時浦は「非国民」という言葉を使って暴走したか?
小林よしのりのブレーンである時浦兼。
彼はオタクを自認していますが、オタクといってもさまざまで、世間的なイメージではオタクといえば偏った知識が膨大にある人を指しますが、しかし同時にただのアニメ好きやアイドル好きというだけでオタクにカテゴライズする向きもあります。
時浦はどちらかといえば、後者の方に当たり、さして知識もない好事家といった感じです。
オタクならざる人の目には同じオタクに括ってしまいがちですが、それは膨大な知識のあるマニアックなオタクに失礼ではないでしょうか。
ともあれ、そもそもの知識もなければ、知識を吸収する感受性もなければ柔軟性もない時浦兼をブレーンにしている小林よしのりは自身の人選ミスを悔いた方が良いでしょう。
小林のブレーンについてはnoteに記事を書いたので宜しければご覧ください。
https://note.com/saruking/n/ne7d3f0bb3886
さて、時浦は山﨑貴のゴジラを絶賛した上で、山﨑ゴジラに批判的な意見について「サヨクの難癖」として「アホか!」と罵倒しています。
時浦が批判しているサヨクとやらは、要するに「元祖ゴジラは反戦映画であるのだからさぁ、そこをオミットするなんてそりゃないぜ」と言いたかっただけでしょう。
ま、しかし映画の評価なんて人それぞれであり、他人の評価にカリカリしていても詮無きことです。
ちなみに私は山﨑ゴジラに関しては、「ゴジラが暴れているシーンだけは良かったね」派です。
あとは「ゴジ泣き」なので苦手。
その時浦のゴジラ評ブログなのですが、ゴジラ評のくだりよりもそのあとに続く内容が、これまで小林が描いて来たゴー宣シリーズや戦争論での主張と相反するのではないかと首を傾げてしまいました。
小林のブレーンとして、その認識でいいのかと。
次の敗戦を止められないのは誰か?『コロナと敗戦/失敗の本質』12月16日発売!! | ゴー宣ネット道場https://www.gosen-dojo.com/blog/43555/
《大東亜戦争を戦い抜いた元軍人たちが、「今度戦ったら勝てる」という気概で頑張ってくれたから、戦後の高度経済成長が達成できたんだよ。
団塊の世代も、その下の我々も、みんなそのおこぼれに預かって生きてきたようなものなんだよ!》
戦後に生き残った軍閥やらが政財界を牛耳り、朝鮮戦争の軍需で高度成長し、「街をきれいにしよう!一日一善!」日本船舶振興会なバブル社会で狂乱し、その弾けたバブルのツケを下の世代である我々が払わされている史観、それがゴー宣のこれまでの主張じゃなかったっけ?
小林が大好きだと公言している画家岡本太郎も高度経済成長に批判的で、その岡本太郎の態度を立派だと褒めそやすマンガとか描いてなかったっけ?
それなのに、ブレーンである時浦は「そのおこぼれに預かるルンペン。それが我々でありんす」とゴザに正座してコウベを垂れる始末ですか。
笑う。
時浦が自分を乞食と認識しているのは勝手ですし、確かに時浦は小林に依存しているルンぺニストであるからルンペニズム宣言を主張するのはどうぞご自由にですが、そのテメェの貧相な考え方に他人を巻き込んで、主語を大きく「その下の我々も、みんなそのおこぼれに預かって生きてきたようなものなんだよ!」などと言うのはやめていただきたいですね。
そいや、時浦はゴー宣読者から「非国民というようなことを言うのは品がない」という意味内容の批判を受けるや否や、「わたしは『非国民』という単語を使っていない」とマヌケな反論をしていました。
「非国民と言っているのと同じ」内容のことを書いてあるならば、それに対して「非国民などと煽るのは問題だ」と疑義を呈されても仕方がないでしょう。
その単語を使っているかいないかではなく、批判者はそのような意味内容の文章を書いていることを問題視しているのではないでしょうか?
まあ、要は読解力の問題ですね。
また、笑えるのが、そのあとに小林よしのりが平然と「非国民」というワードを使って、愚民思想を披露するブログをあげているのですから、時浦かたなしです。
時浦は「非国民」という言葉を使って暴走したか? | ゴー宣ネット道場https://www.gosen-dojo.com/blog/41752/
《先日、私・時浦はブログで「非国民」という言葉を使ったとして、非難を受けました。》
《しかし、私は「性の多様性が理解できない者は日本人に非ず!」と書いたのであって、「非国民」という言葉は使っていません。》
《そもそも「非国民」とは、『はだしのゲン』に描かれていたように、全体主義体制に従わない者を問答無用で「村八分」にするための言葉であり、現代ではこれを使ったら即座に「非寛容な悪人」と見なされる言葉です。
私も子供時代に『はだしのゲン』を読んで、ゲン一家を「非国民」呼ばわりする町内会長を見て、こんな大人にだけはなりたくないと思ったものです。》
来年は11月に広島で「ゴー宣道場」を開催する | ゴー宣ネット道場https://www.gosen-dojo.com/blog/43569/
《わしは広島の原爆資料館に行ったことがない者は、「非国民」だと思っている。》
そもそも小林は以前にもブログで普通に「非国民」というワードを使って他人を非難していますし、マンガにも描いていませんでしたっけ。
時浦兼はまず小林よしのりに向かって、「あなたみたいな大人にだけはなりたくない」と言ってやって下さい。
誹謗中傷でなく、諫言した奴の切腹を待つ | ゴー宣ネット道場https://www.gosen-dojo.com/blog/32895/
《二人をバッシングし、「誹謗中傷」し続けた自称保守の連中は、庶民ではなく「大衆」であり、皇族を病気に追い込む連中は、国民ではなく「非国民」であり、皇室のための「諫言」などと詭弁を吐いた奴は、「諫言」ならば「切腹」するはずである。》
「台湾」国籍を認めない日本人がガタガタ言うな | ゴー宣ネット道場https://www.gosen-dojo.com/blog/14892/
《日本人であり、愛国者ならば、中国に媚びる日本政府に抗議すべきであって、それをやらずに、蓮舫の国籍に粘着してガタガタ言う奴らは、中国寄りの非国民である!日本から出て行け!》
この記事へのコメント
辛気臭くてたまらん!ネグレクトを戦争のせいにするな!アニメ『火垂るの墓』
https://www.gosen-dojo.com/blog/57006/
>不寛容や無関心が人を不幸にする、社会を機能不全に陥らせるという、そういう話であって、これは戦時という設定でなくても語れるはずです。
清太と節子の悲劇のもともとの原因は、戦争のせいで父親と母親を失ったということが大きいです。清太と節子に辛く当たった叔母さんは、一方では当時の体制に適応できていた一般庶民の一人でもありました。
大人による子供へのネグレクトの問題だけではなく、戦争のせいという社会背景が物語で描かれていることを無視すべきではありません。
>でも「火垂るの墓」は無理です。戦時だから不寛容が際立っていたということはあるかもしれませんが、「戦争は悲惨」に無理矢理つなげることによって本質的な部分の「大人達のネグレクト」が霞んでしまっているという意味で悪質です。
アニメ映画の原作となった野坂昭如の小説は、彼の戦争体験があった上で成り立っています。野坂は死んでしまった妹への贖罪の気持ちも込めて、原作の小説を書きました。アニメの原作となった小説を、野坂がどういう背景で書いたかをともピーは理解できていないのでしょう。
>こんな辛気臭いアニメには感情移入できないわけで、あまりの辛気臭さに途中からストーリーを見失わない程度に早送りしてしまいました。
結局、ともピーは「辛気臭いアニメは嫌だ」という幼稚な逃避の気持ちで作品の感想を語っているだけです。日本の戦争を美化した小林史観に心酔しているともピーにとって、戦争の悲惨さを描いたアニメ「火垂るの墓」は嫌なのでしょうね。
>この映画はレイテ沖の海戦で敵と戦った父親の様子を描写すべきでした。「戦争論」や「卑怯者の島」を読んだ私が予想しますが、父親はこう言って散っていったでしょう。「七生報国、我、魂を靖国に還さん!」と言って、その拳を空高くに掲げて誇らしく散っていったはずです。そして、レイテ沖で何機もの零戦が米軍の海軍戦艦に向かって神風特攻をしていった様子を、それに恐れおののく米兵の様子をそれを描くべきだった!
あろうことか、「火垂るの墓」のアニメの中に「戦争賛美の描写を作中に入れろ!」とともピーは言っています。今は亡き高畑勲監督や野坂昭如がこの感想を知ったらびっくりするでしょうね。ともピーは作品の内容を全く理解できていません。
小林よしのりのアシスタント時浦兼も、ともピーに同調しています。
>とはいえ、監督の意向がどうであったにしても、この映画はひたすら「反戦映画」として使われているわけだし、辛気臭くてたまらんということについては、全く間違いありません。
戦争のせいで清太と節子の悲劇が生まれてしまったのだから、「火垂るの墓」が反戦映画として使われるのは仕方ありません。「辛気臭くてたまらん」という時浦の感想は、「火垂るの墓」に対しては否定的な評価をしていると見ていいでしょう。
>私はというと、『となりのトトロ』との2本立てロードショーで見て、そのときはまだサヨクくさい学生だったにもかかわらず、「この兄貴の自業自得じゃないか!」と思ってドッチラけてしまい、それ以来二度と見ていません。
「この兄貴の自業自得じゃないか!」という感想が出る時点で、時浦は作品に対する読解力がないだけではなく、人間性にも問題があるようですね。
もしも自分が清太の立場に置かれたらどうなるか、もしも自分が叔母さんの立場に置かれたらどうなるか、という想像力が時浦には欠落しています。こんな人がゴー宣道場の師範代で、小林よしのりのブレーン担当とは悪い冗談です。
https://www.gosen-dojo.com/blog/15582/
>『ヘルタースケルター』に影響を受けたという者がシャロン・テート事件を起こしたからといって、ポール・マッカートニーが殺人カルトを産んだと言う人などいないし、同様に、『宇宙戦艦ヤマト』がオウム真理教を産んだと言う人もいないのに、なぜ小林よしのりと『戦争論』は「ネトウヨの生みの親」と言われ続けなければならないのか、全く不可解です!
「小林よしのりと『戦争論』はネトウヨの生みの親ではない!」と時浦兼が言い訳しています。しかし、その例えとして「ヘルタースケルター」とシャロン・テート事件や、『宇宙戦艦ヤマト』とオウム真理教を持ち出しているのはあまりにも的外れです。
シャロン・テート事件を起こしたチャールズ・マンソンの場合は、ビートルズの「ヘルタースケルター」の歌詞を曲解して妄想的な世界観を自ら作り上げたということです。彼の場合は明らかに誤読です。
オウム真理教の場合は、『宇宙戦艦ヤマト』などのSF作品の影響もありますが、他の宗教や陰謀論や終末思想などそれ以外の分野での影響も多く受けているということを無視すべきではありません。
一方、小林よしのりの『戦争論』の場合は、ネトウヨが主張している数々の内容のフォーマットを提供した著書でもあります。
特に、2000年代の2ちゃんねるのネトウヨたちの言説の土台となったのが、右派時代の小林の主張です。当時のネトウヨは、反米保守になる前までの小林の右派的な言説を支持していました。
「今の小林は間違っている」と言っていても右派思想を捨てることができない元小林ファンのネトウヨは、『戦争論』や『台湾論』に対しては未だに高く評価しています。
また、KAZUYAや神谷宗幣などネトウヨのオピニオンリーダーとなった人たちは、若いころに小林の『戦争論』から思想的な影響を受けています。『嫌韓流』の著者の山野車輪も、小林の新ゴー宣の影響を受けていました。
小林の『戦争論』がベストセラーとなったことは、日本の世論の右傾化をもたらすこととなりました。「右派的な言説は大衆受けしていいビジネスになる」という成功パターンは、小林が作ったようなものです。
2010年代以降に出てきた右派文化人たちの愛国ビジネス的な言論活動は、90年代後半から2000年代初頭の小林の路線のエピゴーネンと言ってもいいでしょう。
だから、小林よしのりと『戦争論』はネトウヨの生みの親であると批判され続けるのは、当然としか言いようがありません。
「男を尊び、女を卑しむの慣習、人民の脳髄を支配する我国」 この言葉を、今年の流行語大賞にしよう!!
https://www.gosen-dojo.com/blog/56302/
>「男を尊び、女を卑しむの慣習、人民の脳髄を支配する我国」
>これは、明治19年(1886)、法務官僚・井上毅が書いた意見書「謹具意見」の一節です。
(中略)
>「男を尊び、女を卑しむの慣習、人民の脳髄を支配する我国」
>この言葉を流行らせよう!
>「男を尊び、女を卑しむの慣習、人民の脳髄を支配する我国」
>この言葉を、今年の流行語大賞にしよう!!
「男を尊び、女を卑しむの慣習、人民の脳髄を支配する我国」の因習に染まった人間といえば、「男女共同参画社会は間違い」「高齢の女性は子供を産めない」と失言をした参政党の神谷宗幣代表に当てはまっています。
女性は高卒で子供を3人産ませ、子育てを終えた専業主婦は新卒扱いにして、大卒の女性よりも高い給料を払うべきというのが神谷が考えている少子化対策のようです。
神谷が考えている政策から分かることは、「女に学問はいらない」「女は子供を産む機械だ」という女性蔑視が彼の発想の根底にあるということです。
女性蔑視発言をしても反省をしない神谷のような人間が支持されるから、日本は「男を尊び、女を卑しむの慣習、人民の脳髄を支配する我国」のままなのですよ。その神谷を支持している人間といえば……、小林よしのりと時浦兼のことではないですか!
女性を差別する神谷を応援できる小林と時浦は、日本が「男を尊び、女を卑しむの慣習、人民の脳髄を支配する我国」でも別にいいのでしょうね。
その時の時点でゴー宣道場の科学知識レベルはどん底であり、コロナ禍においてこうなったのは当たり前であり、落ちる所はありませんね。
科学とは別にしても、福島第一原発より放出される処理水を汚染水と呼んだり放出反対と言うことは福島差別であり人権侵害であるわけですが。
これについて一つ事実を書いておくとしましょうか。震災前、日本国内でトリチウムや他の放射性物質を含む処理水の放出がありました。我が家で購読している新聞にはもちろんその記事はありました。風評を心配する声もありましたが、その時に中国もその他の国々も国内のマスコミも特に何も言うことはありませんでした。
さて、ゴー宣道場の方々(当時)はこれについてきちんと事実確認をされましたか?私が確認したところこれについてはとんでもないデマを発信していたようですが…
アトムの子という表題には大いに落胆しましたが、それぞれに興味のあることは様々でしょうから仕方がないですかね。原発と核兵器の違いであったり、放射線防護の基礎等、原発事故後に役立つ情報という物は多くあったと思いますが。長くなりますしあまりに面倒なので私は書きません。