ジャンプ作家時代の小林よしのりの初期衝動
さて前回に引き続き、大林わるのりさんによる小林よしのり研究の成果を発表していきたいと思います。
今回は今からおよそ50年前に新人漫画賞を受賞して少年ジャンプでデビューを飾って以降についての分析です。
《そもそも小林はブレーンなしではまともにヒット作を生み出すことができません。
『ゴーマニズム宣言』はブレーンが存在した上で言論漫画として成り立っていましたし、『おぼっちゃまくん』もコロコロ編集者や初代秘書の末永氏の助言があったおかげでヒット作になれました。
『おぼっちゃまくん』が面白かった時期はコロコロコミックの担当編集者(特に久保雅一氏)や秘書の末永直海氏が小林のブレーンとして機能していた時期でもありますからね。末永氏の退職と『おぼっちゃまくん』の連載終了が連動しているのも気になります。
それにブレーンなしで描いた続編の『新・おぼっちゃまくん』の話の出来は言うまでもありません。
『ゴーマニズム宣言』が「ブレーンあってのゴー宣」であったように、『おぼっちゃまくん』も「ブレーンあっての茶魔」だったのが現実なのかもしれません。
そうであるならば、最初のヒット作である『東大一直線』も、ジャンプの編集者がブレーンの役割を果たしていたおかげでヒット作になることができた可能性が高い、と考えた方がいいのかもしれません。
小林のヒット作であるこの三作は、ブレーンの存在があってこそヒットできたというのが現実でしょう。打ち切りとなった『マル誅天罰研究会』や『次元冒険記』こそが、本来の小林の実力なのです。》(大林わるのりさん)
大林わるのりさんは小林についてデビュー当初から才能がないカスであったと分析されていますが、そこは私の認識とは違います。
確かにデビュー時の小林の画力はゲロが吐きそうになるほどヘタッピではあるものの、それを補って余りある初期衝動の魅力があったからこそ当時のジャンプ読者から支持されたのだと思います。
何の教養もなく、ギャグのセンスも他より見劣りしたとしても初期衝動だけは圧倒的であったのではないでしょうか。
小林の初期衝動(東大一直線)の批評について、ここで私が一席ぶつことも可能ではありますが、そんなものは誰も求めてはいないでしょうから割愛しますが、小林がデビュー当初からブレーンなしではマンガが描けなかったというのには私は首肯しかねます。
東大快進撃以降、ヒット作に恵まれずに集英社との専属契約を解消し、1986年まで鳴かず飛ばずの状態であったことについても私は揶揄するつもりはありません。
例え売れずともカルト作家としてのちのち再評価されるマンガ家だっているのですから、本当は小林もその道を歩めた筈だったのです。
70年代後期から80年代初頭にそれなりに売れた元ジャンプ作家が1986年にコロコロコミックで『おぼっちゃまくん』の連載を始めるというのは、普通に考えて都落ちと捉えてまず間違いありません。
今現在のコロコロの立ち位置と80年代のコロコロの立ち位置はだいぶ違うということを知らなければ、「コロコロで新連載なんてすげーじゃん!」と勘違いするZ世代がいるかもしれません。
なのでハッキリ言いますが、80年代の少年たちがコロコロを読む目的は大長編ドラえもん以外にはビックリマンやミニ四駆などのホビー情報収集以外にはありません。
ドラえもん以外の漫画をマジで心待ちにしている奴はかなり幼稚なヌケサクという認識でありました。
実際に「おぼっちゃまくん」はアニメ化してからハネたわけであり、そして1992年にアニメ放映が終了したら、マンガは一気に人気が低迷し、やたら新キャラなど投入したり設定の根幹をひっくり返したりと必死のテコ入れをするも焼け石に水で、明らかに打ち切りでしかない終わり方をしました。
最終回も描かせてはもらえずに完結したにも関わらず、今現在の小林はそのことについて、ネット配信で次のようなホラを吹いています。
https://youtube.com/shorts/1_i3G9YD-hM?si=D1NX98O8znjLnsH7
「おぼっちゃまくんがまだ人気がある時にゴー宣という新しい創作がバーンと人気がでたから、そっちに移った」と小林は説明していますが、信者以外の誰がそんな虚言を信じてくれると思っているのでしょうか。
《ブレーンなしではヒット作すら作れなかったくせに、世界的漫画家として認められている鳥山明氏を一方的に妬んで中傷するとは漫画家としても言論人としても人間としてもみっともない存在になり果ててしまったようですね。
https://youtube.com/shorts/2ZxCChNyMcE?si=N2LrAxpaVjsMb_2N
小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』は初期の人脈の関わりも検証する必要がありそうです。
小林の初期ゴー宣のブレーンといえば何度も作中に登場した評論家の呉智英です。
儒教思想に影響を受けた呉智英は、反近代的な封建主義者を称し、民主主義や人権を否定していました。呉による左翼や戦後民主主義への批判は、冷笑的な視点からの突っ込みで成り立っていました。
https://x.com/kanose/status/1092244860407492609?s=46&t=KtUK2XEOGqno6mJtKNAi8A
現在の小林は儒教思想には批判的ですが、近代的な人権を否定するという点では呉智英と共通しています。
呉智英の思想的な弟子は浅羽通明や大月隆寛であり、この2人も小林の初期ゴー宣のブレーンでした。浅羽や大月も、思想的には反左翼で戦後民主主義批判の立場に立つ文化人でした。『脱正義論』での小林の運動批判や日常へ帰れの言説は、ブレーンとなった浅羽や大月の影響もあります。
大月は小林のゴー宣を「竹やりで戦う思想村に核弾頭を持ち込んだ」と賞賛しました。ゴー宣に対する大月のこのおべっかは、小林を勘違いさせて増長させる一因となった罪深い発言です。
呉智英・浅羽通明・大月隆寛の共通点は、『宝島』系人脈の文化人であるということです。JICC出版局(現・宝島社)が発行する『別冊宝島』で、主要な論客として活躍していたのがこの3人です。呉や浅羽は、『宝島30』での寄稿者の一人でもありました。浅羽通明や大月隆寛を評論家として育てたのが、担当編集者の町山智浩でした。
町山智浩は、『別冊宝島』『宝島30』に編集者として深く関わりました。『別冊宝島』『宝島30』はタブーに切り込むというポーズをとりながら、冷笑的な立場で左翼批判を行っていた雑誌です。呉智英・浅羽通明・大月隆寛による冷笑的な言論も、『宝島』系の雑誌で育まれました。
一方、小林よしのりも『宝島』系人脈の文化人でした。
小林のエッセイ漫画である「おこっちゃまくん」は、1989年から91年に『月刊宝島』で連載されていました。『宝島30』は、1994年に小林よしのりと石原慎太郎の対談を実現させています。この対談には、編集者の町山智浩も同席していました。『宝島30』がオウム事件を特集していたころは、小林が雑誌に登場していたこともあります。小林は同誌で「よしりん昔話」を連載していたことがありました。
『宝島』系雑誌が育てた呉智英人脈は、小林に思想的に深い影響を与えました。右傾化前の小林によるサヨク批判や市民運動批判の理論的なバックボーンとなったのは彼らです。小林が後に右傾化していくきっかけとして、彼らの思想的な影響を無視することはできません。
サブカルチャーに影響を受けたオタクが冷笑的なネトウヨになったのは、小林や2ちゃんねるの影響があると同時に、『宝島』系雑誌の影響や呉智英人脈の影響もあるのです。
現在の町山智浩が右派やネトウヨを批判するようになったのは、かつての自分の仕事がネトウヨの発生や社会の右傾化につながったことへの罪滅ぼしなのかもしれませんね。》(大林わるのりさん)
この宝島文化の功罪についてはなかなか芯を突いていて、納得しかありません。このあたりの分析については私もnoteの方に記事を纏めたい気分になるほどです。
《『新宝島』が売れていたころの手塚治虫が、横井福次郎に出会った時のエピソードは印象深いものでした。
『新宝島』を読んだ横井は、手塚の才能を認めつつも厳しい忠告を行いました。「読者の心が豊かになるような作品を描くべきだ」と横井は手塚に言ったのです。尊敬する先輩からの厳しい批判にショックを受けたことは、手塚の漫画家人生の転機の一つとなりました。
「読者の心が豊かになるような作品を描くべきだ」という横井の忠告を手塚が聞いていなかったら、後年の数々の名作は生まれなかったでしょうし、漫画の神様として歴史に名前を残すこともなかったでしょう。
先輩からの忠告を聞いて変わることができた手塚と比べると、小林よしのりの漫画家としての態度は対照的なものでした。
『おぼっちゃまくん』が小学館漫画賞をもらった時の、授賞式での小林の挨拶がそうです。小林は、審査委員から『おぼっちゃまくん』を「下品な漫画」と酷評されたことに腹を立て、居直ったような態度を取りました。
ゴー宣の愛読者だったころの少年時代の私は、このエピソードでの小林をかっこいいと思っていました。自分の作品に誇りを持ち、プロの漫画家として上からの圧力や権威に屈しない反骨の人であると。しかし今の私は、この時の小林の態度には問題があったと思っています。
「この人は昔から、他人からの忠告や批判を受け入れず、反省や改善ができない人だったんだな」
というのが、小学館漫画賞の授賞式での小林に対する現在の私の評価です。
当然ながら今の私は、この挨拶での小林にはかっこよさを感じなくなりました。
小学館漫画賞を授賞したころの小林には、『おぼっちゃまくん』がヒットしていたことに対する驕りがあったのでしょう。それに、PTAや教師や大人たちから作品が批判されていることを、内心では根に持っていてもおかしくありません。
そういったことも重なって、授賞式での挨拶の態度につながったのかもしれません。
審査委員による『おぼっちゃまくん』への酷評は、「読者の心が豊かになるような作品を描くべきだ」という意味にも取れます。横井福次郎が若き日の手塚治虫に対して行った忠告にも通じるのです。自身の作品に対する忠告を聞いたのが手塚であり、聞かなかったのが小林でした。
その後の小林が漫画家としてどうなったかは、言うまでもありません。
彼は読者の心が豊かになるような深い作品を生み出すことはできませんでした。しかも言論以外での漫画ではヒット作を生み出せず、時代遅れな漫画家となっていきました。
作品を批判された時の手塚治虫の態度と、小林よしのりの態度は正反対なものでした。
絶頂期のころの小林の驕りと居直りの態度は、後年の漫画家としての転落のきっかけであったのかもしれません。》(大林わるのりさん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/515205296.html
この記事へのコメント
小林、ゆでたまご、新沢、うすたの初期の絵柄は中学生の落書きレベルでした。松井の『魔人探偵脳噛ネウロ』に至っては、作中では登場人物の右手と左手の描き間違いが目立っていました。
小林と同じくゆでたまご、新沢、うすた、松井のデビュー作も画力は壊滅的でしたが、初期衝動はどの作品よりも強かったと言えます。絵が下手だけど個性があって初期衝動が強い作風の人を時にはデビューさせるというのは、ジャンプの特色だったのかもしれません。
小林がジャンプでデビューできたのは、同誌の特色のおかげでもあったし、運が良かったおかげとも言えます。そもそも、ジャンプ以外の雑誌で小林がデビューすることができたかというと疑問を感じます。
小林の画力や作風でもデビューできたのは、ジャンプ以外では『月刊漫画ガロ』が関の山だったでしょうね。『わしズム』での座談会でみうらじゅんは、小林の『東大一直線』の画力をガロのレベルと評していました。
小林の自己紹介では、自分は小さいころから漫画家になる目標を持っていて、少年時代のうちから人生設計ができていたことを強調しています。彼は自分の実力を過信していて、あまりにも身の程知らずです。
漫画家になるという夢を持っていただけで人生設計ができていたと自慢するのは、世間知らずの極みです。漫画家になる目標があっても、小林のように実際に漫画家になれる人は本当にごくわずかです。
そもそも小林が漫画家としてデビューできたのは、彼が天才だったおかげではありません。ジャンプという雑誌が、絵が下手でも個性派で初期衝動がある人をデビューさせることがたまにあったおかげなのです。
「漫画家になれたのは人生設計がしっかりしていたからでも、天才だったからでもない。自分は運が良かったに過ぎない」
という事実を小林は思い知るべきです。小林は天才気取りをする前に、自らの身の丈を知る必要があります。
【戦争論】や【コロナ論】で人生を変えられた人がいるから通用しません。ケンカニズム宣言のおかげでしばき隊まで生み出した事実を見つめないと問題は解決しないよ。
あのリンチ事件だって起きるべきにして起きたのだけど、それに対する真相究明はどうしたの?真実を知るのが好きでしょ。
僕には関係ないって逃げるの?
自分は在特会やしばき隊と関係ないと言えるの?
私は君たちとしばき隊は似ているところがあると思うね。リシネが指示を出して凡が煽って主水をしばいたエルネスト金と。
本当ならエルネスト金が全部吐いてリシネや野間、伊藤の責任追及をするのが君たちの言う【個】なんじゃないの?それについても公論したらどうなの、こんなところでオーナーに文句を言っても一緒だよ。
このサイトを見たら君達は【エル金はお友達】と主水さんを孤立させたしばき隊や男組と同じだね。それでも僕は関係ないと逃げるわけ?
コロナの時には【畜群】とか【村社会が問題だ】と言っても反差別のムラ社会はスルーしていいの?そんなのでは世論は動きません。
こんなこともわからない知性レベルだから専門家の人はまともに相手にしません。私の知り合いがケンカニズムで陰謀論にハマって家族崩壊したけど、君たちにとっては他人事だから、他の人の家系や血筋に口出しする資格はありません。
暇だったら、仕事やゲームにそのエネルギーを使ってください、迷惑ですから。
本当おかしいね【プロの誇り】と言いながら実は暇人で、そんなものすらなかったのだから。
大阪でイベントやっているなら鶴橋に行ってエルネスト金さんにリンチ事件についてお得意の【公論】とやらをやればいいのに。
覚悟とかそんな強い言葉を使っているけど、ただの煽りでしかないから玉川徹に対して『恐怖煽り』と言ってるけど、戦争への道に進ませた自分はどうなの?本当、おぼっちゃまくんも下品だけど、ゴーマニズムからますます下品になってます。反知性のケンカニズム宣言だね。
コロナの時は優生思想で陰謀論を撒き散らしているから参政党と同じで、そのような陰謀論者ほど関わりを否定して『僕は関係ない』と逃げてるから話にならないし、専門家の人たちが相手にしないのは当然だよ。
本当に良かった、小林の信者だった僕の知り合いを授産施設に強制入所させて。人権侵害だけど、そうでもしなかったら彼だけではなく家族も孤立して不幸になっていたよ。これについて文句は言えないよね、だって大東亜戦争肯定論は【結果主義だ】と戦争論で書いてしまったから。
「自分はヘイト本の内容など信じていないし、どうでもいい。ただそういう内容を欲している人間がどの位いるというのを分析して、そこに欲しがってる内容を投げてやる、計算でヒットさせてるだけ」
「金儲け」という観点から評価するなら、こういう人物も「優秀な編集者」「優秀なブレーン」ということになるのでしょう。
「小林よしのりブレーンに頼り切り」論者たちは、「『戦争論』の頃は優秀なブレーンがいた、そこから凋落していったのは優秀なブレーンがいなくなったから」と主張しているが、右傾化して歴史修正主義に墜ちて以降のゴー宣は『戦争論』時点でデマまみれなのだから、「凋落」というのは内容ではなく売り上げを指してのもので、やはり評価軸は金儲けなのだろう。
対して私が指摘してるのは、そりゃ売り上げは大事ですが、デマやヘイトを許容するのは問題でしょう、本当に「優秀なブレーン」なら著者にそれを許さないと思いますけどね、ファクトチェックなどでそれらをはじくのが「優秀なブレーン」の役割なんじゃないすか?ということ。
「ヒットさえすればデマもヘイトもなんでもござれ」という人を「優秀なブレーン」と評することに何の意味があるのか、マジで教えて欲しい。
むしろ社会にとって害悪にしかならないんじゃねえの、というのが素朴な感想です。
問題は、小林の代表作となった『戦争論』の悪影響が大きすぎたということです。右派文化人や歴修正主義者の言説を、漫画というメディアを使って分かりやすく読者に伝えた作品が『戦争論』なのです。
小林が所属していた「新しい歴史教科書をつくる会」は、宗教右翼が支持母体でした。『戦争論』は、宗教右翼のまとめ買いのおかげでベストセラーとなりました。また、当時の小林の絵や言葉は、今と違って読者を引きつける力があったことも事実です。
『戦争論』で作られた言説のフォーマットは、ネトウヨたちの言説の元となりました。小林よしのりがネトウヨの教祖となったのは、本人がどんなに言い訳しても消すことのできない事実です。
「勝ってる戦争はカッコいいぞ!」とまで発言し、勝ち戦ばかり経験した軍人のエピソードを描いたり、特攻隊を英雄化したりした時点で「戦争を美化している」と批判されても仕方ないでしょう。
日本軍の大多数の兵士は、飢餓や栄養失調で死んでいるのです。高村武人さんの武勇伝は、あくまでもレアケースでしかありません。特攻隊員に覚醒剤が処方されていたことも事実です。英霊として美化された人たちの大半は、悲惨な無念の死を遂げているのです。
古代ギリシャのポリスの市民と、大日本帝国の特攻隊を同一視し「市民になれ」と発言したことも問題です。両者は国家体制が違うし、そもそも例えがおかしいです。民主国家で自発的に戦ったポリスの市民と、全体主義国家でほぼ強制だった大日本帝国の特攻隊を同一視するのは間違っています。
そもそも、大日本帝国が国策を誤ったために、多くの犠牲者を出した上に国家の滅亡をもたらしたのです。明治維新で変革をした日本は、生き延びるために帝国主義の道を選びました。遅れてきた帝国主義国家となったことにより、日本はアジアに対しては侵略国家となったのです。
日本の侵略を全て自衛戦争とし、太平洋戦争(大東亜戦争)をアジア解放の戦いと正当化していることも「戦争を美化している」という批判が当てはまります。
小林の『戦争論』シリーズの歴史観は、戦争の原因を当時の国際情勢がもたらしたものと強調しています。アメリカのせいだ、中国のせいだ、ソ連のせいだとし、日本は流されるまま戦争に追い込まれたと言わんばかりです。
一見日本のやったことを正当化しているように見えますが、原因を周りのせいにするという意味では被害者史観または受動史観とも言えます。
国際的な動きの要因だけでなく、日本の動きによる要因や国内情勢の分析も、あの戦争の歴史を調べる上で必要です。日本にも国策や戦略はあったのですが、それが間違っていたことは敗戦という事実が証明しています。
小林は、その時代にはその時代の認識があったから、過去を現在の価値観で裁くべきではないという立場に立っています。一見もっともそうな理屈に見えますが、今思えば一面的な考え方です。
過去に間違っていたことを反省して教訓を得た上で、現在に生かすことで社会は改良されていくのです。歴史を学ぶならば、過去の時代の良い部分だけを見るのではなく、悪い部分を見ることもやはり必要なのです。
過去の歴史から教訓を得るならば、やはりあの十五年戦争は間違った戦争だったと認めざるを得ません。そして何よりも、大東亜戦争肯定論を唱えた小林よしのりの『戦争論』も間違っていたのです。
『東大一直線』の頃の小林は福岡在住のまま連載していたわけで、編集者をブレーンとして頼り切りになるほど密な打ち合わせが出来ていたとも思えないが、何か具体的な根拠があるのでしょうか。
ここのコメント欄なら小林にどんな無理筋の難癖をつけても大丈夫、という甘えが出てるのではないか。
さらに、もっと根本的な話として「ブレーンがいて何が悪いの?」ということもある。
たとえば、赤塚不二夫にもブレーン・チームがいたし、水木しげるにだってストーリー担当のスタッフがいたし、さいとうプロの分業体制(脚本部門アリ)も有名ですね。
また、篠原健太が以前に次のようなことを語っていました。
「担当と大笑いしながらノリノリで打ち合わせをして、傑作回だ!と思った時にかぎって、いつもよりアンケートが悪かったりする」と。
ブレーンの協力があったとて結果につながるとは限らないのだから、ブレーンありでヒットできるなら結構なことでしょうに。
小林叩きをする人がノリノリで小林だけを叩いているつもりが、他にとばっちりを与えてしまっている、という現象があります。
福岡大学を三流呼ばわりもそうだし、「ブレーンなしじゃヒット作れないw」もそうでしょう。
正直に申し上げて、ハタから見ていると雑に思えます。
『東大一直線』の頃の小林は福岡在住のまま連載していたわけで、編集者をブレーンとして頼り切りになるほど密な打ち合わせが出来ていたとも思えないが、何か具体的な根拠があるのでしょうか。
ここのコメント欄なら小林にどんな無理筋の難癖をつけても大丈夫、という甘えが出てるのではないか。
さらに、もっと根本的な話として「ブレーンがいて何が悪いの?」ということもある。
たとえば、赤塚不二夫にもブレーン・チームがいたし、水木しげるにだってストーリー担当のスタッフがいたし、さいとうプロの分業体制(脚本部門アリ)も有名ですね。
また、篠原健太が以前に次のようなことを語っていました。
「担当と大笑いしながらノリノリで打ち合わせをして、傑作回だ!と思った時にかぎって、いつもよりアンケートが悪かったりする」と。
ブレーンの協力があったとて結果につながるとは限らないのだから、ブレーンありでヒットできるなら結構なことでしょうに。
小林叩きをする人がノリノリで小林だけを叩いているつもりが、他にとばっちりを与えてしまっている、という現象があります。
福岡大学を三流呼ばわりもそうだし、「ブレーンなしじゃヒット作れないw」もそうでしょう。
正直に申し上げて、ハタから見ていると雑に思えます。
鳥山明の件はまさに尊師そのものを現していましたね
そんな尊師も今やボーカリストです笑
人はここまで迷走するのかと楽しくウオッチングしています
そう論評した小学館の審査員は慧眼です。
小林よしのりって、自称ハッカーで今は占い師のえむびーまん(山本隆雄)と同じ立ち位置だから。
作品全体がコンプレックスと社会への憎悪と反発に満ちているから気持ち悪くて下品なのは当然。
これにハマる人は性格に問題があって、社会不適合者なんだけど、これを言ったら誹謗中傷なんて言っても事実だから仕方ないよ。
小林が【被害者ぶるな】といっていたんだから、事実を見つめて【私は性格が悪い社会不適合者です】と認めたほうがいいよ、そういう事では授産施設で働いて社会復帰を目指してる障害者のほうが特濃より立派です。
戦争論もコロナ論も社会を混乱させたということでは大失敗作で、あまりにも危ないから見向きもされなかったのが正解かな。
内容うんぬんではありません。
あまりにもストーリーテリングと言いますか、構成が下手なのです。
第1回で神宮皇后とはこういう人だ、みたいな紹介を丸々1話使ってやったのです。
そして、2話からそれを詳しく描いていくのですが、結局1話で描いた内容をトレースしてるだけなのです。
そして1話ですでに大きく紹介したことを2話のラストの引きにしているのです。つまり3話まで1話と同じ内容を繰り返すのです。
1話で大々的に描いたことを2話の引きにするとかあり得ません。
神宮皇后の物語なんて、結局は三韓征伐、仲哀天皇が神託を聞かなかった、腹に石を巻いた、生まれた子が応神天皇とかそれくらいしかないのです。
「論」というほどのことはないのです。
これを特に漫画でやってもくわしい論はできないでしょう。
そもそもが神宮皇后についてはずっと昔から語られ尽くされているのです。
それに今、新しい論を唱えようと言うなら漫画ではなく活字でやらねばならないでしょう。
漫画で大ゴマを使ってこけおどしをやっても意味がありません。単行本で読んだら3回も4回も同じ話でげんなりするでしょう。
それにキャラクターが丸っきり魅力がないのも問題ですね。
この令和に神宮皇后を描くならもうちょっと魅力的なキャラにして欲しいものです。