新春 泉美木蘭はつらいよ
「新春 女はつらいよ」を1月11日(日曜)開催する。 | ゴー宣DOJO
《泉美木蘭さん、笹幸恵さん、しろくまさんに、晴れ着で登壇してもらい、チェブリン・モン子は、金髪とサングラスのままでいいから、一緒に登壇して、女だらけでわしを囲んで、討論するイベントをやろうと企んでいる。》
《小林先生のブログで、来年1月11日に公論イベント「新春 女はつらいよ」をやる予定と知りました。
晴れ着、着る!
着るとなったらあれこれ準備が大変ですが、それもまた楽し。参加させていただきま〜す!!!》
《笹さん、木蘭さん、しろくまさんはやる気満々で、どんな着物にしようかって考えていて楽しそう!
チェブリンも着物着たいけど、頭暑いし、サングラスをかけてると実はとても暑いので、着物きたらますます暑くなっちゃうから、着られないよー!
チェブリンも新春にふさわしいキレイな服を着たいよ!!
何を着ればいいの?!?!?!》
《チェブリンの衣装は、フォーマルドレスをレンタルで借りればいい。》
コバヨシ教祖が正月から晴れ着の女をはべらせたいと御所望で、それにすぐに笹幸恵が「晴れ着、着る!」と応え、総合Pもん子も「チェブリンも新春にふさわしいキレイな服を着たいよ!!」と浮かれていますが、どういうわけか笹幸恵と共にご指名を受けた道場ホステスのカタワレが沈黙したまま一週間が過ぎようとしています。
ちなみに、以前に「総合Pもん子さんはピンク色の服を着てみては?」と提案した門下生が糾弾され、謝罪に追い込まれていましたが、結局あれはなんだったのでしょうか?
《ピンク系はお持ちですか? 僕の意図としては、ハッキリとした性格のちぇぶさんには、むしろふわっとしたパステル系がいいかな?と。
それと、以前よしりん先生が言ってた「可憐さ」を出す。》(2019/11/4, Mon 10:11 from dai)
《服装の件についての、daiさんの書き込みですが、正直言いますが、気持ち悪いです。 ハッキリとした性格の女性には、ピンクのパステル系って、何ですか? あなたの勝手な「好ましい女性像」を押し付けすぎだと思います。 人前に立つからには好感度良くというのは、あくまでもちぇぶさんの常識的な感覚からの言葉であって、 黒でも白でも赤でも青でも、ご本人のふるまいや誠実さが 伝わってくる人だったならば、好感持ちますよ。 失礼すぎますよ。ものすごく気分が悪いです。》(2019/11/4, Mon 10:32 from泉美木蘭)
小林よしのりから「正月に和装してわしの横に座って笑っとれ!」と命じられた泉美木蘭がどうして沈黙しているのか、その理由はおそらく「正直言いますが、気持ち悪いです。 ものすごく気分が悪いです。」というオキモチでイラつきがおさまらない為なのでしょう。
しかしその感情も安定剤や鎮静剤などを服用すればじきにオサマルもので、どうせ「アタイ着物持ってないから、また笹さんのお着物お借りしまーす」なんてなご陽気ブログをあげることでしょう。
悲しいことだよ。
まさに「女はつらいよ」ですね。
さて、道場女性幹部に正月配信で和装するよう命じたコバヨシ君ですが、早くも「よしりん漫画ブック」へのやる気がなくなった模様です。
《トッキーは『最終フェイス』をカラー化する仕事を自主的に始めた。全ページ、カラーは無理でも、数枚だけ、表紙だけでも、毎回、カラー化してほしい。》
《『おぼっちゃまくん』の新作は間に合うだろうか?間に合わなければ、『最終フェイス』の2回目を載せるしかない。》
意気込んで始めたというのに、よほど購読者がいなかったのでしょう。利益をあげられないものに力を入れてもしょうがないから旧作でも載せとけってな気持ちになったのは丸わかりですが、それをしたら余計に購読者が減る悪循環でしかないのに、目先の欲得しか考えられないコバヨシのマヌケっぷり。
どうやら今後は隔週で「最終フェイス」を連載してゆくことになるようで、それに月額800円お布施し続けるシンパが気の毒です。
最終フェイスの文庫本なんて別に入手困難な状況にもなく、極めて安価なお値段で全話読めるのに、それでも公式から買わねばと血の涙を流して金を毟り取られる哀しきシンパたち。
さて、そんな小林界隈について大林さんによる論評が届いていますので一部割愛して紹介します。
全文読みたい方はコメント欄をチェックしてください。
《1月のゴー宣DOJOのイベントで女性師範に晴れ着を着せようと小林が考えているのは、着物という日本の伝統を尊重しているからではありません。
女性に和風のコスプレをさせて自分の周りに侍らせたい、という男としての俗物的でスケベな感情が小林の動機と見ていいでしょうね。
小林はスケベ男である上に、女を自分の戦利品として考えている人間であることが分かります。小林が女性師範をバンドごっこのバックダンサーに起用したのも納得です。
女を戦利品扱いしている小林が「女性の地位向上」を唱えたところで、何も説得力がありません。
※
小林よしのりは本当はゴー宣のペン入れをやっていません。ゴー宣のシナリオも小林は時浦に代筆させています。それどころか、小林は史料本の読書さえも時浦に丸投げさせているのでしょう。
ライジングの更新さえも遅れがちである時点で、漫画ブックも旧作の再掲載でお茶を濁すことが増えていくのは目に見えています。しかも、漫画ブックの値段はぼったくりと見られても仕方がありません。
今の小林の漫画家としての姿勢は「実験と挑戦」ではなく、「自己満足と惰性」が現実でしょうね。
※
ゴー宣DOJOで小林よしのりが話していたジャンプ時代のころの話や、インド版「おぼっちゃまくん」の話は、どう見ても保守とリベラルについての討論から脱線している話題でしかありません。
小林はゲストとの議論についていくことができなかったというわけです。
議題とは関係がない自分語りをして存在感を示そうとした小林の姿は、本当に哀れでしたね。
しかし、頭脳が衰えた小林による醜態さえも、シンパは美化して解釈しているようです。
「小林よしのり先生だけがご自分の生き方に基づいた話をされていたのに,他の3人は頭で考えた論ばかり述べていたように思います」
というのがこの小林信者による感想なのですからね。
門下生による小林ヨイショとゲストへの的外れな批判の声を、時浦はわざわざブログで紹介しています。小林がイベントで置物となっていたことを正当化するために、ゲストをこきおろす声を紹介するとは、時浦はあまりにも失礼です。
イベントで小林が置物と化してゲストが目立ってしまったことを、「小林先生の度量の大きさ」として正当化するのがゴー宣DOJOの方針となったようです。
しかしながら、実際の小林は度量が小さい人間です。なぜなら小林はイベントで山尾に反論できなかったという恨みが動機となって、高市首相を属性差別的な視点から罵倒することを繰り返すようになったのですから。》(大林わるのりさん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/518716778.html
https://washiblogact3.seesaa.net/article/518822916.html
時浦のポンコツぶりを知っている人にはもはや既成事実となっていますが、時浦のブログでの発信は基本すべて小林からの指示によるものです。
メーリングリストやコメント欄に現れて偉そうな意見や苦情を言ったり、ブログで何か批判する時は小林から「なにやってんだよトキウラ〜、なんでお前アレを放置したままにしとるんや〜」と叱られ、慌てて対処しているのです。
前回の道場ゲストへの批判も、道場でまったく反論出来ないどころか、議論の輪にも入れず置物状態に晒されたことへの怒りがおさまらず、しかしそれを自ら吐き出したら、「何でその場で反論出来なかったの? 雑魚なの?」と、さすがのシンパも呆れてしまうのではないかと恐れて、自分ではやらずに時浦にやらせているわけです。
いやはやチンケなマヌケ爺だ。
この記事へのコメント
https://www.gosen-dojo.com/blog/58706/
小林よしのりが「真の女性活躍の時代を目指そうとするゴー宣道場」と言っているのは、悪い冗談でしかありません。彼が言っていることややっていることは、実際は女性蔑視がにじみ出ているものだからです。
例えば、小林は高市首相に対して属性差別的な罵倒を行っています。
「日本初の女性首相が誕生したからには、その挙動が突飛だからと批判するのはやめよう、刺激的で面白いじゃないかという風潮ができてしまった」
高市早苗氏が何をやっても批判されずに支持されているのは、「日本初の女性首相」という属性のおかげだと小林は決めつけています。
「それでも高支持率を維持しているのだから、女という属性は戦争も辞さずというくらい効果があった」
しかも小林は、わざわざ「女という属性」呼ばわりして高市首相を罵倒しています。女性を見下して属性差別をやめようとしない小林には、真の女性活躍の時代を目指す意思があるとは思えません。
また、小林が女性を蔑視する人間であることは、来年(2026年)の1月に開催予定のイベント「新春 女はつらいよ」の内容からも分かります。
小林が「新春 女はつらいよ」の開催を思いついたのは、女性師範に和服コスプレをさせて自分の側に侍らせたいというスケベな気持ちが動機となっています。女性師範の和装を「女性の美を堪能しつつ」と小林が表現しているのは、ある意味ではセクハラ発言とも読めてしまいます。
オタクが可愛いアニメキャラのフィギュアを飾る心理と同じく、小林にとっては和服コスプレの女性師範はコレクションで戦利品の扱いなのでしょう。つまり、小林は女性をモノ扱いする人間であるというわけです。
女性師範を自分のコレクション扱いしている小林には、真の女性活躍の時代を目指す意思があるとは思えません。
女性蔑視をやめない小林が「真の女性活躍の時代を目指そうとするゴー宣道場」と白々しい台詞を言えるのは、愛子天皇の実現を大義としているからです。どうやら小林は、「愛子天皇実現を支持することは、女性活躍の時代を目指すことにつながる」という意味不明な発想を持っています。
高市首相への属性差別を繰り返しても女性師範をモノ扱いしていても、愛子天皇支持さえ言っていれば女性活躍を支持する正義の人になれるというのが小林のやり方のようです。
「愛子天皇支持を唱えれば正義の人になれるので、何をやっても許される」と考えている小林一派の驕りに対してこそ、「狂っているのではないか?」というツッコミがふさわしいでしょうね。
https://www.gosen-dojo.com/blog/58662/
どうやらゴー宣DOJOは、勉強会よりもエンタメ路線を重視する方向になったようです。それにしてもゴー宣DOJOの堕落は来るところまで来てしまったか、というのが私の感想です。
論客を呼んで議論することや勉強会としての役割をゴー宣DOJOが放棄するのは、「公論形成」を目指すという運動目的の否定につながります。
また、小林が勉強をしたり啓蒙を目指すことをやめてしまうのは、言論漫画家として社会に影響を及ぼすという思想漫画『ゴーマニズム宣言』のあり方の否定にもつながります。
ゴー宣DOJOが勉強会よりもエンタメ路線を重視する方向性となったのは、どうやらちぇぶが決めた方針でした。やはり、ちぇぶは「今だけが楽しければ後はどうでもいい」という刹那主義の人であり、物事を深く考えることができない人間のようです。
「議論・討論が、勉強会みたいな啓蒙主義に堕して行っても、ストレスだらけで、同意見の蛸壺にハマるのみ」
そもそもゴー宣DOJOがストレスだらけで同意見の蛸壺集団と化したのは、小林独裁で異論が許されない全体主義の組織となったからです。ゴー宣DOJOが全体主義の組織と化したのは、小林の側近という立場を利用して専横を振るうようになったちぇぶにも責任があります。
例の病の影響で感情や本能のコントロールができなくなった小林には、目先の快楽をひたすら優先するちぇぶのことが以前にも増して可愛く感じるのでしょう。
公私の区別ができない人間である上に男尊女卑でセクハラ体質でもある小林は、頭脳の衰えの影響で自分の欲望を隠そうとしなくなりました。女性に和服のコスプレをさせて自分の周りに侍らせる、という小林のスケベな願望を叶えるためにゴー宣DOJOのイベントが開催されようとしています。
アイヌコスプレを提案した宮城能彦を小林が批判したことや、ちぇぶのピンクの服事件とは一体何だったのでしょうか。勉強会や議論よりもエンタメ路線を重視する今のゴー宣DOJOには、小林が宮城を批判したかつての言葉が似合っています。
「議論だけでは退屈ですか?コスプレごっこを加えなければ楽しくないですか?」
「基本は議論を真剣に行うこと。それ自体に楽しみを覚えないのなら、「ゴー宣道場」に集う意味はないでしょう」
公私の区別ができない小林と目先の快楽を優先するちぇぶが組んだ時点で、ゴー宣DOJOが「公論形成」を実現することはもはやあり得ません。小林とちぇぶには、運動団体を運営する能力など元より持ち合わせていなかったのです。
https://www.gosen-dojo.com/blog/58424/
>我が国は、アメリカを尊び、日本を卑しむ慣習が、すっかり人民の脳髄を支配している国だ。
泉美木蘭は日本のことを、「アメリカを尊び、日本を卑しむ慣習が、すっかり人民の脳髄を支配している国」と言いました。皮肉なことに自称反米保守の小林よしのりこそが、「アメリカを尊び、日本を卑しむ慣習」が脳髄を支配している人間であると言えます。
トランプが高市首相を「This woman」と呼んだことに対し、小林が「わしも今後は使おう」と反応するのはまさに「アメリカを尊び、日本を卑しむ慣習」に他なりません。
ちなみに第一次トランプ政権のころの小林は、どちらかと言うとトランプに対して好意的な態度をとっていました。当時の小林が親トランプだったのは、トランプを反グローバリズムの政治家と見なして共感していたからです。
トランプ政権の外圧が日本に悪影響を与えることを想像できずに親トランプとなっていたかつての小林は、「アメリカを尊び、日本を卑しむ慣習」が脳髄を支配している親米ポチそのものでした。
また、ジャニーズ性加害問題の時の小林は、牽強付会な理屈でジャニー喜多川をこれでもかと擁護していました。アメリカ人の権力者による日本人への性加害に怒らない小林は、やはり「アメリカを尊び、日本を卑しむ慣習」が脳髄を支配している人間であると言えるでしょう。
実はジャニー喜多川は、アメリカ大使館で在日駐留米軍の軍事顧問団の仕事をしていたことがある人間です。ジャニー喜多川が日本国内でどれだけ性犯罪を行っても逮捕されなかったのは、日米地位協定に守られていたからです。
ジャニー喜多川と日米地位協定の関係に触れようとしない小林は、「アメリカを尊び、日本を卑しむ慣習」が脳髄を支配している親米ポチに他なりません。小林が唱える反米保守の言説はただのガス抜きです。
右派時代の小林は、アメリカの手先のくせに対米自立の愛国者のふりをしてB層を騙していました。かつての小林が属していた右派陣営や、支持母体であった宗教右翼は、アメリカの手先として戦後体制を支えながら反共の防波堤の役割を担っていたのですからね。
また、ハリウッド映画が好きな小林はアメリカ文化にかぶれている人間の典型であると言えます。「ゴーマニズム宣言NEO」のタイトルの元ネタは「マトリックス」シリーズの登場人物「ネオ」から来ていますし、「小林よしのりライジング」のタイトルの元ネタは「ダークナイト ライジング」です。
さらに、小林が好きなスポーツであるプロレスもアメリカから日本に伝わったものでした。テレビ網を使って日本にプロレス文化を広めた正力松太郎の正体は、「ポダム」のコードネームを持つCIAエージェントでした。
アメリカのスパイが広めたアメリカ製のスポーツに夢中になっていた小林こそが、「アメリカを尊び、日本を卑しむ慣習」が脳髄を支配している人間であったと言えます。
それどころか小林がよしりんバンドを作ってロックミュージシャン気取りでいるのも、見方によってはアメリカかぶれの姿と言えるのかもしれません。そもそもロックミュージックが生まれたのは1950年代のアメリカなのですからね。
アメリカを尊び、日本を卑しむ慣習が脳髄を支配している親米ポチの小林が、反米保守を名乗るのは笑止千万でしかありません。
https://www.gosen-dojo.com/blog/58588/
「女を武器にしていいのは、まさにショーの世界、エンタメの世界である」
小林よしのりが使っている「女を武器にしている」なる表現は、次の場合に当てはまっています。
例えば、高市首相は女を武器にして外交を行っているという決めつけが小林の持論です。小林によるこの論法は典型的な属性差別です。
山尾志桜里が高市首相への属性差別を批判していたことに対して、小林は反発したいのでしょう。ゴー宣DOJOで山尾に反論できなかった悔しさを、小林は未だに引きずっているようです。「オドレら正気か?」でも小林は山尾への嫌味を言っていたそうですね。
また、小林が言っている「女を武器にしている」なる表現は、次の場合にも当てはまっています。ショーやエンタメで活躍しているプロの女性は、女性性を武器にして仕事をしていると小林は言いたいのでしょう。
どうやら小林は、ショーやエンタメを生業としたプロの女性のことを、芸術性や仕事の質で評価するのではなく、女性性という基準で評価しているようです。小林によるショーやエンタメに対するプロの女性への評価は、ここでも典型的な属性差別に当てはまっています。
つまり小林はシモの欲望を動機にして、ショーやエンタメで仕事をするプロの女性を評価しているというわけです。小林がAKB48にあれほどのめり込むことができたのは、自分のロリコン性癖とも相性が良かったからでもあります。
ブログで小林が言っている「女を武器にしている」ショーやエンタメの例とは、よしりんバンドのための笹幸恵と泉美木蘭のダンスのことを指しています。
しかし、ゴー宣DOJOは「公論形成」を大義として作られた団体であり、小林の自己満足のためにショーやエンタメを優先することは運動の目的に反しています。小林が女性師範をよしりんバンドのバックダンサーに起用することは、ゴー宣DOJOが掲げている「女性の地位向上」の目的にも反しています。
小林が笹と泉美をバンドごっこのバックダンサーに選んでいるのは、女性を自分の添え物として見下している感情の裏返しでもあります。女性師範を無理やりバックダンサーに起用させ、「まさに悩殺」「この女性美」と小林が褒めるのはセクハラでしかありません。
女性を見下す生き方をやめられない上に、カラオケ趣味にうつつを抜かして真面目に仕事をしない小林の愚かさには本当に呆れています。
https://www.gosen-dojo.com/blog/58512/
>わしが甲斐バンドの武道館は良かったと熱く語っていると、突然「よし!武道館に行くよ!」と言い出し、「私が連れてってやる!」と宣言する。見果てぬ夢だろうが、大ボラ吹きは愉快である。
武道館で歌いたいと小林よしのりが寝言をほざいたのは、どうやらちぇぶのおべっかが原因だったようです。そうであるならば、ちぇぶはまたも余計なことをしてくれたものですね。
そもそもちぇぶがよしりんバンドの継続を望んでいるのは、イベント開催でコアラ企画の利益につなげるためです。だからちぇぶにとっては、療養のために小林を休ませるという選択肢は都合が悪いのでしょう。
「ちぇぶプロデューサーはわしを追い込めば、奇跡を起こす人間だと信じている」
と真面目に言っている小林は、老いらくの恋のせいでちぇぶに騙されて盲目になっています。
側近におだてられて調子に乗ってしまうとは、小林は実に幼稚な人間です。ただし、一方で小林はちぇぶのことを、「見果てぬ夢だろうが、大ボラ吹きは愉快である」とも言っています。
よしりんバンドが武道館で歌うという目標は「見果てぬ夢」で「大ボラ」だと、小林本人が認めているわけです。おそらく小林は、内心ではよしりんバンドの武道館進出は実現不可能だと分かっているのかもしれません。
武道館で歌いたいと小林が言っていたのは、やはりいつも通り虚勢を張っていただけだったのでしょうね。
小林が横浜LIVEのことを「脳溢血の決着をつけようという、わしの執念のLIVE」とまで言い切っているのも、彼の虚勢の表われなのでしょう。
それにしても、「脳溢血(脳出血)の決着」とは一体どういう意味なのでしょうか。「脳溢血の決着」とは、脳溢血を治すことを指すのか、もしくは脳溢血で死ぬことを指すのか意味が分かりません。
或いは、横浜LIVEをやることは脳出血(脳溢血)の治療行為につながるという意味で、「脳溢血の決着」となるのでしょうか。それとも、病で倒れる前みたいに歌を歌えるという目標を達成することが、「脳溢血の決着」となるのでしょうか。
最近の小林がブログで書いている文章は、日本語の使い方がどことなくおかしくなっているようです。
小林がその後で書いたブログ「セットリストカードは超大事。」によると、「脳溢血後の左半身の痺れを克服できる」ことが「脳溢血の決着」を意味していると解釈できます。
小林にとって横浜LIVEは、自身のリハビリを兼ねたものでもあるのでしょう。しかし、横浜LIVEを無事に終わらせることができたとしても、小林の左半身の痺れが一気になくなることはあり得ません。
それどころか、左半身の痺ればかり気にしている小林は、自分が血管性認知症と腎臓病を発症しているという事実には触れようとしていません。結局、小林は自分の病と向かい合おうとせず、不自然な形で強がっているだけです。
どんなに頭脳の働きが衰えても虚勢を張る生き方をやめられない小林は、人として本当に哀れですね。
https://www.gosen-dojo.com/blog/58442/
小林よしのりの奥さんも秘書の岸端みなも、小林とちぇぶがどういう関係かを察しているはずです。おそらく、小林とちぇぶはゴー宣DOJOでの仕事仲間を超えた関係なのでしょうね。
ちぇぶにデレデレする小林に対して、奥さんも岸端も内心では面白く思っていないはずです。しかし、奥さんは小林とは共依存関係にあるため、夫に対しては何も言えないのでしょう。
岸端に至っては、小林のちぇぶの関係を怒ることができる立場ではありません。『噂の真相』で暴かれた小林と歴代秘書(末永・金森)の関係から推察すると、岸端も小林とは仕事仲間以上の関係なのでしょう。
ちぇぶがよしりん企画の営業を手伝う、というのは小林による情実人事にも見えますし、彼女が小林の側近であることを利用してでしゃばっているようにも見えます。
岸端の実務能力に問題があるとはいえ、ちぇぶがよしりん企画の営業を手伝うことに対しては、(小林のイエスマンの時浦を除く)古株であるスタッフたちさえもあまり良い気持ちはしないでしょう。
小林によるちぇぶへの入れ込み方は、いくら何でも度が過ぎています。老いらくの恋のせいで小林は盲目になっているのでしょう。コアラ企画の金儲けのために自分がちぇぶに利用されていることに、小林はまだ気が付いていません。
どうやら小林はちぇぶに対して、自前で表現者を育てていると思い込んでいるようです。しかし、ちぇぶによるよしりんバンドへの参加もラジオDJごっこも、やっていることはアマチュアの域を出ていません。
そもそもちぇぶは小林の弟子として、何らかのプロになれたわけではありません。漫画家となった大平かずお、小説家となった末永直海、雑誌編集長となった金森由利子と比べると、ちぇぶは小林の弟子としては明らかに見劣りしています。
ゴー宣DOJOという閉鎖的な空間でアマチュアの表現者ごっこをしたところで、プロとして自立することは不可能です。アマチュアに表現者ごっこをさせて自画自賛する小林は、「プロになれ」というかつての持論さえも放棄したようです。
ちぇぶにとっては、ゴー宣DOJOはさぞかし居心地が良い空間なのでしょうね。小林の側近という立場を利用して専横を振るうことができる上に、表現者の真似ごとをして自己陶酔できるのですからね。
https://www.gosen-dojo.com/blog/58313/
>12月13日(土曜)開催の「よしりんバンド、横浜LIVE」を「幸福な結末」にするためには、もっと多くの参加者が必要だ。まだまだ応募者が全然足らない。年末の「横浜LIVE」を「不幸な結末」にするか、「幸福な結末」にするかは、読者にかかっている。左半身麻痺と戦いながら歌の練習をしているわしの責任では全くない。わしの年内最後の独演会でもある「横浜LIVE」の成否は、ひとえに読者にかかっている。
ゴー宣がベストセラー化した1990年代のころと違って、今の小林よしのりは一般人からの幅広い支持を得ていません。狂信者と化したコアな小林シンパや、それどころか支持母体の宗教団体の関係者が小林やゴー宣DOJOを支えているのが現実です。
しかも、ゴー宣DOJOからも数え切れないほどの離脱者が出たため、今の小林をファンとして支持している人間は昔に比べるとかなり少ないでしょうね。
だから、小林が開催しようとしている横浜LIVEに応募者が集まらないのは、当然としか言いようがありません。自分をカリスマと思い込んで慢心した小林が、読者が離れていくようなことを言ったりやったりしてきた結果なのですからね。
しかも、ゴー宣DOJOの参加者たちは、生活を切り詰めて運動のために金を貢いでいる人が多いはずです。
小林が「ファンはわしにもっと金を貢げ」と命令したところで、生活に困っている門下生たちにも我慢の限界があります。だから、ぼったくりとも言える横浜LIVEに参加するよりも、自らの生活を守ることを優先する人もいるでしょう。
しかし、小林は横浜LIVEへの応募者が足りないことを、「わしの責任では全くない」と居直っています。自身の企画が支持を得られない原因をファンに責任転嫁するとは、小林は自らが裸の王様であることを堂々と認めたようなものです。
商業誌で連載しているプロの漫画家は、「どうすれば読者やファンが自分の作品を面白いと思ってくれるだろうか」と心がけながら作品を描いています。漫画家が自己満足のために描いている作品は、読者やファンから切り捨てられる運命にあります。
読者やファンの気持ちを無視して、自己満足で活動をしている自称漫画家が現在の小林です。だから、今の小林はプロの漫画家であることをやめたも同然です。しかも、小林が呼びかけている「読者」とは、ゴー宣DOJOの門下生たちのことを指すのでしょう。
小林の言う「読者にかかっている」「わしの責任では全くない」という発言は、運動団体のボスが構成員に責任転嫁をしているようにも見えます。
例えるなら、会社の社長が「我が社の業績が良くないのは社員たちが働かないせいだ」と居直るようなものです。上場企業でそんな会社があったならば、株主から見限られてしまい、株価が下落することは目に見えています。
小林の「わしの責任では全くない」発言は、団体のトップとしても不適切なものです。
小林による「読者にかかっている」「わしの責任では全くない」発言は、彼がプロの漫画家としても運動団体のトップとしても失格であることの証明とも言えるでしょう。