死に至る病〈血管性認知症〉
今月6日に40年ぶりに宮中儀式「加冠の儀」が行われたわけですが、ゴー宣界隈はこの「悠仁さまの成年式」についてもケチをつけているようで呆れます。
7日の道場イベントでゲスト出演した森よう平師匠は敬宮内親王を「愛子様」呼びしながら、悠仁親王のことは頑なに「悠仁さん」呼びを徹底していました。
悠仁親王の成年式のあと祝宴を公費ではなく私費にし、また皇居内ではなく帝国ホテルにしたことについて、この森よう平なるチンピラ落語家は「私は、天皇家の直系である愛子さまが天皇になるべきだという立場を取るから、宮家皇族である悠仁さまの成年祝宴が宮殿で行われないことに異議を唱えたいわけではない。しかし、違和感は覚える。宮殿で祝宴を開くべきだし、すべて宮廷費で賄うべきだ。保守派はそう主張すべきだ。天皇陛下と秋篠宮さまが、愛子さまへの継承の道を作りたい。皇室からのメッセージの一貫として『悠仁さま祝宴』は皇居外で実施しようと決めた」と妄想たくましくしています。
森よう平師匠は「オイラは愛子天皇推しだから、悠仁さんの祝賀会なんざ興味ねぇ」というスタンスのようですが、真っ当な尊皇家ならば、どの皇族にも敬意を払うべきなのではないでしょうか。
まさに森よう平の正体見たりという感じであり、さすがは元毎日新聞の記者風情の品位が窺えます。
森という元毎日新聞記者は悠仁親王は皇位継承者ではないから民間施設である帝国ホテルなんて俗っぽい会場で祝宴を開くのだと記事にし、それを先日のゴー宣道場でもだべりました。
これまでの上皇陛下や秋篠宮殿下の発言から照らし合わせて、時代に合わせ、また国民感情もご考慮なされ宮廷費ではなく、私費にしたのだろうと拝察するのが真っ当な尊皇派でしょう。
それを言うなら、「敬宮内親王がティアラを宮廷費で作らずにサーヤのおさがりを借りパクしているのは皇位継承者という意識がないからなんじゃねーの?」と揶揄することも出来ますが、いわゆる男系派とされる尊皇家のなかで、そんな腐った発言をしている奴がいるのでしょうか?
もしいたら、ソイツは森よう平と同レベルの奴と見なして良いでしょう。
ちなみに悠仁親王は「大勲位菊花大綬章」という勲章を授けられましたが、敬宮内親王が授けられたのはそれより格下の宝冠大綬章です。
また悠仁親王は成年式の翌々日である今日(8日)、三重県の伊勢神宮と奈良県の神武天皇陵を参拝しましたが、敬宮内親王はそれをやってません。
祝宴なんて別に神事ではないから帝国ホテルで済ませて何ら問題はありませんが、皇位継承者としては伊勢の天照と奈良の神武に挨拶する儀式はそりゃ決して欠いてはいけないことなんじゃないのかなと普通に思いますが、小林よしりん先生も森よう平師匠もそのあたり完全に無視しています。
なぜかなー?
小林や森はまるで博打を打つように「愛子サマ」にBetしているから、なにが何でも賭けに勝とうと無理筋のストーリーを描こうとしてしまうのです。
私などは誰が皇位を継ごうが関心がないので、極めて冷静な判断をすることが出来るわけです。
ギャンブルに狂って、なにがなんでも自分の勝ちにしたい馬鹿とは違うのですよ。
さて、皇統問題についてはこれ以上語ることはないでしょう。もはや答えが出ており、それを覆したいのならば、それなりの論拠を示さねばならないでしょう。それをせずに「わしはレディアイコという単勝万馬券に賭ける!」と言われてもね。
さて、小林は認知症との診断を受けましたが、西部邁のような決断を下すことなく、のうのうとゴー宣道場というイベントで生き恥を晒していたといいます。
小林はどうやら病識がないようで、医者に認知症と診断されたことを未だに疑っているようです。
勘違いか?認知症か? | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/57087/
《今後はこうした、勘違いか、ど忘れか、認知症かが分からない日々が過ぎて行き、最後は橋幸夫みたいに再入院して、グーグーいびきかいてるだけの人になってしまうのか?》
創造力は快調だが。 | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/57154/
《橋幸夫がついにアルツハイマー認知症で亡くなったが、わしもMRIで似たような病名を出されたのだが、本当に認知症か?》
小林は「アルツハイマー認知症」と似たような病名を宣告されたと書いておりますので、小林はアルツハイマーではない認知症と診断されたようです。
そうなると、それはおそらく、というか間違いなく、「血管性認知症」と診断されたのでしょう。
小林はもしかしたら、有名な病気であるアルツハイマーではないから良かったと胸を撫で下ろしているかもしれませんが、血管性はアルツハイマーより深刻ですよ。
血管性認知症はアルツハイマーよりも余命が短く、その症状の進行についてもなかなかにハードコアです。
まぁ私は特に心配しているわけではないので、どうでも良いですが、自らの命の尊厳について「自己決定権」を重視しているのならば悠長に構えている場合ではないでしょう。
「わしは元気だ。アンチざまぁ!」みたいにイキるターンではないことを理解した方がいいですよ。
それと、小林は橋幸夫が亡くなったことについて、「アルツハイマー認知症で亡くなった」と書いていますが、それは正確ではありません。
それについては大林わるのりさんが回答しています。
《橋幸夫の死因は肺炎です。小林は橋幸夫の死因を確かめていないか、もしくは忘れてしまったかのいずれかでしょう。》(大林わるのりさん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/517835847.html
認知症は「死に至る病」と言われていますが、それは認知症自体が死因というより、認知症である為に事故が起きて死に至るのですよ。
小林よしりんが今一番注意すべきは誤嚥だと思います。しかしいくら注意していても認知症ゆえに誤嚥は常に起こり得るわけで、だからこそ「自己決定権」を重視するのならば、今すぐに決断しなければなりません。
「いや、アンチはそう煽るが、わしはこのように元気だし意識だってハッキリしている!」などと危機意識が欠如したお花畑思考でいてはいけません。
血管性認知症の特徴は、記憶障害が目立つものの判断力や専門知識は保たれるなどの状態で、意欲が低下し、動作も緩慢となり、感情のコントロールができなくなるところから始まります。
まさに最近の小林よしりんに当てはまります。
そこから急速に進行するのは目に見えています。
小林は素直に自分が血管性認知症であることを認め、なんとか正気を保ったまま生きながらえたいならば治療に専念すべきですし、西部邁のように自分の意思がはっきりしている内に決断したいのならば今すぐ覚悟を決めるべきでしょう。
そのあたりについて、大林わるのりさんが分かりやすく論評していますので、以下に紹介します。
小林よしのりさんはしっかり読むように!
《常識的に考えるなら、小林の療養を優先させるべきです。
小林がどんなに強がっていても、彼の身体の具合は決して良いものではないことはブログ記事から伝わってきます。
小林が病によって、頭脳と肉体に後遺症が残ってしまったいう事実は消えることがありません。
小林はもともと他人に厳しく自分に甘い人間ですが、最近では感情のコントロールさえもできなくなっていました。
今の小林は感情や本能のコントロールができないだけではなく、病識欠如が起きている可能性もあり得ます。脳機能が落ちていることが分かった際は、小林はブログで見苦しい言い訳を繰り返していました。
残念なことに、小林の体調を管理して、活動を制限させることができる人間が周りにいるとは思えません。
小林は降圧剤のおかげで血圧が下がったのであって、脳出血が再発するリスクが完全に消えたわけではありません。
コロナ禍のころの小林は高齢者切り捨てや医療を軽視する発言を繰り返していました。しかし、自分が病に倒れてからは医療に頼って生に執着しているのが、彼が書いているブログの文章から伝わってきます。
小林が漫画家や言論人としてプロ意識を持っているのならば、引き際を考えてもおかしくないほどの深刻な事態です。
もしかすると、小林の脳出血の原因は長年に及ぶ不摂生な生活のせいだけではなく、コロナに感染して脳の血管が脆くなった影響という可能性もあるでしょう。
コロナ禍のころの小林は、新型コロナの脅威を見くびる言説を盛んに唱えていました。彼は、「コロナはただの風邪」だとか「感染は免疫の軍事訓練」だとか言った上に、反ワクチンの立場に立っていました。動画の撮影の際にワクチン接種券を破り捨てるパフォーマンスをしていたこともありました。
しかし小林は「わしはまだ死にたくないんよ」と心の中で悲鳴を上げているようなものです。役に立たなくなった老人は安楽死させろだの、死生観を持てだのと言ってきた小林は、結局は自分の命が惜しいようですね。
近年の小林の度重なる奇行や言説の劣化は、今思えば病の影響であった可能性を疑われても仕方ありません。
もしかすると小林は、「わしが以前よりも元気が出ないのは、医者の指示で血圧を下げられているせい」と思い込んでいるのかもしれません。
小林がイベントに出たがっているのは、自分の病と向かい合おうとせずに虚勢を張っていることの表われでしかありません。しかも、取り巻きたちのおべっかのせいで小林が自分の健康状態を過信しているのは、彼の療養のためにはプラスになりません。
「戦争論」で「命は手段にすぎない」と描いていた小林は倒れてからは生命至上主義になりました。
また、コロナ禍のころは医療を軽視する言説を唱え、「役に立たなくなった老人は安楽死させろ」とまで言っていた小林は病になってからは医療に頼っています。
小林は自分が病から復活したかのように子分たちの前で虚勢を張っていたのでしょう。
彼は自分の衰えを直視できずに虚勢を張っています。
病で身体が衰えた小林は「役に立たなくなった老人は安楽死させろ」という自身の過去の発言を批判されることを恐れているのでしょう。そのせいで彼は、「アンチは全員、わしの死を願っていた」という被害妄想に陥っているようです。
「わしは元気になればなるほど、欲が出てくる」という小林発言は、「もっと元気になりたい」「もっと生きていたい」という願望の表われです。
生命至上主義を批判したり老人切り捨てを正当化していた小林は病で倒れてからはみっともなく生に執着しています。
「今のわしはやるべき仕事があるので、社会に役に立つ存在だ。だから死ねない」と小林は言い訳しているように見えます。
「役に立たなくなった老人は安楽死させろ」という過去の発言を批判されないようにするためでしょう。》(大林わるのりさん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/517652763.html
https://washiblogact3.seesaa.net/article/517769367.html
https://washiblogact3.seesaa.net/article/506048096.html
https://washiblogact3.seesaa.net/article/506048096.html
https://washiblogact3.seesaa.net/article/517835847.html
https://washiblogact3.seesaa.net/article/517769367.html
https://washiblogact3.seesaa.net/article/503987811.html
まず、トークの実践リハビリは成功! | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/57183/
《まだまだリハビリは続くが、わしとしては年内に完治させたい。》
残念なお知らせですが、血管性認知症は完治することはありませんので、悪しからず。
この記事へのコメント
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/47680
7月の夏祭りの開催にご執心な小林に対しては、「こんなくだらないイベントの一体何が面白いのか?」「こんなことをして一体何の役に立つのか?」という突っ込みをしたいところです。
小林が宣伝している夏祭りの中身は、漫画が好きな人たちや言論に関心を持つ人たちが魅力を覚えるような内容には見えませんし、それどころかごく普通の一般人たちが魅力を覚えるような内容でさえありません。
そもそも、漫画家小林の代表作『おぼっちゃまくん』をメインテーマにしたイベントであるにも関わらず、愛子天皇プロパガンダや例の違憲訴訟の話題を扱って、何の関係があるのかと疑問を抱かざるを得ません。
また、言論人小林が主役であるイベントいう視点で見た場合でも、社会のタブーに幅広く切り込むポーズを何かと演じていたゴー宣の作者のくせに、「愛子天皇実現」しか関心を持たないのは何と視野が狭くなったことかと言わざるを得ません。
何よりも、第三部のジャイアンリサイタルが「小林よしのり全宇宙」のトークとセットであるのは、小林が自分大好き人間であることの表われのように見えてしまいます。
現在の小林は漫画への愛も言論への意欲も持ち合わせていないくせに、自分自身への愛の強さと虚勢を張ることへの意欲の強さは相変わらずのようです。
しかし、小林は病的なまでの自分大好き人間であるくせに、心の中では臆病さや劣等感を抱えている脆い自我の持ち主でもあります。承認欲求モンスターとなった小林は、取り巻きたちによる賛美の言葉を絶えず求めることで自我の安定を図る人間となりました。
例えば7月の夏祭りで第一部の司会者をちぇぶが務め、第二部の司会者を大隊長まーが務めているのは、手放しでボスをチヤホヤするごますり人間のこの二人のことを小林が気に入っているからです。
イエスマンたちのおべっかを真に受けて、催し物さえも自己満足のために行うようになった小林は、一般人が何を望んでいるかを理解することができなくなっているのでしょう。
7月の夏祭りにゴー宣道場が招くゲストたちの顔触れもそうですが、論客として一般人から広く支持を集めているような人間は見当たりません。
夏祭りで愛子さまトーーク!
https://aiko-sama.com/archives/71961
>森洋平先生(引用ママ)
>森由里子先生
>島田裕巳先生
>よしりん先生
夏祭りに招かれるゲストたちに共通しているのは、女系天皇派でなおかつ何かしらの問題を抱えた「いわくつき」の人たちばかりということです。
悠仁親王のことを「悠仁さん」呼ばわりした不敬な森暢平、愛子さまのことを「新時代のアマテラス」と崇めるスピリチュアルかぶれの森由里子、オウムの元御用文化人で現在は幸福の科学に甘い島田裕巳……。ゲストたちの顔触れは、まさしく「いわくつき」ばかりと決めつけて良いでしょう。
これらの人たちについて言えるのは、小林が持論の珍妙な愛子天皇容認論を補強するため、「権威」と見なした女系天皇派の文化人を手当たり次第に集めたことが見え見えの顔ぶればかりです。やはり小林は、愛子さまへの推し活と個人崇拝ありきでしか物事を考えられない偏った人間のようです。
そもそも、象徴天皇制と戦後民主主義の元で育ったごく普通の一般人たちは、小林のように愛子さまを狂信的に個人崇拝しているわけではありません。
もちろんごく普通に暮らしている一般人たちは、皇位継承問題こそが最優先で他の課題はどうでもいいと思っているような狂信的尊皇主義者でもありません。
小林やシンパたちによる愛子さまへの個人崇拝は、北朝鮮の人たちが金正恩を盲目的に個人崇拝している様子と実にそっくりであり、普通の一般人たちが皇室に一定の距離を保ちながら敬意を持っている様子とは全くの別物です。
かつて浅羽通明は「小林さんは普通の人たちの気持ちが分からない」と言っていましたが、愛子さまへの推し活に狂った小林は普通の人たちの気持ちを理解することが遂にできませんでした。
7月の夏祭りが一般受けしない魅力のない内容となっているのは、主催者の小林が一般人が何を求めているかを理解できない人間となったことの証明でもあります。
普通に生きる人たちの気持ちが分からなくなった今の小林は、漫画家としても言論人としても運動家としても、一般人に広く言葉を伝える能力がすっかり失われてしまったようです。
自らの「傲慢」のせいで独りよがりな人間となってしまった小林は、社会の「常識の海」に沈められるという形で人生の最終章を終えることになるのでしょう。
今日は「愛子天皇しかあるまいが!」生放送だ。
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/47625
>森暢平氏がゲスト出演なので、貴重な話が聞けると思う。
上記のブログで小林が書いたこの文章は、実は「修正後」のものです。ブログ記事「今日は「愛子天皇しかあるまいが!」生放送だ。」では、小林は「森暢平氏」を「森揚平氏」と書き間違えてしまい、後になってからこっそり修正しています。
例の病のせいで頭脳の働きが衰えた小林は、ブログの文章の中から誤植が見つかることはもはや珍しくなくなりました。期日前投票で政党名を書く作業に苦労していたことからも分かるように、今の小林は漢字の読み書きに手間取るようになっています。
国旗毀損罪という快挙?
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/47629
>高市早苗を支持した馬鹿どもは、全員、縛り首という法案を通した方が国のためだろう。
ナフサ不足を売名行為だと言う高市政権
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/47632
>高市早苗を支持したバカ者どもは全員、縛り首という法案を通した方が国のためだろう。
小林が書いた二つのブログ記事「国旗毀損罪という快挙?」と「ナフサ不足を売名行為だと言う高市政権」では、最後に書いた文章で高市首相の支持者たちに対して、「全員、縛り首という法案を通した方が国のためだろう」と言って八つ当たりをしています。
現在の小林が、ブログでえげつない罵倒を見境なくぶつけるようになっているのは、例の病のせいで感情のコントロールができなくなっていることも影響しているのかもしれません。
そして注目すべきなのは、この二つのブログ記事で書かれた最後の文章は、両方とも言いまわしがほとんど一緒であるということです。
おそらく小林は、その日のブログの末尾でどのような文章を書いていたかをすぐに忘れて、別のブログの末尾でもまた同じ言いまわしの文章を書いてしまったのでしょう。
やはり小林は病で頭脳が衰えた影響で、同じことばかり繰り返し言う人間になっているのかもしれません。周囲の人たちは小林に対して療養を勧める必要がありますし、小林自身も今の自分の病状について真面目に直視をして少しでも自覚を持つ必要があるでしょう。
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/47118
残念なことに小林はこの期に及んでまで、自分自身の老いや認知症と向き合うことを嫌がっています。小林が朝生の田原総一朗のことを「老いてボケていても、いいじゃないか」と言って庇っているのは、彼自身が老いや認知症を自覚させられたせいで生まれた同情の気持ちでもあるのでしょう。
役に立たない老人は安楽死させろとあれほど主張していた小林は、自分自身が認知症に苦しむ老人になった途端に、「老いてボケていても、いいじゃないか」と言って居直りを図る有様となっています。
しかも、小林は自らの頭脳が病の影響で衰える一方であることを未だに認めようとせず、自分はまだ若くて頭が冴えているのだと無理やり思い込んで現実逃避しています。
「わしは若い奴らよりも、脳がギラギラだと思っている」と言って虚勢を張っている小林は、最近の自分が書いているブログ記事の内容が支離滅裂で誤字が目立っていることに気付くべきです。
現在の小林が例の病の影響で思考力が低下しているのは、「NoBorder」のMCを引き受けようとしていることもそうであると言えます。
例えば、小林はサナエトークン問題についてブログで批判していたくせに、「NoBorder」のMCをホイホイと引き受けてしまうのはどうなのかということさえも、全く理解できなくなっています。
とりあえず収入源が欲しいという気持ちや、文化人として目立ちたいと言う気持ちのせいで、小林は自らの持論さえも気にする余裕がなくなっているようです。
それだけではなく現在の小林は、認知症の影響で言論人の仕事に支障が出ていることも無視するべきではありません。認知症のせいで言葉の詰まりや単語の物忘れが目立つようになった今の小林が、果たしてネット番組のMCを無難にこなすことができるでしょうか。
もしかすると、「NoBorder」側は現在の小林が認知症患者であることを分かった上で、MCを依頼した可能性がありそうです。そもそも、番組自体が生放送ではなく収録されたものであるのですから、小林が変な発言をしても編集の力でごまかせると「NoBorder」側は目論んでいるのかもしれません。
しかし悲しいことに、小林は自分の頭脳の衰えを自覚できていないだけではなく、問題発言をして炎上することの何がいけないのかさえも理解できなくなっています。
おそらく小林は、自らの思いつきで無責任な逆張り発言をすることをかっこいい行為だと思い込んでいるのでしょう。それが証拠に小林は、「小林よしのりが最もバランス感覚に優れ、最も過激で、ロックであるということを証明してやる!」と言い出す有様となっています。
現在の小林の姿は、成熟した言論人とは程遠いものであると同時に、明らかに年の取り方を誤った老害そのものと化しています。小林が逆張りによる暴言で受け狙いを目論んでいるのは、彼がゴー宣の成功体験から全くアップデートできていないことの裏返しとも言えます。
小林がアップデートできない人間であることは、彼が未だにシモの欲望に溺れたセクハラ人間のままであることもそうでしょう。
「「女性を入れてくれ」と頼んだのに、1人も入っていない」と言っている小林は、自分自身のセクハラ体質が社会や時代から受け入れられなくなっていることを理解できていません。
何よりも今の小林に問題があるのは、自分自身に突きつけられた現実を見ようとしない人間となっていることもそうであると言えます。
例えば、小林が「わしも「SPA!」から老いたと判断されて、終了させられるのかもしれんがな」と言っていることは、明らかに現実を無視した戯言でしかありません。
小林のゴー宣が『SPA!』から切られたのは、原稿料の割に人気がなくて雑誌の売り上げに結びつかず、単行本を出しても全く売れないお荷物となっていたせいです。『SPA!』編集部は、小林が老いたと判断したせいでゴー宣の打ち切りを決めたわけではありません。
連載終了が決定済みとなったゴー宣が『SPA!』で見苦しく居座り続けている状況で、「終了させられるのかもしれんがな」と小林が他人事のように言っているのは、あまりにも虫がいい話でしかありません。
もはや小林は幼稚な妄想に溺れて現実逃避をすることでしか、アイデンティティを保てなくなっているのでしょう。その結果、現在の小林は自分自身の老いや認知症と向き合うことができない情けない老人となってしまいました。
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/46746
>秩父宮殿下は「皇嗣」だったが、昭和天皇に明仁さま、つまり今の上皇陛下が生まれたときに、秩父宮殿下は「皇位簒奪」されたのか?
小林がブログ記事で書いた上記の文章は、実は「修正後」のものです。このブログでの修正前の文章は、以下のようになっていました。
「秩父宮殿下は「皇嗣」だったが、昭和天皇に浩宮さま、つまり今の天皇陛下が生まれたときに、秩父宮殿下は「皇位簒奪」されたのか?」
どうやら小林は昭和天皇の子の名前を「明仁さま、つまり今の上皇陛下」と書こうとしたものの、「浩宮さま、つまり今の天皇陛下」と書き間違えていたようです。しかし、小林のこの書き間違いは現在ではシレッと訂正されています。
小林が昭和天皇の子の名前を「浩宮さま、つまり今の天皇陛下」と書き間違えたのは、皇位継承問題の専門家を気取っている知識人にしては実に情けないケアレスミスですし、男系天皇派の無知を正してやると調子に乗っている人間にしてはあまりにもみっともない自爆芸です。
高市首相の「こんじょう天皇」発言をやり玉に挙げていた小林が、自分の得意分野である皇位継承問題の解説で書き間違いをしてしまったのは、見事なまでのブーメラン芸となってしまいました。
やはり小林は血管性認知症が進行しているせいで、言論人としての仕事に支障が出ているようです。無意味な動画拡散作戦を指揮している小林に対して、周囲の人たちは何が何でも療養を勧めた方がいいでしょう。
期日前投票という修行を乗り越えた
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/45179
>期日前投票に行って来た。いやあ、疲れた。大変だった。
(中略)
>しかし、中・・道・・改・・革・・連・・合なんて字数が多過ぎる。しかも響きが固い。「ちゅうどう」だけならいいが、「かいかくれんごう」なんて口に出して呟いたら、ガチガチで喉が渇く。コーラが飲みたくなる。
>思わず書きながら顔が歪んでしまう。鉛筆を持つ手が震えて、まるで東大受験してるような緊張感で指が折れそうだった。
>どの政党よりも難しい書き文字だった。他の政党名なら馬鹿でも書ける。だが「中道改革連合」なんて難しい漢字の羅列を書くのは、わしのような老人には至難の業だ。今日だけで10才は老けたかもしれない。あまりに難しい修行だった。ひらがなで「ちゅーどー」だけにしてくれないかな?
>とにかく今日は東大入試のような緊張感で疲れた。裁判官の信任投票なんて、もう気力がもたなかった。
>生きていれば苦しい修行があるもんだ。期日前投票?君たちに出来るか?君たちはこの超難しい難問に、見事、名答を出してこれるか?簡単な漢字三文字程度じゃダメだぞ。わしのように漢字で五文字も書く苦痛に耐えられるか?そんなに我慢強い人間がいるか?
どうやら小林は、投票用紙に「中道改革連合」と鉛筆で書く作業さえも苦労していたようです。小林が投票用紙への記入に手間取っていたという事実は、頭脳の衰えによる集中力の低下として解釈することができます。
字を書くために小林が鉛筆を持った手が震えていたのは、緊張感のせいではなく認知症の影響によるものと見るべきでしょう。昨年(2025年)の小林が、松濤美術館で茶魔の絵をヘロヘロな線でやっと描いていたエピソードとも似ています。
また、小林が「「中道改革連合」なんて難しい漢字の羅列」と言っていたり、「ひらがなで「ちゅーどー」だけにしてくれないかな?」と言っていることも、彼の頭脳の衰えを物語っています。もしかすると小林は、記憶力の低下のせいで漢字を書くことさえも覚束なくなっているのかもしれません。
今の小林の頭脳の状態では、言論漫画のシナリオを書くことはどう見ても無理でしょうし、『神功皇后論』の参考文献を読むことさえもおそらく無理でしょう。
もちろん今の小林には、ライジングの執筆も『週刊エコノミスト』の評論文の執筆もしっかりこなせているようには見えません。時浦が小林のゴーストライターを担当しているという疑惑は、グレーどころか真っ黒と決めつけていいでしょう。
さらに小林が「漢字で五文字も書く苦痛に耐えられるか?」と言っていることも、彼の頭脳の衰えを証明しています。「中道改革連合」という単語は漢字で六文字ですが、小林はどうやら「漢字で五文字」と思い込んでいるようです。やはり小林の頭脳の具合は大丈夫ではなさそうです。
小林に頭脳の衰えが目立っていることは、今日の別のブログ記事で文章に誤字が見つかっていることからも分かります。
上野千鶴子の「女装をした家父長制」という表現は正しい。
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/45169
>そもそも倉田真由美の中に、男尊女卑の社会をよしとする感覚が根付いていて、フェミ二ムズを理解できる素養がない。
上記のブログで小林は、「フェミニズム」という単語を「フェミ二ムズ」と書き間違えています。小林がブログの文章を書き間違えていることは、今では珍しくなくなっているようです。
小林が「復活したわし」を演じて虚勢を張ったところで、自らの病状を隠し通すことはもはや不可能です。今の小林は、自らの病と向き合って療養や終活に真面目に取り組むことを優先するべきです。
今日は「おぼっちゃまくん」新作のアイデアを考える。
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/45019
>昨日はゴー宣295章の画稿〆切だったが、上がらず、今日、完成する。最近は絵で見せるから、欄外のないページが多い。絵の方が大事だから、しょうがない。
小林いわく、最近のゴー宣は欄外のないページが多くなったそうです。ゴー宣に欄外のないページが多くなったことを小林は、「絵で見せるから」と言い訳しています。
今の『神功皇后論』の画力で「絵で見せる」と小林が言っているのは、夜郎自大もいいところでしょう。それはともかく、ゴー宣に欄外のないページが多くなったという事実からは以下のような推測ができてしまいます。
もしかすると小林は、ゴー宣に対する熱意を失ったせいで欄外の文章を書くことさえも面倒くさがるようになったのかもしれません。今の小林は思いついたことをブログに手っ取り早く書けるため、ゴー宣の欄外に自分のつぶやきを書くことが面倒くさくなった、という推測もできるでしょう。
しかし、小林がゴー宣に欄外を書くことが減った理由は本当にそれだけでしょうか。
そもそも今の小林は、血管性認知症を発症している病人です。例の病による頭脳の衰えの影響で、小林はゴー宣の欄外の文章さえも思いつきにくくなっているのかもしれません。
小林がゴー宣に欄外を書くことが減った原因は、やはり例の病が影響している可能性があるでしょう。
世界大戦は始まるのか?
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/45036
>日本初の首相は我々日本人に破滅をもたらす女神かもしれない。
小林は高市首相に対して属性差別的な悪口をブログに書こうとしたものの、とんでもない書き間違いをしてしまったようです。
おそらく小林は、「日本初の女性首相は我々日本人に破滅をもたらす女神かもしれない」と書きたかったのでしょう。しかし小林は、「日本初の首相は我々日本人に破滅をもたらす女神かもしれない」と書いてしまったようです。
わざわざ言うのも馬鹿らしいですが、日本初の首相は伊藤博文であり、この国に内閣制度ができたのは明治時代です。もしかすると小林は、今の日本は実は明治時代であり、初の首相となった伊藤博文の性別は実は女性だったとでも言いたいのでしょうか。
このブログ記事からも分かりますが、最近の小林は文章の書き間違いが目立つようになりました。やはり小林の認知症は進行中の状態にあるようです。周りの人たちは、小林に対して療養を勧めるべきでしょう。
今年は『神功皇后論』推し
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/44918
>昨日はゴー宣294章があと1pというところまで来てたから、明日の〆切には間に合うだろう。今日はわしがゴー宣295章のコンテを完成させる。スタッフは明日からペン入れ開始だ。「神功皇后論」単行本1巻に収めるのはここまで。2巻からは仕切り直ししなければならないから、まずは猛勉強だ。総合pちぇぶは、「神功皇后論」が相当好きで、今年はこれを推していきたいと言う。2月末か3月始めまでには単行本が出るだろうから、3月の大阪LIVE、4月の名古屋LIVEでは、「神功皇后論」をテーマに選曲したセットリストを作り、トークも「神功皇后論」でやって欲しいと言う。「神功皇后論」のグッズも作るので、どのキャラを使おうかと、悩んでいるようだ。
『神功皇后論』単行本、できるだけ早く出したい
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/44943
>今日はゴー宣295章のコンテがあと3枚で上がる。スタッフはペン入れを開始して欲しい。第1巻はここまで収録。山﨑氏はできるだけ早く単行本を出して欲しい。原稿は揃っている。4月の名古屋LIVEは、神功皇后論をテーマにして、トークもセットリストも神功皇后論でやりたいのだ。総合pちぇぶが、神功皇后論のグッズを計画していて、このLIVEで単行本とセットにする計画を進めている。ちなみに294章のペン入れは午前中に完成するだろう。その欄外をわしは書かねばならない。神功皇后論の2巻からの新展開について、今日、秘書岸端と打ち合わせをして、トッキーとも話し合って、コンセプトを作らねばならない。急いで史料を読み込んで、猛勉強を始めねばならない。
ゴー宣295章のコンテの執筆したとか、『神功皇后論』1巻に収めるのはここまでとか、4月の名古屋LIVEは『神功皇后論』をテーマにしたいとか、総合pちぇぶが『神功皇后論』のグッズを計画しているとか、2巻以降の新展開のために猛勉強を始めねばならないとか……。
いやはや、両方のブログ記事は言い回しが若干異なっているものの、2日続けて内容がほぼ重なっているとは偶然の一致なのでしょうか。
そういえば、いつも同じ話を繰り返すというのは認知症の症状にも当てはまっています。小林が2日続けて内容がほとんどそっくりのブログ記事を書いてしまったのは、やはり例の病のなせる業なのかもしれません。
小林のブログに誤字が目立つようになったことや、彼が2日続けてほぼ同じ内容のブログ記事を書いたことから分かることがあります。それは、今の小林は血管性認知症が進行中であるということです。
もはや小林の頭脳の衰えは隠せる状態ではなくなっています。だから、小林はイベントへの参加よりも療養を優先するべきです。
今日の予定
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/44635
>昨日はゴー宣293章のわしのペン入れを終え、今日は眼科に行って、薬もらって、帰宅したら、「漫画ブック」用の超短編のコンテを描き、ゴー宣294章のコンテに突入する。
「漫画ブック」用の超短編コンテと、『神功皇后論』コンテ
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/44657
>今日は「漫画ブック」用の超短編コンテ。こんな短い作品でもコンテ、ペン入れの過程は経ている。294章のゴー宣、神功皇后論コンテも描き始める。いよいよ単行本1巻の締めに入る。
今日は「漫画ブック」の配信があるか?
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/44687
>わしの「超短編」は、今日の午前中にわしがペン入れして、午後にスタッフが仕上げしなければならない。書き文字はみなぼんが書くが、間に合うか?間に合わないかな?わしはゴー宣294章のコンテを描く。
『神功皇后論』やはり神話まで立ち返る必要があるか?
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/44736
>今日中にゴー宣294章コンテを描き上げたい。
そもそも小林は病的なまでの虚言癖の持ち主です。小林がブログで自らの創作活動をアピールしているのは、本当は自分が漫画の製作に関わっていないことを隠すのが目的です。
小林が描いたヘロヘロの線の茶魔の絵を知ってしまった今では、「小林先生は今も頑張ってペン入れをしている」と信じることはもはやできません。今の小林は、原稿への下書きさえもしていない可能性もあります。
おそらく小林は、病のせいで漫画を描くことができなくなった事実を隠したいのでしょう。だから小林は、自分がペン入れやコンテ執筆をしているように強調しているというわけです。
小林のアイデンティティとは、「わしはヒット作を生み出した漫画家で強者だ」というものです。もしかすると小林は、今の自分を「病のせいで漫画を描けなくなった弱者」と認めてしまうことはアイデンティティの崩壊につながる、とでも思っているのでしょう。
小林が今の我が身を受け入れることができないのは、「年老いて不治の病になり、死んでいく自分」をシュミレーションせずに生きてきたからです。小林は「死生観を持て」と読者に言っていたのに、自分は死生観を持たずに面白おかしく生きる日々を送ってきました。
「年老いて不治の病になり、死んでいく自分」を想像することができなかった人間だからこそ、小林は「役に立たなくなった老人は安楽死させろ」と平気で言うことができたのでしょう。
小林が自分の病状を世間へ正直に公表できないのは、かつての自らの老人切り捨て発言を批判されることを恐れているからです。「思想家にふさわしい生き方をしたいのなら、お前が言っていたことを今すぐ実行に移せ」と言われることを、小林は恐れているのでしょう。
小林が自分を「年老いてなお現役であり続ける漫画家」であるかのように宣伝しているのは、「認知症の影響でペンを持てなくなった病人」という現実と向かい合わずに虚勢を張る行為でもあります。
オウム事件のころの新ゴー宣1巻の名言を借りるならば、現在の小林に対しては「プライドを捨てろ」というアドバイスをしたくなります。今の小林がやるべきことは、自分の病状を正直に世間へ公表し、かつての老人切り捨て発言を謝罪することです。
誇大妄想と嘘で塗り固めた自己イメージをアイデンティティにして、虚勢を張る生き方をこれ以上続けても、小林の人生に活路が見出されることはありません。小林はそろそろありのままの自分の姿と向かい合うべきです。
https://www.gosen-dojo.com/blog/57376/
>私の仕事で身近な話だと、60代の女性が自分の母親が91歳で亡くなった時の話を聞きました。
(中略)
>最後に医者から、「退院前にコロナワクチン打ちましょう」と、退院の一週間前にワクチンを打って血栓が詰まり亡くなってしまいました。最後に余計なことするなー!(怒)
老人がコロナに感染すると重症化する恐れがあるので、医者が入院中の91歳の女性にコロナワクチンを注射したのは当然でしょう。
この入院中の女性が91歳で亡くなったのはどう見ても寿命ですが、しろくまは彼女の死因をコロナワクチンの副反応のせいと思い込んでいます。しろくまは反ワクチンをこじらせています。
>想定外の事が起こると大概、「奇跡だ!」と言う。それを一言で奇跡と言われますがこの女性の母親と同じく、世の中には生まれながらに抱えている病や後天的に病になっても、何とか克服してきた人も多いはずです。その時、医者の言う通りにすれば良いのか??
奇跡の存在や自力での病の克服を強調するあまり、医療に対する軽視へとつながってしまうことは問題があります。そもそも奇跡はごくまれにしか起こらないから、「奇跡」として扱われているのですよ。
重い病気は何から何まで自力で克服できるわけではないので、医療によるサポートが必要なのは言うまでもありません。「その時、医者の言う通りにすれば良いのか」としろくまは簡単に言いますが、医者は知識と経験を持っているプロであるということを彼女は忘れています。
>先月、よしりん先生は脳溢血を克服しました!!自力で治すことを宣言した、よしりん先生!!これは奇跡か!?一体何が起こったのか!?
小林が患っている血管性認知症は今の医学では完治しないので、「脳溢血を克服」というしろくまの認識は間違っています。自己流のリハビリにこだわって療養を軽視する小林に対し、「これは奇跡か」と崇めているのがしろくまのような小林信者です。
しろくまを見れば分かりますが、今のゴー宣DOJOの門弟たちの医療に対する認識は偏見と軽視で成り立っています。しかも、小林信者は「よしりん先生は脳溢血を克服しました」という物語を頭の中に生み出し、現実逃避しているようです。
https://www.sankei.com/article/20180914-6JUQZID7CNNCDHFYBCBDHN7WYM/
西部邁さん自殺幇助で有罪判決 無罪主張のMXテレビ子会社元社員に
藤井聡はこの事件に対して以下のようなコメントをしています
西部邁氏の自殺幇助者の逮捕に思う ~「言葉」からズレた「振る舞い」~
https://the-criterion.jp/mail-magazine/20180406/
「振る舞い」ですか。コロナ禍における藤井聡の振る舞いはどうだったか?はっきり言ってお前が言うなと言うものですかね。
しかし、西部氏ともあろう思想家があまりに身勝手な「振る舞い」。鷲ヲさんは軽々しく決断と言われますが、不思議な公共心、道徳心ですね。
親族が行方不明になったら捜索もせねばならず、自裁となれば警察の取り調べを受け、あまつさえ幇助に家族がいる赤の他人を巻き込む。遵法意識は本当にどうなっているのか。
物心ついた頃から「自裁するにせよ周囲の人間に絶対に迷惑をかけるな」と教わって育ったが、一般人にすら負けそうな薄っぺらい思想。やはり道場とはこういう人達の集まる場所なんだなと改めて思いますね。
>それと、小林は橋幸夫が亡くなったことについて、「アルツハイマー認知症で亡くなった」と書いていますが、それは正確ではありません。
それについては大林わるのりさんが回答しています。
これは本来ならば死亡診断書を作成する医師に確認すべき物であると思うが、大林わるのりは医師なのですか?でなければ鷲ヲさんはいい加減な事は控えるべきでしょう。
認知症が進行し、嚥下機能が著しく低下した結果、誤嚥性肺炎を起こして死亡した場合、認知症が直接の死因と記載されるのでは?これは如何せん私は素人であるためちゃんとした医師に確認して頂きたいところですね。
また、厚生労働省の人口動態統計では死因として明確に「肺炎」と「誤嚥性肺炎」は分けられています。大林わるのりは肺炎と言い、鷲ヲさんは誤嚥がと言う。コロナ禍でもさんざん生兵法は怪我の元と学んだことであろうと思っていましたが全くこりていませんね。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOSG182D50Y5A310C2000000/
厚生労働省の統計とは別にこういった調査結果もあるそうですよ。
日本人の「死因」、認知症が首位に 慶大など30年分解析
最後にこれは私の憶測ですが、準備期間約数ヶ月。余計な事を思いつき、炎上の煽りも含めて何やら年より向けコンテンツでも考えたのかな?とも想いますが、まあこれほ考えすぎでしょう、
一方で、小林が病に対する現実と向かい合おうとせず、虚勢を張り続けていることも晩節を汚す生き方と言えます。小林が療養を軽視してまで蛸壺集団での賛美の声を求め続けたことは、「日常へ帰れ」の名台詞を自ら裏切る行為だからです。
小林がDOJOのイベントを無事にこなせたことは、自らの健康状態を過信して現実逃避を促進させる恐れがあります。もしも小林が健康状態を過信して療養を軽視するのならば、ある日、彼の身体に何かが起きてもおかしくありません。
自分の身体に脳出血の再発が起きる可能性や、誤嚥性肺炎が起きる可能性を小林は直視していません。また、血管性認知症の症状が悪化して、将来は日常生活を送れなくなる可能性さえも小林は直視していません。
小林が自らの仕事にプロ意識を持っているならば、漫画家としても言論人としても運動家としても引き際を考えるべきです。せめて小林の意識がしっかりしているうちに、彼には言論人や運動家として自らが犯した過ちと向かい合って欲しいものです。
しかし、今のままでは小林が反省することはないでしょうし、謝罪の言葉を言うことさえもないでしょう。私が小林に後悔・懺悔・改心を望んでいても、彼にその兆しが一向に見られないままでは虚しさを感じてしまいます。
今の小林は私にとって軽蔑すべき人物となりましたが、一方で少年時代のころの私は彼のことを誰よりも尊敬していました。青春時代に私が心から尊敬していた人間が、見苦しく晩節を汚し続けていることに対しては本当に残念に思っています。
何よりも、晩年の小林の生き方は思想家としては美しくありませんし、人間としても美しくありません。創作物で描かれた悪役でさえ自分なりの悪の美学を持っていますが、小林は悪役としても美学がなくてあまりにもチンケです。
「小林よしのりとはこんな人間だったのか」という失望の気持ちと、「昔の自分はこういう人間を尊敬していたのか」という幻滅の気持ちを、私は今更ながら感じています。
病で倒れた後の小林が晩節を汚したことに対しては、驚きの気持ちはもはやありませんが、ただただ悲しく思うばかりです。
鷲ヲさんの発言を引用すると
また国民感情もご考慮なされ宮廷費ではなく、私費にしたのだろうと拝察するのが真っ当な尊皇派でしょう。
エコノミストから予算について引用すると
ちなみに、新調される装束にも、皇室の公的予算(宮廷費)ではなく、宮家の私的予算(皇族費)が使用されるらしい。
らしいとは、憶測で言っていませんか?というのもありますが、鷲ヲさんは私費と言いますが、皇族費とは皇室費の一部であり、簡単に言えば税金です。鷲さんは過去にはこう言われていましたよね。
https://washiblogact3.seesaa.net/article/511892622.html
合理的な進歩的現代人にとって、皇室そのものが「稚拙なフィクション」にしか見えないでしょう。
だからそんなものを税金を使って維持するのは無駄であると考えるのは当然の帰結です。
https://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/kunaicho/yosan.html
宮内庁Hpより引用すると、令和7年度の皇族費の総額は、2億3,577万円、各宮家別、秋篠宮家は総額約1億2500万円。
同レベルの奴、真っ当な尊皇派、品位とはなかなかのギャグですね。ここ最近のブログでは、一番わらわせてもらいました。
皇室経済法というものがあり、その範囲で支出されるものであるからして、税金を納める側としても殊更問題視することは無いでしょう。
先日の町山サンにも思いましたが、どうしてこう左側の人達は「遵法意識」と言うものが低いんでしょう?本当に不思議です。
進歩的な現代人というのもなかなかわらえます。バカでもわかるにも通じるものがあって端的に言って「サイコーです」。
国家という予算規模から言うと一桁の億単位とは「質素だなあ」というのが私としての感想ですが。