我こそは保守であると声を荒げてアピールしているゴー宣界隈
もはや小林界隈について興味をなくしているため、ブログを更新せず、ほぼ放置状態にある愚行録ではあります。
しかし本日はクリスマスということで、特に小林界隈について書くこともないのですが、めでてえということで、他愛のないイジリでもして神の子の生誕を祝福したいと思います。


やっぱり「推定無罪」の原則は重要!ライジング523配信!! | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/51504/
《小林よしのりライジングVol.523配信です!
今週号のタイトルは「紀州のドン・ファン事件無罪判決」
冷静に検察の立証を見てみると、状況証拠の積み重ねだけで直接的な物証も何もない。
確かにどんな人にも「偏見」は入り込むが、ここは冷静にならなければならない。
最も重要なことは「冤罪」を防ぐことだ!》
時浦兼と小林よしのりは私が書いたnoteの記事の紹介をしているかのようなメルマガを配信したようですね。
小林界隈での「冤罪」といえば、門下生を冤罪で追放しまくっている件を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。
もうひとつの立憲フェスとじっくりよしりん会|鷲ヲともhttps://note.com/saruking/n/nd2e960c6b7b8?sub_rt=share_b
https://note.com/saruking/n/n4dbf19376215?sub_rt=share_b
https://note.com/saruking/n/n10b47a84b6a0?sub_rt=share_b
https://note.com/saruking/n/nfe9c1c0ac31e?sub_rt=share_b
いやはや、道場の冤罪事件を知ると、何が「最も重要なことは冤罪を防ぐことだ」だよ、よくお前ら(時浦と小林)が言えたものだ、と思ってしまいますよね。
昨日は9曲もスタジオ収録した。 | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/51467/
《「漫画家なのにギター弾いて歌えるジジイとなれば、バズる要素がいっぱいあって、必ず注目浴びるはずなんだよ。私は先生の思想を広めるためにやってるんだから」というのが総合Pちぇぶの言い分である。》
レジェンド漫画家でギターを弾いてバンド活動をしてライブハウスで客入れして演奏するなんてのはよく聞く話でそれほど珍しいことではないのですが、それはともかく、「バズる要素がいっぱい」あるのに、バズらないということはどういうことなのか考えた方がよくないですか?
本来は放っておいてもバズるネタなのに、それがバズらないとしたら、それは「誰にも相手にされていない」「人気がまるでない」「はっきり言って誰それ?レベル」ということであります。
それこそ鳥山明ならば、その名前を取り上げただけで、その内容関係なく、人は気になって注目してしまうものですが、小林よしのりは「バズる要素がいっぱい」あることに手を出しても誰も見向きもしないというあたりお察しです。
最近、小林よしのりでバズった話題といえば、「鳥山明よりわしの方が偉大」と勘違いした態度で、訃報をおちょくったことぐらいでしょう。
結局、それも鳥山明のネームバリューを利用して注目を浴びようとして失敗した案件でした。
https://youtu.be/lgToSUQEuaI?si=j45n01Q3e-z44pcH
https://youtu.be/mgosrNwABlE?si=lniAiT7FdWHhavGB
https://youtu.be/nkM4J67U1FQ?si=qj4EUEDXimFHSgHj
https://youtu.be/WIkI9Dg2a0E?si=638Tw9MMfciZSwvg
https://youtu.be/JJ2E2Dbf3ZA?si=1lNFAnAkf8lGNk1f
皇位継承を「信教の問題」にする危険 | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/51468/
《我こそは保守であると声を荒げてアピールしている者たちが、実は一番の「極左」になっているお馴染みの構図が、ここでもまた展開されています。》

小林よしのりは数週間前のイベントにて、相変わらず、「神武天皇の実在」を否定し、「欠史八代」と言って、開化天皇までは存在しないと発言し、更には「日本は血統主義ではなかった」とか言ったとか。
その発言はすべて皇室解体に繋がるものであり、とても弥栄を願う尊皇派の言葉ではありません。
「欠史八代は歴史研究として否定しようがなく、皇室が神武から血統で繋がっているというのは無理筋であり、それがリアリズムというものであーる」とのスタンスを取る人がいても私はまったく構わないと思っていますが、しかしその人は決して尊皇の志士ではなく、むしろ皇室の価値を軽んじている人であると見て間違いありません。
なにしろ皇室は神武から血統で繋がる悠久の歴史がある世界史でも珍しいインペリアルであるという物語(共同幻想)が皇室の伝統を支えているのであり、だからこそ皇室解体を主張する極左の人や共和制支持の人はその物語を否定してみせるのです。
「人柄が良さそうだから」とか「日本の家族の理想像としての象徴」とか「お美しく気品があるから資格がある」とか、そんな軽薄な理由で天皇として祭り上げるなどマヌケのタワゴトに過ぎず、足元グラグラで皇室解体待ったなしでしょう。
すでに血統が途絶えているなら、税金を使ってまで維持する必要ねぇじゃんと誰もが思ってしまうでしょうし、実際にそのような声も多く聞かれます。
だからこそ神代から承けた国を統治した神武から血統で繋がっているという物語を背景にしてこその皇室であるわけです。
それを軽んじるイコール皇室解体への道であり、そういう奴が「我こそは保守である」と声を荒げてアピールしている。それがゴー宣道場というわけです。
自己紹介おつかれさま。
さてさて、もはや小林界隈に興味を失っている私ではありますが、noteの方にはこれまでのゴー宣道場の不正義と非道について順を追って記事にしておりますので、どうぞそちらをチェックしていただけたらと思います。
最新記事は以下URLから見ることが出来ますので是非!
↓
この記事へのコメント
当時の小林は、コロナの感染対策をせずにとにかく経済を回せと主張し、感染対策に反対し続けるアメリカのトランプ大統領に好意的でした。私からすると小林によるこの光景は、イラク戦争のころに彼が批判していた親米保守派と重なって見えました。
イラク戦争のころの小林は、日本の親米保守派が対米追従とともに経済至上主義に陥っていることや、ブッシュ大統領が国連を軽視して暴走を続けていることを厳しく批判していました。
しかしながらコロナ禍のころの小林は、感染対策を否定するあまり経済至上主義に陥った上に、WHOを軽視して感染対策を無視するトランプ大統領を支持していたのです。
コロナ禍のころの小林は、経済至上主義への批判もアメリカ信仰への批判もかなぐり捨て、反米保守であることをやめてしまいました。
そして不幸なことに、コロナ禍での小林の逆張り言説は一部の人たちに支持されてしまったのです。
本が売れない状態が長く続いていた小林でしたが、『コロナ論』シリーズは久しぶりのヒット作となりました。小林によるコロナの言説はバズった話題であると同時に、かつて自分を支持していたネトウヨの一部にも受けました。
後に結成された参政党に見られるように、反コロナ規制や反ワクチンを訴える運動には宗教右翼の勢力も関わっています(例えば幸福の科学がそうです)。小林の『コロナ論』は、彼らが理論武装のために購入していた可能性もないとはいえないでしょう。
もっとも宗教右翼の勢力からすれば、つくる会時代と違って小林は広告塔としての利用価値はなく、すでに用済み扱いでしょうけど。
また、東京五輪開催のためには感染対策をしなくてもいいと考えている体制寄りの人たちでさえ、小林が反ワクチンを唱える前は彼のコロナ言説に好意的でした(例えば三浦瑠麗やホリエモンがそうです)。石破茂でさえ、コロナに関する言説では小林に同意していました。
これらのことが重なって、小林は気を良くしたのかもしれません。
『コロナ論』シリーズがベストセラーになったことで小林は、
「わしはネトウヨは嫌いだが、食っていくためには、昔のようにまた右派に媚びてベストセラーを作ることも必要だ」
と考えた可能性があってもおかしくはありません。
もしもそうであるならば、反ロシアの姿勢を強調した『ウクライナ戦争論』は、右派やネトウヨに受けて本が売れるために描かれたと見ていいでしょう。
バズるための逆張り言説の典型が『コロナ論』であり、同著がベストセラーになったことで小林は味をしめたのでしょう。反ロシアの右派にバズるための言説が『ウクライナ戦争論』であり、ジャニオタにバズるための言説がジャニー喜多川擁護となったのです。
受け狙いのために奇を衒った言説を唱え、炎上商法をも厭わない小林の言論活動は、まさに俗情との結託を地で行っています。バズるために言論活動を行っている今の小林には、もはや深い思想などないに等しいと言えましょう。
今年は保守は嫌われ、黒歴史になるほど価値観が180度激変することになります。
時浦はほんこんと同じ、小林は劣悪YouTuberと見られるだけではなく「関わったら人生が狂う」と敬遠されるでしょう。
小林の洗脳から覚めて真人間になるか、時代に適応できずテロや集団自決まで行って破防法の対象になるか、愛子様とやらにまで見放されて皆に忘れ去られるかとしかありません。
安部英医師「薬害エイズ」事件の真実が出版されたのが2008年、道場発足は何年だったのでしょうか?
徳永信一氏は「産官医の癒着」という単純明解かつ事実と乖離した「神話」の弊害を指摘していました。安部英氏の無罪からもわかるように、「産官医の癒着」という「神話」は崩れるわけです。
別に道場参加者は「物語」を信じないわけではなく、小林よしのり及び時浦兼の用意した「神話」が好きなだけでしょう。コロナ禍においてもこの「産官医の癒着」という「神話」を声高に未だに発している人達は沢山いますし。
見ず知らずの人間にそれだけの「冤罪」を仕掛けるわけであるから、身内の離反者に対しては「さ も な い と」というのは火を見るより明らかなわけですが、何でしょう…それでもなお参加したのにはどんな理由が?マヌケノタワゴトレベルの「物語」にのってしまった理由は?というものですが、事実の提示だけでお猿さん呼ばわりなのであるから処置なしというものですが。
また、関東大震災時の「○○が井戸に毒」レベルの「被爆瓦礫」などという冤罪にのってしまった人間が言うのだから小林及び時浦も大爆笑必至のブログ内容だったのではないでしょうか。
この日食べたケーキであったり飲んだワインはさぞ旨かったであろうなと想像に難くないですが。
神の子もこのような形では草葉の陰で苦笑していることでしょう。
19世紀にH.Gウェルズという人が書いたSF小説、タコのような火星人が襲来するというお話。これが後々まで火星人といえばという造形の元祖になるんですね。
それを1938年にアメリカでラジオドラマで放送すると、設定を当時のアメリカに置き換えて放送したものだから本当だと信じた民衆が逃げまどいパニックを引き起こしたという事件です。
これはなにか事が起きると大衆というのはパニックを引き起こすものだということで長くマスコミの教訓とされていました。
ところが実はパニックなど起きていなかった、というのが近年の研究で明らかなっていったのでした。
これって、まさにゴー宣道場じゃないですか。
「愛子様が天皇にならねば皇室は滅びる!」「ジャニー喜多川は正しい!」
「コロナはただの風邪だ!」
一体、何回火星人襲来!って言ってるんでしょうか。
もう誰も信じていないのに。
この問題はさらにメディア論にまで飛び火します。
ラジオというのは当時、最新のメディアでした。新聞などの旧メディアは目の敵にして叩きたがるのです。
ラジオ放送そのものではそこまでの波は起きなかった。その後を新聞が追随して例えば宇宙人に猟銃を構える人などの写真を載せたり、あおりにあおりまくったのでした。
そうして、ありもしないパニックが起きたとし、それは新聞の報道で起きたのだという優越感に浸る。
これは今でいうネットと旧メディアのようでもあります。
旧メディアの敗北など、某県知事選挙でよく聞きました。
小林は逆にネットは信用ならんというジジイ丸出し論調です。
そんなもん、どっちも一長一短あるでしょうに。
なんで全部オールオアナッシングなんでしょうねえ。
100年前と同じようなことを繰り返してる小林にしろ、誰にしろ情けないことです。