小林よしのりとカルト宗教

まずは最近読んで面白かったロマン優光さんの記事の一部を引用させていただきます。


『ムー』を読んでいると陰謀論にハマらないのか? 〜ムーの編集長、参政党にハマる〜:ロマン優光連載349 | 実話BUNKAオンライン https://bunkaonline.jp/archives/7295

《特定の陰謀論を否定する人が別の陰謀論を信じていても不思議ではない。自分が支持しているもの、自分が否定しているものを否定するものには、それが事実かどうか検証せずに飛びついてしまうのは人間の性(サガ)で、意識的に律しようとしなければ、そうなるのはわりと普通なのだから。》


この感覚はわりと大事なことで、自分が否定したいものについて、好都合な意見を見つけると無条件で採用したくなるものですが、そこは安易に飛び付かずにしっかり検証する目を持たねばなりません。

小林よしりんの言動に否定的な人が当方ブログを見つけて我が意を得たりと思ったとしても、そこは冷静になって、あくまでブログ主個人の主観でツッコミを入れているものに過ぎないと一歩引いて読んでいただけたら幸いです。


さて、それを踏まえた上で、本日も大林わるのりさんの論評を紹介したいと思います。

今回、紹介するのは小林よしのりが歴史教科書をつくる会に参加して以降のことについて分析されたコメントです。

左翼系の運動であった薬害エイズ闘争で、運動に参加していた大学生たちから距離を取られた小林が、その意趣返しというか、イヤガラセで左翼が主導している社会運動を揶揄し、右派に接近して、左翼運動に批判的な西部邁と握手までしてみせ、あたかも学生たちに向かって「わしを怒らせたらどうなるか思い知らせてやる!」と言わんばかりに「脱正義論」(当初は「運動論」として発表する予定であった)を発表し、そこから左翼憎しの右傾化を強め、反左翼運動であるつくる会に参加し、そのスポークスマンの役割を果たすようになります。(保守派の運動ではなく、反左翼運動であるという点が意外と重要)

当時の側近(秘書?)が右派的な思想の持ち主であったこともあってか、加速度的にそちら側に転がり、成功をおさめたことはもはや説明するまでもないでしょう。

一読者として不思議だったのは、つくる会参加以前のゴー宣は、ヒットしていたとはいえ、そこまでの知名度はなく、時事問題に興味があるいわゆる意識高めのサブカル好きなら知っているという程度の作品であったのに、それが戦争論から唐突に人間革命的なベストセラー 、ロングセラーになったことです。

その答え合わせが、今回の大林わるのりさんの論評の中にあるような気がしてなりません。


《昔から小林は特定の運動にのめり込むと、他者の批判を認めない盲目的な活動家になってしまうという悪癖があります。例えば、初期のゴー宣で部落問題に取り組んでいた時の小林は、運動家の人たちを美化して描いていました。

また、オウム事件の時は訴訟団の弁護士やオウム追及のジャーナリストに好意的な評価をしていました。あの時は、オウム真理教のやっていたことが紛れもなく反社会的なテロ行為であったため、小林がゴー宣で描いていた手法は結果的にうまくいきました。

薬害エイズ運動では、川田龍平や支える会を美化して描いていました。

小沢遼子が運動団体に左翼政党が関わっていると指摘した際は小林は「デマだ」と否定していましたが、実際は彼女の言う通りでした。小林は運動のために嘘をついていたのです。

歴史教科書運動では、つくる会をこれでもかと好意的に評価していました。

政権与党のタカ派が運動を操っているという上杉聡による批判を小林はデマ扱いしていましたが、実際は上杉の言った通りでした。この時も小林は運動のために嘘をついていました。

歴史教科書運動は当初から与党のタカ派や宗教勢力が関わっていて、彼らが運動が乗っ取っていったことは、ジャーナリストたちの数々の取材で明らかになっています。ブログや著書を通して歴史教科書運動の実態を告発した初代会長の西尾幹二は、自らの言説にけじめをつけたという意味では小林よりはマシでしたね。

小林は旧ゴー宣では統一教会批判をしていたくせに、『戦争論』では青春を返せ裁判を起こした元信者たちを批判していました。小林が『戦争論』を執筆した当時に参加していたつくる会には勝共文化人たちも関わっていたのですから、彼らに配慮して統一教会批判のトーンを弱めたのでしょう。世界日報と付き合いのある学者さんが、教科書運動団体の幹部をやっていたのは事実ですからね。運動を守るためには自説を引っ込め、臭いものにふたをする体質は相変わらずでした。


生長の家は初代総裁の谷口雅春の時代は明治憲法の復活や大東亜戦争肯定論など右派的な主張を唱えていました。

そのため、同教団は日本国内での右派的な政治運動の有力な支持母体となっていきました。谷口雅春時代の生長の家は国際勝共連合とも連携しています。

生長の家は2代総裁が谷口清超、3代総裁が谷口雅宣となっています。

雅宣が実権を握ってからの生長の家は右派的な政治路線を取りやめ、リベラルな思想に転向しました。これに反発した昭和以来の谷口雅春支持者の信者たちは、教団を離脱して右派的な政治運動に今も関わり続けています。

谷口雅春以来の右派運動を支持する人たちは平成に入ってからは右派的な政治運動団体として有名なあの日本会議の支持母体となりました。

新しい歴史教科書をつくる会の結成は1996年12月2日(設立総会は1997年1月30日)、さらに日本会議の結成は1997年5月29日であり、両者が結成された時期はほぼ連動しています。宗教右翼の影響力が強い日本会議が、誕生したばかりのつくる会の支持母体となったのは明らかです。

谷口雅春時代の旧生長の家と国際勝共連合が連動していた事実を見ると、つくる会にも勝共文化人が幹部として参加したのは当然の成り行きだったのでしょうね。小林は表向きは反統一教会だったくせに、つくる会時代は勝共文化人と共闘していたのです。

小林はつくる会離脱後に、9.11の評価を巡ってイスラエル支持の宗教団体と対立していたことに言及しています。イスラエル支持の宗教団体とはキリストの幕屋のことでしょう。

つくる会を批判してきた「子どもと教科書全国ネット21」初代事務局長・俵義文は、キリストの幕屋がつくる会の有力な支持母体となっていることを指摘しています。キリストの幕屋は、西尾幹二の『国民の歴史』のまとめ買いも行っていました。

あの『戦争論』や『台湾論』も、小林がつくる会に参加していた時代に大ベストセラーになっていましたね。

その後、日本会議による乗っ取り騒動によって、歴史教科書運動はつくる会と日本教育再生機構(教科書改善の会)に分裂しました。日本会議の影響力が強い団体が日本教育再生機構(教科書改善の会)です。

生長の家といえば、初代教祖のころから天皇を現人神として崇拝する狂信的な尊王派の教団として有名でした。生長の家の関係者は谷口雅宣派の人たちが女系天皇支持であり、離脱した谷口雅春派の人たちが男系天皇支持を主張しています。

ちなみに、小林は『新天皇論』以降は女系天皇の支持を唱えており、熱烈な尊王派であることを強調してます。ゴー宣道場(現ゴー宣DOJO)で活動している生長の家信者の人たちは、おそらく谷口雅宣派の可能性が高いでしょうね。

宗教団体の関係者が運動に参加していれば、著書のまとめ買いも行ってくれるから、小林にとっては大助かりでしょう。


「朝鮮併合を含む大東亜戦争肯定論を描いといて統一教会への配慮」といえば、小林が戦争論シリーズで参考文献にしていた右派の学者に当てはまりますよ。

例えば『戦争論』で参考文献にしていた『かくて昭和史は甦る』著者の渡部昇一、『戦争論3』で参考文献にしていた『侵略の世界史』著者の清水馨八郎がそうです。

渡部は「『世界日報』はこの四分の一世紀の間、日本のクオリティ・ペーパーであった」と発言しています。

また、清水は文鮮明を「私は先生をイエス・キリストすら越える人物、いや聖人と思っております」と高く評価しています。

大東亜戦争肯定論を唱えながら、反共のためには統一教会とも共闘していたのが渡部と清水なのです。

朝鮮併合を含む大東亜戦争肯定論を唱えても、反共という大義や自らが関わる政治運動のためなら、統一教会とも共闘できるのが日本の右派です。それは、もちろん『戦争論』を描いていたころの小林も含まれます。

小林の『戦争論』で青春を返せ裁判を起こした元信者たちを批判したのは、どう見ても統一教会批判の主張がこれまでよりも弱まったように見えます。

しかも当時の小林は、つくる会では勝共文化人とされる理事と一緒に活動していました。自らが関わる歴史教科書運動のために、つくる会に参加している仲間に配慮した可能性を疑われても仕方ありません。

そういえば、当時の小林は左翼の人たちのことを日本を壊す敵のように描いていましたね。反共という大義では勝共文化人とも歩調を合わせていたわけです。

小林はあれほど統一教会批判をしていたくせに、『戦争論』など右派系の論調が強い漫画では勝共文化人の著書を参考文献にしていました。それどころか反米化した後も、小林は統一教会と付き合いがある人の言説に頼ることがありました。

『沖縄論』の案内役となり、ゴー宣道場の師範となったこともある宮城能彦も世界日報と付き合いがある人物です。さらに沖縄問題で小林が好意的に評価した「狼魔人日記」のブロガーも、世界日報と付き合いがある人物です。

確かに小林は叔母が統一教会に取り込まれたことに言及しています。しかし、右傾化してからの小林は、統一教会と付き合いがある人たちの言説に影響を受けて言論活動をしてきたのです。以降、小林の統一教会批判は旧ゴー宣のころに比べるとトーンダウンしていったのです。

右派陣営と喧嘩別れし、ブレーンの一人だった宮城とも決別し、さらに安倍元首相への逆張りがあったおかげで、小林は前のように再び統一教会批判ができるようになりました。

小林による統一教会批判は、口先だけのただのパフォーマンスでしかありません。


伊藤隆はつくる会分裂後に日本教育再生機構に参加していますし、日本会議にも関係しています。つくる会を乗っ取ろうとした日本会議のシンパの人たちが作ったのが、日本教育再生機構です。伊藤はつくる会を乗っ取ろうとした勢力に付いたのだから、西尾の告発は都合が悪いのでしょうね。平田正昭との対談本『保守の怒り』で、西尾はつくる会分裂の裏側について語っていますよ。

その後、ジャーナリストたちの取材や分析によって日本会議の成り立ちと右派運動への関わりが明らかになり、西尾の告発は正しかったことが裏付けられました。

時浦が菅野完の『日本会議の研究』の内容に否定的なのは、つくる会時代の小林が宗教右翼に踊らされていたことを認めたくないからでしょう。

小林もまた、9.11に関する論争でつくる会を退会したことには触れていますが、それ以前に自らが関わった同会の活動についての総括が未だにできていません。

「結成から9.11前までのつくる会は正しかった。9.11以降につくる会が親米化したのは間違っていた。歴史教科書運動そのものは意義があった」というのが小林による歴史教科書運動の評価だからです。

つくる会時代の小林は、日本会議が教科書運動を支援していることをおそらく知っていたはずです。

それに、彼が日本会議に何らかの形で世話になっていても不思議ではないでしょう。

そもそもつくる会を支援していたのは、小林が後に対立したイスラエル寄りの宗教団体だけではないのは明らかです。

小林は『脱正義論』では薬害エイズ運動の裏側について内情暴露をしましたが、つくる会退会後は運動の内情暴露について消極的であり続けています。つくる会と日本会議の関係を認めたくないからです。それを認めることは、自分が右派論壇の寵児になれたのは、宗教右翼の組織票のおかげだったと認めることにつながるからです。

『戦争論』バブルは自分の実力ではなかったと認めるのは、プライドの高い小林からすれば都合が悪いのでしょう。


生長の家の教祖だった谷口雅春は、堕胎を生命軽視として厳しく批判し、優生保護法廃止の運動に取り組んでいました。生前の谷口は、「堕胎は殺人である」とまで言い切っていました。

そういえば小林よしのりも、ゴー宣EXTRAやゴー宣・暫で堕胎を批判していたことがありました。谷口雅春と同じく小林も、「堕胎は殺人である」と主張していましたね。

小林が唱えていたあの主張は、またしても生長の家の主張とそっくりだったことが分かりました。やはり、小林の言説はスポンサーの影響でこうなったのかと疑われても仕方ありません。

小林が参加していたつくる会の支持母体だった日本会議は、谷口雅春原理主義者たちが作った団体でした。また、小林が編集長を務めていた『わしズム』には、一水会代表の木村三浩が寄稿していました。一水会といえば生長の家系の政治団体です。

まさかとは思いましたけど、小林が「堕胎は殺人である」と主張していたのは、右派文化人だったころの組織票であった宗教右翼に配慮した可能性があるのかもしれません。

堕胎の全否定は右翼的な谷口雅春主義が由来であり、堕胎の一部容認はリベラルな谷口雅宣路線が由来なのでしょうか。もしもそうであるならば、小林の言説の変遷は説明がつきます。

小林が生長の家に影響を受けていたと見るならば、他にも説明がつくことがあります。

つくる会に参加していたころの小林は、小山孝雄参院議員を新ゴー宣で好意的に評価していたことがありました。小山は生長の家信者の政治家として有名でした。小林が評価していた小山は、後にKSD事件で逮捕されています。

2010年に出版された『希望の国・日本』で、稲田朋美や平沼赳夫を小林が好意的に評価していたことも納得がいきます。言うまでもありませんが、稲田や平沼も生長の家の熱心な信者として有名な政治家ですからね。

ちなみに小林は、後に稲田朋美や平沼赳夫に対して批判的となっています。リベラル化した小林は生長の家の谷口雅宣派(現執行部派)、右派系の稲田や平沼は生長の家の谷口雅春派(日本会議系)の意向で動いていたというわけでしょう。

小林のゴー宣道場には、生長の家信者が潜り込んで会員として活動していますからね。

オウム真理教というカルトと戦っていた小林は、皮肉なことに、生長の家系人脈という別のカルトに取り込まれてしまったようです。


なぜ、新しい歴史教科書をつくる会では勝共文化人とされる人と一緒に仕事をしていたのですか。

なぜ、『戦争論』では統一教会に対して青春を返せ裁判を起こした元信者たちを批判したのですか。

なぜ、つくる会が宗教右翼に支援されていた事実を無視するのですか。宗教右翼と勝共連合の関係はどう思いますか。

なぜ、日本会議の前身の旧生長の家(谷口雅春派)が国際勝共連合と連携していたことを無視するですか。

もしかして、宗教右翼による本のまとめ買いはありましたか。組織票であった宗教右翼には勝共連合も含まれていましたか。

なぜ、小林が大好きな台湾で統一教会が現地政府に優遇されていることに触れようとしないのですか。

なぜ、勝共文化人とされていた知識人たちの著書をスペシャル本の参考文献にしていたのですか。

なぜ、勝共政治家とされていたタカ派の政治家たちを作中であれほど高く評価していたのですか。

なぜ、右派文化人時代のころは左派を売国奴扱いする一方で右派を愛国者扱いしていたのですか。

なぜ、右派文化人時代のころは勝共文化人とされていた人たちと主張が似ていたのですか。

なぜ、世界日報と付き合いのある宮城能彦をブレーンにして、ゴー宣道場師範にしたのですか。

なぜ、世界日報と付き合いのある狼魔人日記のブロガーを好意的に評価していたのですか。

なぜ、安倍晋三が首相に再登板して長期政権を築くまで統一教会に対する批判を控えていたのですか。

これらの疑問に対して、なぜ小林はだんまりを決め込んでいるのでしょうか。私は何度でも言います。「右派文化人時代の小林は、統一教会への批判を控えて別働隊になっていたではないか」と。

また、小林はオウム真理教や統一教会といったカルトを批判していながら、ゴー宣道場に生長の家の信者が潜り込んでいることをなぜスルーするのでしょうか。


小林による女系天皇支持と万世一系の否定は、組織票である新興宗教の影響を受けて言っている意見に過ぎません。

ゴー宣DOJO(旧ゴー宣道場)には、生長の家の信者たちが潜り込んで活動してます。

現在の生長の家は女系天皇支持を表明しており、小林もその意向を受けて動いているのです。

リベラル路線の生長の家谷口雅宣派(現執行部派)が女系天皇支持であり、右派路線の旧生長の家谷口雅春派(日本会議系)が男系天皇支持です。右派陣営の女系天皇支持と男系天皇支持を巡る対立は、生長の家の分裂による影響もあるのです。

女系天皇支持に凝り固まった小林が、男系天皇支持の参政党を支持できないのは仕方ないでしょう。ただし、その原因は生長の家分裂という宗教上の理由が絡んでいるのです。

ちなみに神谷宗幣が影響を受けた高橋史朗は大学時代のころから生長の家の活動家であり、勝共文化人でもありました。

また、森友学園で籠池泰典の部下だったのが神谷です。籠池は日本会議の活動家でした。日本会議といえば旧生長の家系の谷口雅春派の人脈であり、男系天皇を支持しています。

日本会議は、新しい歴史教科書をつくる会の支持母体となりました。つくる会に参加していたころの小林は、高橋史朗や日本会議と共闘していました。

また、神谷宗幣は統一教会の会合に参加したこともありますし、ビューポイントの筆者でもありました。一方、小林も右派時代は統一教会の別働隊でした。つくる会には勝共文化人が幹部として参加していましたし、小林の元ブレーンでゴー宣道場師範だった宮城能彦は「世界日報」系文化人でもあります。

さらに、神谷宗幣がかつて理事を務めていたヤマト・ユダヤ友好協会は、キリストの幕屋の影響を受けています。一方、新しい歴史教科書をつくる会の各地の支部で、末端の活動家であったのがキリストの幕屋の信者たちでした。

9.11以降に反米化した小林は、つくる会支持母体だったキリストの幕屋と対立しました。小林にはキリストの幕屋との過去の遺恨があるから、同教団と近い参政党は憎いはずです。しかし、つくる会時代の小林のベストセラーは、キリストの幕屋によるまとめ買いのおかげでもありました。

参政党が、特定の新興宗教の影響を受けているというのはまさにその通りです。同党の人脈は、小林のつくる会時代の人脈とも重なっています。小林の右派時代の言説は、組織票である新興宗教の意向を受けていた事が分かります。

しかし小林はゴー宣道場を結成してからは別の形で新興宗教を組織票として頼っているのが現実です。》


https://washiblogact3.seesaa.net/article/515462236.html

https://washiblogact3.seesaa.net/article/515815865.html

https://washiblogact3.seesaa.net/article/502607367.html

https://washiblogact3.seesaa.net/article/491067606.html

https://washiblogact3.seesaa.net/article/516765410.html


小林よしのり界隈と生長の家の関わりについて、私はちゃんと調べていないのでよく分からないのですが、私が実際に体験したこととして、道場参加者のみが閲覧することが出来た公式掲示板にて、札幌在住の生長の家信者からしきりに勧誘された事実があります。

その掲示板の管理人はよしりん企画の時浦兼で、ほんの些細な揉め事でもいちいち時浦が出張って来て、「やめてください!」なんて野暮な仲裁をしていたにも関わらず、生長の家の信者が会合などへの勧誘をしていることに対しては完全スルーをしていて、私はその勧誘を断るのに難儀した思い出があります。

勧誘される度に「なんで時浦さんは注意しないのだろう?」と疑問に思っていましたが、今回の大林わるのりさんの論評を読んで氷解しました。


小林よしのりと生長の家の関係性について、それを陰謀論の類いだと言うのならば、是非とも当時の勧誘について何故にスルーしたのか、そのことを含め、公式に弁解して欲しいものです。

「憶測なら運営が疑惑を晴らす責任がある。」(by小林よしりん)というやつです。

「運営は確実に事件を隠蔽しているのだ。」(by小林よしりん)てなもんです。

https://www.gosen-dojo.com/blog/20887/


生長の家と小林よしのりについては大林わるのりさんがまだまだコメントしており、その内容は大変興味深いものでありますので、今後も紹介していきます。


カルト宗教ついでに余談として、西部邁との共著「本日の雑談」で、西部が幸福の科学の雑誌『ザ・リバティ』を高く評価していたことに対し、小林も同調していたのを読んだ時には私は絶句して、二の句が継げませんでした。

「統一教会やオウム真理教を痛烈に批判していた小林よしりんがどうして?」と困惑したことをよく覚えています。

しかし、今となっては然もありなんと思っているので問題なしです。

今日の小林よしりんの選挙応援という醜態も問題なしです。

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この記事へのコメント

大林わるのり
2025年09月26日 18:14
小林よしのりが自らの病の実態を直視せず、楽観論に溺れているのは明らかに現実逃避です。彼が自らの完全復活を夢見ているのは、「思いの力でどんな病気でも治る」と唱えている生長の家の教えの影響もあるのかもしれません。

小林が生長の家に取り込まれてしまった原因は、右傾化してから宗教右翼勢力を支持母体にしてしまったからという見方ができます。また、小林が生長の家の教えにかぶれた原因は、「社会的な成功者になれたから」という理由もあるのかもしれません。

平凡な人生を生きる一般人たちは、社会的な成功者を強い自己を持った人として考えがちです。しかし実際には、成功者の人たちはいつも多大なプレッシャーを抱えており、庶民が考えているほど強い自己を持っているわけではありません。

だから、宗教やスピリチュアルにハマることで心の安定を得ようとする成功者が出てしまうわけです。

臆病者のくせに虚勢を張り続けてきた小林にとっては、ポジティブシンキングを強調した生長の家の教えは自分の生き方の正当化のために役立ったでしょうね。

また、一般人と成功者の決定的な違いは、社会的な成功という大きな夢を叶えることができたかどうかです。努力や才能によって夢を叶えることができた一部の成功者が、「思っていることは実現できる」というニューソート的な自己啓発の思想にかぶれてしまうこともあります。

だから、宗教やスピリチュアルにハマることで自らの成功のメカニズムを説明づけようとする成功者が出てしまうわけです。

「漫画家になれた」「ヒット作を生み出せた」「アニメ化できた」「小学館漫画賞を受賞できた」という数々の成功体験は、小林が生長の家のニューソート的な思想にかぶれる一因となったのかもしれません。

今思えば、阪神タイガースの監督時代に「予祝」なるオカルトに傾倒した矢野燿大は、社会的には成功者として見られています。「プロ野球選手になれた」「選手時代にリーグ優勝できた」「プロ野球チームの監督になれた」という数々の成功体験は、矢野がスピリチュアルにのめり込む一因となった可能性があるでしょう。

社会的な成功者となったがゆえに、宗教やスピリチュアルにのめり込んでしまう人たちは後を絶ちません。小林よしのりのケースは、成功者となったがゆえに特定宗教に傾倒してしまったことの悲劇の一つと言えるでしょう。
大林わるのり
2025年08月24日 14:15
小林よしのりがゴー宣で主張していた発言は、今改めて考えてみるとこれは牽強付会な解釈で問題があるな、と気付かざるを得ないものが少なからずあります。

例えば『戦争論2』の最終章では、敬虔な気持ちになったことがない人間がいかに信用ができなくて危険かがこれでもかと強調されています。

敬虔な気持ちになったことがない人間は、ある日突然学校へ侵入して子供を次々と襲うかもしれない、夏祭りの日にカレーに毒を入れて住民を殺害するかもしれない、と小林は作中で描いています。

つまり、敬虔な気持ちになったことがない人間や無神論・無宗教の人間は、道徳も良心も罪悪感も全くない危険人物だという印象操作を小林は行っているのです。

小林によるこれらの主張は単なる決めつけでしかありません。敬虔な気持ちになったことがない人間や無神論・無宗教の人間であっても、道徳的で立派な人間も世の中には存在しています。

また、敬虔な信仰をもつ人間や宗教の熱心な信者は皆立派な人たちなのかというと、むしろ狂信によって暴走したり問題を起こす人間も少なからず存在しています。世界の歴史を見れば、宗教が争いや虐殺の原因になったケースは数え切れないほどありました。

自分を超越する存在に畏怖の念を抱いたり、敬虔な気持ちになったりしたのはいいものの、それによって特定の権威への信仰に価値観をゆだねて思考を停止してしまう人間こそが危険なのです。

問題ばかり起こしている今の小林界隈だって、どちらかというと超越する存在に畏怖の念を抱いたり、敬虔な気持ちになったことがある人間の方が多いはずです。なぜなら、ゴー宣道場は生長の家の信者たちが潜り込んで成り立っているのですからね。

敬虔な気持ちになったことがない人間は危険だ、無神論や無宗教の人間は危険だという決めつけを『戦争論2』で小林がしていたのは、当時の彼が宗教右翼の支援を受けていたことの影響があるでしょう。

右派時代の小林がそうですが、宗教右翼の連中は反共の大義に固執しています。その影響で、
「敬虔な気持ちになったことがない人間や無神論・無宗教の人間=唯物主義者=左翼=悪」
という決めつけが、宗教右翼の連中の頭の中に存在しているのです。

「敬虔な気持ちになったことがない人間は信用できない」「敬虔な気持ちになったことがない人間は恐ろしい」という『戦争論2』での小林の言説は、今思えば牽強付会な主張であり、読者を洗脳するための危険なレトリックでした。
大林わるのり
2025年08月07日 18:42
カルトのトリクルダウン
https://www.gosen-dojo.com/blog/56564/

大須賀が引用している「日本を共産化から守り、自主憲法を制定する」という国際勝共連合の渡辺会長の発言は、反左翼で改憲論者の小林よしのりの思想とも似ています。なぜ大須賀はそのことに気付かないのでしょうか。

右派文化人だったころの小林は勝共文化人と共闘し、統一教会の別働隊の役割を果たしていたのですよ。

「少なくとも「勝共」なんてワードで扇動される層の票は、おいそれと自民には戻ってこないでしょう」
と大須賀は言っていますが、果たしてそうでしょうか。もしも高市早苗が総理になって自民党と参政党が閣外協力したら、「勝共」というワードで扇動される層が自民党をまた支持するでしょう。

2025年参院選では、杉田水脈ら自民党右派が大量に落選した一方で、参政党という新興の極右勢力が台頭しました。「勝共」というワードで扇動される層の票が、参院選ではどういう風に移動したのか大須賀は気付くべきです。

大須賀によると統一教会は、「根底に強烈な反日・反皇室思想を抱えながらの男系男子固執」のカルトだそうです。一方、「根底に狂信的な尊皇思想を抱えながらの女系女子固執」というカルトといえば、生長の家がそうです。生長の家は小林よしのり一派の支持母体になっています。

男系か女系かを巡る右派論壇の皇位継承論争は、生長の家の分裂が絡んでいます。大須賀はそのことにも触れたらどうですか。

統一教会が男系天皇支持を表明しているのは、生長の家から分派した谷口雅春派(日本青年協議会、日本会議など)と組んでいるからです。統一教会はその国の右派に擬態するのがうまいから、日本では谷口雅春主義者たちと組んで日本風の右派を演じているだけですよ。

大須賀は、「統一協会による選挙支援が「トリクルダウン」した先が「NHK党」」であることに触れています。しかし、小林よしのりが支持している参政党も統一教会と関係があるという事実には触れていません。参政党の神谷代表は統一教会とも付き合いがありますよ。

結局、大須賀による統一教会批判・勝共連合批判は底が浅いものでしかありません。小林一派が生長の家とつながりがあるということを隠すために、中途半端な形で統一教会批判をして「私たちはカルトじゃない」という芝居をしているだけです。

大須賀が統一教会批判を本気でするのなら、師匠の小林がかつては統一教会の別働隊だったことにも触れるべきです。また、最近の小林は、統一教会と付き合いのある人が党首をやっている政党を支持しています。大須賀はそのことが気にならないのでしょうか。
大林わるのり
2025年07月31日 14:24
参政党の松田学参院議員は、統一教会系メディア世界日報社のViewpoint公式チャンネル「パトリオットTV」に出演していたことがありました。

コロナ脳から脱し免疫力向上を 松田学氏に聞く 【パトリオットTV:080】
https://www.youtube.com/watch?v=nBLbAOzAmBw

参政党は神谷宗幣代表だけではなく、松田学参院議員も統一教会と付き合いがあったようです。

そういえば小林よしのりは、安倍元首相暗殺後は統一教会を熱心に批判していましたね。では、小林に参政党と統一教会の関係を批判してもらいたいものですが……。

残念ながら、小林は参政党と統一教会の関係について触れようとしていません。それどころか、小林は参政党支持を表明しているようです。何しろ、小林はネトウヨのような言いまわしで参政党を擁護する始末です。

9月7日(日曜)の「ゴー宣DOJO」は「政局と愛子天皇」森暢平氏ゲスト出演。
https://www.gosen-dojo.com/blog/56409/
>「リベラル」や「中道」なんて立ち位置は、もはや消滅するのが宿命ではないのか?
>参政党へのバッシングは、リベラル・サヨクの最後の断末魔なのかもしれない。

いえいえ、参政党は警戒されて当然ですよ。宗教右翼との癒着、陰謀論や似非科学への傾倒、排外主義による極右ポピュリズムなど多くの問題を抱えてる政党だからからです。

正義の側をバッシングしているのは悪の側である「リベラル・サヨク」という決めつけは、右派時代の小林がよくやる手口でした。小林ら右派による「リベラル=悪」「サヨク=悪」というレッテル貼りは、日本の世論の右傾化を促進させることにつながりました。

ちなみに、統一教会といえば反共主義が理念であり、右派時代の小林も反左翼を熱心に主張していました。小林が参加していたつくる会は勝共文化人が幹部をやっていたことがありますし、小林の『沖縄論』の案内役でゴー宣道場の元師範だった人も「世界日報」系文化人でしたね。

小林は反統一教会だったくせに、参政党と統一教会との関係を批判する様子は今のところありません。右派文化人だったころと同じく、小林はまたしても統一教会への批判をトーンダウンさせてしまったのでしょうか。
大林わるのり
2025年07月25日 14:14
小林よしのりが、参院選で躍進した参政党にごまをすり始めました。

参政党を馬鹿にしちゃいけない。
https://www.gosen-dojo.com/blog/56273/

山尾志桜里の公認を認めなかった国民民主党憎しから、参政党ヨイショまで振り切ってしまうのが小林です。いつも通り極端から極端にぶれています。

参政党は小林の言う「ネト極右」そのものですし、党首の神谷は小林が批判する統一教会とも関係がある人間です。参政党や神谷にすり寄れる時点で、小林による「ネト極右」批判も統一教会批判も底が浅いものなのです。

小林は神谷に対し、自分の思想と似ているところがあることを認めています。神谷は小林の『戦争論』を読んでいたことがあり、「大東亜戦争」という単語を人前で使える人間だからです。また、反グローバリズムを主張している右派という立場でも小林と神谷は共通しています。

結局、小林は『戦争論』の歴史観を否定していないし、右派文化人時代のころの主張も捨てきれていないのです。神谷も『戦争論』の影響で今のようになったならば、ネトウヨの教祖となった小林の罪は実に大きいですね。

歴史観や思想が近いというだけで、山尾下げをして神谷を持ち上げられる節操のなさは小林ならではです。小林にとって山尾は、自分の運動のために利用していた道具でしかなかったのでしょう。つくづく小林は薄情な人間ですね。

「参政党が「愛子天皇」を支持すれば、わしは参政党を支持するかもしれない」
と小林は寝ぼけたことを言っていますが、さすがに参政党が愛子天皇を支持することはほぼあり得ないでしょう。

参政党が愛子天皇支持を表明するのは、選挙で自分たちに投票した右派系の支持層に対する裏切り行為になってしまいますよ。自分たちの支持層を敵に回す真似をしでかすのは、国政政党にとっては自殺行為でしかありません。

「神谷党首が「愛子天皇支持」と言えば、圧倒的多数の大衆の支持を得て、一気に政権を取れる政党にのし上がれる」
と小林は言っていますが、まさに現実が見えていないたわごとです。

山尾志桜里は女性天皇支持を公約の柱に掲げて戦ったのに、泡沫候補として落選したではありませんか。小林は愛子天皇支持にこだわるあまり、政治を見る目が曇っているのです。

参政党をヨイショする小林の駄文を読んだ私の感想は、「この人は自分のやったことを全然反省していないな」です。『戦争論』の歴史観を捨てられず、宗教右翼の息のかかった極右にも媚びを売れる小林の体質は相変わらずのようです。小林は今もネトウヨの教祖のままでした。
大林わるのり
2025年07月22日 12:16
小林よしのりは、西部邁との対談本『本日の雑談』で「大川隆法の歴史観とわしの歴史観は近い」と言っていました。幸福の科学の教祖である大川隆法が大東亜戦争肯定論を唱えていることに対して、小林は共感をしていたようです。

小林よしのりと大川隆法には、渡部昇一が書いたトンデモ本を読んで近現代史を学んだという共通点があります。

大川隆法は東大在学中から一貫して、渡部昇一の著書に深い影響を受けて続けてきました。渡部の著書の愛読者であった大川は、幸福の科学の教祖になってから対談を行ったことさえあります。

小林の『戦争論』の参考文献であった渡部昇一の『かくて昭和史は甦る』を、おそらく大川も読んだのでしょう。大川が大東亜戦争肯定論を支持しているのは、渡部の著書で歴史の勉強をしたおかげなのです。

小林よしのりと大川隆法にはもう一つ共通点があります。それは生長の家に影響を受けているということです。

小林よしのりが参加していた新しい歴史教科書をつくる会は、日本会議を支持母体としていました。日本会議を作ったのは、谷口雅春以来の右派路線を支持する旧生長の家人脈です。

右派時代の小林の主張である大東亜戦争肯定論や堕胎に対する批判は、谷口雅春の主張とも重なっていました。

小林がゴー宣道場を作ってからは、生長の家の関係者が運動に関わるようになりました。生長の家は女系天皇支持を表明していますが、同じく小林も女系天皇支持を唱えています。

一方、大川隆法(本名は中川隆)の宗教遍歴は、彼の父親であった善川三朗(本名は中川忠義)の影響を受けています。中川忠義は若いころは共産党員でしたが、後に思想的に転向して生長の家の信者となりました。さらに、彼は生長の家をやめた後はGLAの信者になっています。

中川親子(善川三朗と大川隆法)が始めた幸福の科学は、生長の家とGLAの教義を足して二で割って成り立っているのです。生長の家的なニューソートや右派路線と、GLA的なスピリチュアル路線を組み合わせたのが幸福の科学の教えの特徴です。

ちなみに、小林のゴー宣道場で師範を務めたことがある有本香は、幸福の科学の映画「神秘の法」と「ファイナル・ジャッジメント」に対して推薦文を書いていたことがありましたね。

小林よしのりと大川隆法には、渡部昇一の本で歴史観を学んだことと、生長の家との関係という二つの共通点があります。渡部昇一に影響を受けていることでも、生長の家に影響を受けていることでも、両方の意味でも小林と大川はアウトですけどね。
大林わるのり
2025年07月16日 12:45
小林よしのりと西部邁の対談本『本日の雑談』によると、西部は幸福の科学を「似非科学」と言ったことを同教団の関係者に謝罪していました。そして、彼によるリップサービスなのか幸福の科学の教えに対して部分的に褒めていました。

まあ、過去の西部はオウム真理教を擁護しただけではなく、幸福の科学に対してもどことなく甘い態度をとっていたようですね。

「たとえば『幸福の科学』の大川隆法氏という教祖が、東京ドームに五万人の信者を集めて『私はエル・カンターレである』と叫んだ。エル・カンターレとは宇宙の最高神につながる霊的存在ということであろう。これを聞いて、世人は異様を感じ、加えて大川氏が『十年内外のうちに日本人のすべてを信者にしてみせる』というに至り、ついに『そんな言い方はファッシストのものだ』と反発するに至った。しかしこの反発の方が異常なのである。『幸福の科学』は宗教団体であり、それゆえ通常の宗教団体と同じく彼らの信心の中心には『世界の救済』というテーゼが含まれている。つまり宗教上の論理的必然として日本人のみならず全世界の人間をすべて信者にしてみせるべく彼らは努めるのであり、彼らからみればその務めができるだけ早く成就するに越したことはないのである。宗教者のこの種の言動を否定することはほとんどの宗教そのものを否定することと同じことである。だが世論を見遣ると、一端のインテリを気取っている連中が大川氏にたいして全体主義者のレッテルを貼って得心している」(西部邁『人間論』PHP文庫、167~168ページ、1996年)

西部は、「もちろん私にしても『私はエル・カンターレである』と大川氏が叫ぶことについて少々の気味の悪さを感じる」と言っています。しかし、西部による全体的な論調は幸福の科学に同情的であり、同教団を警戒する世論を批判しているのです。

西部邁がそうですが、右派の言論人たちは新興宗教に対して甘い態度をとっている人が多いのですよ。右派の政治運動の支持母体は宗教右翼勢力であり、右派の言論人は宗教右翼の組織票に頼って言論活動をしている、という裏の事情があるから無理もありません。

または、右派の文化人たちが支持している右派系の政治家たちが実は新興宗教とべったりだった、という裏の事情があることも無視できません。例えば、西部邁は中曽根康弘の御用学者でしたが、中曽根は統一教会による合同結婚式に祝電を送ったことがありました。

西部邁の盟友だった小林よしのりも、宗教右翼の組織票に頼って言論活動をしていました。小林の著書『戦争論』は、宗教右翼勢力を支持母体とした歴史教科書運動に彼が参加していたころにベストセラーとなっています。

『本日の雑談』で西部邁が幸福の科学に好意的だったのも、小林よしのりが西部の発言に同調したことも、右派の人たちの裏の事情を知ってしまった今なら納得がいきます。
大林わるのり
2025年07月15日 12:41
小林よしのりの盟友でブレーンとなった西部邁は、オウム事件が起きる前は、オウム真理教に同情的な主張を著書に書いていたことがあります。

「たとえば、『オウム真理教』の信徒たちの両親が『子供たちが家出した』と訴えているのは、その子供たちのほとんどが二十歳を越えており、また何を信教しそれをどう表現するかは個人の自由であると公的に認められているということを考えれば、実に奇妙な光景である。またその被害者団体の弁護士が行方不明になったことについて、世論は、何ひとつ証拠を示さないまま、『坂本弁護士はオウム真理教によって殺された』という言説を流している。さらに、国家権力がオウム真理教の修練場を潰すに当って、果たして正当な法的根拠に立っているのかどうか、大いに疑問のあるところである。世論の支持の下に警察権力が不法を犯させられているという可能性が十分にあるのである」(西部邁『人間論』PHP文庫、145ページ)

西部邁の著書『人間論』は、単行本は1992年に日本文芸社から出版され、文庫本は1996年にはPHP研究所から出版されました。

西部はオウムに対して同情的であり、教団を警戒していた信者たちの親や世論の声に対して批判的だったのです。西部邁がオウム真理教に甘かったことは、彼が中曽根康弘の御用学者をしていたことと並んで言論人としての人生の汚点と言っていいでしょう。

オウム事件が起きた後に『人間論』が文庫化された際は、オウムについて西部はいろいろ釈明の文章を加筆しています。西部は自分がオウムを擁護していたことを読者に謝罪すべきなのに、それをしなかったのです。

しかもオウム事件の後の西部は、教団を擁護していた過去を隠し、強硬な反オウムの立場を演じて乗り切りました。まさに、『はだしのゲン』に登場する鮫島伝次郎に匹敵する変節っぷリです。

小林よしのりが反オウムであるならば、西部が過去にオウムを擁護していたことを徹底批判すべきでした。しかし、オウムと戦っていたはずの小林は、オウムに甘かった西部と握手をして盟友にまでなりました。

小林は自分をチヤホヤする人間に対しては、相手がどんな立場であっても簡単になびく癖があるのです。

坂本弁護士一家行方不明事件の真相を探っていた弁護士たちによる入れ知恵のおかげや、教団との裁判沙汰で反オウムになったおかげで、結果的に小林の言論のやり方がうまくいっただけでした。

実際にオウムによる暗殺未遂が起きたこともあって、小林はゴー宣ファンたちによってヒーロー化されました。しかし、小林による反オウムの言論は、時流にうまく乗って人気取りをしていただけでした。だから、小林はオウムに甘かった西部と仲良しになることができたのです。

小林によるカルト批判の姿勢は実に底が浅いものでした。その結果、統一教会やオウムといったカルト宗教と戦っていたはずの小林は、歴史教科書運動を通じて自らがカルト宗教勢力の手先になり下がってしまったのです。
大林わるのり
2025年07月14日 13:02
小林よしのりが著書『新日本人に訊け!』(飛鳥新社、2011年)で対談したのは、石平、呉善花、鄭大均、ペマ・ギャルポ、ビル・トッテン、金美齢の6人です。このメンバーたちの中で、気になった人たちがいます。

石平は、2014年に「世界日報」の読者で作る「世日クラブ」で講演をしています。彼は、統一教会系の月刊誌『ビューポイント』に寄稿したこともあります。石平は、幸福の科学出版から著書を出版したこともあります。

呉善花は、2010年に「世日クラブ」で講演をしています(http://ameblo.jp/famiriy/entry-10681608511.html)。彼女は、生長の家系の雑誌『白鳩』に寄稿したことがありますし、日本教文社から著書を出版したこともあります。

ペマ・ギャルポは、統一教会の関連団体「世界戦略総合研究所」の評議員であり、同教団の関連団体「国際宗教自由連合(ICRF)」日本委員会の副委員長でもあります。彼は、「世日クラブ」で講演をしたこともありますし、『ビューポイント』に寄稿したこともあります。

また、ペマ・ギャルポは、日本青年協議会の機関紙『祖国と青年』1995年5月号に寄稿したことがあります。日本青年協議会は、生長の家では谷口雅春以来の右派路線を支持する人たちが作った団体です。彼は、2018年に幸福の科学系の団体「HS政経塾」でオープンセミナーを開催したこともあります。

右派文化人だったころの小林は、やっぱり勝共文化人たちとつるんでいたようですね。

小林は、叔母さん一家が統一教会のせいで家庭崩壊してしまったと知っていたにも関わらず、自らは統一教会の別働隊として言論活動をしていたのです。彼は、叔母さん一家に申し訳ないと思わないのでしょうか。