笹幸恵という生き方
事件です。 | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/46195/
《「歌謡曲を通して日本を語る」、事件です。なんと「おぼっちゃまくん」の作者からリアル〇〇〇〇〇〇!!!!》
《あの事件は、スタジオにいた人たちしか目撃していないのかしらん。
リアル〇〇〇〇〇〇ですよ!!!
うらやましい人、たくさんいると思う。希望者には右手を触らせてあげるね。
それにしても衝撃でした。》

《トリはまさかの『おぼっちゃまくん』の主題歌!歌も良かったし、"ぽっくんは歩く身代金♪"のとこで何度も笑ってしまいました。詞も良い!笹さんとの"リアルともだチ○コ"も羨まし‥ではなくて、変な興奮…でもなくて…とにかく楽しかったです♪こんなに簡単に元気になれる挨拶があるのに、いつから日本人はこれを忘れてしまったのでしょうか?嘆かわしい!》

要するに昨日のネット配信で、小林よしのりという70歳の老人が50過ぎの笹幸恵の手を取ってそれを自身の股間に持っていったという何とも痛々しいパフォーマンスをしたというわけで、大のオトナが集まって何をやっているのでしょうか。
笹が「希望者には右手を触らせてあげる」と言っているのはつまり、まだ右手に小林のイチモツの感触が残っているから共有させてあげるということのようです。
つい最近まで師範であった奴もかつてバスでの痴漢騒動の時に女子高生の胸の感触についていつまで忘れられずにいたと書いていましたが、ゴー宣道場界隈のパブリックマインドはどうなっているのでしょうか?
公衆の面前で女子高生のオッパイに触った話 | ゴー宣DOJO https://www.gosen-dojo.com/blog/18382/
《あの時のオッパイの感触は今も私の手に残っているが…。》
今回のパフォーマンスはあくまで「ともだちんこ」をしているテイであり、実際に手コキをしたわけではないから問題はないと言いたいのでしょうが、頭の悪いガキが悪ノリでTikTokに投稿するようなネタを披露すること自体が普通にキッツイしキモいのです。それが分からないゴー宣界隈はマジ終わってんな、という話です。
確か似たような悪ノリを倉田真由美が誰かにしたとして、以前に生放送でバカにしていた記憶があるのですが、私の記憶違いでしょうか?



https://x.com/kuratamagohan/status/1579290483167465472?s=46&t=KtUK2XEOGqno6mJtKNAi8A
https://x.com/ibokenq/status/1585235705034592256?s=46&t=KtUK2XEOGqno6mJtKNAi8A
それにしても笹幸恵はよくこんな役回りを引き受けたものです。
自称ジャーナリストとしてのプライドはないのでしょうか?
以前は旧日本兵のお爺ちゃんたちから戦時下での話を親身になって聞いていたというのに、今は小林老人のお世話係とは。




このようにゴー宣界隈をウォッチしているとバカ負けして、もう相手にするだけ無駄だと興味も失せる訳ですが、私はある事情がありとりあえずまだこのブログやYouTubeチャンネルを続けなければならないので、呆れつつもウォッチしています。
本当につまらないし、くだらないし、やめたくて仕方がありません。
《人によって「小林よしのりは従軍慰安婦問題の頃まではまともだったのに…」とか、いろいろ評価の違いがあるのでしょう。
しかし、小林のデマこきというのはそれよりはるか以前、最初期の頃から確認できるというのが実際です。
ゴー宣に対して一時期でも好意的に読んでいた読者として心掛けるべきは、過去に共感した小林の言動と現在の小林の言動の整合性を気にするよりもまず、小林の言動すべてを疑うこと、「ソースは小林よしのり」で思考したりしないこと、まさに小林とゴー宣をまるごとキャンセルすることではないでしょうか。
私は、ゴー宣や小林を絶対視したり個人崇拝していたことは一度もないと断言できますが、好意的には読んでいました。それは、「わしはミスする天才じゃい」とか「わしは間違いに気付けばすぐ謝ってしまう」とかを信用してしまっていたからです。
なのでゴー宣内の誤謬に気付いても「もう読まない!」などとすぐにキャンセルするようなことはせず、いずれはこのような恥ずかしい間違いも認めて描く時がくるのだろう、ゴー宣というのはそういう自己言及ができる作品であり、小林よしのりのドキュメンタリーであり私小説的な価値のある作品なんだろうと捉えていたわけです。そして十数年にわたって様子を見ましたが、さすがに見限って、ミスどころかデマまで重ねて一向に恥じない自称天才のアホ、ろくでなし、こいつの積み重ねてきたインチキをキャンセルしないとダメだと断定するに至りました。》(記録を残すさん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/502842478.html
このコメントについて、ほとんど同意というか、「本当にこれに尽きる」という思いです。
「ゴー宣に対して一時期でも好意的に読んでいた読者として心掛けるべきは、過去に共感した小林の言動と現在の小林の言動の整合性を気にするよりもまず、小林の言動すべてを疑うこと」
この姿勢で過去作を振り返れば、それまで首を傾げたり躓いたりしていた部分がより明確になり、その違和感を掘ってゆくことで小林の実像や本音を掴むことが出来ます。
今、noteではその作業をしていますので、よろしければそちらもご覧ください。
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この記事へのコメント
しかし、それでも炎上しないと言うことは、世の中の誰もがこの界隈を見捨てているということでしょうね。鳥山明に噛みついて炎上させたかったんでしょうが、ボヤ程度で終わってしまいました。
もう、どうしようもない連中です。
あと、「落陽」の歌詞で感動したってことは吉田拓郎を聴いてから言うことで、どんな名曲でもへたっぴが歌えばどうにもならない歌にしかならないのに、なんでも褒める歓び組でしょうか、このオバはん。