わしは「キャンセル・カルチャー」を拒否する

またまた小林よしりん先生が何やらヒステリックなブログをあげていますが、一体どこの誰に対して憤っているのか、外野にはまったく理解出来ない内容です。
せめて相手がどこの何者であるのか、その相手がどこで何を書いたのか、そしてその相手の元記事のリンクを貼るなり、それが出来ないのならばスクショを添付するなりすべきなのに、それを一切せず、分かることは小林が感情に任せて自分のファンを阿呆呼ばわりして罵倒していることぐらいです。

以下、ブログのリンクを貼り、全文を紹介した上でスクショも添付しておきます。
それならば一部を切り取って印象操作をして批判しているなどと文句をたれることは出来ないでしょう。

わしは山下達郎の音楽を好きでたまらないし、ジャニーズ文化を作り上げたジャニー喜多川も凄いと思っている。

さすが山下達郎、一本筋が通っている。

実際、少年愛的な噂は絶えなかったし、わしはその期間も、ずっとジャニーズ文化を楽しんできた。

キンキキッズも大好きだし、SMAPも聴いてきたし、King&Princeはデビューしてすぐファンになった。

噂はずっとあったけど、わしは批判していない。

それが突然、ジャニー喜多川の死後、その少年愛の性癖が公然と糾弾されるようになったら、鬼の首を取ったかのように、「我こそ少年愛を糾弾する正義の人なり」と批判し出すべきなのか?

わしは「キャンセル・カルチャー」が大嫌いである。

曲がった性癖を根拠に、文化に功績のあった人物の全てを否定し始める潮流には乗らない。

しかもジャニー喜多川が「死んでから」言い出すその卑怯さは一体、なんなんだ?
わしはジャニーズ文化を楽しんでただけで、噂の性癖を公然と批判していない。
もう批判する資格がない。

さらに今の大衆は、「芸能」の意味が分かってない。
芸能人を常識の代表者とでも思っているのか?

わしがジャニー喜多川の批判をしないと、ガタガタ言ってる完全ド阿呆に、いちいち説明してやるのも、うんざりだ。
『ゴー宣』を思想として理解していれば、わしの考えが推測できるはずで、わしは大衆の俗情にはのらない。

それから、りゅうちぇるが自殺したからと言って、突然、りゅうちぇるを「聖人」にしてしまう完全ド阿呆にもあきれる。

LGBTは完全被害者で、善人であるという偏見にも、わしはのらない。
常識から見て、批判すべき点は、批判するのであって、そもそも「自殺」という行為は、まったく評価できない。
「自殺」は周りをどれだけ苦しめるか分かってない。
念のため言っておくが、「自殺」と「自決」は違う。

わしはLGBTだろうと、身障者だろうと、国民として平等であり、この社会に受け入れるべきと言ってるだけだ。

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この小林のブログ記事の内容について、私は特に意見はありません。
小林が書いたものは昭和世代の爺さんのよくある発言をまとめたようなものに過ぎないので、別に目新しいわけでもないですし、特段に優れているところもなければ惹きつけられるところもありません。
よくある爺さんの繰り言なのに、本人はさもそれが真実を突いていると悦にいっているのが分かる恥ずかしい文章です。

まず小林は山下達郎がジャニー喜多川の性加害について曖昧なことしか言えなかったことについて、「一本筋が通っている」と賛美していますが、仲が良かった人や世話になった人の不正についてお茶を濁して誤魔化すことのどこが「一本筋が通っている」のでしょうか?
山下達郎が「小児性愛の何が悪いんだ! ジャニーさんには仕事で世話になってきたんだから、些細なことで彼を裏切れないぜ、馬鹿野郎!」とでも言えば、まあ一本筋が通っているとの評価もわかりますが、そうじゃなかったでしょう。
また、小林は唐突に山下達郎の音楽を「好きでたまらない」スタンスを取っていますが、話題の人の楽曲ファンアピールをするのって、イッチョ噛み感が強すぎてすげえダサいすよ!
どうせ誰もが知っているようなメジャーな曲しか聴いたことがないクセに臆面もなく「好きでたまらない」なんて発言するなんて恥ずかしくないのかな?
もしかして小林よしりんは羞恥心のリミッター外れてるの?
小林がジャニー喜多川や徳川家康と同様に小児性愛者であることはなんとなく知っていましたが、この異様な擁護ぶりには「やっぱりな」と誰もが納得したことでしょう。
自白、ありがとうございます。

小林はジャニー喜多川がやってきた行為について異様な熱意で大した問題ではないよう誘導していますが、タガが外れた小児性愛者が権力勾配を利用して法の埒外で自分の欲望を満たしていたことを、その死をもって免罪とするのはなかなかですね。
児童への強制性交を「曲がった性癖」と表現するのは自己防衛本能でも働きましたか?
小児性愛は犯罪であると共に病気であり、「噂の性癖」などと過小評価すべき案件ではありません。
誰も「芸能人は常識の代表者たれ」などと求めていません。
藁人形論法はみっともないからやめなさい。
芸能人のやることなのだから一般社会の常識では測れないので犯罪に手を染めようが許容してやるべきであり、病識は個性だから治療する必要はないと小林は言いたいのでしょう。
実に頭の悪い奴の発言です。
芸術家は狂人でなければならないという実に古臭い固定観念に囚われた老人の発想で笑います。

りゅうちぇるの件に関して、一体どこの誰が聖人化しているというのでしょうか?
また藁人形論法?
ペコがりゅうちぇるについて子供にとって良い親であったと言ったとかいう話なら私は妻からききましたが、まさかそれが聖人化?
ジャニー喜多川の犯罪行為については本人が死んでいるのだから追及するのは卑怯だと言ったそばから、りゅうちぇるに関しては自殺したあとも批判すべき点は批判するって、二枚舌が酷すぎて絶句します。
要するに小林よしりんがジャニー喜多川を擁護するのは自分の過去の行ないに関わる問題だからであり、心の問題で自死を選んでしまったりゅうちぇるについては自分とは関係ないから酷薄に処理しているだけの話でしょう。
まあ、端的に言ってクズすぎ。
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