ゴー宣道場では出来ない皇統談義

まずは非常に興味深い最新コメントを紹介します。

奥様が行かれた応援上映の一会場の、具体的なデータではなく主観で捉えた客層を根拠に若者が流入してると断言するのはどうなんでしょう。そういう印象操作を嫌っておられるのではないのですか?》(やまかみさん)

私の妻が映画スラムダンクの応援上映に参加した時にその客席が圧倒的に若い世代であったということを聞いた私が「スラダンは未だに若い層をファンにしているなんてスゲー」という個人の感想に対して、「井上雄彦が果たして未だに若い層にウケているというのならば、そのデータを示せ。それが出来なきゃ印象操作だ」とのご指摘を受けました。
データ至上主義はまことに結構なことでございますが、スラムダンクが90年代JUMP黄金時代直撃世代以降にも読み継がれているというデータなど私がいちいち示すまでもなく、そこらじゅうに溢れ返っているのではないでしょうか。
別に私の妻の体験のみを根拠に映画スラムダンクが若い世代にもウケていると書いたわけではないのですが、小林よしのり界隈について書いているブログでいちいち井上雄彦のマンガが今の若い世代にも届いていることをデータを示しながら説明しなけりゃならないのでしょうか?

確かにゴー宣道場の会場の写真に写っている後頭部については一会場の風景に過ぎず、別日の別会場ではまるで違う様相を呈しているかもしれませんので、そこは謝罪致します。
ゴー宣道場参加者だってスラムダンクの読者のように若い世代が参入している可能性があるに違いありません!
そのことについてデータを示すことは出来ないのは私の不徳のいたすところです。
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映画スラムダンクがヒットしているデータを示すことをしない私のブログの内容などまったく当てにならない印象操作しかしていないシロモノに過ぎないかもしれず、でありますので安易に信用しきってはいけません。
私のブログを読む時は自分の頭で考えて判断してください。
今から紹介する皇統に関するコメントも決して鵜呑みにすることなく、読み比べて、どちらが自分の考えにフィットするか、またはいずれの意見も同意出来ないとして受け入れないかは各々で判断して下さい。

ブログ主である私がどちらか一方の意見に肩入れするのはフェアではないと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、これから紹介するshinkimuさんと記録を残すさんのコメントでは、私は記録を残すさんの主張に共感します。
記録を残すさんのコメントはまさしく私の考え方を代弁しているとさえ思います。
しかし、「皇室の弥栄」という観点から見たら、記録を残すさんのご意見はいささかあやうい。
記録を残すさんは「女系容認派」の立場から意見を述べているようですが、男系派であるshinkimuさんへの反論の延長線上には「じゃあ別に天皇制なんていらなくねぇか?」という意見に行き着くしかないのではないでしょうか?
そのあたりのことも今後の議論のなかで話し合われるかもしれませんが、現状での疑念を誠に勝手ながら外野から口出ししてみました。
ともあれ、お二方の熱い公論をご覧下さい。


shinkimuさんのいう、男系継承が続いてきたことには人智を超えた何か深い本質がある、というのは幻想であり信仰だと思います。
そして現代日本でそのような信仰を持っているのは少数派です。
それは各種世論調査で女性天皇、女系天皇容認が7、8割に達する一方で男系維持が1割程度という結果をみても明らかです。
これに対し男系派のかたは、それは理解も畏怖も足りないからだというのでしょう。宗教ビリーバーの「信仰が足りない、地獄に落ちるぞ」という脅し文句と同じで精神的圧迫を感じてしまいます。足りない状態での議論は無意味なだけでなく有害とするのも、一部右翼が問答無用で襲撃して理解も畏怖も足りない(と彼らが考える)言説を封じ込め、天皇や皇室について語るのは危険だと思わせタブー化してきた経緯を想起させられて嫌な気持ちになる。
むろんshinkimuさんは暴力を是としたりはしないでしょう。
しかも人智を超えた深い何かを説明することができると仰っしゃるので、是非お願いしたいです。
信仰者から見て非信仰者の畏怖が足りないと感じるのは当たり前であって非信仰者が悪いわけではないと思います。
説明とは、そんな非信仰者に畏怖を理解させるものになると思うので是非聞いてみたいです。語れるけど語る必要はないなどと仰っしゃらずによろしくお願いします。》(記録を残すさん)

記録を残すさん
天皇も一種の宗教であり信仰であるというのは仰るとおりだと思います。
ただそれが少数派というのは誤りです。
たとえば元旦に神社に初詣する人たちはこの国の少数派ではないですよね。
天皇陛下は神道の最高位です。
全国に8万ヶ所ある神社を束ねられているのも天皇陛下です。
祭祀をおこない、日本の国民の幸せと国家の安寧を祈っているのが天皇陛下の本来の役割です。
父系を続けてきたことによる最大のメリットは「権威と権力の分離」です。
この国の始まり以来、どんな戦乱の世にあっても皇室を倒し自分がその上に立とうという者は現れませんでした。
京都御所にはお堀が無く、まったくの無防備だということに海外の研究者は皆一様におどろくとか。
中国や西洋の歴史が闘争による王朝交代の歴史だったことを考えると、これは奇蹟的なことだと言われています。
私が「畏怖の念がたりない」と申しあげたのは
皇室に対する信仰についてではありません。
我々の祖先が途方もなく長い期間ひたすら守ってきたシステム、そのことに対する畏怖の念が足りないと申し上げたのです。
そこを軽視し理性主義で根本的に変えてしまおうと考えるのは革命思想に他なりません。
各種世論調査などというものなどはまったくあてにならないものです。その時々の世情によりコロコロかわります。
まさに浮薄な人智主義の最たるもので、それに対する根本的な懐疑こそが保守思想です。
2000年間どんな権力者でも手を触れられなかった絶対的な掟をいとも簡単に乗り越えられると思っている近代進歩主義者たちの傲慢ぶりこそが真に恐ろしいものかと思います。》(shinkimuさん)

shinkimuさん、返信ありがとうございます。
まずshinkimuさんは完全に勘違いされていて、私は「初詣に行くような、天皇や皇室に対して素朴な敬愛の念を持つ日本国民」が少数派であるなどとは一切言っておりません。
私が言ったのは、shinkimuさんの主張するような「男系継承が続いてきたことには人智を超えた何か深い本質がある」という考えは幻想であり、信仰であると思えるということと、そんな男系継承信仰を持つshinkimuさんのような男系派のかたがたは少数派である、ということです。
それともshinkimuさんは初詣をする人々がshinkimuさんと同じ位の熱量で「男系継承が続いてきたことには人智を超えた何か深い本質がある」と確信する男系派ばかりだと考えているのでしょうか?
しかし、もしそうなら世論調査で男系維持が1割という数字は出ないでしょう。
shinkimuさんは世論調査なんて、と鼻にも引っ掛けないご様子ですが、それでも調査からは天皇・皇室を敬愛する人の数(初詣するような人の数)に比して、男系継承支持者の数は少ないのだな、ということ位は読み取れます。
世論調査なんてコロコロ変わるとも言いますが、皇統の危機が言われ出して久しく、調査は何度もおこなわれてきましたが、男系維持が多数を占めたことはないんじゃないですか?
世論調査だとか保守思想だとかに関係なく、物事を懐疑して検証するのは良いことですが、今回の場合は男系派=少数派という結論に変わりはないと思います。
次に、勘違いのあったゆえか「男系継承が続いてきたことの中にある人智を超えた何か深い本質」というものに対する明確な説明は無いようですが、「メリット」として「権威と権力の分離」をあげておられます。
shinkimuさんは「父系を続けてきたことによる最大のメリット」としていますが、これは「天皇が存在したことによる日本史の特徴」とは言えても、「父系の」という限定や断定をすることはできないでしょう。女系や双系だったら滅ぼされていたという史料でもあるなら別ですが。
もうひとつ、「我々の祖先が途方もなく長い期間ひたすら守ってきたシステム」「2000年間どんな権力者でも手を触れられなかった絶対的な掟」などの言い方は男系継承信仰のバイアスがかかったものにすぎないと思います。
ひとつひとつ具体的な史実に基づかなければ意味はないですが、これについては歴史学の研究などが進んでいくでしょうから男系派に証明せよと言うつもりはないです。
最後に、「近代進歩主義者たちの傲慢ぶりこそが真に恐ろしいもの」などは、男系信仰者側からはそのように見えて不満なのだろうな、ということは理解できます。ただ、非信仰者からみると男系派の物言いも恐ろしく見えますよ。
shinkimuさんは、女系になんてなったら二代と続かないだろうと書かれてますが、私には女系・女性天皇容認の7、8割に回る初詣に行くような素朴な敬愛を持つ人々が女系になったからといって「もう支持しない」と騒ぎ出すなんて全然思えません。じゃあ誰が騒ぐのかといったら自分たちの信仰を砕かれることになる男系派の人たちではないですか?
つまり「二代と続かないでしょう」とは「二代と続けさせない。俺たちが黙ってないから」という脅しじゃあないですか?剣呑です。》(記録を残すさん)

記録を残すさん
仰る通り、私の取り違えがあったようです。
記録を残すさんが仰っていたのはあくまでも「男系派」の立場に立つ人々は少数派だということでしたね。
大変失礼しました。
ただ、神社に初詣に行ったり、神棚にお神酒をあげたり、そういう日本人の素朴な信仰の源にあるものは何かと言えば、神道のオーセンティシティにあることは間違いがないと思います。
そのオーセンティシティ(真正性)は何で担保されているのかということです。
その意味では私の申し上げたこともそれほど的を外したというものでもないと思いますが…。
私は疑問なのですが、世論調査はともかく、潜在的な部分も含めて「男系派」の立場に立つ人々はほんとうに少数派でしょうか。
世論調査については「何度も行われてきた」とのことですが、実際何回ほど行われてきたのでしょうか。
例えば数百年にわたって行われてきたという事実でもあるのでしょうか。
そしてその結論は毎回確実に男系派=少数派という結果だったのでしょうか。
そんなことはあり得ず、これからも、なんらかの醜聞でも現れれば、風向きは一気に変わってしまうものだと思います。
例えばどこかの国の指導者(仮想敵国)の御子息と女性皇族が結婚し、万世一系の皇統が途切れ、そこからその外国人がこの国を統治することになったということにでもなったらどうでしょう。
世論調査の結果はそれでも変わらないということはあり得るでしょうか。
これも言い尽くされたことですが、「父系継承」という仕組みの最大の恩恵は、女性は外部から皇室内に入ることができたが、男性は一切入れなかったということです。
その仕組みこそが、京都御所にはお堀がなく、「権威と権力が分離」された状態で、2000年以上にわたって「シラス」の統治が続いてきたというキーなのです。
歴史学の史実に照らし合わせて「男系継承」が果たして事実だったのか、ということには私はあまり興味がないのです。
以前に申し上げた通り、それは皇統譜に記されたこの国のオフィシャルな見解で全国民の総意に基づくものです。
それは記録を残すさんの仰る通りファンタジーであり、信仰であると私も思いますが、そこが崩れてしまったら、この国の成り立ちそのものが変わってしまうということです》(shinkimuさん)

shinkimuさん
潜在意識のレベルで男系支持者がどれくらいいるのかは分かりかねます。厳密に考えれば、年始のイベントとして定着した初詣に参加したからといって必ずしも天皇への敬愛があるとも言えませんし。
男系派の人と話して感じるのは、説得力よりも圧がすごいということ。一番最初に書いたとおりです。そこを解決しないと男系支持者の数は増えないのではないでしょうか。
女系派に都合の悪い醜聞がおこっても、相対的に男系派が上がるとは限りません。「両方ダメだ、天皇制はなくしたほうがいい」という方向にいく可能性もあります。
それで本題である、男系継承が続いてきたことにある「人智を越えた深い本質」の説明についてですが、前回まででshinkimuさんは、「父系を続けてきたことによる最大のメリット」として「権威と権力の分離」を、「父系継承という仕組みの最大の恩恵」として男系派がよく口にする「男系継承は女性排除ではななく実は男性排除だった」というものをあげています。
これらがアンサーであるということでよろしいでしょうか。
だとすると、思っていたものと違いました。
なぜなら、人智を越えたものの説明ということでしたし、人智主義や理性主義批判などもありましたが、shinkimuさんが挙げたこれらの説明は、人智そのものと思うからです。
まず「権威と権力の分離」は、「父系の天皇」というような限定はできないものの「天皇が存在したことによる日本史の特徴」であることは確かです。
しかしshinkimuさんの仰るような「どんな権力者も畏れ多くて手を出せなかったから」というような神秘的なものではなく、朝廷側は権威を与える役割を担うことで自分の存在価値を示すことに成功し、権力者側もそのほうが支配していくうえで都合が良いという人智であり、現実的かつ合理的な理由によるものです。
また、京都御所のお話ですが、御所には諸門があり護衛により守られていました。だから幕末にそこでバトルが起こるわけです。
禁門の変(蛤御門の変)ですね。
現在の御所の大部分は幕末に造られたもので、それ以前のものにお堀があったのか知らないですが、天皇の政治利用は盛んだったので御所は何度も襲撃されていますし、それに対する護衛もついていました。つまり権力者による「玉の奪い合い」です。これは「天皇は学問だけやっていれば良い」と京に押し込められた江戸時代をはさみ、幕末にまた繰り返されたのはご存知の通りです。
シラス統治で国を鎮めてきたというようなものは、記紀における理想の天皇像であって、実際は権力争いの渦中、平和になれば隔離状態というものでした。
次に「男系維持はじつは男性排除」についてですが、「女性天皇が仮想敵国の男性と結婚、実はその男は工作員で、女性天皇はいいように操られ、そこから日本が支配されてしまう」という例題に真面目に答えるのであれば、逆のパターンは考えなくて良いのですか? 
ということです。
つまり「男系男子の天皇が、実は工作員である仮想敵国の女性と結婚し、惚れた弱みでいいように操られ、そこから日本が支配されてしまう」というものです。「傾国」という言葉もありますし、前者を可能性としてアリとするなら後者の可能性も十分アリでしょう。
そういえば雅子さまバッシングが盛んだった頃、その父親である十和田恆氏に対して、娘を通じて皇室に影響力を行使する野心があるといった非難がなされ、いま男系維持の主張を標榜する右派雑誌などは表紙にデカデカと「十和田王朝」と書いて叩いていたものです。
要するに、男系を維持しても「婚姻により外部から皇室に不届き者が入ってくる可能性」をゼロにすることはできない。
「男系維持は実は男性排除」という物言いは、女性排除批判に対して、逆のことを言って意表を突き、言い負かしてやろうというレトリック的な思い付きに過ぎないんじゃないでしょうか。まさに賢しらな人智であると思います。
以上のように、shinkimuさんの説明は「人智を越えた何か」の説明になっているとは思えませんでした。
shinkimuさんは史実にはさほど興味がなく男系継承が続いてきたという結果があれば信仰は揺るがないと表明されておられるので、そこにいたる道行きがどんなに泥臭く人智にまみれたものであっても気にならないかもしれません。
私は信教の自由を尊重しますのでそれを非難しませんが、結果で十分ならば途中の道行きに対し史実を曲げて、ひたすら恐れられ守られてきたとか、絶対の掟だったとかの粉飾をすることは控えていただけたらと思います。》(記録を残すさん)

記録を残すさん
人智を超えたものの説明を私はできません(笑)
私が説明できるのは人智の範囲です。
アフリカの平原に突然モノリスがドーンと現れたとして、それがなんであるかは本当のところは誰にも明かりません。
ただし、人間の後知恵で「こういう意味があったのではないか」という解釈は様々できるかと思います。
皇室における「権威と権力の分離」や、「女性排除ではなく実は男性排除」などももちろん後付けの解釈です。
京都御所が襲撃された例は何度かありますが、例えば「禁門の変」における京都御所の襲撃というのは時の権力者が権力簒奪のために直接的に皇室を狙ったという類のものではないですよね?
「玉の奪い合い」や、「天皇の政治利用」なども長い歴史の中で何度も行われたことは事実ですし、権力争いの中で皇室が影響力を失ったり、政治の実権を失ったりすることもありましたが、ただひとつ言えることは、前述した通り、直接的に皇室を倒して自らがその上に立とうとした権力者はいなかったということです。
それはこの「権威と権力の分離」の仕組みが作用していたということの証左にはなりませんか。
「婚姻により外部から皇室に不届き者が入ってくる可能性」は、男性天皇であっても女性天皇であってももちろんゼロにすることはできません。
ただし、男性天皇の場合は、男系限定継承の原則が採用されている限り、天皇となる男性の家系が維持されることが求められるので、そこには安全装置があるわけです。それを外してしまっていいのかということです。
私自身のオーバーな言葉使いについてのご指摘については反省しますね。
ただし、皇統の原理原則は日本の歴史が始まって以来変わらず続いてきたものであり、仮にそれがある種の共同幻想だったとしても、守り続けなければならない。
そうしなければ皇室はこの先二代と持たなくなる、という確信は私の中で変わらずあるものです。》(shinkimuさん)

shinkimuさん
>人智を超えたものの説明を私はできません(笑)

この「皇統は血統主義です!」という記事の中で鷲ヲさんが紹介しているshinkimuさんのコメントに「長く続いてきたものには人智を超えた何か深い本質があるはずなのです。それが何かここで説明することも可能ですが、その必要性もないと思うのです。」とあります。
これを読んで説明をお願いした次第です。
shinkimuさんが何も言っていないのに私が突拍子もなく説明を求めだしたのではないことは、ここに明記しておきます。念のため。

>それはこの「権威と権力の分離」の仕組みが作用していたということの証左にはなりませんか。

なぜ私が「権威と権力の分離」を認めていないかのような書き方をなさるのですか?前回と前々回で二度も、それは「日本史の特徴である」とはっきり書いていますよ。
御所がまったくの無防備だったというような明かな間違いは訂正しました。それに続けてシラス云々と話を繋げておられたので、史実と神話を混同するのは害があるので簡単に史実を提示しました。

>ただし、男性天皇の場合は、男系限定継承の原則が採用されている限り、天皇となる男性の家系が維持されることが求められるので、そこには安全装置があるわけです。それを外してしまっていいのかということです。

仮に男系に加えて女系天皇が認められたとしても「天皇の血を引くものだけが天皇になる」という原則はなくなりませんよね。だったらそれが「安全装置」になるではないですか。天皇の血統を差し置いて仮想敵国からきた工作員の配偶者が皇位につくわけじゃないでしょう。
(もっとも、shinkimuさんの例題だと工作員に日本を統治されてしまっているので、そうなったらどんな安全装置があろうと外されてしまって意味がないかもしれませんけど)
男系の場合のみしか「安全装置」が働かないという説明は誤りだと思います。

>確信は私の中で変わらずある

前回も書いたように、多少の史実を提示したところでshinkimuさんの信仰が揺るがないのは重々承知していますし、私は思想・信教の自由を尊重しますので信仰を捨てよなんて言いません。shinkimuさんはそれでいいです。
ただ、そうで無い人もいる。「男系派の語る神話とは随分違うな」と判断する人もおられるでしょう。そういうことも意識して書いてはいます。》(記録を残すさん)

記録を残すさん
人智を超えたものの説明について、私のコメントに誤解を招くような部分があったのですね。
「長く続いてきたものには人智を超えた何か深い本質があるはずなのです。それが何かここで説明することも可能ですが、その必要性もないと思うのです。」
ここは、「それが何か、ここで後付けの説明をすることも可能ですが…」とでも書けばよかったですね。
舌足らずで申し訳ございません。
御所の件も含めて、私の書いたものは申し上げるまでもなく非常に雑駁なもので、あちこちに不備がございます。
ご指摘には感謝します。
ただ、ひとつ思うのは、揚げ足取りのようなものではなく、本質的な議論をしたいなということです。
禁門の変における京都御所の襲撃は、皇室を狙ったものではありません。
当時、京都御所は天皇の居所ではなく、江戸幕府が派遣した警備隊や幕府の要人が居住していました。
時の権力者が直接的に皇室を襲撃したということはかつて一例もなかったということは事実です。
シラス統治というのは確かに神話にある言葉ですが、天皇と民が両思いのような関係で、権力や財力ではなく、「在り方」を体現することで国を統治するというものです。
記録を残すさんのおっしゃるとおり、きれいごとばかりでなかった部分も当然あったかとは思いますが、皇室と民の関係というのは基本的にこのような関係性で永年結ばれてきたということは否定できないと思うのです。
この「日本史の特徴」が諸外国にはない独自のシステムであることについて合意形成はできているのですよね?
女系天皇が認められたとしても「天皇の血を引くものだけが天皇になる」ということには違いありませんが、それまで一本の線でずっと続いてきた父系原理は崩れて、別系の王朝になるという事態であることも一面の真実なわけです。
それは外敵からの安全装置は外されているということになりませんか。
天皇に対する思いが信仰のようなものであるということはその通りですが。それは一部の男系派だけの特徴というものではありません。
憲法第一条では天皇は、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」とあります。
皇室の歴史なんて全然科学的じゃないな、という意見もあるかとは思いますが、神話の時代から代々繋がれているそれは「日本国民の総意に基づいて」成立しているということです。
例えばこの先女系天皇が誕生した場合、ウィキペディアにはこう記載されると思います。
「男系の血統は第◯◯代〇〇天皇を最後に途絶えており、今上天皇は正当な皇位継承者ではないと主張する者もある」
これはその地位が「日本国民の総意に基づくもの」ではなくなるということです、
これでいいのでしょうか。
莫大な税金を投入して、反人権的な場所に人を押し込めている。
反皇室の方がおっしゃるような、このような非近代的なシステムを、「2千年間継続してきた正当性」を失っても、「日本国民の総意」を失っても、なお今後幾千年に渡って続けていけるのでしょうか。
これが私の根本的な疑問なのです。》(shinkimuさん)

Shinkimuさん

「日本史の特徴」と私が言ったのは、「権威と権力の分離」という事柄についてです。
もっと詳しく言えば、日本史において早い段階で天皇から権力が奪われ、権威を主とした存在となったこと。権力を握った時の勢力は天皇家を滅ぼさず、権威と権力の並立状態となったこと。滅ぼさなかった理由は時代時代の個別具体的な事情と切り離せないので一般化はできないが、そんな権威のみの存在となった天皇を、権力側は自らの支配に正当性を与える道具として活用したこと。その結果として「権威と権力の分離」以降の権力争いのかたちは、天皇を自陣営に掌握して自分たちの正当性を担保するため、時の権力者や権力を狙う者たち同士の「玉の奪い合い」となったこと。これらのことが「日本史の特徴」といえるものです。両思いがどうとかは全然関係ありません。
これは日本史を真面目に勉強してさえいれば小中高生でも知っている基礎知識レベルのものであり、このやりとりを読んでくれている方々もご存知のことと思います。知らないという人がいたらよほど勉強をさぼったか、とぼけているのでしょう。
禁門の変の京都御所襲撃が天皇を狙ったものでないのは当たり前です。
「権威と権力の分離」以降は、「権力を持たない天皇を襲撃して権力を奪う」なんて事態が起こりえるはずがない。争いのかたちは「玉の奪い合い」です。彼らにとって天皇は襲うものではなく利用するものです。
権力を狙う長州藩が、会津藩や中川宮などを「君側の奸」として排除しようとしたわけですが、じっさいのところ孝明天皇は倒幕など考えておらず、むしろ長州藩を排除したがっていました。しかし長州藩は天皇の意向など全く無視。「天皇は君側の奸のせいで正しい判断ができていないのだ。我々こそが真に天皇を思っている。奸臣から天皇をお救いするのだ」ということにすれば簡単に反乱の大義が手に入る。こういった意味でも権力闘争をしかける者にとって天皇は便利な存在でした。「玉の奪い合い」の特徴ですね。こうして長州藩は京都を焼くような事件を起こしたのです。長州は負けて朝敵となりましたが、最終的に戊辰戦争で勝利し「玉をゲット」したので、この事件も「長州の反乱」とでもするのが実態をあらわしているのに「禁門の変」という、聞いただけでは内容のよく分からない名称が定着させられたと言われています。
かように、「権威と権力の分離」以降に天皇が直接的に襲われていないと言ったところで、尊皇心だとか敬愛だとかの根拠になるものではありません。(ちなみに、「当時の京都御所は天皇の居所ではなかった」というのはどの史料によるものでしょうか? 確認したいので典拠を教えて下さい。)
「時の権力者が直接的に皇室を襲撃したということはかつて一例もなかった」というのも事実ではありません。
「権威と権力の分離」以前は権力も天皇が握っていたわけであり、その権力を奪うために何度も武力反乱を起こされていますし、崇峻天皇が蘇我氏に暗殺されている一事だけでも「一例もなかった」なんて間違っていると分かるでしょう。
それでも王朝自体は滅ぼしていないじゃないか、と言うかも知れませんが、それも結局はその時々の権力者たちがそれぞれの事情で残したほうが得だと判断したまでのことで、禁門の変の例で見たように天皇の意向など無視して自分たちの権力奪取や維持に利用し尽くしたのです。このような史実に基づいて北一輝は、万世一系国体不変などとした憲法学者の穂積八束に対して、そんなわけがあるか、天皇から実権を奪い形骸化させてきたではないか、日本はむしろ乱臣乱賊の国であると厳しく批判したのです。シラス両思い論とは真逆ですね。

>それは外敵からの安全装置は外されているということになりませんか。

外されていることにならないと思います。
血統主義が変わるわけではないのだから、女系容認でも安全装置は働いているとしなければ筋が通らない。その上で、男系オンリーのほうが条件は厳しいので「セキュリティーレベルが高い」とは言おうと思えば言えるかなという感じです。
両刃の剣ですね。継承者の数がいるうちは厳しくても良いが、側室制度もなくなり継承者が実質一人だけというような現状では、それが足枷となる。およそ現実に起こりそうもない想定の外敵を心配するより先に、自然消滅の危機のほうが大きい状態ですから。
「国民の総意」について。
「お前は天皇は科学的じゃないなどというが、憲法には天皇の象徴としての地位は国民の総意に基づくと書いてあるんだぞ!日本国民である以上、お前も神話から続く万世一系の男系天皇を認めていることになるのだ、それともお前は日本人じゃないのか?」
こんなふうに詰めよられたら、気の弱い人ならびっくりして座りションベンを漏らしてしまうかもしれません(鷲ヲさん風)。
しかし、少し落ち着いていま現在の日本を見てみれば、天皇礼賛者であっても男系オンリーと女系容認に分かれていがみ合っているし、反天皇主義の人もいるし、共和主義の人もいるし、無関心という人もいて実にさまざま。女系容認されて男系派がへそを曲げるのを待つまでもなく、日本国民が一人残らず神話から続く万世一系の男系天皇を認めているなどという状態にはありません。そんな状態は憲法が制定されたスタート時点から一度としてない。それが現実です。
さらに、日本国憲法は思想信条の自由や信教の自由といった個人の尊重をしているのに、「日本人は一人残らず天皇を認めるという総意ができている」などという思想の強制をするわけがない。Shinkimuさんの主張はこの二点に矛盾している。
そもそもこの「国民の総意」という語は非常に曖昧なもので、憲法改正といえば9条ばかり取り上げられるが、改正するなら真っ先にこの胡散臭い語をするべきだという意見もあります。なので、男系派は自説に都合良く解釈しますが、矛盾を放置した強引なものに過ぎません。
矛盾なく解釈するとすれば、我々が「日本とは何か、日本人とは何か」というような思いを致すとき、強く連想されるものが天皇である、礼賛していようが反発していようが普段無関心であろうが無視はできない、ということが「総意」されている、くらいの意味じゃないでしょうか。
鳩が平和の象徴なのは、それを成立させるくらいそのような連想をする人がいるということであり、いなくなれば鳩はただの鳥です。日本を想うときとっさに天皇を想う人が激減して明らかに総意でなくなった暁には、潔く憲法改正するしかないでしょうね。》(記録を残すさん)

記録を残すさん
私は「事実は一つ解釈は無数」という言葉が好きなのですが、「日本史の特徴」として「権威と権力が分離」していたという「事実」については記録を残すさんとは合意形成ができているわけです。
それはおっしゃる通り、「シラス両思い」のような綺麗ごとばかりではなかった史実は大いにあったでしょうね。「玉の奪い合い」ということも当然あったと思います。
ただし、「解釈」は様々なれど、「権威と権力の分離」というシステムが有効に作用したことで、2千年もの長きの間(年数についても諸説ありますが)結果として世界にも類例を見ない日本式の統治を続けて来られたという事実は動かないと思うのです。
ここで論点になるのはまさにこの点であって、枝葉末節とは言いませんが、本質的な部分以外のところで、いくら「論破」しても意味がないとは思いませんか。
女系容認論の方々も様々いらっしゃいますが、例えば所功さんのような方と議論をすれば、このような対立構造は生まれないように思います。
それは所さんと私の立場が、あくまでも皇室の弥栄を心から願う者同士として通じ合える部分があるからです。
ところが、「論破」という言葉が象徴的なのですが、ある種の女系推進派の方々は、とにかく徹底的に相手を潰してやろうという態度にしか見えないのは何故でしょうか。
その議論はいつまでも平行線をたどり建設的なものになったためしがありません。
記録を残すさんがそうだとは決して申し上げませんが、「皇室の弥栄のために議論している」というこの一点について、果たしてこの相手とは合意が取れているのかなと思える方が多いことは事実です。

> 礼賛していようが反発していようが普段無関心であろうが無視はできない、ということが「総意」されている、くらいの意味じゃないでしょうか。

ここは全く同意します。総意という意味は何も全国民が天皇を礼賛しているという意味ではありません。おっしゃる通り、「そのお立場を日本人誰もが無視できない状態でいる」くらいでいいと思います。
国民の総意が崩れるというのは、「この人は天皇じゃない」という立場の人が生まれてしまうということです。
皇位が一旦正統性を失って仕舞えば容易にその一群は生まれます。

もはや万策尽きた、という状況ならいざ知らず、悠仁親王という、誰が見ても明らかな正統性を有した皇位継承者が存在するにもかかわらず、それを廃嫡させ、愛子内親王に皇位継承させたいと考える人たちの、(佐藤優さん風にいうところの)「内在的論理」が、どうしても理解ができず、首を捻っているというのが正直なところです。》(shinkimuさん)


この皇統論議の今後の展開に要注目です!

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