性加害を文化と語る小林よしのりと時浦兼

小林よしのり及び時浦兼がジャニー喜多川の件でセカンドレイプを繰り返していることについて幾つか指摘してきましたが、この二人プラス秘書1名が自己弁護だけを考えて自分たちの加害行為を正当化する言葉を吐き散らかし続けていて呆れます。
人から異論を受けたらひとまず深呼吸し、自分の発言を改めて読み返して反省すべき点は素直に認めて猛省することで人は成長してゆきます。
それがない者は小林や時浦のような醜態を晒すことになるので、彼らをウォッチすることで反面教師としての学びがありますね。

姦淫の罪を犯した女性について、モーセの律法では石で打ち殺せと書いてあるがあなたならどうするか、とキリストが律法学者たちから問われた場面が聖書に記録されています。それに対してキリストは、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」と言われました。
彼女に石を投げる人はだれもおらず、そこにいた人々は散り散りに去っていきました。そしてキリストは、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」と彼女に言われました。
人は不完全であり、罪がない人はいません。キリストの教えはそこが前提になっています。人は罪があるものなので、キリストの贖いの犠牲が必要でした。ですので、キリスト教の価値観では、「純潔を破らない」ことよりも、「罪の赦し」が上位であると僕は個人的に認識しています。
そう考えると、まるで自分が罪のないものであるかのように、一心不乱に罪人に石を投げまくる大衆というのは、キリストもビックリの輩です。へたをすると、罪人ではない人にまで石を投げまくっていますね…。

すごいキリスト者がいたものです。
ジャニー喜多川の性加害についてキリストの言葉を免罪符にしてみせるのです。
私は自分のこれまでの人生を振り返ってみて確かに罪深い振る舞いも数多くしてきましたが、ジャニー喜多川のような鬼畜の所業はしたことはありません。
どんな罪も罪は罪だから一緒。交通ルールを守らなかった奴が連続レイプ魔を非難するのはまかりならん。一つも悪さをしたことがない者だけジャニー喜多川を非難しなさいってか?
へたをすると、罪人ではない人にまで石を投げまくっていますね…。」ってなんのことでしょうか?
まさか小林よしのりや時浦兼のことを指しているのでしょうか?
小林や時浦が非難されているのは被害者への二次加害を行なっているからです。
何を無辜な被害者を気取っているのでしょうか。

二次加害は、時に一次加害以上に深刻なダメージを当事者にもたらすことは珍しくありません。一人一人が、二次加害の問題を自分ごととして考えることが大切だと思っています。
二次加害の指摘を受けたら、自分と謙虚に誠実に向き合おう。伝え方の問題に矮小化せず、自分をチェックしよう。まして、相手の問題にすり替えるのをやめよう。これは、ベテランや、社会権威がある立場の人が陥りやすい。けどいくつになっても、どれだけのことを成し遂げた人でも、知らないことや思い至らないことのほうが圧倒的に多いのだから。指摘をすぐに飲み込めなくても、まずは相手の傷つきを受け止めよう。謝罪や再説明を行おう。
加害に触れる際、加害者(団体)の力績を持ち出して、「今回の件で、功績のすばらしさは消えることはない」などと語る。「今回の加害があっても、尊敬している」といった態度を公に表明する。被害者の視点からすれば、「功績に比べたら些細な事」というニュアンスに傷つく。功績と加害行為は比較されるものではない。相殺されるものでもない。むしろ、加害行為はそういった功績のもたらす権威性を背景に行われていることが多い。また、被害者の傷つきや仰圧は、加害者(団体)の善良性や、権威性によってますます大きくなっている。功績が大きいからこそ、被害者に対する加害性(傷つき、ダメージ)は強くなること念頭におこう
性暴力に多いPTSD などの後遺症や混乱、DV に多い精神的支配の影響から被害者が自分が悪いと思っていたりなど、それが被害だと認識できるようになるのに年単位の時間がかかるのは珍しいことではない。また利害関係上にある場合などは、報復などを恐れて被害を訴えられないことが多い。すぐに言わなかったことを責めたり、時間がかかってからの告発であることに金銭目的や売名ではないかといった勘繰りは的外れであるどころか、長いこと言えなかった苦しみまでも踏みにじる。
加害者を擁護するときや、二次加害を指摘されたときによくみられる発言。誰も傷つけない表現(実践)がないというのはまさにその通り。しかしその傷つきは考え方の違いによるモヤモヤ程度のものなのか、誰かの尊厳を踏みにじっているのかといった弁別や、他者への配慮の有無、視野狭窄や視点欠落の有無がないか、もっとよい表現(実践)があったのではないかという検討はなされるべきである。それをすっとばして、思考停止や、免罪符として使っていないだろうか。「いやなら見なければいい」という態度も、被害者の自己防衛に論点をすり替える前に、自身の言動に加害性があるかどうかは振り返るべきだ。「誰も傷つけない主張はない」からこそ、そういった検討を発信(実践)の事前・事後に丁寧に行っていきたい。

上に紹介した記事を読むと明白ですが、小林よしのりと時浦兼は二次加害の九蓮宝燈、役満です。

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ジャニー喜多川の小児性愛という歪な性癖と自身が手にする権力によって引き起こされた性加害を日本の古来からある文化であるといって免罪符を与える小林よしのり。
どうやら小林は性自認と性癖を混同しているようですが、そもそも今回の件はジャニー喜多川が男色だから批判されているのではなく、性加害行為であったから問題とされているのです。
話のすり替えはやめましょう。

いくら小林の頭の中にある「性に対して寛容JAPAN」とやらが事実だったとしてもまさか性加害もその寛容さの中に含まれるのだとしたら文化として認めるわけにはいきません。
もしかして小林は石田純一もびっくりの「強姦は文化」と主張したいのでしょうか?
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小林やゴー宣シンパたちにしてみたら、先日さいたま市の児童発達支援施設の職員が逮捕されたことも不当逮捕であると思っているのかもしれません。
「年長者による性の手ほどきは性に対して寛容な日本の文化であり大切な伝統であり保守せねばならない!」
おそらくはそう思っているに違いありません。
おぞましき公論の場です。
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児童発達支援施設の職員の男が、施設に通う小学生の女の子に性的暴行を加えた疑いで逮捕された。
警察によると、村上容疑者は、女の子を車で家まで送り届ける途中に犯行に及んでいて、女の子の母親から「娘が男性職員から性的被害を受けている」と相談があり、発覚した。
村上容疑者は、「性欲に負けた」と話し、容疑を認めているという。

次回ライジングの記事では小林よしのりは全力でこの容疑者を擁護すべきです。
それがお前ら腐れ外道の公論であるのですから。

この記事へのコメント

吉良
2023年08月06日 07:20
キリスト教の迷コメントを書いた「NAOPPU」こと「なおジョカ」が例のファンサイトで批判への反論と思われる声明を発表してますね。

《ゴー宣の思想の深さを何年も体感しているのですから、大衆のふってわいたような、浅はかな小林よしのり批判が心に刺さるわけがありません。今回のジャニーズ問題で、僕はこの実感をさらに強めました》
《それを「小林よしのり真理教」とか「よしのり信者」とか言うなら、別にそれでもいいよ!悔しかったらゴー宣よりも正しくて、魅力的で、楽しくて、情熱的な言論を見せてくれ!!》

もしかしてこのブログを読んでたりするんでしょうか?ファンサイトの管理人も以前ここで竹田恒泰の訴訟の記事であてこすられた直後に

《「言論の萎縮を狙った訴訟」というのは悪質だと思いました。オウム真理教の常套手段ですよ!竹田恒泰も同じこと!本当の名誉棄損まで相対化されかねないという二次被害も含めて、たまったもんじゃないです》

というコメントをしていて、もう直接やり合えばいいのにと思った記憶があります。でも多分ずっと平行線なんでしょうね。議論して思想を深めて真理を追究するなんて夢のまた夢。終わらないポジショントーク。
2023年08月04日 02:47
イボがキリストの赦しをあまりにも都合よく抜き出してるのに流石に呆れましたね。
これじゃあ奴が批判していた統一教会と何も変わらない
キリスト教の赦しというのは罪人が己の罪を認めて『悔い改める』事が前提にあるので、イエスだって誰彼構わず罪人を赦してたわけじゃないし、赦したうえでもう二度と罪を犯すなと諭していたわけ
んでジャニーがいつ自分の罪を認めて悔い改めたんですかね?
購読者の子
2023年08月03日 21:21
前回のコメントと同じような内容になってしまいますが、草津のような冤罪が起こってしまった以上被害の告発に対する公平、公正な検証が必要なのではないでしょうか。

不当な冤罪によって発生した風評を誰が晴らしてくれるのですか?何も無かったから良かったで済む話ではないでしょう。上野千鶴子氏は名指しで草津町長からは批判されていますが何かしらのコメントはなされたのでしょうか?

私は告発の手続きや告発に対しての検証を公平、公正にしようというのは二次加害にはあたらないかと思っています。

今回の鷲ヲさんが例として出されているさいたま市の事件も刑事事件ですよね。比較対象としては公平とは言えないのではないかと。

かと言って民事裁判での事実認定からジャニーズ事務所としてコンプライアンスは問題なかったのか?等の検証は必要なのではないでしょうか。

最後にこれは完全に私の私見ですが、私は過去の職場前においてデモをされたことがあるんですよね…
こういうのはやはりその立場に立ってみないとわからないものですかね。不当な言い分で糾弾される側の気持ちと言うものは…