山尾しおりさんは来なくていい
https://youtu.be/Uagkx-N8tNc?si=-aQzfnNyjyrtBOZF
鳥山明先生の訃報を嘲笑した件について、未だ謝罪一つしない小林よしのりでありますが、またまた事実を微妙に改変したブログをあげていた模様です。
山尾しおりさんは来なくていい | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/54963/
《明日の「山尾しおり応援DOJO」に山尾さんは出ない方がいい。出ると、反愛子天皇の玉木雄一郎から、公認取り消しの処分にされる。山尾さんは来なくていいです。》
《もちろん、この事態になった理由は徹底的に説明します。マスコミもぜひ取材に来てください。今後の政局を占う重大なイベントになるでしょう。》
これだとまるで小林の方から山尾の出演を取り止めさせたように読めますが、単に山尾が玉木に忖度してドタキャンかましただけでしょう。
本当に誠実な人間ならば、約束通りにイベントに参加して「愛子さま立太子は私の公約であり、それを認められないのならば公認取り消しになっても構いません!」と演説するか、「党の方針には逆らえないので皇統問題に関しては選挙期間中は明言することは避けたいと思います。私に期待して下さった小林先生並びDOJOサポーターの皆様、申し訳ありません」と謝罪するか、いずれにしろ釈明する責任がある筈です。
しかしこれまでもそのような責任から逃げてきた奴だからもはや誰も呆れもしません。
こんなしょうもないことの責任すら取れない奴が政治家になろうというのですから笑かせてくれます。
小林はマスコミに取材に来るよう呼びかけていますが、当の山尾志桜里が参加しないのに取材する価値なんてあるのでしょうか?
マスコミの取材といえば、画業50周年を迎える巨匠が祝賀パーティーを開いたとなれば、コミックナタリー他さまざまな媒体がネットニュースとして配信するものでしょうが、小林よしりんが帝国ホテル光の間で催した「感謝パーティー」なるものについて、どのメディアにも報じられることはありませんでした。
このあと午後3時から!「オドレら正気か?」特別生放送!! | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/54956/
《1日に行われた50周年感謝パーティー、大成功・大盛況のうちに終え、「夢のような時間だった」という感想を多数いただきましたが、その裏話・噂話をメインに、「よしりん・ぽっくん夏祭り」の見どころ・意気込みなどを語る予定です!》
パーティーの裏話について語ったという生放送を要約したコメントが届いております。
《オドレら正気か2025年6月7日 だいたい時系列で気になった発言
小林よしのり「総合Pちぇぶのドレスは膨らみがすごかった。芸能人のように豪華ドレスで脚線も魅せてたエゾリスには三味線とか男性門下生が群がっていて、スケベな奴らばっかりだ(笑)」
小林よしのり「男性漫画家のパーティーと言えば下駄やドテラとかどうやってホテルに入れたんだと思う奴らばっかり。今回は女性が着飾って嬉しい。もっときわどく見せて。」
総合Pちぇぶ「綺麗な女性がいると場が華やぐ。これは男尊女卑とかじゃなく、当然のこと。」
総合Pちぇぶ「ダンケーの女ってすごいブスだし。参院自民党に元女優の男系派がいるけど、昔と比べて顔がものすごく変わっちゃってる。」》(あるかーど情報局さん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/515917325.html
50周年感謝パーティー、楽しんでくれて本当に良かった。 | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/54874/
《昨日の「50周年感謝パーティー」は開催して良かった。
主旨はわしを啓発し、応援し、育ててくれた人々に対する「感謝」であり、50年前、手塚・赤塚賞の授賞式で初めて食べた一流ホテルのローストビーフを、みんなにも食べさせたいという思いからである。
門下生や公論サポーターの女性たちが、着物やドレスなどで着飾って、華やかに彩りを添えてくれた。》
かつての担当編集などへの感謝のパーティーならば関係者のみを招いて、立食ビュッフェではなく、テーブルに座って落ち着いた席でやれば良いでしょう。
公論サポーターという下働きの奴隷を大勢動員したのは、いわゆる無償のエキストラのようなものであり、かつての編集者たちに対する見栄で、「わしの元にはこれだけ多くの人間が集まるんやぞ」と誇示したいというみっともないプライドでしょう。
しかし中高年の冴えないカルト信者が集まっているのを見て、果たして何人の編集者を「さすが小林よしりんは大物だ」と錯覚させることが出来たのでしょうか?
虚偽と虚飾と虚像と虚栄と虚勢という、うつろに満ちた振る舞いには哀れみしかありません。
『夫婦の絆』単行本にサインをした。 | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/53802/
《50周年パーティーには、わしが「感謝」している人を呼ぶので、かつて担当してくれた編集者が多くなるが、ひところ、夢中にさせてくれたアイドルが来てくれるのが嬉しい。》
結局、「ひところ夢中にさせてくれたアイドル」は来なかったのでしょうか。
まさか元秘書カナモリのことだったのですか?
その辺をはっきりさせていただきたいのですが、市川美織もそれなりに忙しい身なので、自分に何のメリットもないものにわざわざ足を運ぶわけもないでしょう。悲しいことだよ。
https://x.com/miorin_lemon212/status/1929048559619371231?s=46&t=KtUK2XEOGqno6mJtKNAi8A
そして、過去の担当編集者たちは今やそれなりの地位についているというのに、そのパーティーの席で、「小林よしのり画業50周年のムック本を出しましょう!」なんて声もかからなかったのでしょうか?
驚きだよ。
招待された側である筈の泉美木蘭が何故か受付業務をさせられ、参加者に「本日は誠におめでとうございます」などと言われて困惑した旨を吐露していたと聞いていますが、とにかく小林の虚栄心を満たすためだけのムナシイ催しであったことだけは分かりました。
「帝国ホテルのローストビーフを食わせてやりたい」と言われて喜ぶ奴はもはや人間としての尊厳を廃棄していると言って良いでしょう。
というか、普通に金出しゃ誰でも食えるものであり、特権階級にしか手が出せないものでもないのに、それをさも有り難いものかのように恩着せがましく言う小林の品性と権威主義の情けなさ。
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そんな小林の浅ましさや低劣さについて、大林わるのりさんが見事に過ぎる分析をされているので紹介します。
《小林がAKB48にハマっているのを知った時は、私は「この人は終わった」と心の底から思いましたよ。AKB商法のシステムは様々な問題があるのに、小林がそれに違和感を感じないのが不思議でした。
特典商法や複数商法でファンにCDを大量購買させ、ヒットチャートを独占するやり方は問題があります。自らの実力で売れるのではなく、ドーピングによって売れるやり方は果たして公正な競争と言えるのでしょうか。
実力は関係なく特定のグループが組織的な力でヒットチャートを独占することで、本当に実力のある人が日の目を見ないまま埋もれるのは、この国の芸術の発展のためにプラスになるとは思えません。大型のチェーン店が進出していくことで、商店街や個人の小さな店が潰れて行く過程と似ています。
同じようなアイドルグループの曲がヒットチャートを埋めて音楽が均質化されていく現象と、大型のチェーン店が街や道を埋め尽くして景色が均質化されていく現象は実によく似ています。
小林を含めたAKB48のファンが、売り上げの高さをやたらと誇っているのも違和感がありました。
「質の良し悪しは関係なく、どんな手を使ってでも売れているから偉い」
という発想は商業主義や拝金主義そのものです。どんな手を使ってでも金を稼げればそれで良いというホリエモンの発想と似ています。
AKB商法は、小林があれほど批判していた新自由主義や市場原理主義と親和性が高いものなのです。一体どうして小林は自らの思想と水と油のAKB商法に違和感を感じないのだろうか、と当時の私は思いましたね。
また、総選挙という名前で人気投票の形をとり、特定のアイドルへの投票活動を煽るのも違和感がありました。
表向きの作られたアイドルのキャラを信じ、ファンが盲目的に「推し」を応援するという光景を、政治に当てはめたらどうなりますか。「正義の改革派」という作られたキャラを信じ、B層が盲目的に小泉純一郎を応援した光景と重なって見えます。
現在の小林が、「推し活」に近い形で山尾志尾里を盲目的に応援している光景とも似ています。
AKB商法は、小林が保守主義の立場から批判していたポピュリズムや大衆化とも親和性が高いものです。流行を警戒し熱狂を嫌うのが保守思想の立場ですが、AKBブームの時の小林は保守思想をドブに捨て、流行を盲目的に信じ熱狂に溺れてしまったのです。
さらに、「推し」を絶対視することで批判者をアンチと決めつけて憎むのも問題があります。異論を唱える人間をアンチと決めつけ、批判を一切認めなくなることで、ファンは狂信的なカルト信者化して暴走していきます。小林が批判していたオウムとかのカルト信者の特徴に当てはまりますし、狂信者となったファンは「純粋まっすぐ君」であるとも言えます。
「ファンかアンチか」という二元論を覚えた影響なのか、小林によるファンへのスタンスは変化していきました。
かつての小林は「わしを疑え」と言い、建前としてはファンが自らの頭で考えることの大切さを主張していました。AKBにハマってからの小林は「わしを批判する人間はアンチ」にスタンスが変わり、ファンが思考停止して盲目的に自分の言説を支持することを求めるようになりました。
小林がAKB48の推し活で覚えた「ファンかアンチか」という発想は、ゴー宣道場の蛸壺カルト化の促進につながったと言えるでしょうね。
ただし今思えば、小林がAKB48にのめり込んだのは、それまでの成り行きからすると必然だったのかもしれません。
『おぼっちゃまくん』のパチンコ化で京楽と知り合い、京楽がスポンサーであるAKB48を知ったという見方もできます。宗教右翼というスポンサーに支援されていた「つくる会」の時代と同じく、AKB48の御用文化人だったころも小林はスポンサーの支援ありきで言論活動をしていたのです。
また、小林が実はロリコンであったということも一因としてあるでしょう。AKB48によるロリコン商法は、小林の性癖とも相性が良かったのです。小林が熱狂的に応援していた「推し」の一人は、幼児体型で童顔の市川美織でしたね。
さらに、小林は人気投票による競争システムを持つ『週刊少年ジャンプ』の出身であったため、商業主義には違和感を感じないのでしょう。
しかしカルト的な組織票で市場を独占するAKB48のやり方は、公正な競争に基づくジャンプの人気投票システムとは似ても似つかないものです。
『戦争論』など右派論壇の広告塔だったころのベストセラーは、宗教右翼の組織票によるまとめ買いのおかげでした。組織票を使ったまとめ買いというAKB48のやり方に小林が違和感を全く覚えなかったのも今思えば納得です。
新ゴー宣時代の小林が描いた盲導犬の犬権を守れという話では、「子供も大人もみんなガキ」というナレーションのコマがあります。あのコマの絵で、セーラームーンのアニメを見ているロリコンのオタクと、AKB48にのめり込んでいる小林の姿が、私にはかぶって見えました。
「小林はあれほど大人になれと言っていたのに、大人であることをやめてガキになったのだ」
と当時の私は思いました。
小林は落ちるところまで落ちたと当時の私は思っていましたが、まさかあれより下の方まで彼が落ちていくとは夢にも思っていませんでしたよ。》(大林わるのりさん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/515917325.html
大林わるのりさんはこの他にも生長の家と小林よしのりの関係についても詳しく分析されており、以前に私がゴー宣道場公式掲示板で生長の家の信者から熱心な勧誘を受けたことについての疑問が晴れましたので、その分析も次回以降に紹介したいと思います。
最後にかつての道場高弟shinkimuさんのコメントを紹介して、今回は終わりにしましょう。
《https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12136-4165997/
「中居ヅラ」という言葉があるそうです。
ゴー宣DOJOの取り巻きたちは皆なんであんなに攻撃的なのか?ということもこの理屈ですね。
>「自分の賛辞は、“推し”に絶対プラスになると信じて疑わない。『私の宣伝は“推し”に貢献している』とすら思っている。そして、“推し”が問題のある行為や発言をしても、無理矢理な擁護に走る。すると、同じアイドルのファンからも疑問を持たれるし、普通の人はその界隈に関わりたくないと考える。ただ、そういう声を出すと、賛辞しか許さない人たちは攻撃に走る。そのため、周りは沈黙を保つ。つまり、“推し”に心酔しきっている人には、自分に都合のいい情報しか届かない。SNS社会の闇と言える“エコーチェンバー現象”です。これが中居ヅラの結束を生み、誹謗中傷を加速させている面もある」》(shinkimuさん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/515825410.html
この記事へのコメント
「三鷹駅。小5男子がわざわざ来てくれました!「政治家になにをやってほしいですか?」と聞いたら「女性天皇と選択的夫婦別姓」と即答。やるよ!」
というのが彼女のツイートです。
小学五年生の男子が言う意見にしては不自然であり、山尾と男の子の会話のシーンは仕込みではないかと疑われても仕方ありません。それと例のシーンの写真では、気になる個所があります。この猛暑の中で、山尾と出会った男の子の上半身の服装が長袖なのも不自然です。
もしもこのツイートが仕込みならば、山尾は子供をダシにしていることになります。過去に待機児童問題を訴えていたのも、人気取りのために子供をダシにしていたのかもしれませんね。
まるで小林よしのりのゴー宣で、唐突に描かれる小林とタクシー運転手の会話のシーンや、女性読者からの手紙が紹介されるシーンを彷彿とさせます。
また、物価高やコメ不足など暮らしに関わることが人々の関心を占めている中で、「女性天皇と選択的夫婦別姓」を優先して実現して欲しいという人は果たしてどれくらいいるでしょうか。
このツイートを仕込みでやったのだとすれば、山尾は人々の暮らしに関心を持っていないことが分かります。彼女の支持者である小林が、経済に無知で人々の暮らしに関心を持っていないのとそっくりです。
或いは、もしも「女性天皇と選択的夫婦別姓」を優先して実現して欲しいと考えている小五男子がいたとすれば、親に吹き込まれてそうなったという可能性もあるでしょう。
特定のイデオロギーに凝り固まった親を持つ子供というのは、ある意味で不幸かもしれません。ゴー宣DOJOでも小林の狂信的なファンが親になったら、子供に対して思想の刷り込みを行っていそうですね。
Xに書かれた不自然なシーンについてネット上で炎上をした山尾は、例のポストを削除しました。平気で仕込みを行っていながら脇が甘いところや、批判をされると逃げるという山尾の体質は、彼女の支持者である小林よしのりとそっくりです。
日本一の男尊女卑男、玉木雄一郎!!「女性にはうちの政策は難しくて理解できない」
https://www.gosen-dojo.com/blog/55324/
では、小林よしのりは過去にどのような発言をしていたのでしょうか。
やっぱり女って馬鹿だなと思うとき
https://www.gosen-dojo.com/blog/19589/
>わしが自分を「男尊女卑」だと偽悪的に言うニュアンスを理解しないで、真に受ける女性がいるのなら、またしてもやっぱり女って馬鹿だなと思う。
女には理解できない?
https://www.gosen-dojo.com/blog/29356/
>『コロナ論2』は確かに女の脳では理解できないのかもしれない。差別かな?
過去の小林は、玉木氏と似たようなニュアンスの発言を行っていました。それどころか、彼はたびたび男尊女卑的な発言を唱え続けてきました。
時浦が本当に男尊女卑を批判する気があるのなら、師匠である小林の発言を厳しく批判するべきです。なぜ彼は、小林による男尊女卑的な女性差別発言を批判しないのでしょうか。
おそらく小林は、自らが支持する山尾志桜里氏の選挙での公認が国民民主党から外されたことにより、党代表である玉木氏を敵と見なしたのでしょう。
そもそも山尾氏が公認を外されたのは、不倫問題に対して記者会見で説明責任を果たせなかったことが原因です。山尾氏が選挙で公認を得られなかったのは彼女自身の責任であり、小林が玉木氏に責任転嫁をするのはお門違いです。
時浦が玉木氏の失言を批判しているのは、ボスである小林の意向を受けているだけでしかありません。小林や時浦には、男尊女卑や女性差別を解消しようという気持ちなど微塵もないのでしょう。
(引用開始)
しゃれ春:
先日、小林よしのりさんの3月26日のブログで、「倉持さんが離婚協議を何度も重ねていて、相当額の慰謝料も払われている」という内容が公開されましたが、実際、相当額の慰謝料というのは奥様にお支払いされていたのでしょうか。
A子さん:
小林さんのブログには相当額の慰謝料とありましたが、一般的に言われている慰謝料というものはもらっていません。事実ではないです。
(引用終わり)
https://originalnews.nico/93785
文章の癖が連想させられます。
これらの言説は小林が自分の頭で発言していたというよりは、当時の時流への逆張りだったのでしょう。内ゲバで決別したつくる会の人たちや、親米派が主流となった右派論壇への意趣返しの意図もあったのかもしれません。
そして何よりも、小林による小泉政権批判は、彼の盟友でブレーンだった西部邁の受け売りでもありました。ただし、小林のブレーンだった西部邁は、本当に純粋な動機で反小泉政権の言論活動を行っていたのでしょうか。その辺については、私は当時の背景からすると疑問符を感じています。
なぜなら、西部邁は中曽根康弘や自民党の御用学者だった過去があるからです。リクルート事件の時に西部は中曽根康弘を擁護し、中曽根を追い詰めようとするマスコミや検察に批判的でした。
桑田真澄が金銭スキャンダルでメディアに叩かれていたころ、西部は読売新聞社のオピニオン誌『THIS IS 読売』で桑田を擁護しました。読売新聞社といえば、主筆の渡邉恒雄と中曽根康弘が刎頚の友であったことは有名です。
西部邁は太平洋戦争のことを「大東亜・太平洋戦争」と言い、肯定とも否定とも取れる歴史観の立場を取っています。あの中曽根康弘が昭和の戦争のことを、アメリカに対しては安全保障のために戦ったが、アジア諸国に対しては侵略だったと言っているのと似ています。
西部は、小沢一郎については自民党に所属していたころは好意的でしたが、彼が同党を離党して以降は批判的になりました。小沢による政治改革への批判は、当時の西部が支持していた自民党に恩を売った形とも言えます。
小泉内閣の成立以降、亀井静香を派閥会長とする志帥会(江藤・亀井派、亀井派)は非主流派に転落しました。郵政解散では、亀井や平沼赳夫など亀井派の重鎮たちは反小泉を表明して総選挙を戦っています。
初期の志帥会の最高顧問であったのは、派閥の古株であった中曽根康弘です。中曽根は2003年に小泉純一郎首相の圧力を受け、政界引退に追い込まれました。中曽根は当初は小泉政権に好意的でしたが、引退して以降は小泉の政治手法を「瞬間タッチ断言型」のポピュリズムとして批判しました。
財界人やマスコミ人でも、中曽根の子分とされる人たちはなぜか小泉政権に批判的でした。東急エージェンシー元社長の前野徹や、読売新聞社のドンの渡邉恒雄がそうです。
小泉政権で志帥会が非主流派に転落したことに伴い、小泉純一郎と中曽根康弘の権力闘争が起こりました。中曽根の子分だった人たちが反小泉になったのは、親分の意向を受けていた可能性があるでしょう。
そういえば、あの西部邁もかつては中曽根の子分でした。
西部は中曽根とは距離を置いたかに見えましたが、2000年代に共著を3冊出しています。西部と中曽根のパイプが完全に切れていなかったことが引っ掛かります。西部邁の小泉批判は、かつての親分だった中曽根の意向を受けたものであった可能性を疑われてもおかしくありません。
ちなみに、細川内閣の成立以降、自民党系の反創価学会の団体として四月会が結成されました。西部邁は四月会のメンバーの一人でした。1998年に自民党は反創価学会キャンペーンを取りやめ、2001年に四月会は解散しました。2001年は小泉内閣が成立した年でもあります。
西部は四月会に参加していたため、当時の小泉自民党から用済みとして切り捨てられた可能性があります。西部が小泉を批判するようになったのは、御用文化人の仕事を失ったためという見方もできますね。
小林よしのりの師匠であった西部邁は、果たして正義の言論人であったと言えるのでしょうか。思想家を名乗る彼でさえ、利害関係や政治的な意図で動いていた可能性があります。山尾志尾里を応援している最近の小林もまた、利害関係や政治的な意図で動いている可能性は否定できません。
政治の世界に関わるというのは、どす黒い利害関係と結びつくことをも意味しているのです。善悪二元論では物事は見えてきませんし、現実に迫ることはできません。