「なめられちゃたまんないよォ、たかが一漫画家に!」
https://x.com/hisako_pko/status/1925787518852563065?s=46&t=KtUK2XEOGqno6mJtKNAi8A
https://www.imperialhotel.co.jp/tokyo/banquet/plan/135-cocktail-buffet
今夜開催されている小林よしのり先生漫画家生活50周年記念パーティー(帝国ホテル)に招待されなかった腹いせなのか、八つ当たりなのか分かりませんが、もつ焼き屋の娘さんがまったく反論になっていない言いがかりをつけてきて困惑しております。
《大林何某さんの「木を見て森を見ない」揚げ足とりを怜悧な分析と絶賛する鷲ヲさん。悲しいことだよ。
小林は儒教を全否定していません。「男尊女卑」に関しては儒教の影響下にあると言っている。そしてそれは神武天皇が生きた3世紀より後から入って来た概念であると。》(もつ焼き屋の娘さん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/515815865.html
大林わるのりさんからのツッコミが入るのかどうか、それは大林さんの気分次第であり、そのツッコミ待ちをしても良いのですが、日曜日の私は暇人であり、リビングでぐんぐんに缶ビールを呷り、ご陽気になっておりますので、私は私で私なりの回答をしておきたいと思います。
時浦妻を自称する方のコメントによりますと、「小林は儒教を全否定していない」とのことですが、少なくとも皇統問題に前のめりになってからの小林よしりんは儒教について否定的な言説しか吐いておらず、「全否定していない」などという根拠はどこにもありません。
それどころか小林はブログに次のように書いています。
「皇統の男系固執だって完全なカルトだろう。カルトの根源には、シナ男系主義、儒教の影響がある。」(https://www.gosen-dojo.com/blog/39126/)
小林は「カルトの根源は儒教」とまで言い切っています。なのに時浦妻は「小林は儒教を全否定していない」と強弁するのですから笑かしてくれます。
小林は、神武天皇の実在を証明したとされる故田中卓皇學館大学元学長の主張を否定しており、「儒教は神武天皇が生きた3世紀より後から入って来た概念である」などとゴー宣のどこに描いているのか教えて欲しいものです。
小林は週刊SPA!最新号の連載マンガで、「4世紀頃から儒教が流入してきて、7〜8世紀に律令を取り入れ、そこから次第に男尊女卑が浸透してしまい…」と書いており、明らかに儒教そのものを否定的に捉えています。
《男系派に天照大神を皇祖神と崇めておきながら何故女系を否定するのかと尋ねると「天照はフィクションだから」と答えるわけですが、神武天皇から続く万世一系という歴史もフィクション。天皇家が自らの正統性を証明するために作り上げた神話。そしてそれは女系の天照から始まる。》(もつ焼き屋の娘さん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/515815865.html
男系派のみならず、故田中卓皇學館大学元学長も含め、生真面目な尊皇派は神武天皇をフィクションとはしていません。
左翼やリベラルなどの学者に媚びて「科学的な見地に立てば神武はフィクションと認めざるを得ない」などと言ってしまった瞬間に皇室の正統性は失われてしまいます。
時浦妻は破滅衝動がお強い方であるようですから皇室解体を煽ることに何の躊躇もないのでしょうから、「物語だからそこは嘘です」と平然と言ってしまえるのでしょうが、歴史や伝統を重んじる真っ当な保守派がそれを許容出来るわけがないでしょう。
《なら悠仁さまにもない。揚げ足取りが幼稚なんですよ。》(もつ焼き屋の娘さん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/515815865.html
あの〜、「皇統イコール血統主義ではない」と手前勝手な主張をしているのは小林よしりんであり、私はそんなことは微塵も言っていないのですが…
さすがは酔客の品のない会話を浴びるように聞いて育ってきただけあって理解力に乏しいようで驚きだよ。悲しいことだよ。(https://www.gosen-dojo.com/blog/23421/)
《欠史八代とは神武からではなく第2代から第9代まで。
そして第10代の崇神天皇が生きたのは3世紀後半から4世紀です。》(もつ焼き屋の娘さん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/515815865.html
理解力の乏しい時浦妻からのレクチャーを受けるまでもなく、欠史八代は綏靖天皇から開化天皇までのことを指すことぐらいは一般教養として知っていますよ。
小林は初代神武の実在を否定し、欠史八代が学術的な常識であると主張しているのですから、「神武から開化までの実在を否定している」との指摘は何ら間違っていないでしょう。
マジ読解力なさすぎて引くわ〜。
《Q. 日本に儒教が流入したのは何世紀?
A. 6世紀(第26代天皇の時代)》(もつ焼き屋の娘さん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/515815865.html
これは小林がマンガに描いた「4世紀頃から儒教が流入してきて」へのツッコミでしょうか?
《鷲ヲさんは小林が行った薬害エイズ運動は間違っていたと思いますか?それがこの問題の「森」です。》(もつ焼き屋の娘さん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/515815865.html
ちょっと何言ってるか分からないんですが?
当時、小林が薬害エイズ運動に関わったことに関しては、それなりの広報の役割は果たしていたと思いますが、それ以上の評価は特にありません。
社会運動の参加の是非については別に人それぞれ好きにすれば良いですし、私は神様ではないのでその行為の正誤について判定する立場にはありません。
やった本人が、のちのち振り返って「やって良かった」とか「やらなきゃ良かった」とか勝手に反省会なりなんなりすりゃいいのではないでしょうか。
《小林が戦争論2で同時多発テロを一部肯定的に取り上げ、つくる会の親米派の面々と亀裂が走り出したのが2001年、脱会が2002年。》(もつ焼き屋の娘さん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/515815865.html
いや、1999年の段階で、つくる会内部で亀裂入りまくりであった気が…
あと、私がゴー宣道場の公式掲示板に投稿していた頃、道場参加者からやたらと生長の家の会合に誘われていて、それを管理人である時浦が黙認していたのはなんだったのだろうか…
《朝鮮併合を含む大東亜戦争肯定論を描いといて統一教会への配慮て。面白いギャグですね。》(もつ焼き屋の娘さん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/515815865.html
大林わるのりさんはその矛盾にツッコミを入れているのに、それが理解できない知能に、驚きだよ。悲しいことだよ。
この記事へのコメント
新しい歴史教科書をつくる会で、小林とともに結成メンバーとなったのが藤岡信勝です。従軍慰安婦論争では、小林と同じく藤岡も強制連行否定の論陣を張っていました。
つくる会時代の小林と同じく、藤岡信勝もまた宗教右翼から支援を受けていた人物なのです。藤岡は共産党系の教育学者でしたが、1991年の湾岸戦争を機に保守派に転向しています。94年に藤岡は、高橋史朗や日本青年協議会と協力して自由主義史観研究会を結成します。
日本青年協議会の源流となったのは、昭和のころの生長の家系の大学生による右派系の学生運動が源流です。同会会長の椛島有三は長崎大学の出身です。椛島の母校の長崎大学は、生長の家信者の学生による右派系政治運動が熱心に行われていました。
藤岡の自由主義史観研究会も、谷口雅春を信奉する生長の家系人脈が関わっていたのです。
一方、藤岡とともに自由主義史観研究会に関わった高橋史朗の背後関係も無視できません。
高橋史朗は、早稲田大学在学中は「生長の家学生会全国総連合会」の委員長を務め、卒業後も生長の家と深い関係にありました。また、高橋は世界日報と付き合いがあるなど、統一教会とも仲がいい人間でもあります。谷口雅春が生きていたころの生長の家は、国際勝共連合とも連携していました。
ちなみに、藤岡信勝もつくる会結成後は統一教会にも取り込まれ、世界日報と付き合いを持つようになりました。
1996年12月2日、新しい歴史教科書をつくる会が結成されます(設立総会は1997年1月30日)。自由主義史観研究会の会長だった藤岡信勝は、つくる会の結成者になりました。さらに1997年5月29日、日本会議も結成されました。両者の結成は連動しています。
日本会議の結成に関わったのが、谷口雅春以来の右派路線を信奉する生長の家系の人脈でした。日本青年協議会会長の椛島有三は、日本会議では事務局長となっています。できたばかりのつくる会の支持母体となったのが、日本会議なのです。
つくる会に参加したことで小林は、宗教右翼の組織票の支援を受けるようになりました。
「子どもと教科書全国ネット21」事務局長・俵義文は、歴史教科書運動がキリストの幕屋に支援されていることを指摘していました。
つくる会の各地の支部で活動家として、運動を熱心に支えていたのがキリストの幕屋の信者たちです。小林が9.11後に対立したイスラエル寄りの宗教団体の正体とは、彼らなのです。つくる会での藤岡信勝や西尾幹二の講演の開催も、キリストの幕屋が関わっていました。
もちろん、キリストの幕屋も日本会議に関わっています。日本会議は、谷口雅春原理主義の生長の家人脈によって結成され、数々の右派系の新興宗教が運動に参加しています。宗教右翼勢力が合体することによって成り立っているのが日本会議です。
キリストの幕屋が関わる右派系運動では、運動の関係者の著書のまとめ買いが行われます。西尾幹二の『国民の歴史』や、小林も執筆に関わった『新しい歴史教科書』は、キリストの幕屋の信者たちがまとめ買いをしてベストセラー化しています。
小林の『戦争論』『台湾論』も、キリストの幕屋の信者たちがまとめ買いしていた可能性はあり得ます。
キリストの幕屋と小林は、同時多発テロ事件の評価を巡り対立するようになりました。親米で親イスラエルでイスラム教を憎んでいる幕屋の信者たちからすれば、小林が反米化してイスラム過激派のテロリストに同情したのは憎いに決まっているでしょう。
何よりもキリストの幕屋の信者からすれば、
「本をまとめ買いして運動の広告塔として育ててきたのに、反米化とイスラムのテロ賛美で裏切られた」
という感情だって小林にはあるでしょうね。可愛さ余って憎さ百倍とはまさにこのことです。
2002年の『戦争論2』シンポジウムで、小林に野次を飛ばしたつくる会活動家がどこの宗教団体の信者なのか気になります。
右傾化して以降の小林は、宗教右翼の組織票でベストセラーを作る手法を確立しました。しかしその手法に頼ってしまうのは、組織票なしでは本が売れなくなることにつながりかねません。事実、つくる会退会後の小林は、徐々に本の売り上げを落としています。
宗教右翼という組織票に頼るのは、ある意味では悪魔との契約に等しいと言えます。小林にとって、悪魔との契約の代償は大きいものでした。
いろんな人に接して徐々に小林の洗脳から覚めて社会復帰してもらいたいね。
鳥山明を出さなくてもしばき隊の人たちにも相手にされていない底辺の吹き溜まりなんかと付き合うよりはその時間をドラクエをやったほうが有意義だから。
ここでオーナーの個人情報を書き込んでいる人に言っておくけど、そんな事よりは鶴橋にきてエルネスト金と会って北新地リンチ事件のことを話したほうがいいよ。あなたの仲間はその人に対してもビビっているヘタレだから。
そんなヘタレ達の肩を持ってこのブログで恫喝しても小林の評判は上がることない。逆に都合の悪い人をしばくだけの異常者だと思われるよ。
そういえば、しばき隊も同じようなことをしていたね。リンチ事件の根幹にもなってるし、それであちらも評判を落としたけど。
僕の知り合いと同じようになりたくなかったら、もう少し視野を広げたほうがいいと思う。
小林が所属していた新しい歴史教科書をつくる会は、日本会議が支持母体でした。日本会議の支持母体となったのは、谷口雅春以来の右派的な路線を支持する旧生長の家の信者たちでした。小林の『台湾論』の案内役となった蔡焜燦も、生長の家の信者でした。
生長の家は、谷口雅宣が実権を握ってからはリベラルな思想に転向しています。教団の転向を不服とした谷口雅春以来の右派路線の支持者たちは、分派活動を始めました。
新右翼団体の一水会は、自決した三島由紀夫の志を受け継ぐ形で結成されました。同会創設者の鈴木邦男は生長の家の信者であり、彼の思想的な師である三島も生前は生長の家の影響を受けていました。谷口雅春の著書『占領憲法下の日本』には、三島由紀夫が序文を寄せています。
初期の『ゴーマニズム宣言』で、小林よしのりは鈴木邦男と対談しています。リベラルだった当時の小林は、鈴木が温厚で物分かりの良い人物であることに感心していました。鈴木がリベラルな思想にも理解を示していたのは、今思えば教団の意向に沿っていたのでしょう。
生長の家が右派からリベラルに思想を転向させたことに伴い、教団の信者であった鈴木邦男も極右からリベラルに思想を転向させているのです。
鈴木邦男が代表を退いた後の一水会は、木村三浩が代表を務めています。小林が編集長を務めていた『わしズム』には、木村もたびたび寄稿していました。
小林は、オウム事件を巡る言説を巡って鈴木邦男と対立していました。しかし、2000年代になってからは鈴木や一水会と関係を修復しています。小林は、反米やアジア主義という共通点だけで木村や一水会に好意的だっただけではないでしょう。
つくる会離脱以降、宗教右翼による組織票の支援が以前ほど積極的でなくなったことにより、小林は新たな組織票を得る必要があったのでしょうね。組織票の支援に頼れなくなるというのは、本が売れなくなることとイコールなのですから。
『わしズム』が売れずに廃刊したことと『パール真論』の大コケで、よしりん企画は赤字を抱えたのでしょう。赤字を解消するための起死回生の策が、右派の組織票目当ての『天皇論』と、臨時収入を得るための『おぼっちゃまくん』パチンコ化だったのです。この2つの策は裏目に出ました。反米化以降も小林を支持していた右派たちを敵に回してしまったのです。『天皇論』で将来の女系天皇を容認したことは、一部の右派論客から不興を買いました。
2009年8月から小林は『天皇論』の続編の「天皇論追撃篇」で、本格的に女系天皇支持を唱えるようになりました(後に『新天皇論』として単行本化)。翌2010年は、小林のゴー宣道場(現・ゴー宣DOJO)が結成されました。ゴー宣道場には、生長の家の信者が潜り込んで活動するようになりました。
生長の家といえば、谷口雅宣が実権を握って以降は女系天皇を支持しています。一方、谷口雅春派の人たちは男系天皇を支持しています。
小林と対立した神道学者の新田均は、男系天皇の支持者です。つくる会を内部告発した西尾幹二によると、新田均は早稲田大学時代は生長の家のサークル「ニューソート研究会」に所属していたそうです。
早稲田大学は、谷口雅春の母校だったこともあり、生長の家が勧誘活動を熱心に行っていた大学なのです(ちなみに、あの鈴木邦男も早稲田大学出身です)。新田による男系天皇支持は、谷口雅春派の旧生長の家の宗教の意向だったのでしょうね。
右派陣営での男系天皇か女系天皇かの対立は、生長の家が分裂した影響が裏であった可能性があるでしょう。
そういえば、2010年代以降の小林は政治思想をリベラルな方向に転向させています。これは、単に安倍政権やネトウヨへの逆張りだけではないでしょう。ゴー宣道場に潜り込んでいる生長の家信者たちへの配慮もあるのかもしれません。
当時、小林の案内役を務めた一人が蔡焜燦でした。彼は、過去に司馬遼太郎の案内役も務めています。蔡焜燦は生長の家の信者でもあり、彼の著書『台湾人と日本精神』は同教団の出版社である日本教文社から出版されていました。
『台湾人と日本精神』の絶版問題も今なら背景が理解できます。生長の家で見るならば、右派的な歴史観を持つ蔡焜燦は谷口雅春派であり、同著を絶版にした日本教文社はリベラルな谷口雅宣派だったのです。
日本の右派が台湾に好意的な態度を取っているのは、政治がらみの事情が裏でありました。なぜなら、冷戦時代から台湾ロビーというものが存在してきたからです日本の政治家で親台湾とされているのは、岸信介や石原慎太郎などタカ派の政治家が目立ちます。
岸信介、笹川良一、児玉誉士夫、文鮮明、蒋介石は世界反共連盟(WACL、現・世界自由民主連盟)の主力メンバーでした。文鮮明は国際勝共連合の結成者となり、岸、笹川、児玉は日本国内での同団体の発起人になっています。
岸信介をはじめ日本国内での台湾ロビーは親米タカ派であり、国際勝共連合とも連動していたのです。冷戦時代に勝共連合と連携していたのが、谷口雅春が教祖だったころの生長の家です。当時の生長の家は、日本国内での右派系の政治運動の有力な支持母体でした。
ちなみに、蒋介石は文鮮明とともにWACLのメンバーでしたが、台湾では統一教会を弾圧していました。李登輝政権になってから文鮮明は台北を訪問し、立法院でスピーチをしています。21世紀になってからは、統一教会は台湾で政府から優秀宗教団体として毎年表彰を受けるようになりました。さらに、李登輝友の会にも世界日報と付き合いのある勝共文化人が関わっています。
今思えば、小林の『台湾論』の案内役の蔡焜燦が、生長の家の信者であったことも納得がいきます。また、右派論壇の寵児であった小林が李登輝と対談できたことも納得がいきます。小林の『台湾論』の案内役の一人である金美齢が、台湾総統府国策顧問だったことも納得がいきます。
つまり、『台湾論』を描いていたころの小林は、台湾ロビーの文化人として宗教右翼や台湾政府に利用されていたのです。当時の小林は、台湾政府にとって利用価値のある人間と見なされていたから、ブラックリスト入りも短期間で解除できたのでしょう。つくる会参加以降の小林は、宗教右翼の組織票に支援されていました。
そもそも、第二次大戦後の台湾は、日本や韓国と同じくアメリカの属国です。中国に飲み込まれないようにするために、アメリカに追従するしかないという背景も台湾にはあります。日本の親米タカ派や宗教右翼、世界反共連盟(WACL)と台湾が連携していたのもそういうことです。台湾は親日なのではなく、日本を自分たちが利用するための国として割り切っているのですよ。
世界には良い国と悪い国が存在しているという、善悪二元論では国際情勢の現実を理解することはできません。小林は、大きな勢力に踊らされていたピエロでしかありませんでした。
曰く「難しいポーズなせいで描けない」
「エロ漫画を買ってみたけど、これから描く絵のポーズが特殊なせいで参考にならない」
「ヌードのポーズ集を探してくれと秘書に頼んでるんだが、なかなか見つからない、電子書籍にもない」
「大きな書店に行くしかないのか?」
「わしが金持ちなら、ヌードモデルを雇ってスタジオを借りてクロッキーをいっぱいするんだが」
……えーと、世の中にはせいぜい数千円で買えるデッサン人形というのがあるし、ヌードの物はなくても、水着などで体型が充分わかるポーズ集なんて腐るほどあるんですが。
そもそも、エロ漫画より特殊なポーズってどんなのなんでしょう?
日頃から「わしはEDになっても女性にモテる」と豪語してるんですから、愛人女性に頼んでポーズを取ってもらえばいいだけでは?
もうすぐ後期高齢者のイボ先生ぴゃんが何も知らないのはともかくとして、プロフェッショナルのはずの作画スタッフも、その程度の知識がないんでしょうか?
それとも、イボ先生ぴゃんが唐突に絵にこだわりある意識高いアピールをしても、作画スタッフからは「イボ先生、まーた何か言ってるよ」ってスルーされてる?
タコツボの狂信者達は、こんなのを見ても「イボ先生ぴゃんのプロ意識ってスゴイ!」と褒め称えるんでしょうか……
ますます一般からは乖離していきますね。
「中居ヅラ」という言葉があるそうです。
ゴー宣DOJOの取り巻きたちは皆なんであんなに攻撃的なのか?ということもこの理屈ですね。
>「自分の賛辞は、“推し”に絶対プラスになると信じて疑わない。『私の宣伝は“推し”に貢献している』とすら思っている。そして、“推し”が問題のある行為や発言をしても、無理矢理な擁護に走る。すると、同じアイドルのファンからも疑問を持たれるし、普通の人はその界隈に関わりたくないと考える。ただ、そういう声を出すと、賛辞しか許さない人たちは攻撃に走る。そのため、周りは沈黙を保つ。つまり、“推し”に心酔しきっている人には、自分に都合のいい情報しか届かない。SNS社会の闇と言える“エコーチェンバー現象”です。これが中居ヅラの結束を生み、誹謗中傷を加速させている面もある」
生長の家は2代総裁が谷口清超、3代総裁が谷口雅宣となっています。雅宣が実権を握ってからの生長の家は右派的な政治路線を取りやめ、リベラルな思想に転向しました。これに反発した昭和以来の谷口雅春支持者の信者たちは、教団を離脱して右派的な政治運動に今も関わり続けています。
谷口雅春以来の右派運動を支持する人たちは、平成に入ってからは右派的な政治運動団体として有名なあの日本会議の支持母体となりました。新しい歴史教科書をつくる会の結成は1996年12月2日(設立総会は1997年1月30日)、さらに日本会議の結成は1997年5月29日であり、両者が結成された時期はほぼ連動しています。宗教右翼の影響力が強い日本会議が、誕生したばかりのつくる会の支持母体となったのは明らかです。
谷口雅春時代の旧生長の家と国際勝共連合が連動していた事実を見ると、
つくる会にも勝共文化人が幹部として参加したのは当然の成り行きだったのでしょうね。小林は表向きは反統一教会だったくせに、つくる会時代は勝共文化人と共闘していたのです。
小林はつくる会離脱後に、9.11の評価を巡ってイスラエル支持の宗教団体と対立していたことに言及しています。イスラエル支持の宗教団体とは、キリストの幕屋のことでしょう。つくる会を批判してきた「子どもと教科書全国ネット21」初代事務局長・俵義文は、キリストの幕屋がつくる会の有力な支持母体となっていることを指摘しています。キリストの幕屋は、西尾幹二の『国民の歴史』のまとめ買いも行っていました。
あの『戦争論』や『台湾論』も、小林がつくる会に参加していた時代に大ベストセラーになっていましたね。
その後、日本会議による乗っ取り騒動によって、歴史教科書運動はつくる会と日本教育再生機構(教科書改善の会)に分裂しました。日本会議の影響力が強い団体が日本教育再生機構(教科書改善の会)です。
生長の家といえば、初代教祖のころから天皇を現人神として崇拝する狂信的な尊王派の教団として有名でした。生長の家の関係者は谷口雅宣派の人たちが女系天皇支持であり、離脱した谷口雅春派の人たちが男系天皇支持を主張しています。
ちなみに、小林は『新天皇論』以降は女系天皇の支持を唱えており、熱烈な尊王派であることを強調してます。ゴー宣道場(現ゴー宣DOJO)で活動している生長の家信者の人たちは、おそらく谷口雅宣派の可能性が高いでしょうね。
宗教団体の関係者が運動に参加していれば、著書のまとめ買いも行ってくれるから、小林にとっては大助かりでしょう。