権力を悪用したパワハラ
葉月蓮さんの件についてゆっくり解説を作ろうと日々苦心しています。
小林よしのりの画像どころか名前を出すだけで離脱率が爆上がりしてしまう現状で一体どう工夫すればより多くの人に関心を寄せてもらえるのでしょうか。
とりあえず葉月蓮さんのフラワーデモでのスピーチをショート動画にしてみましたので動画コメント欄の方に感想よろしくお願いします。
https://youtube.com/shorts/i_nEu5CFzqM?si=0e934H6W7AErtuO4
葉月蓮さんの事案に関連して見事な考察が届いていますので紹介させていただきます。
《2018年当時のおじいちゃんは伊藤詩織さんを擁護(安倍を批判)する立場で商売してたんで「#MeToo運動」に対し異議を唱えたカトリーヌ・ドヌーヴらを批判していたのですね。
被害者の告発からのネット私刑なりキャンセルへの嫌悪感、偽証・陰謀の可能性、芸術への影響などドヌーヴの主張は今の小林おじいちゃんと同じと言っても過言ではないくらい似ているのですが。
“よしりん辻説法【寝耳に#MeToo】を読ませていただきました。さすがとてもわかりやすかったですね。
これを読んでもピンとこない人がいるとしたら、保守系のベテラン女性論客に対して感じたよしりん先生と同じように、諦めるしかないかもしれません。
女に対する男からのセクハラには、根っこに男尊女卑がある場合が多分にありますが、【寝耳に#MeToo】の中にありましたように、「権力を悪用したパワハラ」という側面も確実にあることが、カトリーヌ・ドヌーヴにも、彼女らに共感する女性たちにも、その保守系のベテラン女性論客にも、それが見えない、わからないのでしょうね。”
ジャニー喜多川や松本人志の問題にも「権力を悪用したパワハラ」という側面が確実にあることが見えない、わからないんでしょうかね。コメントでは更に、時間が経ってから被害を自覚し告発に至る被害者の心理にまで触れて、この問題の難しさを語っているわけですが、今のおじいちゃんに同じことを言えば極左の工作員というレッテルを貼られて追放されてしまうのでしょうね。
アップデートなり変節を悪いとは言いません。
ただプロならば自身の言動には責任を持つべきで、今回の変節に至った経緯の説明が必要なのではないでしょうか?
恥じる所が無いのなら堂々と作品にも描けるはずです。かつて西部邁と握手を交わした時や、女系容認へと変わった時のように。
【時処位】の概念や【バランス感覚】というものを持たないアンチの常套句ですね。恥ずかしい。みたいな煽りが聞こえてきそうですが、そういうフワッとしたロジック0の言い逃れで締まるのは先生の首だと言うことは覚えておいた方がいいと思いますよ。いやもうとっくに締まりきってますかね。》(シチューせんべつさん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/502371058.html
葉月蓮さんの件は今後もYouTubeチャンネルで追及してゆきますし、現在noteに纏めている文章の方も「鷲妻」編の次に「葉月蓮」編へと移ってゆきます。
noteではこちらのブログのような悪ふざけたノリを排して、扇情的にすることなく淡々と事実関係を記してゆきます。
↓
https://note.com/saruking/n/n4c99fe16d053?sub_rt=share_b
この記事へのコメント
・これをあえて「政治的企図」などと言いたいのであれば言えば良いと思います。
ご自身でそう言う、政治的企図と判断して何か問題とありますかね?
・「政治的企図」という言葉を使うというのは、そこに「悪い企図があった」「悪だくみがあった」と言いたいわけでしょう。
これも、完全な印象操作ですね。政治的企図が無かった、と言うならばこういう表現を使う必要性も無いことであるし、「政治的企図は無かった」ことを淡々と書くだけで良いでしょう。
すでに私は、はてブだったかな?の方で反論していたわけであるが、今になって何故突然反論を始めたのでしょう…不思議ですね。
また、このような印象操作を行う論法はかなり覚えがある気がするがどこだったか…まあ、酔っ払いの気のせいでしょう。
最後に、当時辞任時に朝日新聞社長は何とコメントしたのだったか。
慰安婦に関する過去の誤報の取り消しが遅れたこと、検証紙面において謝罪しなかったことの責任は認めていたわけです。
さて、これを見た人達がどう判断したかというと…まあ、それは人それぞれの自由でしょう。
まず、政治的企図があったと《当の朝日新聞が認めていることです》との断定ですが、
おやおや、以前の投稿では、
《朝日新聞は政治的企図は否定していますが》
https://washiblogact3.seesaa.net/article/500779907.html
こう自分で書いていたのですがね。なぜ見解を変えたのでしょうね?
酒に酔って錯乱しているのでしょうか? まさか「他人にウザ絡みできれば何でも良い」なんて考えではないとは思いますが。アルコールはほどほどに。
では朝日新聞は政治的企図を認めているのか、いないのか。
確認していきましょう。
まず、根拠として提示されているリンク先の文章ですが、
ここには「当の朝日が政治的企図を認めた」文言など存在していません。
あるのは「政治的企図は明か」という第三者委からの指摘の「紹介」だけ。
他の指摘に対しては、表現の誤りを認めたり、今後は「おことわりをつけます」などの対応が書かれていますが、「政治的企図」については指摘があったと紹介するだけで朝日新聞としての価値判断は記されていません。
よって、このリンク先文章を根拠にして当の朝日も認めている、と述べるのは虚偽です。
次に、第三者委の指摘ですが、記事内容に誤りはないと認めた上で、タイミングを狙ったかはもはや確認できないと逃げ、にもかかわらず政治的企図は明かと断じています。
根拠は記事のリード文。これです。↓
「日中戦争や太平洋戦争中、日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していたことを示す通達類や陣中日誌が、防衛庁の防衛研究所図書館に所蔵されていることが十日、明らかになった。朝鮮人慰安婦について、日本政府はこれまで国会答弁の中で「民間業者が連れて歩いていた」として、国としての関与を認めてこなかった。昨年十二月には、朝鮮人元慰安婦らが日本政府に補償を求める訴訟を起こし、韓国政府も真相究明を要求している。国の関与を示す資料が防衛庁にあったことで、これまでの日本政府の見解は大きく揺らぐ事になる。政府として新たな対応を迫られるとともに、宮沢首相の十六日からの訪韓でも深刻な課題を背負わされたことになる。」
日本政府は関与を認めてこなかったが、新たな証拠が出たので見解を変える必要があるだろう、目前の訪韓でも対応が必要だろう、まあ当然のことしか書いていません。
これをもって第三者委は「訪韓の時期を意識し、慰安婦問題が政治課題となるよう企図して記事としたことは明らか」としているわけですが、訪韓直前に情報を得たら間に合うように意識するのは当たり前でしょう。
これをあえて「政治的企図」などと言いたいのであれば言えば良いと思います。
が、すでに前回述べたように、それは報道機関として当たり前のことだし、結構なことでしょう。何も問題はない。これが問題なら報道ができなくなってしまう。
言われた朝日も困ったでしょうね。政府の方針や見解に影響を与えるのが確実な記事に対して、政治的企図があるとか当たり前の「指摘」をされても。だから「指摘があった」と紹介することしかしなかった。まあ、朝日の立場としては余計なことを言ってさらに叩かれたくないというのもあったかもしれないですね。
しかし、朝日を叩いてきた秦郁彦や小林よしのりをはじめとするような人たちが言いたいことは、そんな言わずもがなのことでないのは明白です。
わざわざ「政治的企図」という言葉を使うというのは、そこに「悪い企図があった」「悪だくみがあった」と言いたいわけでしょう。
酔っ払い氏の以前の投稿を見ても、《日韓関係が悪化した場合一番、誰が得をするのか。》《誰が得をしたのか?まあ、これは書かぬが花と言うものですかね。(お前もネトウヨだろうとのそしりを受けそうなので)》などと、関係悪化は朝日報道が原因で、それで利益を得る者がいたからだ、といった安っぽい陰謀論めいたものを仄めかしています。
こういう人たちが「悪い企図」の根拠として主張してきたのが、
「朝日はかなり前から情報を得ていたのに訪韓のタイミングまで手ぐすね引いて待っていた」
そして、
「そのせいで「慰安婦」は政治問題化したのだ」というものです。
対する朝日新聞の見解はこれです。↓
https://www.asahi.com/articles/ASG7L5Q40G7LUTIL045.html
「読者のみなさまへ
記事は記者が情報の詳細を知った5日後に掲載され、宮沢首相の訪韓時期を狙ったわけではありません。政府は報道の前から資料の存在の報告を受けていました。韓国側からは91年12月以降、慰安婦問題が首相訪韓時に懸案化しないよう事前に措置を講じるのが望ましいと伝えられ、政府は検討を始めていました。」
リンク先に詳しい経緯がありますが、第三者委が判断を避けた「タイミング狙い」は時系列を示し明確に否定、問題化というのも報道前から問題化していたのだとやはり時系列を示しています。
よって「悪意の企図があった論」は成立しません。
虚偽に基づいて誰が得したなどと妄想しても、まったく馬鹿馬鹿しいことであり時間の無駄であります。
まとめると、
朝日新聞は政治的企図を明確に認めてなどいない。
「悪意的な企図」は明確に否定している。
報道機関として当たり前の報道を、第三者委の「指摘」を盾にして「政治的企図アリ」と言いたいのであれば言えなくはないが、それに何の意味があるのか。
こんなところですかね。
デマを製造する側は、気軽に2,3行で乱造・乱発してきますが、訂正するとなると一つだけでも分量が必要になります。事実関係の誤りだけでなく、論理のねじ曲がりなどもありますから大変ですね。
まず、何度でも言いますが
https://www.asahi.com/shimbun/3rd/2014122337.html
このリンクにも指摘されている通りです。
・「訪韓の時期を意識し、慰安婦問題が政治課題となるよう企図して記事としたことは明らか」と指摘しました。
表題の・第三者委「政治課題となるよう企図」ともありますし、当の朝日新聞が認めていることです。ジャニーズ問題でも良く言われる「当のジャニーズが認めた」と同等のロジックであり何か問題ありますかね?
嘘は百回言っても本当にはなりませんよ。
おかしいですね。責任については私は読み手の判断に任せたつもりでしたが、なぜこんなにも憤るのでしょう?IQの低そうな方と何か関わりがあるのでしょうか。
さて、今回紹介されたコメントについても少々批判しておきましょうか。
私はカトリーヌドヌーヴの指摘は頷く所が多く、特に「魔女狩り」は事実として起こったわけです。日本では、草津の件でしょう。
そして、半天狗のような人達は責任を取ったかというと…でも、そうはならなかった。ならなかったんだよ。だから−−この話はここでお終いなんだ。
とはならず、責任を取らせるにはどうしたらいいか?と普通は考えるわけです。
伊東選手の件はその点において注目していますね。
また、虚偽の告発の被害にあわない為にはどうしたらよいか?とも考えるわけです。女性とは二人きりで会議をしない、どうしてもの場合は会議室の扉は開けておく等々。「護身完成」とするには色々と対策もできるでしょう。
それこそ、「連帯責任」を取れない人達にはどうしたらよいのか。
新井元町議を支援する会は解散してしまったわけですが、被害者への寄り添いとは何だったのでしょうね。
私は自分で言うのもなんですが、性格がねじ曲がっていますので、その事は書かないでおきましょう。
感化されて、私も過去のゴー宣を少しずつ読み直したりしています。
今さら小林作品を通読するのは苦痛だな、と思っていたのですが、始めてみるといろいろと思い出したり、気づきがあったりでそれなりに面白い。
やはり小林よしのりはかなりの初期から駄目な奴ですね。
人によって「○○までは良かった、××からおかしくなった」と言いますが、
初期から駄目。読み直し始める前はもう少しマシな印象だったのですが、
さらに評価が下がりました。
で、思い出しついでに一つだけ。
以前にも少し書きましたが、小林が「従軍慰安婦」問題に関して広めたデマのひとつに「朝日新聞が宮沢首相訪韓のタイミングを図ってスクープを出し、『慰安婦』問題に火を付けた」というものがあります。
言い出したネタ元は秦郁彦で、著書の中でこの朝日の報道は首相訪韓を狙った「奇襲」であり「不意打ち」であり、記者は情報を入手していながら「二週間以上も」寝かせていたのだと「推定」しています。
小林はこれを真に受け、秦郁彦棒を振り回して朝日や「慰安婦」叩きを行ないました。ただし、小林は『新ゴーマニズム宣言』3巻で 「朝日は数ヶ月前に入手していたこのネタを宮沢総理の訪韓5日前 というタイミングを見計らってぶつけたのだった」としていて、「二週間以上」という秦の「推定」すら改竄しています。さすがです。
では事実はというと、朝日の記者は詳しい資料を入手してから5日後に記事にしており、また日本政府も朝日の報道前から資料の存在を把握していました。当時、「慰安婦」問題はすでに政治問題化しており、韓国側からこれ以上懸案化しないよう首相訪韓前に措置を講じるのが望ましいと要請され、調査を開始していたからです。
要するに、秦郁彦の「推定」は「邪推」でした。
小林のは輪を掛けたクソデマです。
しかし、デマは広まり、未だに「朝日の政治的企図」などとさも悪いことのように書き、日韓関係を悪化させて得したのは誰か、などと陰謀論めいたことを仄めかす輩もおります。困ったもんだ。指摘されても訂正もしません。それでどの口が「責任」とか言うのやら。
そもそも、当時すでに韓国でも調査報道がされて「慰安婦」に対する認知関心は高まっていたし、日本の国会でも繰り返し質問が行なわれていました。
しかし日本政府は証拠がないからと、のらりくらりしていたのです。
そこに、証拠ありますけど、と出されたのが朝日の報道でした。
それで日本政府も事実を認めざるを得なくなり、報道後、「かつての日本軍が関係していたことは否定できない」と官房長官が表明するに至ったのです。
事実を確定させ、問題を一歩前進させたわけですから結構なことで、十分報道機関としての役割を果たしていると思いますが、これの何が悪いのか説明して欲しいものです。
一律に対象を否定するような傾向・言論があるからでしょうね。
例えば、性的な犯罪・スキャンダルでも
児童ポルノ所持など直接的な被害者がいなかった場合(るろ剣の和月氏)、被害者がいた場合(アクタージュの原作者松木氏)では個人的な嫌悪を別にすれば、対応が違うのは自然ではないでしょうか。
またジャニー氏や松本氏みたいに権力を利用してのパワハラを
当然と考え、常態化していた人物と、一度だけ誘惑に負けてしまったが
反省してやり直したいと考える人の場合もそうでしょう。
作品とクリエイターも、性暴力をインスピレーションにするような人間と、そうでない人間では作品への見方が違うのはあり得る話。
小林氏の場合は、道場を私物化して女性に性奉仕させ、あげくに
自己都合で切り捨て、告発を隠蔽しようと言う卑怯さが問題です。
仮に代表が追放した門弟に後で一言、お詫びの一言でもあったなら
「情けない奴だが、これで真面目にやっていくなら許してやるか」
という話にもなったのでしょうが、その後の展開を見るに私物化
傾向はやまず、とうとう無償の介護施設として門弟たちに奉仕を
求め出したので、それでは批判される他はないでしょうね。
性犯罪を犯した人間の作品がどんなに素晴らしくても、そんな手垢が付いてしまえば素直に楽しめないのは当然ですし、被害者からすれば加害者の作品そのものに嫌悪感が出るのは当たり前でしょう。
大体、小林は911のテロや安倍元首相銃撃事件の時、テロをやる側にもそれ以外の反撃手段がない場合は許容されるべきと擁護していたのですから、違法な行為であっても、キャンセルカルチャーも反撃手段として許容されるべきと言わなければ矛盾しますね。
裁判で決着を付けろと抜かすなら、小林が過去に擁護したテロ犯にも同じことを言わなきゃ、それこそ法治主義の完全否定です。