「セクシー田中さん」の原作者と製作陣の齟齬は、わしの場合はない。
「コロコロはぬるま湯」なんて、言うわけがない!! | ゴー宣ネット道場https://www.gosen-dojo.com/blog/44834/
《ジャンプ連載経験者で、コロコロにも描いた漫画家は他にもいるのですが、コロコロでの作品が知られている人がよしりん先生しかいない》
《コロコロを「ぬるま湯」と言った漫画家は、そうやってコロコロをナメていたために、コロコロで描いた作品は箸にも棒にもかからず、誰の記憶にも残らず、その人がコロコロで連載していたということすら、完全に忘れ去られているのです。》
「おぼっちゃまくん」が連載されていた当時のコロコロコミックが週刊少年ジャンプと比べて「ぬるま湯」だったのか、はたまた熱湯だったのかは当時少年だった読者にしか判断することが出来ないので私は特に意見はありませんが、あくまで当時のジャンプに比べて当時のコロコロはぬるま湯だったというエピソードに何を熱くなって他の漫画家を貶めているのでしょうか。
マンガ家を目指して上京し、結局連載を持つことが叶わず挫折して小林よしのり専属アシスタントに落ち着いた人が、ジャンプやコロコロに連載していた作家さんたちに対して「箸にも棒にもかからず、誰の記憶にも残らず」などと罵倒するとは大したマンガ愛です。それマンガ愛ではなく、単なる小林よしりん信仰ですよ。
ちなみにコロコロコミックで「おぼっちゃまくん」の連載がスタートした1986年4月の週刊少年ジャンプの連載陣を見てみましょう。
「こちら葛飾区亀有公園前派出所」
「キン肉マン」
「DRAGON BALL」
「北斗の拳」
「聖闘士星矢」
「CITY HUNTER」
「魁!!男塾」
「きまぐれオレンジ・ロード」
「銀牙-流れ星 銀-」
「ハイスクール!奇面組」
「ついでにとんちんかん」
やべえぐらいに沸騰して煮えたつ熱湯と称しても過言ではない布陣でしょう。すべてが今やレジェンドと呼ばれる作品がシノギを削っていたのが当時の週刊少年ジャンプです。
さてそれでは「おぼっちゃまくん」が唐突すぎる打ち切りENDを迎えた1994年7月当時の週刊少年ジャンプを見てみましょう。
「こちら葛飾区亀有公園前派出所」
「DRAGON BALL」
「ジョジョの奇妙な冒険」
「SLAM DUNK」
「幽☆遊☆白書」
「DRAGON QUEST ダイの大冒険」
「ろくでなしBLUES」
「新ジャングルの王者ターちゃん♡」
「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-」
「地獄先生ぬ~べ~」
「BØY -ボーイ-」
「NINKU -忍空-」
「とっても!ラッキーマン」
「キャプテン翼 ワールドユース編」
ある世代にとって「ジャンプ黄金期」と呼ばれている時代であり、果たして熱湯を自称する小林よしりんが当時のジャンプで連載していたとして10週続くのか疑問です。
茶魔の連載終了について、以前小林は「ゴー宣が忙しくなったから手が回らなくなった」などと言い訳をしていましたが、そのわずか一年もしない内にヤングマガジンで新連載を始めたのですから、ぬるま湯であるコロコロでも人気低迷甚だしく打ち切りENDであったと見るのが妥当でしょう。
そして、ヤンマガでの新連載の惨憺たる有り様については言わぬが花でしょう。

稲中やバレーボーイズなどツワモノドモが群雄割拠するなかに幼児にしか通用しないぬるいダジャレで飛び込むのはヒノキの棒と布の服という軽装でロンダルキアへの洞窟に挑むようなものです。
そんなぬるま湯よしりんがまた訃報を自分の宣伝に利用していました。
小林よしのりは不謹慎ギャグのつもりなのか、他人の死をネタに自慢話や自著宣伝などをすることがあります。それのどこで笑えば良いのでしょうか。
鬼畜系や露悪系の時代の空気のままでいるのでしょうが、いい加減にすべきでしょう。
そう注意されたら、「なんでもかんでも不謹慎と自粛するポリコレにはうんざりしちゃうよ〜」と得意の茶化しで冷笑するのでしょうね。控えめに言ってゲス野郎です。
「セクシー田中さん」の原作者と製作陣の齟齬は、わしの場合はない。 | ゴー宣ネット道場https://www.gosen-dojo.com/blog/44799/
《「セクシー田中さん」の作者・芦原妃名子さんが、テレビドラマの制作者とトラブって、自殺してしまったらしい。
原作に忠実に脚本を書いてほしかったらしいが、よほど繊細な人だったのだろう。
だが、原作者が自殺なんかしたら、ドラマ化で関わった人たちが、俳優まで含めて全員、嫌な思いをするに違いない。その人たちも含めて気の毒である。》
この酷いイッチョ噛みブログについて、「セクシー田中さん」の読者の方からコメントをいただきました。
《イボナメクジの分際で、自分の境遇が芦原先生と比較できるものだとでも思っているのでしょうか。開いた口が塞がりません。
イボナメクジよ、ほんといい加減にしろよ。
お前は週刊と謳いながら実質隔週になった雑誌で、取材もしなければ勉強もせず過去に書いたことの繰り返しと「陛下のご本心はこうに違いない」という妄想だけで、大ゴマで水増しした薄っぺらい漫画を描いてるだけだろうよ。
まともな漫画家としての仕事もなく困窮している折柄、30年も前に当時のガキどもに飽きられて終わった親父ギャグ漫画が小遣いのタネになって糊口を凌げるのだから、そりゃ打ち合わせにもウキウキで臨んでるだろうよ。インド人のご機嫌を損ねてポシャりでもしたら大変だしな。せいぜい愛想良くしとけ。
そういえば、わしは日本人のために描いている!って戦争論で豪語してなかったか? まあ良いけどね。いっそインドに移住したら? 生ゴミを輸出するようでインドに申し訳ないけど。
だいたいお前の描いていた、うんこちんちん描写にダジャレに、「しぎゃぴー」とか大袈裟に喚いているだけの漫画なんぞ、それこそアニメ化するためにテキトーに改変したって良さが消えるわけもない。最初から無いものは消えようもない。ツルセコのアイデアがあるだけ、のむらしんぼの方がなんぼかマシってもんだよ。
芦原先生は違うんだわ。
軽妙な描写ながら深い作品で、読むにも脚色するにもリテラシーを問われるような、大人が楽しめる作品なんだよ、セクシー田中さんは。ありがちな恋愛ものにされたら作品の根幹が壊れる。そうなったら読者である女性をエンパワーする作品ではなくなってしまう。だから抵抗したんだよ。
本人が繊細な人だからそういう作品を描けた。作品のテーマを壊すような改変を許容できずテレビ局相手に闘って苦しんでしまうくらいの思い入れと、読者への責任感があったから、素晴らしい作品を生み出し、多くの読者に愛されているんだよ。
仕事がなくなって暇なジジイが生活のために海外の制作会社に尻尾を振るのと、今を生きる読者のための作品に心血を注いでいた芦原先生が作品を守るためにテレビ局やアホな脚本家と闘ったのとは、全く正反対なんだよ。
芦原先生が描いていたのは、主に男から受けた心ない言動で自己評価を下げてしまった女性が、精神の自由を取り戻す物語なんだよ。アナ雪の評論で中森明夫が言っていたことを、日本の漫画家である芦原先生がやっていたんだよ。
芦原先生を失ったことは日本の漫画界のあまりにも大きな損失なんだよ。
才能ある作家が自分の作品を守るために闘って追い詰められたことに怒りを覚えないイボナメクジは、金輪際作家を名乗るな。
全く似ていない愛子様の絵を描いた欄外に松本人志やジャニー喜多川の性加害を擁護するコメントを入れるようなクズに、芦原先生と自分を比較する資格なんかないから。
身の程をわきまえて早く来世にいけよ、老害。》(匿名希望さん)
この記事へのコメント
https://www.gosen-dojo.com/blog/45025/
インド版アニメ『おぼっちゃまくん』のシネマティックス、
かなり幼児っぽいお話だけど、可愛さと楽しさはあるなと思った。”
またもや面白いじゃなくて可愛い。というか何で初めて話を見た風なんです?絵コンテから先はインドだけど、脚本は日本で、その最高責任者は小林おじいちゃんでしょう?世界中に公開してるブログで偉そうに脚本家さんを批判していたじゃないですか。「こいつ全然わかってない」って。
インドの『おぼっちゃまくん』プロジェクト
https://www.gosen-dojo.com/blog/36668/
シンエイ動画からやすみ哲夫氏を始め、数名スタッフが
本づくりに名乗りを上げてくれてるようで、意欲的だ。
過密スケジュールをこなすことに慣れなければ。
https://www.gosen-dojo.com/blog/40381/
アニメの脚本家集合会議があり、やすみ哲夫氏が、
早くもプロットを2本送ってくれた。
これを材料にギャグに調理していく手もあるなと考え、
明日は調理・アレンジの仕事をしたい。
アニメ『おぼっちゃまくん』の脚本に妥協はしない。絶対に笑かしてやる。
https://www.gosen-dojo.com/blog/43100/
アニメ『おぼっちゃまくん』は「決定稿」と言われても、
面白くなってない場合があるので、勝手に決めないで欲しい。
今回は後半部分で徹底的に赤字で描き直した。
インド版アニメ『おぼっちゃまくん』の発想・プロット3本目を書いている。
https://www.gosen-dojo.com/blog/43671/
昨日はインド版『おぼっちゃまくん』の2本目の
アイデア・プロットをシンエイ動画に送った。
脚本家が暗礁に乗り上げていた発想を、面白く活かし
たらこのように描けるというサンプルだ。
何が違うのかを熟読して考えて欲しい。
やすみ哲夫
https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%84%E3%81%99%E3%81%BF%E5%93%B2%E5%A4%AB
日本のアニメーション監督、脚本家である。代表作に、『あたしンち』『黒魔女さんが通る!!』などがある。1954年1月1日生まれ。
フリーのアニメ監督ではあるが、シンエイ動画と仕事をすることが多く、シンエイ動画制作のアニメを多く監督し、業界内でも大変信頼の厚いベテランアニメ監督である。また、脚本を書くことも多く、監督とシリーズ構成を兼任することもある。実は大地丙太郎の師匠であり、大地自身もやすみを崇拝し、絶大な影響を受けている。
男性スタッフの内、チーフの広井氏や
いじられキャラの岡田氏は言論マンガから
80年代のフィクションへ戻るようにと何度か
提言していたし、手抜きという形で代表に
抗議している様です。
岸端氏と時浦氏は道場ブログにもかかわり、
追従路線ですが、上記二名が定年間近で
もう遠慮がなくなったのと逆で今の職場に
しがみつかなくてはならないからでしょうね。
氷河期世代問題の議論などを見るに
日本は若い時でないとキャリアのやり直しが
難しい国なのでスタッフたちも業界を去るより
よしりん企画での安定を選んだのでしょう。
勿論、他の漫画家の先生方のところで
出直す・自作の漫画でデビューするなどの
道もあっていたと思いますが、そこのところは
代表が許さなかったのかもしれませんね。
なおでございます。懇切丁寧なお返事ありがとうございます。
なるほど。やはり諸悪の根源は小林にあるようですね。
彼らも最初は気概を持ってやっていたのでしょうが、結婚して生活できるほどのお手当をいただきつつ、ゴーマンな主のワガママやダブスタにも耐えねばならず、その飴と鞭に心が壊れてしまったのでしょう。小林にとって弟子とは召使いであって、独立など言語道断だったのですね。人を育てることもできない、スタッフの新陳代謝もおこなわない、それでは作品が面白くなるはずもありませんね。
私は先の文章を書いたあと、そうだ、これはよしりん企画だけの話じゃなくてゴー宣道場のほうもまったく一緒だなあと思っていました。
笹だのもくれんだの、世間にはまったく発信していないくせにドヤ顔で作家でござい、評論家でございなどとうそぶいている素人が、小林界隈でしか生きられないくせになんか毎度毎度偉そうに言ってるのはなんなんでしょう。素人のドヘタな歌をヨイショするしか能がないジジイ転がしが、いつまでも独立して作家になれなくて現状にしがみついてる。よしりん周辺はこんなのばっかりですね。
そして、なんですか、芦原先生の悲劇をも自分の都合のいい宣伝に変えようとしてるんですか?もう、もはや漫画家ではありませんね。「夫婦の絆」なんて読んでもまるで理解できない、松本人志の映画よりひどいモノを誰が好き好んでドラマ化しますかって。相沢友子だって改変できないで匙を投げるでしょう。今、どれだけの漫画家が心痛に陥ってることか。そんなこともわからないような奴はもういりません。世間的には消えてるでしょうが、本当に消えてください。
前のコメントでよしりん企画スタッフ一同の
社畜ぶりをくさすような言い方になってしまいましたが、
彼らの立場に立てばそれほど悪い生き方ではなかったのかな、と。
バブル期のおぼっちゃまくんでヒットを飛ばしているところで入社し、
90年代の就職氷河期でも解雇されずに勤め上げる事が出来、
低賃金で不安定なクリエイターでは難しい結婚を広井、岡田、
時浦の男性三人は人生で経験できたわけですから。
岸端女史も2000年代初めの氷河期末期に入社して
20年近くしがみつけてはいる訳ですし。
https://www.gosen-dojo.com/blog/45000/
「セクシー田中さん」の作者が自殺まで追い込まれた
ことにより、原作者は神で、出版社やテレビ局や脚本家
や俳優までが後ろめたく思わねばならぬような風潮が作られた。
作品に関わったことを後悔した人も多いだろう。
テレビは、わしの『夫婦の絆』を実写化すればいい。
わしなら制作に関わる人々の全てに敬意を払うので、
根本のコンセプトさえ守ってもらえば、あとはテレビに
合わせて自由に脚本を書き、自由に監督し、自由に演技
してもらえばいい。
『おぼっちゃまくん』はギャグが基本だから視聴者が
笑えるように、脚本家を育てるつもりで、わしが親切に
誘導するが、『夫婦の絆』なら自由に制作してもらって構わない。”
後ろめたく思わねばならぬ風潮ってどこで作られてる?
作品に関わったことを後悔した人って誰のこと?
「原作(者)に対して敬意を持ってほしい」とは言われているとは思いますが、そんなもんはメディアミックス関係者なら持っていて当たり前の心であって、更に今回のケースでは事前に敬意なき改変に関する契約まで交わしている。その履行を求められて「尊厳を傷つけられた」などとSNSで原作者を叩くような人間は最初から原作ものに関わっちゃ駄目なんですよ。
おじいちゃんは全く話題になってないし特に思い入れもない夫婦の絆ならどうなってもいいけど、ギャグマンガ家としての代表作である大事なおぼっちゃまくんは好き勝手に弄って欲しくないんでしょう?芦原妃名子さんにとってセクシー田中さんは、おじいちゃんにとってのおぼっちゃまくんと同じだと何故分からない?
「わしなら制作に関わる人々の全てに敬意を払うので」なんて、おそらくは詳しい事情も知らずに芦原さんを貶めて自作を売り込む姿はこれ以上ないくらいに醜悪だと何故分からない?周りの連中も何故教えてやらない?かわいそうに。
90年代からのゴー宣ウォッチャーとして
記憶にある限りの事実から推論を述べたいと思います。
・何故よしりん企画のスタッフが変わらないのか?
90年代半ばの新ゴー宣時代に女性スタッフ2人 畠奈津子氏と中国人の方
ゼロ年代から男性スタッフ 宇都氏
が加わっていました。女性スタッフ2人は中国人の方が画力不足、
畠氏が政治イデオロギーを理由に退職しています。宇都氏はまだ勤務?
・スタッフたちが作家性を求めずブラックな環境に留まる理由
美大卒で秘所としてもクリエイターとしても優秀だった金森女史が
辞めた後に入った岸端女史(確か国立大卒、阪大?)が20年近く
勤務して車の送迎以外に特筆すべきスキルがないらしい話を聞くに、
代表にもスタッフにも後進を教育する能力がなかったという事でしょう。
ここのサイトの常連にはおなじみの元・門弟、葉月蓮さんと密会時に
新しい秘書を雇用しようとも考えたそうですが、小林氏の意向がこれだと
岸端女史は無理矢理居座ったんでしょうね。
ttps://twitter.com/hazuki_len/status/1164877917605642240
岸端女史はもう40代半ばで、金森女史のようなスキルはなし……
となれば可能な限り企画にしがみつくしかないんでしょう。
おそらく、最盛期のゴー宣に憧れて入社したら、
実態はとんだブラックで逃げられない年齢になっていたというのが実態。
それは他の男性スタッフも同様。
広井氏、時浦氏、岡田氏の3人は結婚したので(岡田氏はのち離婚)
家庭を維持しなくてはならないが、もうすぐ定年なので逃げ切れば
なんとかなるという目論見なんでしょう。ただ、そんな感じなので
コロナ論あたりから作品全体のクオリティが大幅に劣化してます。
・時浦氏という存在の謎
彼は元々藤子先生に入賞した作品を評価される
漫画の才能のある人物だったんですが、
極度のコミュ障と攻撃性(安倍氏の大腸炎揶揄で同病者の
高校生を罵倒)で他に居場所がなかったんじゃないかと。
ttps://togetter.com/li/472665
アニメや漫画業界のブラックな側面は今日では有名ですが、
小林代表のワンマンぶりもあって全員クリエイターでなく
社畜サラリーマンのようになってしまったんでしょう。
代表からすれば、未来の小林よしのりの弟子たる漫画家を
残せないという事になるわけですが、ぷにゅ騒動で大事な
イベントを同郷の若いアイドル(同じ漫画家ですらない)に
嫉妬して潰したという話から察せられる狭量さ・嫉妬心を
考えるに、あえて弟子を育てず使い潰したような気もしますね。
ttps://twitter.com/no_yukoku9193/status/1716455858991955968
スタッフが有名漫画家になっていれば、
〇〇の師匠として襟を正す必要があるでしょうが、
そういう後進は誰もおらず介護までさせるとか
言っているらしいので彼ら彼女らを召使くらいにしか
思っていなかったのではと疑ってしまいます。
よしりん企画のアシスタントたちは、これだけやりながら、自分の作家性など一切芽生えなかったのでしょうか。よしんば、給料がものすごくいいとしても、独立してヒットを飛ばせば、それどころじゃない収入が得られるはずです。この人たちは、そういうことを夢見るガキだと思っているのでしょうか。あるいは臆病でいい給料、安定した仕事を捨てられずにいつの間にか年だけ食って行ってしまったのでしょうか。あるいは小林がこいつらがいなくなったら次のアシなんか来るかどうかわからんし、使えるかどうかもわからん、また1から教えるひまはない、とかなんとかで絶対に辞めさせないのか。そんな夢も希望もない職場と職業選択の自由もないブラック企業の親玉みたいな先生に何十年も仕えている家畜根性なやつらが描く漫画が面白いはずがありません。
そもそも漫画における思想というものは、通奏低音のように画面の中に隠されていて、それを読者が読み解くというもののはずです。それを、思想を前面に出して、それ以外の思想は許さんなどというのは漫画として三流ですし、全然オシャレじゃありません、粋って言葉も知らないのでしょう。そして、その思想も二転三転するし、ダブスタどころの騒ぎじゃないし。こういう作家と作品に何も思わず「お仕事、お仕事」でやってる連中って一体何が楽しいのでしょう。
そして、特に謎なのが時浦という存在です。あいつの役割って一体何なのか。例えば「ゴルゴ13」だったら、絵を描くスタッフ以外にストーリーを考えるスタッフ、そのために資料を集めたりニュースや情報を集めるスタッフもいると言います。それで、もう何年も前に大統領になるずっと前のトランプを出してるというとてつもない有能さを発揮しています。さいとうたかを先生はそういう分業体制を早くから確立しておられたようです。ひるがえって、よしりん企画における時浦というのは何なんでしょう。少しは小林の知らないことを教えたりしてるのでしょうが、さいとうプロのスタッフに比べてあまりにも小粒すぎはしないでしょうか。そして、小林が何を言ってもうなずくだけのイエスマンであるし、まったくわけのわからない存在です。
このよしりん企画n謎をどなたかお教えください。
https://www.gosen-dojo.com/blog/44888/
『インドで制作されたアニメ『おぼっちゃまくん』のアニマティクスが送られて来たが、言葉が分からないので、推測しながら見るしかない。声が可愛いから、なんだか可愛いなという印象になってしまう。あの可愛さを維持してくれるなら、特に問題はなさそうだ。』
何だか可愛いから問題なさそうというパワーワード。ギャグアニメじゃなかったんかいワレ。
小林おじいちゃんが道場ブログに「仕事がなくなって暇なジジイ」という匿名希望さんの痛烈なディスに対する返答かのような「忙しさ自慢」がどうのって記事をあげていますね。意味不明なロジックと、情けない本音とバッティングする建前とギャグ、明らかに推敲していないと分かる愉快な駄文です。
忙しさ自慢じゃなくて、優しくして欲しい甘えだ!断言したりして。
https://www.gosen-dojo.com/blog/44875/
『忙しい自慢をするのはくだらないし、仕事は結果だと思っている。結果を出さずに忙しいと主張するのは、忙しい自慢だ。』
結果というのが売上ならば、おじいちゃんのそれは忙しい自慢になる訳ですが。日本人論の修正・言論弾圧を「連載を続けられるなら」と受け入れた事からも分かる通り、今のおじいちゃんは売れて忙しい訳ではありません。ジャンプで打ち切りを食らい熱湯から逃げるべく専属契約を切ったはいいものヒット作が出ず何本も連載を掛け持ちしていた過去と同じように、そうしなきゃ食っていけない、貧乏暇なしってだけです。
とはいえ今のおじいちゃんは月産30P前後でしょうし、ライジングは隔週になり半分を素人に書かせゴー宣に流用することも多々、月に1度のカラオケ大会は言うに及ばず、おぼっちゃまくんのシナリオは(頼まれても無いのに)赤ペン先生やってるだけで、言うほど忙しい訳でもない。
そもそも結果が出たら忙しい自慢じゃなくなる訳でもありませんし。「なんで聞いてもないのにアピってくるの?承認欲求うざ」って話なので。
『忙しさを理解してくれた女性はわしに優しくしてくれる。妻も、秘書みなぼんも、総合Pちぇぶも、優しくしてくれる。忙しくなくなったら、周囲の女性が優しくなくなるだろうと思うと、怖い。(中略)人を楽しませることがわしの実存だ。なぜ年取って、こんな忙しさに耐えられるのか?簡単なことだ。下半身の欲望が減退したからだ。性欲がなくなれば、超働ける。』
仕事が無くなったら存在価値が無くなりそう(女性陣から見捨てられそう)で怖いという本音とバッティングする、人を楽しませるのが実存という建前と、性欲が無くなったから働けるという10年前から言ってるギャグ。EDおじいちゃんは知らないんでしょうけど、ジャニー喜多川も松本人志も仕事は精力的にやってたと思いますよ。
尊師レベルの漫画家はお呼びでない 笑