「次元冒険記」という駄作のこと
イボナメクジ研究所のYouTubeチャンネルでは今のところゆっくり解説をあげており、現在は鳥山明先生と小林よしりんの比較動画を小まめに作ってはアップしてという作業を続けています。
小林よしりんのマンガについてはさほど詳しくはないのですが、鳥山作品に関してはそれこそ小学生の頃から何度も読み返していますので、語ろうと思えばいくらでも語ることが出来ますし、その影響は計り知れないものがあります。
そんな鳥山先生を愚弄した小林よしりんには怒りというより呆れの方が強く、情けないなぁという感想しかありません。
一体どこの誰がこの二人を比べて優劣をはっきりさせようなんて思いますか?
そんなものはいちいち比較するまでもないことです。
それこそ鳥山明とスピルバーグを比較するとかいう話ならばそりゃ話は膨らむし盛り上がることも出来るでしょうが、「おぼっちゃまくん」の人と鳥山明を比べるなんて言ったら笑われてしまうでしょう。
《鳥山先生や藤子F先生を罵倒した代表が尊敬する数少ない漫画家は赤塚不二夫先生とのこと。
今振り返ると、赤塚先生の作品もファンタジーを前面に組み込んだ「ひみつのアッコちゃん」を除くと「天才バカボン」も「おそ松くん」も皆、作品のモチーフが「同時代の日本を舞台にした異常な主人公の日常ギャグ」であり、代表の「おぼっちゃまくん」と共通しているんですよ。
オリジナルのキャラ造形(作画)レベルがかなり荒いという点でも。
そして、代表の数少ない友人の漫画家である秋本治先生の代表作「こち亀」も「同時代の日本を舞台にした日常ギャグ」。
こうした傾向を踏まえると、代表は単純な画力だけでなくてフィクションへの関心が極めて限定されていたようにも思えます。
以前コメントしたように、SFにもファンタジーにも歴史ものにも架空の日本にも興味がない以上、ドラクエやFF、ポケモンといった90年代以後の王道JRPGや青少年漫画・アニメを楽しめないのは必然だったし、そこから何かを吸収しようという気にもなれなかった。
当然、2010年以来の異世界ファンタジー(このすば、フリーレン、ダンジョン飯etc)は描けない以前に視聴しても「何が面白いのか理解できない」「キャラたちの心情がわからない」で終わってしまう。
「新おぼっちゃまくん」は尊敬する赤塚不二夫のリメイク作品「おそ松さん」と違って世間を賑わすこともなく終了しましたが、それも時流や他のコンテンツに無関心だったのが大きいでしょう。》(ライジング購読者さん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/503056829.html
果たして小林はSFやファンタジーに興味がなく、だからマンガ作品として反映されていないのか、というと、そんなことはないでしょう。
彼はこれまでスターウォーズやスタートレックが好きだということを何度か明言しています。
では何故その興味がマンガ作品に活かされていないのかといえば、単なる力量不足でしかないでしょう。
SF作品を作る為にはかなりの知識が必要とされ、ヘタに中途半端なイッチョ噛みで手を出したら、目も当てられないことになります。
実際、小林は1996年、オウムバブルで過大評価されていた頃にヤンマガでSFというジャンルに手を出し、ヤンマガ史上に残る駄作を垂れ流す黒歴史を残しています。



稲中の古谷実やバレーボーイズや1・2の三四郎2やサガノヘルマーやドラゴンヘッドで盛り上がっていた当時のヤンマガでSFマンガを始めた小林でしたが、そもそもSFギャグをやる技量もなく見切り発車でスタートした為にひたすら迷走し、珍作や怪作として爪痕を残すことさえ出来ずに打ち切られ、以後ヤンマガに登場することはありませんでした。
スペースオペラや冒険活劇に憧れながらも力量不足で描くことが出来ない小林にとって、それをいともたやすく描き、しかも単なるシリアスではなく、しっかりとギャグに落とし込んでいた鳥山明に対して、それはそれは形容し難い想いを抱いていたのでしょう。
しかしだからといって、人の訃報を喜び、はしゃいで茶化すなんてマトモではありません。
今日もその件についてショート動画をアップしました。
https://youtube.com/shorts/1_i3G9YD-hM?si=FprDXkiBsSz8slOb
今後もこの件については動画にしてゆきますので、気が向いたら観てください。
チャンネル登録やコメントなどしていただけたらありがたいです。
この記事へのコメント
単行本化もされてないんでしょうかねえ。
まあ読む気にもなりませんが。
だから内容は一切わかりませんけど、え?これSFなのに「よしりん」が出てくるの?この頃ゴー宣が少し話題になってたからって、よしりん出せば読者が食いつくとでも思ってたんでしょうか。どこまで自己顕示欲が強いんでしょうか。
読者層の違いとか、一切考慮してないのが情けないですね。そして、そういう失敗に懲りず、今でもわかってない。だから、今ではタコツボの中の教祖様になってしまったんですね。
代表が赤塚氏や秋本氏については好意的だったのは、
お二人が代表の中では競合相手にならなかったかもしれませんね。
多くの漫画家がその道を目指した理由が「描く楽しさ」「巨匠と名作への憧れ」である場合が多いのに対し、代表の場合は承認欲求が原点なので周りの
自分より売れていたり、作画や原案で自分を上回る漫画家(特に90年代以後のクールジャパン世代)は敵か嫉妬か格下扱いで無視すべき存在扱いだったような気がしますね。
そんな中、赤塚先生と秋本先生が敵にならなかったのは、
代表にとっても手が届きそうな存在だったからのような気がします。
赤塚先生は晩年の「ネコの大家さん」まで初期の作画から大きく変わることはなかった。対して、秋本先生は90年代から作画レベルも時代に合わせて向上したがそもそも「こち亀」のウリはギャグと人情なので。
https://ebookjapan.yahoo.co.jp/books/113161/A000032072/
代表が少年向けギャグ漫画を終えてゴーマニズム宣言を開始するのが
1993~1994年。その後、90年代に始まるクール・ジャパンの黎明時代に
レッドオーシャンの競合の中で各種漫画やアニメの作画レベルが今日的な方向へ向上し続けた(ジャンプだと2000年の矢吹先生のBlack Catがその里程標)のを考えると、時評漫画というブルーオーシャンを見つけたのは代表にとって不幸中の幸い(あるいは幸い中の不幸?)だったのかもしれません。