高市全体主義への戦いの幕開けだ!

血管性認知症が深刻な状態にある元マンガ家小林よしのりさん(通称コバヨシ)が先日描いた絵について、数少ないゴー宣カルトウォッチャーの間では特に衝撃が走るわけでもなく、「でしょうね」という反応しかありませんでした。

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近年のコバヨシの活動を追っていない人は「脳梗塞の影響」と勘違いして、それでも表現者として頑張って復帰しようとしていると感動している向きもありますが、そもそも「脳梗塞」は誤報であり、「脳出血により認知症が進行した」というのが正解です。

更にコバヨシはマンガ家としては元々一切頑張っておりません。

それが証拠に今週の週刊SPA!に掲載された小林名義の連載マンガは、以前と何ら変わらぬ凡庸な絵解きマンガであり、血管性認知症の影響を一切感じさせないものでした。それはつまり認知症になる前から小林が執筆に関わっていないことの証明になります。

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主要キャラクターの絵が渋谷区松濤美術館で描いた絵と似たような震えた線で描かれていたのならば、「病いを押して頑張る作家」として涙することも出来ましたが、やはり構成・時浦兼、作画・チーフ広井&岡田せいやんという指摘に間違いはなかったようです。

その作画チームは広井が病欠する事態になったようで、今後は時浦原作岡田作画の小林よしりん作品にシンパは金を払うことになるようです。


さて、マンガ家としては血管性認知症になる以前から終わっていたコバヨシですが、血管性認知症が進行した現在のコバヨシは右派言論人としても末期を迎えているようです。


高市全体主義への戦いの幕開けだ! | ゴー宣DOJO

《日本初の女性首相が誕生した途端に中国との喧嘩状態。

日本はかつて中国を侵略したという史実すら知らない無知が、さな活ミーハーには多いだろう。

わしは違う歴史観を持っているが、せいぜい歴史教科書に記述された内容くらい知っておいて欲しいものだ。

加害者の分際で被害者ぶって、中国が横暴だと毅然と振る舞っても滑稽なだけだ。》


このコバヨシの厚顔無恥なブログ記事について、大林批評では次のようにツッコミを入れています。


《そもそも小林よしのりはその時その時で逆張りと変節を繰り返してきた人間であるため、主張には一貫性がありません。右派と左派のいいとこどりをしたコウモリ派言論人となったものの、自分は『戦争論』のころからブレていないというポーズを演じてきたのが2010年代以降の小林でした。

小林にとっては、代表作『戦争論』を全否定することは言論人としての自殺を意味しています。なぜなら、『戦争論』で描いていたことが間違っていたと認めるのは、小林にとっては右傾化して以降の言論人としての歩みを全否定するに等しい行為だからです。

だから、小林は2010年代以降にリベラル化したものの、『戦争論』で描いた言説を否定することができませんでした。ただし、『戦争論』シリーズで描かれた主張が偏った内容であることは言うまでもありません。

小林が『戦争論』で描いた言説を否定できないのは、自分がネトウヨの生みの親となった事実を反省できないということをも意味しています。そのせいで、小林のリベラル化は中途半端なものとなりました。

しかし、最近の小林は頭脳の働きが衰えた影響なのか、代表作『戦争論』で言っていたことや右派時代に言っていた自らの主張さえも忘れてしまったのかもしれません。

高市政権の外交姿勢に対して逆張りをしたいがために、小林はとうとう「日本はかつて中国を侵略したという史実」とまで言い出すようになりました。何しろ今の小林は、中国の言い分の根拠を理解しろとまで言っています。

個人的には日本の戦争は侵略ではないと思っているが、対外的には建前であっても「日本はかつて中国を侵略をした」ことを認めるべきだというのが今の小林の主張のようです。

現在の小林の主張は、右派時代のころに日本の謝罪外交を批判していたことと明らかに矛盾しています。日中の外交関係を保つためには中国の言い分も理解しろ、「日本はかつて中国を侵略をした」事実も認めろと言うならば、村山談話も否定せず現状維持をするべきであることになります。

外交関係を保つためには「日本は侵略国家だった」という建前を認めろと言う主張は、日中関係だけではなく日韓関係にも当てはまることになります。そうなると、河野談話も否定せず現状維持をするべきであることになります。

首相となった安倍晋三が河野談話や村山談話の維持を容認したことや、慰安婦問題で謝罪したことを厳しく批判していたかつての小林の主張は何だったのでしょうか。私は今の小林に対して、「右派時代にあなたが唱えていた数々の言説は一体何だったのか」と言いたくなります。

外交的な建前という形であれ、「日本はかつて中国を侵略をした」ことは事実だったと小林が認めるのは、彼の代表作である『戦争論』シリーズで描いていた主張の否定とも言えます。

何度でも言いますが、意見を変えたならば転向の経緯を説明するべきですし、かつての主張が間違っていたのなら読者に謝罪くらいはするべきです。「わしが『戦争論』で描いたことや、右派時代に言っていたことは間違っていた。申し訳ない」の言葉くらいは、小林は読者に向けて言うべきでしょう。

それどころか『戦争論』の影響でネトウヨが生まれ、世論がミスリードされたことを考えると、言論人としての小林には軽く謝っただけでは済まないほどの大罪があります。

右派時代に言っていた主張の間違いや、自らの言論が社会に与えた影響を何も反省しないまま、シレッと転向をして現実主義者を気取る小林には心の底から軽蔑の気持ちを感じます。

「小林よしのりはここまで無責任で恥知らずな人間だったのか。かつての自分はこんな人間が描いていた著書に感動していたのか」

そう思うと実に虚しい気持ちになります。》(大林わるのりさん)

https://washiblogact3.seesaa.net/article/519266480.html


大林批評では小林の実像について見事な分析をされています。

以下の分析は小林本人が目を通し、御自身の終活に役立ててもらいたいのですが、なにせ血管性認知症であるのでもはや論理的思考が出来ないのかもしれず、手遅れかもしれません。

せめて小林の奥さんが読んで参考にすべきだと思うので、耳の痛い意見は気持ち的に忌避したいでしょうが、是非お読み下さい。


《小林よしのりには、自分をおだててくれる人間が好きという癖があります。それどころか、自分をおだてる言葉を真に受けてしまう癖も小林にはあります。

つまり小林にとっての「いい人」の基準とは、自分をおだててくれる人間のことを指すわけです。だから小林は、出会った人間の社交辞令をそのまま真に受けてしまう癖があります。

旧ゴー宣から新ゴー宣初期のころの小林が呉智英に依存していたのは、ブレーンとして頼っていたからというだけではありません。大コケして黒歴史扱いだった『マル誅天罰研究会』を呉が称賛してくれたことが、小林にとって嬉しかったからです。

小林にとっては、呉智英も「わしをおだててくれる人=いい人」という基準で評価していたのでしょうね。

自分をおだててくれる人間が好きという小林の癖は、晩年の彼がイエスマンの声にしか耳を傾けなくなる傾向へとつながりました。

では、なぜ小林は自分をおだててくれる人間を必死に求めているのでしょうか。それは、小林が「わしのことを認めて欲しい」という承認欲求に長い間苦しめられている人間だからです。

小林が承認欲求にこだわる人間となったのは、幼少期に両親から虐待を受けたことが原因となっています。両親に愛されず認められなかった影響で、小林は「わしのことを認めて欲しい」という承認欲求を社会へと向けるようになりました。

また、小林が自分をおだててくれる人間を必死に求めているのは、彼が自己愛の強い人間であることの影響もあるでしょう。小林の自己愛の強さは、「わしは本当はこんなにすごいんだ」「わしは本当はこんなに優れているんだ」という自身の実力の過大評価とも結びついています。

しかし、小林が自分の実力を過大評価しようとするのは、本当は自分の実力に対して自信がないことの裏返しから来ています。自分の実力に内心では不安を感じていることが、「わしのすごさを認めて欲しい」「わしが優れていると認めて欲しい」という承認欲求へとつながっているわけです。

小林の自己愛や虚栄心は、実際は自分に自信がないことの裏返しでしかありません。虚勢を張って作り上げた偽りの自分の姿を深く愛しているくせに、等身大の自分の姿を直視して受け入れることができないのが小林の自己愛の実態です。

小さいころに両親からありのままの姿の自分を愛してもらえなかったせいで、大人になってからの小林は等身大としての自分を愛することができない人間となってしまいました。

自分をおだててくれる人間が大好きで、おだての言葉を真に受けてしまう小林は確かに「ヌケサク」と言えるでしょう。しかし裏を返せば小林は、自分をおだててくれる人の甘い言葉に頼らないと安心できない気の毒な人間でもあります。

誰よりも自分が大好きな人間である小林は、実際はありのままの自分の姿を愛することができない脆い人間でした。ありのままの自分の姿を受け入れようとせず、自分をおだててくれる言葉を求め続けた結果、小林は寂しい怪物となってしまいました。


『ゴーマニズム宣言』で行われてきた言論活動の特徴とは、俗情との結託を狙った露悪趣味と逆張りです。

つまり小林よしのりの言論とは、わざと意表を突く発言をして読者や世間の注目を集めることを目的としたものです。

小林が露悪趣味と逆張りで周囲の受けを狙う言論人になったのは、彼の性格から来ています。奇をてらった発言や振る舞いをして、周りから注目されたがるという癖が小林にはあります。

小林はお調子者で目立ちたがり屋の性格であり、周りから自分が注目されると舞い上がってしまいます。わざと意表を突く発言をして周りの注目を集めることを狙う小林の癖は少年時代から現在まで変わっていません。

小林が受け狙いのためにわざと奇をてらった発言や振る舞いをしたがるのは、「わしのことを認めてほしい」という承認欲求ともセットになっています。

彼が承認欲求にこだわる人間となったのは、両親にありのままの自分を認めてもらえなかったからです。幼少期のころに両親から虐待を受けたことは、その後の小林の人格や生き方を決定づけました。

受け狙いのために奇をてらった発言や振る舞いをしたがる小林の癖は、ギャグ漫画家としては役に立ちました。読者に受けるためにいつも作品で奇抜なギャグを考えるという仕事柄においては、小林の性格はプラスに作用しました。

しかし、受け狙いのために意表を突くことをいつも目論む小林の性格は、面白主義やポピュリズムにつながるものであり、言論人として生きていく上でふさわしいものではありません。

なぜなら、受け狙いのために奇をてらうことを優先する価値観は、「何が正しくて何が間違っているか」や「何が善で何が悪か」よりも、「何が面白くて何が面白くないか」が優先される価値観へとつながってしまうからです。

事実、言論人としての小林は、受け狙いのために露悪趣味発言と逆張り発言をたびたび繰り返し、間違った主張を唱えても全く責任を取ろうとしませんでした。

受け狙いのために奇をてらう性格の持ち主である小林は、言論人の仕事には向いていなかったと言えるでしょう。》(大林わるのり)

https://washiblogact3.seesaa.net/article/519267404.html

https://washiblogact3.seesaa.net/article/519198509.html

この記事へのコメント

大林わるのり
2026年01月18日 20:42
高市早苗は「反愛子天皇」である。
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/44745
>高市早苗なんて、ネトウヨ大好き、統一協会大好き、円安礼賛、反中礼賛の「極右」じゃないか!

小林は右派時代のころに、自分が何を言ってどんなことをしてきたかを忘れたのでしょうか。高市早苗を好意的に評価していましたね。『戦争論』を発表して、ネトウヨの生みの親の役割を果たしましたね。

つくる会では勝共文化人と共闘し、『戦争論』では統一教会を相手に青春を返せ裁判を起こした元信者たちを批判していましたね。『沖縄論』では「世界日報」系知識人をブレーンとして頼り、後にその人をゴー宣道場の師範に起用していましたね。

今の小林による統一教会批判に対しては、「右派時代のあなたこそ統一教会に踊らされていたではないか」と言い返したくなります。

右傾化してからの小林は、数々の著書で反中タカ派の言説を唱えてきたことも事実ですよね。今の小林が高市首相の政治姿勢を批判するのは、彼が右派時代に主張していた言説や思想と矛盾しています。

「右派時代のころのわしは間違っていた」という謝罪さえできずに、高市首相への逆張りからかつての自分の言説と正反対のことを平気で言える小林は無責任な変節漢でしかありません。

>「極右」だから、「中道」を掲げる政党が必要なんだろ!その「中道」を掲げる新党に対しては、冷ややかなコメントばかりしている。

「中道」を掲げた例の新党の誕生は、野合と見られても仕方がない部分もあるでしょう。立憲民主党の議員たちは、新党に参加するためなら脱原発依存や安保法制反対の主張さえも捨てるつもりなのでしょうか。

>はっきり言うが、高市早苗は「反愛子天皇」なんだぞ!「皇統の男系固執」で愛子さまをスルーして、悠仁さまに繋げようという「男尊女卑」のイデオロギーなんだ!

今の小林は、「愛子天皇推進=善、反愛子天皇=悪」の単純な善悪二元論でしか政治を評価することができなくなっています。

小林一派が高市首相を「反愛子天皇だから」の理由で憎んでいることは、裏を返せば、(まずあり得ない話ですが)もしも高市首相が愛子天皇推進派になったら彼らが支持者にコロッと転向する可能性もあるということです。

>そんなに日本の女性は「男尊女卑」が好きか?愛子さまが天皇になることが嫌か?

今の小林は皇統伝承を否定し、「女性の地位向上」のためという理由で女系天皇推進論を唱えています。小林のこれらの理屈は、一歩間違えると天皇制自体の否定につながる可能性があります。

血筋による継承を否定して、「世論の支持を得ているから」「女性の地位向上のため」という理由で女性をトップに選ぶべきだという主張はどう読めるでしょうか。これらの主張は「天皇制を廃止して大統領制に移行しろ」と言っているようにも読めてしまいます。

そもそも「愛子さまが天皇になることは、女性の地位向上につながる」という小林の発想自体が馬鹿げています。

>本当に、馬鹿で、馬鹿で、馬鹿野郎ばっかりで、うんざりする!

小林は西部邁の思想に感化された影響で、大衆蔑視の考え方を持つようになりました。その結果、小林は「正しいのはわしだけ。それ以外の大多数の人間は馬鹿」という独善的な思考で民草を見下す人間となってしまいました。

今の小林は裸の王様と化して、普通の人たちの気持ちが分からなくなっています。独善的で狭量な人間と化した小林には、表現者としても言論人としても一般人に広く言葉を届ける力などありません。
通りすがり
2025年12月09日 17:44
満州帰り元陸軍兵のじっちゃんが「昭和刀は切れないから突くしかできない」と言っていたので、日本刀も作られた時代によって変わるのではないかと
大林わるのり
2025年12月09日 02:02
高市マンセーのネトウヨ・サナ活ども、言いたいことがあったらゴー宣DOJOに来い!
https://www.gosen-dojo.com/blog/58849/

小林よしのりが右派からも左派からもネット上で批判されていることに対して、弟子の時浦兼は苛立ちを隠せないでいるようです。批判者を「バカのバカたるゆえん」と罵る時浦は、自分がブレーンとして小林の言論を良質なものにすることができたかどうかを考えてみるべきでしょう。

今の小林が右派からも左派からも嫌われているのは、それなりの理由があるからです。間違ったことを言い続けて責任を取らず、変節を重ねてきた小林の言論が世間からの信頼を失ったのは当然です。

小林が言論人として軽蔑される存在となってしまったのは、ブレーンである時浦にも責任があることは言うまでもありません。ボスの思いつきを正当化するためのイエスマンに徹し続けた時浦は、言論人のブレーンとしては失格です。

小林イエスマンとしての時浦の特徴とは、師匠の敵と決めつけた相手に対して異様なまでの憎悪と攻撃性を発揮するということです。Xで小林に批判的な意見を書き込んでいる人たちに対して、時浦は(小林の言葉を借りて)攻撃的な煽り文句をブログで書いていました。

「Xに支離滅裂な罵詈雑言を書きちらしてないで、本当に言いたいことがあるのなら、1月のゴー宣DOJOに来い!逃げも隠れもせんぞ、大いに議論をしようじゃないか!と、よしりん先生は言ってます!」

小林が自分に反対の意見を持つ者と本気で議論をしたいのなら、煽りだけで終わらせずに自らが実践してみたらどうですか。「ゴー宣DOJOに来い」と言うだけで何もしないのではなく、今までと同じように相手をDOJOにゲストとして招待すれば済む話です。

また、小林が言論人を名乗るのならば、自分と意見が違う者とも対談を行うという手もあるでしょう。小林と田原総一朗の共著『戦争論争戦』(幻冬舎文庫)は、意見が違う者同士が議論をして誕生した対談本でした。

そもそも現在の小林の頭脳の状態では、ゴー宣DOJOで部外者との議論ができるのでしょうか。なぜなら今の小林は、ゴー宣DOJOに呼んだ政治家や知識人との議論についていけず、置物となっていたからです。

相手をゴー宣DOJOにゲストとして呼ぶ勇気もないくせに、「逃げも隠れもせんぞ、大いに議論をしようじゃないか!」と小林が言っているのは単なる強がりでしかありません。イエスマンたちと群れあって、内輪向けの駄弁りで満足をしていたいというのが現在の小林の本音です。

小林の虚勢ズムを正当化するためにブログで批判者たちを罵倒している時浦でさえ、ゴー宣DOJOに部外者を招くつもりなど実際は毛頭ないのでしょう。

時浦による他者へのヒステリックな攻撃性は、小林の虚勢ズムと同じく内心に潜む臆病さを隠すための防御反応です。小林と時浦の歪な師弟関係は、まさにこの師匠にしてこの弟子ありとしか言いようがありません。
大林わるのり
2025年12月04日 21:35
女の仮面を被った「男に媚ビット」
https://www.gosen-dojo.com/blog/58760/

「高市マンセー馬鹿がいくら襲ってこようと、『戦争論』『台湾論』『天皇論』の作者であり、中国にブラックリスト入りされた小林よしのりは、一歩も引かない」

そもそも現在の小林よしのりの主張は、『戦争論』『台湾論』『天皇論』で描かれた内容とは明らかに矛盾しています。

「日本はかつて中国を侵略した」と小林が言っているのは『戦争論』の内容と矛盾していますし、「台湾は中国の一部」という見解を建前上であっても小林が支持するのは『台湾論』の内容と矛盾しています。

また、現在の小林が神武天皇実在論や「万世一系」論を否定しているのは、『天皇論』で描かれた内容とも矛盾しています。自らの変節によって内容さえも否定してしまったスペシャル本を、小林が未だに代表作扱いしているのは実に滑稽です。

世間の一般人たちが思い描いている「右派知識人としての小林よしのり」は、小林本人による暴走と変節によってすでに思想的な自死を遂げています。しかし、小林本人はそのことにまだ気付いていません。

言論人としてはすでに死んだも同然となっている小林は、今もなお逆張り言説をやめることができていません。逆張り言説を過激な口調にして悪目立ちを小林の図るやり方は、最近においても変わっていないようです。

「愛子天皇を阻止する男系固執の高市早苗ごときは、たかが反逆者に過ぎない。フェミニズムのわしから見れば、女の仮面を被った「男に媚ビット」じゃい!」

高市首相への逆張りと属性差別、さらには愛子天皇支持という皇族を利用した推し活が今の小林の言論活動と特徴となっています。

自分が知識人として思想的に事実上死んでいることも、露悪趣味と逆張りというこれまでのやり方はもはや通用しないことも、小林は未だに気付いていません。

ちなみに小林が、「百人斬り」は「日本軍の刀では、刃こぼれして出来ん」と言っているのは、山本七平が言っていたことの受け売りでしょう。

山本は戦時中に粗悪な模造刀を使った個人的な体験から、「日本軍の刀は人を斬ると刃こぼれする」と思い込んでしまいました。山本七平の思い込みから生まれたガセ情報を検証もせずに信じ込んだ小林は、情報源の裏を取ることができていなかったのです。

右派の知識人たちが唱える歴史修正主義の言説を鵜呑みにして小林が描いた『戦争論』シリーズは、やはりトンデモ本だったようですね。皮肉なことに今の小林は、代表作扱いされて名刺代わりとなっている『戦争論』の内容さえも自ら否定してしまいましたが。