よしりんバンドの意義に感動
よしりんバンドの意義に感動 | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/52716/
《コバティさんの横浜LIVEに対する感想、実に素晴らしくて、感動した。これはもう批評であり、思想でもあり、「歌謡曲を通して日本を語る」の意義まで論じてくれたことが実にありがたい。》
小林よしりんが「批評であり思想」と絶賛するコバティ氏の感想文がただの信仰の告白に過ぎず、これを世間に向けて発表して恥ないのですから、カルト信仰のヤバさってマジ怖いですよね。
「歌謡曲に心酔した日本人の感性、芸能への思い入れや恋愛観、ひいては人生観について、世の中が変わりきってシマウマえに語り継ぎ、歌い継ぐこと。 それが『歌謡曲を通して日本を語る』の大きな意義、使命ではないでしょうか」 | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/52714/
《感想をご紹介します。
コバティさん
「先生が咲かせる悪の華は、大胆でやさしく、そして麗しく…これほど、人が喜ぶ姿を大切に思うアーティストが他にいるでしょうか。
とにかく、今回は先生のヒデキに撃ち抜かれました! 私は、先生にはジュリーがとことん似合うと思っていたので、こんな風に初期のヒデキが嵌まるとは…かなりの衝撃と興奮、2回も聴けたこと、本当に幸せでした。
トークの中で何よりも心に響いたのは、強い思いで主体的に行動する門下生や読者たちへの、先生の感慨でした。普通ならあり得ないこととして、「これで十分ではないか」としみじみ語られた姿に、思わず涙したのは私だけではないでしょう。
先生は人気漫画家であると同時に村外れの狂人でもありますからね。
人気を誰よりも意識する50年を送られたよしりん先生。楽しさを武器にできるよしりん先生。」》
普通、こんな異様すぎる賛美はとても紹介できるものではないでしょう。
ゴー宣道場は「地上の楽園」ですか?
一つ、気になったのは「先生は人気漫画家である」という一文です。
せめて過去形にすべきではないでしょうか。
ともあれ、こんなものは「批評であり思想」なわけがありません。
小林よしのりについての批評は私もnoteに書いてみましたので、小林よしのり界隈の方々は是非読んで感想をください。
よろしくね。
↓
https://note.com/saruking/n/n1e6f848febee?sub_rt=share_b
この記事へのコメント
そういえば、あの辛口雑誌「実話BUNKAタブー」で週刊文春が、先生が擁護した元大物タレントの中居君の件の誤報に便乗した著名人をボロクソ叩く記事がありましたけど、そこに古市憲寿さんや堀江貴文さん、三浦瑠璃さんといった先生が関わった人の名前はありましたが、彼ら同様に便乗した先生の名はありませんでした。
もしかして、逆張り系インテリの原点にして頂点であるに先生にビビったか、相手にする必要は無くてもいいになったんじゃないですかね。前者は兎も角、後者だったら悲惨だと思います(賛成の反対語は批判や反対ではなく無視であるという話も聞きますし・・)。
https://sp.ch.nicovideo.jp/yoshirin/blomaga/ar8415/22
安倍ってば、モロ内弁慶のDVオヤジそのもの。
家の中では勇ましく吠え散らかすが、いざ表に出たら、上目遣いで様子を窺い、内股歩きでアメリカ旦那に擦り寄って媚を売り、内心嫌いな中共上司にさえ胡麻を摺って、ご機嫌を窺う。
そして、その憂さを晴らす為に、帰宅したら、女房子供(国民)に手をあげる。
サイテーの男なのである。
未だに脱原発は経済を落ち込ませるという迷信を信じている人がいるようだが、ちゃんと「脱原発論」を熟読して欲しいよね。
さて、この「与えられた気づき」が「偽りだった」と気づいた時どのように感じましたか?宜しければ、率直な感想を何卒宜しくお願い致します。
数年前、熊本県をぶらりと旅行したときに、地元ニュースでTSMC工場の盛り上がりを見て「やっぱり産業は大事」と思いましたね。ちょうどアップルCEOのティムクックが、来日して現地視察をしていたと朧気ながら記憶しています。
半導体工場稼働には川内原発が不可欠であり、「脱原発」はなかなかの迷言だったわけですが、10年越しぐらいのブーメランについても感想があればお願い致します。
よしりんバンド 笑笑
爆笑、そして合唱
小林は自身も漫画家でありながらリンカケのどこが面白いのかさっぱりわからないとのたまうのです。
これにはちょっとびっくりしました。漫画をあまり読んだことのない、相当なジジイの
言い分です。「ギャラクティカマグナム」と言って拳をふるえば、相手が宙を舞い、壁に突き刺さる。これの何が面白いのかがわからないと言うのです。漫画家なのに、ましてギャグ漫画を描いていたのならわかるでしょう。あれにカタルシスを感じて興奮する者もいれば、「ありえへん!」と言ってギャグとしてゲラゲラ笑う者もいる。
今の漫画はリンカケの影響を受けたのが数多くあります。ありえへん!と言うものを書くのが漫画家なんじゃないのでしょうか。
小林の「東大」にしろ、「おぼっちゃまくん」にしろ、ありえへん行動を取ってギャグになっているのに、それがわからないというのはどういうことなのでしょうか。今のジジイになった小林ではなく、ジャンプに連載していた若い頃からそう思っていたというのですから、この人の知能は大丈夫だろうか?と思ってしまいます。
ギャグはギャグ、ストーリーはストーリーと分けて考えて、大真面目なストーリーがギャグに感じるという発想ができないのでしょうか?漫画家ならわかりそうなものなのだが。小林は他の漫画を読んで面白いとか、参考にしようとか、その手があったかとか、新しい表現だとか、そういうことを一切思わないのでしょう。他の漫画は敵、売れてる奴は敵、妒み、嫉み、僻みの対象でしかない。そう思いながらも研究しているならまだしも、敵意しか持たないのだから、成長するはずがありません。漫画家としては最初から終わっていたのでしょう。