立花理佐か市川美織か
愚行録ブログをチェックしている方々の中で、コメント欄まで目を通して下さっている人はどれぐらいいらっしゃるのでしょうか?
正直な話、私はネット記事を読む時にわざわざコメント欄まで目を通すことはまずありません。
それを踏まえると、愚行録に届いたコメントもブログ内で紹介しない限り、読まない人の方が圧倒的多数ということになります。
最近、「大林わるのり」という、明らかに小林シンパを挑発するようなふざけきった名義で投稿してくださっている方のコメント(批評・分析)が素晴らしく、私とはおそらく趣味嗜好から思想やイデオロギーも違う立場の人であることはコメント内容からも窺い知ることが出来るのですが、それでもいちいち納得させられるというか、よく分析しているなぁと感心させられ、刺激にもなっています。
そのコメントをスルーしてしまっている人が沢山いるのは実に勿体ないので、どうかなるべくコメント欄までチェックしていただきたいです。
と、このようにお願いしたところで、煩わしいのでいちいちコメント欄なんか見てらんねーよと思われる人の方が多数派であることでしょう。
なので、ここでサクッとその一部を紹介することにします。
《小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』は、よしりんという現実の彼とはかけ離れた架空のキャラクターを語り手にすることによって成り立ってきました。
美男子で豪放磊落で情にもろく、権威におもねらず直感が鋭い天才漫画家としての「よしりん」というキャラクターを確立したからこそ、読者はゴー宣を支持することができたのです。
過去の歴史上でも、似たようなやり方で言論活動をしていた人がいました。フランス革命期に活躍したジャーナリストで政治活動家のジャック・ルネ・エベールです。
彼は「デュシェーヌ親爺」という新聞を発行していました。この新聞はデュシェーヌ親爺という架空のキャラクターを語り手として成り立っています。
パリに住む庶民であるデュシェーヌ親爺が野暮な言葉で反革命派を罵倒するという手法をとっていたのです。よしりんという架空のキャラクターが読者に支持されたことと似ていますね。
フランス革命後にエベールは、自らの影響力を悪用してとんでもない悪事を行いました。ルイ16世の王妃だったマリー・アントワネットの裁判で、「マリーは息子と近親相姦の関係にあった」と嘘の証言をしたのです。エベールによる嘘の証言は、マリーが死刑になる一因になりました。
小林が自らの影響力を悪用して、敵とみなした人物を嘘による誹謗中傷で陥れるやり方を彷彿とさせますね。
フランス革命後のエベールは、「デュシェーヌ親爺」を軍に購読させて利益を得ていました。宗教右翼とかの組織票のおかげで、『戦争論』『台湾論』のベストセラーを実現した小林とそっくりですね。
『ゴーマニズム宣言』のメッセージといえば「権威よ死ね」であり、小林は何か事があるたびに、自らを王様は裸だと叫ぶ少年になぞらえていました。
その小林よしのりの言論の手法とそっくりな人がいました。あの石原慎太郎です。評論家の適菜収は石原のことをこう分析しています。
「天然のポピュリストで、時代の空気を読むのがうまいので、大衆が何に対してルサンチマンを抱いているのかがわかる。だから、俗情におもねり、権威を否定する。石原の商売はこれだけです。アメリカや中国を批判するのも相手が強そうだからです。
石原は保守でも右翼でもなくて、『強い相手に吠えているオレが好き』という自己愛だけの人ですが、自称保守の頭の悪い人たちが勘違いして接近したりもしました」
(適菜収『平成を愚民の時代にした30人のバカ』宝島社)
適菜による石原慎太郎への分析は、小林にもそのまま当てはまります。時代の空気を敏感に読み、大衆の気分を利用した逆張り発言によって世間の喝采を狙う手法です。小林の「権威よ死ね」「王様は裸だ」の本質は、俗情との結託を利用した逆張りでしかありません。
この2人には思想的な師匠を都合のいい時だけ利用するという共通点もあります。石原慎太郎にとっては三島由紀夫がそうであり、小林にとっては西部邁がそうです。三島も西部も不肖の弟子を持ってしまいましたね。
石原も小林もポピュリストそのものです。流行を警戒し熱狂を嫌い、大衆の暴走を警戒するという保守主義のあり方とは対極の人間がこの2人なのです。しかしながら、皮肉なことに、石原と小林は右派によって保守の英雄として祭り上げられてしまいました。》(大林わるのりさん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/514723729.html
https://washiblogact3.seesaa.net/article/515600470.html
他にも紹介したいコメントがあるのですが、それらはまた別の機会に譲ります。
もし、今すぐ他のコメントも読みたいという方は以下のリンクに纏っていますので、よろしければ活用してください。
↓
秀逸なコメントが届きました - 脱イボナメクジ宣言https://washioblog.hatenablog.com/entry/2025/05/31/041618
「木を見て森を見ない」揚げ足取りか、怜悧な分析か - 脱イボナメクジ宣言https://washioblog.hatenablog.com/entry/2025/06/06/001326
コメント紹介以外にも先ごろ開催された「小林よしのり50周年感謝パーティー」(この名称自体へのツッコミも含め)についても、いくつか指摘しなければいけないとは思っているのですが、ビールを飲んだり、マンガを読んだり、映画を観たりと多忙を極めている我が身であるので、申し訳ありませんが更新頻度はますます鈍化してゆくことご容赦ください。
感謝パーティーについて、一つだけ疑問を投げかけておきましょう。
『夫婦の絆』単行本にサインをした。 | ゴー宣DOJOhttps://www.gosen-dojo.com/blog/53802/
《50周年パーティーには、わしが「感謝」している人を呼ぶので、かつて担当してくれた編集者が多くなるが、ひところ、夢中にさせてくれたアイドルが来てくれるのが嬉しい》
あれ?
同期のジャンプ作家秋本治が義理堅く参加してくれたり、テレ朝やシンエイ動画の絡みで参加せざるを得なかった声優やスタッフの方々については話題にしていたのに、パーティー後に、その「ひところ夢中にさせてくれたアイドル」について一言もないのはどういうことでしょうか?
もしかして約束を反故にされたとか?
立花理佐か市川美織が参加するのかと思わせぶりなブログを書いたのに、どうしたことでしょう?
この記事へのコメント
https://www.gosen-dojo.com/blog/7549/
>これを見てロリコンだなどと揶揄する奴は、芸術的な感性がゼロのケモノ脳の奴だろう。AKB48の可能性は計り知れない。
ところで、小林よしのりは一体何をむきになっているのでしょうか。AKB48はロリコン文化じゃない、AKB48はロリコンビジネスじゃない、と小林は言いたいのでしょう。
小林がどんなに言い訳をしても、「AKB48=ロリコン文化、ロリコンビジネス」「AKBファン=ロリコン」のイメージを世間の人たちが持つのは無理もありませんよ。
小林が2010年代にハマっていたアイドルグループのビジネスのやり方は、決して褒められたものではありません。
若い女の子が女子高生っぽい制服を着て踊り、恋愛をテーマにした歌詞の曲を歌っているわけです。しかも、ファンにCDをまとめ買いさせることによって、制服を着た女の子との握手会ビジネスが成り立っています。
制服を着た女の子を使って、「青春」「少女」というイメージで売っていて、握手会という接触商法をしているのがAKB48です。AKB48はロリコンビジネスと見られても仕方ありませんし、欧米でこんなビジネスをしたら児童ポルノ扱いされるでしょう。
AKB48はJKリフレに似ていると言った北原みのりは、慧眼の持ち主でした。アイドルであることを言い訳にしていたAKB48も、リフレクソロジーであることを言い訳にしていたJKリフレも、ロリコン的なイメージを利用して客との接触商法を行っているという共通点があります。
北原みのりがAKB48はJKリフレに似ていると言った時も、小林はブログでむきになって反論していましたね。
AKB48にハマっていたころの小林は、AKBがロリコン文化と評価されることを嫌がっていましたし、自分がロリコン扱いされることをこれでもかと否定していました。今思えば、小林は自分が実はロリコンであると世間にバレることを恐れていたのでしょうね。
小林が見えない敵を相手にむきになって反論をしているのは、自身の内心である種の恐れや後ろめたさを感じていることの裏返しでもあります。まさに、小林の虚勢ズムここにありです。
「小林先生は以外と渋い趣味の持ち主のようだ。音楽に関しては隅に置けない人だな」
と当時の私は本気で思い込んでいたものです。ゴー宣で小林は、幼いころから歌謡曲の影響を受けていたことを公言していましたね。
大学時代に小林がギターを弾いていたという過去話も、彼の歌ウマ自慢も、ファンだったころの私は真面目に信じ込んでいました。小林は音楽に関しては一家言を持っている人なんだ、と昔の私は勝手に思い込んでいました。
年をとってから小林がAKB48みたいなものにのめり込むなんて、当時の私は夢にも思っていませんでしたよ。
小林は演歌の話をいつの間にかしなくなり、J-POPにハマるようになっていきましたが、それでも私は小林は本当は歌謡曲好きなのだと思っていました。
「演歌が好きでなおかつ最新のJ-POPにも理解を示す小林先生は、頭が柔らかい人だ。さすがは漫画家だ」
と少年時代の私は真面目に思い込んでいました。今思えば、当時の私は青二才でしたね。
今思えば、若いころの小林が演歌好きだったのは、初代秘書だった末永直海の影響でしょう。なぜなら、末永は大の演歌好きでしたからね。彼女が秘書を辞めた後の小林は、演歌の話をしなくなっています。
小林は言論だけでなく、音楽の趣味もブレーンの影響を受けやすい人だったのでしょう。おそらく、末永がいなくなった後の小林は、演歌に対して興味を失って飽きたのでしょうね。
また小林は、流行のアイドルにハマりやすいミーハーな性格の人でもあるということです。『東大一直線』を描いていたころの小林は、ピンク・レディーのファンでした。
だから、演歌歌手の藤あや子もアイドル的な興味によって好きになったのでしょうね。後に、小林が年甲斐もなくAKB48にのめり込んだのもある意味で納得です。
結局のところ、小林はミーハーで軽佻浮薄な人でしかなかったようですね。
当然ながら、小林は音楽に対して深い理解を持ち合わせていない人でもあったと言えます。
そんな浅はかな三流文化人の言動を「もしかすると深い意味があるはずだ」と大真面目に考えていた少年時代の私は、本当にお人よしそのものでした。ゴー宣にハマっていた青春時代は、今となっては恥ずかしい思い出です。
当時の小林は、今の大学をいったん退学し、受験勉強を行ってもっといい大学に入りたいと両親に言い出しました。当然のことながら、小林によるこの要求は彼の母親に却下されています。
漫画では、小林はこのことを反省しているように描いていました。しかしながら、小林は本当に反省していたのでしょうか。何しろ、彼は平気で自分を粉飾する男ですからね。
「母親が邪魔をしたせいで、わしは福岡大学のような三流大学しか出られなかった」
という恨みがあったから、こういう回想シーンを描いた可能性があるかもしれません。
小林は、子供のころに両親から虐待を受けた過去がある男です。小林は虐待の過去を根に持っているから、自分の学歴についても母親を逆恨みしていてもおかしくないでしょう。
ゴー宣を執筆するようになり、知識人たちと交流を深めていく中で、小林は学歴コンプレックスや知的コンプレックスに苦しんだ可能性だってあるはずです。
しかしながら、商業高校に通っていたころの小林は、学歴に対するこだわりなどありませんでした。商業高校を卒業した後は、石ノ森章太郎のアシスタントを経て漫画家になることが当時の小林の夢だったのです。
大学に通うことを勧められたのは、小林が通っていた高校の先生からのアドバイスでした。それをきっかけに、小林は受験勉強を始めています。
小林が三流私大しか出られなかったのは、学業を舐めていた高校時代のツケを払わされたことと等しいのです。小林は過去の自分を反省しないまま、学歴コンプレックスと母への逆恨みを募らせていったのでしょうね。驚きだよ。悲しいことだよ。
小林よしのり「大昔は漫画家の多い吉祥寺に住もうとも思ったけど、漫画家友達が多くなると逆に幅が狭まると思ってやめた。それで秋本治と意気投合した。」
小林よしのり「総合Pちぇぶのドレスは膨らみがすごかった。芸能人のように豪華ドレスで脚線も魅せてたエゾリスには三味線とか男性門下生が群がっていて、スケベな奴らばっかりだ(笑)」
小林よしのり「男性漫画家のパーティーと言えば下駄やドテラとかどうやってホテルに入れたんだと思う奴らばっかり。今回は女性が着飾って嬉しい。もっときわどく見せて。」
小林よしのり「愛子立太子を急がなきゃ。失礼な言い方だけど女性は20代のうちが綺麗。男系派は立太子したら夫が現れないと言うけど、それはモテない男の妄説。若い女の魅力はすごい。」
総合Pちぇぶ「綺麗な女性がいると場が華やぐ。これは男尊女卑とかじゃなく、当然のこと。」
泉美木蘭「男系派には、こういう人生の豊かさとか全然ないんだろうな。国連に出張って行った女たちはコスプレ的に着物を着てるだけ。しろくまさんもマナー違反を指摘してたけど。」
総合Pちぇぶ「ダンケーの女ってすごいブスだし。参院自民党に元女優の男系派がいるけど、昔と比べて顔がものすごく変わっちゃってる。」
小林よしのり「門下生の動きが活発。これは選挙運動じゃなくて政治活動。ポスターもみんなで数百枚単位をすぐ全国配布してくれる。統一協会なんか目じゃない。政治家たちもゴー宣DOJOの底力を知るべき。」
特典商法や複数商法でファンにCDを大量購買させ、ヒットチャートを独占するやり方は問題があります。自らの実力で売れるのではなく、ドーピングによって売れるやり方は果たして公正な競争と言えるのでしょうか。
実力は関係なく特定のグループが組織的な力でヒットチャートを独占することで、本当に実力のある人が日の目を見ないまま埋もれるのは、この国の芸術の発展のためにプラスになるとは思えません。大型のチェーン店が進出していくことで、商店街や個人の小さな店が潰れて行く過程と似ています。
同じようなアイドルグループの曲がヒットチャートを埋めて音楽が均質化されていく現象と、大型のチェーン店が街や道を埋め尽くして景色が均質化されていく現象は実によく似ています。
小林を含めたAKB48のファンが、売り上げの高さをやたらと誇っているのも違和感がありました。
「質の良し悪しは関係なく、どんな手を使ってでも売れているから偉い」
という発想は商業主義や拝金主義そのものです。どんな手を使ってでも金を稼げればそれで良いというホリエモンの発想と似ています。
AKB商法は、小林があれほど批判していた新自由主義や市場原理主義と親和性が高いものなのです。一体どうして、小林は自らの思想と水と油のAKB商法に違和感を感じないのだろうか、と当時の私は思いましたね。
また、総選挙という名前で人気投票の形をとり、特定のアイドルへの投票活動を煽るのも違和感がありました。
表向きの作られたアイドルのキャラを信じ、ファンが盲目的に「推し」を応援するという光景を、政治に当てはめたらどうなりますか。「正義の改革派」という作られたキャラを信じ、B層が盲目的に小泉純一郎を応援した光景と重なって見えます。
現在の小林が、「推し活」に近い形で山尾志尾里を盲目的に応援している光景とも似ています。
AKB商法は、小林が保守主義の立場から批判していたポピュリズムや大衆化とも親和性が高いものです。流行を警戒し熱狂を嫌うのが保守思想の立場ですが、AKBブームの時の小林は保守思想をドブに捨て、流行を盲目的に信じ熱狂に溺れてしまったのです。
さらに、「推し」を絶対視することで批判者をアンチと決めつけて憎むのも問題があります。異論を唱える人間をアンチと決めつけ、批判を一切認めなくなることで、ファンは狂信的なカルト信者化して暴走していきます。小林が批判していたオウムとかのカルト信者の特徴に当てはまりますし、狂信者となったファンは「純粋まっすぐ君」であるとも言えます。
「ファンかアンチか」という二元論を覚えた影響なのか、小林によるファンへのスタンスは変化していきました。
かつての小林は「わしを疑え」と言い、建前としてはファンが自らの頭で考えることの大切さを主張していました。AKBにハマってからの小林は「わしを批判する人間はアンチ」にスタンスが変わり、ファンが思考停止して盲目的に自分の言説を支持することを求めるようになりました。
小林がAKB48の推し活で覚えた「ファンかアンチか」という発想は、ゴー宣道場の蛸壺カルト化の促進につながったと言えるでしょうね。
ただし今思えば、小林がAKB48にのめり込んだのは、それまでの成り行きからすると必然だったのかもしれません。
『おぼっちゃまくん』のパチンコ化で京楽と知り合い、京楽がスポンサーであるAKB48を知ったという見方もできます。宗教右翼というスポンサーに支援されていた「つくる会」の時代と同じく、AKB48の御用文化人だったころも小林はスポンサーの支援ありきで言論活動をしていたのです。
また、小林が実はロリコンであったということも一因としてあるでしょう。AKB48によるロリコン商法は、小林の性癖とも相性が良かったのです。小林が熱狂的に応援していた「推し」の一人は、幼児体型で童顔の市川美織でしたね。
さらに、小林は人気投票による競争システムを持つ『週刊少年ジャンプ』の出身であったため、商業主義には違和感を感じないのでしょう。しかし、カルト的な組織票で市場を独占するAKB48のやり方は、公正な競争に基づくジャンプの人気投票システムとは似ても似つかないものです。
『戦争論』など右派論壇の広告塔だったころのベストセラーは、宗教右翼の組織票によるまとめ買いのおかげでした。組織票を使ったまとめ買いというAKB48のやり方に、小林が違和感を全く覚えなかったのも今思えば納得です。
新ゴー宣時代の小林が描いた盲導犬の犬権を守れという話では、「子供も大人もみんなガキ」というナレーションのコマがあります。あのコマの絵で、セーラームーンのアニメを見ているロリコンのオタクと、AKB48にのめり込んでいる小林の姿が、私にはかぶって見えました。
「小林はあれほど大人になれと言っていたのに、大人であることをやめてガキになったのだ」
と当時の私は思いました。
小林は落ちるところまで落ちたと当時の私は思っていましたが、まさかあれより下の方まで彼が落ちていくとは夢にも思っていませんでしたよ。