人々を動員したら、わしには楽しませる責任が生じる!
小林よしのりが選挙活動に泥鰌の群れであるシンパを動員していることを公言していることについては、まぁ「でしょうね」という感想しかないので、当方ブログでそのことをイジるつもりはないのでご安心ください。
人々を動員したら、わしには楽しませる責任が生じる! | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/55936/
《人々を動員したら、わしには楽しませる責任が生じる。秋葉原に行ったら、門下生や公論サポーターや、一般読者が、集まってくれていた。》
そんなことよりも、ほぼ正解と言わざるを得ないコメントを大林わるのりさんが投稿してきやがりました。
ちなみに、「大林わるのり」というネーミングの発祥は佐藤優なんすね。
●先週号の「スパ(SPA)」で佐藤優が、小林よしのりに宣戦布告か? - 山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』別館https://yama31517.hatenadiary.org/entries/2008/09/29
《小林よしのりは非モテ体質でスケベ男だから、自分につき従う女ができると舞い上がって、惚気話を周囲にアピールしてしまうという癖があります。
小林がちぇぶの大食いエピソードをブログで書いているのは、いわゆる惚気話という奴でしょう。この二人は仕事仲間だけの関係ではなさそうだな、と察してしまう文章の内容です。
または旧ゴー宣で、小林にハゲ毛をからかわれた金森がへそを曲げるエピソードもそうですよね。あのエピソードは読んでいて気持ち悪さを感じましたが、痴話喧嘩を惚気話として描いていたのでしょうね。
『噂の真相』が指摘していたように、小林と金森は社長と秘書の関係だけではなかった可能性が高いでしょう。
ただし、金森はよしりん企画入社後に、憧れの人物だった小林は実は嘘つき野郎で、漫画で描かれた「よしりん」とは似ても似つかない情けないおっさんだと気付いたはずです。
ブレーン担当となった金森は、次第に小林に対して高圧的な態度になって「女帝」と化していきました。金森は小林に幻滅したものの、自分が思い描いている理想像に彼を染めようと考えたのかもしれません。小林は金森のラジコンと化していた言えるでしょう。
『噂の真相』によると、小林の秘書だった金森は右派的な思想の持ち主でした。小林の右傾化には、秘書でブレーンだった金森の影響もあるでしょう。
小林は、言いなりになりそうな女性を共依存関係にして利用するという体質があります。小林とゴー宣道場でのイエスマンの女性たちとの関係が、おそらくそうでしょう。
金森の場合はむしろ、逆に小林を自分の言いなりにして利用しようと企む強さがあった可能性があります。式波バタ子はイエスマンで癒し系だから、実務能力がなくても小林にとっては可愛い存在なのでしょう。
小林が秘書の末永と金森のタイプを、松田聖子と裕木奈江に例えた話も「今思えば……」と察してしまいます。
末永が関係者から接待を受けたと金森が小林にチクったとか、激怒した小林が末永の前で自転車を蹴飛ばしたとかのエピソードも、後になってみると「こういう意味か」と分かってしまいます。
末永と金森の関係は、松本知子と石井久子が麻原彰晃を取り合って争っていたというエピソードと似ています。小林と末永の関係は、暴力男がDVで女を従えている関係と似ていますね。こういったエピソードも、小林による惚気話のアピールだったのでしょう。
小林が何気なく描いたエッセイ的なエピソードは、ファンとしての色眼鏡を捨ててやっと意味が分かりました。だから、小林とちぇぶの関係を書いたブログ記事は、「ああ、いつものアレか」と察することができました。》(大林わるのりさん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/501998231.html
90年代後半にゴー宣が言論界で話題に上がるようになった頃に、当時の業界人なら誰もが読んでいた「噂の眞相」という雑誌で、小林についての記事が幾つか載ったといいます。
私はオウム事件以降の後追い読者であったので、噂の眞相が取り上げた記事の内容について深くは知りませんが、のちに当時秘書であった末永直海が噂の眞相へ「しっかり取材はしていたので嘘はない」という内容のコメントを寄せ、小林よしりんが激怒したという事案がありました。
でありますから、噂の眞相が報じた内容は真実であったようです。
また、葉月蓮さんとのことについてマンガにした小林ですが、その内容は実際の出来事とはまるで異なるもので、それについて小林は「物語だからそこは嘘です」と弁解しています。
その時のメールのやり取りを私は入手し、また葉月蓮さんから直接、実際に起きたことを聞き、私は単なる性加害であると判断したことは既に記した通りです。
そのこともあるので、大林わるのりさんの投稿について、「ほぼ正解」と断定しているわけですが、小林界隈におかれましては、異論があるなら正々堂々とこちらに抗議して来いや、腰抜けが! てなもんです。
なんだったら、ついでに生長の家との関わりについても反論してみせろや、チキン野郎どもが! てなもんです。
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この記事へのコメント
日本茶掲示板では、2000年夏ごろから在日コリアンを差別した排外主義的な書き込みが目立つようになったそうです。同掲示板の常連だった平山桃が、在日コリアンに対するヘイト発言を次々と掲示板に書き込みました。
同じく常連の一人だったデスザウラーも平山桃の書き込みに反応し、在日コリアンや韓国へのヘイト書き込みを掲示板上で繰り返しました。デスザウラーによるヘイト発言は、平山桃の書き込みよりも過激な内容でした。
平山桃やデスザウラーによる在日へのヘイト書き込みは、日本茶掲示板の住民たちだけではなく他のネットコミュニティからも注目されるようになっていきます。
韓国民団のサイトの掲示板では、日本茶掲示板で在日へのヘイト書き込みが繰り返されていることが問題視されるようになりました。これに対し日本茶掲示板の住人たちは、民団の掲示板への荒らし行為を一斉に行いました。
また、日本茶掲示板の方でも、民団掲示板からやってきた人が住民たちに議論を挑むこともありました。日本茶掲示板の人たちと民団掲示板の人たちとの論戦は、2000年10月ごろに終わりを迎えています。
一連の出来事の影響により、日本茶掲示板の住民たちの間では、韓国民団と在日コリアンのコミュニティが敵役として認識されることとなりました。
2000年ごろに日本茶掲示板で流行った在日コリアンや韓国へのヘイトスピーチは、2000年代半ば以降に日本で広まった嫌韓ヘイトの源流の一つと言えるのかもしれません。
『SAPIO』で連載されていた小林よしのりの「新ゴーマニズム宣言」で、第14章「運動の功罪―日常へ復帰せよ!」が発表されたことは読者の間で大きな反響を呼びました。
1996年8月には、「新・ゴーマニズム宣言(十四章問題)その行方を探る!」というサイトが作られ、読者からのメールがサイト上で公開されています。
1997年3月には、「日本ちゃちゃちゃ倶楽部(日本茶掲示板)」がネット上で立ち上げられました。日本茶掲示板の初代管理人となったのは、小林よしのりファンの大学生「ラーメン屋二郎」です。
朝日新聞でラーメン屋二郎によるネット活動が記事になったことに対し、小林は新ゴー宣で二郎を支持し朝日を批判する漫画を描きました。
小林ファンたちが集まる日本茶掲示板は、90年代後半のネット右派たちの間で大きな存在感を発揮していました。日本茶掲示板以外にも、右派系の論調のサイトが次々とネット上に誕生しつつありました。
日本茶掲示板は、右派的な考えを持つ人だけではなく、反小林で左派的な考えを持つ人も議論に参加していました。同掲示板は、右派と左派が激論を交わす場としても有名になっていきます。
また、日本茶掲示板で書き込みをする常連たちには、自らの掲示板を持って独自のネット活動をする人もいました。
1999年に2ちゃんねるが誕生してからは、ネット右派は「J右翼」と呼ばれ、小林ファンは「コヴァ」と揶揄されていました。ネトウヨという単語は、このころはまだ生まれていませんでした。
2001年に小林よしのりは『戦争論2』や『SAPIO』での新ゴー宣で、9.11を起こしたイスラム過激派に同情的な主張を漫画で描きました。小林が反米的なテロ行為を肯定したことに対し、日本茶掲示板では賛否を巡って様々な議論が起こりました。
日本茶掲示板の運営はゴー宣支持者であったため、小林の主張に否定的な人たちの書き込みに厳しい態度をとりました。その結果、小林の主張に批判的だった人たちが次々と掲示板を去って行きます。
9.11を巡る議論を境に、日本茶掲示板は右派と左派による議論の場から、小林を支持するかどうかの場に変わりました。これにより、日本茶掲示板はネット上での影響力を徐々に低下させていくことになります。
また、2000年代以降の日本茶掲示板は、様々な論者による荒らし行為が起こり、住民同士で内紛が繰り広げられました。同掲示板は様々な問題を議論する場から、ネット民同士が内ゲバを繰り返す場へと変わり果てていったのです。
すっかり荒廃した日本茶掲示板は、ネット上に埋没したまま2000年代半ばに閉鎖されました。
しかし金森は、ブレーンとして小林を思想的におかしな方法へ導いたという罪があります。右傾化した小林は『戦争論』のベストセラー化でネトウヨの教祖となり、日本の世論をミスリードさせてしまいました。
小林はネトウヨを生み出した戦犯ですが、ブレーンとして彼に思想的な影響を与えた金森や右派系の学者たちもネトウヨを生み出した戦犯と言えます。
小林を批判するネトウヨたちの間では、
「金森さんがいたころの小林よしのりは良かった。金森さんがいなくなってから小林は駄目になった」
という声が少なからずあります。
確かに、金森は秘書としての能力は岸端みなよりは上ですし、ブレーンとしての能力は時浦兼よりも上といえるでしょう。しかし、彼女は右派的で偏った思想の持ち主であり、言論人としての資質が欠けている小林を自分に都合にいい理想像に染めようと洗脳した人間でもありました。
元小林ファンで今はアンチ小林となったネトウヨは、右派時代の小林が主張したプロパガンダの洗脳が未だに解けていないのです。「右派時代の小林の言説は誤りであった」と認めることから、まずは認識を改めなければなりません。
さらに、右派文化人だったころの小林よしのりは、宗教右翼勢力を組織票にして言論活動をしていました。つくる会の支持母体となった日本会議及び生長の家人脈、キリストの幕屋がそうです。それどころか右派時代の小林は、かつて批判していた統一教会の別働隊になり果てていたのです。
金森は、小林がカルト宗教勢力の手先となることをなぜ止めなかったのでしょうか。ゴー宣という本を売るために、或いは小林が言論人として世渡りをするために、カルト宗教勢力を利用することを金森は黙認したのです。小林だけではなく、金森にもカルト宗教の手先となったという罪があります。
よしりん企画退社後の金森は、チャンネル桜でニュースキャスターをしていたことがありました。右派論壇の寵児だった小林の元秘書という実績だけではなく、宗教右翼とのコネがあったおかげで、彼女はチャンネル桜での番組のキャスターに抜擢された可能性があると見るべきでしょう。
つくる会も日本会議もそうですが、右派系の政治運動は宗教右翼がケツ持ちなのです。宗教右翼系の文化人も少なからず出演しているチャンネル桜は、宗教勢力とのつながりという疑惑に関してはほぼ真っ黒と言うべきでしょう。
小林の元側近であった金森は、秘書でブレーンとしての有能さや功績という「光」の部分だけではなく、彼女が小林のブレーンとしてもたらした罪という「影」の部分も検証されるべきです。
TV番組で高校生くらいのギャルが「103万の壁」とか「消費税減税しろ」とか言ってたそうです。これが今の大衆の偽らざる本音でしょう。小5の子供に女性天皇とか言わせる親はなんなんでしょうね。
あれはキツイ