自業自得の転落人生

「小林よしのり亡きあと『戦争論』をどう伝えていくか」 | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/53407/

《「ゴー宣DOJOの参加者で若者世代が増えていない」先生にそうご指摘され、現状の数字から、たしかにそうだなと言わざるをえません。

今、よしりん企画様、門下生、総力をあげて、動画活動に力をいれています。

力をいれる方針をとってからまだ1ヶ月程度ですが、想定よりも早く反応が見えはじめ、今後の動画活動の反応がますます楽しみになってきています。

動画活動は若者世代も含めて、あらゆる世代、世界に、先生の思想を伝えることを狙っています。》


総合ぴーモン子曰く、「動画活動は若者世代も含めて、あらゆる世代、世界に、先生の思想を伝えること」を狙っているそうです。

というか、「動画活動」ってなんやねん!

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↑こんな「動画活動」なんか晒したら、若者どころか、真っ当な老若男女漏れなくドン引きするということが分からない時点で詰んでいるでしょう。


しかし確かに私たちは例の訴訟問題などがあり、「動画活動」を怠っていたのは事実です。

ということで、早速イボナメクジ研究所も「動画活動」を再開しましたので、よろしければゴー宣DOJO公式サイトで紹介してくださっても良いですよ。

https://youtu.be/Uagkx-N8tNc?si=-ygVdEv7bFc-k_F2

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当方イボナメクジ研究所では、「動画活動」だけではなく、例の「訴訟問題」についての小林よしのりの関わりの深さなどを陰謀論チックに追及していく所存ですので、そちらも是非ともゴー宣シンパの方々に拡散希望します。

水色の街 | ボードレールはもう読まないhttps://ameblo.jp/wasioto-211/entry-12891944635.html


鳥山明氏の訃報を茶化す小林よしのりPart.69 - 脱イボナメクジ宣言https://washioblog.hatenablog.com/entry/2025/03/30/203352


というか、もはや今や唯一のアンチとも言える愚行録ブログに対して完全スルーしているゴー宣DOJOの腰抜けぶりに笑いが止まらないのですが、いつまでも逃げ回っていて恥ずかしくないのでしょうか?

すげー不思議。

この記事へのコメント

大林わるのり
2026年06月14日 01:39
Vol.577「沖縄と本土、どちらが辺境か?」
https://note.com/yoshirin_k/n/nd18326dc3203

小林やゴー宣道場は次々と支持者が去ってすっかり没落していますが、それでもなお運動団体に残り続けて小林思想を捨てようとしない公論サポーターが未だに存在しているようです。

今でもなお小林信者を続けている人間の思考のレベルがいかなるものであるかは、狂信的シンパの三味線の発言を見れば良く分かります。

ライジングのコメント欄で三味線は、竹田恒泰のことを「宮様詐欺師」呼ばわりした上に、「逮捕・拘束・措置入院(できれば外患誘致罪で即刻死刑に)させた方が良いのに」とまで言っています。

三味線もそうですが、ゴー宣道場に残っている狂信的な門下生は、自分が「敵」と決め付けた人間を徹底的に憎むあまり、一線を越えた誹謗中傷を厭わない人間となっています。

また、三味線が竹田恒泰のことを、「逮捕・拘束・措置入院(できれば外患誘致罪で即刻死刑に)」させろとまで言っているのは、自分たちの思想と異なる人間は絶対悪だから、社会から強制的に排除しろと言っていることにも等しいものです。

もしも三味線のような独善的で異論を認めない人間が何かの間違いで政権を握ったならば、ほぼ確実に全体主義そのものの恐怖政治が行われることになるでしょう。

自分たちが信奉する特定の思想の「正しさ」を全く疑おうとせず、「敵」と決めつけた者を憎悪して社会から排除すべきだとまで考えている三味線の発想は実に危険です。

狭量で独善的で全体主義と親和性がある三味線の発想を見ていると、現在までゴー宣道場に門下生として残った人間の質が思いやられます。
大林わるのり
2026年05月31日 23:59
案の定、小林一派は今回の沖縄ジャイアンリサイタルを手放しで称賛しています。蓼食う虫も好き好きという諺もあるように、沖縄LIVEの参加者たちの中には、お義理で褒めているのではなく本気で小林に心酔している狂信者もいるのでしょう。

しかし、小林のジャイアンリサイタルを手放しで支持できるのならば、その人はまともな現実が全く見えていません。

小林ジャイアンリサイタルは公論形成や尊皇の大義とはかけ離れているのではないかとか、そもそも小林の歌唱力もトークも残念過ぎるではないかとか、プロとしての立派な芸術ではなくただのアマチュアのごっこ遊びではないかとか、まずはそういった基本的な突っ込みをしておく必要があります。

ボッタクリ商法であることを隠そうとしなくなったジャイアンリサイタルは、参加すること自体が金の無駄で生活のために役に立たないではないかという突っ込みも当然できるでしょう。

私としては、そもそもカラオケ大会の開催はただの気休めでしかないという突っ込みをしておきたくなります。

ゴー宣道場のジャイアンリサイタルとは、シンパたちが独裁者(小林・ちぇぶ)から陳腐な娯楽と安っぽい飯を与えられて、現実逃避しながら楽しんでいる光景と言えます。

例えるならば、ジャイアンリサイタルに参加して喜んでいるシンパたちは、独裁者から「パンとサーカス」を与えられて喜んでいる愚民そのものの姿に見えます。しかし、その腐った全体主義の集団では、堕落した独裁者が自ら「パンとサーカス」に没頭して喜ぶ有様となっているようです。

小林一派がカラオケ大会を大成功扱いして総括したところで、運動の行き詰まりが小林の歌の力によって一気に打開されることは絶対にあり得ません。

当然ながら、小林本人が幼稚なカラオケ趣味にのめり込んで自らの歌には力があると勝手に思い込んだとしても、彼自身の没落を打開する効果が発揮されることはあり得ません。

何よりも、狂信的シンパが小林ジャイアンリサイタルと一体化して本気で楽しいと思ったとしても、それ自体が無意味な行為で現実逃避のための気休めでしかありません。

沖縄だからこそできた、とんでもない感動と興奮の沖縄LIVE
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/47808
>東京都50代男性
>初めて拝見しました。生のドラムはやはりいいですね!ナフサ不足でドンドン仕事が減って不安な毎日の憂さが吹き飛びました。
(中略)
>兵庫県50代男性
>歌って笑って考えて、とても充実した楽しい時間でした。ラストの「ダイナミック琉球」は、会場全体が一体となったグルーヴ感があって、感動的でした。

例えば小林シンパの中には、「ナフサ不足でドンドン仕事が減って不安な毎日の憂さが吹き飛びました」と能天気な感想を言っている人がいます。しかし、小林コンサートに参加して一時的に毎日の憂さが吹き飛んでも、参加者の思いの力で今の社会情勢が一気に改善されるわけではありません。

もちろん、運動ごっこ集団のカラオケ大会に参加して、シンパが一時的に「とても充実した楽しい時間でした」「感動的でした」と感じたとしても、彼自身の人生の現実が消えることもあり得ません。

一時的な偽りの充実感で癒しを覚えたとしても、自分自身に突きつけられた現実が消えることはあり得ませんし、社会の様々な問題が個人の思いの力で一気に解消されることもあり得ません。

シンパたちが小林ジャイアンリサイタルを賛美して運動ごっこに没頭し続けていても、小林のXデーとゴー宣道場の消滅によって、本格的に現実と向き合わざるを得なくなる日がやがて訪れるでしょう。

一時的な気休めに逃避しているシンパたちに今さら言っても無駄かもしれませんが、やはり彼らには「日常へ復帰しろ」「現実を見ろ」という言葉を改めて突きつけておく必要があります。
大林わるのり
2026年05月18日 00:38
「小林よしのり全宇宙」サイトでは、シンパたちだけではなく金髪の女帝も沖縄LIVEの宣伝に必死となっています。しかし、小林シンパが書いた沖縄LIVEの宣伝文は、どうしても内容の浅さが目立ってしまいます。

【〆切は明日】ウチナンチュよ!LIVEに参加し、沖縄の誇りに目覚めよ!5/30沖縄LIVE、参加募集中!!【こんな機会はもう無いぞ】
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/47467
>沖縄が歩んできた歴史は、それほどまでに重い。その重みを一番ご存じなのが、歴代の天皇であり、愛子さまである。そして、沖縄に寄せられる天皇の祈りを最も深く知る表現者が、小林よしのりだ。

公論サポーター「L.K」は、愛子さまは沖縄が歩んできた歴史を最も理解しているだの、小林よしのりは沖縄に寄せられる天皇の祈りを最も深く知っている表現者だのと言っています。

しかし、「L.K」が言っている両方の内容は、論理も根拠もないまま彼が一方的な思い込みに基づいて作り上げた妄想に過ぎません。「L.K」の文章は、愛子さまと小林に対して狂信的な信仰告白を表明しているだけです。

残念ながら、師匠の小林と同じく公論サポーターたちも妄想癖を持っているようであり、現実を直視することも論理的にものを考えることもできなくなっています。

明日5/18(月)正午がよしりんバンド沖縄LIVEの締切日!
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/47472
>練習を見ていたまーさんが「これ、よしりんバンドの方がすごくよくなるパターンだ」と何度も言ってたのが印象的でした。そう、先生が歌うと、オリジナルとは全然違う曲に聞こえてしまうのです!

このブログでちぇぶが「先生が歌うと、オリジナルとは全然違う曲に聞こえてしまうのです」と言っているのは、小林が本当は病的な音痴であると気付いていることを表明しているようなものです。

金髪の女帝は、ボスが音痴であることを本音では見抜いているくせに、イベント開催でコアラ企画を潤わせるために小林をおべっかで騙してバンド活動をさせていたのでしょう。

小林を洗脳してカラオケ老人へと堕落させた金髪の女帝の所業は実に罪深いですが、見え透いたおべっかを言ってボスを調子に乗らせているそれ以外の幹部たちも実に罪深いと言えます。

おそらく小林は、大隊長まーのようなイエスマンたちのお世辞を真に受けて、「よしりんバンドは運動団体にとって役に立っている」だの、「わしは歌唱力抜群で、歌で世の中を動かす力がある」だのと本気で思い込んでいる可能性がありそうです。

そもそも小林はあの小保方晴子のように、自分の脳内で作り上げた嘘に自ら騙されて周りが見えなくなるという変な癖がある人ですからね。現在の小林が、幹部たちのお世辞に騙されて幼稚な妄想を補強している有様は、実にグロテスクとしか言いようがありません。

気合いのリハ!
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/47485
>自分は見逃しませんでした。よしりん先生、チェブリン、ユキモッキーズが、ある曲を演奏した後、ハアハアゼイゼイ息を切らして満身創痍になっている姿を。

ともしらが書いた報告文から分かるのは、金髪の女帝がよしりんバンドのためにハードな練習を強いたせいで、小林や笹・泉美が疲弊していたということです。金髪の女帝が小林に対してやっていることは、病で満身創痍となっている老人への虐待に他なりません。

おそらく金髪の女帝は小林に対して、歌の練習によって怒ったり褒めたりを繰り返した上に、バンド活動という偽りのやりがいを与えることで洗脳を行ったのでしょう。それにしても、側近に虐待されて喜ぶほど洗脳されている今の小林は実に哀れです。

それだけではなく、小林や金髪の女帝に逆らえぬままバックダンサーをさせられている笹や泉美の姿も実に哀れであると言えます。ただし、笹や泉美は表向きは忠実なボスのイエスマンであるものの、本心では小林や運動団体の凋落に気付いていないわけではないでしょう。

何よりも、周りの幹部たちが金髪の女帝による老人虐待を止めようとしていないのは、もしかすると「コロリころげた木の根っ子」疑惑にも通じる可能性もありそうです。

ゴー宣道場の幹部たちは、小林親分のことを自分たちが利用するための神輿と割り切っているのであって、本当に忠誠心や信仰心を持っているわけではないのかもしれません。例えばあの自称映像作家は、ブログでは小林にこっそりと指桑罵槐しているかのような文章をなぜか書いています。

現在までゴー宣道場に残った公論サポーターたちは今も盲目的な小林信仰を持っているのでしょうけど、一方で幹部たちは、小林にXデーが訪れて運動が消滅するまでの時間稼ぎと割り切っている可能性があるでしょう。
大林わるのり
2026年04月20日 22:04
名古屋LIVEは大盛況だった
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/46919
>名古屋LIVEは大盛況だった。
(中略)
>このLIVE会場は横長だから、観客との距離が近い。そして会場のスタッフが今までで一番親切。音響効果も見事に調整してくれる。スピーカーの性能が特別に優れていたらしい。名古屋のこの会場でなら何度でもやりたい。
(中略)
>できれば毎年、名古屋でやりたいが、何しろ名古屋は集客力が悪い。ミュージシャンでも名古屋飛ばしするそうだ。集客さえ楽にできれば、わしは名古屋を特別優遇したい。
(中略)
>終わったら疲労困憊で、場外乱闘で寝落ちしそうだった。疲れも今までの比じゃなかった。体力作りがやはり必要なのか?来年はLIVEの回数を減らす予定だが、名古屋は外さないようにしたい。

3日ぶりにブログの執筆を再開した小林は、案の定、名古屋ジャイアンリサイタルを成功扱いする記事を書きました。しかし、小林は「名古屋LIVEは大盛況だった」と最初の文章で書いておきながら、一方で同じブログ記事の中で「何しろ名古屋は集客力が悪い」と矛盾したことを書いています。

やはり現在の小林は思考力が低下したせいで、矛盾を取り繕う能力も嘘をつく能力も下手になっているようです。小林は嘘つきで虚勢を張りたがる性格の人間であるため、このブログ記事の途中で書かれた「何しろ名古屋は集客力が悪い」の文章こそが今の彼の本音なのでしょう。

ゴー宣道場の集客力が著しく落ちてしまったことや、地下の小さな会場でしかイベントを開催できなかったことは、過去の栄光にこだわる小林にとっては本来ならば屈辱感を覚えてもおかしくありません。

それにも関わらず、小林は自らの没落を直視することを嫌がるあまり、「わしは名古屋を特別優遇したい」「名古屋は外さないようにしたい」と言って必死で虚勢を張っています。

また、小林が名古屋ジャイアンリサイタルの会場のことを、ブログ記事でこれでもかと褒めているのはどう見ても不自然です。小林が会場内での音響効果の調整について褒めていることも、彼によるいつもの虚勢ズムの表われでしかありません。

ゴー宣道場は普段から音響の仕事が残念ではないかとか、今回のイベントは生放送さえもしなかったではないかとか、そういったことを突っ込んだところで小林は聞く耳を見たないでしょう。

過去にゴー宣で宣伝していた歌ウマ自慢やモテモテ自慢が嘘であったこともそうですが、小林は自分の欠点を隠すために全く正反対の宣伝をして世間を騙そうとする癖があります。

だから、小林が言っている「名古屋LIVEは大盛況だった」は嘘であり、「音響効果も見事に調整してくれる」も嘘であると見るべきです。

しかし、小林がどんなに言葉を駆使して自分自身を粉飾したとしても、ブログ記事からは現在の彼の本音が様々な形でにじみ出ています。

例えば、小林が今回の会場のことを「観客との距離が近い」と言っているのは、コアな人間だけが残ったゴー宣道場はこれからは閉じコン化しながらやっていくつもりだと言ってるようにも読みとれます。

小林がゴー宣道場の閉じコン化を肯定したことは、集客力の低下や金欠など運動団体の没落をそのまま肯定して現状維持を選んだようなものでもあります。

つまり、今の小林は虚勢を張りながら誇大妄想に逃げ込んでいるくせに、一方では、自らの没落が確定したことに対する諦めと居直りの気持ちを持ち合わせた状態ともなっているわけでもあります。

さらに、現在の小林の隠された本音といえば、自らの健康状態の悪化を気にしていることもそうです。

「来年はLIVEの回数を減らす予定だが」と小林が言っているのは、現在の彼の肉体ではジャイアンリサイタルさえも負担となりつつあることや、一年後の自らの体調悪化を計算に入れていることを物語る発言です。

創作活動や言論活動よりもカラオケ趣味が大好きな小林でさえも、今の自分の体力では歌を歌うことも身体的に負担がかかり始めていると自覚しつつあるようです。

現在の小林の体力低下は、このブログ記事で「終わったら疲労困憊で、場外乱闘で寝落ちしそうだった。疲れも今までの比じゃなかった」と書かれていることからも明らかです。

名古屋LIVEが開催された4月18日と、イベント終了後の翌日の4月19日に小林がなぜかブログ記事を書いていなかったのは、明らかに体力的な問題のせいでしょう。

一連の病の影響で小林の体力の低下が進んでいるのは、もはやごまかしようのない事実です。カラオケ趣味に溺れて療養を軽視している小林でさえも、現在の自分は余命を意識せざるを得ない状態であり、ゴー宣道場も自分の死とともに終わるのだということを薄々自覚しているのかもしれません。

小林がブログで書きなぐった嘘だらけの勝利宣言の裏側からは、落ちぶれた現状を甘んじて受け入れる諦めの気持ちと、余命を意識して投げやりとなった気持ちが本音として読み取れてしまいます。
大林わるのり
2026年04月19日 23:42
運動のための運動に明け暮れているゴー宣道場では、どのイベントも開催後は「大成功」の結論で総括されるだけなのは目に見えていますし、シンパたちもイベントの内容を手放しで称賛をするだけなのは言うまでもありません。

今回の名古屋ジャイアンリサイタルが終わった後も、シンパたちは内容に関する一切の批判をせずにただ褒めるだけの感想に終始しています。しかし、小林シンパたちがイベントの内容について虚しい勝利宣言をしたところで、運動の迷走とゴー宣道場の衰退をごまかすことは不可能となっています。

何しろ現在のゴー宣道場は、地下の小さな会場でカラオケごっこをするほど運動が小規模化した上に、イベントの生放送さえしないほどの閉じコンと化しています。

現在のゴー宣道場に残っている関係者の特徴とは、幹部として打算で運動に関わっている人間であったり、門下生のまま退会する決断をできずに惰性で運動を続けている人間であったり、或いは思考停止をして完全な狂信者となった人間であったり、といったどれかが当てはまっているでしょう。

閉じコンとなったゴー宣道場に残っている人間は、当然のことながらイベントに参加したところで不自然な賛美の言葉を書くだけです。しかし、シンパが書いた賛美に満ちた感想文の内容からでさえも、現在のゴー宣道場で何が起きているかは薄々と読み取れてしまいます。

独特のエンタメ! 参加できて本当に良かった!〜チェブラジ公開イベント感想ご紹介!!
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/46909

上記のブログで紹介されている兵庫県50代男性の感想文からは、現在のゴー宣道場での小林と金髪の女帝の力関係が読み取れてしまいます。

「よしりん先生の疲労感」と書かれているように衰えが目立つ小林に対して、金髪の女帝は「弾けぶり」を見せつけて「よしりん先生を鼓舞する役」を演じるほど元気であったそうです。

しかも、この兵庫県50代男性が書いている感想文では、金髪の女帝のことを神功皇后になぞらえてヨイショしています。

何しろ兵庫県50代男性は、「チェブリンさんが神功皇后に見えてしまうくらい、様になっていた」だの、「チェブリンさんが神功皇后、よしりん先生が武内宿禰は言い得て妙」だのと歯が浮くお世辞を書いています。

現在のゴー宣道場に参加している関係者たちは、小林よりも金髪の女帝の顔色をうかがってひたすら媚びる有様となっているようです。やはり金髪の女帝は、衰えた小林を傀儡化してゴー宣道場を事実上乗っ取ってしまったのでしょう。

カラオケ趣味に溺れた小林と刹那主義に生きる金髪の女帝が手を組んだ結果、エンタメ化という名の現実逃避が運動の方針となったのはある意味で必然だったのかもしれません。

何と呆れたことに、兵庫県50代男性によると名古屋のイベントは「第一部も第二部もトークとバンドが融合」していたそうです。「とにかくわしは歌いたいんだ」という壊れた本能を優先する小林の我がままを聞いて、金髪の女帝がイベントの内容を決めたのでしょう。

どうやら、ゴー宣道場が目指していた「公論形成」の大義は完全に放棄されて、カラオケ趣味に生きる老人のレクリエーションのための空間ができあがったようです。

カラオケ趣味に溺れる老いた偶像となった小林を未だに崇拝しているのは、当然ながら年配層の人ばかりしかいません。このブログ記事で紹介されている感想文の筆者は、兵庫県50代男性、静岡県40代男性、愛知県50代男性、愛知県70代男性、愛知県60代男性と中高年の人たちばかりです。

ゴー宣が売れていた90年代と違って小林はもはや若年層のファンを獲得できていない上に、彼自身が発する言葉自体が若者たちに届かなくなっています。

シンパたちが不自然なヨイショ感想文を書いて虚しい勝利宣言をしたところで、その内容からでさえも、小林よしのりやゴー宣道場の没落という事実がうっすらと読み取れてしまうのは実に皮肉と言わざるを得ません。

ところで話は変わりますが、「小林よしのり全宇宙」サイトでは昨日(4月18日)は小林は全くブログ記事を書いていませんでした。4月18日に小林がブログ記事を書かなかったのは、この日に名古屋イベントがあった影響でしょう。

そして今日(4月19日)は、夜11時30分過ぎになった今も小林はブログ記事を書いていません。このままでは、小林は2日連続でブログ記事を書いていないことになってしまいます。小林が2日間もブログ記事を書こうとしていないのは、体力の低下など肉体面での何かしらの衰えを読み取れてしまいます。
大林わるのり
2026年03月22日 21:03
これまでの古代日本観を一新させてくれる『神功皇后論』!
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/46116
>何よりも、女性が主体的に描かれているのが画期的で、武内宿禰みたいなじーさんしか出てこないこれまでの古代日本観を一新させてくれます。これが最新の学説に則った古代史観であり、また明治以前の日本人が常識として抱いていた古代日本の姿なんですね。

公論サポーター「LK」は、自分が矛盾した文章を書いていることに気付いていないようです。

LKいわく、小林の『神功皇后論』は「これまでの古代日本観を一新」させてくれる作品であり、「最新の学説に則った古代史観」が描かれているそうです。それにも関わらず一方でLKは、『神功皇后論』には「明治以前の日本人が常識として抱いていた古代日本の姿」が描かれているとも言っています。

しかしながら、『神功皇后論』が最新の学説に基づく斬新な歴史観が描かれた作品であるならば、明治以前から日本で語られていた「古代日本の姿」とは別物になっているはずです。

そもそも明治以前の日本は歴史学の研究が今ほど進んでいたわけではないため、この時代の日本で語られている神功皇后の伝説は古事記と日本書紀に基づいたものとならざるを得ません。

だからLKの矛盾に満ちた内容の文章に対しては、「お前は一体何が言いたいんだ」と突っ込みたくなります。

それどころか、LKが「明治以前の日本人が常識として抱いていた古代日本の姿」と言っていることも変であると言わざるを得ません。

我が国で神功皇后が「三韓征伐」を行った偉人として強調されるようになったのは、日本が富国強兵政策を行うようになった明治以降です。しかも明治より前の日本国内で、神功皇后の伝説を知っていた人たちは果たしてどれくらいいたのかという疑問も生まれてしまいます。

国民国家という概念が生まれておらず、識字率にも国内でばらつきがあって、その上、国内の全ての人間が天皇の存在を知っていたわけでもない明治より前の日本で、果たして神功皇后の伝説を理解していた人はどれくらいいるのでしょうか。

LKが書いた文章を読んで分かるのは、彼のような人間が現在のゴー宣道場の門下生の知的水準を象徴しているのだという事実です。
大林わるのり
2026年02月03日 02:10
【愛子さまトーク】第794回 男系と産経と馬と鹿
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/45090
>「馬鹿」の由来は、権力におもねって鹿のことを馬と言う(=事実をねじまげる)ことだそうです。う~ん、ピッタリ!!

大隊長まーは知ったかぶりをしています。そもそも「馬鹿」の由来について説明するならば、「権力におもねって鹿のことを馬と言う」というよりは、「自らの権勢を用いて鹿のことを馬と言う(=道理に合わないことを力づくで押し通す)」の方がふさわしいでしょう。

一方で、大隊長まーが言っている「権力におもねって鹿のことを馬と言う(=事実をねじまげる)」とは、まるで彼を含めた小林シンパたちの特徴を言い表わしているかのようです。小林とちぇぶのジャイアンリサイタルを門下生たちがこれでもかと賛美している様子は、まさしくそうです。

大隊長まーもそうですが、小林一派が相手を批判するために言っている内容は、実際は自分自身の特徴の投影であることが多いようです。

話を戻しましょう。「馬鹿」という単語の由来は、現在の小林一派の特徴に当てはまっているように見えます。小林やちぇぶは鹿のことを「馬」と言った趙高に当てはまっているように見えますし、師範や門下生たちは趙高を支持した家臣たちに当てはまっているように見えます。

或いは見方を変えるならば、現在のゴー宣道場では小林が胡亥(二世皇帝)に当てはまっており、ちぇぶが趙高に当てはまっていると言えるのかもしれません。もちろん師範や門下生たちは、趙高に屈従した家臣たちに当てはまっていると言えます。

ゴー宣道場では独裁者である小林の意見が絶対視されており、師範や門下生たちが異論を言うことは許されていません。しかし、現在の小林は頭脳の衰えと老いらくの恋の影響もあり、側近のちぇぶに対して言いなりとなっています。

今のゴー宣道場は表向きは小林が独裁者ですが、実際はちぇぶが組織の実権を握っている状態であると言えます。小林が思いついた案がちぇぶによって実行に移され、師範や門下生たちは無批判で追従するという流れになっているのでしょう。

胡亥と趙高が支配していたころの秦と同じく、現在のゴー宣道場も、腐敗して末期症状を迎えた独裁的な集団の特徴が見事なまでに当てはまっているようですね。
大林わるのり
2025年06月30日 16:37
この画像に出てくるゴー宣DOJOの人たちを見て、気になったことがあります。
「この人たちは顔や肉体は年を取っているけど、表情は実年齢よりも幼く見える」
ということです。

オウム事件が起きたころ、作家の浅田次郎は事件を起こした教団について次のように分析していました。

「オウム事件の真相が次第に明らかになるにつれ、ただただ愕くのは容疑者たちの幼稚さ、人間的な未成熟さである。
 彼らはみな、世の中をきわめて簡単に考えている。世界観も人生観も、ほとんど小学生か中学生のそれに等しい。中身がそうであるから人相風体も実際の年齢より五歳、いや十歳ぐらい若く見える。(中略)要するに全員が発育不良である。
 そういう子供たちの中に、たまたま育ちが悪い分だけ大人の世界を聞きかじっているガキ大将がいて、神のごとく崇拝された。(中略)そこでガキ大将は彼らの小遣銭と知恵とを結集して、秘密の広場に子供たちだけの王国を建設しようとした。
 ガキ大将は全能の神ということになり、子供らはそれぞれの特技とか趣味とかに応じて、名誉ある役職に任命された」
(浅田次郎『勇気凛凛ルリの色』講談社文庫、218~219ページ)

オウム真理教に対する浅田の分析は、今のゴー宣DOJOにも当てはまっています。結局、小林よしのりもゴー宣の読者も精神的に大人になることができなったのです。

大人になるということは、あらゆる場面で自らが責任を負うことでもあります。しかし、小林と信奉者たちは精神的に大人になり切れていないから、自分の発言や行動に対して責任を取ることができないのです。

ろくに社会経験がないまま漫画家としてデビューしてしまった小林は、社会人としての経験を積む機会に恵まれませんでした。精神的に大人になり切れなかったからこそ、子供向けのギャグ漫画の創作が小林には向いていたのです。

大人になり切れないまま言論人として情報量を増やした小林は、頭でっかちなイデオローグとなり果てました。

かつての小林は自分探しブームを批判していましたし、「特別な自分」がどこかにあるという自我の肥大化に陥る危険性を指摘していました。自分探しの無意味さを知り、等身大の自分を見ることができるというのは精神的に大人になることでもあります。

しかし皮肉にも、ゴー宣のファンとなった人たちこそが、自分探しをやめることができなかった人たちでもあります。自分探しを続けていた彼らの自我を充足してくれたのが、小林よしのりという嘘で塗り固められたカリスマでした。

そして皮肉なことに小林もまた、「特別な自分」がどこかにあるという願望を捨てきれないまま、自我の肥大化に陥ってしまいました。ゴーマニズム(傲慢主義)と称して虚勢を張り続けてきた結果、小林は等身大の自分を見失ったのです。

大人になることの重要性をあれほど主張してきた小林と、彼の発言を支持したファンたちのなれの果てが今の惨状です。今のゴー宣道場は、悪い意味で「子供たちだけの王国」と化してしまったようですね。
暇人
2025年04月01日 22:07
小林なんとかって誰ですか?知らない老害でね
2025年03月31日 06:31
ドラゴンボール、鳥山明で擦る動画はもうお腹いっぱいです
動画製作は大変だと思いますが、他のネタで頑張ってください