命という道具を擦り切れるまで使用するのだ
こんなに波乱が起きるとは思わなかった | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/57683/
《女性宮家が二つ創設されたのは、公には発表していないが母娘の確執からとわかる。私的なことで国民の税金を使って宮家創設したということ。
また、愛子さまは皇太子ではなく女性宮家当主にさせられてしまうかもしれない、と危惧している声も見かける。たしかにそうだ。
今回の女性当主の宮家の件でわかったことは、皇族なら公のことを考えているとは限らないということ。これははっきりとした。》
新女性宮家が2つ誕生する。 | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/57678/
《三笠宮家の親子の確執から彬子さんが当主の女性宮家が誕生する。未亡人の信子さんも新宮家創設ということになるらしい。「先例」も「原理原則」もあったもんじゃない。要するに「融通無碍」、どうにでもなるということだ。この「融通無碍さ」が皇室を崩壊させることになりかねない。
ルールは無視できるだろうが、皇室に対する国民感情は崩壊に向かう。やはり直系重視の方が、正しい選択だと、わしは直感する。
「男系絶対」は伝統ではなく、「シナの文化、+明治の男尊女卑」に過ぎない。「双系主義」こそが日本の伝統だと、「神功皇后論」を描いていて、ますます確信を深める!》
皇室の長い歴史を見た時、親子や兄弟間での血で血を洗うバトルの連続であり、たかが母娘の確執なんて大したことはないでしょう。むしろ現代的で穏やかな醜聞に過ぎず、芸能スキャンダルなどが好きなアホを楽しませる娯楽を与えてくれていると考えれば実に平和で良いではないですか。
また、愛子さまを女性宮家当主にする可能性も出来たのだとしたら、皇統の安定化に繋がるのですから尊皇派の立場としては本来喜ばしいことなのではないでしょうか。(今回の件は女性宮家創設に繋がるわけではありませんが。)
それなのに、「融通無碍は皇室崩壊待ったなし!」と危機感を煽るのは得意の逆張り商法の意図以外なにがあるのでしょうか?
むしろ「融通無碍」ならば、このどうにでもなる勢いで女系天皇容認論まで推し進める好機と捉えれば良いのに、とにかく危機感を煽らなければ、「運動」は成立しないから煽るのでしょうね。
まさに運動のための逆張り。運動のための主張。
「皇族は公のことを考えていない。わしらだけが公を想っている」とまで主張し始めるヤバみ。
直系重視にこだわることでどうして皇統の安定に繋がるのでしょう。もっと融通無碍に考えなければ皇統は途絶えてしまうのでは?(皮肉)
神武の実在を否定し、欠史八代を採用している小林界隈ですが、ならば皇室の成立は明らかに古代支那文明の影響であると認めることになるのですが、じゃあ皇室の伝統は「いわゆる男系絶対」が正しいということになりますやんけ。(皮肉)
あと、「双系」とは父方と母方の両方が皇統に属していなければならないことであり、単系(男系のみor女系のみ)よりもハードルが高いことです。
双系でなきゃならんというなら、悠仁親王ならば高円宮のツグちゃんや今話題の三笠宮の女王二人のいずれかとマッチングするとか、敬宮内親王ならばいわゆる男系派が勧めている旧宮家の流れを汲む輩とマッチングするしか手立てはありません。
それは特に悠仁親王には酷な要求ではないですか!
小林界隈ひどすぎます!
人道に対する罪だと思います!
内服薬が意外に効く | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/57687/
《内服薬で痺れが緩和されることを知った。
マッサージや針灸などの東洋医学に頼るしかいか、と思っていたが、内科の医者からもらった内服薬が意外に効いて、痺れを軽減させる。西洋医学で効果があるなら、それでいいじゃんと思った。》
生への執着が凄まじくてサスガです!
執着したっていいじゃない!
人間だもの!
痛みをありのまま受け入れるなんて野蛮なことで、少しでも緩和出来るなら、最後の最後まで医療に頼って生き長らえるのも一つの終末の在り方として認めるべきですよね!
変に覚悟を決めて、死を受け入れるなんてカッコつける人ばかりじゃなくて良いのです。
最後の迎え方は人それぞれで良くて、役に立たなくなったからさっさと覚悟を決めろとか要求するなんてのは余計なお世話ですよね。
「よしりん漫画ブック」の創刊配信を17日(金曜)にする | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/57701/
《「よしりん漫画ブック」の創刊配信を17日(金曜)にしてくれと、秘書岸端から頼まれた。
ただ、毎月のペースで描けるのかといえば、心許ない。だが、岸端は「漫画ブック」を隔週で出すらしいので、わしは毎月描くしかない。》
「Q&A」と「しゃべらせてクリ」の住み分けについて。 | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/57703/
《ライジングで連載している「しゃべらせてクリ」は、17日(金曜)創刊する「よしりん漫画ブック」に移動する。今後は、「Q&A」は、「ライジング」で、「しゃべらせてクリ」は「漫画ブック」で、という住み分けにする。》
あれ?
「よしりん漫画ブック」ってのは、小林よしのりの新作マンガや旧作マンガを電子書籍で販売するサイトのことじゃなかったんですか?
月額で定期購読させるメルマガを増やすだけだったんけ?
もしや定期購読だから隔週でマンガが配信されなくても自動的に購読料が引き落とされるという、いわゆるライジング商法をまたやるつもりですか?
それって完全なお布施システムですね。
現在、まったく稼働していないニコニコチャンネルで定期購読料を徴収した上で、noteのライジングでも購読料を吸い上げ、さらにまた新たに定期購読するメルマガを増やすだけなんですね。
いやはや信者はお布施の蟻地獄にハマって大変ですね。
女市長のラブホテル密会・学歴詐称はそんなに悪いことか? | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/57716/
《わしは来年の愛子さまカレンダーが欲しい。書店で予約すればいいのか?愛子さまカレンダーしか運が開けない。愛子さまカレンダーだけが欲しいんだ。頼むから、何とかしてくれ。秘書みなぼん、頼んだよ。
前橋市長がホテルに行ったのは、悪いことか?
わしには全然分からん。プライベートでラブホに行ったって勝手じゃないか?
学歴詐称も、なぜ延々非難されているのか、分からん。学歴なんかどーでもいいじゃないか!》
カレンダーの件は、秋篠宮バッシングに熱をあげている「いわゆる愛子天皇派」がはしゃいでいるマヌケな主張を鵜呑みにして、佳子内親王をからかっているのでしょうが、私心剥き出しの実に醜い振る舞いですね。
いわゆる愛子天皇派は「Amazonでは愛子さまのカレンダーは売り切れ状態で現在入手困難だが、秋篠宮カコのは売り残って在庫抱えてやんの、ザマァ!」と品性のカケラもない罵声をネット上に書き込んでいます。
秋篠宮バッシングに総乗っかりで茶化す小林よしりん先生ぴゃんですが、そういえば町の本屋に行くと、在庫を抱えているのかドラゴンボールはいつも棚に並んでいますが、おぼっちゃまくんは売り切れ状態で入手困難ですよね。
やはりこれは鳥山明先生より小林よしのり先生の方が売れている証拠だと私は思います!
まさか、佳子カレンダーより愛子カレンダーは少部数だからだなんて誰がそんな不敬な指摘をしているのですか!
けしからんですね。
佳子内親王の写真集はたくさん出版されているのに、どうして我らが愛子さまのはあまり出版されないのか、これは秋篠宮派の策略なのではないでしょうか!
小林よしりんはもっと私心を剥き出しにして、そのあたりのこともブログで憤慨すべきでしょう。
なにしろ、小林よしりんは公私の分別がついておらず、政治家がプライベートな情欲の為に公費を使うことに疑問を抱かず、また大衆が政治家の低学歴を憂いているのではなく、詐称したことを非難しているのにそれも理解出来ないマヌケなのですから、皇室についても公私の分別もつかない逆張り珍論をお願いしますよ!
命という道具を擦り切れるまで使用するのだ | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/57733/
《とてつもなく忙しいが、命という道具がまだ使用可能なので、擦り切れるまで、使用するのだ。神様はこの命だって、不平等に、人間に与えている。短い命か?長い命か?
わしは手塚治虫や赤塚不二夫より長い命を与えられた。ありがたいことだ。》
「役に立たなくなった老人どもとは違い、価値のあるわしの命はまだまだ使用可能だとアンチ連中はいい加減理解すべきである! それは不平等ではあるが、価値のある命と役に立たない無価値な老人の命があるのは厳然たる事実であり、それは神が決めたことだ。わしの命は手塚赤塚より価値があると神が判断したから、彼らよりわしは長生きなのである。価値ある命は長く続く。それが神の意思である!」
確かに小林は手塚より長生きですが、果たして手塚作品より価値あるマンガを彼は描いているのでしょうか?
本屋に置いてあるから正しいわけではないとは思いますが、手塚が亡くなって36年経った今も本屋には手塚作品が並んでいます。
小林はまだ存命ですが、小林マンガは大概ヘイト本コーナーに数冊あるかないかですが?
いやはや「わしは手塚治虫や赤塚不二夫より長い命を与えられた」からどうしたの?
長生きしたらそれが偉いという価値観の人なのかな?
ちなみに、小林はまだ赤塚先生よりは長く生きていないのですが?
バカなのかな?
バカな小林よしりんの最近の言動について分析したコメントが届いていますので最後に紹介させていただきます。
《病に苦しむ小林が医療に頼ろうとするのは言論人としての過去の発言との矛盾を指摘されても仕方がありません。
かつての小林は老人切り捨てを正当化していた上に、コロナ禍のころは医療を軽視する主張をしていました。
しかし病で倒れた後の小林はひたすら生に執着し、左手のしびれの緩和のために医療や薬の世話になろうとしています。
西洋医学に対する小林の態度は、普段は医療に逆張りをしているけどいざとなったら医療に頼るというものです。
医療に対する小林の普段の態度から分かるように、彼の言説は逆張りと甘えの両方によって成り立っています。
逆張りと甘えで成り立つ小林の言論活動は、不良少年が学校に寄生しながら反抗ごっこをしているのとそっくりです。言論人としての小林は、逆張りと甘えによる反抗ごっこという生き方だけは一貫していました。
市長がプライベートでラブホに行くために公用車を利用していたのは、明らかに公私混同です。しかも、豪雨災害の最中もラブホ通いをやめなかったことは、市長としての危機管理能力に問題があります。
学歴詐称は犯罪だから批判されているのですよ。候補者が選挙の時に学歴を偽って出馬するのは、公職選挙法違反に該当します。政治家が学歴や経歴を偽って選挙で立候補することは、有権者を騙す裏切り行為です。
小林が前橋市長や伊東市長の不祥事を擁護するのは、メディアへの逆張りから暴論を唱えているだけです。小林が権力を批判したり擁護したりするのは、メディアや時流に対する逆張りでやっているので深い意味はありません。
小林よしのりは山尾志桜里の不倫を擁護するようになってから、政治家の不倫を肯定する立場に変わりました。しかし、政治家の不倫を擁護する小林は、「政治家は公的な存在であるため公私混同はするべきではない」という基本的なことが分かっていませんでした。
小林が前橋市長のラブホ通いや伊東市長の学歴詐称を擁護することは、「パブリックマインドを持て」というかつての主張の放棄に他なりません。
しかしながら、「パブリックマインドを持て」と主張していた小林は、実際は公私の区別ができない人間でした。しかも、「公」の大切さを主張する小林の思想は、師匠である西部邁の受け売りによるものでした。
小林のかつての主張はブレーンの受け売りであったため、実際は根本的な思想を持っていませんでした。しかし、小林にとっては、旧ゴー宣以来の逆張り言説というやり方では今回も一貫しているわけです。
前橋市長のラブホ通いや伊東市長の学歴詐称を屁理屈で擁護することは、小林にとってはメディアに対する逆張りのための発言でもあるわけです。
また、小林は今回の件でも目先の感情が動機で発言しているという意味で一貫しています。
「政治家の不倫を批判することは、わしの仲間である山尾の批判につながってしまうからまずい」という保身の気持ちによって、小林は政治家への不倫を擁護する立場に変わりました。
自らの思想が壊れることも言説の一貫性がなくなることも、小林にとってはどうでもいいのでしょう。「とにかく逆張りをして自分を個性的な論客としてアピールしたい」「わしの目先の感情を何が何でも優先したい」という気持ちだけは小林は今も変わっていません。
かつての思想的な立場をかなぐり捨てている小林は、頭脳の衰えのせいで知識人として取り繕うことができなくなっているのでしょう。
「安楽死の方法」を学びたいと言っている小林は、実際は自らの生に執着している臆病者です。
もはや分かりきったことですが、小林が人前で強がっているのは内心にある自らの臆病さを隠すためです。
「とてつもなく忙しいが、命という道具がまだ使用可能なので、擦り切れるまで、使用するのだ」
小林がこう言っているのは、病で余命を意識せざるを得なくなって死に怯えていることの裏返しでしょう。
命という道具(手段)を使って漫画の執筆や言論活動に尽力する、という生き方は今の小林には不可能です。そもそも小林は漫画の執筆をスタッフに丸投げしていますし、言論活動は昔からブレーンに丸投げして成り立っています。
小林が「命という道具を擦り切れるまで使用する」と言っているのは、「わしの残りの人生は面白おかしく生きて過ごしてやる」と宣言しているようなものです。
もしかすると小林は、病の現実や死の恐怖から自己逃避してやけくそになっているのかもしれません。或いは小林は血管性認知症のせいで、感情や本能のコントールができなくなっているという見方もできるでしょう。
イベントに参加してシンパたちからチヤホヤされたい、バンドごっこをしながらカラオケ趣味を満喫したい、というのが小林が理想としている余命の過ごし方のようです。
どうやら、小林が唱えた「命は手段にすぎない」という生き方は、晩年になって彼が「面白おかしく生きて何が悪い」と居直るための言葉に変質してしまったようですね。
どう見ても小林は手塚治虫や赤塚不二夫と比肩できるほどの実力・実績を持った漫画家ではありません。
小林が自分を偉人や大物になぞらえて虚勢を張るのは、彼が劣等感まみれの小物であることの裏返しです。
小林よしのりが「よしりん漫画ブック」の配信を決意した動機は、金儲けのためでしょう。
シンパたちによる本のまとめ買いで得られる印税と、ゴー宣DOJOの会費に加え、別の形でも収入源が欲しいというのが小林の魂胆でしょう。
今の小林は脳出血と腎臓病の影響で身体が衰えている上に、血管性認知症を発症している病人です。病気の影響で身体が衰えた小林が、「よしりん漫画ブック」のために毎月漫画を描くことは無理があります。
もしかすると、「よしりん漫画ブック」の作品さえもいずれは『SPA!』連載のゴー宣のようにシナリオは時浦担当、ネームの執筆はスタッフ担当になってしまう可能性もあるでしょう。
スタッフに「よしりん漫画ブック」の作品の執筆を丸投げさせれば休載の心配はなくなりますが、そういう仕事のやり方はプロの漫画家としては恥ずべき行為です。
漫画家として終わっている小林による「よしりん漫画ブック」の創刊は、世間が求めているものではありません。》(大林わるのりさん)
この記事へのコメント
https://www.gosen-dojo.com/blog/58432/
「博打を打つ覚悟のない奴は、しょぼくれていればいい。だが、『東大一直線』もバクチだったし、『おぼっちゃまくん』もバクチだったし、『ゴー宣』も『戦争論』も、次から次にバクチを打ってるだけじゃないかと思っている。」
そもそも『おぼっちゃまくん』のヒットは、コロコロ編集者や末永直海がブレーンとして優秀だったおかげであり、シンエイ動画によるアニメ化が成功したおかげでもありました。
また、『戦争論』のヒットは、つくる会の支持母体でもあった宗教右翼によるまとめ買いのおかげです。ただし宗教右翼によるまとめ買いがなくなってからは、小林の本の売り上げは次第にジリ貧となっていきました。
しかし、小林は「わしは自分の実力でヒット作を生んできた」と思いたがる人間であるため、自らの実力を過大評価しています。
「『神功皇后論』も来年、単行本が出たら、大ヒットして、古代史ブームの牽引役になると思っている」
小林は売れない漫画家となった現実を直視できず、未だに虚勢を張っています。そもそも小林が人前で虚勢を張っているのは、自らの臆病さや弱さの裏返しでもあります。
小林が「リハビリなんて、クソくらえ」とまで言い出したのは、左半身のしびれに未だに苦しんでいることの裏返しでしょう。案の定、小林が目指していた実践リハビリは失敗に終わりました。それどころか、小林の「病は気から」作戦も失敗に終わったようですね。
また、小林が音楽活動で「そのうちバクチをやってやると思っている」と言っているのは、私的なカラオケ趣味を正当化するためでしょう。しかしながら、よしりんバンドが武道館で歌うという小林の夢は、誰がどう見ても実現不可能です。
ブログで小林が「バクチ」という言葉をやたらと強調しているのは、やけくそになっていることの表われでしょう。おそらく小林は、自分の創作活動や言論活動が失敗だらけのまま、落ちぶれて死んでいくことに耐えられないのかもしれません。
しかしながら、小林が漫画家や言論人としてもう一度ブレイクを果たすことは、今のままでは実力的にもはやあり得ないでしょう。
小林のように自分の嘘を信じて虚勢を張る生き方をしていると、やがて現実が見えなくなってしまいます。現実を見失った状態で暴走を続ける生き方をしていたら、最後は破滅が待っています。
小林が今やるべきことは、「自分が長い間取り組んできたバクチは失敗に終わった」という現実を受け入れることです。嘘をつくことや虚勢を張ることはもうやめて、これまでの人生を懺悔する作業こそが小林のやるべきことでしょう。
「小林よしのり漫画ブック」の創刊を喜んでいるのはコアな小林信者たちだけであり、大多数の漫画ファンたちからは全く期待されていません。
少年時代のころは小林ファンであった私でさえ、「小林よしのり漫画ブック」が創刊されたと知っても冷めた気持ちしかありません。読む価値もないし、相手にする気にもなれないというのが今の私の感想です。
実際、小林が発表した新作の『おぼっちゃまくん』を私は読んでいませんし、それどころか読む気にもなれません。読む前から作品が面白くないことが分かっていて、しかも読むために金を払わなければいけないものを、わざわざ相手にするのは馬鹿馬鹿しいものです。
ただし、ゴー宣DOJOの門弟でコアな小林信者である人たちならば、今の小林が何を描いても褒めてくれるでしょう。従って小林は信者ビジネスで金儲けをするために、「小林よしのり漫画ブック」の配信を開始したというわけです。
結局、年老いてからの小林は漫画よりもお金を愛している人間となってしまい、表現者としてはすっかり才能が枯れてしまったことが分かります。
一方で、若いころの小林はお金よりも漫画を愛していた人間であり、表現者として成長できる可能性を持っていました。
しかしながら、小林の場合は「漫画を愛しているから何が何でも漫画を描く」という気持ちよりも、「ヒット作家となって世間に認められたい」という承認欲求の方が強い人間でした。
だから、望み通りヒット作家となることができた小林が、漫画よりもお金を愛している人間となってしまったことは必然だったのかもしれません。年を取ってからの小林は創作活動を自己満足と惰性で行うようになり、表現者として堕落してしまいました。
終わった漫画家となった小林がもう一度世間から認められたいならば、「小林よしのり漫画ブック」の創刊よりもやるべきことがあります。
それは言論人としての今までの歩みを反省した自伝漫画(懺悔録)の執筆か、もしくは晩年の闘病や終活の記録を描いたエッセイ漫画(闘病記)の執筆か、この二つしかないでしょう。
小林に漫画家としての誇りがまだ残っているならば、懺悔録か闘病記の執筆に取り掛かって欲しいものです。
https://www.gosen-dojo.com/blog/57851/
>昼までに、おぼっちゃまくんのコンテを何枚か描いて、仕事場にファックスしなければならない。スタッフがペン入れを始める。今週中にコンテを全部上げなければ。
『おぼっちゃまくん』のコンテは小林よしのりが描いているでしょうけど、ネームのペン入れはゴー宣と同じく全てスタッフ任せになるでしょうね。
>来週からはまたゴー宣、神功皇后論のコンテになる。その勉強もせねばならない。
小林が入院中も休載していなかった『神功皇后論』は、原作者が全く描いていない作品の典型です。『神功皇后論』を描くための勉強は、おそらくブレーンの時浦に丸投げしている可能性が高いでしょう。今ではゴー宣のシナリオも時浦が代筆していますからね。
>働け、働け、働けは大好きである。
おそらく小林も高市早苗・自民党総裁と同じく、ワークライフバランスが嫌いなのでしょう。小林が「働け、働け、働けは大好き」と言っているのは、自分以外のこの国の労働者たちを「こいつらは若いころのわしより働いていない」と恨んでいるせいかもしれません。
「自分は若いころの激務に耐えたから、お前らもやってみろ」という個人的な経験でしかものを見れない人間が経営者になったら、間違いなくブラック企業が出来上がってしまいます。
>リゲインだろうと、ユンケルだろうと、栄養ドリンク剤は大好物だ。
「働け、働け、働けは大好き」という過労の奨励を、小林は栄養ドリンク剤の使用で例えています。バブル期の「24時間戦えますか」のCMで有名なリゲインを「働け、働け、働けは大好き」の例えに利用する時点で、小林の価値観は時代遅れそのものです。
>それにしても朝ドラの「ばけばけ」は面白いな。(中略)今週はチョンマゲにこだわる武士の話だったが、まるで男系にこだわるネトウヨ馬鹿保守みたいで、実に笑えた。
女系天皇支持の小林は、朝ドラの感想さえも男系天皇支持の右派批判につなげています。愛子さまへの熱心な推し活も、最新のテレビドラマの追っかけが好きなことも、小林の性格がミーハーであることの表われです。
小林はよしりんバンドをやめるつもりは全くないようです。よしりんバンドは小林の私的なカラオケ趣味であり、運動の目的である「公論形成」とは関係がありません。しかも、小林の身体に負担がかかるバンド活動は、どう見ても療養やリハビリのために役に立っていません。
>高市早苗が総裁になり、皇統問題は麻生太郎に託され、それは「男系ネトウヨ」に牛耳られる状態だが、果たして、男系ネトウヨは「保守」と言えるのか?
小林による高市批判は結局、皇位継承問題に関することしか言えないわけです。なぜなら、小林は愛子さまへの推し活に夢中になりすぎて、時事問題についてアンテナを張り巡らせる能力が低下してしまったからです。
ブレーンの時浦に情報収集を任せて言論活動を丸投げしているせいで、小林は世の中の動きに疎くなってしまいました。
>そして11月29日には、あのガンダムの安彦良和氏との対談!安彦氏は、わしを指名してくれたことが光栄としか思えない偉大な漫画家だが、思えば、古代史や近現代史への興味は一致している。どんな対談になるか、楽しみだ。
小林と安彦良和は、クリエイターとしての実力や実績では雲泥の差と言っていいでしょう。
もしも安彦が、近年の小林が漫画家として堕落していることを知ったらびっくりするでしょうね。なぜなら近年の小林は作品の執筆をスタッフ任せにしている上に、運動を利用して趣味のカラオケにうつつを抜かしているからです。
>さあ、12月13日の横浜LIVEまで、ぶっ飛ばしていくぞ!!
歌を歌えなくなった今こそ、小林はよしりんバンドの中止を決断するべきです。小林がやるべきことはイベントへの参加やカラオケではなく、療養に励むことや終活に取り組むことです。
オドレら正気か?岡山LIVE「脳と肉体」感想&しろくま隊長宣言ご紹介!
https://www.gosen-dojo.com/blog/57819/
>私は病気を抱えながら生きていくけれども、「患者」として人生を生きたいとは思っていません。
(中略)
>私たちは少なからず経験的に「病は気から」を実感しているはずです。人間の身体は本当に不思議です。
にしやんは持病を抱えているせいで、「病は気から」という言葉にすがりつきたいのでしょう。上記のブログでにしやんは数々の事例を持ち出して、「病は気から」は本当にあるのだと説明しています。
しかし、「病は気から」と言って見たところで、不治の病に苦しむ人や持病がある人が思いの力でいきなり健康体になることはありません。重病の人を治療するためには「病は気から」という精神論に頼るのではなく、医療の存在がどうしても不可欠です。
医療従事者も認めざるを得ないほどプラセボ効果は強力で、そして医学者はその機序を説明出来ない。
https://www.gosen-dojo.com/blog/57820/
>医療従事者も認めざるを得ないほどプラセボ効果は強力で、そして医学者はその機序を説明出来ないのです。
>これまでブログで医学信仰の非科学を指摘してきましたけれど、その原因は医学が人体の非科学を受け入れず無理矢理つじつま合わせをしようとするからかもですね。
(中略)
>「病は気から」という言葉から受け取る非科学は、同時に合理的な科学でもあると思います。
カイジロウは、プラセボ効果まで持ち出して「病は気から」という言葉を正当化しています。彼が言っているように、医療従事者でさえプラセボ効果の存在を認めていることは事実です。
しかし、「病は気から」という言葉やプラセボ効果の意義を強調するあまり、西洋医学に偏見を持って医療そのものを軽視してしまうことは問題です。小林とシンパたちは「病は気から」という考え方に偏重しすぎて、近代的な医療のおかげで多くの人たちが救われてきたことを忘れています。
医療を軽視して「病は気から」という言葉に頼るのは、迷信じみたまじないや非現実的な精神論でしかありません。
小林とシンパたちが「病は気から」という言葉を過度に強調することは、医療への軽視や否定につながる恐れもあります。脳出血で倒れた小林を病院へ運ばず、「病は気から」と言って放置し続けていたらそのまま死んでいたでしょう。小林の命が助かったのは医療のおかげです。
また、「病は気から」という言葉を証明するために、もしも小林が降圧剤の使用をやめて前のような不摂生な食事に戻ったら、たちまち脳出血が再発するでしょう。
「わしの血管年齢は実年齢より20歳若い」と思い込んでいた小林が脳出血や腎臓病になったのは、「病は気から」ではなくどう見ても不摂生な生活が原因です。今の小林が患っている血管性認知症は不治の病であり、プラセボ効果で治ることは絶対にあり得ません。
ゴー宣DOJOには医療関係者もいるのに、彼らが小林に都合の悪い事実を言うことはありません。まともな医療関係者は、小林の『コロナ論』に反発してゴー宣DOJOをやめています。
小林は自分に甘い人間であるため、主治医の忠告や検査の結果よりもDOJOの医療関係者が唱える楽観論を信じようとしています。
そういえば、ゴー宣DOJOは生長の家の信者たちが潜り込んで活動をしているそうです。「病は気から」と言ってプラセボ効果の存在を強調している門弟たちの中には、生長の家の教えに影響を受けている人もいるでしょう。生長の家は信者に対して「思いの力があればどんな病気でも治る」と教えているそうですからね。
やはり、イエスマンたちは小林に対して療養を勧めるよう忠告することはありませんでした。現実逃避を正当化して療養を怠る小林を止められる人は、もはや周りには存在していません。
もくれん「DOJO参加者、今は50代とかも多いが、それでも保守系団体に比べれば若い。後頭部がみんなハゲてる(一同笑い)」
よしりん「意地を張っていたけど、救急車は呼んだ方がいいと分かった。」
よしりん「看護婦さんがみんな可愛かった。」
よしりん「かわいい看護婦さんにわしの珍ポを握らせるの恥ずかしいから、尿瓶は体勢を工夫して独力でやった。」
よしりん「給食のおばさんは尊敬しているからあまり大声で言えないけど、病院食がすごく不味かった。」
よしりん「病室から脱走して病院内のコンビニに逃げたら大騒ぎになって、自宅の妻のところまで連絡がいって、そちらに帰ってきていないかと捜索された。」
よしりん「ふりかけは取り上げられたが、隠し持っていた海苔を食後につまんでいた。」
よしりん「医療費増大などもあって、保守層が参政党へ。だから自民も極端な高市を総裁に。」
よしりん「高市は女の皮を被った男。」
もくれん「小林先生がネットの討論番組とかで有名になっても、ヘンなおじさんが愛子天皇を推してる、みたいな世間イメージになってしまう。」
よしりん「DOJOを新しいエンタメに。泉美さんも踊って、ダンスと討論を一体に。」
もくれん「踊りながら討論を!?」
もくれん 「小林先生、入院中のブログを削除しましたよね?」
よしりん「エレファントマンのブログは、大変なことになると言われたから消した。そういう症状の人も実際いるから。」
結論、人を呼んで金を取るレベルではないただの雑談。
https://www.gosen-dojo.com/blog/57788/
脳出血で倒れた後の小林よしのりは、血管性認知症や腎臓病を患っていることが分かりました。今の小林は不治の病を患った病人であり、自らの余命や終活を意識せざるを得ない状態です。
しかし、小林は自らの病の深刻さや余命と向き合うことを恐れ、根拠なき楽観論にすがりつこうとしています。現実逃避を続ける小林は、「病は気から」という言葉に頼るまでになりました。
左手の痺れを気迫の力で克服して完全復活を目指すと意気込んでいる小林は、血管性認知症を患った時点で自分の完全復活は不可能であるという現実から逃げています。
内服薬のおかげで左手の痺れが軽減されているのが現実なのに、小林が左手の痺れを無視する訓練をわざわざ行うのは無意味です。小林が気迫で痺れを乗り切ろうとするのも、単に虚勢を張っているだけであり馬鹿馬鹿しい限りです。
ただし、「病は気から」という言葉や、「痺れよ、おまえのことは無視するぞ!」という小林の言葉からは、彼の支持母体である生長の家の教えとの関係を連想せざるを得ません。
生長の家の教えでは、この世は人が思っていることが反映された世界であり、病気や不幸は人の心に映し出された偽りの現象であるとされています。病気は偽りの現象で本来は存在しないから、ポジティブシンキングによってどんな病気でも治るというのが生長の家の教えです。
小林による「病は気から」「痺れよ、おまえのことは無視するぞ!」という言葉は、「病気は人の心に映し出された偽りの現象で本来は存在しない」「思いの力があればどんな病気でも治る」という生長の家の教えとそっくりです。
ポジティブシンキングを強調し「思いの力があればどんな病気でも治る」と説いている生長の家の教えは、小林の療養のために役に立つものではありません。小林が根拠のない楽観論に溺れて現実逃避するのは、療養を軽視して寿命を縮めることにつながる恐れがあります。
小林の療養軽視や現実逃避がカルトの教えの影響であったならば、まさにホラーそのもので笑えません。
今回は長々と書かれていますが、簡単に例えられる言葉を見つけたのでご紹介しておきましょう。
https://econ101.jp/kohei-saitos-tunami-of-confusion/
ジョセフ・ヒース「混乱の濁流:斎藤幸平『人新世の「資本論」』についてのコメント」(2025年9月28日)より
>私たちは、どう見ても上手くいかないアイデアについて、何度も何度も同じ議論を繰り返さなければならないのだろうか?
東大准教授、斎藤幸平『人新世の「資本論」』についての書評からの引用です。なかなかにおもしろい書評なので読んでみることをお勧めします。坂本龍一はこの本を絶賛していたようですが…現在の東大准教授のレベルはこうなのかな?と思うと暗澹たる思いがありますが。
立憲君主を廃したり、その権威を削いで行った場合どうなるか?これは歴史が証明しているわけですが、議論の必要あります?
そんな簡単な事もわからない人達が道場に参加するのでしょう。興味が無いと言うならば必要性の無い議論の場に行く事もないのに。と公文式で学ばないチンパンジーはふと思うのですが。
先日言った掘り下げですが、昔の事を思い出しつつ書かねばならない個人的にキツい内容なのでまあまた後日ということで…
いい加減馬鹿やってねえで真面目に働け(笑)(笑)(笑)
女系天皇に反対してる高市早苗が自民党総裁になったけど小林よしのりはどうするの?
寄贈運動サイトによると国会議員713名に献本した冊数は総計778冊献本を自己申告した者は85名
ちぇぶの名前は無い。
よしのり信者の皆さんは高市早苗にも愛子天皇論を送り付けたのだろうか?
自称ホシュの小林よしのり大センセ。
総裁選結果を受けて憤死しそうじゃあるま烏賊?
それは良いけどインドっちゃまはどうなった!?w
確かもう放送始まってるだろ?
向こうでの反応もだが、ある時期からパッタりアニメのシナリオ手直し、ダメ出しの話しなくなったなwww
まあ、お察しw
それはともかくジャンプ買って来たった!
小林が血管性認知症であることは、本人がどう取り繕っても隠し通せるものではありません。物忘れがひどくなった小林の有様を見ても「先生は復活した」と思い込めるのは、盲目的な小林信者たちぐらいでしょう。
頭脳が衰えた今の小林は、漫画の執筆や言論活動がどこまでできるのかという疑惑が出てきます。
果たして今の小林には、言論漫画のシナリオを作れるのだろうか、メールマガジンや『週刊エコノミスト』の文章は書けるのだろうか、勉強のために読書ができているのだろうか、といった数々の疑問を感じざるを得ません。
これらの数々の疑問に対する答えはもはや明らかです。今の小林は漫画の執筆はスタッフ任せであり、言論活動はブレーンの時浦に丸投げしているのだ、と見なすべきでしょう。小林が脳出血で倒れて入院していたころも、『神功皇后論』は休載していませんでしたからね。
小林がブログで自分は漫画の執筆で忙しいと強調しているのは、代筆疑惑を隠すための粉飾でしょうね。また、『神功皇后論』の執筆のための参考文献を読んだ、と小林がブログで書いていることも認知症疑惑を隠すための粉飾でしょう。
単語の物忘れがひどくなっている小林が、なぜか普段通りゴー宣や評論文を執筆できているのはゴースト疑惑の証明に他なりません。
小林が漫画や言論をゴースト任せにしていることに対しては、今となっては何も驚きの気持ちは起きません。今の小林に対しては、
「先生が病気であることを隠し通すのはもう無理です。だからあなたは療養に励んでください」
と言いたくなります。