「万策はとっくに尽きている」という危機感煽り芸
今週の週刊SPA!の小林よしりんの連載がちょっとどうかしていて、マジで編集者が何の仕事もせずに受け取った原稿のチェックもせずに載せているのだろうなと呆れてしまいます。
悠仁親王の似顔絵が明らかに悪意丸出しなのは、同じコマに描かれた敬宮内親王と比較すればモロ分かります。
悠仁親王は成人したとはいえ、まだ高校生であり、大学受験を控えた大変な時期であります。
それなのに、小林は悠仁親王をひたすらに追い込むようなことを描き立てるのですから酷いものです。
真っ当な尊皇家ならば、「いかなる理由があろうとも皇族をバッシングする輩を許してはならない」と主張するものでしょうが、小林は悠仁親王と結婚する女性は誹謗中傷されるし、自由を制限された暮らしを強いられると悪質極まりない煽りを入れるのです。
まるで、悠仁親王の将来をあらかじめ潰してやろうと目論んでいるかのようです。
繰り返しますが、悠仁親王は今、大学受験を控えた大事な時期にあります。その方に対して小林は商業誌で脅迫めいたことを描き散らかしているのですから、心ある編集者ならば苦言を呈し、あたかもマシリトの如く「ボツ!」と言い放ち、描き直しを要求するでしょう。
しかし週刊SPA!編集はそれをせず、あたかもモーニング編集が大御所弘兼憲史の島耕作をノーチェックで雑誌掲載するのと同じで、一応大御所である小林に口出しすることなど出来るわけもなく、悠仁親王への明らかな侮蔑表現をそのまま掲載したわけです。
さて、小林よしのりは悠仁親王を貶めてでも皇位継承順位を変更させて敬宮内親王を皇位につけたいとの仄暗い熱意満々であるようですが、まだ10代の悠仁親王について悪印象でマンガに描いたところで、果たしてそれで既に既定路線であるキマリゴトをひっくり返すことなど可能なのでしょうか。
私は男系絶対ではなく、敬宮内親王が皇位を継がれ、そしてどこの馬の骨とも分からぬジャニ系一般男性と御成婚し、その馬の骨との間の御子様が皇太子になろうが全然構わないと思うぐらいにユルユルな血統観を持っているのでありますが、いざSNSでいわゆる「#愛子さまを皇太子に」と主張している人の意見を聞いてみると、その知識の出鱈目な酷さに閉口せざるを得ず、とりあえず皇統順位は現状維持が妥当と思うに至りました。
皇統にまったく興味がなかったのですが、愛子天皇論者によって、彼らがいかにいい加減か気付かされた次第です。
今現在もいわゆる「女系論者」と対話をしていますが、私はますます「とりあえず現状維持」が妥当であるとの考えが深まってしまいました。
この記事へのコメント
小林は塩見のことを、「言葉が人々に届いていない」と言っていました。かつては、「日本のレーニン」と称されるほどの影響力を持っていた塩見は、冷戦終結後は時代遅れなイデオローグとなり果てていました。
女系天皇論にこだわり続けている現在の小林は、冷戦終結後の塩見孝也のように「言葉が人々に届いていない」存在となりつつあります。
塩見も小林も共通しているのは、特定のイデオロギーに凝り固まって結論ありきで物事を考えているということです。塩見は、「マルクス主義は正しい」という特定のイデオロギーに凝り固まり、「だから革命を実現すべきだ」という結論ありきで物事を考えていました。
一方小林は、「女系天皇論は正しい」という特定のイデオロギーに凝り固まり、「だから皇室典範を改正すべきだ」という結論ありきで物事を考えています。
しかも、塩見も小林も主張の説得力を失っているという共通点があります。塩見が訴えていたマルクス主義的な革命論は、冷戦終結やソ連崩壊とともに説得力を失いました。
一方、小林が訴えていた女系天皇論は、数々の論者に反論されるとともに説得力を失っています。この二人は、自らが信奉するイデオロギーの間違いを認めることができませんでした。
さらに塩見も小林も、訴えている理念が人々に関心を持たれていないという共通点があります。塩見が訴えている共産主義革命の理念は、大多数の日本人は関心を持っていません。
また、小林が訴えている女系天皇論に基づく狂信的な尊皇の理念も、大多数の日本人は関心を持っていません。人々が関心を持っていない硬直したイデオロギーの理念は、民草に届くはずがないのです。
頑迷なイデオローグとなった小林は、冷戦終結後の塩見と同じくもはや「言葉が人々に届いていない」のです。かつてはベストセラーを連発し、オピニオンリーダー扱いされていたゴーマニストも落ちぶれたものですね。
小林先生、老化で画力が落ちてるだけかも?