周知の事実
11月の文化の日絡みの連休を皆様いかがお過ごしでしょうか。
私は例の案件についての連絡などを受けたりと日々呑気に過ごしています。
あまりに呑気に過ごしているせいか、小林よしのり界隈をウォッチすることを怠っており、誠にアイスイマセン。
まぁしかし、旧Twitterのエックスにとんでもない化け物級のウォッチャーがおり、その方が逐一ゴー宣界隈について投稿しているようですので、私のブログなんぞよりそちらをフォローしていれば小林の醜態を秒の速さで追うことが出来るので、もう皆さんもそちらの方のアカウントをチェックしていることでしょうから、私のブログの役目などもはや無いに等しいでしょう。
なにしろイボナメクジ研究所のYouTubeチャンネルも小林シンパによる通報を受け、シャドーバンの憂き目に遭い、最新動画は天下の鳥山明先生について取り上げているにも関わらず、まるで小林よしのり単体を話題にした時のような再生数しか回っておらず、これは明らかにシンパの通報が功を奏した結果でありましょう。

涙ぐましい努力、ご苦労です。
「言論には言論を」という暗黙のルールというか、議論の作法を無視して、封殺してしまおうという発想には脱帽します。
都合が悪いことを隠蔽する為には強権を発動出来るならば、するに越したことはないでしょう。
まぁ、私にはとても真似は出来ませんが。
私個人の意見としてはなるべく「言論の自由」も「表現の自由」も守られていた方が健全な社会であると思うのですが、今の時代は傷つきやすい人をなるべく保護してあげた方が良いと考えているようで、その為にはちょっとした批評すら許さずに法律に則って誹謗中傷に当たると認定して断罪してゆくべきという流れにあるのでしょう。
なるほど、人に優しい社会は素晴らしき管理社会であり、まるで保育器のような安心安全を確保できるので最善であり最高でありますよね。
その為には言論の自由など犬に食わせろです。
そういえば、我らが小林よしりんは言論の自由を掲げて、ジャーナリストの山口敬之への口汚い罵倒をマンガに描いて、それを山口から訴えられていましたが、あの顛末について、小林よしりんは何故マンガ化しなかったのでしょうか。
小林よしりんがゴー宣にも描かなければ、ブログネタにもしなかったので、一体あの訴訟がどのような幕切れをしたのか、知る人も少ないのではないでしょうか。
小林よしりんがブログで事後報告しないのならば、私が代わりにここで伝えておきましょう。
【東京高裁判決書】損害賠償請求事件・控訴人山口敬之氏・被控訴人小林よしのり氏小学館 令和6年5月23日高裁判決https://jlfmt.com/2024/06/17/72974/
《令和5年ネ5666 高裁第8民事部 平成30年ワ第39896 17部
原告・控訴人 山口敬之
被告・被控訴人 小林善範
地裁主文
被告らは、原告に対し、連帯して132万円及びこれに対する平成29年7月4日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
高裁主文
被控訴人らは、控訴人に対し、連帯して100万円及びこれに対する平成29年7月4日から支払済みまで年5部の割合による金員を支払え。
被告らは、上記以外に、本件性行為ないし本件被疑事件については何ら取材行為を行なっていないから、本件摘示事実2の重要部分を真実であると信じるにつき相当の理由があるとは認められない。したがって、被告らの上記主張は、採用することができない。
いずれも言論活動を生業とする者であるとはいえるものの、その活動範囲や内容は異なり、言論活動自体も、原告・被告のそれぞれの視点・観点から行なっていたものといえることからすると、原告の信用が毀損されることによって、被告小林が不当な利益を得るような関係にあったとは認められない。
したがって、被告小林にとって原告が競争関係にあるとは認められない。
違法に控訴人の名誉感情を侵害するものであるから、被控訴人らは、以上の不法行為によって控訴人に生じた損害を賠償すべき義務を負う。
以上の不法行為によって控訴人が受けた精神的苦痛を慰藉すべき慰謝料としては、90万円と認めることが相当である。》
小林よしりんはどうして山口敬之氏との裁判のなりゆきをゴー宣に描いて残さなかったのでしょうか。
これは私個人の意見であり、一般論ではありませんが、パブリックな場で公的な発言をした場合、それがジャーナリストであろうと批評家であろうと社会運動家であろうと有名無名問わず、手厳しい批評の対象となるのは覚悟すべきであり、反論があるならば言論でもって対抗すべきであり、すぐに訴訟沙汰にするのは余りに情けないし、みっともないと思います。
つまりは小林よしりん先生は裁判には敗訴したかもしれませんが、あくまで言論で戦うべきであるとした態度は評価するに値すると思います。
「言論には言論で戦う」
この原則を放棄する者は卑劣であり、言論の自由や表現の自由をおびやかす存在であると私は愚考します。
私は近年の小林よしのりの害悪について批判的ではありますが、あくまで言論で戦うべきだという主張には同意します。
しかし、小林は口ではそのように言っていますが、実際には平然と言論封殺を狙い、シンパに働きかけていることは当方ブログを熱心に追っている方々には周知の事実でしょう。
とりあえず私は今から温泉に浸かります。
もはやYouTubeチャンネルも通報により死に体であるので新たに動画を作る気力が失せました。
https://youtu.be/JJ2E2Dbf3ZA?si=ld5VDENxH61h9oKq
例の案件での疲弊も相俟って、鄙びた温泉地に逃げて、酒を飲みながら現実逃避をするアリサマです。

この記事へのコメント
でも、鷲ヲさんのイボナメクジシリーズとnoteのブログは、あやうく暗黒面に引きづりこまれ、肥えタゴに滑落しそうな哀れな犠牲者の発生を未然に防いでいると思います。現に、私がそうでした。かつて小林よしのりは、私にとってヒーローでした。あれだけ好き勝手にモノが言え表現できる環境を作り上げたことを素直に尊敬していました。醜いキャラは悪い人で、キレイなキャラは良い人と、わかりやすい描き方にも素朴に納得してしまっていました。
世のため人のために、自分にできることを始めていきたいと思う純粋に真面目な人が、イボ道場症候群というココロの病いにまとわり付かれることがないように、祈念するものであります。その特効薬が、鷲ヲさんのブログなのです。
そして、いつの日か、イボ告発の三本柱が日の目を見て、小林が世の中から糾弾される日が来ることを、楽しみに待ちたいと思います。
鷲ヲさんには、その日が到来するまで、イボ告発とその啓蒙を継続していただきたいと希望します。
応援させていただきたいと思いますので、頑張ってください。
確かスター・ウォーズでヨーダがパルパティーンに「弟子に期待してるようじゃが裏切られるぞ」と予言したのを思い出します。
ダースよしりんの方は家族愛に目覚めたわけじゃなくいつものご乱心ですが。
愛子天皇論1巻はどうも高森氏のコピペだとかですので読んでみようかとも思いましたが2巻のほうがとにかく漫画としてエンタメとして出来が悪かったので購入は及び腰ですね〜
そういや愛子天皇論図書館に置いてませんでした。昔はゴー宣置いてた大型図書館ですが。やはり反社マンガは公共図書館には難しいのでしょうか?ちなみに満喫やネカフェにも置いてませんでした。漫画としてつまらないから!?
いやあ危ないところでした。もう少しで狂信者によるウソが通ってしまいました。
https://x.com/KDMCYcpefGyBUq7/status/1852318352901017612
小林はジャニーズ問題について、立場が上の者からのいわばセクハラなのであるということをガン無視して男色、同性愛の問題だと歪曲していたことはご存じだと思います。そして売れるためなら体くらい売れ!などという暴言を吐いていたこともよくご存じかと思います。そして男色は西洋にはない日本の文化だなどとトンチンカンなことを言っていたことも。
さて歴史を振り返ると戦国時代など、確かに男色、お稚児というものが武士の嗜みのような時代もあったと思います。江戸時代に入っても三代家光などはあまりに男色に耽っているので世継ぎが生まれないのでは、と周りがハラハラしていたと言います。ところが、そういうことがあったせいか、四代家綱の頃には男色禁止令が出されています。これはひとつには世の中が平和になり落ち着いてきたので戦国の気風を改めようという風潮であると言われます。男色というのは単なる性的嗜好ではなく、ほぼ、主君と家臣の間で行われていた、主君による押し付けであったり、主君に気に入られるための手段であったりしたのです。つまりはジャニーズ問題と一緒なのです。
それを戦国の殺伐とした時代の風潮であると断じ、改めねばならないとした江戸幕府も大したもんです。
時代は繰り返すと言いますが、まったく同じ問題が同じように起きて同じように取りざたされているんですね。そして、これは同性愛そのものを禁じたわけではなく、それが上下関係によるものであったり、それを出世の条件にしたりするのがイカンということであって、その後も武士でも庶民でも男色はあったでしょう。
男色自体はどこの国、どの時代にでもあったでしょう。
ただ、上の者によるセクハラはイカンというだけで、それは封建社会の江戸時代ですらわかっていたことなんですね。
それの何が日本の文化か、出世のために体を差し出すのは当たる前だなどよく言えたもんだ。江戸時代より遅れてるんですよ、あの男は。その程度の感性で愛子様も鳥山氏も何も言えたもんじゃないんです。