとなくそうなんだと思いがちですが、実際には小林マンガを知っている人は少なくて、「いや昔おぼっちゃまくんってマンガがあったじゃん?」なんて説明をしても少し間があって「あーあーあーあー、あの後ろ半分裸で尻丸出しのやつねー。あったねそんなのー、なつかしー」という反応がある程度の知名度であり、そんな反応を示すのも40代〜50代あたりの人たちからのみで、他の世代にはまるで知られておらず、つまりはストーリー漫画家として終わるもなにもであるし、ヒットしたとされる「東大一直線」と「おぼっちゃまくん」を果たしてストーリー漫画とカテゴライズして良いのか、ストーリー漫画として評価されているのか、という問題も発生します。
私も読者であったのでそこを錯覚して、小林のことをマンガ家として過大評価してしまいがちなので、そこは一旦立ち止まり、世間評に耳を傾けて再考する必要があることを痛感しているところです。
さて、今回はここまでとします。
次回は小林が鬼滅の刃をパロディにした件について考察したいと思います。
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