「病は気から」は本当だろう。
まずはちょっと他愛ないツッコミというか、大人げないイジリをしちゃいますが、シャレだと思って受け流してもらえればと思います。
いつまでも朝生のマネごとばかりじゃつまらない | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/57804/
《昨日は「気にしてたまるか!」の覚悟で、ペン入れした原稿を仕事場に渡すついでに、夕食は寿司屋でたらふく食った。》
自称富裕層であらせられる小林よしりん先生ともあろうお方が随分と庶民的なお店をご利用なさっているようで、やっぱり高級店しか行かないアピールは夫婦の共同作業の涙ぐましいキャラ作りだったんだなと改めて思い知らされました。
もしかして、門下生は貧しいマヌケしかいないから、画像をボカシておけば高級寿司屋だと錯覚するだろうとタカをくくっているのでしょうか?
門下生の皆さんも随分とナメられたものですね。
特に高級でもない普通の寿司屋のカウンター席でも安っぽいプラ板のメニュー表は置かないものですが、小林よしりんはそうではないお店で安い海鮮をたらふく食べたようでなによりです。
さて、見栄と虚栄心から虚飾にまみれている小林よしりんについて自称小説家の泉美木蘭が次のように擁護しています。
病や老いに、牙も毒も抜かれないために | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/57810/
《人前で「虚勢を張る」ということの重要さ》
《虚勢を張っておく、かっこつけるという感覚も心根に保っておかないと、》
《虚勢を張る、背伸びする、いっぱいいっぱいまで食いしばる、というような状態に身を置く気概も必要だろう。》
いやいや、作家を自称していながら言葉の意味を軽んじるのはいかがなものでしょうか。
「虚勢を張る」とはいわば「負け犬の遠吠え」と同じような意味しかなく、外見だけ威勢のあるふりをすること、からいばりをすることですよ。
そこにカッコ良さなど微塵も見出せないでしょう。
確かに小林よしりんは常に虚勢を張ってイキがっています。
見栄を張って、もったいぶり、仰々しく大袈裟に針小棒大尾鰭をつけて、見せかけの格式ばって、オーバーに気を持たせて、虚栄と飾り気で取り澄まして、実際には実力がないのに偉そうにしたり、強そうな態度を示していかに読者を騙すかということしか考えていない卑劣でちっぽけなアブラムシ以下のカス野郎、それが小林よしのりがこれまで歩んできた道です。
それはどんなに言い繕ってみせたところで擁護しようもないものだからといって、「虚勢を張る」という言葉の意味をひっくり返してしまうのは本来言葉を最も大事に扱わなければならない作家のすることではないでしょう。
泉美木蘭は金輪際「作家」を自称するのはやめるべきでしょう。
今後は「お追従屋」か「小判鮫」と名乗ることを勧めます。宿主を死に至らしめるという意味では「エキノコックス」と名乗るのがベストなのではないでしょうか。
「病は気から」作戦で全国をウシハク | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/57788/
《昨日の「オドレら正気か?」脳と身体は、わしは、「高齢化と社会保障や将来不安や人手不足」など、なるべく普遍的な議論にしようと心がけたが、わし自身の病状に偏りすぎたかな?という懸念はある。
だが、わしにとっては「病は気から」という言葉が、非常に参考になってしまった。
昨日から早速、手の痺れを、「どうでもいいか!」と、無視する訓練に入った。忘れてしまえば気にならない。》
いつまでも朝生のマネごとばかりじゃつまらない | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/57804/
《プラセボ効果について、書いてくれている門下生もいる。「病は気から」は本当だろう。》
シンパと真剣重体シャベリ場をした結論が「病は気から」とはもはやまったく笑えない。ただただオゾケが震う。
病は気からなんてのは、まだ病気にもなっていない奴が過剰に不安がっていることを指して、「そんなに悩んでストレスを抱え込んでいたら、かえって病気になっちまうぜ」ぐらいの意味合いしかないものでしょう。
小林の場合は既に脳卒中になっているのですから、気の持ちようでなんとかなる段階ではありません。
小林シンパは小林を信仰するあまり、教祖と化した小林を神格化し、人智を超えた奇跡を起こせるとでも思っているのでしょう。
カルトあるあるといいましょうか、狂信的なシンパがインチキ教祖を追い詰め、いよいよ行くところまで行き着いた感があります。
そのうち、道場門下生のなかに「DOJOに参加して持病が治りました」とか「クララが立った!」とか「失明した目に光が、光が見えたのですっ!」とか言い始める者も出てくることでしょう。
あ、既に出てきてるか。まさに末期!
小林は脳卒中に付随して、血管性認知症であると医師から宣告されていますが、それも「病は気から」と言ってまったく無視をしています。それは現実逃避以外のなにものでもありません。
どんなに「心の持ち方次第だ」などと嘯いたところで、認知症が改善することはありません。
せめて認知症であることを受け入れて、前向きに終活に挑むというのならば、ブルーハーツの「人にやさしく」を歌って応援して差し上げても良いのですが、小林ったら虚勢を張ってイヤンイヤンと病状を否定して見苦しく立ち振る舞っているのですからアホそのものです。
そのイヤンイヤンと駄々をこねているザマを「常識に抵抗する反逆者としてのわし」だと思い込んで悦に入る小林は間違いなく認知症です。
認知症の症状が目に見えて進行している小林が表舞台に立つことを楽しみにしている性格激悪のウォッチャーもいらっしゃるのではないでしょうか?
かく言う私はその性格激悪の一人です。
先日のイベントの動画が回ってきた時もチラ見して、俺はニヤッと笑っちまった。可哀想だとは思いもしないという感じで、気分は氷室狂介です。
12月13日の横浜LIVEまで、ぶっ飛ばしていくぞ!! | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/57844/
《11月29日には、あのガンダムの安彦良和氏との対談!
安彦氏は、わしを指名してくれたことが光栄としか思えない偉大な漫画家だが、思えば、古代史や近現代史への興味は一致している。どんな対談になるか、楽しみだ。》
ほとんど世間から見向きもされなくなって久しいなか、安彦良和に声をかけてもらったことがよほど嬉しかったのか、媚びが酷いですね。哀れなほどに。
「あのガンダムの」って、おめぇガンダムに微塵も興味ねぇだろうがよ!
小林は絵に描いたような内弁慶で、大家や有名人と対談する時は異様なほど相手に話を合わせてニヤニヤ笑っているだけというのは熱心な読者にはよく知られた話です。
古くは小説家の山田詠美に面と向かって皮肉られても一切反論出来ずにヘラヘラと媚び、あとからマンガでその言い訳をしていました。
テレ朝の朝生に呼ばれていた頃も出演するたびに言い負かされて、その言い訳をあとからマンガでグチグチ描いていたダサさも当時の読者は知っていますし、熱心な読者ほど「あらら…」と残念な気持ちになったものでした。
なので、今回の安彦良和との対談もただただ相手に追従するだけのさもしいものになることは目に見えています。また、安彦良和の方の意図も実に浅ましいものだと私は愚考します。
いわゆるネトウヨの生みの親と世間から評されているヘイト漫画家と対談することに何のメリットがあるのだろうと思われる人もいるかもしれませんが、そこにのみ価値があるとも言えるのです。
安彦良和にしてみれば、「あのガンダムの」富野はそりゃもう左翼ガチガチであり、あんな左翼と違って俺はもっと心が広いから、極右ヘイター小林とかいう奴とも対談できるのだぜてアピールしているわけです。ただそれだけ。
あとはあの年代にありがちの「俺はギャグマンガにも理解がある。だから彼らの稚拙なマンガをスゴいものとして評価出来る批評眼がある」というカッコつけですね。
ちゃんと小林マンガを追っていれば、現在はもはやマンガ史的には評価しようがないところに来てしまっていることぐらい分かりそうなものですが、それをせず大御所の理解者然として、また実はちょっと過激な一面もある自分(安彦良和)を聴衆に見せるための場を作ったというところでしょう。
つまりお互いがお互いをさほど理解もせず、相手について勉強もせずに駄弁りたいことを駄弁るだけの内容になることでしょう。
しょうもな。
さて、最後に恒例のわるのり分析で締めさせていただきます。
《岡山で行われた今日(10月5日)のイベントでも、小林よしのりは物忘れが目立っていたそうです。単語を思い出せなくなった小林は、泉美木蘭に助けてもらっていたらしいですね。
小林が血管性認知症であることは、本人がどう取り繕っても隠し通せるものではありません。物忘れがひどくなった小林の有様を見ても「先生は復活した」と思い込めるのは、盲目的な小林信者たちぐらいでしょう。
果たして今の小林には、言論漫画のシナリオを作れるのだろうか、メールマガジンや『週刊エコノミスト』の文章は書けるのだろうか、勉強のために読書ができているのだろうか、といった数々の疑問を感じざるを得ません。
小林が脳出血で倒れて入院していたころも、『神功皇后論』は休載していませんでしたからね。
小林がブログで自分は漫画の執筆で忙しいと強調しているのは、代筆疑惑を隠すための粉飾でしょうね。また、『神功皇后論』の執筆のための参考文献を読んだ、と小林がブログで書いていることも認知症疑惑を隠すための粉飾でしょう。
小林が漫画や言論をゴースト任せにしていることに対しては、今となっては何も驚きの気持ちは起きません。
ゴー宣を描いてからの小林よしのりは絵解き漫画家となりましたが、時事問題やエッセイ的な内容を漫画として一つの作品にまとめることができていました。
しかし、今の小林は時事問題やエッセイ的な内容を漫画にすることさえもなくなり、ブログに書いたりイベントで話すことで済ますようになりました。
時事問題に興味を持たなくなった小林は、愛子さまへの推し活や神功皇后の歴史物語の方に夢中になっているようです。小林による愛子さま推しや神功皇后推しは、支持母体である生長の家への配慮のためという見方もできます。
あえて言うならば小林がゴー宣で時事問題を扱ったのは、ジャニーズ性加害問題に触れたことが最後でしょう。
ブログで頓珍漢なことを書いても、イベントで無内容なことを話してもイエスマンたちが無条件で支持してくれる状態に、小林はすっかり慣れてしまいました。だから、小林は時事問題やエッセイ的な内容をわざわざ漫画にする気はもはやないのでしょう。
何しろ今の小林は脳出血で倒れてからの闘病生活さえも、ブログで書いたりイベントで話すことで満足している体たらくです。
脳出血で倒れてからの小林が闘病エッセイ漫画を描こうとしていないのは、本人に描く気がないからということとすでに描く能力さえもないからという両方の意味合いがあるでしょう。
今さら言うまでもありませんが、小林はギャグ漫画家やストーリー漫画家としてはすでに終わった人間です。
それどころか、得意分野である時事問題やエッセイ漫画の執筆さえも面倒くさがるようになった小林は、漫画家として終わった人間のまま晩年を過ごすつもりのようです。
脳出血で倒れた後の小林よしのりは、血管性認知症や腎臓病を患っていることが分かりました。
今の小林は不治の病を患った病人であり、自らの余命や終活を意識せざるを得ない状態です。
しかし小林は自らの病の深刻さや余命と向き合うことを恐れ、根拠なき楽観論にすがりつこうとしています。
現実逃避を続ける小林は、「病は気から」という言葉に頼るまでになりました。
血管性認知症を患った時点で自分の完全復活は不可能であるという現実から逃げています。
「病は気から」という言葉や「痺れよ、おまえのことは無視するぞ!」という小林の言葉からは、彼の支持母体である生長の家の教えとの関係を連想せざるを得ません。
生長の家の教えでは、この世は人が思っていることが反映された世界であり、病気や不幸は人の心に映し出された偽りの現象であるとされています。
病気は偽りの現象で本来は存在しないから、ポジティブシンキングによってどんな病気でも治るというのが生長の家の教えです。
ポジティブシンキングを強調し「思いの力があればどんな病気でも治る」と説いている生長の家の教えは、小林の療養のために役に立つものではありません。小林が根拠のない楽観論に溺れて現実逃避するのは、療養を軽視して寿命を縮めることにつながる恐れがあります。
ゴー宣DOJOの門弟たちが、小林よしのりに「病は気から」という精神論を吹き込んでいるのは実に危うい限りです。小林が根拠のない楽観論に溺れて現実逃避し、療養を怠ることにつながるからです。
小林とシンパたちが「病は気から」という言葉を過度に強調することは、医療への軽視や否定につながる恐れもあります。
脳出血で倒れた小林を病院へ運ばず、「病は気から」と言って放置し続けていたらそのまま死んでいたでしょう。小林の命が助かったのは医療のおかげです。
今の小林が患っている血管性認知症は不治の病であり、プラセボ効果で治ることは絶対にあり得ません。
ゴー宣DOJOには医療関係者もいるのに彼らが小林に都合の悪い事実を言うことはありません。まともな医療関係者は、小林の『コロナ論』に反発してゴー宣DOJOをやめています。
泉美木蘭はイエスマンの一人として、小林の虚勢を張った生き方さえも擁護していました。
どうやら泉美は虚勢を張る生き方のことを、健全な形での誇りを持った生き方として考えているようです。
残念がら小林の虚勢を張った生き方は、泉美が考えているような立派なものではありません。小林の虚勢ズムがみっともないのは、自分の臆病さや弱さを直視することから逃げた強がりでしかないからです。虚勢を張った状態に満足して努力を怠っていたら、実力不足は解消されず半端な人材のままで終わります。
自分を「天才漫画家」と称し、言論でもカリスマであると思い込もうとした小林は、漫画家や言論人として慢心してしまい大成することができませんでした。》(大林わるのりさん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/518406836.html
https://washiblogact3.seesaa.net/article/518240242.html
この記事へのコメント
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/44406
「薬で血圧を低く抑えているせいか、昼間は眠くて眠くてしょうがない。しかも左手が痺れるから、ホッカイロを左手に握って、あたためている。左手、左指の自由が利かないことが、こんなにも不自由で苦痛だなんて、誰にも想像つかないだろう」
やはり、今の小林よしのりは体調があまり良くないようです。小林が左手の痺れに苦しんでいるのは、「病は気から」作戦が失敗に終わったことの証明でもあります。
また、小林が睡魔に悩まされるようになったのは、認知症の症状である傾眠傾向に当てはまっている可能性があるでしょう。
「古墳時代の歴史を必死で読んでいるが、集中力が続かず、うつらうつらしてしまって、つい本をバサッと落としてしまう。そのたびに拾い上げて、読書を再開するが、昔は本を読むスピードが速かったのに、今はやけにペースがのろくなった」
「しかし昼間の睡魔が邪魔になる。夜が熟睡できなくなるし・・・こうして苦痛のうちに、新しい年が進んでいく」
小林がブログで読書や勉強を強調しているのは、実際は自分がブレーンに言論活動を丸投げしているのを隠すためです。
ブレーン担当である時浦がゴー宣の参考文献を読み込んで、本の内容の要点をまとめたレポートを小林が読んでいる可能性があるでしょう。或いは小林が読書をしていても、実際はブレーンの時浦に指定された本を読まされているというのが現実なのかもしれません。
ただし今の小林は認知症の患者であるため、彼がブログで書いているように本当に読書ができる状態であるかどうかは不明です。もっとも小林ブログに書かれているように、彼が睡魔に悩まされているという告白は事実と見ていいでしょう。
一方でちぇぶが書いたブログの内容を見ていると、彼女が今の小林の頭脳の具合をどう見ているかが分かります。
2/14(土)ゴー宣DOJO開催!ゲスト辻元清美議員
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/44399
>今回のゴー宣DOJOは参加者のみなさんが辻元議員に質問した内容をもとに議論を深めていきます。議論冒頭から質問を受け付けますので、ぜひ、辻元議員にどんどん質問してください。
2月に開催が予定されているゴー宣DOJOのイベントでは、参加者たちが辻元清美議員に質問した内容をもとに議論を進めるそうです。イベントで門弟たちや辻元氏に議論が丸投げされるというのは、小林が置物化することを最初から想定しているようなものです。
おそらくちぇぶは、小林は認知症が進行中の状態であることを知っている可能性が高いでしょう。しかし、イベント開催にこだわるちぇぶにとっては、現在の小林のことを人寄せパンダとして利用価値があると割り切っているのかもしれません。
自分の病と向かい合おうとしない小林に対して、今改めて厳しい現実が突きつけられています。療養や終活に取り組むことを嫌がり、最後は側近に騙されて使い潰されるという晩年はどう見ても「幸せな結末」には見えません。
https://www.gosen-dojo.com/blog/58083/
>アナウンサーの山本雪乃さんがやっぱり可愛かった。
取材に来た女性アナウンサーが可愛かった、とブログに書いてしまうのは小林らしいですね。アイドル好きなミーハーな性格でスケベ男である小林らしい感想です。
過去に小保方晴子や三浦瑠麗に騙されたことからも分かるように、小林はシモの欲望で女性の有名人を評価してしまう悪癖がある人間です。
また、小林は頭脳の衰えの影響で、本能のコントロールができなくなっている可能性もあります。笹幸恵への「ともだちんこ」事件や、『おぼっちゃまくん』の新作のエロネタ描写がまさにそうでした。
>テレビの映像的には、小林よしのりがエレファントマンのジョン・エリックみたいになってる姿を撮りたかったのかもしれない。
入院中の小林は、脳卒中の後遺症をエレファントマンに例えたブログ記事を書いたものの、後になって削除しました。今回も小林はブログの文章で、脳出血の後遺症をエレファントマンになぞらえた表現をしていました。
おそらく小林は、内心では脳卒中の後遺症に苦しむ人を見下しているのでしょうね。
「わしはエレファントマンみたいな姿にならなかったから、他の脳卒中の人間よりは健康的でマシなんだ」
とマウントをとりたいのでしょう。
>しかしわしは唇が痺れていながら、「まみむめも」が言えるし、風呂もトイレも1人で出来る。プラセボ効果で、「病は気から」の実践をやってるから、あれで良かったのかどうか分からない。
「わしの脳出血の後遺症は大したことないぞ」「わしの身体は回復へと向かっているぞ」と小林は言いたいのでしょう。しかし、小林は自分が血管性認知症であることには意地でも触れたくないようです。
自分は余命や終活を意識せざるを得ない状態だという現実を無視し、「病は気から」と言い聞かせていれば、プラセボ効果で完全復活できると小林は思い込もうとしています。
おそらく小林は、取材陣の前で「元気になったわし」を演じようとして必死だったのでしょうね。自らの病と向かい合わずに虚勢を張り続けることの虚しさや惨めさを、小林は未だに気付いていないようです。
おそらく小林には、入院中に味わった病院食への逆張りをしたいという気持ちがあったのかもしれません。最近の小林の朝食にハンバーガーやホットドッグが出ているのは、さすがに私もびっくりしました。脳出血で倒れたことがある上に、腎臓病を患っている人間に食べさせていい食事ではありません。
小林の奥さんは、夫の身体の具合が良くないことを医者から聞かされているのでしょう。どういうものを小林に食べさせるべきかということも、奥さんは医者から聞かされているはずです。
しかし、奥さんが小林の健康を気遣おうとしても、夫の意向を無視できずに本人が食べたいものを作らされているのかもしれません。何しろ今の小林は、認知症の影響で感情や本能のコントロールができなくなっており、自制心が働いていません。
小林による奥さんへの意向とは、味が薄いものは嫌だ、精のあるものを食べたい、というものだけではなさそうです。わしの身体が回復したかのように見せつけて虚勢を張りたい、というのも小林の意向なのかもしれません。
ハンバーガーやホットドッグをを奥さんに作らせることによって、
「こんな不健康なものさえも食べられるほど、わしの身体は回復してきているんだ!」
と小林は強がりを演じているのでしょう。
しかし小林がどんなに虚勢を張っても、脳出血を起こすほどボロボロになった血管や、高血圧のせいで機能が低下した腎臓が回復することはありません。小林が強がっていても、奥さんが作った朝食を嘔吐してしまったこともまた事実です。
長年に渡って「カリスマ・よしりん」という夫の虚像作りに加担してきたせいで、奥さんは小林の要求を断れないのかもしれません。小林の奥さんは、夫が人前で虚勢を張ることをやめさせようとしなかったのですからね。
シンパたちの前で虚勢を張るために、朝食を不健康なメニューにするのは小林の療養のためにふさわしくありません。療養を軽視する小林の暴走を止めたくても止められないのは、奥さんからすれば辛いでしょうね。
或いは、虚勢を張った生き方や誇大妄想的な言動さえも、私小説にしてしまう作家だっているでしょう。例えば岩野泡鳴は自分を「宇宙の帝王」と称し、島田清次郎は自分を「精神界の帝王」と称しました。
そういえば小林よしのりも、ゴー宣で自分を「不動明王の生まれ変わり」と称していましたね。小林のゴー宣は原作者自身をヒーロー化して粉飾を重ねたおかげで、エッセイ漫画として成り立つことができました。
しかし、漫画のキャラであった傲慢な主人公「よしりん」と作者本人が一体化したことにより、小林は等身大の自分の姿を見失って裸の王様となってしまいました。
表現者としてプライドが高くて虚勢を張っていても、内面に潜んでいる臆病さや弱さを直視できない生き方は非常に危ういものです。自らを「精神界の帝王」と称した島田清次郎は、奇行を繰り返した揚句に精神病を発症して我が身を滅ぼしました。
ただし、どんなに人間的に問題があったとしても自分自身と向かい合うことができる作家は、私小説で傑作を残すことがあります。例えば、漫画家では吾妻ひでおが描いた『失踪日記』や『アル中病棟』は、エッセイ漫画の名作とされています。
吾妻は人生のどん底を経験したことにより、自分自身を見つめ直すことができた人間と言えるでしょう。彼は、自分がうつ病やアルコール依存症を発症しているという事実と向かい合うことができました。
一方、小林は自分が血管性認知症や腎臓病であるという事実と向かい合おうとせず、ありもしない奇跡の復活を演じながら療養を軽視しています。
今の小林には、吾妻ひでおの『失踪日記』や『アル中病棟』のようなエッセイ漫画の傑作を描くことは無理でしょう。なぜなら小林は自分の病の現実と向かい合っていない上に、自らの生き方を見つめ直すことができていないからです。
虚勢を張った生き方は小林がエッセイ漫画家として成功できた原因でもあり、一方でエッセイ漫画家としての才能の限界をもたらした原因でもあったと言えるでしょう。
https://www.gosen-dojo.com/blog/57920/
小林よしのりは自らの病の深刻さを直視せず、いつか完全復活できるという願望にすがりついています。小林が左手と左唇の痺れを気にしているのは、身体的に苦しいだけではなく、自分は病気であるという現実を突き付けてくるからでもあります。
小林が痺れを治したいと考えているのは病を克服したいという意味ではなく、自らの病状を直視したくないという意味として読めるでしょう。
医療への逆張りと強がりから、小林はバンド練習のおかげで「痺れを意識しない術を会得」と言っています。小林が痺れに慣れてきたのは痛み止めの薬の効果のおかげであり、気迫で痺れを克服しつつあるからではありません。
バンドの練習をリハビリと思い込んでいることから分かるように、小林が目指した実践リハビリは結局カラオケ趣味の正当化になってしまいました。
どうやら小林が考えている復活とは、「左手と左唇の痺れの克服」と「横浜ライブで歌えるようになる」の二つのことのようです。しかし、血管性認知症と腎機能の低下が発覚した時点で、小林に完全復活の可能性はあり得ません。
また、小林が横浜ライブで歌えるようになることを復活と考えているのは、自らの仕事の在り方を忘れてしまったも同然です。
おそらく小林は、本職である漫画や言論で再ブレイクをして復活を果たすことを考えていないのでしょう。小林は自分のカラオケ趣味のために運動団体を私物化しながら、晩年を過ごすつもりのようです。
自分の病の実態や余命を直視することを嫌がる小林は、虚勢を張りながら面白おかしく生きることを選びました。小林は知識人として自らの主張通りの最期を遂げるのは嫌であり、また等身大の人間として病と向かい合いながら療養や終活に取り組むのも嫌なのでしょう。
現実逃避を続ける小林には、もはやつける薬はありません。
https://www.gosen-dojo.com/blog/57892/
>わしは常に愛子さまの立太子を実現するためだけに、政局を考えている。
愛子さま推し優先で政局を考える小林に対しては、「日本にとってもっと大事なことがあるでしょ?」と突っ込みたくなります。国政をどうするか、外交をどうするか、経済をどうするかなどの課題の方が、この国のためには大事であるということが小林には分からないようです。
>わしの発言、言葉に魔力があると信じて、邪魔な政治家は早く消すことだけを考えている
小林と麻原彰晃は考え方がそっくりです。自分は超能力者で最終解脱者だと信じ込み、邪魔者はポアしてこの国を変えようと考えたのが麻原でした。
しかし、小林の誇大妄想じみたこの発言はおそらく虚勢によるものなのでしょう。自分にはかつての影響力はもうないと自覚しているから、小林は大言壮語して大物文化人気取りをしているだけです。
>最短で愛子天皇を実現することが、日本のためだと信じている。
小林の愛子さま推しは、「愛子天皇が誕生すれば日本は何もかも良くなる」という神がかり的な妄想によって成り立っています。なぜなら小林は、愛子天皇の実現こそが最大の景気対策と本気で考えているからです。
>上野千鶴子よりも、わしの方が女性の名誉と地位を向上させたいという願望が強い。
小林には「女性の名誉と地位を向上させたい」という気持ちなど本当はみじんもないのでしょう。
そもそも小林は昔から男尊女卑的な主張をしていましたし、自らのバンドごっこでは女性師範をバックダンサーとして起用していました。ファンへの性加害疑惑や笹幸恵へのともだちんこ事件から分かるように、小林は女性をモノ扱いしている人間です。
>近代化する日本から、あらゆる因習を排除していくのが、少子化を食い止める早道であり、愛子天皇を生む手段でもある。
小林は伝統保守を称して近代合理主義を批判したこともあったのに、一方では愛子さま推しの立場で近代化を肯定して因習を排除しろと言っています。まさに、小林は保守なのかリベラルなのか分からないコウモリ派文化人です。
「あらゆる因習を排除していくのが、少子化を食い止める早道であり」とはふわっとした精神論そのものの文章であり、その後で「愛子天皇を生む手段でもある」と続くとはまさに脈絡がない文章です。
>すべては愛子天皇のために、それが今のわしの思想である。
小林の愛子さま推しは、自らのミーハー的な推し活のため、目標を掲げて運動団体を維持させるため、支持母体の生長の家に本を買ってもらうためなど様々な要因があります。
安彦氏が現在の小林の仕事や状況をどこまで知っているのかは、はなはだ疑問でありますが、恐らくは大御所扱いされてももはや現役ではないという淋しい自分自身に、同じく古代史を漫画にしているという話だけを聞いて、久しぶりに自分に脚光が当たった気がして、乗っかってしまったのでしょう。お互いがお互いのことをどこまで知ってるのかわからないので、相当にチグハグな対談になることでしょう。
最近読んだある小説で作者があとがきで、同じテーマの短編を書いていたが、それは取材も足りていない、やっつけ仕事だったので、あれは駄作だったと自ら言ってて、そこからちゃんと取材もして新たに長編として書き直したと言っていました。これこそがプロの矜持で小林には絶対にないものですね。自分の作品はどれもが素晴らしいと自画自賛しかしない奴ですから。
https://www.gosen-dojo.com/blog/57870/
小林よしのりは高市早苗のことを「結局、人を掌握する実力がないのだ」と言っていますが、この指摘は彼自身に対しても当てはまっています。
小林と高市に共通しているのは、「あれをやりたい」「これだけは譲れない」という気持ちを優先させて他者との妥協点を見出せず、交渉力や調整能力が欠落しているということです。
いつも他者と喧嘩別れを繰り返したり、閉鎖的な運動団体のボスとして裸の王様となった小林こそが、「結局、人を掌握する実力がないのだ」と言えるわけです。
また、裏金議員の復権という主張に固執した高市は、公明党の連立離脱をもたらしました。タカ派政治家でありながらも妥協できる部分では妥協ができた中曽根康弘や安倍晋三のような調整能力が、高市にはありませんでした。
小林と高市にはお仲間(オトモダチ)に甘いという共通点もあります。お仲間の裏金議員を復権させようとしている高市と、スキャンダルまみれの山尾志桜里をかばう小林が私には重なって見えます。
小林の高市批判に対しては、「あなたも人のことを言えないじゃないか」と言いたくなります。
さらに、小林の今回の政治分析は、右派時代の主張とは違っているわけです。右派時代の小林は高市早苗にも麻生太郎にも好意的な評価をしていました。小林の代表作の一つである『台湾論』では、自民党が公明党と組んでいることにも批判的でした。
結局、小林は意見に一貫性がない変節漢であり、自分の転向の経緯さえもまともに説明しない無責任な言論人です。
それにしても、小林の虚勢ズムと大言壮語は相変わらずです。
「大きく政局が動く中で、次回のゴー宣道場がキャスティングボードを握ることになった」
今の小林やゴー宣DOJOには、世論に影響を与えるほどの力はどう見てもありません。ゴー宣DOJOが日本政治のキャスティングボードを握っている、という小林発言は信者向けのプロパガンダでしょう。
日本政治について床屋談義をする暇があるのなら、小林は言論人や運動家としての自分のあり方に対して反省をするべきです。今の小林には、「人のふり見て我がふり直せ」という言葉が似合います。