『岸辺露伴は動かない 懺悔室』
小林よしのりの新作ギャグマンガが読める唯一の媒体である「よしりん漫画ブック」とやらが配信されるようになって1ヶ月以上が過ぎたわけですが、世間的には無風であり、シンパ以外誰も話題にしていないことについて、小林よしのりは何かしらの反応を示すべきなのではないでしょうか?
というか、蓋を開けてみたら、「よしりん漫画ブック」という電子書籍ではなく、「小林よしのり漫画ブック」という名称のnoteのアカウントから投稿しているだけという羊頭狗肉ぶりには苦笑するしかありません。
散々、「よしりん漫画ブック」と宣伝していたのに、「よしりん」イコール「小林よしのり」と世間に認識してもらえていないと分かっているのですから、驚きだよ。悲しいことだよ。
さて、メルマガでも電子書籍でもないnoteに投稿しているだけの小林よしのり渾身の新作ギャグマンガでありますが、どうやらシンパもどこをどう褒めて良いのかが悩みどころのようですね。
二転三転の展開に爆笑また爆笑!新作『おぼっちゃまくん』掲載、小林よしのり漫画ブックVol.4配信!! | ゴー宣DOJO
《全てのキャラのやることが予想外過ぎて、爆笑に次ぐ爆笑!
この騒動の行き着く先は?
ぜひぜひお楽しみください!!》
作画アシスタントであるスタッフの時浦兼氏によると、「爆笑に次ぐ爆笑」との触れ込みですが、一体どこで爆笑が起きているのか教えて欲しいものです。
もしかして「爆死」の間違いではないでしょうか?
初回の「おぼっちゃまくん」は内容もさることながら、作画も素人以下と言わざるを得ない酷いものでありましたが、連載2回目の作画の手抜きっぷりは小学低学年の落書き以下で、よくこれをプロの仕事として一般公開出来たものだなとただだだ呆れるばかりです。
いわゆる画力がないマンガ家は世の中にはたくさんいますが、決して手抜きをせずに描いているマンガというのは「絵がヘタ」でも魅力があるものですが、小林のスタッフのコレはただの手抜き作業のやっつけ作画であるので、救いようがありません。
よくこんな作画をするスタッフに給料を払えますね。
スタッフからしたら、相手はどうせボケ爺さんだから適当に描いてもノーチェックだからと舐めているのでしょうね。哀れなものです。
さて、たとえ作画が手抜きであっても「お話」がしっかりしていればまだ読めることも出来るでしょうが、なんのことはない最近プライムビデオで配信された『岸辺露伴は動かない 懺悔室』をパクろうとして失敗しただけのムザンな落書きじゃないですか。
「駄作」と呼ぶのも烏滸がましい、「作品」ではない「廃棄物」が今回の「おぼっちゃまくん」です。
あまりにも酷い出来すぎて元ネタに気付く人がほとんどいないなか、空気の読めない小林シンパが、岸辺露伴についてコメントしてしまっているのが笑えます。
日本の文化に馴染みが薄い「懺悔室」というシチュエーションに、「拾った宝くじが当たる」「浮浪者を不幸にする」というネタ被りなど偶然では決してあり得ず、ならば荒木飛呂彦の作品をパロディにしているのかというとそうでもなく、ただ単に配信で眺めて、「このネタをこのまま頂戴しちゃおう」とボケた頭で考えたのでしょう。
それともボケ過ぎて、配信で観た内容を自分が思いついたネタだと錯覚して、マヌケなスタッフにこういう内容で描けと命じたのでしょうか?
荒木飛呂彦の作品をボケた脳でパクったもんだから、プロットの段階で「お話」として成立しておらず、「宗教軍団ってなんやねん?」「茶魔の家の施設に何で貧ぼっちゃまが罪の告白をすんねん?」「宝くじが当たったくだりまったく必要ないやん」「なんで浮浪者が大金持ってんねん?」と冒頭から矛盾だらけでツッコミを入れるのも馬鹿馬鹿しい状態であり、要するに荒木飛呂彦の作品のなかで、「懺悔室で罪の告白」と「宝くじ当選」と「浮浪者を出し抜く」というのがあるから、それをそのままパクったはいいが、話の辻褄合わせまでは考えが及ばずに、このような救いようがないゴミを配信するに至ったのでしょう。
それとも無料部分での矛盾が有料部分でしっかり回収されているのでしょうか?
私はそれはありえないと断言しますが、もし回収されていると言うのならば、小林シンパは小林の名誉回復の為に反論コメントしてみせてくださいね。
反論がないとしたら、私の指摘がすべて正しいということになります。
小林よしのり漫画ブックについては、私なんかよりも辛辣な大林分析を是非読んでください。
ちょっと小林よしりんが可哀想に思えるぐらいに手加減なしの批評です。
《今の小林は脳出血の後遺症に苦しんでいる人間であり、スタッフに頼らなければ漫画家としての仕事が成り立ちません。しかし、小林は病に倒れる前から、仕事に対しては怠惰な姿勢で取り組んできたのが現実です。
なぜなら、小林が漫画の執筆にろくに関わっていない状態が長い間続いているからです。小林名義の言論漫画であるゴー宣はシナリオが時浦の代筆であり、作画さえもスタッフたちに丸投げされている有様です。
漫画業界での小林の評判がどのようなものであるかは、察するに余りあるでしょう。現在の小林は、どこの漫画雑誌からもお呼びがかからない状態にあるのですからね。
小林は自分自身への名誉欲はあるものの、他の漫画に対するリスペクトがないのでしょう。だから、小林は鳥山明の死を嘲笑するような非礼な真似を平気でやれたわけです。
小林自身、「どん底」の状態にあると言えます。
不治の病によって余命を自覚せざるを得ない身となったことや、チーフ広井の体調不良など今の小林はどん底のさなかにあります。
小林が漫画家としてオワコン化したことは、最近始めたばかりの漫画ブックの大コケでも証明済みです。
小林が今置かれた現実と真面目に向かい合うならば、漫画家や言論人としての引き際を考えて終活に取り組むべきでしょう。
漫画や言論で勝負をすることをやめてカラオケにうつつを抜かす小林の生き様は、プロの表現者としては滑稽で愚劣なものでしかありません。
一般人に言葉を伝えるための努力を放棄し、内輪向けの自己満足のために活動している小林には世間に言葉を届ける力はすでにありません。
内輪向けの動画配信で床屋談義をしたところで社会を動かす力はありませんし、政治に影響を与えることもありません。真面目に言論やジャーナリズムの仕事をしているプロの人たちに比べると、小林がやっていることは児戯に等しいものです。
漫画を愛していない漫画家であった小林が、漫画の仕事に不熱心でカラオケ趣味にうつつを抜かす堕落した晩年を迎えたのはある意味で必然だったのかもしれません。》(大林わるのりさん)
https://washioblog.hatenablog.com/entry/2025/11/30/072408
この記事へのコメント
https://note.com/yoshirin_k/n/n80c4b918f498?magazine_key=madfc71dde6bf&from=membership-magazine
新作『おぼっちゃまくん』は、最新エピソード「茶滅の刃」でも作画は手抜きに近い状態で描かれたようですね。小林がスタッフに漫画の製作を丸投げし、スタッフたちも惰性で作品を描いている結果が今の惨状なのでしょう。
遊び呆けて仕事に不熱心な原作者の下で働いている時点で、スタッフもあまりやる気が出ないのは無理もありません。しかも、闘病中の広井が作画に参加していた事実は、よしりん企画のブラックな体質を象徴しているようです。
一方で私は新作『おぼっちゃまくん』の絵に対しては、「どう見ても手抜きだ」という感想だけではなく、別の形でも違和感を覚えました。
例えば、藤子・F・不二雄のアシスタントが描いた『ドラえもん』系の学習漫画の絵とか、青木雄二が死んだ後で描かれた青木プロの作品(『新ナニワ金融道』『新ナニワ金融道外伝』)の絵を見た時の感想を、今の新作『おぼっちゃまくん』の絵に対して私は感じてしまいます。
「作中の登場人物は原作の絵とそっくりに描けているけど、原作者が醸し出している作家性はないな」
というのが新作『おぼっちゃまくん』の絵柄に対する私の感想です。
「茶滅の刃」で描かれた茶魔語のシーンでさえ、別の人が旧作『おぼっちゃまくん』とそっくりな絵を描いて作風を真似しているだけのように私は感じました。例えるならば、山田康雄が演じたルパン三世を知っている人が、クリカンが演じるルパン三世に違和感を抱いてしまうようなものです。
漫画ブックで無料で公開されている数ページを読んだだけで分かるのは、新作『おぼっちゃまくん』の絵や話は、旧作『おぼっちゃまくん』の物真似でしかないということです。旧作が持っている「個性」も「魂」も、新作には全くありません。
そもそも小林がアシスタントに作画を丸投げしてしまった時点で、新作『おぼっちゃまくん』の絵柄が旧作そっくりだけど作家性がないパチモンにしかなれなかったのは当然なのかもしれません。
原作者がスタッフに話作りも作画も丸投げしてしまった新作『おぼっちゃまくん』は、漫画作品としての「魂」を失ってゾンビ化してしまった作品と言えるでしょう。
小林が漫画家として堕落したことは、自らの代表作であった『おぼっちゃまくん』という作品を殺してしまうことにつながりました。
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/44172
どうやら新作『おぼっちゃまくん』の次の話は、『鬼滅の刃』をパロディにしたエピソードになるようです。しかし、小林名義で発表されようとしている「茶滅の刃」の話の出来は全く期待できないでしょうね。
言うまでもありませんが、今の小林はギャグの才能も話作りの才能も枯れてしまっているからです。小林は漫画の執筆に対する情熱が失われている一方で、「わしは過去にヒット作を生み出した漫画家」という自己愛だけは今も持っています。
そもそも小林は昔から自己愛や名誉欲が誰よりも強いくせに、他の漫画家が描いた作品には興味がない人間です。このことは、小林が鳥山明の死を嘲笑した事実からも明らかです。
おそらく小林は『鬼滅の刃』という作品に何も思い入れがないくせに、世間で流行っているから適当にパロディ化してやろうとでも考えたのでしょう。それでもって小林はシナリオ代筆を担当している時浦に、「『鬼滅の刃』をパロディ化して茶魔の話を作ってくれ」と頼んだのかもしれません。
何しろ小林名義で発表されているゴー宣は、今ではシナリオが時浦代筆で、ペン入れがスタッフに丸投げされている状態ですからね。だから、新作『おぼっちゃまくん』さえも、ほぼスタッフの代筆になっている可能性があるでしょう。
ところで小林によると、新作『おぼっちゃまくん』の「茶滅の刃」は「闘病中のチーフ広井も頑張って作画している」そうです。それにしても病気療養中のアシスタントをこき使うとは、小林の人使いの荒さや薄情さは想像を絶するものです。
漫画の執筆を部下たちに丸投げして遊び呆けている老害社長から、「今年ももう少しだ、スタッフ諸君、頑張れよ!」と言われてもスタッフたちはやる気が出ないでしょうね。
ところで、気になることがあります。「日刊SPA!」のサイトでは様々な連載が公開されていますが、連載作品としてのゴー宣の最新話の更新は数か月も前から行われていません。どうやら小林が脳出血で倒れる前のころから、「日刊SPA!」でのゴー宣の最新話の公開は止まっているようです。
「日刊SPA!」での更新が止まっていることから分かるように、ゴー宣は雑誌『SPA!』や扶桑社ではお荷物扱いされています。ゴー宣が雑誌で戦力扱いされていない時点で、編集部が作品を将来的な打ち切り候補と見なしている可能性も当然あり得ます。
小林が例の漫画ブックを始めたのは、ゴー宣が『SPA!』で打ち切られた後も収入源を確保できるようにするための策だったのかもしれません。しかし小林の目論見は裏目に出てしまい、漫画ブックは始まったばかりの段階で大コケとなりました。
「『神功皇后論』も来年、単行本が出たら、大ヒットして、古代史ブームの牽引役になると思っている」
と小林が言っているのは、追い詰められた状態で虚勢を張っているだけです。
自分のゴー宣が将来は『SPA!』で打ち切りになる可能性を視野に入れている時点で、小林は『神功皇后論』のヒットを本当は信じていないのでしょう。どれだけ落ちぶれても嘘をついてまで虚勢を張り続ける小林は、本当に哀れな人間です。
『SPA!』でお荷物扱いされている言論漫画『ゴーマニズム宣言』は、そろそろ作品の寿命が見え始めてきたのかもしれません。
しかし、小林によるパクリは今に始まったことではありません。そもそも『おぼっちゃまくん』は田中道明『ぐゎんばる殿下』をパクったものですし、茶魔のデザインは鳥山明『Dr.スランプ』に登場するオボッチャマンをパクったものです。
また、小林の代表作となった『戦争論』は渡部昇一『かくて昭和史は甦る』をパクったものですし、小林が唱える保守思想や反米論は師匠の西部邁の主張をそのまま受け売りしていただけでした。
言論人としての小林は、その時その時でブレーンが唱えていることを絵解き漫画として描いていたのが現実です。
昔から小林はパクリを平気で行う人間でしたが、パクった元ネタを換骨奪胎することに長けた人間でもありました。『おぼっちゃまくん』も『戦争論』も、パクったを元ネタを消化して商業主義的に成功できた作品であったと言えます。
しかし今の小林は、パクった元ネタを換骨奪胎することが下手になってしまいました。新作『おぼっちゃまくん』第2話が支離滅裂な内容となってしまったのは、パクった元ネタをうまく消化することができなかった結果です。
小林が新作『おぼっちゃまくん』で『岸辺露伴は動かない 懺悔室』をパクってしまったことは、漫画家としては決して褒められた行為ではありません。
ただし小林が昔からパクリに手を染めていたことを知ってしまうと、新作『おぼっちゃまくん』第2話で安易なパクリをやらかしてしまったのはある意味では必然だったのかもしれません。
晩年の小林は漫画家としての才能が枯れてしまっただけではなく、パクリの才能さえも失ってしまったようですね。驚きだよ。悲しいことだよ。
また、フィクションならまだしも、現実の社会問題において、鈴木エイトはジャーナリストと陰謀論にはまったり、放射能デマを信じてしまう人がいるのは呆れてしまいますよね。
単に、この作画は気に入らない、このパロディは嫌いだ程度のことを大袈裟に言うこともないでしょう。
興味深い発言を見つけたのでご紹介しておきましょう。
https://x.com/momentamswing/status/1994387174712893621?t=AjGwqCvU9H6SGE0Aebwbbw&s=19
鳥山明氏ですら「好きなように描いて受けたためしはあまりない」だそうです。
https://x.com/Maria_Sanders_k/status/1994641447044440099?t=O5_IdVCxDYvENn9pKWtpRQ&s=19
鳥嶋氏によれば、
作家には「描きたいもの」と「描けるもの」があるんだよ。そして、作家が「描きたいもの」は大体コピーなの。既製品の何かで、その人がそれまでの人生で憧れてきたものでしかない。
鳥山明さんであればアメコミっぽい作風だとか、そういうものが「描きたいもの」としてあったけど、そこからヒット作はやっぱり出てこないんです。実際、鳥山さん自身の「描きたいもの」は、申し訳ないけどつまらないんですよ(笑)。
コピー、パロディ、パクリがことさら非難されることはないですよね。鳥嶋氏はかの猿渡先生には、あだち充のようなラブコメを描け、と言うような無茶を言う人だったそうですし。
パクリをギャグとして昇華している最近の作品としてなら、曽山一寿氏のめちゃかわ でんぢゃらすじーさんのほうがずっと面白いですし。
ただ私個人として思うのは、これは劣化コピーではないか?と気付いた時のつまらなさと言ったらないですよね…
ただし、世の中に数え切れないほど学習漫画が存在しているように、絵解き漫画にもそれなりの意義はあります。学習漫画の大家となったよこたとくおや内山安二は、絵解き漫画で実績を残した立派な漫画家と言えるでしょう。
しかし、ストーリー漫画を本業としている漫画家が絵解き漫画しか描けなくなることは、作品の質の劣化につながります。タイムリーな時事ネタの解説や、作者の思想(政治的な主張)を出すことを重視するあまり、物語の面白さが二の次になってしまうからです。
絵解き漫画となってひたすら説明文に頼るようになった作品は、絵や話で勝負をする作品ではなく単なる解説漫画や学習漫画でしかなくなります。絵解き漫画家となったせいでストーリー漫画家として劣化した人といえば、弘兼憲史もそうでしょう。
弘兼の『加治隆介の議』は連載が進むうちに、政治や時事ネタの解説でページを稼ぐようになりました。『加治隆介の議』は政治を題材にしたストーリー漫画であったため、作者の思想(政治的な主張)が全面的に出された作品でもありました。
その影響なのか『島耕作』シリーズでさえ、時事ネタを題材にした絵解き漫画と化していきました。『島耕作』シリーズは、課長時代のころよりも現在では作者の思想(政治的な主張)が目立つ作品となっています。
物語的な面白さが評価されていた『課長島耕作』に比べると、絵解き漫画と化した『島耕作』シリーズは話の完成度が劣化しています。主人公がビジネスマンとして偉くなった『島耕作』シリーズは、島耕作の物見遊山や会食のシーンばかりが描かれるようになりました。
しかし、弘兼憲史は小林よしのりに比べればストーリー漫画家としてはまだマシと言えるでしょう。絵解き漫画となった『島耕作』シリーズと違って、『黄昏流星群』はストーリー漫画としてそれなりの質を保つことができているからです。もちろん、画力においても弘兼は小林ほど劣化していません。
絵解き漫画ばかり描いていてストーリー漫画家としての努力を怠った小林は、晩年になって漫画の才能がすっかり才能が枯れてしまいました。