両親に認めてもらえなかった小林よしのりの悲鳴
「ネタにマジレス」とツッコミを入れられるような真面目なコメントが届きましたので紹介します。
先に言っておきますが、今から紹介するコメントは私の認識とはだいぶ違っており、そのことについてはコメント紹介後に解説したいと思います。
《小林よしのりと今の総合Pの関係は過去の秘書たちのそれとは異なる異常なものであるという感を新たにしました。
末永、金森、岸端という過去の秘書たちは、例え代表にとってコンパニオンのような存在であったにせよ、作中やブログ内での登場は秘書としての業務が話題の中心となっており、今の総合Pのような異常な惚気話や入れ込みを公開してはいなかったはずです。
それだけ総合Pがお気に入りということなのでしょうが、二人の今の関係は故事に言う傾城傾国(君主が寵愛する女に入れ込み、やるべき仕事を怠ったために国が亡ぶ)そのものですね。
彼女のせいで多くの門下生が代表の元を去ったうえ、カラオケ中のともだちんこをにべもなく拒否したように、向こうは代表に本気で魅力など感じてなどいないのに。
代表が盲目的に彼女に依存しているのは、彼女をよしりん企画の運営に参加させようとしているのもそうですが、奥方に合わせるという異常行動からもうかがわれます。
葉月蓮さんによれば代表は奥方について「もう女として見れない」と言ったそうですが、形だけでも家族のパートナーである奥方に愛人扱いしている存在を会わせ、関係は良好なのだなどとアピールするのはあまりにも残酷な行為ではないでしょうか。
奥方からすれば、仮面夫婦のような関係でも老後の準備など家計を守ってくれればこその夫だったはずなのに。》(ライジング購読者さん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/519198509.html
ライジング購読者さんはとても誠実な方であり、他人の言葉に対して常に真剣に受け止める心優しき性格であることがよく分かります。
しかし、小林という嘘つきを相手にする時はその生真面目さが事実を曇らせてしまう場合もあるので注意が肝要です。
まず、小林が過去のよしりん企画の事務員(秘書?)との関係について、「作中やブログ内で異常な惚気話や入れ込みを公開してはいなかった」ということはないでしょう。
特に元秘書金森との個人的なやりとりを事あるごとにマンガにしていましたが、その内容は「異常な惚気話や入れ込み」に該当するのではないでしょうか。
小林は末永や金森との関係を「噂の眞相」に暴かれた時に冷笑系らしい茶化しでケムに巻く手法を取り、「噂の眞相の記事は単なる嫉妬から来る邪推にすぎない」と言って否定していました。
この手口はのちの道場での性加害案件の時にも援用され、被害者である葉月蓮さん(ゴー宣道場の元門弟)の告発を冷笑系らしい茶化しで小馬鹿にしました。
小林が滑稽なのは、事務員(スタッフ)や編集者や熱心な読者との間にあったプライベートな問題を「モテ自慢」としてマンガに描いているのに、いざそれを調査検証されると焦って火消しに走るところです。
自らマンガにしたのだから堂々と認めてしまえば良いのに、それをせずに「私は潔白だ。やってない」など狼狽し、検証や告発した側をまるでテロリストであるかのように非難するのです。
ならば、ハナから疑いを持たれるような内容をマンガにして公言しなければ良い話ですが、小林はどうしても「モテ自慢」をしたいようです。
小林は何故そんなに浮かれた「モテ自慢」をしてしまうのか。普段から愛人が複数人いるような人が中学生みたいな浮かれ方をするのはどうしてか。
要は学生時代に非モテをこじらせ、一方的に女性への恨みを募らせ、富と名声を得た途端にその力に釣られて近寄って来た女性を性的に支配することで積年の恨みを晴らせたということと、過去に自分を見下して相手にしてくれなかった女性たちに向けて、「わしを男として見なかった女どもよ、後悔するがいい。わしは今、富と名声を掴んだ勝ち組だから、お前らなんかよりイイ女が寄ってくるんだ」と主張せずにはいられないのでしょう。
しかしマンガやブログの内容を読んでも、毎度毎度中学生レベルの幼稚なノロケで、これが事実ならなんてみっともない大人なんだろうとしか思えませんし、実際に読者であった頃はあくまでギャグパートであり、非モテおじさんの妄想として笑って欲しかったんだろうと思って読んでいました。
しかし小林としては精一杯にカッコ良い恋愛として描いていたようです。
マンガの中で事実とは異なる部分は「物語だからそこは嘘です」などと言って、なるべく自分がみっともなく見えないように改変しているのも、マンガとして面白く話を盛るというものではなく、とにかく自分を良く見せようとしたい、とにかくモテる男がスマートに女を口説いていることにしたいということしかないのですからマンガ家としてもプロ失格です。
このようにゴー宣で描かれたモテ自慢はその時点で既にかなりダサいものであったわけですが、実際に行われていたことは更にそれを下回る内容で、それをありのまま報じた「噂の眞相」に対して、異様なほど狼狽し、異様なほど敵愾心を剥き出しにし、異様な筆致で反発したのも自分の虚栄心がバレることで今ある地位が失われ、また学生時代のさえない腰抜けに逆戻りすることへの恐怖心の表れだったのでしょう。
「噂の眞相」の記事については当事者が既にその内容について「根も葉もない嘘は書いていない。概要は捉えている」と証言してしまっていますし、また葉月蓮さんの件を知ってしまった今となっては、当時のまるで報道被害にあったかのような反発についても鼻白らむものがあります。
噂の眞相に取材協力した秘書の知人の証言についても「信用ならない人物」であるかのように毒づいたところで、当の秘書とて友人との会話を小林に密告し、小林はその友人間での雑談をマンガで暴いて問い詰めており、いわゆるブーメラン、人を呪わば穴二つ、因果応報という感じですね。
ライジング購読者さんは小林が生配信で茶魔主題歌を歌った際に総合Pもん子や笹幸恵などの手を取って自分の股間に誘導したことについてマジに受け止めていますが、あれは台本があり、総合Pの手を取るが振り払わられ、続いて笹では見事「ともだちんこ」になりましたというクソつまらないネタをやっただけです。
しかしライジング購読者さんが真面目に捉えてしまうのも無理はなく、芸人でもない素人、まして演劇的素養もないマヌケ揃いなので、小林は小林で本気で相手の手を取って引っ張るわ、総合Pは総合Pで顔を顰めて力一杯抵抗するわで、まるでマジの爺のセクハラ現場みたいな絵面になり、笹幸恵のくだりも本当は「触っているテイ」にする筈だったのが、素人のテンションで勢い余って笹の手が小林の股間に実際に触れてしまうアクシデントが起きただけの話です。
70過ぎた爺さんが、50過ぎた女の手が自分の股間に触れたということに大はしゃぎするという何ともいたたまれない光景…
さて、小林が何故ここまで歪んでしまったのか。そして何故ここまで凋落したのか。
そのことは大林批評にて分析されています。
《ゴー宣の主人公よしりんは、現実の小林よしのりとはかけ離れた人間として作中で描かれていました。美男子で、頭が良く、天才漫画家で、言論人としては論破王で、女にモテていて、カラオケでは歌がうまいという超人がゴー宣の主人公よしりんでした。
ゴー宣は言論漫画やエッセイ漫画であるだけではなく、漫画家が描く物語でもあるのだから、ある程度は話を盛って何が悪いというのが小林の姿勢だったのでしょう。
しかし問題なのは、小林は病的なまでの虚言癖の持ち主であるということです。
小林は虚勢を張るために自分をかっこいい人間として描いていましたが、実際の彼のダサさや俗物性はやがて読者に見破られてしまいました。
また、小林が言論人として主張してきた数々の発言も、後になってからその誤りを読者に見破られてしまいました。
小林が嘘を積み重ねることで得た名声は、読者から嘘を見破られることによって失われていくのは必然でした。しかし、小林は今までの成功パターンに固執するあまり、嘘をつくという悪習をやめることができなくなりました。
例えば、小林が「だが、わしはアンチエイジングが嫌だ」と言っているのは明らかに嘘です。
なぜなら小林は老人性イボを除去したことがありますし、RIZAPに通っていたことさえもあった人間ですからね。
また、ゴー宣で描いてきた数々のモテモテ自慢は嘘であることが見破られているのに、小林は今もモテモテ自慢をやめようとしていません。
小林が自分をかっこいい人間であるかのように思いたがっているのは、無意識では容姿に劣等感を抱いていることの裏返しでもあります。
小林よしのりは、「漫画家として地位を得て社会的に認められたい」という名誉欲や承認欲求のために漫画を描いていた人でした。
だから鷲ヲさんのご指摘のように、若いころから小林はすでに漫画に対する愛はさほどなかったと見た方が良いのかもしれません。
小林が漫画に対する愛がないまま漫画家となったのは、やはり幼少期のころの生い立ちの影響があったと考えざるを得ません。
小林の幼少期のころは、漫画文化は当時の子供たちの娯楽の王様であり、漫画家は子供たちにとってのヒーローで憧れの存在でした。だから、小林少年は手塚治虫のような成功者としての漫画家を権威として崇めたのでしょう。
幼少期のころの小林が「漫画家になりたい」という夢を持つようになったのは、彼が権威主義者であったからと言えます。小林は大人になってからも権威主義の性格は変わることがありませんでした。
また幼少期のころの小林は、子供たちに仲間外れにされないために自作の漫画を描いて皆に見せていました。小林にとって漫画とは、自分が人々に社会的に認められるための武器であり、世渡りのための道具でしかありませんでした。
さらに、幼少期の小林が漫画家という夢にこだわるようになったのは、やはり両親からの虐待の影響があったと言えるでしょう。
喘息で苦しんでいた幼少期の小林は、両親から「喘息は依頼心のせいだ」と決めつけられてプレハブ小屋での生活を強要されました。おそらく小林少年は、「依頼心を克服して独立する=漫画家になるという人生設計を持つ」ことであると、プレハブ小屋の中で考えたのでしょう。
つまり、幼少期のころの小林が思い浮かべた人生設計とは、「漫画として成功をすることで社会的名声を手に入れ、両親から一人前と認められる」ということでした。
自分を愛さなかった両親を見返す手段として小林が考えたのは、大人になってから漫画家の夢を叶えた自分を認めさせることだったのでしょう。
漫画家の仕事を馬鹿にしていた両親が、漫画家として成功した自分を褒めてくれるというゴールは、小林少年が無意識の中で目標としていた逆転劇であったのかもしれません。
確かに、大人になってからの小林は漫画家になるという夢を叶えましたし、ヒット作を生み出したこともありました。しかし、小林の両親は、息子の職業である漫画家の仕事を馬鹿にした態度を改めることはありませんでした。
漫画家の夢を叶えても両親から馬鹿にされたままだった小林は、親からの精神的な自立に失敗してしまいました。
ちなみに小林の母親は、息子が言論人としてテレビの討論番組に出演することには誇りを感じていました。小林の母親は「言論人になった息子」には誇りを感じていましたが、「漫画家になった息子」のことは見下したままでした。
「漫画家になった大人の自分」を両親から認めてもらえなかったせいで、小林の心の中に潜んでいる「わしを一人前として認めてほしい」という歪んだ承認欲求は社会へと向けられるようになったと言えます。
両親から愛されることなく育った小林は、漫画に対する愛を持たないまま漫画家となってしまいました。
大人になってからの小林が「わしを認めてほしい」という承認欲求にずっと苦しみ続けているのは、両親から自分を認めてもらえなかった彼の心の悲鳴なのかもしれません。》(大林わるのり)
この記事へのコメント
というのも先日「わしズム」vol.1(2002年)を読み返した時に秋本治氏との対談があったんです。
そこで小林の「何が楽しいか?」という質問に、秋本氏は「週刊と月刊の同時連載の仕事は忙しいし苦しいが楽しい」
小林「わしは楽しいのか苦しいのか自分でもわからん」と漫画創作のやりがいの感じ方に差が出ています。
https://imgur.com/a/02Fc6Eq
秋本「複数連載を持つのが夢だった。昔の漫画家たちは複数連載を持って一人前だった」
小林「昔はそうしないと食っていけなかったからで好きでやってたわけじゃないと思うけどなあ」
小林「夢とはいえそうまでして週刊連載を続けていく根気がすごい。完璧主義?」
秋本「自分の為に楽しんで描いているだけ」
小林「それが楽しいんだ。わしは飽きっぽくてダメだな」
「ブラックジャック創作秘話」で語られていますが、手塚治虫は常に挑戦的でどれだけ忙しくても更に連載を増やし、「自分が面白いと思う事は今すぐにやらなきゃいけない」と語っていました。
驚くべきことに小林よしのりは漫画家として忙しいながらも楽しみを見出すことは無く、先達の漫画家たちは金のために仕方なしにやって来たと思っていたようです。
私は現在では小林作品に辛辣な評価しかしてませんが、クリエイターとして創作活動にもう少し前向きだと思っていました。
これを読んだ時は少し驚きましたが、その後のライジングや動画チャンネルでのコンテンツを複数に分けての課金や、老人カラオケ大会での高額の料金、更新頻度や新作の少ない「漫画ブック」など、およそ漫画家としての矜持があるならやらない様な行動が多く、得心が行くことばかりです。
漫画の中でのキャラクター"小林よしりん"は楽しく漫画を描いているように振る舞いますが、リアルの"小林善範"はお金さえ稼げば漫画に拘る必要はないようです。
肉体労働するには貧弱、かといって難関大学に入れるほど勉強ができるわけでもない彼には漫画家くらいしか思いつくものがなく、極論すれば生計を立てる手段があればなんでも良かったのかも。
対談当時、秋本治50歳。小林は1歳年下。
同期だった二人、片やレジェンド漫画家となり、片や売れなくなりカルト教団の設立に逃げた漫画家。
両者の未来に決定的な差を生じたのは単に才能の問題だけではなく創作活動へのモチベーションの差であると見ました。
で、「茶滅の刃」ですか。鬼滅をろくに読むこともなく今更すぎるパロディにほとほと呆れましたね。
小林がクリエイターでありながら恐ろしく漫画やアニメを知らないのにはそもそもエンタメそのものへの興味が乏しいのでしょう。
まるでよしのりやな。
そもそも文化人としての小林は、外では「傲慢」を演じるどころか芋を引くことも少なくありませんでした。テレビの討論番組では相手にろくな反論もできず、自分が大物と見なした人間に出会うと簡単に媚びてしまうのが小林の「傲慢」の実態でした。
しかし、自分とは意見が正反対の論客に「傲慢」をかますことができない小林の醜態さえも、「どんな意見でも許容する小林先生は度量が広い」とファンたちは勘違いしてくれました。ゴー宣のファンたちが相手なら、小林は「傲慢」を貫く論破王を演じて情報操作をすることができたからです。
ゴー宣での小林は、逆張りによる反権力パフォーマンスによって反骨の人を演じています。しかしながら、現実の小林は権威主義者でビビリであるため、自分より強そうな相手に出会うと頭が上がらなくなります。
知名度がある芸能人や、自分より実績がある文化人や、自分より頭がいい知識人や、自分より地位が高い政治家に対しては、小林は内心では恐れを抱いている人間です。
小林がゴー宣を通じて強者に喧嘩を売っているのは、「強いものに吠えているわしが好き」というナルシシズムだけではなく、強そうなものに対する憧れや嫉妬心も動機になっているでしょう。
権力や地位や名声に対して誰よりも憧れているくせに、自分の実力では遥かに及ばないことに嫉妬や劣等感を抱き続けてきたのが小林の人生でした。
しかも、小林は「わしのことを認めて欲しい」という承認欲求が強い人間でもあります。だから自分より強そうな人間に認められると、「あの大物がわしのことを認めてくれた」と小林は舞い上がってしまいます。
小林は権威主義者で承認欲求が強いため、自分を褒めてくれる大物には簡単になびいてしまう癖があります。
旧ゴー宣のころは敵と見なして罵倒していた西部邁や、右派時代のころはあれほど批判していた辻元清美に対しても、出会った途端に小林は相手と簡単に意気投合してしまいました。
自分に愛想良く振る舞う相手に対して、「食わず嫌いで警戒していたけど、実際に会ってみたらいい人だった」と思い込んでしまうお人よしが小林です。社交辞令を真に受ける小林のお人よしっぷりは、麻原彰晃に出会ってコロッと騙された中沢新一や島田裕巳のことを笑えません。
安彦良和との対談を小林が「非常に楽しかった」と言っているのは、「あの大物がわしのことを認めてくれた」という満足感があるからでしょう。
「安彦良和は実際に会ってみたらいい人だった」という気持ち良さも、当然小林にはあるはずです。社交辞令を真に受ける小林は、自分に愛想良く振る舞ってくれる安彦のことを「いい人」と思い込んだのでしょう。
結局、ゴー宣を通じて読者たちの前で「傲慢」を演じている小林の正体は、内弁慶でお人よしの権威主義者に過ぎませんでした。
https://www.gosen-dojo.com/blog/7205/
>「朝まで生テレビ」 や報道系の番組に出たときは、人に自慢するほど「世間体」が良くて、誇らしいようだが。
どうやら小林の母は、息子が朝生や報道系の番組に出ると人に自慢をしていたようです。朝生や報道系の番組に呼ばれた小林よしのりとは、あくまでも言論人としての扱いであってストーリー漫画家としての扱いではありません。
つまり、小林の母が晩年に誇りに思って人に自慢をしていたのは、「言論人となった息子」であったというわけです。おそらく小林の母は、漫画家の職業よりも言論人の職業の方に権威を感じていたのでしょうね。
『東大一直線』の連載をジャンプで始めたころの小林は、家族や親戚中から漫画家になることに猛反対されていました。ジャンプで連載している漫画は下手をすれば10週打ち切りで、漫画家の仕事は先行きが不安定であると小林から知らされたからです。
普通の人として生きてきた家族や親戚からすれば、小林が漫画家となったことは人生設計を度外視した無謀な行為に見えたのでしょう。しかし、『東大一直線』や『おぼっちゃまくん』をヒットさせた小林が、家族や親戚中から好意的に評価されていたかどうかはある意味で微妙です。
「小林よしのりが描いているギャグ漫画は下品な作品だ」という世間の評判が、家族や親戚の耳に届いている可能性は当然あり得るからです。『おぼっちゃまくん』のアニメ版は、 PTAが選ぶ「子供に見せたくない番組」の常連でした。
旧ゴー宣1巻で描かれていますが、統一教会信者となった叔母でさえ、小林漫画は下品だという世間の評判を電話で小林に伝えています。
下品なギャグ漫画家として後ろ指を指される息子よりも、言論人として活躍している息子の方に両親が誇りを感じていたであろうことは想像に難くありません。何しろ小林の両親の世代には、「漫画家という仕事は低俗」という先入観がどうしてもあります。
漫画家としての小林は、母親から「漫画家の仕事をやめて福岡へ帰ってこい」と言われていました。小林の母親によるこのような忠告は、息子の職業が不安定であることを心配して言っていたように表向きは読めます。
しかし、小林の母親は幼少期のころの息子を虐待していた人間であり、「生命保険を掛けてあるからあんたはいつ死んでもいいよ」と言い放つ冷たい性格のエゴイストでした。
母親が小林に「漫画家の仕事をやめて福岡へ帰ってこい」と言っていたのは、おそらく精神的な干渉であった可能性があります。そもそも小林からすれば、漫画家の仕事をやめて福岡へ帰ることは今までの人生を否定することに等しいものです。
小林の母親は漫画家となった息子のことを評価しておらず、過干渉によって精神的な自立を妨害しようとしたのかもしれません。
晩年の小林の母は、「言論人になった息子」に対する世間的な評価を愛していましたが、「ありのままの姿としての息子」に対する愛を持つことは最後までありませんでした。
「ありのままの姿としての自分」を母に認めてもらえなかったことは、小林が等身大の自分を直視できなくなる一因になりました。母親が「ありのままの姿としての息子」を愛していれば、大人になってからの小林は「虚勢」という鎧で自分の身を固める生き方をせずに済んだのかもしれません。
大林わるのり
誰情報だよ
あのカラオケ動画の後にわざわざ笹氏を
持ち上げるような動画まで製作していたので、
あのシーンはアドリブだったのでは、と今でも考えています。
さて、代表が作中で惚気話を執筆することについて、
ブログ主様と大林様は承認欲求と虚言壁を上げていますが、
私はもう一つの要因として「リビドーをコンテンツとして
昇華できなかった」という可能性を考えたいですね。
80年代以後「厳格に訊け」、「遅咲きじじい」といった作品にはR18的な猥雑さ、フェチィシズムが描かれるシーンが多かった(これはゴー宣も同様であり、スペシャル本などでも分身のよしりんや登場キャラの濡れ場がよく
挿入されることがあった。
少し前の記事のサムネのように代表が「自分ならとてつもなくいやらしい作品が描ける」という自信があり、かつ80年代以後ずっとエロス表現への関心があったならそちらの作品を描いてもよかったのに。(葉月連氏によれば、男性機能障害を発症してからも『中二病的エロ依存症』レベルだった)
それをしなかったのも、漫画を承認欲求や権力獲得のツールにしてしまったため、①作中で理想のエロスやヒロインを描くよりも現実に女性をリビドーの対象にしてしまつた②90年代前半におぼっちゃまくんとゴー宣で得たプライドが邪魔して一からエロ漫画に挑戦する気概を持てなかった(90年代は今日に続く同人文化・アキバカルチャーのクオリティーが飛躍した時代でもあった)。代表も最近の漫画を「オタク臭い絵」として否定(あるいは嫉妬)していた……といった諸要因があったのかなと。
今日みたいにファンクラブ内で門弟や師範たちをはべらせセクハラを繰り返す小林よしのりよりも、エロ漫画に挑戦するよしりんであった方が色々プラスだった気がします。
西義之先生(ジャンプ漫画・アニメ、『ムヒョとロージーの魔法律相談事務所』作者、そのご困窮するも2020年代に成人向け同人で復活し家まで建てる)
虚淵玄(脚本家、アダルトゲーム会社ニトロプラスでシナリオライターを得たのち、『魔法少女まどか☆マギカ』『仮面ライダー鎧武』などを執筆)
のようにリビドーを作品に昇華させることが出来ていれば、
と思うと悔やまれてなりません。