小林よしのりは認知症なのか?
わしは認知症なのか? | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/57014/
《妻が医者から聞いたのだが、わしの脳は萎縮していて、すでに認知症が始まっているらしい。》
ゴー宣道場では喋りまくるぞ! | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/57051/
《もう無駄な議論に時間を費やす時間はない。
今朝は不思議なことに、唇の半分の痺れが軽くなって、なめらかに動き始めた気がする。
左手はピリピリ痺れたままだが、唇はなめらかに動く気がする。
脱入院が回復の早道だ。医者には感謝しているが、入院だけは勘弁してほしい。
明日、また検査があるが、何が発見されても、入院だけは拒否する。つくづく、死ぬ方法も考えておかなきゃと思う。
入院は実存を感じられない。
尊厳死に関する勉強も進めねば。》
前回に引き続き、小林よしのりが認知症であると医師によって診断が下ったことについて考察を深めてゆきたいと思います。
考察を深めていく以上、少しばかり踏み込んだ表現になることはご容赦ください。
小林が認知症であることは小林の担当医が小林の妻に伝えたというのですから、小林のブログが完全な虚偽でない限り、事実なのでしょう。
もし軽度の認知症ならば本人に直接告知するものと思われ、今回はそうではなく、小林妻のみに伝えたとするならば、かなり深刻な病状なのではないかと推測することが出来ます。
小林は今朝のブログで唇の麻痺について、「なめらかに動き始めた気がする。唇はなめらかに動く気がする。」と書いています。
それを読んで、「何で2回言うねん‼︎」と思わずツッコミを入れた人もいるのではないでしょうか。
しかしそれも認知症の症状と考えれば、強めのツッコミを入れるのは酷というものでしょう。
小林のブログを読むと、どうやら担当医としては小林の認知症は相当に深刻であるから再入院を勧めているようですが、小林はなるべく自宅療養がいいと駄々をこねているようです。
というか、小林はかねてから「国や若者や世間サマの迷惑にしかならない老人はさっさとあの世に退場すべきである」と主張していた筈です。
その主張に沿えば、小林はさっさと退場すべきなのに、何故か「入院するしない」でグズグズと愚痴っているのは何か見苦しくないっすか?
私は個人的にはそんな酷い主張には反対であるので、小林はさっさと前言を撤回し、これまでの発言について深く反省し、心からの謝罪をしたら許してやらないこともありません。
小林はさっさと「命ほど尊いものはない。命は手段ではない。この命をまっとうすることこそ大切だ。生きることそれ自体が目的だ!」と絶叫すべきだと思います。
何故なら、小林の今の振る舞いはそう絶叫しているのと同じであるからです。
なのに、小林はあろうことか未だに「死ぬ方法も考えておかなきゃと思う」などと強がってみせます。
まさに口だけなら何とでも言えますね。
今の小林は先の対戦で純真な若者たちに特攻を命じた富永恭次陸軍中将や菅原道大陸軍中将みたいなものでしょう。
なにやら勇ましいことを言って他人を追い詰めておきながら、自分は生にしがみつくカス野郎。
小林は既に認知症であり、もしかしたら明日にも自分のことを自分で決められない状態になるかもしれない身です。
そんな状況であるのですから、呑気に「尊厳死に関する勉強も進めねば」などとホザいている局面ではありません。
もう今すぐにも決断しなければならないのです。
いい加減にカッコつけてイキっていねぇで、「私には何ら覚悟はありませんでした。申し訳ありませんが、ボケちらかしても生き永らえさせて下さい。おねげぇしますだ」と地べたに額をつけて謝罪したらどうですか?
もしかして、そんな勇気すらないのですか?
マジクソだせぇ爺ィですね。
知ってたけど。
この記事へのコメント
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/44635
>しかし、年取ると身体のあちこちにガタが来て、病院ばっかり行かなきゃならない。老いたわしやが、老いたわしや〰︎。
今日の小林よしのりは、自らの老化や病気についてブログで愚痴をこぼしているようです。しかし今の小林の姿は、かつて彼が馬鹿にしていた病気自慢をする老人の姿そのものにしか見えません。
老人たちの病気自慢ではなく、哲学・思想にまで高めてみせる
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/12349
>昔、老人たちが病気自慢するのを、ウザいなぁと思って見ていたが、病院の待合室ではそればっかりになるらしい。
もはや周知の事実ですが、2016年ごろの小林はブログで老人の安楽死を主張していました。
下流老人の解決方法
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/36944
>構造改革・規制緩和と延々と言っているが、真っ先に規制緩和すべきは安楽死だろう。国民としての役割を果たし終えて、若者の迷惑にしかならない老人は安楽死するのが一番いい。
コロナ禍になってからも、小林は老人切り捨てを肯定する発言を繰り返してきました。
「老人が延命するために若者の活力を奪うなんてことは、醜悪以外の何物でもない!!」
(小林よしのり『ゴーマニズム宣言SPECIAL コロナ論3』扶桑社、141ページ)
一方でコロナ禍のころの小林は「コロナはただの風邪」と言い、医療を軽視する言説を唱えていました。当時の小林による老人切り捨て発言は、医療を軽視する発言ともセットになっています。コロナ禍のころの小林は、老人切り捨てや医療軽視を正当化するために生命至上主義批判を利用していました。
今となっては信じられない話ですが、昔の小林はゴー宣で「早く老人になりたい」と言っていましたし、右派時代のころは「わしは悪人となってでも祖父たちを守る」と言って旧日本軍の兵士たちを称賛していました。
そんな小林が、老人切り捨て発言を繰り返すようになったのは60代以降になってからです。小林が老人切り捨て発言を行うようになったのは、自分の老化と向かい合うことを避ける気持ちが影響しているでしょう。
老人性イボを除去する手術をしたり、RIZAPに通ったりするなど、小林は老いに抗う行動を繰り返してきました。また、キンプリのヒット曲を歌ったと公言したり、実年齢よりも若づくりをしたファッションをするなど、小林には年甲斐もない行動が目立っていました。
小林が自分を必要以上に若づくりしていたのは、自らの老下を受け入れることを嫌がる気持ちの裏返しだったのでしょう。
ちなみに小林は50歳のころに北海道で人間ドックを受け、血管年齢が実年齢よりも若いと医者から診断されています。それ以降の小林は、自分の肉体は実年齢よりも若いと思い込んだまま健康状態を過信するようになりました。
老化と向かい合うことを避ける気持ちと、自分の健康状態を過信する気持ちが合わさった影響で、60代以降の小林は老人を病的に憎悪する人間になってしまったのかもしれません。
しかしながら、過去に小林が老人切り捨て発言や医療を軽視する発言をしていたことは、晩年にブーメランとなって自らに帰ってくることとなりました。
老いや病に苦しむ身となった小林は、自分のかつての主張を果たしてどう思っているのでしょうか。自分の老化や衰えを全く直視しようとせず、老いに抗い続けた小林は今ごろになって厳しい現実を突きつけられています。
https://www.gosen-dojo.com/blog/57384/
小林よしのりがブログで書いた文章や単語を読みとっていくと、リハビリ中の彼に何が起きたのかは察しがついてしまいます。
小林の文中にある「生理用ナプキン」という単語は、どう見てもおむつを意味しているでしょう。もしかすると、小林はエアロバイクをこいでいる最中に尿漏れが起きてしまったのかもしれません。
小林は血管性認知症の現実から目をそむけ、「脳溢血からの復活を目指すわし」という物語にすがりついて虚勢を張っています。しかも、過去に老人切り捨て発言をしていた小林は、倒れた後も自らの老いという現実から目をそむけています。
自分の身体に起きたことを曖昧な表現でごまかす小林は、老いや病とまともに向かい合おうとしていません。「役に立たなくなった老人は安楽死させろ」という過去の発言を批判されることを、小林は恐れているのかもしれません。
小林がかつての老人切り捨て発言に対する反省を拒み続ける限り、虚勢を張った生き方をやめることはないでしょう。しかし、小林が自らの弱さと向かい合わずに強がっていても、老いや病がもたらす現実から逃げることはできません。
ゴー宣で描かれた完璧超人の主人公「よしりん」を演じてさえいなければ、小林は虚勢を張った生き方をせずに自然な形で老いや病を受け入れることができたはずです。小林先生、やはりあなたは『ゴーマニズム宣言』を描くべきではありませんでした。
「死ぬのは怖い、もっと生きていたい」という望みが生まれるのは人間としてはむしろ当然でしょうし、平凡な人生を送る一般庶民が「命こそが宝」「生きることそれ自体が目的」という価値観になるのは無理もありません。
「命こそが宝」「生きることそれ自体が目的」という価値観に当てはまる生き方として、小林は次のような例を出していました。
「長生きしたくてしたくて…」「だらだら生きててもいいからとにかくいっぱい生きて…」「色んなもの食って面白おかしそうなことを味わい続けたい」
「女も好きだし家族も愛してるし ずっと一緒にいたいから 生きること自体が人生の目的だ」
別にそういう生き方でもいいではないですか。ただし、生きることそれ自体の幸せを守っていくためには、自分なりの手段で生活を維持していかなければなりません。「命こそが宝」「生きることそれ自体が目的」という人たちでさえ、日々の生活を維持していくために並大抵でない努力をしています。
しかし、小林やゴー宣信者たちは、「命こそが宝」「生きることそれ自体が目的」という人たちを一方的に見下しています。彼らは「自分たちは優れた思想を持つ選ばれた人間である」と思い込み、生きることそれ自体のために努力をしている普通の人たちの苦労が分かっていません。
それはまさしく、オウム信者が「自分たちは世界を救う選ばれた存在」と思い込み、平凡な庶民を「煩悩に溺れて堕落した存在」と決めつけて見下していたのとそっくりです。小林やゴー宣信者たちに対しては、「あなたたちは何様のつもりなのか」と言いたくなります。
宗教右翼という組織票を得て「命は手段にすぎない」と偉そうなことを言っていた言論漫画家さんに比べれば、「命こそが宝」「生きることそれ自体が目的」であっても真面目に生きてきた人たちの方が人間的に立派ですよ。
しかしながら、脳出血で倒れてからの小林は医療に頼ってまで生に執着するようになりました。今の小林が「命こそが宝」「生きることそれ自体が目的」の生き方をするのは、周りから批判されても仕方がありません。
なぜなら小林は、『戦争論』で生命至上主義を批判して自己犠牲を賛美していたからです。晩年の小林が生に執着するのは、『戦争論』の時に言っていたことに対してやっていることが正反対になってしまいます。
小林が『戦争論』で描いていた生命至上主義批判や自己犠牲賛美の思想が偽物であったことは、彼の晩年の生き方が証明してくれました。
あれだけの肥満体
起こるべくして起きたとしか言えません
尊師は現実を目の前にして怯えています
悲しいことだよ