わしは天下布武、ウシハク人になりたい。

医者ファーストがお望みならそうしろ | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/19444/

《わしとしては、深夜、異様な腹痛で、のたうち回る状態でも、救急車で運ばれるのは恥だと思っているので、一晩中、耐えていたりしたのだが、結局激痛が収まらず、原因も分からないし、自力で立ち上がることもできず、救急車を呼んでしまったことがある。原因は結石だった。「これからは一晩中、我慢しないで、救急車を呼んでください」と医者に言われたのだが、もう救急車は呼ぶまい。潔く死のう。》


情熱と老化の相克 | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/45778/

《西部邁が保守思想のまともな弟子すら育てられず、孤独の中で自死を選ぶしかなくなった末路を見ると、わしはせめて、真っ当な思想の種子だけは、門下生や読者に撒いておこうと焦ってしまう。》


猫は死期を察して飼い主の元を去るか? | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/45311/

《「死」の概念を知らない猫が、死期を察するなんてことはあり得ない。室内と外を自由に往来できなくなった現代の猫は、まるで牢獄に捕らわれた存在と成り果て、完全に飼い主の玩具と化した。

わざわざ動物病院に連れて行って、CT検査を行ない、手術代に100万円も負担して、延命させる富裕層がいるらしい。たぶんぼったくられたのだろう。

猫なんて、どうせ人間より早く死ぬのである。

「命は宝」だとする「生命至上主義」が動物にまで延長されるのが近代のイデオロギーである。

自然に反した行為が報われることはない。最近の人間は自然に反した行為ばかりしている。

猫と違うのは、人間は死に支度ができるということだ。毎日毎日、死に支度をして、その時が来たら、飼い主である読者の前から姿を消し、あっさり死ぬ。これがわしの理想である。》


9月24日(水曜)の朝早くに病院に行って脳神経系の検査報告を聞いた小林よしりん先生がいつまで経っても報告内容をブログにあげず、夜9時すぎになってやっと朝食の写真と共にその件について触れるブログをアップしました。


わしは天下布武、ウシハク人になりたい。 | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/57555/

《今日、病院に行って、血液をいっぱい吸い取られ、尿検査も受け、脳神経内科の診察を聞いた。腎臓の60%の機能を失い、残り40%だ。これを大切にして、使っていく。血圧は低いほうがわしはいい。

睡魔が問題だが、一日4時間睡眠の日々より、わしは気に入っている。妻が睡眠時、無呼吸症候群だと、医師に訴えるのがウザい。わしはもう今がいい。手術も入院もしない。無呼吸で死ぬならそれも良し!》

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この小林ブログについて的確なコメントが届きましたので紹介します。


《小林よしのりはおそらく今日(9月24日)の検査によって、自身が認知症であるという現実を医者から改めて突きつけられた可能性が高いでしょう。彼が認知症の話題をブログで触れずに虚勢を張っているのは、内心に潜む動揺の気持ちの裏返しでもあります。

また、今回の検査では、小林の腎臓の60%の機能が失われていることも分かりました。小林の腎臓の機能が低下したのは、長年に渡って自身の高血圧を放置していたからでしょう。小林が高血圧となったのは、明らかに不摂生な生活のせいです。

小林は病で倒れてからは降圧剤に頼り、「血圧は低いほうがわしはいい」とまで言うようになりました。医者と製薬会社が金儲けのために患者に降圧剤を与えている、という小林の過去の主張は一体何だったのでしょうか。

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それにしても、老人切り捨てや医療を軽視した主張をしておきながら、病で倒れてからは医療に頼ってまで生に執着する小林の姿は実にみっともないものです。

しかし、小林は医療に頼って生に執着する一方で、医療への逆張りから療養を軽視した生活を続けています。小林が自己流によるリハビリをやろうとしたのも、医者や病院に対する逆張りの気持ちの表われでしょう。

「睡魔が問題だが、一日4時間睡眠の日々より、わしは気に入っている」

「わしはもう今がいい。手術も入院もしない」

これらの発言から分かるように、小林は自らが病人であるという自覚がありません。小林は病の現実と向かい合おうとせず、「わしはいつか必ず復活できる」という妄想にすがりついています。

一方で小林は、過去の老人切り捨て発言を全く反省していないことが改めて分かります。

「無呼吸で死ぬならそれも良し!」という小林の発言は、自身が生に執着していることを隠すための虚勢でしょう。この発言は別の読み方によっては、「わしは国によって安楽死を強要されるのは嫌だし樹海に捨てられて野垂れ死ぬのも嫌だから無呼吸のままベッドの上で安らかに死にたい」という小林の意思表明とも解釈できてしまいます。

また、「わしは70代、最後の攻めに出る!」と小林が虚勢を張っているのは、「わしは社会の役に立つ老人だから、安楽死させられるべき対象ではない」という言い訳とも読めてしまいます。

結局小林は、過去の発言の間違いを認めて反省することもなく、自らの弱さや現実と向かい合うこともないまま余生を送るのでしょう。生に執着する臆病者のくせに虚勢を張った生き方のせいで療養を軽視し、自らの余命をさらに縮めていく小林は実に哀れです。》(大林わるのりさん)

https://washiblogact3.seesaa.net/article/518247176.html

この記事へのコメント

大林わるのり
2025年10月07日 17:14
いつまでも朝生のマネごとばかりじゃつまらない
https://www.gosen-dojo.com/blog/57804/
>わしが考えるのは常に新しい表現方法で、よしりんバンドを、独演会も、議論も一体化したイベントにできないかと考えている。いつまでも朝まで生テレビのマネごとばかりじゃつまらない。時代に合った主張のスタイルを創造していくのが表現者の矜持だろう。

そもそも小林よしのりは漫画家や言論人として活動してきた人間であり、歌手が本職ではありません。

小林が「わしは漫画を利用した言論活動で世の中を変えたい」と言うのは、(彼の影響力が落ちたとはいえ)まだ理屈の上では納得がいきます。しかし、プロの歌手ではない小林が自分の歌の力で世の中を変えることを目指し、「歌で皇室を守る」と言っているのは意味不明です。

音楽も利用して「独演会も、議論も一体化したイベント」をやっている運動は、昔からどこにでもあります。一方、よしりんバンドとは、小林が自らのカラオケ趣味のために運動団体を私物化した愚行と言えます。

世間では漫画家をやりながらバンドに参加している人もいるため、よしりんバンドは「新しい表現方法」ではありません。小林はよしりんバンドを「時代に合った主張のスタイルを創造」と自画自賛していますが、懐メロばかり歌うカラオケごっこはどう見ても懐古趣味の域を出ることはありません。

小林が「いつまでも朝まで生テレビのマネごとばかりじゃつまらない」と言っているのは、何かに対する当てこすりとも読めます。議論ショーをやっていた元ファンサイト管理人に対する当てこすりでしょうか。

或いは小林は、自分が出演することがなくなった朝生に対する当てこすりをしているのかもしれません。まあ、朝生に対して小林は、出演するたびにやられ役となっていた苦い思い出があるのでしょうけど。

小林がカラオケごっこを運動に導入したのは、明らかに公私混同そのものであり狂気の沙汰と言えるものです。今思えば小林は倒れる前から、病の影響で感情や本能のコントロールができなくなっていたのでしょう。

よしりんバンドへの熱意を強調する小林に対しては、「もはやこの人は正常な思考ができなくなっているのだ」と思わざるを得ません。
大林わるのり
2025年09月27日 17:34
小林よしのりが最近書いているブログを読んでいると、あらゆる意味で「この人は大丈夫なのだろうか?」と心配な気持ちになります。

ウシハク要員が欲しい
https://www.gosen-dojo.com/blog/57577/

9月26日の上記のブログを読むと、小林の頭脳の衰えを実感させられます。小林は「ウシハク」という言葉を使って攻めの姿勢を示していますが、あれをやりたい、これをやりたいと内容にまとまりがなくて支離滅裂そのものです。

そもそも小林が攻めの姿勢を見せて強がっているのは、自らの臆病さを隠すための虚勢に過ぎません。

「大病したからといって、真面目になり、健康的な暮らしを守って、穏やかに死んでいくか?」

医者から検査の結果を告げられたことにより、小林は自分の余命を意識して不安になっているのかもしれません。小林がやけくそな気持ちになっているのは、自らの病の深刻さや死への不安に怯えていることの裏返しです。

スキペン、しろくまさんはウシハク要員だな。
https://www.gosen-dojo.com/blog/57587/

同じく9月26日に小林が書いたブログでも、彼は自分の病と向かい合わずに虚勢を張っています。

「たかが老人にありがちな大病・脳溢血くらいで、真面目に足踏みしておくのが我ながらイライラする」

過去に「役に立たなくなった老人は安楽死させろ」と言っておきながら、自分の病には「たかが老人にありがちな大病・脳溢血」と小林が言うのは実に虫がいい話です。小林が「たかが老人にありがちな大病・脳溢血」と書いているのは、自分の病の現実を直視したくないからでしょう。

相変わらず小林は自分が病人であるという自覚が欠落しており、真面目に療養に取り組む気がありません。

「スキペンも、前日に来て一緒にメシを食わんか?塩抜きなんてダサいことは言わんぜ!」

あろうことか小林は、イベントの前日に塩分たっぷりの料理を食べたいとまで言い出しました。脳出血の後遺症を抱えている小林が、わざわざ塩分の多い食事をするのは無謀で愚かな行為です。

塩分マシマシのものを食べたい、門弟たちの前で自分の復活を演じたい、というのが小林の気持ちでしょうか。おそらく小林は、血管性認知症のせいで感情や本能のコントロールができなくなっているのでしょう。

9月26日小林が書いた2つのブログを読み、「やはりこの人は血管性認知症なのだ」と改めて実感しました。よしりん企画のスタッフやゴー宣DOJOの関係者は、今の小林に対して療養を優先するよう何が何でも説得するべきです。

小林の頭脳と身体の具合を心配している人間は、彼の奥さんを除いて周囲に存在していません。このことは、小林にとっては不幸としか言いようがありません。
大林わるのり
2025年09月26日 17:00
ウシハク要員が欲しい
https://www.gosen-dojo.com/blog/57577/

小林よしのりは自己満足のための運動ごっこを正当化するために、「ウシハク」という単語を使うようになりました。「ウシハク」を漢字で書くと「領く」になり、自分のものとして領有するという意味になります。

「シラス」とは天皇が民の心を尊重しながら統治することを指し、「ウシハク」とは豪族が戦を繰り返して武力を背景に統治することを指します。「シラス」と「ウシハク」の概念はセットで成り立っています。

小林が「わしはウシハク人」と言っているのは、自らを天皇の忠臣である豪族になぞらえているのでしょう。「シラス」と「ウシハク」の単語を使う小林は、天皇という権威を自己正当化のために利用している似非尊皇家に過ぎません。

「ウシハク」という単語を使って自らを古代の豪族になぞらえている小林は、権力で人々を支配して小集団の長になることに憧れを抱いている俗物です。「わしは豪族集団のボスであり、師範や門弟たちは自分に従うべき家来なのだ」と小林は思っているのでしょう。

小林がしろくまを「ウシハク要員」と呼んでいるのは、彼女のことを自分の家来と思っているからです。バンドごっこで女性師範をバックダンサーに起用するのは男尊女卑そのものであり、小林がゴー宣DOJOの師範を家来扱いしていることの裏返しでもあります。

小林が自らを豪族集団のボスになぞらえたことは、ゴー宣DOJOは小林の「私」が「公」として優先される堕落した運動団体であることの証明となりました。

また、小林が「ウシハク」という単語を使い出したことは、彼がなりたかったのはお山の大将だったのだという証明でもあります。晩年の小林による「わしはウシハク人」宣言は、自分は裸の王様であるということを堂々と宣言したようなものです。
XYZ
2025年09月26日 06:20
あれだけぶくぶく太った肥満体
これまではたまたま生き延びていたに過ぎません
残された時間はあと僅かです
終活をおすすめします
無様なモンキーダンスを踊るもの
2025年09月25日 21:07
的確なコメントですか。ここでチンパンジーでもわかる事実を書いておきましょうか。

腎機能を尿検査や血液検査で調べる。尿蛋白や尿潜血、血清クレアチニン、eGFR(推算糸球体濾過量)の値等々。健康診断の結果をチンパンジーこと私も、隅々まで目を通すのですが、鷲ヲさんはそうされないんでしょうか?

こういった結果を受けて、内科ないし腎臓内科の専門医ではなく脳神経内科の医師の診察を聞く。変な話ですね。血管性認知症の影響で書き込みが変になった、とも考えられますが、60%の機能低下という部分だけはやけに具体的。

人工透析が速やか必要、というわけでも無いようですし、たいしたことは無いんでしょう。

ちなみに、猫は大事に飼うと意外と長生きなんですよ。私の家で飼っていた先代の猫はひろってから約19年生きましたが…現在飼っている猫はひろってから約6年、あと10年以上は余裕で生きるでしょうね。あと10年しかないとは本当に残念です。
大林わるのり
2025年09月25日 18:31
どうせあと10年しかない、わしの好きなように描かせてくれ!
https://www.gosen-dojo.com/blog/57564/

小林がブログで書いた今日(9月25日)の文章からは、いつも以上に生に対する執着が伝わってきます。おそらく昨日(9月24日)の検査の結果が予想以上に悪く、小林は自らの余命や終活を意識せざるを得ない状態なのかもしれません。

菅原孝が2014年の脳出血の発症から11年生きていたことを例に、自分もあと10年生きられると小林は思い込もうとしています。

しかし、あと10年は生きられるという小林の見立ては、あくまでも願望の域を出るものではありません。血管性認知症を発症した上に腎臓の機能が衰えている小林が、あと10年生きられる可能性は低いでしょう。

今の小林があと10年生きたいと願うのは、かつての老人切り捨て発言や生命至上主義批判の主張とは明らかに矛盾しています。

小林は「役に立たなくなった老人は安楽死させろ」という発言を未だに反省せず、必死で言い訳を考えています。「小林よしのりの活動、表現には、ちゃんと意味がある」から、わしは社会の役に立つ老人であるし、安楽死の対象ではないと彼は言いたいのでしょう。

しかしながら、シナリオは時浦に代筆させ、ネームの執筆はスタッフに丸投げしている今の小林が、漫画の創作活動を自らが生きるべき理由にしても説得力がありません。

また、小林が『神功皇后論』での男性器の描写にこだわっているのは、昔ながらの露悪趣味の域を出ておらず才能の片鱗を感じさせません。

小林が「ファンは力いっぱいわしを支えてくれ」と言っているのは、良き観客としてのファンに対する呼びかけではありません。そもそも小林の言論活動やゴー宣DOJOの運動は、生長の家の組織票のおかげで成り立っています。

ファンたちは今後もわしの本をまとめ買いしてくれ、門弟たちは日常へ帰らずにゴー宣DOJOの運動に没頭してくれ、という意味の呼びかけでしょう。小林が本の売り上げやDOJOの会費に頼って生活を守ろうとする姿は、別の形でも生に対して執着していると読み取れます。

小林が「あと10年生きたい」と悲鳴を上げていても、彼が言論人としても漫画家としてもすでに終わっているという事実は消えません。「天才漫画家」や「ゴーマニスト」を自称して虚勢を張り続けていた男の正体は、晩年になってから生に執着してあがき続けるひ弱な凡人に過ぎなかったようですね。