小林よしのりはコウモリ派だ!

西部邁の薫陶を受けた中島岳志や小林よしのりの思想は、藤井聡とどこが違うのか? | ゴー宣DOJOhttps://www.gosen-dojo.com/blog/57615/

《10/25(土)ゴー宣DOJO「そもそも保守とリベラルの差って何だ?」の募集が始まる。

藤井聡は自民党の総裁選は高市早苗一択だと力説する。だが、高市は皇位継承の「男系固執」一択だ。

藤井はナショナリズムは大事だと言う。だが、天皇制は日本の国柄そのものであって、側室なき男系固執では、皇統は絶えるのは必然だ。

藤井聡は天皇制を守るというナショナリズムが薄い。藤井聡は、西部邁に薫陶を受けた者にしては、保守の意味が分かっていない。

10月25日のゴー宣道場では、「そもそも保守とリベラルの差って何だ?」というテーマで議論する。単なる「反左翼」が保守ではないはずだ同じく、西部邁の薫陶を受けた中島岳志や小林よしのりの思想は、藤井聡とどこが違うのか、はっきりさせようじゃないか!》


一体どこのどなたサマが、小林よしのりと藤井聡のシソーの違いを知りたいのでしょうか?

需要なきギロンほど虚しいものはないでしょう。

そもそもハナから答えが決まっているじゃないですか。

どうせ、「リベラルは所詮は左翼だ。自称保守派も左翼だ。わし以外は全員サヨクに過ぎない。ゴー宣道場が日本で唯一の保守の牙城である!」という結論でシャンシャン手拍子するだけでしょう。

小林は死人に口なしとばかりにやたらと西部邁の名を利用していますが、社交の人であった西部邁とはかなり前に絶縁し、晩年の西部邁について悪罵の限りを尽くしていたのを無かったことにするのはどういう神経をしているのでしょうか。

というか、西部邁って皇族への敬意なんてものはなく、ゆえに君主の人格や適正なんてそんなものは必要なく、ただ神輿としてそこにあるだけでいい。置物(伝統)として鎮座してるだけでいいから。シラス能力とか公を第一義にする性分とかイラネぇから。てな考えの人だったでしょ。

私はどこぞの茅根ゴーなる有象無象よりは西部の本を読み込んでいた時期があるので知ってるよ。


あと、時浦のマヌケブログについて。


愛子さまを思うふりして民間に追い出そうとする「デイリー新潮」の卑劣記事! | ゴー宣DOJOhttps://www.gosen-dojo.com/blog/57599/

《この記事は、愛子さまは皇室に残って重圧を背負い込むよりも、よき夫と巡り会って民間で幸せな家庭を築いた方が幸せではないかと主張しています。

愛子さまを皇室から追い出そうとしている、実に悪質な記事です。

もちろん、愛子さまご本人のお気持ちは大切です。

天皇とは、あくまでも「やっていただく」ものですから。

しかし、愛子さまは国民のためになりたいというお気持ちを繰り返しはっきりと表明されていますが、民間人になりたいというお気持ちがうかがえたことは、一度もありません。

愛子さまは、天皇皇后両陛下のただ一人のお子さまとして育ってこられたのです。一般民間人とは、根本的に違う「公」の意識があるとしか思えません。》


時浦はいわゆる男系派が「敬宮内親王は降嫁して幸せな家庭を築くレールが敷かれている」というようなことを言っているのが許せないと憤って、「愛子が民間人になりたいなんて主張したことがない!」などと反論しています。

それならば、敬宮内親王は「あたい皇太子になりたいわ」なんてな主張もしていないのですから、「#愛子さまを皇太子に」なんて運動をするのもダメですよね。

時浦は勝手に「一般民間人とは、根本的に違う「公」の意識があるとしか思えません」などと憶測で語っていますが、所詮は憶測の域を出ません。

「国民のためになりたいというお気持ちを繰り返しはっきりと表明されています」というのも「だから皇位継承者としての覚悟がある」と受け取るのは無理筋です。

「国民のためになりたい」なんて、黒田清子さんだって言っていたことですし、女王であった守谷絢子さんも言っていたことで、なにも特別な意味を持つものではありません。

時浦は何の勉強もしていないマヌケなんですから、知ったかぶりはやめた方が良いと思います。

黒田清子さんも守谷絢子さんも皇族であった頃に「民間人になりたい」なんて主張していません。そんなのは当たり前です。

マジで時浦はマヌケなんだから、マヌケはマヌケらしくシノゴノヌカスナ!

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さて、今回も小林界隈への批評コメントを紹介します。


《小林よしのりは利己主義者であり、彼は他人を自分が利用できるか否かで品定めしています。

晩年の西部邁に批判的だった小林よしのりは、死んだ後の西部を自分の箔付けのために利用するようになりました。晩年の三島由紀夫に批判的だった石原慎太郎が、死んだ後の三島を自分の箔付けのために利用しているのとそっくりです。

小林が今回のブログで批判している藤井聡だって、コロナ禍のころは感染対策批判で意気投合していました。小林・藤井・施光恒による鼎談本を出す企画がこじれてから、小林は藤井に批判的となりました。

小林が藤井を批判しているのは私怨が動機であり、「自分が利用できる人間ではなくなったから」という価値判断が理由でしょう。

そもそも小林が他人を批判する動機は逆張りや私怨だったりすることが少なくないので、彼には根本的な思想がありません。小林の主張はその時その時でコロコロ変わりますし、ブレーンやスポンサーの影響ありきで言論活動をしているだけです。

宗教右翼の影響で右傾化し、三代目教祖が率いる生長の家の影響で左傾化した小林は保守とリベラルの主張のいいとこどりをしたコウモリ的な言論人となりました。

小林は「わしはワシ派だ」と称するよりも、「コウモリ派」を名乗るべきです。

保守とリベラルの主張をつぎはぎしたコウモリ派文化人の小林からすれば、西部邁の弟子だけど左派文化人の中島岳志は利用価値があるのでしょうね。おそらく小林とっては、他の知識人や思想家の言説も自分が利用できるか否かで品定めしているのでしょう。

その結果、小林は、言説がつぎはぎで根本的な思想を持たないコウモリ派文化人にしかなれませんでした。》(大林わるのりさん)

https://washiblogact3.seesaa.net/article/518302821.html

この記事へのコメント

大林わるのり
2025年11月12日 01:18
高市早苗は戦争を起こすか?
https://www.gosen-dojo.com/blog/58390/

右派文化人だったころはタカ派的な勇ましい発言を繰り返していた小林よしのりは、今ごろになってやっと日本が戦争に巻き込まれることの重大性に気付いたようです。気付くのが遅いですね。

しかし小林は、右派時代のころに学んだ見解を完全に否定できているわけではありません。

「だが、アジアの民主主義の「存立危機」にはなる。民主主義の基盤を持つ台湾は、あまりにも貴重な友人だと思う。したがって、台湾を何とかして侵略しようと企む中国の覇権主義には大いに嫌悪感を持っている」

「台湾は日本の友人で良い国だ。中国は台湾侵略を企む覇権主義の悪の国だ」という右派時代のころの認識を、小林は捨て切れていません。小林はつくる会時代のころの、宗教右翼や台湾ロビーによる洗脳が未だに解けていないようですね。

「台湾有事は日本の存立危機になる」と主張している高市首相への逆張りをするけれど、右派時代の見解を完全に捨て切れていないのが小林の限界です。

小林の主張をまとめるとこうなります。

「台湾有事を理由に、中国を挑発して日本が戦争に巻き込まれるのはまずい。アメリカは必ずしも日本を守ってくれるとは限らない。しかし、日本の友人で良い国である台湾を、中国が覇権主義的な理由から狙っているのは許せない」

右派のタカ派的な見解を批判しているけど、一方では親台湾・反中国の右派的な見解も導入しているのが小林の主張のようです。つまり、今の小林の思想的な立場は、左派と右派のいいとこどりをした「コウモリ派」なのですよ。

小林はブレーンの西部邁や宗教右翼人脈の影響で右傾化し、後に生長の家の影響で左傾化して今に至りました。小林の支持母体である生長の家は、谷口雅宣が教祖となってから右派路線を捨ててリベラル化しています。

谷口雅春時代の生長の家は大東亜戦争肯定論を唱えていましたが、谷口雅宣が教祖となった生長の家は旧日本軍の侵略を認めた上で平和主義を唱えています。小林が女系天皇支持や脱原発を唱えたのも、『新戦争論1』を発表したのも、支持母体である生長の家に配慮をしたからでしょうね。

ただし、小林は『戦争論』『台湾論』で唱えた主張を全否定しておらず、右派時代の言説を反省したわけではありません。小林が高市首相のタカ派的な姿勢を批判しているのは、支持母体である生長の家の意向を組んでいるからでしょう。結局、小林はコウモリ派の文化人でしかありません。
大林わるのり
2025年10月27日 00:39
「国家情報局」が監視すべきは?
https://www.gosen-dojo.com/blog/58069/

大須賀は、高市早苗首相が統一教会機関紙「世界日報」と関係があったことを批判しています。しかしながら、右派時代の小林よしのりはその高市を評価していたのですよ。

そういえば、討論番組で田原総一朗が高市を罵倒した時は、小林は高市を擁護していましたね。また、小林は『希望の国・日本』でも、対談相手の高市を好意的に評価していました。

高市を評価していた右派時代の小林もまた、統一教会に対しては甘い態度をとっていた可能性があります。それもそのはず、右派時代の小林がつるんでいた人脈を調べると面白いことが分かります。

新しい歴史教科書をつくる会にいたころの小林は、勝共文化人の高橋史朗とも共闘していました。つくる会時代の小林が(不仲でありながらも)共闘していた藤岡信勝も、後に「世界日報」に登場しています。

また、小林の『戦争論』では、統一教会に対して「青春を返せ」裁判をした元信者たちを批判していました。『戦争論』を描いたころの小林は、つくる会で共闘している勝共文化人に配慮して統一教会への批判を弱めたというわけです。

小林が編集長を務めた『わしズム』は、「世界日報」と関係がある八木秀次が常連執筆者でした。皇位継承論争で対立する前は、小林は八木とも仲が良かったのです。『わしズム』編集長時代の小林は、正月に八木の家に呼ばれたこともありましたね。

さらに、小林の『沖縄論』のブレーンでゴー宣道場の創設師範である宮城能彦は、「世界日報」や『ビューポイント』に頻繁に登場している学者です。右派時代の小林は、よりによって「世界日報」文化人をブレーンにしていたことになります。

沖縄問題について漫画を描いていたころの小林は、「世界日報」と関係が深いブロガー「狼魔人日記」を好意的に評価していたことがありました。

つまり、右派だったころの小林は統一教会への批判をトーンダウンさせていた上に、勝共文化人や「世界日報」文化人とも共闘していたというわけです。小林が、自分は一貫して統一教会と闘ってきたかのように称しているのは、過去を改ざんする行為でしかありません。

だから、大須賀は統一教会について批判するならば、右派時代の小林のことも批判するべきでしょう。「右派文化人だったころの小林よしのり先生は統一教会に甘かったじゃないか」と。

カルトの手先だった過去を反省できない小林には、統一教会のせいで家庭崩壊した叔母一家に同情する資格などありません。
大林わるのり
2025年10月20日 15:05
小林よしのりが上野千鶴子に会いたいと思ったきっかけは、ゴー宣DOJOの門下生ゴロンが上野千鶴子に『愛子天皇3』を送ったことを知ったからでしょう。

「小林よしのり氏は過去の人になったと思っていましたが、こんな本を書いていたとは」
と上野はゴロンにメールを送りました。

承認欲求が強い小林からすれば、上野が自分の著書を読んでくれたことはさぞかし嬉しかったでしょう。一方で小林からすれば、「小林よしのり氏は過去の人になったと思っていましたが」という上野の反応には反発したくなったでしょうね。

「わしはまだ過去の人になっていないんだ。上野千鶴子よ、わしを社会的影響力のある大物として認めてくれ」
という気持ちから、小林は上野に会いたくなったのでしょうね。

小林が著名人に会いたいと望むのは、「わしを大物文化人と認めて欲しい」という承認欲求が動機となっていることが分かります。

そもそも小林が著名人との議論を望むのは、自分の箔付けのために利用したいという気持ちが動機です。例えば、参院選の後に小林が参政党の神谷宗幣代表との対談を望んだのも、自分の箔付けのために利用したかったからです。

小林にとっての他人に対する評価とは、「わしにとって利用できるかできないか」が尺度になっています。小林が上野千鶴子や田嶋陽子や北原みのりをゴー宣DOJOのイベントに呼びたいと考えたのは、「わしにとって利用できそうだから」と見なしたからでしょう。

「わしはこんな著名人に会ってもらえるほどの大物文化人である、と門下生たちに見せつけることができる」
「わしはフェニミズム左翼とも議論ができるほど度量が広い人間だ、と門下生たちに知らしめることができる」
というのが小林の狙いでしょう。

また、小林には次のような狙いもあるでしょう。
「フェミニズムの知識人なら、女系天皇支持や反高市早苗という意見で自分に賛同してくれそうで都合がいい」

あの大物知識人もわしの意見を支持してくれたんだ、という証明は小林にとっては自分の意見の箔付けになるというわけです。結局、小林は表向きは「権威よ死ね」と言っているくせに、実際は権威主義者の俗物でしかありません。

とはいえ、フェミニズム知識人でも上野千鶴子は天皇制廃止論者であるため、小林が唱える愛子天皇待望論を支持してくれるとは思えません。

仮にフェミニズム知識人をゴー宣DOJOに呼べたとしても、小林の意見に全く賛同してくれなかった場合は、イベント終了後にブログで罵倒といういつものパターンになることは目に見えています。
大林わるのり
2025年10月15日 20:02
最近の小林よしのりの言説に対して思うのは、「頭が固まって同じことしか言えなくなった」と言うことです。

小林は変節を正当化するために「アップデート」という単語を使うことを好みますが、皮肉なことに最近の彼は自らの発想のアップデートが全くできなくなりました。

小林が『戦争論』で唱えていた「戦争は外交の延長」「戦争の反対は平和ではない」という主張は、最近のゴー宣DOJOのイベントやメルマガでも使い回されていました。

また、小林が保守とリベラルの違いをメルマガで解説したりイベントの議題にしたところで、西部邁の受け売りで学んだ知識の焼き直しをしているだけです。

小林がブログに書いた駄文を、(時浦のゴーストで)内容を膨らませながらメルマガにしたところで読んでも新鮮味はありません。

女系天皇支持や愛子天皇待望論という小林の言説は、今では硬直したイデオロギーと化してしまいました。愛子さま推しに夢中になりすぎた小林は時事問題に無関心となり、すっかり世の中の流れに疎くなりました。

ゴー宣DOJOでの小林の私的なバンドごっこさえも、マンネリ化したままやめることはないのでしょう。よしりんバンドは小林の自己満足をもたらしている上に、コアラ企画の金儲けにもつながっているのですからね。

小林の言説や活動は同じことの繰り返ししかできなくなっており、もはや何も目新しさはありません。ニーチェが言った「脱皮できない蛇は滅びる」という言葉は、まさに今の小林に当てはまっています。
大林わるのり
2025年10月11日 20:01
いつの時代にも「時勢」を無視することはできない
https://www.gosen-dojo.com/blog/57874/
>「時勢」というものがあって、玉木雄一郎が首相になって、国民民主と公明党と立憲民主が連立して、政権交代を成すしかなくなっている。

小林よしのりによる時事問題への予測というものは、冷静な分析ではなく根拠のない願望や逆張り発言であることも少なくありません。無責任な思いつき発言を予測としていつも語っていたせいで、小林には逆神という評価がすっかり定着しました。

玉木雄一郎が首相になるという小林の分析は、自民党や高市早苗総裁への逆張り発言であり自らの願望を語ったものでしょう。誰が次期首相になるかは今はまだ不透明な情勢なので、小林のこの予測は「当たるも八卦当たらぬも八卦」でしかありません。

玉木首相による野党勢力への政権交代という願望にすがりつく小林は、かつては玉木や国民民主党を批判していました。小林が玉木を批判した理由は、山尾志桜里が国民民主党の候補として選挙で公認されなかったことによる逆恨みです。

今の小林は物忘れが激しくなったとはいえ、さすがに自分が反玉木であったことまで忘れたわけではないでしょう。高市首相になっても玉木首相になっても、小林はいつも通り逆張りに基づく首相批判をして受け狙いを図ることは目に見えています。

根拠のない願望や逆張り発言で物事を語っている小林には、「時勢」を読む力はありません。小林の分析は床屋談義レベルでしかないので、まともに相手にするのは実に馬鹿馬鹿しい限りです。

>いつの時代にも「時勢」を無視することはできないのであって、戦後80年で、後出しジャンケンの談話を出したって、全く無意味である。

小林は、石破首相の戦後80年所感を「後出しジャンケンの談話を出したって、全く無意味」と酷評しています。

もしかすると小林は、国際社会との協調を無視してでも歴史修正主義を正当化しろ、と考えているのでしょうか。そうであるならば、小林こそが戦後の国際政治の流れを読めずに「時勢」を無視している人間と言えます。

>保守はリベラルを内包する。それが分からないネトウヨは「時勢」から目を背けて、チョンマゲを切らない頑固武士みたいなものだ。

大東亜戦争肯定論を唱えて戦前戦中の日本を正当化する小林は、極右のアナクロニストでしかありません。また、小林がジャニー喜多川を擁護するために江戸時代の男色文化を正当化していたことも、アナクロニストそのものです。

小林がネトウヨを「チョンマゲを切らない頑固武士」と批判したところで、まるで自己紹介のような表現にしか見えません。
大林わるのり
2025年10月09日 17:26
今ほど保守とリベラルの差が問われている時はない
https://www.gosen-dojo.com/blog/57821/
>リベラルは完全に衰退した。そんな中で、山尾志桜里が、いまだにリベラル・中道を自称していていいのか?も問われている。

山尾志桜里が落選したのは、リベラルが衰退したせいではありません。不倫問題や政治とカネ問題を抱えていた山尾は、有権者たちからの支持を得られませんでした。

山尾が改憲や女性天皇の実現を公約の中心に掲げ、経済政策が二の次だったことも選挙の敗因と言えます。物価高など経済や生活に関わる問題が選挙で話題になっているのに、山尾は庶民の暮らしに関心を持っていませんでした。

また、山尾が国民民主党から公認されず、選挙で労組票の支援を得られなかった影響もあるでしょう。彼女が国民民主党から公認されなかったのは、記者会見で自らの疑惑について説明責任を果たさなかったからです。

>皇統は「男系固執」だとするのは本当に保守か?ならば小林よしのりは『愛子天皇論』を主張しているから、リベラルか?わしから見れば、「側室なき男系固執」は皇統消滅だから、男系固執者は極左に見えるが、今の保守層は極左なのか?

小林が女系天皇支持を表明したのは、支持母体である生長の家の影響です。生長の家は谷口雅春が教祖のころは右派路線をとっていましたが、谷口雅宣が教祖になってからリベラル化して女系天皇支持が教団の方針となりました。

小林は宗教右翼と西部邁の影響で右傾化し、生長の家の影響で左傾化して今に至りました。今の小林の思想的な立場は、保守派とリベラル派のいいとこどりをした「コウモリ派」です。

>今ほど保守とリベラルの差が問われている時はない。

ゴー宣DOJOのイベントで議論をしたところで、結論は最初から分かりきっています。どうせいつも通り、「男系カルトの自称保守派は左翼。リベラル派も左翼。小林よしのりこそが本物の保守」という結論になるのでしょう。鷲ヲさんも指摘しているように、「需要なきギロンほど虚しいものはない」とはまさにこのことです。
元イボ読者
2025年10月02日 21:59
腎臓病はタンパク質、塩分ももちろんですが、リンも制限しなきゃいけないんですよね。
高タンパクの食材は、大体リンの値も高いので、タンパク質制限をすれば自然と低リン食になるのですが。

イボ先生ぴゃんの奥様は、イボ先生ぴゃんと同い年らしいので、塩分制限食、タンパク質制限食について病院側から説明されても、あまり理解できていない可能性も……
おばあちゃんなので、「昔ながらの和食にすれば、とりあえず健康的だろう」とか思ってそうです。リンの多いトウモロコシをしょっちゅう出してますし。

もちろん、イボ先生ぴゃんが「薄味のまずい料理なんて食いたくない! 精がつく美味い料理を食わせろ!」とゴネている可能性も、大いにありますが。
何せ、奥様が朝食を作るほんの30分程度も空腹を我慢できず、カップラーメン食べてた人でしたからね……

血管性認知症の余命を考えると、カラオケ活動やDOJOは休止して本業の漫画と終活に専念する方が良さそうですが、そんな考えができる人なら、そもそもこんな状況になってませんね。

本人は「今回命拾いしたのは『神功皇后論』を完成させる為、神がわしを生かしてくれた」と懸命に自分に言い聞かせていますが……
本当に『神功皇后論』を描くことが使命なら、そもそも神はイボ先生ぴゃんを認知症にはしなかったと思うのですが。
大林わるのり
2025年10月02日 17:58
ブログをいつも読めば分かりますが、退院後の小林よしのりのために料理を作っているのは彼の奥さんです。小林の奥さんは彼女なりに夫の健康管理のことを考えて、いつも料理を作っているのでしょう。

病人であることの自覚がない小林とは違い、彼の奥さんは夫が病人であるということを一応は理解できています。奥さんが小林にエアロバイク禁止令を出したのも、夫の身体の衰えを理解できているからでしょう。

しかしながら、小林の奥さんによる夫の健康管理のやり方はどことなくピントがずれています。例えば、小林の奥さんが作っている朝食を見ると、「このメニューは果たして病人にふさわしいのだろうか」と私は疑問に思ってしまいます。

脳出血で倒れたことがある小林の身体にとって、病院食に比べると塩分が増えている今の食事は果たしてふさわしいかという問題があります。また、腎臓の機能が衰えている小林の身体にとって、たんぱく質が多い料理を食べさせて大丈夫なのかという問題もあります。

小林の療養や食事はどうあるべきかについて、奥さんは一応医者から説明を受けているのでしょう。しかし、退院後の小林は自分が病人であるという自覚がないため、「病院食よりもっと塩分を増やせ」「精のあるものを食べたい」と奥さんに命令をしているのかもしれません。

小林の奥さんは医学に対する知識がないだけではなく、夫とは共依存の関係で命令に逆らえない状態なのかもしれません。その結果が、病院食よりも塩分が増えている食事や、腎臓に負担がかかるたんぱく質の多い食事につながっているという可能性もあるでしょう。

奥さんはできる限りのことはやろうとしているけど、夫の我がままがどうしても優先されてしまうせいで、小林の健康管理は中途半端なものとなっているのかもしれません。

小林の福岡入りの中止も、彼の体調を気遣った奥さんの助言によるものなのでしょう。しかし、病人である小林が帰った後で一人で自宅で過ごすというのは明らかに問題があります。

小林の奥さんが夫の体調に本気で配慮するならば、福岡での小林の義父の納骨や母の13回忌には、彼女が一人で参加することはやめて夫と一緒に帰宅するべきです。それどころか一番ふさわしいやり方は、岡山のイベントに小林が参加することさえも中止するべきしょう。

おそらく、小林が岡山へのイベントに参加することも、義父の納骨や母の13回忌に奥さんが出席することも、小林の意向によるものなのかもしれません。小林夫人は夫に逆らえなくて共依存の関係だから、この場合でも小林の我がままが優先された可能性があります。

義父の納骨や母の13回忌に奥さんが参加し、小林は秘書と一緒に東京へ帰るというのは小林夫妻にとってはお互いにギリギリの妥協策だったのでしょうね。

病人となった小林がちぐはぐな健康管理を続けているのは、夫婦の歪な共依存がもたらした悲劇と言えるのかもしれません。
大林わるのり
2025年09月30日 16:31
来週の予定変更
https://www.gosen-dojo.com/blog/57673/
>来週9日、木曜も、画稿〆切だから、わしは岡山から月曜に、岸端と新幹線で、東京に帰って来る。福岡には行かない。
(中略)
>妻だけ、福岡に行くので、わしはコンビニで翌朝の弁当を買っておかねばならない。

小林の福岡入りが中止となったのは、奥さんが彼の体調を気遣って助言したおかげでしょう。健康状態が良くない小林にとっては、岡山のイベントの後で福岡への帰省は身体に負担がかかる行為です。

ただし、その後が問題です。小林の義父の納骨や母の13回忌には彼の奥さんが参加しますが、小林自身は秘書と一緒に東京へ戻って一人で自宅で過ごすそうです。

病人となった小林が一人で自宅で過ごすのは、果たして大丈夫なのでしょうか。脳出血の後遺症を抱えている上に腎臓が衰えている小林が、朝食をコンビニ弁当で済ませるというのは療養のためにふさわしくありません。

今の小林は認知症の影響で感情や本能のコントロールができなくなっているため、奥さんの監視がなかったら不摂生な食事を平気で行うかもしれません。鬼の居ぬ間に洗濯として、小林がカップ麺やスイーツを買うためにコンビニへ行く可能性もあるでしょう。

また、血管性認知症を発症している老人である小林を、たった一人で自宅で放置させるのは非常に危険です。今の小林は認知症の影響で判断力が低下しているため、自宅で事故を起こす可能性もあり得るからです。

認知症となった小林が一人で外出をして果たして無事に帰れるのか、という問題も当然あります。

さらに、もしも小林が在宅中に脳出血の再発を起こしたとしても、彼一人しかいない状態だったならどうなるでしょうか。そのまま自宅で放置されて手遅れになり、最悪の場合は孤独死に陥る恐れもあります。

今の小林にはふさわしいのは、福岡への帰省の中止どころか岡山でのイベントへの参加も中止して、奥さんと一緒に自宅で療養生活をすることです。岡山でイベントに参加すること自体が小林の身体に負担をかける行為ですし、新幹線の中で小林がエコノミー症候群を発症するリスクも考慮するべきです。

小林も周囲の人物も、岡山でのイベントに小林本人が参加することを前提に計画を進めているのは問題があります。病人となった小林の健康管理をどうするかについて、奥さんを含めた周囲の人たちの認識はどことなくピントがずれているように思えてなりません。
大林わるのり
2025年09月29日 16:41
今週~来週は非常に忙しいぞ
https://www.gosen-dojo.com/blog/57630/
>昨日、NHKドキュメントで、終末医療と安楽死についてやっていたが、岡山では、あれより深い議論をユーモア入れてやれたらいいな。医者に安楽死の方法を聞いてみたい。ドクター・キリコがいればいいのに。

もはや分かりきったことですが、小林よしのりは言うだけ番長であり自らの発言に責任をとることは絶対にありません。かつての小林は、「役に立たなくなった老人は安楽死させろ」と主張していたことがありました。

「過去に老人切り捨て発言や生命至上主義批判をしていた人間が、病に倒れてからは生に執着している」
と批判されないようにするために、小林は必死で自己正当化を図っています。

小林が「医者に安楽死の方法を聞いてみたい」とブログで書いているのは、どう見ても自らの保身のためでしょう。自分は生に執着していないし、持病がある老人の安楽死という主張を有言実行する気はある、と小林は言い訳しています。

しかし、脳出血で倒れた後の小林は医療に頼って一命を取り留め、誰よりも生に執着する生き方をしています。小林は本音では医者に安楽死の方法を聞く気がないし、安楽死を自ら実践する気もないのでしょう。

ただし、小林はあれほど生に執着しているくせに、寿命を延ばすために真面目に療養をする気はないようです。10月4日以降の小林のスケジュールは、岡山入りや福岡入りなど病を抱えた彼の身体には負担がかかるものばかりです。

脳出血の再発を防ぐためには療養を優先するべきであるということが、小林には分かっていません。なぜなら、小林は自らの病の実態を直視しようとせず、根拠のない楽観論に溺れて現実逃避を続けているからです。

過去に「老人は安楽死させろ」と発言したことも、病で倒れた後で生に執着していることも、療養を軽視して現実逃避していることも、小林のこれらの発言や行動には共通点があります。小林の発言や行動は、目先の感情を優先して後先を考えない無責任なものであるということです。