プチ創価学会
沈黙を破る人を応援し、ダンマリを決め込む人を非難する小林よしのりとその眷属時浦夫妻ということらしいので、こちらも決して沈黙せずに粛々と回顧録を書き残していきたいと思います。
私は皇室にそれほど関心がないので、誰が皇位を継承しようがご自由ににして下さいとしか思っていません。男系だろうが女系だろうがどっちでもいいという立場です。
しかし疑問に思うのはゴー宣道場はどうして直系長子の継承にこだわるのでしょうか?
そもそも同じ親の子供なのに、なんで長男を直系と呼び、次男は傍系呼ばわりして下に見るのでしょうか?
そもそも同じ親の子供なのに、なんで長男を直系と呼び、次男は傍系呼ばわりして下に見るのでしょうか?
それが儒教の伝統なのだから理屈抜きに守るべきであると仰りたいのかもしれませんが、長男だろうが次男だろうが、女だろうが男だろうが、そこは区別せずに跡継ぎを決めれば良いではないでしょうか?
それぞれの家の都合で兄の跡を弟が継ぎ、そして弟の子が跡取りになるなんてことはよくある話なので何の問題もありません。
それなのに小林よしのりは敬宮内親王に皇位を継がせることに情熱を燃やしています。
何故、皇統についてどこの馬の骨とも分からぬ爺さんがクチバシを突っ込むのか、承認欲求も大概にして欲しいものです。
その小林の主張に全乗っかりのシンパたちですが、彼らの日常は大層虚しいものであるのか知りませんが、小林を支持することにエリート意識を芽生えさせ、小林と同じ主張をすることに生き甲斐を覚えているようです。
それを汲み取った小林は「道場を活性化させてくれる人材はありがたい」と言って、道場に参加することにやりがいを感じさせ、生き甲斐にするよう誘導しています。
彼らゴー宣エリートたちは単に運動していることにやりがいを感じているだけで、その運動が何を主張し、何を議論しているのかはどうでもいいのです。
小林は先帝から今上陛下へと譲位されたことについて、ゴー宣道場がなければ成し遂げられなかった。令和の時代が来たのは我々の戦いの成果であると、まるでどこかの創価学会(公明党)のようなことを未だに語っています。
しかし、道場参加者たちは内向きにそれを確認し合っているだけで、その快挙を外に発信していこうとはしません。
どうして道場参加者たちは「令和改元の真実」を家族や友人、会社や学校で話さないのでしょうか。
「私が参加している集会の尽力があったからこそ令和という時代を迎えられるんだよ。凄いでしょ」ぐらいのことは当然言うべきでしょう。
「私が参加している集会の尽力があったからこそ令和という時代を迎えられるんだよ。凄いでしょ」ぐらいのことは当然言うべきでしょう。
「我々が道場に参加していたからこそ上皇陛下は退位することが出来たのです!」と感涙にむせびながら誇らしげに語っても良いぐらいです。
まさか「そんな恥ずかしいことは言えるわけがない」なんて、信心が足りないことを思ってはいないでしょうね?
「どうせ誰も信じてくれない」とか言い逃れして、周囲に道場の成果を伝えていないなんてことは許されざる反逆行為ですよ。
「どうせ誰も信じてくれない」とか言い逃れして、周囲に道場の成果を伝えていないなんてことは許されざる反逆行為ですよ。
「我々は宇宙人と交信出来る」とか「キャトルミューティレーションはその宇宙人の仕業である」とか「小林よしのりはエイリアン・アブダクションに遭って以降、ありもしない妄言が止まらなくなった」とか言うのと同じぐらいの感じで周りにドン引きされることを恐れて、道場の偉業を口にしないなんてそんな馬鹿な話がありますか!
もっと自分たちがやっていることにプライドを持って下さいよ。
それとも人には言えない恥ずかしい集会に参加しているという自覚があるのですか?
まったく嘆かわしい限りです。
それとも人には言えない恥ずかしい集会に参加しているという自覚があるのですか?
まったく嘆かわしい限りです。
《天皇陛下の願いを叶えて差し上げようと、全力で道を切り拓いたのが、ゴー宣道場!!》
《設営隊長だった私は、設営の前に大声で檄を飛ばしました。
「今、私達が立っているこの場所は『歴史の転換点』です!」
「公論形成の機運を、議論できる雰囲気を、今日、この大阪から日本中に拡げましょう!」
「今日の議論が成功するかどうかは、我々関西設営隊が元気に挨拶して参加者を迎えられるかどうかにかかっています!」
「緊張するのは分かるけど乗り越えて欲しい!」
「みんなで、笑顔で、天皇陛下に恩返しをしましょう!!!!」》
《ゴー宣道場の戦いはまだまだこれからだと思います!》
《笑いながらでもいいし、楽しみながらでもいい。仲間と一緒でもいいし、一人でもいい。忙しい日常の中、自分ができる範囲内がいい。ゴー宣道場に参加しよう\(^o^)/》
まさに、ゴー宣道場とはプチ創価学会と断定して構わないでしょう。
しかし、まさかシャレや悪ふざけではなく、「俺たちの戦いはこれからだ!」をリアルでやる奴がいることに驚かされます。
打ち切りエンド確定。
内向きに「我々は成果を挙げた。これからは次の成果に向かって闘い続け、負けじ魂で断乎勝つ!」と怪気炎をあげるゴー宣道場のシンパたち。
この記事へのコメント
ひろゆき風に言うと「それはあなたの感想ですよね」で終わりなんでしょうが、毎度お馴染みの木蘭さんのポエム。
少なくても男系派は議論の中で相手の言論にポエムで返すという手口は使いません。
毎度言っていることですが、自分と反対の意見を持つ者は、なんで「可哀想な過去を持つ鬼」になってしまうのだろう。
相手には相手の内在的論理があり、それをしっかり踏まえた上で反論するということ。その当たり前のことをせずに、なぜ相手を悪魔化し、意味のわからない印象操作で攻撃しようとするのか。
いつも言うことですが、木蘭さんは作家ではない。
自身はイケてるライターだという肥大化した自意識臭だけはプンプンですが。
素人のブログだとしてもレベルは下の方です。
身内でそれを教えてあげられる人は誰もいないのでしょうか。
ただ、自意識だけは肥大化しているが、作品が独りよがりになり、客観性を喪失している…というのは親分である最近の小林先生もじつは同じなのですが。
取り巻きたちも、国会議員に勝手に本を送りつけておいて、それを受け取り拒否されると、名指しで攻撃するとか、本当に異常です。
これも、同じことをいつも言っているようで恐縮ですが、天皇の地位は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づくものです。
愛子さまの顔を表紙にその中身はマルクス主義の階級闘争で徹底して分断をあおるそのやり口で何かが動くことは絶対にありません。
その根本的なボタンのかけ違いにこの気の毒な方々が気づくのは、いつのことになるのでしょうね。