全体主義の防波堤となって、 言論の自由を守る!
全体主義の防波堤となって、 言論の自由を守る! | ゴー宣DOJO
《ネトウヨ+さな活ミーハーファンが作り出す高市政権の全体主義を、我々は絶対、粉砕する。》
《権力を有利にする全体主義と戦うためには、我々は「個」を貫いて、真実のみを発信する勇気を持たねばならない。我々、ゴー宣道場は、全体主義の防波堤となって、言論の自由を守る!》
「全体主義と戦うためには、我々は「個」を貫いて、真実のみを発信する勇気を持たねばならない。」って、陰謀論者とかカルト集団の常套句ですよね。
そのようなフレーズを多用する奴に対してこそ警戒しなければならないですが、ゴー宣シンパは小林の発信するお言葉こそが「真実」であると盲信しているので、その発言を疑うことはありません。
ゴー宣道場内部で、小林の発信する「真実」に少しでも疑義を呈した者が出た場合にどのようなことになったのかは今更説明するまでもないでしょう。
ほんの少しの異論さえも許さない全体主義の空間、それがゴー宣道場であります。
小林という「個」を絶対視して、その「個」と完全一致して同化することを喜びとする連中。そんな連中の頭領である小林よしりんが「全体主義を、我々は絶対、粉砕する」とか全然笑えないんですけど。
そもそも「全体主義の防波堤になる」とかお前らにそんな力ねぇから。
大体が小林が高市早苗に対して属性差別を繰り返しても何のお咎めもないほどには「言論の自由」は守られているでしょうよ。
たとえば批評に対して「そんな厳しく批判をされて私の心は深く傷つき、名誉が毀損された思いがする」などと裁判沙汰にする奴からの圧力があったのならば、「それは言論の萎縮に繋がる」と言って、言論の自由を守れという話にもなるでしょう。
いわゆるゴー宣アンチの人との裁判に勝ちました: イボナメクジ愚行録
ネットで誹謗中傷されて裁判で勝った時の話: イボナメクジ愚行録
「全体主義の防波堤となって、言論の自由を守る!」と言うのならば、小林シンパによるいわゆる「名誉毀損裁判」についても「わしのファンサイト管理人よ、言論の自由を守れ!」と一喝すべきでしたでしょうに、自分への批判者の口封じに嬉々としていた小林よしりんのダブスタぶりには呆れました。
余談ですが、例のファンサイト管理人って、YouTube配信などで「裁判に勝った」と言うわりに、その判決内容についてしっかりした説明をしていないのですから笑えます。
それもその筈、以前に自ら「名前貸ししただけで裁判費用も出していない」と口を滑らせていましたから、実際には例のサイトのカレは何ら関わりもなく、勝っても負けてもいないわけです。
言ってみれば、カレは部外者であるわけなのに、まるで裁判に勝って賠償金を得たかのように吹聴しているようですが、言っていて虚しくならないのでしょうか。
カレがまたあの裁判についてイキっているぞという話を耳にする度に私は空条承太郎のように「やれやれだぜ」とクールに呆れるのでした。
話をイボナメクジことコバヨシの「全体主義の防波堤」に戻しましょう。
コバヨシのこのマヌケなブログ記事について、恒例の大林批評が届いていますので紹介します。
あまりの鋭さにコバヨシのライフが尽きます。
《小林よしのりによる高市批判は、山尾志桜里への恨みや受け狙いのための逆張りが動機なので深い意味はありません。
そもそも小林の逆張り発言には、「強いものに吠えているわしが好き」というナルシシズムも動機に含まれています。
強そうな相手を巨悪に設定して受け狙いのための反権力パフォーマンスを演じ、読者のガス抜きを行ってきたのが小林言論の特徴です。
しかし、自分を全体主義と戦う勇者であるかのように演じている小林は、実際には強大な権力に憧れている俗物に過ぎませんでした。ゴー宣で小林が「独裁者になりたい」と言っていたのは、ギャグではなく本心によるものだったのでしょうね。
小林が高市政権と支持者たちを「全体主義」呼ばわりして批判しているのは、ある意味では彼がやっていることの投影とも言えるでしょう。なぜなら小林が作ったゴー宣DOJOこそが、見事なまでに閉鎖的な全体主義の運動集団と化しているからです。
小林はゴー宣DOJOの門下生たちに対して、「真実のみを発信する勇気を持たねばならない」と言っています。しかしゴー宣DOJOでは、何が真実であるかの基準は小林が全て決めています。
当然のことながら、門下生たちがゴー宣DOJOで小林に異論を唱えることは許されていません。この現状を全体主義と呼ばずして、何と言うのでしょうか。
全体主義の集団では、特定の敵を設定して構成員たちをまとめ上げるという特徴があります。ナチスドイツはユダヤ人への憎悪を煽って民をまとめていましたし、あのオウム真理教でさえフリーメイソンや権力の陰謀を唱えて信者たちを団結させていました。
そういえばゴー宣DOJOでは、小林はいつも特定の敵を作り上げて門下生たちを団結させています。竹田恒泰や高市早苗のように特定の敵を設定して憎ませることで、門下生たちを運動のために運動に駆り立てるのが小林の目的なのでしょう。
小林が門下生たちに対して特定の敵への憎しみを煽っているのは、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』で書かれた「二分間憎悪」に似ています。『一九八四年』で例えるのなら、小林は出来損ないのビッグ・ブラザーであり、「オドレら正気か?」は出来損ないのテレスクリーンであると言えるのかもしれません。
結局、小林による高市批判は全体主義との戦いではなく、ゴー宣DOJOという全体主義の集団を団結させるための敵作りであるのが現実なのでしょうね。》(大林わるのりさん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/519033828.html
「特定の敵を設定して憎ませることで、門下生たちを運動のために運動に駆り立てるのが小林の目的」について、旧ファンサイト管理人は、「わかりやすく間違っている論を仮想敵とすることで自分の正しさを印象づけようとするしぐさで悦に入る。このような悪意や見下しに対しては、正直一生やってろ!って思います。」と暗に小林を罵倒しています。
未だ小林の背を追っている旧ファンサイト管理人は小林よりもむしろその周りの眷属である時浦や総合Pもん子への恨みからこのような罵倒を名指しせずに行っています。
これ以外でも、さも別の案件のことであるかのように偽装して、道場批判を繰り返しています。
実に見苦しいというか、潔くないというか、人間が腐っているというか、腐った男の代名詞というか、まあ単純に腰抜けの甘ったれたイジケおじさんというだけの話なのでしょう。
批判をするなら堂々と真正面からすりゃ良いでしょうに、苔ナビ婆さんと例のカレは未だに総合Pの失墜を願い、もん子亡きあとの元サヤを狙っているのでしょう。
実に見苦しく、実に情けない。
また脱線してしまいましたので、話を大林批評に戻します。
あまりに的確すぎる大林批評について、それを揶揄する無意味なコメントが投げ込まれました。
《大林わるのりは相変わらずですね》(谷口ダイゴロウ)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/519033828.html
この投稿は単なる嫌がらせのつもりで投稿したのでしょう。だから、まさか承認されるとは思わなかったのか、この投稿を承認するや光の速さで異様な内容のコメントを複数連投してきました。
他人になりすましたしょうもない内容なので当然のことながらそれらは承認しません。
小林界隈はこのような嫌がらせが「言論の自由」だと思っているのでしょう。
まさに、「恥を知れ」というやつですね。
そんな恥知らずの小林界隈など意に返さず、大林批評は今日も今日とて炸裂しています。
《小林よしのりは、相変わらず他の人たちを無知と決めつけて見下しています。
そもそも小林が集団的自衛権を巡って高市首相を批判している言説は、辻元清美議員の意見を参考にしたものです。
辻元議員がXで表明した意見は、おそらく他の国会議員たちも少なからず読んでいるはずでしょう。
しかも小林が参考にした辻元議員の意見でさえブレーンの時浦が教えてくれたものであるというのが現実です。
皮肉なことに、小林こそがブレーンの入れ知恵がないと集団的自衛権とは何かさえも語れない無知な人間であったというわけです。
小林はブレーンに言論活動を丸投げしている人間であり、実際はあらゆる物事に対して勉強不足が目立っています。
彼が自慢している『台湾論』や『沖縄論』でさえ、ブレーンや案内役が存在していたおかげで製作ができていました。
小林のブレーン担当といえば時浦兼ですが、場合によってはゴー宣DOJO師範の泉美木蘭がブレーンの役割を果たすこともあるのでしょう。
以下の小林の発言から、そう推察せざるを得ません。
「泉美木蘭さんが構成案を送ってきたが、わしの考えをよほど理解していなければ、あの構成案は作れない」
どうやら小林は、「オドレら正気か?」の構成案作りを泉美木蘭に丸投げしていたようです。
小林の言葉を鵜呑みにして、「泉美木蘭は小林の考えを理解してくれている」と建前通り理解するのは皮相な解釈です。
実際には、「小林は自分の考えがないので、ブレーンの泉美木蘭に理論武装を丸投げしている」という解釈の方が正しいのかもしれません。
結局小林は、台湾有事の問題や集団的自衛権の問題について何も知らないから、「オドレら正気か?」ではブレーンの泉美におんぶにだっこで発言するつもりなのでしょう。
高市首相への属性差別を正当化する小林の意見さえも、泉美がイエスマンとしてヨイショするのでしょうね。いや、それどころか小林は認知症の影響で思考の能力が衰えているから、泉美木蘭に助けてもらうつもりなのかもしれません。
10月5日に岡山で開催されたゴー宣DOJOのイベントでの小林は、単語の物忘れをするたびに泉美に教えてもらっていたそうですからね。
勉強不足で何も分かっていないのは、ブレーンに頼らないとまともな言論活動ができない小林の方です。それどころか今の小林は、例の病の影響でちゃんと勉強ができているのかどうかさえ怪しいものです。
もはや小林は言論人としては抜け殻でしかありません。》(大林わるのりさん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/519033828.html
まったく手加減を知らない大林批評にコバヨシとその眷属トキウラは沈黙するしかありません。
都合が悪い批判には「見猿聞か猿言わ猿」が90年代からのゴー宣の鉄の掟でした。
触れずにスルーしてりゃ馬鹿な読者は気付きゃしないんだから騙し続けられる。
90年代の小林はそう学習したのでしょう。
SNSが普及した現在ではその手口はもう通用しないことを誰か教えてやれよ!
てな感じですね。
この記事へのコメント
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/44348
>女性女系天皇を公認しても、国論は二分しない。国論は9対1に分断されるだけである。100%全体主義の国論なんて、日本ではあり得ない。9割が女性天皇&双系継承の日本の伝統に賛成するだけである。1割の男系固執、皇室破壊、亡国主義者が無視されることはめでたいことである。
小林が「100%全体主義の国論なんて、日本ではあり得ない」と言っているのは、まさにその通りです。そうであるならば高市政権支持が多数派である世論を、小林が「全体主義」と呼んでいるのは何なのかということになります。
高市首相に批判的な人がメディアで発言をできていて、国会でも野党が高市政権を批判できている時点で、「100%全体主義の国論なんて、日本ではあり得ない」の証明になるわけです。
一方で、小林は女性天皇支持が世論の9割であることを強調し、多数決の正しさを主張しています。
しかし、小林が嫌っている高市政権が高支持率を保っていることもまた事実です。小林のように多数決を認めてしまうと、高市政権支持が多数派だから、政権不支持の人たちが「無視されることはめでたいことである」と言う理屈になってしまします。
多数派となった主張がとにかく正しいから、少数派の意見を無視しろという小林の姿勢こそが全体主義に当てはまっています。
そもそも小林は、「全体主義」と「民主主義」の単語を自分に都合よく解釈して言論活動をしてきた人間です。自分の意見に反対する人たちを「全体主義」「ファシズム」「スターリニズム」と決めつけて罵倒していたのが、ゴー宣で小林がよく使っていた手口でした。
また、小林はゴー宣が読者たちから支持されていることを「民主主義」として正当化していました。その一方で小林は保守主義者を気取り、民主主義に対して否定的な言説を唱えていたこともありました。民主主義に対しても、自分の都合で肯定と否定を使い分けていたのが小林の言論の手口でした。
小林は批判者を「全体主義」として罵倒する一方で、自分自身は独裁や全体主義に対して憧れを持っていました。そもそも小林は、昔からゴー宣で「独裁者になりたい」と言っていた人間でもあります。
小林が編集長を務めた雑誌『わしズム』が「ファシズム」をもじったネーミングであることも、彼がファシズムに対して憧れを持っていたことの表われなのでしょう。
独裁者に憧れている小林が作った運動団体は、構成員の意見が100%に統一されていることを要求する全体主義の組織と化しました。「100%全体主義の国論なんて、日本ではあり得ない」と言っている小林は、自分の運動団体が100%全体主義の歪んだ組織となったことに対して反省をしたらどうですか。
https://www.gosen-dojo.com/blog/58650/
小林よしのりがブログで高市首相を罵倒する時は、何かしらの形で属性差別の言葉が書かれるようです。
「女が首相になったら、こんなにもマンセー空気になるとは思わなかった」
「女が首相になったら」と小林は高市首相が女性であることを、わざわざ強調しています。小林が高市首相を批判するのが「女性であるから」というのが理由ならば、属性差別と見られても仕方がありません。
「すでに「個」を流してしまった人物が何人も出ている。それが奴らの「処世術」なのだろう」
小林の言う「すでに「個」を流してしまった人物」の一人とは、おそらく山尾志桜里のことを指している可能性が高いでしょう。
やはり小林は、山尾志桜里が高市首相への属性差別を批判したことに腹を立てているようです。かつての小林は山尾を推し活に近い形で応援したのに、ゴー宣DOJOでは彼女に言い返せなかったせいで可愛さ余って憎さ百倍となっているのでしょう。
それどころか、小林が本格的に反高市になったことも山尾への恨みが動機です。小林による高市首相への罵倒には建設的な批判精神などありませんし、「全体主義と戦う」という動機は当然ながら持ち合わせていません。
むしろ、小林が主宰するゴー宣DOJOこそが全体主義の組織であると言えるでしょう。小林とちぇぶの専横で門下生たちが萎縮し、「個」を貫けない組織となってしまったのがゴー宣DOJOです。全体主義の運動団体となったゴー宣DOJOは、すでに「個」を流してしまった人物が何人も出ています。
そういえば、全体主義の組織はいつも何かしらの敵を作って団結をしていますが、「男系カルト」なるものを敵と決めつけて憎んでいるゴー宣DOJOにも当てはまっています。
ゴー宣DOJOの門下生たちが、小林の意向を受けて山尾に対して応援から批判へとすぐに切り替わる様子は全体主義を見事に体現しています。構成員たちが思考停止してボスの号令に何でも従うゴー宣DOJOは、まさに全体主義の組織に当てはまっています。
そもそも昔から小林は、自分が読者たちに支持されていることを民主主義の結果であるかのように言い、一方で敵対する相手に対しては全体主義のレッテルを張って罵倒を行う人間でした。
読者たちの支持を民主主義として持ち上げていた小林は、ファンを集めて全体主義の運動団体を作ってしまいました。「ナチスに学んだように、民主主義と全体主義は親和性が高い」という小林の解説は、彼の言論活動が暴走していった経緯を言い表わしているかのようです。
小林が言論人や運動家として暴走と堕落の道を歩んでいった経緯こそが、反面教師として人々の記憶に刻まれる必要があるでしょう。
何度でも言いますが、小林が自分の意見を変えたならば転向の経緯を具体的に説明するべきですし、かつての意見が間違っていたならば読者に対して謝罪くらいはするべきでしょう。
ろくな釈明をせずに変節を繰り返した小林は、右派と左派のいいとこどりをしたコウモリ的な言論人となってしまいました。小林が高市首相の「台湾有事」発言を批判したところで、右派からも左派からも軽蔑されるだけなのは当然でしょう。
今の小林は、右派からは「あいつは左翼に寝返って反高市・媚中になってしまった裏切り者だ」と嫌われ、左派からは「お前の『台湾論』の影響で反中・親台湾のウヨクかぶれが量産されたんだぞ」と嫌われているのが現実です。
小林は日本の右傾化を本気で止めようとしているわけではありませんし、日本が戦争に巻き込まれる危険性を本気で警戒しているわけでもありません。もしもそうであるならば、小林はかつての言説を心から後悔して反省しているはずです。
自分が言っていたことに対する反省が全くできないのが小林の言論活動の特徴です。
何か事あるたびに逆張り発言を唱えてきた小林は、今回も逆張りで自分の言説がバズることを狙ったのでしょう。結局、小林の言説は受け狙いのために逆張りで発言しているものなので、発言の中身自体に信用性がありません。
それどころか小林には自分の意見が全くない上に、言論人としての勉強さえもまともにしていません。なぜなら小林が主張していることは、ブレーンの時浦が教えてくれた内容をそのまま受け売りしているだけだからです。
小林は言論人としてあまりにも無知だから、場合によってはゴー宣DOJOのブログで笹幸恵や泉美木蘭に自分の代弁をさせて理論的な補強を図っているのでしょう。結局、小林はブレーンに言論活動を丸投げさせているだけです。
しかも、小林による言論活動は社会正義のためではなく、本人の感情的な動機に基づいたものでしかありません。
例えば、小林による高市批判は属性差別とセットです。小林が高市首相への属性差別を繰り返しているのは、ゴー宣DOJOで山尾志桜里に言い返せなかったことに対する恨みが動機となっています。
小林は表向きでは反高市のポーズを演じていますが、実際には高市政権と本気で戦う気など微塵もないでしょう。ゴー宣DOJOの門下生たちを運動ごっこに駆り立てるために、小林は「高市早苗」という敵を設定してガス抜きをしているだけです。
何しろ小林は自らのバンドごっこを正当化するために、ゴー宣DOJOをエンタメ路線にして全体主義と戦うと寝言を言っている有様です。
小林による言論活動の手口や発言のいい加減さは、今ではすっかり見破られてしまいました。だから、現在の小林が言論人として何を言ったとしてももはや説得力はありません。
https://www.gosen-dojo.com/blog/58601/
小林よしのりは、昔から敵対する相手を全体主義と決めつけて罵る手口を使う人間です。例えば小林は、『沖縄論』を沖縄県内のメディアが批判していた時は「全体主義の島・沖縄」呼ばわりしていました。
小林はブログのタイトルを「この全体主義の空気こそ、我々が戦うべき敵である」にしているのだから、どうせ高市政権を「全体主義」呼ばわりして逆張りから批判した内容が中心になるのだろう、と私は思っていました。
しかし私の予想とは違い、小林のブログ記事は自らのカラオケ趣味やゴー宣DOJOでのエンタメ路線化を正当化した内容となっていました。
今の小林は漫画や言論の仕事に対する熱意をすっかり失い、趣味のカラオケのことしか頭にないようです。どうやら小林は、自分のカラオケ活動こそが全体主義に対抗する有力な手段であると強弁したいのでしょう。
「ちぇぶの道場エンタメ路線は、成功に向けて、快走中である。真面目な議論だけでは、ネトウヨ+さや活ファンの全体主義に押しつぶされる。この全体主義の空気こそ、我々が戦うべき敵である」
「夏の祭りは、男系ネトウヨ全体主義と戦う効果的なイベントになる。来年はエンタメ道場の快進撃にしよう」
小林のこれらの文章は、どう見ても正常な思考の人間が書いた内容ではありません。「ゴー宣DOJOのエンタメ路線化=小林のカラオケ趣味のごり押し」で、どうやって全体主義と戦うのでしょうか。
そもそも歌手を本業としていない小林が、「わしの歌には力がある。だから、わしの歌で世の中を変える」と考えているのは明らかに変です。
何と言うことはありません。ゴー宣DOJOでのよしりんバンドの活動を正当化するために、「全体主義と戦う」という理由を小林は使っているだけなのです。
よしりんバンドの活動は小林の私的なカラオケ趣味を運動に持ち込んだものであり、公私混同の典型です。小林による独裁と公私混同が正当化されていて、門下生たちが異論を唱えることが許されていないゴー宣DOJOこそが全体主義に当てはまっています。
言論に対する意欲を失ったことや、頭脳の衰えで論客との議論についていけなくなったことの小林の言い訳は、「真面目な議論よりもエンタメの方が大事」だったようです。自らの認知症と向かい合わず、言論人としての引き際を見失った小林は晩節を汚してしまいました。
ところで「さや活」とはどういう意味でしょうか。おそらく小林は「さな活」と書こうとして、「さや活」と書き間違えたのでしょう。門下生たちは、小林の頭脳の具合について少しは心配したらどうですか。今の小林は、よしりんバンドのための練習よりも療養を優先すること方が大事です。
全体主義の組織と化したゴー宣DOJOは、狂気に陥ったトップの暴走を止められない歪な運動集団と化してしまいました。
言論人として堕落した小林は、シンパたちを集めた内輪向けの運動ごっこで自己満足をする生き方を選びました。だから、動画サイトを使った番組「オドレら正気か?」さえも、小林シンパたちを客層とした内輪向けのための内容になるのは必然でした。
一般人に言葉を伝えるための努力を放棄し、内輪向けの自己満足のために活動している小林一派には世間に言葉を届ける力はすでにありません。
内輪向けの動画配信で床屋談義をしたところで社会を動かす力はありませんし、政治に影響を与えることもありません。真面目に言論やジャーナリズムの仕事をしているプロの人たちに比べると、小林一派がやっていることは児戯に等しいものです。
それどころか動画を配信するための諸々の不備の克服や、社会情勢を理解して質が高い議論を行うための勉強といった根本的な努力さえも小林一派は放棄しています。
しかし、動画を配信するための不備が改善されなかったとしても、小林が過去の立場とは矛盾する主張を平気で唱えたとしても、シンパたちは何も批判せずに喝采してくれます。
何を言ったりやったりしてもシンパたちが褒めてくれるのですから、小林と側近たちは真面目に仕事をする気力や向上心さえももはや失われているのでしょう。
「オドレら正気か?」で、知識人と話すのはつまらないと小林が言ってしまったことは、言論人としての今までの仕事を否定するようなものです。一漫画家であった自分が言論人として仕事をすることができたのは、知識人たちとの交流や議論を積み重ねたおかげでもあることを小林はすっかり忘れています。
知識人との議論よりも取り巻きとの駄弁りの方が面白いと小林が言うのは、「公論形成」のための努力の否定に他なりません。それは、「公論形成」という目的を掲げているゴー宣DOJOの存在意義自体の否定につながるものです。
今のゴー宣DOJOは、小林のカラオケ活動のためのファンクラブと化しているのですから無理もありません。
一般人たちや世間に向けて言葉を伝える努力を放棄した小林には、プロの言論人を名乗る資格などありません。