【ゴー宣ジャーナリスト】フードデリバリーと飲食店
本日のゴー宣ジャーナリストの記事は何故か時浦ブログのカテゴリーで投稿されるというマヌケな誤爆で公開されました。

【ゴー宣ジャーナリスト】フードデリバリーと飲食店 | ゴー宣ネット道場 https://www.gosen-dojo.com/blog/43307/
【ゴー宣ジャーナリスト】フードデリバリーと飲食店 | ゴー宣ネット道場https://www.gosen-dojo.com/blog/43334/
《いつの間にか変化していって、見落としがちなものにも目を向ける。これも、生活者のジャーナリズム・ゴー宣ジャーナリストの本領といっていいでしょう!》
生活者のジャーナリズムとは、単なる一般人の体験記を投書することだったんですね。
いやはや笑わせてくれます。
ハバキリながら、いやいや失敬、言い間違い。改めて、ハバカリながら、ゴー宣ジャーナリスト金曜担当者について紹介させていただきます。
自称一人前のロックンローラーで、小林よしのり御大がゴー宣道場随一の論客と評する中年男性が明日の朝7時に論文の発表をします。
冤罪事件の説明責任: イボナメクジ通信https://washiblog.seesaa.net/article/473322804.html

東北人の諦めない執念を評価した | ゴー宣ネット道場https://www.gosen-dojo.com/blog/24939/
《朝起きてメーリス見たらまたゴシップ好きの者に対する批判が続いていて、でも謝ってるから終わりだろう。しかしケロ坊は門下生の中でも手加減のない論客で、面白いなあ。》
無実の罪で破門になった人についての事実関係を確認したいと意見をしたことを「ゴシップ好き」などと事実を歪曲して公表する小林よしのりも大概ですが、そのシンパの人でなしっぷりにはドン引きします。
論客ゲロ坊主の藁人形論法: イボナメクジ通信https://washiblog.seesaa.net/article/473474160.html
金曜日担当の論客は以前エアリプの形で私のブログについて論評(?)したことがあります。


私のブログについて物申すのは別に構いませんが、それならば批判先のリンクを貼るなどするのが礼儀でしょう。
自分の批判に正当性や妥当性があるという自信があるのならば、第三者に自分の文章と批判対象の文章を読み比べさせるのがスジであるのですが、ゴー宣道場の連中は小林よしのりも含め決してそれをしないのです。
私のブログ記事にはさまざまな人がコメントを投稿していますが、道場にかつて参加していた人だけが意見しているわけではありませんし、私と考え方が違う人もいれば、ブログ内容について批判的な意見だってあります。
この時点で論客ゲロ坊主はデタラメなことを言って印象操作をしていることが分かります。
これまでに道場を去っていった人たちはファンクラブ気分でもなく、自己啓発にも興味がなく、しっかりとした議論を求めていたのに、当の道場側が信仰することを強制してきたから愛想を尽かしたのであり、むしろ未だに残り続けている人たちこそ自己啓発セミナーにハマって自立心を失っている状態にあると言えるのではないでしょうか。
また、「廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スベシ」とは我が邦の民主主義の基本姿勢であり、議論は民主主義があってはじめて成立させることが出来るのだということをゴー宣道場随一の論客は理解していないようです。
ちなみに私は「ゴー宣道場に民主主義などない」と言い続けておりますので何の「カンチガイ」もしていません。だからこそ「公論」を僭称するなと言っているのです。
論客クンは普通の現場ならば民主主義など機能していないのは当たり前だなどというお花畑な愚論を展開しております。おそらく彼は民主主義についてまるで理解していないマヌケ野郎なのでしょう。
彼は民主主義について、小学生がお手手つないでみんなの意見をぜーんぶ取り入れて、みんなが満足してお遊戯会を楽しめるものなのであーると思い込んでいるようです。
「公論」の基本は「議論」です。
小林よしのりが独裁的に結論を出すことを道場という狭いサークルで是認するのは自由にしたら良いでしょうが、それを世間が受け入れてやるいわれはありません。世の中にとってそれが害悪でしかないと判断しているからこそ批判に晒されているわけです。
ゴー宣道場の論客はそんなことも理解する知能がないのです。
そんなゴー宣道場随一の論客による論評についてコメントがありましたので以下に紹介します。
《道場内(だけでの)論客さんは、音響の時も人民裁判事件の時も、反論されても再反論は一切せず、ヘドロ時浦やら幹部門弟が決着をつけてから卑怯にも死体蹴りに励んでました。
こういった人間は一般的に「腰抜け」というのですが、今回もまともに再反論しないでしょうね。
議論の出来ない(道場内のみの)論客ですから。》(とーほくどーさん)
アンチはやはり無視しかない | ゴー宣ネット道場https://www.gosen-dojo.com/blog/25415/



https://washiblog.seesaa.net/article/473538481.html
論客ゲロ坊主のアンチ分析②: イボナメクジ通信https://washiblog.seesaa.net/article/473543752.html
論客ゲロ坊主のアンチ分析③: イボナメクジ通信https://washiblog.seesaa.net/article/473544649.html
論客ゲロ坊主のアンチ分析④: イボナメクジ通信https://washiblog.seesaa.net/article/473545574.html
論客ゲロ坊主のアンチ分析⑤- last: イボナメクジ通信https://washiblog.seesaa.net/article/473546515.html
小林よしのりが「あまりにリアルで事実そのまんま」という「アンチ分析」は結局ゴー宣道場によって一般公開されることはありませんでしたが、当時メーリングリストに参加されていた人たちの中でこの件に義憤を覚えた方がおり、その方が内部告発としてその「アンチ分析」と称された投稿をリークしてくださり、それをこちらで一般公開し、逆に批評し、分析をした次第です。
私がブログにて道場批判をしていることについて、一人前のロックンローラー論客はまるで犯罪行為であるかのように言い募り、批判とテロを同一視するという肥大した被害者意識を披露しています。その一気に飛躍した思考をしてしまうヤバさに気づかないのでしょうか。
「ちなみにこの文章は、もちろんアンチを中傷するのが目的ではなく、保ち守るための戦いです。」には笑いました。
アンチの批判はテロ行為だが、自分の誹謗中傷は正義を保ち守るための戦いときましたか。
ゴー宣道場名物のダブルスタンダードです。
「ゴー宣の主張を実践するのは、そう簡単なことじゃないんだな」
小林のマンガを経典にしているからこそ出てくるフレーズです。ゴー宣を読んだ上で自ら考えを巡らせるというのではなく、小林の主張を実践しようとしていることに何の疑問も抱かないのが、一人前のロックンローラー論客やゴー宣道場門下生たちであるわけです。
完全沈黙、ゲロ坊主: イボナメクジ通信https://washiblog.seesaa.net/article/473562164.html
さて、小林よしのりが「論客」と呼んで持て囃した一人前のロックンローラーによる「アンチ分析」を私があっさり粉砕したわけですが、そのことについてゴー宣道場側は得意のダンマリを決め込んだまま、今に至っております。
小林はゴー宣論客の「アンチ分析」について、「あまりにリアルで事実そのまんまなので、一般公開はできない。確実に相手を傷つけてしまうからだ。」などと、さも大層な論文であるかのように喧伝していましたが、何のことはない論理性のカケラもない駄文であったことが白日の下に晒され、そのまま朽ち果てていったわけですが、一人前のロックンローラーはせっかくゴー宣ジャーナリストに認定されたのですから、リベンジマッチとして再び「アンチ分析」をしてみてはいかがでしょうか?
また返り討ちにあって公開処刑されることが分かり切っているから遁走しますよね。
そりゃそーだ。
メンゴメンゴ。
この記事へのコメント
そりゃ、どんなバカでも正しいことのひとつやふたつは書きますよ。
バカが格好つけてよく引き合いに出すのが、「私はあなたの意見に反対である。しかし、あなたがそれを主張する権利は命がけで守る!」というやつ。
小林よしのりも、これが言論の自由の原則なのであーるみたいに強調してましたね。この主張自体は正しいですよ。
でも、じっさいにやってるのは「トキウラ!消せ消せ!」ですからね。
根幹が腐っていると部分の正しさなど意味が無い。
それにしても「ゴー宣師範が諸侯」は笑いました。
昔、小林がマジのトーンで浅羽通明を「雲上人」とよんで失笑されてましたが、あれを思い出しました。
伝聞情報の裏を取らず噂話で人を中傷する行為をどう思いますか?
個人的には言語道断であり、そのような輩は人間のクズであり、仮にそいつがまともなことを言うことがあったとしても、評価に値しないと思いますが。
過去に道場に参加していた夫妻について、不確かな伝聞をもとに生放送で公然と侮辱したのはイボナメクジこと小林よしのりですが、その行為について鎌倉三四郎さんはどう思われますか?
しかし、ここ数年の小林氏の私的発言の酷さは目に余るものがあります。「公」ということを偉そうに説教しておきながらオトモダチにだけは異常に甘い(菅野志桜里や倉持など)。過去に主張していた事と真逆の暴論を平気で吐く。そして、それに阿っている信者たち(トッキー、みなぼん、チェブ)
「愛子皇太子」実現の為に動いてきたから今まで何とか応援していたところがありますが、この調子じゃ小児性愛者擁護の為なら「悠仁天皇でもOK」とか平気で言い出しそうで怖い。
小林氏を評価する声?90年代だったら兎も角、今のよしりんを評価しているのは信者とジュリー一派だけでしょ?トッキーの別人格、鎌倉さん!
鷲尾さんが「民主主義などない」と批判した元記事へのリンクがどこにも見当たらないので(自分の批判に正当性や妥当性があるという自信があるのならば、第三者に自分の文章と批判対象の文章を読み比べさせるのがスジであるのですが…)見当違いな意見になるかも知れませんが、民主主義の元々の意味合いは「みんなで話し合って折り合いをつける」というものですが、直接民主制やら間接民主制やら様々な形態があり複雑で、一般的なイメージとしては投票制度つまり多数決なのではないでしょうか。ゴー宣道場の客は基本的に小林先生のファンであり小林先生を支持する。鷲尾さんのような人は少数派だったのではありませんか?
>小林よしのりが独裁的に結論を出す
残念ながら民主主義において少数派の意見は通りません。たとえ少数派の意見が正しくともです。
>世の中にとってそれが害悪でしかないと判断しているからこそ批判
鷲尾さんがアンチブログを立ち上げたのは私怨からですよね。小林よしのりは他人の意見を聞かないと書かれてますが、あなただって小林よしのりを評価する声は一切聞き入れないでしょう。かつて愛読者だったことも忘れ、良い所なんてゼロと全否定する。愛子天皇論にしても、コロナ論にしても、間違っている部分だけでなく正しい部分もあるだろうに。鷲尾さんのそれは小林よしのり真理教ならぬ小林よしのりアンチ教ではないんですか?