女なら戦争は起こすまいと思っていたのが馬鹿だった

女なら戦争は起こすまいと思っていたのが馬鹿だった | ゴー宣DOJO

《女性首相は失敗だった。女なら戦争は起こすまいと思っていたのが馬鹿だった。》


どこの世界に「女が首相になったら戦争はしない」なんて思うマヌケがいるのでしょうか。

そんなあからさまな属性差別をする奴は小林よしのりぐらいでしょう。


山尾志桜里の演説で佐高信が号泣 | ゴー宣DOJO

《山尾志桜里の聡明さと、明るさは本当に凄い。あれほど頭がいいのに、庶民的で情が深い。単なる偏差値が高いだけの秀才女は、エリート臭がぷんぷんにおう漫画みたいな奴ばかりだが、山尾氏は目線が徹底的に庶民のところまで降りてくる。自分の賢さを国家国民のために活かすことを覚悟している。こういう人物こそが日本初の女性総理になるべきなのだ。》


なにしろ、小林は女性が天皇になっただけで、日本の諸問題はすべて好転するという属性差別をするマヌケなのですからね。


日本国民の運命を変えよう! | ゴー宣DOJO

《愛子さまが皇太子になれば、女性の地位向上にも必ず影響を及ぼす。

あまりにも不穏な世界の情勢を見て、翻って日本の活力の衰退を眺めれば、希望の灯りは愛子天皇にしかない。》


仮に敬宮内親王が皇位を継いだとして、経済が特に上向くこともなく、他国との緊張関係が続いた場合、小林は何の責任も取らずに「女性天皇は失敗だった。女なら希望の灯りになると思っていたのが馬鹿だった。」と吐き捨て、お仲間と皇室バッシングでも始めるのが関の山でしょう。


小林たちは自らの判断で山尾志桜里の選挙応援をしたにも関わらず、山尾から属性差別をたしなめられた事を逆恨みして、山尾叩きを本格化させました。


男系派を愛国者というネトウヨに堕ちた山尾志桜里 | ゴー宣DOJO

《愛子天皇支持者はネトウヨ山尾を批判しています。

発言するたびにバカが露呈していく、かつてないバカ女・高市早苗はさっさと首相を辞めろ!

バカ女の失言のために、国民を危機にさらすな!

バカ女・高市早苗を擁護する山尾志桜里もガンガン批判します!》


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https://x.com/handdddan/status/1998736617314369960?s=46&t=KtUK2XEOGqno6mJtKNAi8A



《10月のDOJOのゲストたちへ募らせた恨みはとうとう山尾氏への公式絶縁宣言にまで発展したようです。

自分で公論を紡ぐことの出来ない総合Pによる下働きたちの「便所の落書き」爆弾にも呆れますが、自ら正面から批判しない代表の姑息さや認知能力の衰えに、ついにここまで「堕ちて」しまったんだなぁ……と言わざるを得ません。》(ライジング購読者さん)

https://washiblogact3.seesaa.net/article/519427219.html


《ゴー宣DOJOは、今年(2025年)の参院選で熱心に応援をした山尾志桜里とも遂に決別をしたようです。

ちぇぶが山尾を批判する内容のブログを書いたのは、小林よしのりの意向とも一致しているでしょうね。

なぜなら小林は、ゴー宣DOJOのイベントで山尾に言い返せなかったことを未だに根に持っているからです。

ゴー宣DOJOの門下生たちもまた親山尾から反山尾へと意見がコロッと変わりました。

独裁者・小林と意見が異なる人間を門下生たちが一斉に罵倒する様子はまるで全体主義そのものとしか言いようがありません。

全体主義の組織は独裁者の声が絶対であり、異論に対するリスペクトは初めから存在していません。少しでも意見が違う相手に対しては全否定で臨むのが、小林やゴー宣DOJOの特徴です。

自分たちと立場が違う人間を「悪」と決めつけて論破ごっこをしてきたゴー宣DOJOの人たちは、異なる意見や手段を認める気など最初からないのでしょう。》(大林わるのりさん)

https://washiblogact3.seesaa.net/article/518938511.html

この記事へのコメント

大林わるのり
2026年01月20日 21:17
なぜ世界大戦は近づいたのか?
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/44798
>山尾志桜里氏はトランプのベネズエラ攻撃を明確には否定しない。「ベネズエラにおける対話、選挙、非武装の抗議という国民の長年の自助努力は、マドゥロ政権による拷問・殺害・身柄拘束といった『国際法違反の圧政パッケージ』によって徹底的に弾圧されてきました」
>「選挙も機能しない恐怖政治で苦しむ国民に、結果として局面転換の可能性を開いた今回の作戦に対し、国際法違反の非難だけをコメントする気にはなれないのが正直な気持ちです」
(中略)
>山尾志桜里氏はネトウヨの言い分と大して変わらなくなっているのだ。

確かに山尾志桜里の主張には問題があります。山尾が言っていることは、イラク戦争のころにアメリカの侵略を支持した人たちの理屈とそっくりです。

かつてのイラクでフセイン大統領が行っていた圧政は、「国際法違反の圧政パッケージ」と言われても仕方がないものでした。フセイン政権がクルド住民を化学兵器で殺害したことは、まさしく国際法違反に当てはまっています。

しかし、アメリカがイラクに侵略をして現地の政権を転覆させたことは、明らかに国際法に違反するものです。アメリカによるイラク侵略は批判されて当然です。

確かに、マドゥロ政権がベネズエラで行っていた数々の圧政は批判されても無理もありません。しかし、アメリカによるベネズエラへの武力行使は、国連安保理による決議がないまま実施されたものです。

当然ながら、アメリカがベネズエラに一方的に攻め込んでマドゥロ政権を倒したことは、国連憲章で定められた内政不干渉の原則に反しています。

どんな場合であっても、ある国が他国に攻め込んで現地の指導者を拉致するという暴挙は決して許されません。今回のアメリカの軍事行動に対しては、「もしも日本がベネズエラのような目に遭ったら」という形で考えてみるべきです。

例えるならば、中国の人民解放軍が日本列島を制圧し、首相夫妻や天皇・皇后両陛下を拉致するというケースがそうでしょう。しかも中国政府がこの暴挙を、「天皇制ファシズムによる抑圧から日本を解放し、日本人民に真の民主主義を与えるためにやった」と居直るようなものです。

そもそもトランプ政権がベネズエラに対してこれからやろうとしていることは、圧政からの解放として評価できるものではありません。トランプ政権の狙いとは、「アメリカがベネズエラを属国化して石油資源を奪取するため」という可能性が高いでしょう。

山尾がアメリカのベネズエラ侵攻に対して、「国際法違反の非難だけをコメントする気にはなれない」と言っていることに対しては、私は違和感を感じます。山尾の言説は、アメリカの侵略行為とベネズエラで行われた圧政を「どっちもどっち」と評しているようなものです。

とはいえ、今の小林には山尾の主張を批判する資格があるのでしょうか。なぜなら小林は、アメリカのベネズエラ侵略に対して当初は「国際法は無意味」と言っていたからです。

国際法が無意味であるならば、アメリカによるベネズエラ侵略を批判するための論拠は失われることになります。「国際法は無意味」と言っていた小林が、アメリカにによるベネズエラ侵略を国際法違反と批判するのはおかしいでしょう。

「国際法は無意味」の立場に立つならば、アメリカによるベネズエラ侵略を強い態度で批判できない山尾に対しても、国際法の意義という視点からの反論はできなくなります。

それどころか小林は、自らの身勝手な逆恨みのせいで山尾と決別した人間でもあります。ゴー宣DOJOのイベントで山尾に反論できなかったことの悔しさを、小林は今も引きずっているのです。

小林がブログで山尾を批判しているのは、彼女に対する個人的な恨みが動機になっているからに過ぎません。今の小林がどんなに山尾を批判したところで、私からすればしらけた気持ちしか感じません。
大林わるのり
2025年12月18日 21:04
皇統問題の核心を突く政治家がついに現れた
https://www.gosen-dojo.com/blog/59059/

小林よしのりは言論人として長い間仕事をしてきたにも関わらず、政治に対する発言はいつも迷走が続いています。

今年(2025年)の小林の政治に対する発言は今まで以上にひどいものでした。山尾志桜里に対する選挙応援とその後の決別、参政党に対する評価の揺れ動き、玉木首相誕生は「時勢」と予測する逆神っぷり、さらには高市首相への属性差別発言など、小林による政治への発言は迷走が目立っていました。

小林が政治音痴な人間になったのは、ブレーンの時浦に言論活動を丸投げし続けたせいで勉強不足となった影響もあるでしょう。また、小林は受け狙いで逆張り発言をする人間であるため、主張がぶれ続けてしまうという影響もあります。

それだけではなく、小林が政治音痴となった決定的な原因は、愛子天皇の実現ありきが政治や政治家に対する評価の基準となっている影響が何よりも大きいでしょう。小林と同じく大隊長まーや大須賀もまた、愛子天皇の実現ありきでしか政治や政治家を評価することができないようです。

小林が多ケ谷亮議員の質問主意書をべた褒めしているのは、皇統問題で自分と意見が一致しているからです。女系天皇実現ありきでしか物事を考えられない小林は、場合によっては左派政党のれいわ新選組の議員さえも評価できるようです。

そもそも小林からすれば、愛子天皇実現という夢を実現してくれるならば政治家は誰でもいいのでしょう。小林が小泉進次郎首相待望論を唱えたのも、一時は参政党にすり寄ったのも、「もしかすると愛子天皇を実現させてくれるかもしれない」という根拠のない期待を抱いてしまったからです。

「わしは皇統問題が最重要だから、あとの政治問題は二の次だ」と言っていることから分かるように、小林にとっては皇統問題以外の政治の話題など本当はどうでもいいのでしょう。

政治家が「女系天皇実現」を旗印にしている人間であるならば、小林にとっては経済政策などどうでもいいわけです。小林は消費税支持で財政拡張に批判的であるにも関わらず、女系天皇実現ありきのためなら「たがや亮議員の主張なら、消費税ゼロも聞いてみたっていい」と平気で言える人間です。

小林が高市首相の外交政策を批判しているのはいつも通りの逆張りに過ぎないわけであり、彼は本心では「皇統問題が最重要だから外交や国防などどうでもいい」と思っているのでしょう。

また、小林が多ケ谷亮議員を褒めているのは、いつか直接会って箔付けのために利用したいという気持ちもあるのかもしれません。小林はいつも承認欲求に飢えている人間である上に、他人のことを自分が利用するための道具として見ている人間でもあるからです。

小林が女系天皇実現ありきという妄執にとらわれている背景には、愛子さまに対する狂信的な崇拝が根底にあります。何しろ小林は、愛子さまが天皇に即位すれば日本国内の諸問題は何もかも良くなるという神がかり的な妄想を信じている人間です。

神がかり的な妄想を信じ込んで狂気に陥った小林は、愛子天皇実現ありきでしか政治や政治家を評価できなくなりました。狂気の人となった小林の政治評論を何も疑わずに信じ込むシンパたちもまた、別の意味で狂気に陥っていると言えるのかもしれません。
大林わるのり
2025年12月14日 15:42
サナ活とネトウヨと「自分探し」
https://www.gosen-dojo.com/blog/58888/

小林一派が敵と見なした相手を批判している内容というのは、どういうわけか彼ら自身の特徴を投影したものとなっています。大須賀は、高市早苗と支持者たちやネトウヨのことを「自分探し」の亜種と言っていますが、この批判はどう見ても小林一派たちにこそ当てはまっています。

自分探しをしていた純粋まっすぐ君たちを引き付けたのが、小林が描いていたゴー宣での断定口調だったのでしょう。小林の思いつきによる断言と反権力パフォーマンスは、ゴー宣読者たちにとってはガス抜きの効果がありました。

作中で虚勢を張って自分を強そうに見せていた小林に対し、頼もしさを感じてしまった読者もおそらくいるでしょう。また、作中で自分を粉飾して美化していた小林に対し、憧れを抱いてしまった読者もおそらくいるでしょう。恥ずかしい話ですが、少年時代のころの私がまさにそうでした。

小林の発する言葉に身をゆだねて思考停止してしまったなれの果てが、今のゴー宣DOJOの門下生たちの姿です。

大須賀が指摘している「高度にパッケージングされた「愛国しぐさ(=ネトウヨ性)」」といえば、小林の代表作『戦争論』はその役割を果たした著書であったと言えます。かつての2ちゃんねるのネトウヨたちの言説のフォーマットは、小林の著書によって提供されたものだからです。

小林の『戦争論』を聖典扱いしているゴー宣DOJO門下生たちは、自分たちこそがネトウヨの典型であることにまだ気付いていません。大須賀もそうですが、小林一派は自分のことを客観視することが苦手な人が多いようです。

マニュアルやチェックシート的な「正解」をお題目にしていれば愛国者として承認される、という大須賀の指摘は小林信者たちに対してこそ当てはまっています。今のゴー宣DOJOがまさにそうです。

ゴー宣DOJOの門下生たちは、小林が唱える言葉をマニュアルやチェックシート的な「正解」に当てはめて思考停止しています。今の小林一派は、「愛子天皇実現」という小林が提供してくれた「正解」ありきでしかものを考えることができません。

さらに、「インスタントに「推す」だけで自分アゲのできる格好の対象」とは、小林信者にとっての小林よしのりやゴー宣がまさにそうであると言えます。

「小林先生は論破王であり賢くて偉い存在だから、小林先生を支持している私たちも賢くて偉いんだ」
という歪んだ選民思想は、ゴー宣読者を一種の小林狂信者へと変えてしまいました。

大須賀は高市早苗のことを、「典型的な「自分探し型」であり、同時に「マニュアル型」人間である」と言っています。しかしながら、大須賀のこの指摘はむしろ小林信者にこそ当てはまっていますし、小林自身に対しても当てはまっていると言えるでしょう。

承認欲求に絶えず苦しめられている小林の生き方は、どう見ても「自分探し型」に当てはまっています。また、西部邁が唱える言説や右派文化人たちの歴史観をコピーして保守論客を演じていた小林は、パクリに頼る「マニュアル型」人間でもあったとも言えるでしょう。

小林信者の大須賀が「自分探し」に対する分析を偉そうに書いているのは、まるで自己紹介の文章のように読めてしまいます。