検証「ゴーマニズム宣言と噂の眞相、どちらが正しかったのか」
脳出血で入院した際にMRIで検査した結果、血管性認知症と診断されたイボナメクジこと小林よしのり(コバヨシ)は腎臓の機能も低下しているといいます。
《MRIで、わしが脳溢血だと判明したとき、妻が医者から聞いたのだが、わしの脳は萎縮していて、すでに認知症が始まっているらしい。》
《腎臓の60%の機能を失い、残り40%だ。これを大切にして、使っていく。》
私は医療に関する知識がないので、脳出血して認知症になり、更に腎機能低下したことがどの程度の状態であるのか分かりませんからちょっと検索をかけてみました。
検索すると幾つか記事があがってきて、それを読んでみたのですが、コバヨシの今の症状について大したことがあるのかないのか正直分かりませんでした。
しかし少し読んでいて、なんだか知りませんがその内容に笑いが込み上げてきました。
それは極めて不謹慎な振る舞いであることは了解しており、誠に申し訳なく思います。
https://www.qlifepro.com/news/20210705/intracerebral-hemorrhage.html
《脳出血発症時に腎機能低下を認めると回復が不良
腎機能低下群は、脳出血発症3か月後の死亡または高度機能障害のリスクが有意に高いことがわかった。
脳出血発症時に腎機能低下を認めた群では、腎機能が正常であった群と比べて脳出血発症後の機能回復が不良であることが示された。
また、腎機能低下群では、脳出血急性期の積極的な降圧は、発症3か月後の死亡または高度機能障害を増加させる可能性があることが示された。
https://academia.carenet.com/share/news/2dc082ac-73f4-4028-a19e-f2c065a382c0
《腎機能障害は脳卒中再発リスクの増加および脳内微小出血負荷の増加と関連することが明らかになった。腎機能障害を有する脳卒中患者は、通常の二次予防策に加えて、より綿密な経過観察や個別化された治療アプローチが必要となる可能性がある。》
《慢性腎臓病とは、腎臓の機能が60%未満に低下することを言います。
腎臓の機能は失われると回復することがない場合が多く、慢性腎不全といわれる病態になります。
今日では、脳・心・腎連関をはじめとする臓器関連の重要性も知られ、認知症やサルコペニアなどもCKDと関与すことも明らかにされています。》
さて、脳出血を放置していた為に認知症の進行を早め、更には慢性腎臓病となり、透析待った無しの状態であるコバヨシの愚行について、善良なウォッチャーのなかには「可哀想だからもう追及するのはやめてやれよ」と言う声もそろそろ聞こえてきそうです。
確かに病人や死人に鞭を打つのはあまり良い趣味とはいえません。
だのでXデーが来た暁にはこの愚行録も終了しなければならないとは思っています。
最近急ぎ足で過去のコバヨシの言動への検証をしているのもその為です。
もう少しじっくりと検証したものをnoteの方で進めていきたかったのですが、残り少ない時間の中ではそんな悠長なことはやっていられませんので、急ぎ足で大雑把な検証を進めてゆくことをお許し下さい。
そんな検証作業について、ありがたいコメントが届きました。
《PCのファイル整理をしていたら、以前書きなぐりをした小林よしのりについての雑文が出てきました。
小林よしのり氏への疑問点 令和2年10月29日
1、小林よしのり氏のゴーマニズム宣言を読むと「あれはああだ、これはこうだ。だからそれはおかしい、まちがっている」もしくは、「(承前)だからそれはこうなるのが正しい」こういう部分をよく見る。
しかし、否定にせよ肯定にせよ、小林氏が断定的に言い切っている部分には、「なんでそうなるの?」と疑問符が付くことが多々ある。
自分に基礎知識が不足しているからなのだろうとは思うのだが、読者の中には同じような疑問を持つ人が多数いるのではないかと思う。
『わしがこう思うからこうなのだ』というギャグをかましているのが「ゴーマニズム宣言」とも理解できるが、それでは「小林信者」以外の読者は徐々に飽きて呆れて相手にしなくなるのではないか。
2、かつての作品に脱正義論がある。その中にとても印象に残るエピソードが書かれていた。
薬害エイズでカミングアウトした川田龍平たちとの「運動」に温度差を感じていた小林氏は、ある日川田龍平から笑いながらこんな指摘を受ける。
「発売中の作品に重大な事実誤認がある。母親の髪の毛はあの当時ロングヘアーだったのに、作品ではショートになっている」というものであった。
それに対して小林氏はこう答えている。
「マンガ的手法として、キャラ立ちを図るために多少の修正は認められていることだ」と。
川田龍平はそれを聞いて、しばらくじっと考えて、こう云い捨てた。
「しょせん、小林さんは漫画家なんですよね。」
そのあとはなにを目的に川田龍平はこんなことを自分に云ってきたのかについての考察を進めていく内容になっている。
以上は、私の30年前の記憶で書いている。
作品上の文章を引用したものではないため、詳細な語句や表現・言い回しは原本とは相違しているかもしれない。
ポイントは「これはマンガ的手法として認められていること」
つまり、マンガ家は使っていいけれど、それ以外の表現者には認められないという決め事があるということなのではあるまいか。
このことは「なんだかんだ能書きをぬかしていやがるが、最終最後にはおちゃらけネタオチで話を〆る漫画家のごたくにすぎない」という批評に信ぴょう性を与えるのではないか。
小林氏の脳内で是々非々の基準があれば問題外の事なのか。それでは言論人・知識人としては失格なのではないのか。
脱正義論を読んで30年近く経ってもこのことは疑問のまま残っている。
わたしが愚行録ブログを読み始めたのは令和5年の6月からですので、その3年前に記述したことになります。
鷲ヲさんと大林さんの論評によって、小林よしのりという人物について理解を深めることができました。
今までわからなかったことが解析されて、なるほどあれはそういう事だったのか、と納得できることは知る喜びであり、快感でもあります。
小林よしのりが表現活動を続ける限り、世の中に害毒をまき散らすわけですから、公衆の敵としての害悪の詳細を世に知らしめる役割を果たしている愚行録ブログはとても貴重だと思います。》(すろんさん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/519180895.html
弱り切ったボケ老人、もとい病人を厳しく批判するのは心苦しいものがありますが、「世の中に害毒をまき散らす公衆の敵」であるのならば、そこは心を鬼にして最後の最後まで手心を加えず、しっかりと正直な論評をしていこうと、すろんさんのコメントを読んで改めて思いました。
すろんさんの疑問点は至極当たり前というか、ゴーマニズム宣言を読んでいて、普通につまずく違和感でありますが、その違和感、疑問にコバヨシは一度たりとも誠実に回答することはありませんでした。
かつて「噂の眞相」という雑誌が小林の疑惑を追及した時、小林は噂の眞相編集長岡留安則を「奇形左翼」と呼び、自分への記事について「デマ」であるとマンガの中で反論してみせました。
しかし実は小林は噂の眞相の記事の内容について明確な反論はせず、「奇形左翼が天才のわしに嫉妬して中傷している」というようなことを繰り返し描いているだけでした。
記事の中の主要な部分には触れず、瑣末なところだけを切り取って言い返し、「左翼特有の権威のこき下ろしに過ぎない」と印象操作し、「わしの読者はそんな卑しいスキャンダル雑誌を読むな」という風な感じでケムに巻いていました。
噂の眞相を読まず、小林の言い分だけを読んでいたら、悪いのは極左岡留ということになりますし、小林と秘書の私的な関係について興味がなければ、まあどうでもいいやとスルーしてしまう案件でもありました。
しかし、岡留の狙いが小林の女性関係を暴くことではなく、小林がマンガという表現を利用してえげつない悪事を働いていることを知らしめたいとしていたのなら、当時「どうでもいいや」とスルーしていたゴー宣読者は反省すべきでしょう。
あの時、噂の眞相の記事をしっかり検証すべきだったのではないでしょうか。
小林は当時「噂の眞相」の記事について「根も葉もないデマ」であるとして批判していましたが、数年後に当事者である末永直海が、噂の眞相へ寄稿した文章の中で「根も葉もない嘘は書いていなかったのだなぁということ。アウトラインは確実に押さえていますよ。」と白状してしまったことで、岡留側がまったくのデマを流していたわけではなく、しっかりと取材した上で小林を批判した記事を書いていたということが分かりました。
ちなみに、この末永の寄稿について、小林はゴー宣の欄外で「恩を仇でかえしやがって!」というような怒りのコメントを書いていましたが、単行本に収録した際にそのコメントは消されていました。
小林は年老いて劣化したという声を時折聞きますが、この噂の眞相とのことを再検証してみると、単に可視化されていなかっただけで、小林は昔から何も変わっていないのじゃないのかという気がしてきます。
さて、今回も大林批評で〆させていただきます。
《小林よしのりは長い間言論人の仕事をやってきたくせに、今では大多数の一般人に言葉を届ける気力を失っています。
また小林は自分の主張が第三者の視点から厳しく批評されることさえも嫌がるようになりました。
言論人として堕落した小林はシンパたちを集めた内輪向けの運動ごっこで自己満足をする生き方を選びました。
だから動画サイトを使った番組「オドレら正気か?」さえも、小林シンパたちを客層とした内輪向けのための内容になるのは必然でした。
一般人に言葉を伝えるための努力を放棄し、内輪向けの自己満足のために活動している小林一派には世間に言葉を届ける力はすでにありません。
内輪向けの動画配信で床屋談義をしたところで社会を動かす力はありませんし、政治に影響を与えることもありません。真面目に言論やジャーナリズムの仕事をしているプロの人たちに比べると、小林一派がやっていることは児戯に等しいものです。
それどころか動画を配信するための諸々の不備の克服や、社会情勢を理解して質が高い議論を行うための勉強といった根本的な努力さえも小林一派は放棄しています。
しかし動画を配信するための不備が改善されなかったとしても、小林が過去の立場とは矛盾する主張を平気で唱えたとしても、シンパたちは何も批判せずに喝采してくれます。
何を言ったりやったりしてもシンパたちが褒めてくれるのですから、小林と側近たちは真面目に仕事をする気力や向上心さえももはや失われているのでしょう。
「オドレら正気か?」で、知識人と話すのはつまらないと小林が言ってしまったことは言論人としての今までの仕事を否定するようなものです。
一漫画家であった自分が言論人として仕事をすることができたのは、知識人たちとの交流や議論を積み重ねたおかげでもあることを小林はすっかり忘れています。
知識人との議論よりも取り巻きとの駄弁りの方が面白いと小林が言うのは、「公論形成」のための努力の否定に他なりません。
それは、「公論形成」という目的を掲げているゴー宣DOJOの存在意義自体の否定につながるものです。
今のゴー宣DOJOは、小林のカラオケ活動のためのファンクラブと化しているのですから無理もありません。
一般人たちや世間に向けて言葉を伝える努力を放棄した小林には、プロの言論人を名乗る資格などありません。》(大林わるのりさん)
この記事へのコメント
1.小林を批判する噂の真相記事の内容紹介と、その信憑性の確認。それらの記事に対する小林の反応対応の時系列表記。ひたすらデマだ嫉妬だ嫌味だヤキモチだ、を繰り返すだけだったのかを検証。
2.日本国内で東京以外の都市を首都として独立国が誕生し、吉里吉里国とは異なりその国が共和制を選択しなかった場合を除けば、スキャンダルや死亡事故や婚姻以外の事項で皇族皇室に関するテーマが国民的話題議題になることは、今では考えられない。終戦時には、天皇が戦犯として銃殺や縛り首にされたら、自分達は生きていけない との心情を持つ日本国民が多く存在する事を考慮して、米軍は天皇の安堵を占領政策に盛り込んだ。 昭和20年8月に日本国では国体が天皇から国民に変わる革命が起きたとする主張について、小林は言及したことがあるのか?
3.伊藤詩織が山口何某を訴えた刑事裁判で、山口が不起訴処分になったのは、安倍晋三が司法に裏から手を回した結果だ と小林は主張していたが、それは事実か?
4.沖縄戦に関する章で描かれていた殺人鬼金城兄弟のエピソードは事実なのか?集団自殺の軍命があったことにすれば、沖縄戦で死亡した一般人にも遺族年金が支給されるため、赤松という将校だった人は『軍命はあった』と裁判で証言したと、小林は描いているが、これは事実か?
5.北方領土の件で描かれていた、4島返還から2島返還に国が方針変換したのは、鈴木宗男と佐藤優の策動によるものだったというのは事実か?
6.小林が描いていたアイヌへの先住民族国会決議と補助金助成金の支給に対する批判に誤りはあるのか?アイヌに関しては、1970年代に本多勝一が出版したエッセイ本 貧困なる精神 に収録された文章と基本認識が同じ論調である。
7.小林の歌うま基準は、高い音域の声が出せるかどうか なのか? かつて、甲斐よしひろは、NHKホールライブのインタビューで、自分は声変わりをしていない と話していたが、小林もそうなのか?
8.ゴー宣道場の目指す目標として小林が設定した公論形成とは、小林自らの思い付きとパクリから生まれた主張を、世の中での一般的な主流な考えに昇華させる方法を模索することなのか?
小林が描く事項は、そのほとんどが自己都合のために、虚構のデコレーションや事実の隠蔽が施されたウソ話である。ウソ話が書き連ねられていることを前提にして作品を読み込むと、ひょっとして間違い探しを楽しめるのだろうか。
黙っているのは卑怯なことだと
おしゃべり男の声がする by 中島みゆき
ホントの事なんか描く訳がないだろ 物語だから、そこはウソです
本当の事はもう話せない
本当の事は森の奥
森の奥のきこりの小屋で
おしえるよお前だけに by zabadak
了
ゴーマニズム宣言を読んでいなかったら、自分はこの知識を得ることができなかったに違いない。よしりん先生、ありがとう!
世の中の思潮の右でも左でもなく自己の主張を貫き、その都度最適な考えを自分達の前に示してくれる。よしりん先生、すばらしい!
雑誌出版社のいいなりになることなく、我慢の限界が来たときや堪忍袋が破けたときには、書籍版権をすべて引き上げて、他誌他社へ移籍しちゃう。よしりん先生、かっこいい!
数年前まで、その記載内容に疑問を感じながらも、自分に基礎知識が足りないからゴー宣マンガに描かれている結論に行き着けないのだということにして、ゴー宣読者を続けてきました。 世間で話題になっているこのテーマについて、よしりん先生はどう評価するのだろうか?それを楽しみに、ゴー宣道場ブログを読み続けていました。
ウソを多用して読者を騙し続ける、誇大妄想のパラノイア老人は、その毒牙にかける新しいカモを模索しています。
わたしは 21世紀ミレニアムのころに読者になり、のちに出版物を買い揃え、社畜年季が明けたら自分も道場なるものに参加してみようかしらん、などと寝言をほざいていました。
わたしが暗黒面に堕ち入らずにすんだのは、イボナメブログシリーズのおかげです。 今現在、かつて読者であり、ファンであり、支持者であったわたしが小林よしのりについて知りたいと思うことを以下に列記しました。鷲ヲさんの検証テーマの参考にしていただければ、幸いです。
その2に続く
小林が露悪趣味と逆張りで周囲の受けを狙う言論人になったのは、彼の性格から来ています。奇をてらった発言や振る舞いをして、周りから注目されたがるという癖が小林にはあります。
中学時代のころの小林は、クラスではひょうきんキャラだったそうです。当時の小林は、ひょうきんなキャラを演じてクラスの人気者になることを狙ったのでしょう。
また、高校時代のころの小林は、不良たちからの受けを狙って全校集会で校則の自由化を訴えています。しかし、小林の目論みは裏目に出てしまい、彼は学校で不良たちから狙われる存在となってしまいました。
小林はお調子者で目立ちたがり屋の性格であり、周りから自分が注目されると舞い上がってしまいます。わざと意表を突く発言をして周りの注目を集めることを狙う小林の癖は、少年時代から現在まで変わっていません。
小林が受け狙いのためにわざと奇をてらった発言や振る舞いをしたがるのは、「わしのことを認めてほしい」という承認欲求ともセットになっています。
彼が承認欲求にこだわる人間となったのは、両親にありのままの自分を認めてもらえなかったからです。幼少期のころに両親から虐待を受けたことは、その後の小林の人格や生き方を決定づけました。
受け狙いのために奇をてらった発言や振る舞いをしたがる小林の癖は、ギャグ漫画家としては役に立ちました。読者に受けるためにいつも作品で奇抜なギャグを考えるという仕事柄においては、小林の性格はプラスに作用しました。
しかし、受け狙いのために意表を突くことをいつも目論む小林の性格は、面白主義やポピュリズムにつながるものであり、言論人として生きていく上でふさわしいものではありません。
なぜなら、受け狙いのために奇をてらうことを優先する価値観は、「何が正しくて何が間違っているか」や「何が善で何が悪か」よりも、「何が面白くて何が面白くないか」が優先される価値観へとつながってしまうからです。
事実、言論人としての小林は、受け狙いのために露悪趣味発言と逆張り発言をたびたび繰り返し、間違った主張を唱えても全く責任を取ろうとしませんでした。
受け狙いのために奇をてらう性格の持ち主である小林は、言論人の仕事には向いていなかったと言えるでしょう。
https://www.gosen-dojo.com/blog/58648/
「おぼっちゃまくん」の原稿の完成が遅れているのは、チーフ広井が病気療養中であることの影響でしょう。漫画のペン入れをスタッフに丸投げしていた小林の執筆活動は、今ごろになってツケを払わされようとしています。
また、小林が趣味のカラオケにのめり込んでいなければ、新作「おぼっちゃまくん」のシナリオやコンテの執筆はもっと速いスピードで進んでいたでしょう。
しかし小林は、漫画の執筆をスタッフ任せにしてカラオケ趣味に夢中になっていたことに対しては、全く反省をしていないようです。
なぜなら、小林がブログで書いている「忙しさが半端ない」数々の物事の中には、彼のカラオケ趣味であるよしりんバンドのことも含まれているからです。
「13日の横浜LIVEの練習も、いよいよ佳境だろう。指が痺れたままだが、ギターの練習もしなければ、作詞作曲ができない」
そもそも小林の本業は漫画家であるため、歌手の真似ごとをする必要はありません。小林が真面目に仕事をする人間であるならば、横浜LIVEの開催も本来なら全く必要ないものです。
小林は「漫画家であるわし」という自分への愛が強いくせに、漫画に対する愛はさほど持ち合わせていない人間です。だから、小林は他人が描いた漫画に対する興味はろくに持ち合わせていません。
それが証拠に、小林は安彦良和の作品にあまり興味を持っていないのに、対談が決まってから慌てて作品を読もうとしています。
「土曜日は安彦良和氏との対談だから、氏の作品を読んでおきたいし、対談の内容が見当もつかない。とにかく圧倒的な絵師からお声がかかったから、光栄で、直ちにOKしただけだ」
安彦良和は権威ある漫画家だから、自分の箔付けのために対談に応じるという俗物が小林です。小林は自己愛が強い一方で、他人は自分が利用するための道具としか思っていません。
漫画を愛していない漫画家であった小林が、漫画の仕事に不熱心でカラオケ趣味にうつつを抜かす堕落した晩年を迎えたのはある意味で必然だったのかもしれません。
カラオケ三昧の堕落した生活を送りながら自分の忙しさをアピールしている小林に対しては、漫画家としてもっと真面目に仕事をしろと言いたくなります。
んなのあったっけと、全く記憶になく気になったので少し調べて見ました。
『噂の真相』が休刊になったのは2004年とのことで、2004年の『SAPIO』1年分の欄外を見てみましたが、末永直海に言及した記述は見当たりませんでした。
この時期、小林よしのりは『わしズム』のほうにも描いているので、そっちかなとも思い、2004年発行分を確認しましたが、『わしズム』では欄外を書いていない。
というわけで確認は取れませんでした。
この時期の『わしズム』には飛び飛びですが末永も寄稿しており、関係は良好だったようですね。
なので、仮に「恩を仇で返しやがって」的なコメントがあったのが本当だとしても、本気でキレてるわけではなく、例のじゃれ合い的なニュアンスに過ぎないのではないかと思われます。
今現在でも末永が小林よしのりに忠誠心があるのは周知のことなので。
代表と今の総合Pの関係は過去の秘書たちのそれとは
異なる異常でなものであるという感を新たにしました。
末永、金森、岸端という過去の秘書たちは、
例え代表にとってコンパニオンのような存在であったにせよ、
作中やブログ内での登場は秘書としての業務が話題の中心となっており、
今の総合Pのような異常な惚気話や入れ込みを公開してはいなかったはずです。
それだけ総合Pがお気に入りということなのでしょうが、二人の今の関係は
故事に言う傾城傾国(君主が寵愛する女に入れ込み、やるべき仕事を怠ったために国が亡ぶ)そのものですね。彼女のせいで多くの門下生が代表の元を去ったうえ、カラオケ中のともだちんこをにべもなく拒否したように、向こうは代表に本気で魅力など感じてなどいないのに。
代表が盲目的に彼女に依存しているのは、
彼女をよしりん企画の運営に参加させようとしているのもそうですが、
奥方に合わせるという異常行動からもうかがわれます。
>わしの妻も、ちぇぶと話し合って、その「絶えず
前進する性格」を大いに買ったようだ。
葉月蓮さんによれば代表は奥方について「もう女として見れない」
と言ったそうですが、形だけでも家族のパートナーである奥方に
愛人扱いしている存在を会わせ、関係は良好なのだなどとアピール
するのはあまりにも残酷な行為ではないでしょうか。
奥方からすれば、仮面夫婦のような関係でも老後の準備など
家計を守ってくれればこその夫だったはずなのに、
その夫の健康を破壊して稼ぎをコアラ企画の名の下で
吸い上げるような詐欺師が現れたな、というのが本心でしょうに。
2025年11月現在の代表の最後のフィクション漫画は『夫婦の絆』ですが、
現実の代表は色ボケし果てて、そんな「絆」などとっくに振り捨ててしまっていたようです。
まさに笑えないリアル鬼畜系ギャグ。
https://www.gosen-dojo.com/blog/52348/
愚行録ブログに取り上げていただき、ありがとうございます。
読みやすい改行と誤字脱字の修正を施していただき、感謝します。
恥ずかしながら、提案編も投稿させてもらいます。
小林よしのり氏への考察及び提案
令和5年12月5日
考察
漫画、文章、映像、音楽といった手段と方法を問わず、作家である自らが表現したモノは全てが作品であり、創作物である。
よって、そこには虚構が許されるし、偽りや装飾や脚色があって当たり前ということになる。
ややこしいのは、この人物が言論の場の創設を行っており、公論を目指すと公言していることだ。
自らの主張には正当性があり嘘偽りがなく、自らの表現には虚構やデタラメやインチキや模倣がテクニックとして多用されるという使い分けを当たり前としていることだ。
問題は、マンガなのだから創作物なのだから、それも当然だと割り切れる読者がどれほどいるのか、ということだ。都合が悪くなると、ギャグだ、ジョークだ、笑い話だと、いつでも逃げを打てる相手と同じ言論の土俵に登る論客などいるわけがない。
文章では許されないことが、マンガだとマンガ的手法として事実の改変隠蔽が許される、それのどこが言論か?言論マンガなどという概念は存在が世の中に認められない物なのではないのか。
これが、脱正議論の中での、あの当時高校生だった川田龍平の問いかけだ。脱正義論を読んだあの時に感じた違和感を、ようやく納得の行く形で解消することができた。
提案
小林よしのりは、令和の超人伝説を描くべきである。
ベンチマークする表現者のモデルは、黒澤明であり、半村良であり、A.J.クィネルであり、トレバニアンであり、ジェフリー.アーチャーなのだ。
理想とは、現状の把握と分析に基づく、未来への憧れと幻想から生まれる。様々な人の生活分野での、理想的人物像をただただ描き切る。背景はいらない。歴史もいらない。令和のこの時代に、こういう現場にこんな人物がいたらいいだろうな、を、ひたすら列伝で描く。
読者は、無茶苦茶な話に振り回されるが、このキャラクターならこういう話になってもおかしくはないなと、登場人物に感情移入して笑いながら認めてしまう。
そこには、独自の価値観という思想や哲学はあるかもしれない。しかし、言論はない。
『生活実感でしか政治を語れない国民には、人権も民主主義も言論の自由も、使いこなせないブラックボックスだ。日本人の各々の生活分野で、こんな人物が現れたときに、この国に未来が見えてくる、、、』
こんな嘘話を描けるのは、小林よしのりしかいないと、いい意味で思う。
あとがき
これを書いた頃は、小林よしのりという人はすごい人なのだと、まだ思っていました。
本を読むために大学へ行き古今東西の古典的著作を読破し、新聞4紙を毎日通読し、考察し哲学し思考して己の思想を深める努力を日々怠らない知のエキスパート、ゴー宣マンガに書かれていたエピソードをあの当時はまだ本気にしていました。
マンガのキャラクターである小林よしりんとマンガ家の小林よしのりとが一体化して、スーパーヒーローなわし・論破王無敵のよしりんという幻影を毎週毎週垂れ流していたゴー宣マンガを楽しみにしていた自分が恥ずかしいです。
腎機能に関しては、透析が必要になるのは腎機能が10%まで落ちた頃なので、血管性認知症の余命(男性の平均余命は5年ほど)までは持ちこたえられるだろうと思っていたのですが、さよならの日は思ったよりも近そうです。
食事の写真を相変わらずブログに上げていますが、朝食のみしか記載がなく、イボ先生ぴゃんのことだから昼夜は今まで通り外食で好きな物を食べているんだろうなと考えると、間違いなく再発するでしょうし。エアロバイクも結局辞めてしまいましたしね。
離脱が決まった(?)広井氏ですが「(脳溢血の時の)入院の顛末をエッセイ漫画にして発表すればいいのでは?」と言っていたり、着眼点は悪くなかったのですよね。
少なくとも、おぼっちゃまくんの新作よりは需要あったでしょうし、健康雑誌あたりに売り込めば、もしかしたら載せてくれる雑誌もあったかもしれません。
金森女史がよしりん企画を退職した理由は確か、葉月蓮さん曰く、周囲から「結婚しないのか?」「子供はどうするのか?」としつこく聞かれたせいだということですが……
イボ先生ぴゃんが「そんな雑音、聞き流せ!」「君は普通に結婚して子供を産むより、価値がある人生を送っている!」「自分の子供はこの作品(ゴー宣)だと言い切ればいいじゃないか!」とでも言っていれば、彼女は今もよしりん企画で働いていたかもしれませんね。
それを言えなかったのは結局、イボ先生ぴゃんが彼女の仕事の手腕を評価するのではなく、『わしをちやほやしてくれる若い女』という属性でしか見ていなかったせいでしょう。
イボ先生ぴゃんが終生こじらせ続けたミソジニーが、作家としてのイボ先生ぴゃんを殺してしまったのです。
その『わしをちやほやしてくれる若い女』が今では、チェブリンになったわけですが……
広井氏の代わりによしりん企画に携わることになるようですし、まず間違いなく素人視点での余計な口出しをすると思うので、Xデーまでの間にイボ先生ぴゃんが作家としてどこまで堕ちるかドキドキしながら見守っています。
脱原発論に書かれていた内容は良く検証されましたか?今からでも遅くないと思いますよ。
そういった物を淡々と書くだけでも、普通に面白い物になったとは思いますがね。
少し面白い物を見つけたのでご紹介しておきましょう。
https://note.com/mugenhondana/n/n9158face84db
本宮ひろ志の春爛漫という作品だそうです。このエピソード凄く既視感がありますね。初版が1981年だそうですが、既に紹介済みかご存知でしたか?
本宮ひろ志ならば、このままでなくとも作風や人物からさも言いそうではありますが、小林よしのりは実際どうだったのか?
ちなみにこのnoteでも言及されている漫画の神様こと手塚治虫は、素人時代の楳図かずおが送ったアイデアをパクって恥じない人だったそうですが…
https://note.com/mugenhondana/n/n64e8a179ba64
それから、道場は最初から推し活の場であり、ファン向けの集いではなかったんですか?それなりのインテリジェンスがあれば放射能デマに騙されるわけもありませんし。
インテリジェンスが無くば、放射能デマであったり、ワクチンデマであったり、医療デマだったり、陰謀論だったりに人は騙されてしまう。漫画を読んで内なる幼児性をスカッとさせるならば、本宮ひろ志作品のほうが良かったでしょうね。