ゆっくり反応集が遂に45万再生を限界突破サバイバー
https://youtube.com/shorts/SqljbbyOXeQ?si=DpTDL0dS-vM40Xyz
鳥山明先生の訃報を嘲笑した件について未だ謝罪一つしない小林よしりん先生でありますが、週刊SPA!誌上で漫画界を揺るがすシリーズを始めたそうな。
期待の新シリーズ『神功皇后論』ついにスタート!! | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/55006/
《いよいよスタート!期待の新シリーズ『神功皇后論』掲載、SPA!6月17日号本日発売!!神功皇后とはどういう人で、何を成し遂げた人なのか?その第一歩の知識を、圧倒的な漫画の迫力を駆使してお見せします!これこそは漫画でしか表現できない作品、小林よしのりしか漫画にできない作品だ
ということが、これだけで十分わかります!もう期待しかありません!》
「圧倒的な漫画の迫力を駆使」し、「漫画でしか表現できない作品」と作画スタッフ自らが自信を持って宣伝しているのですから、それこそ鳥山明のマンガ表現などものともしない超傑作を描いたのでしょう。
2025年現在、たくさんの名のある漫画家たちが「圧倒的な漫画の迫力を駆使」した作品を世に出しているなかで、「これこそは漫画でしか表現できない作品」と言い切っているのですから、それはよほどのことです。
圧倒的なマンガの迫力を駆使している漫画家といえば、皆さんは誰を連想されますか?
三浦健太郎、森薫、井上雄彦、松本大洋、大暮維人、村田雄介、奥浩哉、小畑健、寺田克也、高橋ツトム、久保帯人、坂本眞一、etc…
このような作家の作品を読みまくっている為に今やマンガ読みもかなり目が肥えておりますので、つるピカハゲ丸や魔界ゾンべえを読んでいた80年代少年とは違い、ちょっとやそっとで「圧倒的!」などと口走ることはないので、作画スタッフ自らハードルを上げるとは大した度胸です。もしくは漫画界の現状を知らない無知な猿。
小林シンパは小林よしりん先生の新シリーズを読んで、次のような感想を述べています。
『神功皇后論』第1回、速報感想ご紹介!! | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/55008/
《【サトルさん】
もう、眼差しの強さ…蠱惑的な眼…神掛かった目力…に、見入ってしまいました…。》
《【優しい架純んてぃさん】
以前から感じていましたが、先生の描く女性はとても凛々しくて綺麗で魅力があります。》
《とにかく神功皇后の絵姿が素晴らしいというのが、第一印象の感想のようです!これこそ、文章じゃ絶対に伝わらない、小林よしのりの漫画じゃないと表現できない魅力です!これが伝われば、第1回は大成功!今後の展開も、期待しかありません!》
アップデートと「狼煙」 | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/55022/
《まず一言。
「漫画としてのアップデート」が凄い…!
ひとまずビジュアル的な要素に限って書くと、こうした「漫画の記号性」を保ちながら、しっかり描き込まれた画面で構成された漫画って、今となってはだいぶ貴重です。そこには、トキワ荘世代から受け継がれた遺伝子が進化・深化を重ねた「2025年最新版」という様相が展開されていると私は感じました。》
いくらシンパといえども、ヨイショが酷すぎて贔屓の引き倒し、というか倒壊して無惨な廃墟しかそこにはないのに絢爛豪華な大邸宅があるかのように賛美することに何の意味があるのでしょうか。
もし作家の側がその賛美を真に受けたら、結果的にその作家を潰すことに繋がりかねません。
事実、小林は裸の王様と化し、すでに世間からはマンガ家と認識されていません。
圧倒的な漫画の迫力を駆使?
しっかり描き込まれた画面で構成された漫画って、今となってはだいぶ貴重?
蠱惑的な眼?
先生の描く女性はとても凛々しくて綺麗で魅力があります?
優しい架純んてぃ?
小林よしのりというマンガ家について、しっかりと評論したものって意外と少ない。というか皆無です。
それこそ「おぼっちゃまくん」や「戦争論」を取り上げたものなどは幾つかありますが、過去まで遡り、現在まで追った上での評価をしている人はほぼいません。
なので、小林が「フジテレビのらんま1/2は同時間帯に放映されたテレ朝おぼっちゃまくんに視聴率で負けて時間帯を移動した」と嘯いたことについて、その真偽のほどを誰も検証せず、小林証言だけが一人歩きしていたりします。
いわゆる「ソースは小林よしのり」状態であります。
これはシンパだけではなく、アンチやウォッチャーもこの小林証言のみを一次史料にしている事態を引き起こしており、由々しき問題であります。
小林はこれまでの「論戦」と呼ばれるものについて「常勝」であるかのように喧伝していますが、ちゃんと振り返ると首を傾げざるを得ません。
かなり古い話題になりますが、90年代中頃に宅八郎と激しい確執がありましたが、あれって結局ウヤムヤのまま終わっています。
小学館版わしズム廃刊の理由とされた佐藤優問題もまたウヤムヤ。
戦争論について真正面から検証し痛烈な批判をした山本弘を完全スルーし、天皇論では小谷野敦の追撃から尻尾を巻いて逃げ出し、アイヌ問題も批判を受けても開き直るだけで議論せず、TBSラジオで「小林よしのりは愚かだ」と発言した荻上チキにも沈黙。これのどこが「常勝」なのか不思議でありますが、小林界隈では「小林よしりんは無敵で最強!」ということになっています。
そのあたりの違和感について検証することも考えていたのですが、さすがにそれは相当に骨が折れる作業であり、手に余るのでやらなかったのですが、愚行録コメント欄にてそれをやってくださっている方がいて、毎回楽しみに読んでいるところです。
《小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』は、初期の人脈の関わりも検証する必要がありそうです。
小林の初期ゴー宣のブレーンといえば、何度も作中に登場した評論家の呉智英です。儒教思想に影響を受けた呉智英は、反近代的な封建主義者を称し、民主主義や人権を否定していました。呉による左翼や戦後民主主義への批判は、冷笑的な視点からの突っ込みで成り立っていました。
現在の小林は儒教思想には批判的ですが、近代的な人権を否定するという点では呉智英と共通しています。
呉智英の思想的な弟子は浅羽通明や大月隆寛であり、この2人も小林の初期ゴー宣のブレーンでした。浅羽や大月も、思想的には反左翼で戦後民主主義批判の立場に立つ文化人でした。『脱正義論』での小林の運動批判や日常へ帰れの言説は、ブレーンとなった浅羽や大月の影響もあります。
大月は小林のゴー宣を「竹やりで戦う思想村に核弾頭を持ち込んだ」と賞賛しました。ゴー宣に対する大月のこのおべっかは、小林を勘違いさせて増長させる一因となった罪深い発言です。
呉智英・浅羽通明・大月隆寛の共通点は、『宝島』系人脈の文化人であるということです。JICC出版局(現・宝島社)が発行する『別冊宝島』で、主要な論客として活躍していたのがこの3人です。呉や浅羽は、『宝島30』での寄稿者の一人でもありました。浅羽通明や大月隆寛を評論家として育てたのが、担当編集者の町山智浩でした。
町山智浩は、『別冊宝島』『宝島30』に編集者として深く関わりました。『別冊宝島』『宝島30』はタブーに切り込むというポーズをとりながら、冷笑的な立場で左翼批判を行っていた雑誌です。呉智英・浅羽通明・大月隆寛による冷笑的な言論も、『宝島』系の雑誌で育まれました。
一方、小林よしのりも『宝島』系人脈の文化人でした。
小林のエッセイ漫画である「おこっちゃまくん」は、1989年から91年に『月刊宝島』で連載されていました。『宝島30』は、1994年に小林よしのりと石原慎太郎の対談を実現させています。この対談には、編集者の町山智浩も同席していました。『宝島30』がオウム事件を特集していたころは、小林が雑誌に登場していたこともあります。小林は同誌で「よしりん昔話」を連載していたことがありました。
『宝島』系雑誌が育てた呉智英人脈は、小林に思想的に深い影響を与えました。右傾化前の小林によるサヨク批判や市民運動批判の理論的なバックボーンとなったのは彼らです。小林が後に右傾化していくきっかけとして、彼らの思想的な影響を無視することはできません。
サブカルチャーに影響を受けたオタクが冷笑的なネトウヨになったのは、小林や2ちゃんねるの影響があると同時に、『宝島』系雑誌の影響や呉智英人脈の影響もあるのです。
現在の町山智浩が右派やネトウヨを批判するようになったのは、かつての自分の仕事がネトウヨの発生や社会の右傾化につながったことへの罪滅ぼしなのかもしれませんね。》(大林わるのりさん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/515747216.html
90年代の空気を知らないと当時の小林の評価を今に伝えるのは難しいなか、実に簡潔に分析されていて、大変にありがたいコメントです。
私の見立てでは現在の小林シンパのほとんどが「戦争論」以後から参入しており、初期ゴー宣は後追いであります。
それなのに何故か公論サポーターのなかには「私は宝島連載から追っていた」とか「めんぱっちんの頃からのファンです」とか「小学生の頃に父親が買ってきた東大一直線を夢中で読んでいた私も今や三児の母になっている普通の主婦よっしーです」とか古参ファンぶってマウントかますのですから笑えます。何故素直に「ベストセラーの戦争論からの読者です」と言えないのでしょうか?
別に古くからの読者が偉いわけではないのですから本当のことを言うべきでしょう。それじゃまるで経歴詐称みたいですよ。
そういや、かつて私が公式掲示板の雑談のなかで、「小学生の頃、耳鼻科に通院していた時に待合室で持参したキン肉マンの単行本を何度も何度も繰り返し読んでいた」という思い出話をしたところ、ファンサイトを運営していた方にそのエピソードを丸パクリされ、「子供の頃に通院していた病院の待合室にあったおぼっちゃまくんを夢中になって読んで大ファンなった」とアピールし小林の歓心を買っていました。
にも関わらず、最近になって「今も楽しんでいる作品」を公表したなかに小林よしのり作品が一つもないのですから、言わずもがなですよね。
https://note.com/saruking/n/na45716ba09b5
3月末にアップした動画が遂に45万再生を突破しました。
https://youtu.be/Uagkx-N8tNc?si=3PRtAy8GIOTfX6FM
それを祝してというわけではありませんが、新たにショート動画を作りました。
YouTubeチャンネルコメント欄に「あのグラサン金髪は何者?」という問い合わせが多いので、それに対するアンサーということで、どうぞ。
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この記事へのコメント
「○○でも分かる」は学習漫画やハウツー本のタイトル名でよく使われていますが、小林がゴー宣で「バカでもわかる」をタイトル名にしたのは堂々と絵解き漫画宣言をしたようなものです。
昔の小林は絵解き漫画家として見られることを嫌い、ギャグ漫画を描き続けてきたプロのストーリー漫画家として見られることを望んでいました。
「バカでもわかる」をタイトルにして絵解き漫画宣言をしたということは、「わしはオリジナルなストーリーはもう描けない。わしはストーリー漫画家としては完全に死んだのだ」と宣言したようなものです。
小林がゴー宣で描いた女性天皇の歴史自体は、天皇の歴史を題材にした本に書いていることの引き写しなので、小林の独自の思想を披露しているわけではありません。また、女系天皇支持という小林の言説さえも、ブレーンの高森明勅や支持母体の生長の家の主張の引き写しですからね。
小林が堂々と絵解き漫画宣言をしたことは、「わしには独自の思想がない。だからわしは言論漫画家としても完全に死んだのだ」と宣言したことをも意味しています。
ストーリー漫画家としても言論漫画家としても終わったけど、これからは絵解き漫画家として生きていくというのはそれはそれで別に構いません。例えば学習漫画の大家となったよこたとくおやあおむら純のように、絵解き漫画家であっても実績を残した立派な人もいます。
しかし、小林が描いた「バカでもわかる女性天皇の歴史」では、重大な誤植ミスが見つかったそうです。今回のゴー宣の誤植は『SPA!』編集の校閲の問題だけではなく、よしりん企画でのチェックが機能していないことにも問題があります。
絵解き漫画を作る上で内容のチェックが機能していないようでは、小林は絵解き漫画家としてもプロ失格です。
しかも、小林は「バカでもわかる女性天皇の歴史」を、「国会議員に配って欲しいくらいだが」と言っています。彼はゴー宣DOJOに所属する門弟たちを使って、今回描いた絵解き漫画を政治家に配布することを目論んでいるようです。
小林は「絵解き漫画を政治家に配れば、愛子さまの立太子が実現する」と本気で思っているわけではなく、門弟たちを使って運動のための運動を続けることが目的なのでしょう。
小林は堂々と絵解き漫画宣言をした上に、運動のための運動を続けることを選んだようです。残念なことに、小林はストーリー漫画家としても言論漫画家としても完全に終わったことを自ら宣言しました。驚きだよ。悲しいことだよ。
小林や西尾が参加した新しい歴史教科書をつくる会は、「国民の物語」としての歴史教科書を作ることを目指していました。しかし、文学・芸術としての歴史物語と、近代的な学問(人文科学)としての歴史学は実際は別物です。
司馬遼太郎の小説がそうですが文学・芸術としての歴史物語は、フィクションの体裁をとっているため、何から何まで事実が書かれているわけではありません。一方、近代的な学問としての歴史学は、史料批判などの実証作業を重視するため、歴史の事実を客観的に叙述することを目的としています。
「物語としての歴史」と「学問としての歴史」は別物であるため、学校で使われる歴史教科書は「学問としての歴史」の立場に立って客観性を重視した内容であるべきです。
歴史教科書が「物語としての歴史」の立場に立ってしまうと、物語を面白くするためには嘘を取り入れても良いという傾向につながる恐れがあります。つくる会が唱えていた「日本史は国民の物語である」という方針は、学校の歴史教科書を作る上では実に危ういものです。
例えば、戦前の日本の国史教科書は、皇国史観という「物語としての歴史」に立脚しており、客観的な実証を重視した「学問としての歴史」とは程遠いものでした。
小林もそうですが右派の人たちの歴史観の問題点は、「物語としての歴史」を重視するか「学問としての歴史」を重視するかについて両者の折り合いがついていないことです。
つくる会時代の小林は、「国民の物語」を作るという「物語としての歴史」としての考え方を支持していました。一方で、慰安婦問題や南京事件での小林は「史料批判が大事だ」と言って、「学問としての歴史」の大事さを主張しています。
しかし、小林の『戦争論』シリーズは、大東亜戦争肯定論という「物語としての歴史」を作ることを重視するあまり、「学問としての歴史」の部分である史料批判で誤りが目立ちました。
結局小林は、「物語としての歴史」と「学問としての歴史」に対する折り合いをつけられないまま今に至りました。どうやら『戦争論』と同じく『神功皇后論』も、「物語としての歴史」と「学問としての歴史」の折り合いがついていない絵解き漫画となりそうですね。
https://www.gosen-dojo.com/blog/57119/
>今日の血圧は119、昔は190だったのに、低いからか、テンションが上がらない。
今の小林の血圧119は正常ですが、入院中の血圧190は明らかに危険な状態です。小林は、不健康自慢で自分をワルっぽく見せて虚勢を張りたいのでしょう。
>ゴー宣281章、クマソの国のコンテを描いている。
ただし現在では、ゴー宣のシナリオはブレーン担当の時浦が代筆しています。しかもペン入れはスタッフが担当しているのですから、小林の仕事はコンテの執筆だけと言っていいでしょうね。
>だが、景行天皇も、仲哀天皇も、神功皇后(天皇)も、クマソとの戦いには必死だった。
小林の神功皇后上げは、ゴー宣DOJOの支持母体となっている生長の家への配慮のためでしょうね。生長の家総本山(長崎県西海市)で祭神とされている住吉大神とは、定義によっては住吉三神に神功皇后を加えることもあるのですからね。
>シナ向けの日本書紀じゃ全然足りず、風土記や考古学の研究にも、頼らなければ、日本の建国の歴史には接近できない。
日本の建国の歴史に接近するためではなく、「神功皇后は実在していた」というトンデモ史観を作るために小林(或いはブレーンの時浦)は勉強をしています。
>わしが脳溢血から復活したのは、この仕事があるからだろう。
「今のわしはやるべき仕事があるので、社会に役に立つ存在だ。だから死ねない」と小林は言い訳しているように見えます。「役に立たなくなった老人は安楽死させろ」という過去の発言を批判されないようにするためでしょう。
>『天皇論』を持参して、伊勢の田中卓氏を訪ねた時「次は建国論だな」と言われたが、どうやら、導かれているようだ。
田中卓は神武天皇実在説を主張していました。神武天皇の実在を否定しながらも神功皇后はいたと主張している小林史観は、田中が小林に期待していた建国論とは明らかに違います。
>もっと脚力をつけて、本当の復活を果たしたら、文献だけでなく、日本各地の遺跡を取材してみたい。
脚力をつけて本当の復活を果たすという願望も、日本各地の遺跡を取材するという夢も今の小林には実現不可能です。自分は脳出血の後遺症を抱えている上に、認知症を発症している病人であるという現実から小林は逃げています。
『わしズム』という自分のメディアを持ってしまったことは、小林にとっては創作者としてマイナスの効果をもたらしたと言えるでしょう。
なぜならば、『わしズム』の読者の大多数は小林のファンです。リベラルな読者が去った慰安婦論争でも、親米保守の読者が去った親米反米論争でも支持をやめなかったコアなゴー宣ファンが、当時の小林のファンたちでした。
だから、『わしズム』で掲載された小林のフィクション漫画に対して、ゴリゴリの小林ファンたちからは支持する声しか生まれなかったのも当然です。
大多数の読者がファンばかりである雑誌『わしズム』で、ファンたちからの絶賛の意見ばかりの手紙を読んで小林は気を良くしたはずです。
「わしの漫画は、フィクションでもこんなに絶賛されている。わしは今でも漫画の才能が衰えていないのだ」
と小林は思い込んだでしょうね。しかも、小林自身が雑誌の編集長であるため、部下である編集者たちは彼に異論を言いにくいでしょう。
もしも商業雑誌で作品が連載されていれば、担当編集者が小林に対して忠告をすることができたでしょう。
「小林先生、人気投票で作品の順位が落ちていますよ」
「小林先生、こういう内容では今時の読者に受けませんよ」
「小林先生、テコ入れのために方向転換しましょう。新キャラを出してみませんか」
商業雑誌であるならば、こういった意見が編集者から小林に対して行われていたかもしれません。
また商業雑誌では、読者たちからは作品への支持だけでなく不支持の意見も少なからずあるため、原作者の小林はそれを無視することはできません。
しかし、『わしズム』で小林が描いたフィクション漫画は、ファンが読者であるため絶賛の意見しか届きませんでした。しかも、自身が雑誌の編集長であるため、担当編集者がブレーンとして作品に影響を与えることも不可能でした。
『わしズム』という自分のメディアを持ってしまったことは、小林が自己満足のために作品を描く傾向につながりました。
そもそも、『おぼっちゃまくん』がヒットしていなければ、小林は『東大一直線』の一発屋だけのカルト人気のある漫画家として一生を終えていたはずの人間です。
もともと、一般受けしにくいマニア向けのギャグ作品を描く漫画家である小林が、自己満足のために漫画を描くようになることは創作者としてはマイナスでしかありません。単なる独りよがりの作品になって、ますます読者の支持を失うだけですからね。
自分が編集長を務める雑誌を持つという小林の試みは、漫画家としての能力の低下をもたらしました。『わしズム』という自分のメディアを小林が持ってしまったことは、商業的にも失敗であり、漫画家としても失敗だったのです。
私欲に溺れて相手を裏切るような行為を行う人間に、天下国家の政を任せられる訳がありません。
元はといえば不倫をした山尾の自業自得なんですが、そうであるならもっと早く会見で素直に謝罪していればこんな事態にはなっていないことに理解できてないのが痛々しいです。
女系天皇を唱えているからだの優秀な女性だから潰しただのは的外れも良いところですし、本気で言っているなら、全く現実が見えてないです。
玉木を男尊女卑で女を守らない卑怯者だの言いたい放題言っていますが、その言葉はこの件の当事者である倉持に言うべき言葉でしょう。
倉持の元妻は守るべき女性の対象に入っていないとでもいうのか。
小林のいう男女平等なんて言葉は全くの嘘っぱちだということがよくわかります。
小林が編集長を務めた『わしズム』は、商業的には失敗に終わったといえるのかもしれません。自分が好きなものをひたすら詰め込もうとした雑誌だから、失敗するべくして失敗したようなものです。小林は編集長として雑誌を作る才能がなかったのです。
『よしりん戦記』から『パール真論』までのスペシャル本の粗製乱造は、右派の組織票目当てだけではないでしょう。『わしズム』で生まれたよしりん企画の赤字を穴埋めするため、という魂胆もあったのかもしれませんね。
赤字まみれだった『わしズム』をやめるために、建前は佐藤優との対立を廃刊の理由にしていたのでしょう。宗教右翼の組織票目当てであった『天皇論』と、臨時収入を得るための『おぼっちゃまくん』パチンコ化は、赤字を埋めるための起死回生の策だったのでしょうね(この2つの策は見事に裏目に出ましたが)。
2000年代のころのスペシャル本を見るならば、金森退職以降は作品の質が落ちています。『台湾論』、『戦争論2』、『戦争論3』は秘書の金森がブレーンとして関わっていました。『台湾論』の案内役となったのは、蔡焜燦と金美齢です。
『よしりん戦記』はこれまでの小林の言論の傑作選ですが、一応、大高未貴というブレーンが関わっています。『沖縄論』は宮城能彦がブレーンとして関わっていますし、『天皇論』は高森明勅がブレーンして関わっています。
それ以外のスペシャル本は、アシスタントのドロヘドロがブレーンである可能性が高いでしょう。これらの本はどうでしょう。右派向けの傑作選の『靖国論』、ひたすら文章が多い『いわゆるA級戦犯』と『パール真論』、過去の作品のパッチワークで作った『平成攘夷論』といったこれらの本の出来は言うまでもありません。明らかに粗製乱造です。
ところで、2000年代前半に小林がやっていた仏教関係のゴー宣スペシャルはどうなったのでしょうか。秘書金森も関わっていましたし、寺院への取材もしていました。このスペシャルはお蔵入り化されたままです。
さらに、小林がやりたかった方向と読者が求めていた方向が違っていたのです。『沖縄論』も『パール真論』も『天皇論』も、『SAPIO』での連載に加筆をして単行本化されています。問題は、スペシャルの連載が長すぎたということです(2010年代の『大東亜論』もそうです)。
スペシャル本は番外編であり、キャッチーな時事問題が本編なら読者もついて来れたでしょう。「タイムリーな時事問題を斬る論破王のよしりん」というヒーローを、読者は求めていたのですからね。
スペシャル本が本編となり、キャッチーな時事問題が番外編(ゴー宣EXTRA)となったことは、右派の組織票目当てのためだったのでしょう。しかし、このやり方はライトなファンが離れる一因になりました。
そして何よりも、小林の二大ブレーンであった秘書金森と西部邁がいなくなったことの影響は大きいと言えます。
『噂の真相』によると、金森は右派的な思想の持ち主であったそうです。右派的な思想であった金森や西部がブレーンとなり、つくる会で右派学者たちに影響されることで、小林は思想的に右傾化していきました。つくる会時代の小林は、宗教右翼の組織票で売れることができました。
金森がよしりん企画を退職したのは2003年です。反米化して以降の小林の言論は、西部というブレーンがいたおかげで成り立ってきました。小林が西部と決別したのは2005年です。
金森と西部がいなくなり、小林はドロヘドロをブレーンとして頼らざるを得なくなりました。この2人がいなくなったことは、小林の言論人としての質の低下につながったと言えます。ゴー宣は、文章に頼るただの絵解き漫画になったのです。
一方、つくる会との決別以降の小林に対して、宗教右翼の支援も徐々に積極的でなくなりました。同会時代は小林を支援していた宗教右翼勢力には、反米化で小林を裏切り者と見なした人間もいるでしょう。
しかも、社会全体が右傾化していったことにより、小林の右派的な言説は珍しいものではなくなりました。小林は右派論壇のカリスマ文化人から、どこにでもいる普通の右派文化人へと立ち位置が変わったのです。彼は右派陣営での影響力を落としました。
また、当時の2ちゃんねるのネトウヨが、親米で小泉支持が主流だったことも影響しているでしょう。2ちゃんのネトウヨは、生みの親である小林の言うことを聞かなくなっていきました。
2009年に『天皇論』で小林が女系天皇を支持したことは、一部の右派から不興を買いました。さらに、『おぼっちゃまくん』パチンコ化によって、小林は右派の人たちを敵に回してしまいました。小林が関わっていた大東亜聖戦大碑の運動も、いつの間にか距離を置いたままとなっています。
チャンネル桜での番組や『月刊Will』での連載で、小林は辛うじて右派論壇とつながっている状態になりました。その後、『新天皇論』での本格的な女系天皇支持でチャンネル桜と決別し、3.11以降は『月刊Will』とも決別しています。
小林が結成したゴー宣道場には、生長の家信者が潜り込むようになりました。宗教右翼の支援を得られなくなった小林に対する新たな組織票となったのが生長の家なのでしょう。
別にゴー宣DOJOに来ようが来まいが何の関係もありません。
小林や信者たちは自分たちが何か世の中に多大な影響与えていると勘違いしてるようですが、小林よしのりなんか政治にも漫画界にも何の影響も痕跡も残してないんだって。
小林が山尾を支持しようがしまいが世の中的には何も関係ありません。
「井の中の蛙大海を知らず」ということわざもありますが、井の中のミジンコのくせによくもまあ、大巨人の鳥山明にケチつけたり、自分が政治に影響を与えていると思い込んだりできるものだなと。
小林には恥という概念がないようですね。
それはそれとして、「神功皇后論」ですか。
まだ読んでいないのですが、タイトルだけ聞いてたときは「神功皇后という名前を使って女性天皇論を一席ぶつつもりかな、しかし、あれは皇后であって、天皇ではないんだけどな。それに架空の存在だということは周知の事実だけどな」と思っていたのですが、どうやら小林の狂い方は想像を絶するようで、神功皇后の生涯を今さら大々的にやるとは思っても見ませんでした。
今さらを×何十乗したらこんな発想が出てくるのか。
まったくわけがわかりません。
しかし、6月11日午後6時くらいですが、国民不倫党が山尾志桜里の公認を取り消したそうです。そして、トッキー時浦は「山尾志桜里への政治活動をやめて下さい」だとさ。
ある意味では、男系男子絶対であるブログ主様にとって、こんなに嬉しい展開は無いでしょうね。僕?もう、怒りすら湧いてこず脱力しています。
ドンマイ、そんなものだよ
「なぜ今さら神功皇后か。また自己満足のために連載を始めたのか。売れると本気で思っているのか」
しかしながら、いろいろ考えているうちに小林による裏の動機が見えてきたようです。
神功皇后は、住吉三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)から託宣を受けていたとされています。住吉大神は住吉三神のことを指しますが、場合によってはこれに神功皇后を神として加えることもあります。大阪市にある住吉大社の祭神の住吉大神は、住吉三神と神功皇后を加えて成り立っています。
神功皇后から住吉大神を連想した時、私は次のことに気付きました。そうです、住吉大神といえば生長の家です。
生長の家は、教団の国際本部は山梨県北杜市にありますが、総本山は長崎県西海市にあります。この長崎県西海市にある生長の家総本山の祭神は、あの住吉大神なのです。教団によると、教祖の谷口雅春は住吉大神から神示を受けたとされているそうです。
そして、生長の家といえば小林よしのりとの関わりです。小林が運営するゴー宣DOJOには、生長の家の信者が潜り込んでいるらしいです。女系天皇論の支持や思想のリベラル化など、2010年代以降の小林の言論は、生長の家が目指している方向と歩調を合わせるようになりました。
だから、今回の『神功皇后論』の連載も、DOJO会員となっている生長の家信者たちへの配慮のために始めた可能性があるのかもしれません。生長の家は住吉大神を特別視している教団であり、住吉大神といえば神功皇后伝説とも結びついているからです。
またしても小林は、本を買ってもらうために組織票に頼ろうとしているのかもしれません。もしもそうであるならば、漫画家として自分の実力で勝負することを放棄しているようなものです。初めから組織票頼みとは、創作者として実に浅ましい限りとしか言いようがありません。