小林よしのりは断系派

土曜日の真っ昼間に開かれた小林セミナーの質疑応答で、「神武天皇の実在の否定」を採用した小林よしのりへ疑義を呈する参加者がいたという情報が届きました。


《昨日のDOJOの要点

・男系憎しのあまり古代の皇統伝承すら全否定するDOJO

・昨日の大阪DOJOでその矛盾点を衝く質問あり

・神武や欠史八代を否定したらアマテラスではなく、ラミダス猿人に行き着くだけで、男系派への反論になってないのではとの質問

・小林含め誰も正面から答えず

・翌日になって重要な論点だと気づいた小林

・質問された時に回答できなかった無能があとから稚拙な反論をする

・しかもアシスタントからのメールという形で》(DOJOウォッチ有識者会議さん)

https://washiblogact3.seesaa.net/article/511743329.html


この質問者の疑義は私がここ愚行録で何度か指摘したことです。


公論戦士たちは一体なにと戦っているんだ︎: イボナメクジ愚行録https://washiblogact3.seesaa.net/article/499239206.html

《尊皇派を謳いながら「神武以下八代の実在を証明せよ」とか主張しているの、最高すぎます。

皇祖神(神代)が女神でも人代(血筋)は男系で継承されてきていることは否定しようのない事実です。

その皇室の始まりとされる神武の実在を疑い、その血筋による継承を否定することは皇室解体を意味します。皇室の弥栄を願う者であるならば、男系派だろうが女系派だろうが、決して踏み込んではいけない領域、それが神武の実在の否定でしょう。》


秘書みなぼんお手製の天皇系図: イボナメクジ愚行録https://washiblogact3.seesaa.net/article/499776973.html

《皇統について無関心な私ですが、男系の血筋以外を「雑系」と呼ぶのはやはり違和感を覚えます。

私個人としては「断系=ダンケイ」を推します。

「ゴー宣道場は断系派」ってユーモアがある返しでしょ?

(小林は) 最近では「天皇の血筋にこだわるのは差別だ」という皇室の存在を根底から覆す革命的馬鹿な妄言を吐き散らかしています。

血統の否定はどストレートな天皇の否定に他ならないでしょう。

皇室解体を訴える左翼陣営が主張しているのなら分かりますが、臣民と皇族を分けるものは「血筋」以外に何があるというのでしょうか。

繰り返しますが、血統を軽んじることはそのまま天皇という存在やその価値観の否定に繋がります。そんなことは中学生でも分かる理屈でしょう。

小林は「血統ではなく人格で天皇を評価する」と一体お前は何様なんだとツッコミを入れられても仕方がない国民主権病丸出しの主張をしていますが、その人格とやらは誰がどう査定するのでしょうか。

人格なんてのは見る人の立場で評価は違うものでしょう。それに比べて血統ならば揺るぎない。

血統は部落差別などに通じるという批判は有効ですが、それならば最終的には皇室解体を主張しなければならないのは自明です。

ゴー宣道場にはこの指摘を理解出来ないぐらい頭の弱い人しか残っていないのですから笑いが止まりません。》


我こそは保守であると声を荒げてアピールしているゴー宣界隈: イボナメクジ愚行録https://washiblogact3.seesaa.net/article/507399515.html

《小林よしのりは数週間前のイベントにて、相変わらず、「神武天皇の実在」を否定し、「欠史八代」と言って、開化天皇までは存在しないと発言し、更には「日本は血統主義ではなかった」とか言ったとか。

その発言はすべて皇室解体に繋がるものであり、とても弥栄を願う尊皇派の言葉ではありません。

「欠史八代は歴史研究として否定しようがなく、皇室が神武から血統で繋がっているというのは無理筋であり、それがリアリズムというものであーる」とのスタンスを取る人がいても私はまったく構わないと思っていますが、しかしその人は決して尊皇の志士ではなく、むしろ皇室の価値を軽んじている人であると見て間違いありません。

「人柄が良さそうだから」とか「日本の家族の理想像としての象徴」とか「お美しく気品があるから資格がある」とか、そんな軽薄な理由で天皇として祭り上げるなどマヌケのタワゴトに過ぎず、足元グラグラで皇室解体待ったなしでしょう。

すでに血統が途絶えているなら、税金を使ってまで維持する必要ねぇじゃんと誰もが思ってしまうでしょうし、実際にそのような声も多く聞かれます。》


愛子さまはY染色体とは結婚しない: イボナメクジ愚行録https://washiblogact3.seesaa.net/article/510830439.html

《小林は真の尊皇派を自称しながら、神武天皇の実在を疑問視するどころか、左翼学者のように「欠史八代」を採用し、「だから神武から男系継承しているというのは虚構」とのたまっています。

いや、左翼の人が「欠史八代」という学術から皇室の正統性を疑問視するのはまったく矛盾がないので全然良いのですが、イヤシクモ尊皇派をカタルのならば、アマテラスから神武への流れを否定しちゃいかんでしょう。「欠史八代」を採用するということは皇室の正統性を否定しているようなものです。》


小林は質問者を説き伏せることも出来ずに、あとからブログでネチるのでした。


トッキーからのメール | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/53244/

《少なくとも「万世一系の男系」という稚拙なフィクションはサイエンスで破壊しないと、天皇制自体が終わってしまうわけで、これは天皇、皇室を護るためのことなのだというところを感情的に誤解している人は多そうなので、そのあたりの手当ては必要だろうなと感じました。》


【分水嶺】覚えておけ!小林よしのりが強力に愛子天皇論を主張していたことを(・ω・)y/賛成・反対・無関心の全員が将来にツケを払わされるのだよ(~o~) | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/53245/

《サイエンスで物語が解体されるのに反感を持ってしまうのか、なるほど。。科学にすら耐える、本当に価値のある物語がちゃんとあるよ(・∀・)k

今の「双系に戻すか?男系男子のままにするか?」について、このまま進めば、20、30年後に取り返しの付かない悲惨な結果になる(-_-;)。

なぜ、小林よしのりが自分の作家人生をあれほど投入してまで、徹底的に愛子様皇太子にこだわるのか、天皇の本来の伝統である双系が適うよう法改正を求めるのか、やっと少し分かった気がする(←遅い)。》


「稚拙なフィクションはサイエンスで破壊しないと、天皇制自体が終わってしまうわけで」

「科学にすら耐える、本当に価値のある物語がちゃんとあるよ」


神話などを学術的に理論構築してその法則性や原理を明らかにしてゆくのは学問としてやらねばならないことです。その研究は確かに面白いし。

しかし皇室の正統性は決して学術的な見地で担保されるものではないし、それは「尊皇家」を気取る人間が取るべき態度ではありません。

合理的な進歩的現代人にとって、皇室そのものが「稚拙なフィクション」にしか見えないでしょう。

だからそんなものを税金を使って維持するのは無駄であると考えるのは当然の帰結です。

皇統にサイエンスを持ち込めば、「血統なんて何度も途絶えているし、そもそも初期の連中は存在すらしない後世の作り話だし、その作り話、つまり虚構によって支えられているのが皇室なわけ」という話に行き着いて、皇室は漸進的に解体してゆくのが望ましいということに行き着きます。

本当に皇室の弥栄を願う尊皇派ならば、「科学に耐えうる物語こそ価値がある」なんてマヌケな発言はしません。そんな近代合理主義に毒された価値観で皇室を語ることは不敬であると考えるのが尊皇派でしょう。

ま、要するに分かり切ったことですが、小林よしのりは尊皇家などではなく、単に「皇室」を商売のネタにしているだけであり、小林シンパは誰一人として皇室自体には何の関心もなく、ただ小林に従うことで歪んだ選民意識を慰撫しているだけなのです。


一方で「サイエンスで!」と言いながら「双系に戻すか?」などいう矛盾に気づかない頭の悪さは致命的だぜ。アスキン・ナックルヴァール。

サイエンスで考えたら、双系に戻すなんて不可能。

ミッションインポッシブル。


さてはて、今後の小林界隈は「サイエンス」とやらで、「皇室」をネタ化してゆくのでしょう。

まったく皇族の人権をなんだと思っているのでしょうか。

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この記事へのコメント

大林わるのり
2025年06月10日 17:26
2006年に日経新聞が富田メモの存在をスクープした時の、小林よしのりの反応は今思えば興味深いものでした。

富田メモによると、靖国神社がA級戦犯を合祀したことについて、昭和天皇が強い不快感を示していました。昭和天皇が靖国参拝を取りやめた理由が、靖国神社によるA級戦犯合祀であることが明らかとなったのです。

「三木首相が靖国参拝を私的参拝と表明したから、昭和天皇は靖国参拝を取りやめた」
という、小林の『戦争論2』での解説が嘘であったことは富田メモが証明したのです。富田メモが発見された時、小林は「わしは天皇を敬愛するが、個人崇拝はしない」と発言しました。

小林は保守派として表向きは尊王を演じていますが、実際は天皇は利用するための道具と割り切っていることがこの発言から分かります。
「わしの思想や歴史観に都合の悪い発言なら、大御心は無視してもいい」
というのが小林の本音でしょう。

例えば小林は、1941年9月の御前会議で昭和天皇が明治天皇の御製を詠んだことや、終戦で天皇の聖断が影響したことを称賛しています。しかし、富田メモは昭和天皇の個人の勝手な意思の表明と切り捨てているのです。

小林による大御心の扱いは、実際はどのようなものかが分かりますね。まさにご都合主義です。天皇を飾り物と見なしているから、その時その時で大御心の扱いが変わるのでしょう。

女系天皇を支持して以降の小林は、2000年代以上に尊王派であることを強調するようになりました。ただし小林による尊王の態度は、敬愛を通り越して個人崇拝の域に達した狂信的なものでもあります。

欠史八代説を唱え、血統による継承を否定する一方で、人格で天皇を評価するというのが小林の立場のようです。また一方では、小林は戦前の教育勅語に好意的で戦後民主主義に批判的であり、国民主権や人権思想を否定しています。

狂信的な尊王家で国家主義者である小林が、人格で天皇を評価するというのは新手の個人崇拝としか思えません。

個人崇拝と国家主義が結び付き、過去の歴史や伝統を否定する国家は、どんな形で建国をしても全体主義国家となるだけです。冷戦時代のころの社会主義国家がそうでした。しかも、このような全体主義の体制で、国の最高権威とされる人間が世襲されていったらどうなるでしょうか。北朝鮮のような国家体制ができるだけです。小林の理想の国は北朝鮮なのでしょうか?

小林による天皇へのスタンスは、「わしは天皇を敬愛するが、個人崇拝はしない」から、「わしは伝統や歴史を尊重しないが、天皇への個人崇拝は貫く」に変わったようです。

しかしながら内心では、天皇を自分が利用するための道具と割り切っているのは相変わらずです。尊王を演じているくせに、男系支持者憎しのあまり皇統伝承まで否定しているからです。表向きは個人崇拝を演じる一方で、裏では自分が利用できる道具扱いというのは、天皇を飾り物扱いしているのと同じです。

自分の歴史観に都合の悪い富田メモを個人の意思扱いしたころから、小林は何も変わっていません。天皇を飾り物扱いし、自分が利用できる道具と割り切っているのが小林なのです。