小林よしのりの虚勢ズム宣言
以前に冗談のつもりで、動画再生数について、宇宙の地上げ屋フリーザさまの戦闘力530000を目指すなどと書きました。
しかし実際にそこまで再生されるわきゃないと思っていたわけですよ。
しかし、驚くなかれ。なんといつの間にかに、ゆっくり反応集の再生回数が既にフリーザさまの第1形態の戦闘力を超えているではないですか!
https://youtu.be/Uagkx-N8tNc?si=Vufj9F66AgLAsC2l
こりゃ早く次の反応集も作らなきゃいけないわけですが、なかなかどうしてそれも色々と難しいので、とりあえず新たにショート動画をアップしましたので、どうぞご覧ください。
↓
https://youtube.com/shorts/zEHSvTqnz0g?si=FuUuxzdwL-Fk7kKE
さて、ちょっと個人的なお話をさせていただきますが、今日は朝っぱらから大宮の映画館で「桐島です」という日本映画を観てきました。
1970年代の連続企業爆破事件で指名手配されていた桐島聡を主人公にした創作で、なかなか面白い題材であり、また、実力派である毎熊克哉が主演ということもあり、それなりに楽しんだわけです。
がしかし、1970年代から1990年代というちょい昔の時代を描くには余りに小規模な予算でヤリクリしたのか、正直チャチな作りで、あの当時の時代の空気を辛うじて知っている身からしたら、時代考証に違和感を覚えてしまい、それが雑音になって、いちいち癇に障る野郎だと思わざるを得なかったというのが正直な感想です。
さて、それと同じように、平成初期、1990年代のことを当時の空気を知らない世代に語ることはなかなか骨の折れる作業です。
驚くのは当時すでに成人していた人でさえ、あの頃の風潮などをすっかり忘れて、今現在の感覚で「え? あの頃って、そんなんだったっけ?」などと頓狂な返しをしてきたりするから困ります。
でありますので、オウム事件が起きた30年前の世間の雰囲気やメディアの報道の仕方について、今や曖昧である人が圧倒的多数であることをいいことに、自分の都合の良いように歴史を改竄して語る不届きな輩が出てくるもので、実に嘆かわしいことであります。
その不届きな輩の中には当然のことながら小林よしのりもいて、隙あらば歴史を改竄しやがるので注意が肝要です。
1994年後期から1995年前期にかけてテレビのワイドショーではオウムネタが花盛りであり、有田芳生や江川紹子などのオウムウォッチャーが引っ張りだこであり、小林もその中の一人でありました。
しかし小林はテレビの生放送に緊張している為か、いつも番組側が求めていないクソ寒いオヤジギャグで狙いに行き、だだズベり、その言い訳をマンガで描いて誤魔化すというゲロみっともないザマを晒していました。
要するに、小林は世間の風潮に合わせてカルト宗教批判をする側についてワイドショーに出演をしていただけの話であり、それ以上でも以下でもありません。それを過小評価して叩くのは間違っていますが、過大評価するのも違います。
そこをしっかり踏まえた上で、大林わるのりさんの批評を読んでみましょう。
《小林よしのりの言論の手口といえば、論敵はルサンチマンを抱えているという人格攻撃です。彼が唱える論敵のルサンチマン説は、おそらくニーチェの思想から拝借したのでしょう。
旧ゴー宣時代のころの小林は、「ジェラシッ子パーク」という造語を使って批判者を罵倒していました。
「わしは漫画家なのに、言論に挑戦した本がベストセラー化して社会的な影響力がある。だから、文化人たちはわしを妬んでいるんだ」
というのがゴー宣での小林による論法でした。
ゴー宣が売れていたころは、小林によるこの論法でファンたちを騙すことは可能でした。恥ずかしながら、かつての私も騙されていた人間の一人です。小林は昔から、批判者を藁人形論法で罵倒していただけの卑怯者でした。
「本がこんなに売れているから、わしは他の言論人よりも強者で偉い。わしは売れているから正しい」
という小林の論法は、単なる商業主義やポピュリズムの正当化でしかありません。そういえば、小林が好きだった2010年代のAKB48だってファンがやたらとCDの売上を誇っていましたね。
ゴー宣から社会問題や思想に興味を持った人もいるでしょう。ただしゴー宣ファンであっても、勉強をして自分の頭でものを考えるようになったら、小林の言説に違和感を持つことは避けられません。
論敵は自分に嫉妬をしているというプロパガンダは、何も知らない読者を騙すには有効です。しかし、読者が勉強をして自分の頭でものを考えるようになると、このプロパガンダは説得力を失います。
それどころか、本が売れなくなって社会的影響力が落ちてからの小林が、論敵は自分に嫉妬していると決めつけて勝ち誇ったところで説得力はありません。
今思えば、論敵はルサンチマンを抱えているという小林の藁人形論法は、劣等感まみれで生きてきた自分自身の投影だったのでしょうね。
子供のころに相撲大会で負けたこともそうですし、高校時代に不良たちから見くびられたこともそうですし、最終学歴でこじらせたこともそうですし、画力が上達しなかったこともそうですし、高尚な作品を作れず、下品な作品と馬鹿にされていたこともそうですし、知識人と議論で勝てないこともそうでしょう。
あの『東大一直線』だって、小林が学歴コンプレックスを抱えていたから生まれた作品と言えましょう。『東大一直線』の東大通は、落ちこぼれのくせに自分を秀才と勘違いし、強い思い込みによって周りを巻き込んでいきます。
『東大一直線』の東大通と、ゴー宣の主人公「よしりん」を演じる小林はある意味で似ています。小林は劣等感まみれな人間のくせに、自分は天才漫画家で論破王と無理やり思い込もうとしているのですからね。
ゴー宣での小林によるマッチョイズムは、劣等感の裏返しから来るものでした。顔のつくりを気にしているから自分を美男子に描き、女にもてないからモテモテ自慢をし、歌が下手だから歌ウマ自慢をし、身長が低いから人前ではシークレットブーツを履いていたのです。
劣等感まみれであった小林は、右傾化してからは自民族中心主義的な大きな物語にすがりました。ネトウヨによる偏狭なナショナリズムが、実は自らの劣等感の裏返しから来ていることと同じです。
結局小林は、自らの劣等感を相対化することができず、ルサンチマンを抱えながら老年期を迎えました。しかも、ゴー宣の架空の強者キャラ「よしりん」を演じているうちに、小林は等身大の自分が見えなくなったのです。
初期のゴー宣で個の確立の必要性をあれほど訴えていた小林は、最終的には個の確立に失敗してしまいました。
劣等感を抱えた臆病者のくせに虚勢を張ることこそが、小林による傲慢の実態でした。ゴーマニズムの正体は虚勢ズムだったのです。》(大林わるのりさん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/516299322.html
虚勢ズムといえば、小林は人前に出る時にハイブランドを着てみせていますが、不思議なことにジャケットやシャツにはこれ見よがしにブランドのロゴが大きく印刷されているものを着ていて、誰がどこから見てもどのブランドか分かるものばかりを愛用しています。
一般常識ではなるべくブランドのロゴは控えめなものを選んで、さりげなくハイブランドを着こなすものでしょうが、どうやら小林は自分がハイブランドを着ているということを周囲にアピールしたいようです。
ダッサ!
なにしろ選挙の応援演説という、それだけでもなかなかに恥ずかしい行為の時に、スニーカーのベロをズボンの裾から出して、「わしはプラダのズックを履いてるけんね!」とブランド名を強調する心の貧しさに思わず失笑してしまいます。
まさに虚勢。これぞ虚勢。
小林よしのりの虚勢ズム宣言!
「木を見て森を見ない」揚げ足取りか、怜悧な分析か - 脱イボナメクジ宣言
小林よしりんの学歴コンプ癖とマザコン性 - 脱イボナメクジ宣言
鳥山明氏の訃報を茶化す小林よしのりPart.101 - 脱イボナメクジ宣言
「茶化し」や「冷やかし」を芸風にして売れた小林よしりん - 脱イボナメクジ宣言
この記事へのコメント
東アジア反日武装戦線、狼、大地の牙、さそりのグループで構成されていた。
このうち狼が関与した三菱重工爆破事件では、8人を殺害、376人を負傷させ、後に大地の牙、さそりグループが合流しました。
桐島聡はこのうち、さそりのメンバー。さて、三菱重工爆破事件で出された犯行声明を紹介すると
一九七四年八月三〇日三菱爆破=ダイヤモンド作戦を決行したのは、東アジア反日武装戦線“狼”である。
三菱は、旧植民地主義時代から現在に至るまで、一貫して日帝中枢として機能し、商売の仮面の陰で死肉をくらう日帝の大黒柱である。
今回のダイヤモンド作戦は、三菱をボスとする日帝の侵略企業・植民者に対する攻撃である。“狼”の爆弾に依り、爆死し、あるいは負傷した人間は、『同じ労働者』でも『無関係の一般市民』でもない。彼らは、日帝中枢に寄生し、植民地主義に参画し、植民地人民の血で肥え太る植民者である。
“狼”は、日帝中枢地区を間断なき戦場と化す。戦死を恐れぬ日帝の寄生虫以外は速やかに同地区より撤退せよ。
“狼”は、日帝本国内、及び世界の反日帝闘争に起ち上がっている人民に依拠し、日帝の政治・経済の中枢部を徐々に侵食し、破壊する。また『新大東亜共栄圏』に向かって再び策動する帝国主義者=植民地主義者を処刑する。
最後に三菱をボスとする日帝の侵略企業・植民者に警告する。
海外での活動を全て停止せよ。海外資産を整理し、『発展途上国』に於ける資産は全て放棄せよ。
この警告に従うことが、これ以上に戦死者を増やさぬ唯一の道である。
抜粋すると、植民地人民の血で肥え太る植民者、日帝の寄生虫、いやはや公文式で国語を学ばないチンパンジーこと私でもおぞましく非道い内容だと思いますが…
https://gendai.media/articles/-/155324?page=3
この映画の脚本家、梶原阿貴のインタビューによると
桐島聡は実際は人を殺傷していないにもかかわらず、「三菱重工爆破事件」(75年)に関わった殺人犯として多くのマスコミが報道し、視聴者はそう誤解した。
梶原 わざとだとしか思えない。有名な事件を起こした凶悪犯人みたいに扱うことで、マスコミは“印象操作”をしています。私の父も「クリスマスツリー爆弾事件」(重軽傷が数名出た)の実行犯ではありません。
いやはや、凄いこと言われますね。このような犯行及び犯行声明を出すグループに参加する。しかも桐島聡は間組作業現場爆破への関与をほのめかしていましたよね。(1名重傷者が出ている)例えるなら、オウム真理教の後継団体に参加する事を一般的な人はどう見るのか?
https://x.com/washiotomokiti/status/1971703847593935237?t=3fDAb49L7pGNcgAXNcwP1A&s=19
このような脚本家の映画を楽しんできた。本もこのように読む。1970年代のマスコミ報道や世論等々も含めて、事実関係をもう少し確認してみるべきでは?
https://x.com/fxpcek/status/1646322259097980930?t=Ubx_tnLLRegGh6PmqYXb8g&s=19
こういった漫画を読んでなお道場に参加する。道場の批判をしようともその本質というべきものはやはり変わらないものなのですかね…
長くなるので今日はこのへんで。楽しんできた、事についての掘り下げもあるのですがまた後日。
虚弱体質だった小林少年は相撲大会に出たくなかったけど、周りから「あいつは逃げた」と思われるのが嫌だから、大会に出て負けることを選んだという話がそうです。
旧ゴー宣の1巻の「おこっちゃまくん」によると、虚弱児でガリガリの身体だった小林は、「もやし」や「黄金バット」といった不名誉な仇名を周りの子供たちからつけられていたことがありましたね。
子供のころの小林が、自分で漫画を作って同級生たちに見せていたのも、「仲間外れにされたくないから」という自己防衛のためでした。だから、小学生時代は虚弱児だったと散々言っていた小林が、『戦争論』で「小学生のころのわしはガキ大将だった」と自己紹介してきたのは唐突な感じがしました。
今思えば、『戦争論』で描かれたガキ大将エピソードや、「惨敗マンの復讐」とかのシーンは作り物っぽく感じてしまいます。小林はゴー宣で平気で自分を粉飾したり、話を盛ったりして虚勢を張る癖がある男ですからね。
もしかすると、小林のガキ大将エピソードや「惨敗マンの復讐」のシーンは、「自分が送りたかった過去」を彼が作中で描いた可能性があるかもしれません。虚弱児であった小林少年が相撲大会に嫌々参加して投げ飛ばされる様子は、どう見てもいじめられっ子のそれです。
小林は『戦争論』で、虚弱体質の自分が頑健な少年に相撲大会で投げ飛ばされる様子を、アメリカの軍艦に突っ込んでいく特攻隊の兵士になぞらえていました。
おそらく小林は、戦争中のころの旧日本軍や特攻隊員に対して、自分と同じような「いじめられっ子のマチズモ」を感じてシンパシーを抱いたのでしょう。「大日本帝国はアメリカという強国にいじめられている」と小林は思ったのでしょうね。
『戦争論』シリーズの歴史観は、「日本は周りの国際情勢に巻き込まれ、戦争へと追い込まれた」という受動史観です。小林が主張する受動史観は、日本を米ソや中国の「いじめ」に巻き込まれた被害者として描いている歴史観とも読めます。
つまり、小林史観で描かれた大日本帝国や旧日本軍は、「いじめられっ子のマチズモ」を体現した存在でもあるのです。
菅野完が小林の言論を「いじめられっ子のマチズモ」と言い表わしたことは、私にとってはいろいろ腑に落ちました。劣等感の裏返しで虚勢を張るという特徴も、逆張りを利用した反権威アピールも、弱者の味方を演じるパフォーマンスも、「いじめられっ子のマチズモ」という特徴に見事に当てはまっているからです。
小林よしのりのゴーマニズムの正体は、「いじめられっ子のマチズモ」でもありました。相撲大会で負け続けていた虚弱児の小林少年は、誰よりも強くなりたかったのでしょう。
その結果、小林は大人になってから虚勢を張り続ける人生を送るようになった上に、運動団体を作っていじめっ子集団のボスとなりました。これが惨敗マンの復讐だったとは、驚きだよ。悲しいことだよ。
しかし、右派時代の小林よしのりは、麻生太郎に対してはどちらかというと好意的な態度をとっていました。
新しい歴史教科書をつくる会に参加していたころの小林は、麻生太郎と会って意気投合していました。麻生は小林の『戦争論』を絶賛しており、この漫画を読むことを周りの国会議員たちに勧めていたそうです。自民党右派の政治家では、麻生もつくる会の運動に対して協力的でした。
麻生太郎は、若いころに日本青年会議所(JC)の会頭を務めたことがあります。JCといえばつくる会の運動の支援に熱心であり、当時の小林よしのりとも付き合いがありました。つくる会時代の小林の著書は、JCも組織票としてベストセラー化に貢献していたのかもしれません。小林と麻生のつながりは、JCを介したつながりとも言えるでしょう。
また、麻生太郎は日本会議国会議員懇談会では、第二代会長を務めたこともありました。麻生は現在でも日本会議と太いパイプを持っています。日本会議といえば、新しい歴史教科書をつくる会の有力な支持母体となった政治団体でもあります。小林と麻生のつながりは、日本会議の息のかかった人間同士のつながりという意味もありました。
さらに麻生太郎は、統一教会が関わる日韓トンネル研究会の顧問を務めたことがありました。一方、小林はつくる会では勝共文化人たちと共闘し、統一教会の別働隊と化していました。小林と麻生には、統一教会の別働隊という共通点もあったようです。
そもそも、小林や麻生と付き合いがあった日本会議は、結成者となった谷口雅春主義者の人たちが国際勝共連合と連携していましたからね。麻生はカトリックでありながら、日本の宗教右翼勢力に媚びていました。
2008年から09年の麻生政権のころは、小林は『わしズム』やゴー宣の欄外で麻生首相への支持を表明し、野党第一党の民主党を批判していました。麻生と付き合いがあった小林による政権支持は、権力者の茶坊主のような役割を果たしていました。
当時の小林は右派陣営では影響力を低下させつつあったものの、現在と違って、典型的な右派文化人としての立場を捨てていませんでした。麻生自民党を支持し、野党の民主党を批判するというのは、当時の日本の右派陣営ではテンプレ化した言説でした。
小林よしのりと麻生太郎には歴史教科書運動に協力していたという共通点があり、JCや宗教右翼ともつながっていたという共通点もありました。右派時代の小林よしのりによる麻生太郎への支持も、裏の背景を知った今では答え合わせができてしまいます。
誰かの本に感銘を受けてこれが正しいと思うのは私は一向に構わん。
だが、だったらその本の署名と著者名くらいは書けよってこと。
その説が正しい、正しくない以前の問題です。
記録を残すさんへ。現在の小林が支持母体にしている生長の家に配慮したからということになります。小林による女系天皇支持と万世一系の否定は、組織票である新興宗教の影響を受けて言っている意見に過ぎません。
ゴー宣DOJO(旧ゴー宣道場)には、生長の家の信者たちが潜り込んで活動してます。現在の生長の家は女系天皇支持を表明しており、小林もその意向を受けて動いているのです。
リベラル路線の生長の家谷口雅宣派(現執行部派)が女系天皇支持であり、右派路線の旧生長の家谷口雅春派(日本会議系)が男系天皇支持です。右派陣営の女系天皇支持と男系天皇支持を巡る対立は、生長の家の分裂による影響もあるのです。
女系天皇支持に凝り固まった小林が、男系天皇支持の参政党を支持できないのは仕方ないでしょう。ただし、その原因は生長の家分裂という宗教上の理由が絡んでいるのです。
ちなみに、神谷宗幣が影響を受けた高橋史朗は、大学時代のころから生長の家の活動家であり、勝共文化人でもありました。また、森友学園で籠池泰典の部下だったのが神谷です。籠池は日本会議の活動家でした。日本会議といえば旧生長の家系の谷口雅春派の人脈であり、男系天皇を支持しています。
日本会議は、新しい歴史教科書をつくる会の支持母体となりました。つくる会に参加していたころの小林は、高橋史朗や日本会議と共闘していました。
また、神谷宗幣は統一教会の会合に参加したこともありますし、ビューポイントの筆者でもありました。一方、小林も右派時代は統一教会の別働隊でした。つくる会には勝共文化人が幹部として参加していましたし、小林の元ブレーンでゴー宣道場師範だった宮城能彦は「世界日報」系文化人でもあります。
さらに、神谷宗幣がかつて理事を務めていたヤマト・ユダヤ友好協会は、キリストの幕屋の影響を受けています。一方、新しい歴史教科書をつくる会の各地の支部で、末端の活動家であったのがキリストの幕屋の信者たちでした。
9.11以降に反米化した小林は、つくる会支持母体だったキリストの幕屋と対立しました。小林にはキリストの幕屋との過去の遺恨があるから、同教団と近い参政党は憎いはずです。しかし、つくる会時代の小林のベストセラーは、キリストの幕屋によるまとめ買いのおかげでもありました。
参政党が、特定の新興宗教の影響を受けているというのはまさにその通りです。同党の人脈は、小林のつくる会時代の人脈とも重なっています。小林の右派時代の言説は、組織票である新興宗教の意向を受けていた事が分かります。
しかし、小林はゴー宣道場を結成してからは、別の形で新興宗教を組織票として頼っているのが現実です。
このへんをどう考えているのかなあ、というのが皆さんの小林叩きコメを見ていて、いつも不思議に感じるところです。
まあ、「ココは小林を叩いて楽しむための場所だからあえて触れないだけで、そんなことは百も承知だ」とおっしゃられるのかもしれませんが。
『嫌韓流』や「在特会」が出てきたときも小林は批判側にまわっていましたが、デマプロパガンダ漫画家の小林が、相対的にではあれ、「まとも」に見えてしまう状況や場面というものが現にあるわけです。
もちろん小林は、顎を突き出し胸を反らしながら批判ができるような立場の人間ではない。竹田らが「誰でも知っているまやかし」をネタに公的機関での講演やネットでの活動などを通じてメシを食う以上の豊かな収入を得られたり、杉田水脈のようなトンデモ発言やヘイト発言をくりかえす人間が自民党の政治家として活躍できたりする世の中をつくりだす地ならしに寄与したのは、小林でありゴー宣です。
自分がやってきたことへの検証もなしに、知識だけ借りてきて「誰でも知っているまやかし」を批判してみせたところで、話題にもならない、読まれもしないで終わるでしょう。
少し前に面白い報告を目にしました。杉田水脈の講演会に行ったところ、聴衆のなかに参政党あたりの主張に影響を受けたと思しき者が複数おり、その連中が在日外国人への対応などについて生ぬるいと杉田を糾弾していたというのです。それに対して杉田は「日本にいる外国人をすべて追い出せというのは現実的に不可能です」などとなだめるような形になって、相対的に「まとも」に見えてしまったそうです。
水は低きに流れる、というやつですね。
参政党といえば、党首の神谷宗幣はもともと「新しい歴史教科書をつくる会」で活動していた人物で、特に高橋史朗に傾倒しているとか。ということは当然、日本会議、統一教会、キリストの幕屋などとも関係があります。
参院選で10議席以上とるのではないかとも言われてますがどうなることやら。そして数年後には参政党の連中ですら相対的に「まとも」に見えてしまう連中が生まれていたりするのでしょうか。
小林は単体ではオワコンですが、小林のやらかしてきたことは確かに今現在に繫がっているようです。
やはり服装にもTPOが必要ということですね。
まあ、しかし、この方のほうが小林より100倍マシです。
小林は何があっても謝罪などしないでしょう。そもそも世の中が小林に何の関心も持ってないので炎上すらしないんですけどね。
こいつは大体~論などと偉そうに言ってますが、すべて他人の受け売りですからね。今の「神功皇后論」だってそうです。神功皇后が実在とか非実在とか、どっちも色んな人が言っています。それならば、この人はこう言っていると言う出典を示さねばなりません。それを漫画だからと省略して、さも自分が初めて考えたかのように言うのがオカシイし、あり得ないことです。
この人はこう、他の人はこう、で自分はこう考える、その際、新説の一つでも付け加えなければ論とは言えません。
「神功皇后論」第3回の最初のコマで「万世一系などはペテンだと愛子天皇論で解き明かした」などと偉そうに述べていますが、万世一系がまやかしであることくらい良識ある大人なら誰でも知っています。そんなことすら自分の功績にしたがる、まさに虚勢ズム宣言ですね。
>山尾さんの選挙運動が始まってから、広井とポカQは
>日常のまま、漫画制作に打ち込んでくれているが、
>あとのスタッフは、わしも含め、どっぷり選挙運動に
>嵌ってしまって、情報収集や情報交換や街頭演説の
応援に行ったりして、非日常を送っている。
https://www.gosen-dojo.com/blog/55663/
確か脱正義論で薬害エイズ運動をしている二十歳かそこいらの学生に対して、『運動のための運動をするな!日常に帰って現場を大事にするプロになれ!』と説教していませんでしたっけ?
今の小林は自身の仕事も現場も日常も全部放り投げて、選挙運動に溺れているようですが、当時の小林が今の小林を見たらなんて思うでしょうかね?
山尾は落選がほぼ確実な状況なのですから、その状況で彼女の選挙運動にのめり込むのは自己満足以外何があるのでしょうか?
三十年前の小林に日常に帰れ!現場を大事にしろ!と説教されるべきだと思うのは私だけでしょうか
大阪に来てエルネスト金さんと反差別やリンチ事件について【公論】して欲しいよ。
大阪じゃなくても埼玉でもいいよ、しばき隊の人たちとエルネスト金さんの行動や反差別について【公論】してもいいんだよ。いくら応援演説をしても口だけのヘタレだから誰も聞いてくれない。
いつも偉そうなことを言うのも『虚勢』かな。怖いお兄さんが小突いただけで借りた猫のようにおとなしくなるか、ビビって何も言えないのが解っているから。しばき隊の人と真正面で対話も公論できないのだから外の活動は無駄だよ。
コロナの時は中川淳一郎とか井上某などのキワモノと一緒に社会に逆張りするから、まともな人は寄り付かず誰にも相手にされないから、多少問題があっても菅野志桜里にしがみついて【参政党と同じでない】と人を騙すのかな。
どんどん小林の虚像が暴かれるのも誰のせいではなく自分の身から出た錆だよ。社会性は絶無で赤ちゃんレベルの知性しかないから、そんな人について行っても最後は廃人になって身近な人に迷惑をかけるか、生きづらくなって自殺するしかないけど、それでもついて行くの?
多分、時代のせいと言うだろうね。社会が小林よしのりを拒絶し始めたのも強権的で傲慢な態度で全方位に喧嘩を売ってるから。本当の敵は自分と気づいたときには廃人になって生きづらくなるけど、特濃も同じように集団自決すると思えば、そのような人を施設に強制入所させてよかったよ。
そうでなければ半グレに利用されるか、カルト団体を居場所にして色々な人に迷惑をかけるから。
それに小林を信じてこの掲示板に来るなら、大阪の鶴橋でエルネスト金さんや川口市で活動しているしばき隊の人たちと公論したらいいよ。
そうでないと小林は【自分は安全圏にいながら現場では活動できない】ヘタレであることは払拭できないから。
しかし、実際に老人となった今の小林はどうでしょうか。自分はまだ若いのだと思い込もうとし、老いに抗おうとしているようにしか見えません。
自分はまだ若いと思い込んでいるから、キンプリのヒット曲を歌ったことを自慢しているのだし、老いに抗おうとしているから、老人性イボを皮膚科で除去したりRIZAPに通ったりしているのです。
選挙の候補者の応援演説で小林が来ている服装のセンスを見て、私は目を疑いました。あまりにも若づくりをし過ぎており、70歳を過ぎた老人が着るべき服装には見えません。
派手なデザインのワイシャツにも違和感を感じました。コンサート会場に現れたロック歌手のような服装であり、年を取った文化人が着るべき渋い服装ではありません。このファッション自体が、小林には似合っていないのです。
小林のナルシシズムとかっこつけが目立ったファッションは、見事に裏目に出ています。年齢にもふさわしくないし、職業にもふさわしくないし、容姿にもふさわしくないのです。小林先生、あなたの今の容姿は、ゴー宣のイケメン主人公「よしりん」とは似ても似つかないのですよ。
小林は『戦争論』で国のために戦って死んだ兵士を讃え、命を賭けてでも守るべきものがあるかのように説いてきました。また、死生観を持つことの大切さを説き、生に執着する生き方を批判してきました。
しかし、自分はまだ若いのだと思い込み、老いに抗おうとしている小林の姿は生に執着する生き方の典型にしか見えません。
他人に死生観を持てと説いてきた小林は、自分自身に対する死生観は持っていないのでしょうね。それどころか彼には、命を賭けてでも守るべきものさえも持ち合わせていないのでしょう。
この応援演説を行っている老人となった彼の姿を見ているうちに、私は心の底から失望感を覚えました。
「少年時代のころに自分が誰よりも深く尊敬し、憧れを抱いていた人間の年を取った姿がこれか」
どうやら、小林は年の取り方を誤ってしまったようですね。