福岡LIVEはネットの生放送はしない

カルト教団にとって信者を繋ぎ止めておくことは重大な課題です。

信者に何もさせずに、「正しい教えだから良き信者として特に何も行動を起こさずに大人しく信仰だけをしていなさい」と言っていたら、充実感を得られない信者たちは脱会していってしまいます。

信者を繋ぎ止めておく為には目的を与え、アグレッシブな活動に参加させなければいけません。

それが苦行とも呼べる厳しいミッションであればあるほど信者はやりがいを感じてハッスルし、強固な一体感に陶酔し、よりハードな修行さえウェルカムな状態になり、自爆テロさえ受け入れられるよう調教することも可能になるわけです。

どこかの学会も教祖が存命の頃から信仰に関してはやりがいを与えることが出来なくなっていて、高度成長期と比べて明らかに求心力を失いつつあり、唯一のやりがいとして選挙活動があったわけですが、果たして縮小の一途を辿っているように見えます。


ゴー宣カルトも「公論」という看板がハリボテであることがもはや明白であることから、信者ならざる読者たちから愛想を尽かされ、何とか今いるシンパだけでも繋ぎ止めておかねばと、どこぞの学会の選挙活動に似たやりがいを恥も外聞もなく打ち出しているようで笑えます。


今年後半は「ぜんぶ抱きしめて」のロビー活動で戦いぬく | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/48931/

《今年は「ゴー宣DOJO」の門下生・サポーターとの合体ロボで、政界ロビー活動を展開して、政界の地殻変動を起こすので、メーリスで誰をターゲットにするか、指示していく。》


ターゲットにされた哀れな政治家が誰なのかは分かりませんが、よほどのマヌケじゃない限り、ゴー宣カルトに支持されたところでまったく得票に繋がらないことぐらい察せられるでしょうから、適当にお愛想を言って受け流しておしまいでしょう。

しかしゴー宣カルトの連中は別に結果を求めているわけではなく、行動そのものにやりがいを覚え、それに満足し、何も成し遂げちゃいないのに勝手に達成感を得てカウパーでブリーフをパリパリにさせる次第です。


そもそもイボ舐め教祖小林よしりん自体、本気で敬宮内親王を皇太子にするための機運を高めようなど考えてはいません。


福岡LIVEについて、その2 | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/48915/

《福岡LIVEはネットの生放送はしない。2時間半もタダでどうぞなんてサービスは堕落だ。》

《家で寝転がって鼻くそほじりながらチラ見しかしない奴にまでタダでサービスできるかって!奴隷じゃねーんだから。》


小林は老人のど自慢をやる意味について、タテマエとしてaiko立太子を実現させる為にあえて自分は見せ物のパンダになるなどと述べてやがりましたが、ならばより多くの人にそれを訴えねばならない筈なのに、「金にならないことはしない。タダでサービスはしない」などとホザくのですからお察しです。


「お膳立てを整える」が最も重要な仕事 | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/47967/

《どうせわしは客寄せパンダに過ぎない。》

《「集客力」のために(客寄せパンダとして)直接右脳に届ける「歌謡曲を通して」作戦をやってきた》


本業であるマンガでは人を楽しませることも出来ないし、それゆえに自身の承認欲求も満たされなくなったから目の前に信者を集めてカラオケを歌い、直接喝采されることを求めているだけの話です。

ゴー宣道場はその最初期から小林が発言すると、参加者は過剰にウケ、必要以上に拍手をしていました。

当時参加した人ならばその妙な空気を覚えているでしょう。

小林がさして面白くもないウケ狙いの暴言を吐くと、会場がお愛想なのか過剰に爆笑し、大して感心するような提言でもないものにも万雷の拍手をする、あの感じ。

マンガ制作は地道なものであるし、どんな傑作を描いてもあのように目の前で爆笑してもらえるわけでもなく万雷の拍手を貰えるわけでもない。

やはり直接目の前で受ける称賛というのは感覚を痺れさせるものです。

アイドルタレントの香取慎吾さんが何かのインタビューで、ドラマや映画などの役者としての仕事やテレビバラエティなどの仕事、雑誌のモデルなどたくさんした中で一番何が好きか問われた時に、どれも楽しいしやりがいはあるが、そのなかでもダントツでコンサートの大会場でパフォーマンスをした時、何万人もの人から直接反応が返って来るあの気持ち良さに勝るものはないというようなことを話しておりました。

SMAPのドームライブと比べるとあまりにショボい話になるのは言うまでもないですが、小林がゴー宣道場というイベントをいつまでもやめられずに固執した理由はそういうことだったのだろうと、今やっていることで答え合わせが出来ました。

マンガで称賛を得ることが難しくなり、また直接受ける万雷の拍手の心地良さは麻薬のようなものであり、だから例えハタから見たらみっともないタコツボの中のカラオケショーであろうと構わないというわけなのでしょう。


ここで、小林がもはやマンガ家としてはほぼ再起不能であろうことを分析しているコメントを紹介します。


《小林は過去の栄光にすがっているという話がありましたが、現実的にもはや過去の実績しかセールスポイントがなくなった以上、仕方ないのかなと。

小林氏の創れる作品のレパートリーは基本どれも「同時代の日本に紛れ込んだ異常者・異能天才による日常ギャグ」なんです。

時代背景・舞台は現実をそのまま用い、そこに異常な主人公(ボケ)と振り回される周囲の人間(ツッコミ)を配置するのワンパターン。

そして、日常ものだからキャラが成長したり関係性が大きく変化することもない。そのため、毎回奇抜な言動やキャラをギャグとして持ち出す以外になかった。

小林は人間関係やキャラの多面性・意外性・成長みたいなものを学習し、作品に反映させられなかったような気がします。

90年代以後の日本漫画で「独自の価値観・美学・信念を持ったヒール」「主人公以上に魅力的な脇役」が定番化していく中、これでは作画以上に話作りが正直きつかったろうなと。

あるいは少年漫画やフィクションに関心がないなら、「生の表情、日本人の感情の機微」を活かせる青年雑誌に活躍の場を求めればよかったのですが、「作画力」だけでなく、職業ものみたいな「専門知識の学習」と「ドラマ性と論理整合性あるプロット」が求められる今日の青年漫画の世界では、「遅咲きじじい」なる「現代日本を舞台にした異能の老人の日常ギャグ(全3巻)」が限界だった。

作画力を伸ばすのが難しかったにせよ、他は他人から学ぶ事で対応できた事が多い。

それが出来なかったのは、自分が中心で讃えられなくてはならないというある種の奢りとワンマン経営のせいでしょうね。

本来自分以外の人の力によるものだったのを、自分の才能と取り違えた結果没落していくというのはギャグ漫画だけではなく、ゴー宣の歩みにも通じるものがあります。

よしりん企画が若いスタッフたちが作品制作や技術対応などできちんと小林に意見し、早い段階で足りない部分を補っていけるような体制の会社なら何とかなったかもしれませんが、道場ブログで時浦氏や岸端氏らに相槌を打たせているような関係なので、それも不可能だったのでしょう。


現状でのおおざっぱなデータでおぼっちゃまくんの人気を考えたいと思います。

インド版おぼっちゃまくんを作っているのはSonyグループなので、同チャンネルがインドでのおぼっちゃまくん配信の中心と言っていいでしょう。

それでは、そのヒットの規模は往時の日本でのおぼっちゃまくんと比べてどれくらいのものなのか?結論から言えば、1990年代の日本には及ばないというのが現状での意見です。

まず、5~14歳の200万人の子供がみているとして、インドの同年齢の児童は2億4000万人(2020年)です。よってインドの子供の視聴割合は0.8%。

wikipediaには各国版があり、日本語版からも言語を選択すると同じテーマの外国での記事にアクセスできます。

それでは、「おぼっちゃまくん」はインドの言語ではどう紹介されているのか、意外にも2024年8月14日現在でインドの言語で書かれた記事は存在しません。

ちなみに、現代日本の有名アニメ漫画ですが、それらのwikipediaの外国語記事の数は当然ながら数十~100近く存在しています。

今年話題になったばかりの作品でも人気作品はすでに10以上の言語で記事が書かれています。》(ライジング購読者さん)

https://washiblogact3.seesaa.net/article/504285859.html


完全に刺しに来ているというか、オーバーキルというか、ここまでしっかり調べるとは愛を感じるし、その誠実さには刺されながらも小林よしりんは感謝しているに違いないと思います。


インドの人気動画って再生回数が普通に億を超えていると、インド映画フリークの人に聞きました。


小林って、このインドでの話がある前まではテレ朝のアニメについて、マンガからかなり改変されていて別物であり、漫画に描かれた本質からズレている別物であり、言ってしまえば「日和ってユルくなっている」というような感じで評価していたのに、今ではアニメもまるで自分が関わった作品であるかのような態度でいて、最高だなと思います。


小林のゴー宣以外の過去のマンガについての評価は人それぞれ好みの問題もあるでしょうが、少なくとも後世に残すべき天才的な傑作というのを見つけるのは困難なのではないかと個人的には思います。

お話づくりやコマ割りが安易とはっきり言ってあげるべきかもしれませんし、びっくりするぐらい登場人物が深みがなく、それについて「旧世代のマンガ家だから仕方がない」と擁護することが出来ないのは小林と同世代のマンガ家たちは今でも通用する傑作を数多く残しているからです。

小林マンガについて一番分かりやすい説明をすると、要するに小林は「一発ギャグ芸人」であるのです。

東大やおぼっちゃまくんを読み返してみて、その内容については特に心に残るものは何もなく、一発ギャグ的フレーズだけ覚えているでしょ?

別に一発ギャグを貶めるつもりはありませんし、それはそれであって良いですし、勢いある芸人の一発ギャグは私もついつい笑ってしまいます。

だからといって、そこに高尚さや深い意味はないし、深読みして持ち上げることは慎むべきでしょう。

深読みされて勘違いした結果、小林よしのりはヘイトモンスターという珍獣と化したといって良いかと思われます。


そんなヘイトモンスターを教祖に祭り上げ、みっともないのど自慢をする為に集会を開くというのですからね。

承認欲求の化け物たちが互いに慰め合っているザマを自ら配信してデジタルタトゥーとして残すとか、最高すぎるでしょう。

絵に描いたような転落人生。

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この記事へのコメント

ドカチン
2024年08月22日 02:49
直近のイボブログを見て、大笑いしてしまいました。
可哀そうなdie、今回もイボから福岡ライブの責任を押し付けられて詰られるのでしょう。
どんな事をされても付いて行くような奇特なファンでないと、今の設営隊は務まりません。今後も地方設営隊は相変わらずの無能メンバーでやるんでしょうね。
そもそも、福岡でイボイベントを実施するのは、初回と違って地域からの直訴で決まっているわけではありません。
福岡でイボリンの実家の用事などがある時に、「ついでにイベントもやろう」という決め方になっているのです。
このため、Q州設営隊の連中は、イボやおばちゃんが決めた日程に従って、仕方なく腐れ縁で設営の手伝いをしています。ただし、集客が悪いと従前通りの叱責、パワハラが待っていますので、無能なりに頑張って集客はします。
その流れで散々な状況となっているようで、イボギャグ漫画より笑えます。
ま、100%イボの自己満足イベントを、知名度が全くない地域で無謀にも行うのですから、当然といえば当然ですね。
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2024年08月20日 22:59
小林よしのりが早田ひなの「知覧発言」にいっちょかみヒョーロンしています。

https://note.com/yoshirin_k/n/n66dea49323e4

<それにしても、なぜ早田ひなは突然、特攻平和会館に行きたいなんて言ったのだろう?>と不思議がるお爺さん。

<全くの推測だが、おそらく昨年末に公開された映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』を見たのではないだろうか。>
いや、「全くの推測」なのかい。

<わしはその映画については、気にはなっていたものの見ておらず>
いやいや、見てすらいないのかよw

そして早田ひなのことを「さっぱりダメ」だの「実に幼稚」だのと小バカにしつつ、そんな左右イデオロギーにとらわれる以前のシンプルバカであっても、知覧に行けば何か別のことを感じるかもしれん、要するにわしと同じシンプルバカウヨクになってくれるかもしれん、だから行く前に古市のようなシンプルバカサヨクによって予断を与えてはいかんのだ!といったような感じのバカなことを書いています。右と左でシンプルバカの奪い合いじゃーい!とでも言いたいのでしょうかw

さて。
ご存じのかたも多いと思いますが、「知覧詣で」というのは、自己啓発業界に「見つけられて」以降、ビジネスとして確立しており、ツアーなどが組まれ、多くの企業が社員の教育や研修のために参加しています。
同様にスポーツ界にも広く浸透しており、有名選手を含めて多くの選手たちが詣でています。特攻隊員の遺書を読んで「感動」し、翻って自分たちの恵まれた環境を認識し、若くして散らなければならなかった彼らを思えばもっとやれるはずだと奮起するという、いわば特攻隊員の遺書を心のエナジードリンクとして活用する、というメソッドが出来上がっているわけです。
早田ひなが映画を見たかどうかは分かりませんが、こういったここ十数年の動向を踏まえれば、スポーツ界の指導者や同じ選手たちから知覧行きを促されたのだろうと考えるのが自然でしょう。

「知覧に行けば人生観が変るよ」
「自分が好きなことに打ち込めることが当たり前じゃないと気づくことができてモチベーションがアップするよ」
「そうすれば次は金メダルだよ」

このようなテンプレ化している謳い文句を聞かされたのでしょう。
小林はバイアスかけてはいかんとか書いてますが、すでにバイアスがかかっているからこそのあの発言なのです。本当にまっさらな状態なのであれば、実際に知覧に行くまで何を感じるのかは分からないわけですが、早田ひなの発言は「自分が生きているのと卓球ができているのが当たり前じゃないことを感じたい」ですから。行く前から感じたいことがはっきりしている。目的と答えがはっきりしている。

何にせよ、小林は物事に違和感を覚えたならば、見てもいない映画に原因を求める前にもう少し調べてみるべきでしょう。
「わしはネットは苦手じゃけんね、エゴサ以外はできないんよ」というならブレーンとやらを活用しなさい。無料部分しか読んでいませんが、コレに金を出す気持ちにはなれません。奴隷じゃねーんだから。
暑さのせいか、レーニンマンの声が聞こえてくるようです…。

「小林!こんな駄文で金を取る人間が、自分はプロだと言い張ってもオレは信じない」
なお
2024年08月16日 20:37
だからさ、名も知らぬ一般人がいきなり政治家に突撃していったらテロと思われるぞ。そういうときはすこしは名のある自分がまず、行くべきでしょう。政治家と親しいだの何度も食事しただの吹いてんだから。
それで何度も会っても、まるで相手にしてくれなかったから、信者を突入させるんだろ?
本当にやってることはカルト宗教だよ。
無様なモンキーダンスを踊るもの
2024年08月15日 21:30
そうですね、手コキと手漕ぎボートを掛けたんです。というくそ寒いダジャレを入れた動画を深読みしてはいけないし、持ち上げてはいけませんね。すでに消えているからノーカンでしょうか。

冗談はさておき、内容を覚えていないのは読み手の記憶力の問題であり、作品の貴賤や高尚さとは無縁の問題でしょう。

証明はできませんが、私の手元には現在おぼっちゃまくんはありませんし、全話読んではいませんが、覚えているキャラであったりお話を列挙すると

キャラでは、ドクターモウ、ゼッコー仮面、仮面チャマダー、影茶魔、チャンシー、茶魔シロー、シンパイダーマン、実在の人物像ではベン・ジョンソンも出てましたね。

お話しでは、美醜逆転の村、カップヌードルを蛇の神と崇める何故か茶魔語が通じる部族であったり、亀が進化した惑星であったり、ジェラシッコパークであったり…

鷲ヲさんの言っていた通りのうんこちんちんの話であれば、びんぼっちゃまがうんこを盗む話や大量うんこの濡れ衣を茶魔が晴らす話であったり…

記憶頼りでもそれなりに思い出せるものですね。共通点を探すなら、安易なパロディが多かった印象ですね。あとは、ひたすら下品であったり。

まあ、小学生相手なら安易なパロディでもウケたでしょう。しかし、成長とともに多くの多様な表現に触れていくうちに、人は貪欲になるものです。

現状の結果は、小林よしのりしか出来ない表現、というものを磨いてこなかった結果でしょう。

ゴー宣においても例を出すと、エアボーズワン、ゴカイダー、西村眞悟氏の発言を受けての辻元清美を茶化す回であったり…

公論の看板と言われますが、常々疑問に思うのが、道場に参加した皆さんは下品で不謹慎サブカルのノリのおちゃらかし漫画のどこに「公」を感じたのでしょうか?

羊頭狗肉と言うのがピッタリかと。小林よしのりが自身を美化して描くことや取材をしていないことも、文句を言うべきは、見る目がないこと、フィクションと現実の区別を付けられなかった自分自身へ言うべきでしょう。

恥とは、デジタルタトゥーとはなんでしょうね?