小林よしのりシンパによるショットガン議論
愚行録コメント欄にて、小林シンパによるショットガン議論という詭弁論法が投下され続けています。
小林よしのりシンパによるショットガン議論 - 脱イボナメクジ宣言https://washioblog.hatenablog.com/entry/2023/11/22/225541
《とことんやるって何をやられるんでしょうね
鷲尾さんはどう思われますか?》(鎌倉三四郎さん)
訴えを起こしているのは私ではなく相手方であり、何をやるつもりなのかは私にではなく、「とことんやる」と息巻いている方に聞きに行くのがスジなのではないでしょうか?
それなのに、鎌倉三四郎さんは何故か私にそれを問いかけてきますが、それは嫌がらせ以外のなにものでもないでしょう。
そんな嫌がらせをしてくるなんて実に陰険です。
何をやるつもりなのかはやる側にしか分からないので、私としては「知らんがな」としか答えようがありません。
本気で何をするつもりか知りたいのならば、「とことんやる」と脅しのような発言をしている方に聞くべきでしょう。
繰り返しますが、私に聞かれても「知らんがな」です。
私としては、「とことんやる」と公言されている方が被害内容も明確にせず、現在進行形で攻撃を受けているかのように主張されていることに違和感を覚え、疑問もあります。
①どのような理由で私生活に影響が出たのか説明がない。
②相手がむしろその逆であると最近知ったとはどういうことか説明がない。
③「自分の身を守るため」という言い方は恰も相手方が今現在何か私生活に支障をきたすような攻撃をしているかのようにミスリードをしていて首を傾げる。
④ 仮に相手方が何らかの嫌がらせをしているというのならばその事実を提示すべきなのではないだろうか。
⑤ 誰がどのようにふざけきった態度をとっていようが真面目ぶった態度をとっていようが、それは表現の自由の範囲内での振る舞いであり、それさえも封じてしまおうと公言するのはいかがなものなのか。
《議論が民主主義の根幹なのは確かですが、議論は民主主義があってはじめて成立させることが出来ると言うのは違いますね。「廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スベシ」の公論とは公議輿論であり、元々の意味合いは(幕府含めた)諸侯会議です。そこに民は含まれてません。その一文を民主主義の基本姿勢とするのなら「ゴー宣道場に民主主義はある」と言えるかもしれませんね。小林先生は高森師範や外部師範など諸侯と議論して方針を決めることはあるので。
鷲尾さんが「民主主義などない」と批判した元記事へのリンクがどこにも見当たらないので(自分の批判に正当性や妥当性があるという自信があるのならば、第三者に自分の文章と批判対象の文章を読み比べさせるのがスジであるのですが…)見当違いな意見になるかも知れませんが、民主主義の元々の意味合いは「みんなで話し合って折り合いをつける」というものですが、直接民主制やら間接民主制やら様々な形態があり複雑で、一般的なイメージとしては投票制度つまり多数決なのではないでしょうか。ゴー宣道場の客は基本的に小林先生のファンであり小林先生を支持する。鷲尾さんのような人は少数派だったのではありませんか?
>小林よしのりが独裁的に結論を出す
残念ながら民主主義において少数派の意見は通りません。たとえ少数派の意見が正しくともです。
>世の中にとってそれが害悪でしかないと判断しているからこそ批判
鷲尾さんがアンチブログを立ち上げたのは私怨からですよね。小林よしのりは他人の意見を聞かないと書かれてますが、あなただって小林よしのりを評価する声は一切聞き入れないでしょう。かつて愛読者だったことも忘れ、良い所なんてゼロと全否定する。愛子天皇論にしても、コロナ論にしても、間違っている部分だけでなく正しい部分もあるだろうに。鷲尾さんのそれは小林よしのり真理教ならぬ小林よしのりアンチ教ではないんですか?》(鎌倉三四郎さん)
https://washiblogact3.seesaa.net/article/501538237.html
ゴー宣愛読者である鎌倉三四郎さんはまるで時浦ケンちゃん並みの読解力しかないのか、私が「ゴー宣道場には民主主義などない」と批判した記事が見当たらない。つまりはそんなことは言ってもいないのに嘘をついたとブーたれています。
確かに私は「ゴー宣道場には民主主義などない」というフレーズは書いてはいませんが、その文意の記事は幾つも書いています。
ワードだけで検索して、「そんなこと言ってない」なんて因縁をつけられても、私としては人差し指でコメカミをトントンと叩いて出川哲郎のお馴染みのセリフを言うことしか出来ません。
鎌倉三四郎さんは「ブーメラン乙、ざまぁ」と言わんばかりにわざわざ私の言葉を引用して、「自分の批判に正当性や妥当性があるという自信があるのならば、第三者に自分の文章と批判対象の文章を読み比べさせるのがスジであるのですが…」と挑発してみせますが、以下に私が以前に書いた「ゴー宣道場には民主主義などない」という意味内容のブログ記事のリンクを貼りますのですべてしっかりと熟読し、そこで民主主義のなんたるかを学んで下さいね。
あと、ゴー宣道場のタカモリやら他の師範が諸侯とは何の冗談ですか?
比喩的表現にしても、こちらを笑かしにかかっているとしか思えません。
繰り返しになりますが、私としては人差し指でコメカミをトントンと叩いて出川哲郎のお馴染みのセリフを言うことしか出来ませんよ。
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この記事へのコメント
"道場の誰か"じゃなく、"トッキー"でしょ。
さすがに自分の名前を出すのは憚られるのですか?
悪いけど、読めば読むほど文の特徴がトッキーそっくりです。
批判されたら相手の読解力のせいにするところなんかトッキー構文そのものです。
こういうのは、別人を装ってもかつらと同じで必ずバレます。
そもそも、小林よしのりの熱狂的信者でここのコメント欄に書きに来る人なんか中々いないんですよ。
トッキー以外にいるんですかね?
「自分の批判に正当性や妥当性があるという自信があるのならば、第三者に自分の文章と批判対象の文章を読み比べさせるのがスジである」と書いておきながら元記事へのリンクがどこにも見当たらない、鷲尾さんは鷲尾さんの元文章とケロ坊氏の文章を読み比べさせていない、って皮肉ってるんです。そのせいで前後の文脈が分からないけれど、「ゴー宣道場に民主主義などない」というワードだけなら批判として言葉足らずで色んな解釈できるよね?ケロ坊氏に対し「おそらく彼は民主主義についてまるで理解していないマヌケ野郎」と書いてる鷲尾さんは民主主義について本当に理解してるの?っていう、この程度の皮肉も読み取れないなんて「私としては人差し指でコメカミをトントンと叩いて出川哲郎のお馴染みのセリフを言うことしか出来ません」
…なんて幼稚な煽りを食らいたくなかったら、ちゃんと真面目に読みとってほしいですね。小林シンパとレッテルを貼って全否定せずに、私のコメントの正しい部分は正しいと認め、間違っている部分は間違っていると指摘する。それが議論でしょう?
ドロヘドロの困った時の逃げ口上
鎌倉三四郎さんはドロヘドロのパンチラインをサンプリングしたのかな 笑