本物のナショナリズムではない平和ボケと認知症

参政党も国民民主も自民党も立憲も、本物のナショナリズムではない | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/57299/

《わしは参政党でも、そのナショナリズムは本物じゃないと思っている。いわんや、自民党から野党まで、まだまだナショナリズムが足りないと感じる。馬鹿らしいくらいに、平和ボケなのだ。排外主義は論外だとしても、平和ボケは話にならない。》


日本の政治家の平和ボケに憤るよりもまずはご自身の認知症と向き合うべきでしょうと忠告してくれる人が身近にいない小林よしりん。


今年のお盆の時期に体調不良を訴え、妻に介助されながら病院で診てもらったら、既にいくつも脳出血しているということですぐに入院することになった小林ですが、ゴー宣ウォッチャーの間ではかなり前から小林の異変に気付いていて、近親者や職場のスタッフが病院に連れてゆくべきだという意見をネット上にあげていました。

それに対し、小林や岸端・時浦は「アンチの言うことなんか聞いてやるもんか!」という愚かしい逆張りをした結果、病状を悪化させて今の有り様となったわけで、まさに自業自得の転落人生と言わざるを得ません。

病気は早期発見早期治療が非常に重要であり、認知症なんてのは早い段階で適切な治療を受けなければ、症状の進行を早めてしまいます。

小林は未だ頑なに認知症になった事実から目を背け、「脳溢血という大病を克服したわし」という幻影に酔っています。まさに馬鹿につける薬はないとはこのことです。

小林よしのり愚行録をまとめている側からすれば、今後ますますボケ倒した言動をしてネタを提供してくれることになるわけですから、小林が認知症の治療を拒むのは一向に構いませんが、せめて周囲の人間は思い遣ってやれよとは思います。


さて、そんな小林について深く分析し、考察したコメントを紹介します。


《かつての小林よしのりはゴー宣で「早く老人になりたい」とあれほど言っていましたし、老いに抗うことの醜さも主張していました。

しかし、実際に老人となった今の小林はどうでしょうか。自分はまだ若いのだと思い込もうとし、老いに抗おうとしているようにしか見えません。

自分はまだ若いと思い込んでいるからキンプリのヒット曲を歌ったことを自慢しているのだし、老いに抗おうとしているから老人性イボを皮膚科で除去したりRIZAPに通ったりしているのです。

小林は『戦争論』で国のために戦って死んだ兵士を讃え、命を賭けてでも守るべきものがあるかのように説いてきました。また、死生観を持つことの大切さを説き、生に執着する生き方を批判してきました。

しかし自分はまだ若いのだと思い込み、老いに抗おうとしている小林の姿は生に執着する生き方の典型にしか見えません。

他人に死生観を持てと説いてきた小林は、自分自身に対する死生観は持っていないのでしょうね。それどころか彼には、命を賭けてでも守るべきものさえも持ち合わせていないのでしょう。

小林が老人や医療を見下してきた数々の発言が、今回の入院によって帳消しになることはありません。これまでの彼は、「社会の役に立たなくなった老人は安楽死させろ」「老人が延命するために若者の活力を奪うのは醜悪」と言っていました。

コロナ禍の時の小林は感染対策を否定して集団免疫説を主張し、医療自体を見下したような態度をとっていました。あろうことか小林は、「新型コロナは基礎疾患のある老人を死なせてくれる優しいウイルス」とさえも言っていました。

小林の過去の無責任な発言の数々は老年期になって我が身に全て返ってきているのです。

知識人や思想家を名乗るのならば、自らの発言に対して責任を持つべきであることは言うまでもありません。しかし、小林の場合は、自らの発言に対して責任を持たないまま知識人や思想家として振る舞おうとしました。

小林が病気で倒れても、コアなファンを除いて周囲から同情の声がないのは、過去の彼の数々の発言を人々が忘れていないからです。「お前は昔何と言っていたんだ」「お前が言っていたことを今こそ実行すべきではないか」と小林は人々から見られているのです。

小林が心酔していた頭山満は、「一人でいても寂しくない男になれ」という名言を残していました。

果たして小林は、「一人でいても寂しくない男になれ」という言葉の通りに生きることができているでしょうか。

残念ながら現在の小林はイエスマンに囲まれていないと不安になっている惨めな小心者にしか見えません。

90年代に旧ゴー宣を連載していたころの小林よしのりは『SPA!』の看板作家だったのでしょうけど、今の彼は『SPA!』の看板作家と呼べるような状態ではありません。

『SPA!』の連載陣を見ると、小林よりも社会的な影響力でも雑誌への貢献度でも上の人たちばかりです。言論界での影響力では佐藤優や倉山満の方が小林よりも上でしょうし、若者への影響力ではひろゆきの方が上でしょう。

『SPA!』での他の連載陣と比べてみると今の小林はロートル選手であり、やっと雑誌の連載にすがりついているような状態でしょう。

ゴー宣道場に参加している小林信者たちのまとめ買いがなかったら単行本の売り上げは悲惨なことになっているでしょうし、雑誌での連載の打ち切りもあり得たかもしれません。

売り上げと社会的な影響力を誇っていて、『SPA!』を飛び出しても別の雑誌で看板になれる力を持った90年代のころの小林はもういません。『SPA!』から『SAPIO』に小林が移籍したころとは、事情が違うのです。

2010年代以降に小林が漫画家としてやったことは、言論の絵解き漫画を描いたり、過去の作品の焼き直しやお蔵出しをやったりしたことくらいでした。

おそらく今の小林にはストーリー漫画家としてやりたいことがもはやないのでしょう。自分の趣味や好きなものさえも創作活動に生かせないのはストーリー漫画家として描きたいものが存在していないからです。もはや小林はストーリー漫画家として終わっているようなものです。

ゴー宣読者や時浦兼が師匠の小林よしのりから学んだことは、己の弱さを直視せず、実力以上に自分を強く見せて虚勢を張ることでした。

ゴー宣読者や時浦がやたらと自らのファイティングポーズを強調したり、異常なまでに他者に攻撃的なのは自分自身の弱さの裏返しでもあります。

己の弱さを直視せず、虚勢を張って自分を実力以上に強く見せるという小林のやり方を真似ることで、ゴー宣読者(小林ファン)も「自分は強くなった」と勘違いすることができたのです。

弱さを抱えていながらそれを直視できない人はカルトに取り込まれる恐れもあります。小林と時浦の関係はカルト教祖と信者の関係にそっくりになっています。

偽りの自己肯定感で救われた気にさせ、偽りの教えで全ての物事を知った気にさせ、偽りの選民思想で優越感を植え付け、偽りの社会正義で使命感を与えるのがカルトの特徴です。

ゴー宣道場がやっていることはカルトの特徴に当てはまりますし、ゴー宣の言論の手法自体がカルトそのものでした。

新興宗教の教祖になるタイプの人間には、人一倍上昇志向が強くて「特別な自分」になりたいという執念を持った人も少なからずいるようです。

小林よしのりもまた、「特別な自分」になりたいという執念を誰よりも強く持っていたと言えるでしょう。ゴー宣で描かれた「わしは天才漫画家だ」「わしは不動明王の生まれ変わりだ」「誰も小林よしのりにはなれない」「特別な人間はわししかいない」などの数々の驕り高ぶった発言は小林による虚勢の表われであり、なおかつ「特別な自分」になりたいという彼の執念が表れた発言でもありました。

小林による漫画家としての仕事は、漫画が好きで生きがいとしてやっているというよりはむしろ、「ヒットを次々と生み出して一流の漫画家として社会に認められたい」という地位や名声への欲求でやっていたのでしょう。

確かに、小林は『東大一直線』と『おぼっちゃまくん』をヒットさせました。ただし、この2作のヒットは彼が求めていたほどの地位や名声を得たわけではなかったので小林はコンプレックスを抱えたままでした。

小林の『ゴーマニズム宣言』は、当初はエッセイ漫画として始めた作品でした。しかし、ゴー宣がベストセラー化して文化人たちに注目されるとともに、小林の心の中には「わしは言論人としても『特別な自分』になりたい」という執念が芽生えたのかもしれません。

文化人たちからの賞賛で舞い上がった小林は、「思想家として歴史に名前を残したい」「たかが漫画家という扱いではなく言論人として一流扱いされたい」という願望を持つようになった可能性があるでしょう。

小林による虚勢を張った生き方は彼が抱いているコンプレックスの裏返しでもありました。「特別な自分」になりたいという執念を抱き続け、足るを知るということを理解できなかった小林はゴー宣という新しい形のカルトの教祖となってしまいました。

自分の実力以上の成功を手にしてしまうことは、必ずしもその人にとって幸福とは言えません。例えば、オウム真理教の教祖となった麻原彰晃がまさにそうでしょう。

麻原は鍼灸師のままで人生を終えるべきでした。奥さんや子供とともにつつましくも幸せに暮らし、ハリ治療で多くの人を助けてみんなから感謝されるという人生が彼には似合っていました。

しかし麻原は上昇志向が強すぎたため、金銭欲や権力欲を捨て切れませんでした。

また、彼は盲学校に入れられて以来、親への憎しみから社会に対する被害者意識も捨てきれませんでした。

金銭欲にとらわれた麻原は金儲けのために怪しい薬局を作って逮捕されてしまいました。さらに権力欲にとらわれた麻原はカルトの教祖となった上に日本支配を企んでテロ事件まで起こしました。

新興宗教で教祖として君臨するという自分の実力以上の成功を手にした結果、麻原は自らの身を滅ぼすこととなったのです。

麻原彰晃と同じく、小林よしのりも自分の実力以上の成功を手にしてしまったことは彼にとって不幸でした。小林が『ゴーマニズム宣言』の連載を始めたことや言論人として生きていこうとしたことは間違っていたのです。

虚勢を張り続けながらカリスマになろうとしたせいで、小林は等身大の自分が見えなくなって裸の王様となりました。また、知識人としての資質がないのに言論活動を続けた小林は宗教右翼に取り込まれて世論をミスリードしました。

小林は社会的成功を得るために漫画を描いていた人間であり、漫画を愛していた人間ではありませんでした。漫画家としても言論人としても小林は上昇志向は人一倍強かったものの、肝心の実力が伴っていなかったのです。

そういえば、子供のころの麻原彰晃には「ロボットの王国を作りたい」という夢がありましたね。産まれた子供を家来にしたいという小林の夢は私には少年時代の麻原の夢と重なって見えました。

自分の言うことを何でも聞くロボットのような家来を量産し、彼らを思うように支配してボスとして君臨したいというのが小林の夢なのでしょうか。

現在の小林はゴー宣道場という王国を作って、自分の言うことを何でも聞く家来を支配しています。

オウム真理教というロボットの王国を作った麻原と同じく、小林もゴー宣道場というロボットの王国を作りました。

精神的に大人になりきれていないオトナコドモであるゴー宣ファンたちを支配して、王様気取りでいる小林は、「産まれた子供を家来にしたい」という夢を別の形でかなえたと言えるのかもしれません。

「他人は自分が利用するために存在している」「他人は自分が支配するために存在している」というのが小林の本心であったことが読み取れます。

自分の弱さを直視できなかった時浦や小林ファンたちはゴー宣というカルトに取り込まれてしまったのです。

虚勢を張って攻撃性を示し、戦う姿勢を強調する前に、まずは自分自身が持つ弱さと向かい合う必要があります。それこそが、時浦や小林ファンたちがやるべきことではないでしょうか。もちろん、小林もそうです。

今の小林はどう見ても正常な頭脳の状態ではありません。小林が漫画家や言論人としてプロ意識を持っているのならば、引き際を考えてもおかしくないほどの深刻な事態です。

しかし近年の小林の仕事のやり方は漫画家としても言論人としてもプロとは程遠い状態です。漫画のペン入れはスタッフたちに丸投げし、言論活動はブレーンの時浦に丸投げして成り立っているのが小林の現実です。

将来の小林が完全に恍惚の人となったとしても、表向きは創作活動や言論活動が成り立つような体制になっています。

仮にそうなった場合は、「小林先生の魂の言葉だ。ありがたや」と信者たちがゴー宣やメルマガやブログを熱心に読んでいても、小林の状態を知っている世間の人たちは「あれは代筆だよ」と気付いてしまうでしょう。

病に倒れた後の小林が食事に気を使っていることをしきりに強調することは別の形で違和感が生まれてしまいます。

「小林はかつて、役に立たなくなった老人は安楽死させろと言っていたではないか。それにも関わらず病に倒れた後の自分は食事療法に頼ってまで生に執着しているのか」

こういう形での違和感を抱く人は少なからずいるでしょう。私もその一人です。

過去の小林はゴー宣で「早く老人になりたい」と描いていたのに、自分が老年期になってからは「わしはまだ若い」「今より若返りたい」という執念にとらわれているようです。言っていることとやっていることがまるで違うのが小林の生き方の特徴です。

病で身体が衰えた小林は、「役に立たなくなった老人は安楽死させろ」という自身の過去の発言を批判されることを恐れているのでしょう。そのせいで彼は、「アンチは全員、わしの死を願っていた」という被害妄想に陥っているようです。

晩年になっても虚勢を張った生き方をやめられず、自分の弱さと向かい合うことができない小林はあまりにも哀れです。

小林よしのりの有名な問題発言である「役に立たなくなった老人は安楽死させろ」と同じく、「老人たちの病気自慢はウザい」という発言の根底には老人蔑視の発想があります。

おそらく小林は、昔から持病持ちの高齢者のことを見下していたのでしょう。自分は病を抱えた老人であるという自覚が欠けているから、小林は今も老人を見下す発想を捨てられません。

信者たちに囲まれて哲学・思想ごっこをしたがる小林には、自らの老いや病と向かい合う覚悟がありません。

やがて自分も病を抱えた老人となるかもしれない、という心の準備は小林にはありませんでした。だから小林は老いや病という現実を直視できずに、今も虚勢を張り続けているのです。》(大林わるのりさん)


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この記事へのコメント

元イボ読者
2025年09月16日 20:32
イボ先生ぴゃんの食事ブログ、妻から文句言われてるみたいですが、夫婦揃ってエゴサ大好きですね。
とりあえず、塩分を控えなくてはいけない病人に、ほぼ毎日味噌汁出すのはやめた方がいいと思うのですが。減塩みそを使ったって、減らせる塩分は知れてますし。

田沼意次と松平定信が云々かんぬんというのは、生活習慣病の患者がよく言う「好きな物を我慢しなきゃいけない人生なんてまっぴらだ! 俺は太く短く生きる!」というセリフを頭よさそうに言いたいだけでしょうね。滑ってますが。

そういう勇ましいことを言う人に限って、内臓がダメになって腹水が溜まったり、透析に通わなくてはならなくなったり、手足切断という事態になってから、見苦しくわめくのですが。

血管性認知症の余命は5~7年程度らしいので、勝手に塩分糖分たっぷりの食事をして、短い寿命をさらに減らせばいいと思いますよ。

ただ、公の為にも、医療関係者に迷惑をかけるのはよくないと思いますから、救急車を呼ぶのはやめてほしいですね。
イボ先生ぴゃんが大好きな食事を樹海に持ち込んで、そのままドーパミンを放出しながら至福の中で息絶えるのがいいのではないでしょうか。
大林わるのり
2025年09月16日 15:09
快楽と摂生、田沼意次と松平定信、どちらがいいか?
https://www.gosen-dojo.com/blog/57329/
>健康オタク、栄養オタクがうるさいから、自分の料理をブログに上げるなと、妻が言う。

どうやら小林よしのりの奥さんは、ネット上での自分の料理の評価を気にしていたようですね。カリスマ「よしりん」という信者向けの虚像作りには、小林だけではなく奥さんも関わっています。

>今は病院食より、「食欲」と栄養のバランスがとれた食事を、「毎日三食」とっている、リハビリは可能な限りやっている、ということを医者に証明しているだけだ。

病人の身体に配慮して作られた病院食に対して、小林は逆張りからケチをつけています。また、小林は自己流のリハビリにこだわることで、医者に対しても逆張りをしています。小林はプロの大切さを強調していたくせに、病院という現場のプロに対するリスペクトがありません。

>とにかく入院が辛いから!快感とプライバシーが全くない入院は、監獄と変わらない辛さだから!

脳出血で倒れた際に入院したおかげで一命を取り留めたのに、小林は医療に対する感謝がありません。西洋医学に偏見がある上に自分の健康状態を過信している小林は、「血管性認知症で再入院するのは嫌だ」と心の中で悲鳴を上げているのかもしれません。

>わしの好物を知ってる妻が作ったものなら、ちゃんと「食欲」と栄養のバランスは採れている。

しかし病院食に比べると、小林の奥さんが作った料理は明らかに塩分が増えているようです。「食欲」と栄養のバランスは採れている、という評価は小林の主観に基づくものでしかありません。

>病院食と妻の料理の最大の違いは「食欲」だ。ドーパミンの出る食事でなきゃ、生きる楽しみがない。

入院前の小林は食欲をコントロールできず、ドーパミンの出る食事を追い求めて暴飲暴食を重ねていました。そういう不摂生な生活を送っていたから、小林は脳出血で倒れることになったのですよ。

>快楽と摂生、田沼意次と松平定信、どちらがいいかは、哲学・思想の問題になる。

田沼意次と松平定信の改革の違いは、経済政策の違いや社会・文化に与えた影響の違いという問題でしょう。田沼意次と松平定信の違いが、身体の健康の問題にどう結びつくのか私には分かりません。小林の主張は支離滅裂です。
ライジング購読者:傲慢マン氏のdojo論3、異論排除の帰結としての議論の消滅と「賛辞ときどき沈黙」Part2
2025年09月16日 05:06
※以下、本記事への同タイトル投稿コメントpart1からの続き

https://x.com/dosengojo/status/1954482491777249591
前掲のライジングでは、的外れな感想で危機感がなかったり、セカンドレ×プを重ねたりのコメントだらけ。
サトル、ダグどらえもん、だふね、よっしー、焙煎珈琲、三味線など、設営隊長やゴー宣ジャーナリスト等で知られている者もいた。
誰も「小林先生、それはセカンド×イプです」と諫めなかった。

https://x.com/dosengojo/status/1954486214700253462
・愛子天皇で日本の性差別は一掃
・男系派の女性議員・評論家は政界・論壇ホステス
・女性社員へのマンツーマン指導はセクハラ
・笹のともだちんこを倉山が批判したのは懸想
・女性政治家への不倫疑惑追及はセクハラ
・女性を受付や踊り子に固定するのが女性活躍
これがDOJOの男女・セクハラ観。

https://x.com/dosengojo/status/1954514791399358832
その後、フジは責任を認めA部長は降格。
「混乱させた」ことを理由に、性被害の告発者を記者会見で晒そうとするしろくま。ますます性被害告発のハードルが上がりそう。
このしろくまも、前記のだふね・よっしーと共に、ゴー宣DOJO in大阪「女性活躍とは何か?」で女性の地位向上をご教授されていた。

https://x.com/dosengojo/status/1954723727616479347
先に貼ったライジングは、そもそも構成が極めて特異。
まず架空のお話と断った上で、「あるところにX子という女性がいました」と昔話調で始まる。
これで名誉棄損にはならないと小林達は思い込めたのだろうか。Fテレビ、司会者N、プロデューサーAなどと明らかに文春記事を連想させておきながら。

https://x.com/dosengojo/status/1954724739274231930
自宅で二人きりをOKしたら、大概の男は「やれる」と‥との認知も、後退が著しい。過去のゴー宣を読み直したらどうか。
X子のPTSDを揶揄しつつ、フォトエッセイ出版で[本当のPTSD患者に迷惑]とも。PTSDの症例に無知なくせに、「本当の」患者に寄り添ってみせる小林の偽善と卑怯は特筆に値する。

https://x.com/dosengojo/status/1954725438951166117
この他にも、「強すぎる承認欲求」「高額のお金をせしめて示談に」「スキャンダルとして話題にすればもっと売れるんじゃ」「なんと都合のいい友人」と、邪推を陳列。
小林の人間観が、売れなかったマンガの如くステレオタイプで、別の可能性を推理する知能も欠けている悲哀が晒されただけだった。

https://x.com/dosengojo/status/1954726115286872392
そしてこの中傷怪文書に対する読者コメント欄も混沌。
架空だから、という建前を掲げてセカンドレ×プに便乗する者。
何ら新事実が示されたわけでもない妄想文なのに「これが真実」と帰依する者。
「架空かつ真実」も意味不明だが、たぶん名誉棄損と批判された時にだけ架空カードを切るのだろう。

https://x.com/dosengojo/status/1954726493659259174
その後の顛末は周知の通り。
第三者委員会がただのラブアフェアと認定したら、それまでの行いがX子にどう跳ね返るのかを考えるとゾクゾクしてしまいます‥と書いただふねのように、この後の展開に小林と門下生達は大いに期待していたらしい。
しかし現実世界では、小林を先頭に全員が逃亡&沈黙。

https://x.com/dosengojo/status/1954731913740259650
ジャニーズ事件で異端者を排除したおかげか、大半の門下生は小林に喝采。
側近の時浦やちぇぶ、大須賀らも小林をたしなめず、むしろ加担。
他の師範は賛否を示さず、小林の暴走をスルー。
結果的にDOJOは賛辞ときどき沈黙で占められ、最後まで議論が起きなかった。この体質はもう変わらないだろう。




ライジング購読者:傲慢マン氏のdojo論3、異論排除の帰結としての議論の消滅と「賛辞ときどき沈黙」Part1
2025年09月16日 04:59
またしてもtwitterの論客「傲慢マン氏」の議論の引用になりますが、末期ゴー宣dojoの在り方についての記録として、ジャニーズの中居氏の引退騒動を巡るゴー宣道場の言論状況への呟きを転載いたします。

主旨としては、代表と道場上層部が異論を排除し続けた結果、道場は思想・言論団体として機能不全を起こしたというものです。

https://x.com/dosengojo/status/1954289948896670064
今週も文春から中居・X子事件の続報が出たが、DOJOはもう反応しないのだろうか。
「キャンセルカルチャー」問題は日本の帰趨を決する重大事らしいのに。
フジ第三者報告を見たっきり小林は即逃亡。そして模範解答が存在しなくなった以上、門下生達もどうしたらいいのか分からなくなってしまった。

https://x.com/dosengojo/status/1954290356247560205
しかしそもそも、小林達は今でも自分らの何が間違っていたのかを理解できていない。
文春の一部誤報があれば雀躍し、第三者報告があれば黙殺。世論の風向きをいじらしく探っていただけで、原則的な考え方(彼らが言う「思想」)をずっと欠いたままだった。
例えば、なぜ中居の方を擁護したのだろうか。

https://x.com/dosengojo/status/1954290981492391975
推定無罪の主張は、ある意味正しい。両者への検証は妨げられるべきではないが、私達に事件の結論を出せる筋合いはないだろう。
ゆえに中居の罪状を決めつけ、更に人格批判までたくましくする一部アンチは行き過ぎ。
「本当のところは分からないけど」を前提とした仮定法の物言いが穏当だろう。

https://x.com/dosengojo/status/1954291392949408102
過剰な中傷から中居を守るのは各人の考えだから構わない。
しかしそれはX子にもあてはまる。
推定無罪だから中居は無実、ゆえにX子は嘘つきだから最大限に非難するのが正義‥‥典型的な、2ndレ×プ正当化の思考回路といえる。
X子を中傷すればするほど、中居を守れるとDOJOは勘違いしてしまっていた。

https://x.com/dosengojo/status/1954291748559368639
事実に関わる双方への検証は遠慮しない。
しかし双方への中傷は控える。
特に物理事象からかけ離れた、他者の内心を邪推することは厳に慎む。
それだけのルールすらDOJOは守れなかった。
真相が分からないうちに、一方だけを擁護し、もう一方への二次性加害にゴー宣DOJOは集団で手を染めてしまった。

https://x.com/dosengojo/status/1954292096300634423
DOJOの「推定無罪なら告発者を中傷してよし」ルールのままなら、今でもX子への中傷は継続される。全ては報道ベースにすぎず、裁判になっていないのだから。
この独自ルールすら貫けず、世論に日和って中居擁護=X子中傷をこっそりと取りやめたのは、前記の通り小林には思想が備わっていなかったから。

https://x.com/dosengojo/status/1954292443039633456
そして小林もその門下生達も、自らのセカンドレ×プを謝罪するでもなく、一般論として時々キャンセルカルチャーや冤罪を嘆くか、告発者への中傷記事を黙って拡散する程度。
あの頃に狂騒していた人達は、その後の情勢に何を思うのだろうか。もう済んだことなのだろうか。

https://x.com/dosengojo/status/1954292572643614933
あれだけの大立ち回りをしておきながら、その記憶はキャンセル。
そのくせ政治家その他には「シレっと無かったことに、なんて許されません!」「このまま総括も検証もスルーで忘れてもらえると思っているのでしょうか?」と大言壮語。
異論を受けつけなくなった組織の末路にふさわしい。

※長文ツイートのため分割して続きを投稿