皇室について憶測で語る小林よしのり
小林よしのりがシンパに向けて秋篠宮家の悪評を流すよう犬笛を吹いていることに皆さんはお気づきでしょうか。
ウシハク要員が欲しい | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/57577/
《誰もやってくれないなら、わしがやるしかない。
わしはもっと攻めて行きたい。
ウシハクつもりで攻めていかなきゃ、男系固執、皇室破壊の日本会議に勝てない。》
スキペン、しろくまさんはウシハク要員だな。 | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/57587/
《やはりしろくまさん、そしてスキペンも、ウシハク要員でやれる。海外のジャーナリストだって、悠仁さまが最後のプリンスになりかねないと危惧してるじゃないか。男尊女卑の因習をいまだに伝統だと勘違いしているような奴らでは、皇室は守れない。》
9月26日付の小林ブログを受け、道場の幹部門下生たちがX(旧Twitter)などで秋篠宮家バッシングを繰り返しているアカウントの投稿を拡散する行動を始めました。
幹部門下生がリポストしているアカウントは悠仁親王について「気概も無さそう」「発育不全ぽい」などという誹謗を共有していたり、皇嗣殿下と紀子妃殿下に対して「傍系が天皇皇后両陛下の姫御子皇女様の前を歩く冬の時代」「傍系の元庶民の嫁が天皇ご一家を押す冬の時代」「当時妊娠テロと呼ばれた」などという言葉を失うような暴言の数々を拡散している輩です。
おそらくゴー宣道場は今後そのような主張を拡散してゆくつもりなのでしょう。
愛子さまを思うふりして民間に追い出そうとする「デイリー新潮」の卑劣記事! | ゴー宣DOJO
《現在、国民の圧倒的多数が愛子さまに天皇になっていただきたいと望んでいるという事実があるのです》
《愛子さまは国民のためになりたいというお気持ちを繰り返しはっきりと表明されていますが、民間人になりたいというお気持ちがうかがえたことは、一度もありません。》
日本国民の圧倒的多数が敬宮内親王を推しているというのならば、それが事実である証拠のみを提示していれば良いでしょうに、何故に秋篠宮家バッシングに走る必要があるのでしょうか?
悠仁親王が成年皇族になられ、そのお人柄などが報道されるや一部の国民(皇室マニア)が好意的に注目していることへの焦りから「ウシハクつもりで攻めろ!」と犬笛を吹いて、バッシングさせているのでしょう。
いやはや、外道ここに極まれりですね。
愛子さまの「常に公を第一義にする性分」を誰も理解できない | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/57596/
《人々は公と私の区別が、もうできなくなっている。だから、愛子さまの感覚を憶測できない。》
真っ当な尊皇家は皇族の心情を「憶測」するなんてことはしませんし、してはならないことです。
しかし小林は公私の分別がつかない状態にまで認知症が進行しているので、「憶測」でものを語るのです。
いや、小林は認知症になる前から「憶測」でしか物事を語ってこなかったのですが、それをなんとなく誤魔化す程度には言葉を操れていたのが、認知症によってそれが出来なくなり、「憶測」のみを剥き出しにするまでに堕ちたのでしょう。
説明するまでもないことですが、一応指摘しておきますが、憶測とは根拠もないことを正確な情報もないまま思い込みで当てずっぽうに決めつけることです。
小林は皇族の方々の思いを勝手に決めつけ、それが正しい答えであるとシンパに吹き込み、シンパはそれを疑いもせずに信じて、秋篠宮家へのバッシングに乗り出したのです。
これはもはや謝って許されるレベルのことではありません。もう取り返しのつかない、後戻りの出来ない領域に踏み込んでしまったのです。
そんな小林と愉快な下僕たちについての批評コメントを今回も紹介します。
《小林は悠仁さまを褒める声に対しては「悠仁さま上げ」「悠仁さまミーハー」と決めつけているくせに、自分自身は愛子さまの一挙手一投足をこれでもかと持ち上げています。
小林による愛子さまに対する評価は彼の主観に基づく妄想の域を出ることはありません。
少女時代に書いた作文も赤十字への就職も留学をしなかったことも愛子さまが「常に公を第一義にする性分」だからと小林は憶測で語っています。
小林の尊皇の情とは、悠仁さまを軽視する一方で愛子さまを個人崇拝する偏った推し活です。
「公と私の区別がもうできなくなっている」という評価は他ならぬ小林自身に当てはまっています。
よしりんバンドは小林の私的なカラオケ趣味であり、運動の目的である「公論の形成」とは関係がありません。それどころか、「歌で皇室を守る」という理由で小林が自分のバンドごっこを正当化しているのは狂気の沙汰です。
カラオケ趣味で運動団体を私物化している小林には、「人々は公と私の区別が、もうできなくなっている」と大衆を蔑視する資格はありません。
最近の小林の文章からは、生に対する執着が伝わってきます。
おそらく9月24日の脳神経の検査の結果が予想以上に悪く、小林は自らの余命や終活を意識せざるを得ない状態なのかもしれません。
菅原孝が2014年の脳出血の発症から11年生きていたことを例に、自分もあと10年生きられると小林は思い込もうとしています。
しかし、あと10年は生きられるという小林の見立てはあくまでも願望の域を出るものではありません。血管性認知症を発症した上に腎臓の機能が衰えている小林があと10年生きられる可能性は低いでしょう。
今の小林があと10年生きたいと願うのは、かつての老人切り捨て発言や生命至上主義批判の主張とは明らかに矛盾しています。
小林は「役に立たなくなった老人は安楽死させろ」という発言を未だに反省せず、必死で言い訳を考えています。
「小林よしのりの活動表現にはちゃんと意味がある」からわしは社会の役に立つ老人であるし、安楽死の対象ではないと彼は言いたいのでしょう。
しかしながら、執筆をスタッフに丸投げしている今の小林が漫画の創作活動を自らが生きるべき理由にしても説得力がありません。
小林が「ファンは力いっぱいわしを支えてくれ」と言っているのは、シンパたちは今後もわしの本をまとめ買いしてくれ、門下生たちは日常へ帰らずにゴー宣DOJOの運動に没頭してくれ、という意味の呼びかけでしょう。
小林が本の売り上げやDOJOの会費に頼って生活を守ろうとする姿は別の形でも生に対して執着していると読み取れます。
小林が「あと10年生きたい」と悲鳴を上げていても、彼が言論人としても漫画家としてもすでに終わっているという事実は消えません。虚勢を張り続けていた男の正体は晩年になってから生に執着してあがき続けるひ弱な凡人に過ぎなかったようです。
小林のブログを読むと、彼の頭脳の衰えを実感させられます。
小林は「ウシハク」という言葉を使って攻めの姿勢を示していますが、あれをやりたい、これをやりたいと内容にまとまりがなくて支離滅裂そのものです。
そもそも小林が攻めの姿勢を見せて強がっているのは、自らの臆病さを隠すための虚勢に過ぎません。小林がやけくそな気持ちになっているのは、自らの病の深刻さや死への不安に怯えていることの裏返しです。
小林が書いたブログを読み、「やはりこの人は血管性認知症なのだ」と改めて実感しました。
よしりん企画のスタッフやゴー宣DOJOの関係者は、今の小林に対して療養を優先するよう何が何でも説得するべきです。
小林よしのりが自らの病の実態を直視せず、楽観論に溺れているのは明らかに現実逃避です。
彼が自らの完全復活を夢見ているのは、「思いの力でどんな病気でも治る」と唱えている生長の家の教えの影響もあるのかもしれません。
臆病者のくせに虚勢を張り続けてきた小林にとっては、ポジティブシンキングを強調した生長の家の教えは自分の生き方の正当化のために役立ったのでしょう。》(大林わるのりさん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/518262854.html
この記事へのコメント
https://www.gosen-dojo.com/blog/58112/
>保守の要諦であるバランス感覚は、現状の主張の分布を、足して2で割ることじゃない。野田氏が率いる立憲民主党は、そこがイマイチなのだ。
立憲民主党の野田佳彦代表は高市政権と戦う姿勢をもっと見せろ、と小林は言いたいのでしょうか。いや、小林のことだから、「野田は女系天皇支持の主張を全面的に打ち出して、国会で質問しろ」とでも言いたいのかもしれません。
内政も経済も外交もどうでも良くて、とにかく愛子さまの立太子が実現してくれればそれでいいんだ、というのが小林の考え方なのですからね。
>本来、九州育ちで、「男子厨房に入らず」と言われて育ち、今も妻から冷蔵庫を開けただけで、叱られるわしでも、思い切ってフェミニズムを声高に言うのは、世のフェミニストの女性たちが、女性の地位向上のために、有効な発言や行動をしないからだ。
小林は実際は男尊女卑的な価値観が抜けていない上に、フェミニズムを左翼扱いして憎んでいる人間です。そもそも小林は、フェミニストをキャンセルカルチャーの元凶扱いして叩いていたことがあります。
小林にとっての「良いフェミニズム」とは、女系天皇の実現を支持することと、側近のちぇぶの専横を許すことと、よしりんバンドで女性師範をバックダンサーに起用することなのでしょう。
>高市政権がブレーキを踏み続けるというのなら、誰がそれを外せるか?我々、ゴー宣道場に集う人々でやるしかないだろう。
皇室典範の改定(女系天皇の容認)という目標をゴー宣DOJOの運動の力で達成させよう、と小林は言いたいのでしょう。しかしながら、小林一派が目標実現のためにやろうとしている手段は実に馬鹿げています。
小林の駄本をシンパにまとめ買いさせてあらゆる方面に配るとか、或いは「歌で皇室を守る」と言って小林がカラオケ活動にうつつを抜かすとか、そういったやり方でゴー宣DOJOが掲げた目標が達成できるとは思えません。
そもそも小林が言論人として落ち目である上に、山尾志桜里さえも参院選で当選させることができなかった時点で、ゴー宣DOJOが社会に与える影響力は微々たるものであることが分かります。
それどころか小林一派が目指している愛子天皇実現という目標は、今の時点では達成不可能で非現実的な夢物語です。
結局、小林がやろうとしていることは、シンパたちを日常へ復帰させずに運動のための運動に没頭させ続けることでしかありません。
https://www.gosen-dojo.com/blog/57629/
>東京都40代女性
(中略)
>小林先生は「愛子天皇が実現すれば人々の気持ちが明るくなり景気も上がる、景気の気とは気持ちの気、空気の気だ」といつもおっしゃっていますが、
「景気の気とは気持ちの気、空気の気だ」という発言からも分かるように、小林よしのりは精神論で経済を考えている愚か者です。
そもそも「経済」の語源となった「経世済民」とは、世の中を治め、人々を苦しみから救うという意味です。経済は英語で「エコノミー(economy)」と言いますが、「エコノミー」の語源となったのはギリシャ語で家政(家庭の管理)を意味する「オイコノミア」という単語です。
「景気の気とは気持ちの気、空気の気だ」と主張している小林には、この国をどんな風に治めるか、人々を苦しみからどうやって救うか、民草の生活をいかに守るか、という発想が全くありません。
なぜなら小林は、漫画家としてそこそこ成功できて暮らしに困っていないせいで、民の暮らしや経済の動向に対して興味を持てないからです。小林は他者や世間に対する想像力が欠落しており、自分の尺度でしか物事を考えられない人間です。
国の統治が安定して民の生活が守られるためには経済の安定が不可欠ですし、経済の安定はちゃんとした経済政策があってこそ可能です。
しっかりした経済政策が行われて景気が良くなっていくことは、人々の気持ちが明るくなることにもつながります。
「景気が良いから、真面目に働けば今より暮らしが良くなる。今より暮らしが良くなれば、自分の人生の可能性が広がる」
と働いている人が明日の生活に希望を持てるからです。
経済政策よりも精神論こそが景気対策につながる、と思い込んでいる小林は経済のことを全く理解していません。どうやら小林は、愛子天皇の実現こそが日本の景気対策につながると思い込んでいるようです。
「愛子天皇が実現すれば人々の気持ちが明るくなり景気も上がる」という小林の主張は、天皇崇拝による神頼みを根拠とした非現実的な精神論でしかありません。
何度でも言いますが、小林のこの発言は別の形で例えるなら、「大和魂さえあれば、日本はアメリカに戦争で勝てる」と旧日本軍の軍人が精神論を唱えていたことと同じです。
「愛子天皇が実現すれば人々の気持ちが明るくなり景気も上がる、景気の気とは気持ちの気、空気の気だ」
という小林の愚かな発言には、支持できる要素は何一つありません。しかし、驚くべきことに小林のこの神頼みで経済音痴な発言に対して、ゴー宣DOJOの門下生は賛意を示しているようです。
愛子天皇の実現こそが景気対策という非現実的な精神論を主張する小林一派は、女系カルト集団と批判されても仕方がありません。
https://www.gosen-dojo.com/blog/57615/
小林よしのりは利己主義者であり、彼は他人を自分が利用できるか否かで品定めしています。
晩年の西部邁に批判的だった小林よしのりは、死んだ後の西部を自分の箔付けのために利用するようになりました。晩年の三島由紀夫に批判的だった石原慎太郎が、死んだ後の三島を自分の箔付けのために利用しているのとそっくりです。
小林が今回のブログで批判している藤井聡だって、コロナ禍のころは感染対策批判で意気投合していました。小林・藤井・施光恒による鼎談本を出す企画がこじれてから、小林は藤井に批判的となりました。
小林が藤井を批判しているのは私怨が動機であり、「自分が利用できる人間ではなくなったから」という価値判断が理由でしょう。
そもそも、小林が他人を批判する動機は逆張りや私怨だったりすることが少なくないので、彼には根本的な思想がありません。小林の主張はその時その時でコロコロ変わりますし、ブレーンやスポンサーの影響ありきで言論活動をしているだけです。
高市早苗を支持する藤井聡を小林が批判しているのは、女系天皇支持という立場からです。小林が女系天皇支持になったのは、彼のスポンサーである生長の家が女系天皇支持を方針にしているからでしょう。
宗教右翼の影響で右傾化し、三代目教祖が率いる生長の家の影響で左傾化した小林は、保守とリベラルの主張のいいとこどりをしたコウモリ的な言論人となりました。小林は「わしはワシ派だ」と称するよりも、「コウモリ派」を名乗るべきです。
保守とリベラルの主張をつぎはぎしたコウモリ派文化人の小林からすれば、西部邁の弟子だけど左派文化人の中島岳志は利用価値があるのでしょうね。パール判決書論争で罵倒した中島に小林がすり寄ろうとしているのも、自分が利用できるからと考えているからです。
おそらく小林とっては、他の知識人や思想家の言説も自分が利用できるか否かで品定めしているのでしょう。その結果、小林は、言説がつぎはぎで根本的な思想を持たないコウモリ派文化人にしかなれませんでした。
他人を自分が利用できるか否かで品定めする生き方をしている人間は、最後は自分自身が利用されて捨てられるだけです。つくる会時代は宗教右翼に利用され、現在はコアラ企画に利用されている小林は、未だにそのことに気付いていません。
コロンボが乗り出して、女優が犯人ではないかと状況証拠が集められていく。
そして、夫がなぜ反対したのかがわかってくる。女優は認知症だったのだ。
最後には女優は殺人を犯したことすら忘れてしまい、自分の往年のフィルムを恍惚の表情で見続けるのであった。コロンボが唯一逮捕できなかった事件であった。
小林もあと数年すると、いや、すでにその兆候はあるか。往年の自分の作品を「これは面白い」とか「漫画賞取ったんだぞ」とか恍惚の表情で語りだすと、もう危ないですね。