顔出しOK人格者だふねの羞恥心
「ワクチンは猛毒。マスクは害悪」という珍コロナ論に引き続き、今度は少年への性加害について「日本の伝統文化」だとして擁護し平然と二次加害を繰り返す小林よしりん。
彼は自らの発言を「公論」と称しています。
「公論」の本来の意味は「世間一般の人々の意見。又、公平で偏らない議論」のことをいいます。
一方、小林は次のような独自の解釈を加えていました。
https://www.gosen-dojo.com/blog/12232/
「公論」とは何か?
《最も「公」に資する意見は何か?それを議論しようということだ。
どのような「公共空間」が健全だろうと考えてもいいかもしれない。
最大多数の幸福を実現するための考え方を決めようというのが「公論」を目指すということだろう。
けれども意見が違ったら、排除するということではない。反論・異論があるのは当然で、そこから議論を恐れてはならないし、相手を信頼しているからこそ、辛辣でも言わなければならないこともある。》
《間違いに気付いたら、わしはそれをはっきり言って、なぜ間違ったかを分析し、軌道修正することにしている。》
《あくまでも自分の立場よりも、「公」に資する考え方を探りあうのが大切なんだと思う。》
2016年4月の段階でこのように定義していますが、だからといって当時はまだバランスが取れていたということではありません。
既に何度も書いてきた通り、牛タンメガネことshinkimuさんという方は道場最初期に小林とは異なる意見を主張した結果、ストーカー(犯罪者)に仕立て上げられ排除されました。(実際には追放ではなく、shinkimuさん自らの意思で道場を離脱しただけですが、詳しくは過去ブログをどうぞ)
おそらく小林は現在も「公論とは?」と問われたら上にあるものと同じようなことを答えると思われます。
厚顔無恥とはこのことです。
ともあれ、小林にとっての「健全な公共空間」とはオトナが子供に性暴力をふるうことを「日本の誇るべき伝統」であるとし、許容できる性的イタズラであり、教育であり、子供たちへの愛であると捉える世界を指すようで、なかなかおぞましい世界観です。
それを素直に「おぞましい」と感想を寄せただけで、糾弾が始まり排除するのがゴー宣道場といえコミュニティであることは周知の通りです。
大阪の公論イベント隊長・だふねさんの感想が凄い
https://www.gosen-dojo.com/blog/41589/
《だふねさんは、カレーが辞めたあとの大阪を、自ら挙手してまとめてくれる女性で、公心の強さと共に、個人の感性の鋭さも持つ懐の深い人物である。東の狂気ちぇぶと西の人格者だふね、なかなかいいコンビだ。》
人格者とは?
https://x.com/daphne_bambina/status/1692130950447317057?s=46&t=KtUK2XEOGqno6mJtKNAi8A
《読解力のないバカに用はねえな。そんだけバカだとモテないやろうな。きっしょー。》
《好きになった相手と身も心も結ばれる気持ちいいセックスもしたことなければ、女をイカせた経験もないでしょ。》
https://x.com/daphne_bambina/status/1692868988458729648?s=46&t=KtUK2XEOGqno6mJtKNAi8A
《短絡思考の童貞でもタマにはイイことするね(・∀・)アオーイ》
《お礼とは言ってはなんですが、熟女の胸に飛び込んでくるかね💕( ̄ー ̄)ニヤリ》
再度問う、人格者とは?
https://x.com/daphne_bambina/status/1692760665935741381?s=46&t=KtUK2XEOGqno6mJtKNAi8A
《コーヒーやTシャツなんかもあるでヨ!》
どうでも良いことですが、コーヒーに関してはかなり前に販売終了しているのですが、公論サポーターの幹部がそれを把握せずに未だにオススメするなんて驚きだよ。悲しいことだよ。
https://x.com/daphne_bambina/status/1692122292049047645?s=46&t=KtUK2XEOGqno6mJtKNAi8A
《どんな形でも仕事のできる男は尊敬できる。無能は黙ってろ、です。》
道場の人格者によると、仕事のできる男はレイプを繰り返しても許されるのだそうです。
ハリウッドで辣腕をふるっていたハーヴェイ・ワインスタインは傑作・名作と呼べる映画作品を数多く作ってきたわけだが、彼の性暴力も許されるべきであったとするのがゴー宣道場の公論らしい…
公論とは一体…
そして人格者とは…
https://www.gosen-dojo.com/blog/41124/
《なんとだふねさんが顔出しOKだそうだ。大した度胸だな。》

この記事へのコメント
昨年も道場においては、犯罪の擁護をおこなったではありませんか。具体的に言うと、安倍晋三元総理銃撃事件なんですが。
今になって犯罪の擁護に忌避感を示すというのも鼻白むというもの。過去の出来事ではアメリカ同時多発テロ擁護、来島恒喜を英雄視他にもあるかもしれませんが。
被害者や加害者の属性や動機であったり、事件の見方や態度を変えてしまうというのもまったくもって説得力が無いものかなと今回の件で感じましたね。
これって小林先生が過去に批判されていた人治主義じゃないですか?
《日本人は「人治主義」になっていて、「法治主義」になっていない。安倍首相辞任で大衆が「お疲れさま」と言い出して、支持率が急上昇するのは、まさに「人治主義」の帰結だと思っていたが、この本で問われているのも「法の支配」の重要性である。
わしは保守思想の立場だが、日本人の不文律(ルール感覚)が怪しくなっていることには気づいていた。コロナ禍で、自称保守にも、自称リベラルにも、ルール感覚が崩壊してしまった光景を見て、ますます「法の支配」の重要性を意識するようになった。》
https://www.gosen-dojo.com/blog/28019/
《本物の保守は「人治主義」になるはずがなく、本物のリベラルが「法治主義」を捨てるはずがない。今後はそれをはっきりさせなければならない。》
https://www.gosen-dojo.com/blog/27845/
《権力を制限することは重大なことであって、権力を野放しにしたいと考える者は愚かである。リヴァイアサンを縛る「立憲主義」は絶対に必要である。権力の忖度システムがマスメディアから芸能人にまで及んでしまう現象を目の当たりにして、わしは益々「立憲主義」しかないと思うようになった。》
https://www.gosen-dojo.com/blog/16008/
尊師が悪を善とすれば全力で善となる盲信と異様さ
法は尊師の下の平等
これイボナメクジ道場の常識
《読解力のないバカに用はねえな。そんだけバカだとモテないやろうな。きっしょー。》
これがイボナメクジ道場の人格者